幻のゲーム機と呼ばれるハードがある。ゲーマーにとって夢の、不可能と誰もが思っていたことの実現。ハードメーカー各社が協力し開発・発売された、その名も『ゲーム五光』。ゲームに特化した多くの特徴を持ち、開発コストにも優れ、開発者にとっても夢のハード。
しかし、それゆえに――高スペックのハードではままあることだが――ソフト不足に悩まされることとなる。ゲーム五光は熱意ある開発者の要求に応えられる性能を持っていた。逆に言えば、相当の熱意と才能がなければそのスペックを引き出せないハードだったのである。
結果、ゲーム五光は神と評されるゲームを何本も生み出したものの、スペックを活かしきれない中途半端なタイトルも数多く生み出すことになり、発売前のゲーマーや開発者の期待に反して、二年で勢いを失う幻のハードとなってしまった。
再び別れた現行機――次世代ハードにおいて、それらの経験は活かされて、ゲーム業界は再び盛り上がりを見せている。今となっては早すぎた融合として、ゲーマーの多くが歴史と語るゲーム五光ではあるが、そのスペックは現行機にも勝り、開発コストも劣らないため、年間に数本ではあるがゲームが発売されており、五光を愛するゲーマーによって支えられて一定の地位を築くことには成功した。
かくいう自分もその一人。流通の問題から、ゲームとしては非常に珍しい――しかし五光においては一般的な――受注生産された新作を手に、ゲーム五光を起動。五テラバイトの五光専用フィフスライトディスクにインストール待機中である。
別名『五光ドライブ』とも呼ばれるこのドライブ仕様も、五光の特徴の一つだ。必須のインストールをすることにより、読み込みを超高速化。通常は見えない内部も含めた地球規模の3Dグラフィックを一秒で描画するという、脅威の性能を発揮する。
さらにインストール時間も短縮。平均十ギガバイトのインストールを僅か二分で行い、百ギガバイト近い大作もディスク入れ替えを含めて十五分でインストール完了だ。
二分の間に素早く説明書に目を通して、操作方法を確認。レイクサイドハウスのゲームならそれだけでも操作方法を確認するには十分だ。
ドット絵時代から様々なジャンルで展開する人気ゲーム、『少女リシア』シリーズの最新作。販売するのは誰も詳細を知らない謎のゲーム開発会社レイクサイドハウス。リシアシリーズの特徴は、十字ボタンとAB二つのボタンを基本として最適化された操作性にある。XYやLRといったボタンが増えても基本は変わらず、面白さは向上している。
今回の新作はRPG要素を含むADVゲーム。三つ四つの選択肢を、十字の方向で直接入力して決定するシステム。移動は十字で、決定がA、キャンセルがB。これらの基本は確認するまでもないが、残りのボタンには特殊な操作が割り当てられていることが多いので、確認は怠らない。今作の場合は、Xで移動方式切り替え、Yで装備変更。スタートがポーズでセレクトがバックシーンログなのは、最初期を除くリシアシリーズの定番だ。
リシアシリーズが凄いのは、この装備変更といったいわゆるメニューで行う操作さえ、十字の方向とABによる直接操作で行い、基本的にカーソルを扱わないこと。緻密な画面デザインと操作設計によって可能になる、他社には簡単に真似できないレイクサイドハウスのアイディアには毎回驚かされる。
そしてその最適化された操作性は、夢のハードである五光でこそ最も活かされる。他のメーカーの多くは次世代ハードに移る中、レイクサイドハウスだけは五光のみにゲームを供給しており、熱心なリシアシリーズのファンにとっては未だ最高にして至高のハードである。
もちろん、かくいう自分もその一人。今日は夏休みの初日。午前六時。メーカーから直接配送されているらしいソフトは早朝に届く。朝食も済ませた。トイレにも行ったし、飲み物もお昼の軽食も用意した。『少女リシア』シリーズ最新作『ふにふにリシア せきたん』をプレイする準備は万全だ。インストールも……ちょうど完了したみたいだ。
画面に映るのは、煌金の髪の美少女。タイトル通り、何かふにふにしたものを片手に持った主人公リシアが、タイトルロゴの下で笑顔を見せている。長い髪は今回はポニーテール。
説明書に書かれていたのは、基本的なジャンルと操作方法、簡単なイラストだけ。少女リシアに細かい説明はいらない。チュートリアルがなくても、直感的にゲーム内容を理解し、面白さを感じさせる――それもまた、リシアシリーズが人気を維持する特徴の一つだ。
