夏休み四日目の朝。食卓には自分、和火葉の他に、昨夕現れたリシアも加わって、簡単に用意した朝食を食べていた。リシアの衣服は昨日と変わっていないようだ。
「そういえば、寝巻きの類はどうしたんだ?」
食事を終えたのを見計らって、思い出したように尋ねてみる。出てきたゲームの内容から、ちょっとした鎧のついた服装。髪型こそ一番見かける下ろした姿だけど、妹の部屋にあるベッドでは眠りにくいんじゃないかと思う。
「寝巻きのCGならいくつかあるから、問題ないよ」
「ああ。それって、どういう仕組みで?」
何気なく尋ねた言葉に、リシアは照れたように微笑んで、食器を片付けている和火葉からは呆れた視線が返ってきた。
「お兄ちゃんのえっち。女の子に着替えの仕方を尋ねるお兄様には、お皿を投げても許されますよね」
「割るなよ」
反射的にそれだけ答えて、服についてはこれ以上は聞かないでおくことにした。彼女について気になることは多いのだけど、聞く順番というものがある。
「……静かだね」
「うちはテレビはつけない派だからな」
「そうじゃなくて……うん」
リシアの呟きに答えてみたが、反応が鈍い。黙って待っていると、彼女は続きの言葉をおもむろに口にした。
「憧れていた現実世界に、困惑しているよ」
「封印、だったか。ゲームの世界に封印されてたのか? それとも、あのディスクに?」
「どちらも、かな?」
好機と思って踏み込んだ質問に、返ってきたのは曖昧な答え。一晩経ったからといって、状況は昨日とあまり変わっていないようだった。でも、昨日は聞けなかったことも多い。妹も黙っていることだし、他のことも聞いてみよう。
「封印っていつから?」
「少なくとも、三十年。ゲームという形で、この世界とのつながりをはっきり認識した年数を計算すると……それより短いはずはないでしょうね」
「三十年……」
「ロリお姉さんで、幻滅しました?」
「その姿をロリとは呼ばない」
一般の男子高校生と比較しても、肩を並べられるリシアの身長。体型的にも女の子としての膨らみは小さくないし、雰囲気的には同世代に近いんだけど、初めて少女リシアをプレイした歳を考えると、お姉さんは当てはまるかもしれない。
「ところで」
話題を変える。封印については、今はこれくらいでいいだろう。
「なにかな?」
「昨日から気になってたんだけど、いまいち口調が安定してないように感じる。それもやっぱりゲームの影響で?」
しかしそのどれもが、リシアの口調であることは間違いない。様々なゲームで見かけたリシアの口調を、全部混ぜたような口調が今ここにいるリシアのそれだ。
「ジャンルによって役割も変わったからね。封印の影響で、素というのもよくわからないし、絞った方がいいですか?」
「うーん……」
正直なところ、妹で慣れてるからあんまり困らない。しかし、この選択で好きなリシアの口調を選べるというのなら、考えてみたくもなる。
「リシアが楽なように」
じっとこちらを見ている妹の視線が気になったので、無難に答えることにした。
「了解よ。ご主人様に従いなさい!」
「お兄様が変態の道を! あ、元からでした」
よりにもよって初期の特に安定していない時期の、『精霊使いリシア』の口調を選ぶとは思わなかった。和火葉のことは無視しよう。
「……冗談だよ? 本当、困るよね。あ、でも楽なようにはさせてもらうね」
「妹に罵られて喜ぶなんて、お兄ちゃんってどうしようもない変態ね。でも、そんなお兄様からもう私は離れられない……責任とってよね!」
「和火葉に楽にしろとは言ってない」
「いやですねお兄様。独り言ですよ?」
一体和火葉はどこでこんなことを覚えたのか。今年私立風華院女学校に入学した直後からだったと記憶しているが、影響を受けるにしても早すぎる。一緒に通っていた初等校時代にもそんな気配は微塵もなかったし、そろそろ深く尋ねてみるべきだろうか。
だが、今は和火葉よりもリシアの方が問題だと考え直し、置いておくことにする。嫌われているわけではなさそうだし、構ってほしがっているわけでもなさそうだし、ゲームと同じく同時進行するイベントは、進行状況を判断してこなしていくのが最善だと思う。
「リシアは今日、どうするんだ?」