ここまで天才的なゲームデザインを、三十年もの間続けているレイクサイドハウスは凄い開発会社だと思う。リシアシリーズ一本で、家庭用ゲーム機が普及した頃から三十年。五歳のときに初めて触れて、後に過去のシリーズをやっても、全て楽しさは変わらなかった。そして新作は進歩を見せ続け、その記録は今日、更新される。
「よし」
小さく呟いて、両手に握ったコントローラに軽く力を込める。至福の時間の始まりだ。
三日後。俺はそっとコントローラを床に置いて、大きくため息をつく。緊張が解けて、やり終えた余韻に浸る。オープニングからエンディングまで、今作もやはり最高だった。
毎回のようにボリュームこそ多くはないが、ゲーム体験で重要なのは密度である。短くとも楽しかった記憶は人生の一部となり、至高の思い出となる。これは全てのエンターテイメントに共通することだけど、自ら操作するゲームの体験密度は特に高くなると思う。
エンディングが終わり、タイトルへ再び戻った画面をぼんやりと見る。映るリシアに変化はない。だが、何かふにふにしたものの正体が完全に分かってから改めて見ると、何の変哲もないタイトル画面が深い意味を持っていたことに気付かされる。
余韻に浸りながら、パッケージに入っていた一枚の封筒を手にとる。リシアシリーズ恒例のアンケート封筒だ。中には便箋が二枚。項目中心の一枚目に、自由記述用の二枚目。設問も毎回絶妙で、一般的な各要素に対して五段階評価するようなものではない。そのアンケートでも楽しませようという心遣いに加えて、ファンの間で話題になっているのは、ゲーム機のネット接続が一般化した現代でも封筒と便箋を採用していることだ。
この理由については、レイクサイドハウスのこだわりと見られているが、真相は不明。ただ一つ言えるのは、慣れたファンにはこれも含めて少女リシアと思っている者も多いこと。
ゲーム画面を映したまま、項目に答えて、自由記述で余韻のままに感想を書いていく。二枚目の便箋は空白が大きい。ハガキのように書ききれないこともなく、アンケートフォームの字数制限より遥かに多い文字を入れられる。さらに、市販の便箋を追加することも自由だ。アンケート封筒は、ファンの感想を全て受け止めるためのこだわりなのだろうと、自分を含む多くのファンは推測している。
実際、リシアシリーズはそれらの感想に応えて、よりよい続編を出し続けている。良い点はさらに伸ばし、悪い点はしっかり改善し、その上で期待以上の作品に仕上げてくる。
二枚の便箋を綺麗に折って、封筒に入れて、専用のシールで封をする。切手は不要であとは投函するだけ。これは急がなくてもいいと、一旦部屋に置いておこうと思って立ち上がる。
その直後。
余韻を残すためにつけっ放しにしていた画面に、変化があった。見逃したオープニングデモかと思ったが、タイトルロゴは消えていない。クリア後の特殊演出……にしても、感想を書くのにかかった時間は十分以上。隠し要素としても遅い。もっとも、この時間に明確な基準どころか、曖昧な基準もないのだけれど、レイクサイドハウスらしくない仕掛けだ。
画面に起きた変化は、リシアが目を瞑るというもの。自分の視線は画面を真っ直ぐに捉えて、さらなる変化がないと見守る。
五分が経過した。が、変化はない。試しにコントローラを握ってボタンを操作してみるが、反応はない。通常の状態でないことは分かるけれど、もしかして操作不能なフリーズ状態になったのだろうか?
五光に手を伸ばす。リセットボタンを押してみるが、反応がない。他に可能性があるとすれば……電源ボタンにも触れてみたが、こちらも反応がなかった。故障? いや、違う。
ゲーム五光の仕様を思い出す。多くのメーカーが扱いきれなかった特徴の一つ。五光ドライブにインストールすることで、多少ではあるがハード機能も制御して、より深いゲーム体験に導く。限定的なものであったと記憶しているが、仕様上は可能な処理のはずだ。
画面に映るリシアは未だに目を瞑ったままだ。これに何か意味があるのだろうか? 五光にカメラ機能はついていない。でも、諦めてコンセントを引き抜く前に、試せることは何でも試すべきだ。
そっと目を閉じる。リシアと同じように。
そのまま数秒。変化があったのか、再び目を開く。
画面から、リシアの姿が消えていた。けれど、リシアの姿は目の前にあった。
ゲーム五光の目の前。手を伸ばせば届きそうな距離。片手に持っていた何かふにふにしたものは消えていて、代わりにその片手は頭の後ろ、髪をポニーに結っているリボンに伸ばされていた。
解けたリボン。長いさらさらとした髪は、煌金の美しさ。格好よくて可愛くて、ゲームで見慣れたリシアの姿そのものだ。そして何より――。
「おはよう、でいいよね? 私はリシア……名乗るまでもないでしょうけど」
そう言って微笑む彼女の話し方、声、表情。それが彼女を、本物のリシアであると証明する一番の証拠だった。途中から声が入って、誰にも声優が判別できなかったリシアの声。今作でもついさっきまで聴いていたのだ。間違えるはずがない。
「私を解き放ってくれた君の名前を、聞かせてもらえない? その方が、色々と不便もないと思うのだけど」
「奈山優日、だ。ええと……」
冷静に答えられたのは最初だけだった。その後の言葉が続かない。
「なるほど……ん」
するとリシアは、床に放置されていた封筒を手にとって、封を解いて中の便箋を抜き取った。それをざっと眺めて、再びこちらに視線を向ける。
「菜山優日。高校三年生の、男の子だね。さて、じゃあ私からも色々説明をしよう」
そこで一息ついて、リシアは黙った。
「……説明は?」
俺が聞くと、リシアはきょろきょろと辺りを見回して首を傾げる。
「この世界に、BGMはないの? この局面、結構重要な場面だと思うし、それなりの重厚な音楽が流れて然るべきだと思うのだけど……えっと、説明ね?」
「うん」
頷くことしかできなかった。どうも調子が狂わされる。戸惑うリシアはゲームでも見たことがあるけど、こういう戸惑いは見たことがなかったから。
「優日。私リシアは、君の手によって封印から解き放たれた。以上だよ」
「以上?」
「そう。これ以上は……わからない」
言って笑顔を見せるリシア。嘘はない、真実の言葉。それは分かっても、分からない。
「どういう、うーん」
疑問は多いが、思ったよりも驚きはない。リシアの姿はゲームで長年見てきた。初めて生のリシアに出会えたような感覚で、思考は存外に冷静だ。
「とりあえず……」
つけっ放しのゲーム五光と、テレビの電源を落とそうと動いたときだった。部屋の扉が一度だけノックされて、直後に程よい勢いで扉が開かれた。
「お兄様、保健でわからないことがあるので、実技で教えて――」
部屋に入ってきたのは、隣の部屋で何かをしていた妹だった。妹の視線が俺に向けられたのは一瞬。すぐにその視線はリシアを捉えて、言葉も止まっていた。
「お兄様が、女の人を……部屋に無理やり連れ込んで……」
「誤解だ」
「……騙して?」
「ややこしくなるから、今はやめてくれないか」
「妹に命令をするときは、瞳を見つめて名前で呼ぶ。お兄ちゃんのために、そういうルールを考えました」
迷わず素直に言われた通りに動く。
「和火葉。俺も色々混乱している。付き合ってる余裕がない」
「……やっぱり犯罪」
和火葉は俺たちにはっきり聞こえるように呟いてから、静かに扉を閉めた。和火葉自身の身は、当然のように部屋の中に残して。中にいてくれた方が誤解も解きやすいし、リシアとの話もしやすいので、俺の口から文句はない。
「妹……熱いね」
こっちも何か誤解しているが、ややこしくなりそうなので黙っておくことにした。
リシアが何も知らないのでは、これ以上に聞けることは少ない。だから問題はすぐに、女の子が一人この家にいるという問題をどうするかになった。
幸いにも、夏休みの間、両親は家にいない。翻訳や通訳の仕事で今は海外を飛び回っていることだろう。家にいるのは自分と和火葉の兄妹二人。説明で困ることはない。
「では、リシアさんは私の部屋で一緒に寝ましょう」
「客用の部屋は空いてたと思うけど」
「夜這いお兄ちゃん」
「リシアがいいなら」
こっちの誤解はまだ解けているのかいないのか、ともかく本人の意思を確認しよう。
「私は優日と一緒がいいな。私にはまだ感謝が足りない」
「それはあとでもできますよ。それより、詳しい事情は不明でも、リシアさんはお兄様の大好きなゲームのヒロインそっくり」
「そっくりではなく、そのものと言った方が正確だね」リシアはすかさず訂正。
「だったらなおさらです。お兄様が性欲の塊をぶつけます」
「信用ないな」
思わず呟くと、和火葉は微笑んで口を開いた。
「お兄様が自慰行為をする際に、リシアさんを思い浮かべた回数が一桁なら謝りますよ」
黙りたくはないが黙るしかなかった。リシアのことを考えすぎて油断した。
「二桁以上だそうです」
「そこまで愛されているなら、ヒロイン冥利に尽きるね。でも私もよく知っているよ。そういうことをするには順序というものがあり、何より私も成人向けは未経験。まともなCGやボイスも用意できないですから、控えてもらえると嬉しいな」
「はい」
とりあえず答えておいた。余計なことは言わず、黙っていることもしない。ゲームをクリアした時間が夕方。話を終えた頃には月も昇っていた。今日はここまでにしておいて、今後についての詳しい話は明日にするのがいいだろう。今は夏休み。時間ならたくさんある。