「ちょっと準備があるから、どこか部屋を貸してほしいな」
「部屋だけで?」
「うん。いいかな?」
「ああ。客室でいいなら」
いきなり外出するよりはこちらとしても助かるので、快く承諾する。リシアを部屋に案内すると、彼女は扉を閉じる前に一言。
「中は見ちゃだめだよ?」
「和火葉にも言っておくよ」
笑顔で別れて、和火葉にも伝えておく。和火葉は一階のリビング、ソファの上で転がっていた。スカートの中は見えない方向で転がっているが、俺の姿に気付くとほんの少し向きを変えて、見えそうで見えない位置に調整していた。
が、そのことには一切触れずに、リシアからの伝言を伝えておく。
「覗いたときの言い訳に私を使わないでくださいね、お兄様」
「覗かないよ」
「好感度上昇狙いですか?」
「そういうわけじゃ……ないとは言えないけど」
ちなみに和火葉も、それなりにゲームには詳しい。だからこういう話も普通に成立するし、リシアに対しての抵抗がないのも、ゲームでの彼女をよく知っているからだと思う。
「お兄様、現実はゲームのように簡単には……」
そこで一瞬、和火葉の言葉が止まった。ほんの少し動いた視線の先を確認するより早く、耳に爽やかな音色が届いた。まるでゲームのような、日常会話をしている雰囲気によく合った爽やかな笛の音色。
振り返ると、リシアが廊下の端で笛を吹いていた。階段を降りた音も聞こえなかったが、今の彼女なら気配を消すくらい簡単なことは分かっている。
俺と和火葉の視線に気付いたリシアは、奏でていた笛から口を離して笑顔を見せて、俺たちが視線を逸らさないのを見ると表情を曇らせた。
「あれ、この音じゃなかったの? なら、これで……」
今度聞こえてきたのは、恋愛ADVの甘いシーンで聞こえてきそうな音色。ちょっと待てと突っ込むより早く、妹が袖を引いてきたので反射的に振り向く。
「お兄ちゃん……来て」
潤んだ瞳で見つめる和火葉。中途半端に転がっているので、あんまり魅惑的ではない。
「リシア、それは?」
「ばっくぐらうんどみゅーじっく!」
とりあえず和火葉の腰を押して転がしながら、後ろのリシアに聞く。返ってきた答えはたった一言。自信満々である。
「BGMか……」
「雰囲気には合ってませんね、お兄様」
転がされてうつ伏せになりながら、平然と和火葉が続ける。
「そ、そう? やっぱり私一人じゃ、それも即興で完璧な選曲は難しいね。でも、演奏は完璧だったでしょう? 魔法の笛で奏でる音色! みんなの心を軽やかに!」
リシアシリーズ唯一の音ゲー、『リシアの笛』のキャッチコピーだ。それをまさか本人の口から生で聞けるとは、嬉しくて顔がにやけてしまう。この位置なら誰にも見えないから少しくらいはいいだろう。無論、妹が動く気配があったらすぐに引き締める。
彼女が吹いていたのは魔法の笛。確か設定ではすぐに出せたはずだから、部屋にこもったのはBGMを流すタイミングを計ってのことだったのだろう。
「ちなみに他の楽器もあるよ!」
「その前に、一つ聞きたいことが」
笑ってみせるリシアの方を向いて、尋ねる。思えば、寝巻きの時点で気付くべきだった。
「魔法、使えるんだな」
リシアは首を傾げる。少女リシアは魔法学園の卒業生。設定からして魔法を使えるのは当たり前で、ファンなら誰もが知っているはずのこと。でも聞きたいのはそこじゃない。
「この世界でも、普通に使えるんだなって」
その言葉で、リシアは得心したように頷く。
「そういえば、この世界には魔法はなかったよね。でも、この通り使えちゃうよ。あ、安心して。危ない魔法は使わないからね!」
「本当に、何から何までゲームと同じなんだな」
「みたいね」
こうやって笑うリシアの表情も声も、全部同じ。封印の意味はよく分からないけど、少なくとも何らかの危険を考えて彼女が封印されていたとは到底思えない。
強いて言うなら、そう――その魅力? 格好よくて可愛くて、何でもできるその魅力。
ま、いいか。考えていても答えは出ない。夏休みもまだ始まったばかり。今はただ、リシアと一緒にいられる幸せを存分に噛み締めることにしよう。封じられたものが解き放たれたのだから、放っておいても何らかの変化はきっと起こると期待して。