回想・若き火の神と一緒
ユズリと暮らし始めてから、数日が経過した。最初こそ幾度も悶着があったものの、今では落ち着いて、私も妹たちもユズリとそれなりに仲良くなっていた。
「お兄様、神社のおそうじ終わりました」
「ありがとう。助かるよ、翠」
とてとてと走ってきた妹の頭を撫でてやる。翠は目を瞑って、頬を緩める。
「鈴も、ありがとう」
翠のあとから、ゆっくりと歩いてきた鈴にも同じくする。こちらも翠と同じように、嬉しそうな表情を見せてくれた。
休日の朝、私たちは神社の掃除をしていた。お手伝いは両親が生きていた頃からやっていたので、慣れてはいないがやり方はわかっていた。しかし、私たちだけで全てをやるというのは思ったよりも大変だと気付いたのは初日。広い参道を三人で手分けしてやって、どうにか母がこなしていた速度に追いつける。
「鈴、翠、辛くないか?」
分担する際、私が少し広い範囲を担当するつもりだったが、妹たちが頑なに同じにして欲しいというので受け入れた。しかし、二人の方が明らかに疲れているのは顔を見ればすぐにわかる。
「お兄様だけに大変なことはさせられません」
「私なら大丈夫だ。少しくらい減らしても……」
私がそう言うと、鈴が一歩前に出てきて、すっと持っているほうきを差し出した。振り向いて、翠にも同じことをするように促す。
「はい。お兄様。これでわたくしたちの負担は減りました」
鈴と翠、二人の妹は笑みを浮かべた。三人分のほうきの片付け。確かに、私の負担が増えてはいる。ちょっとした差でしかないが、妹たちが譲歩してくれたのだから今はこれで我慢するとしよう。
両手の塞がった私を置いて、鈴と翠は楽しそうに何事かを話しながら家に戻っていく。私は三本のほうきを手にゆっくり歩き出す。ちょっとした差ではあるけれど、小学生の身でほうきを三本も持つのはそれだけでちょっとした労働である。神社にあるのは、子供用のほうきではない、大人が使う大きなほうきなのだから。
「礼人。少しいいですか?」
参道を歩いていると、社務所からユズリの声が聞こえてきた。癒されるような柔らかい声で、抑揚もはっきりとしている。私はほうきを持ったまま社務所へと向かう。遠くはないのでこれくらいで疲れることはない。
「ユズリ、何かあったのか?」
「はい。そのほうき、私が片付けます」
「それは、嬉しいけど、でも……」
ユズリには他の神社の仕事を全て任せている。若き神として、神社のことはよく知っているそうで完璧にこなしているし、疲れているようにも見えないけれど、だからといって何でもかんでもユズリに頼るのは気が引ける。
私が承諾しないのを見ると、ユズリは小さなため息をついて言った。
「礼人はがんばりすぎです。私の前では、弱みを見せてもいいのですよ。それとも、やはり代わりではその気になりませんか?」
「……ユズリ、それはずるい」
最初からそういう気持ちが全くなかったと言えば嘘になる。けれど、ここ数日のユズリの努力を目にして、そんな感情的な反発をする気持ちは完全に消えていた。料理こそまだまだだけど、ユズリは若き神としての務めを全力で果たそうとしている。
「はい。頼むよ」
「お任せください」
私は諦めて、ほうきを社務所の脇に立てかけた。ほうきを持たずに家に戻ったら何か言われそうだなと思ったけれど、ユズリのことを素直に話せば問題はないだろう。
回想・仲良し姉妹、鈴と翠
家に戻ってすぐに、そんな心配は無用だとわかった。妹たちはリビングのソファに転がり、すうすうと眠っていた。休日ということでいつもよりがんばったのか、それとも連日の疲れが出たのか、その両方かもしれない。
仲良くソファで眠る二人に、私は奥の部屋からタオルケットを持ってきてかける。可愛い二人の妹の寝顔を眺めながら、私はユズリの帰りを待つことにした。
鈴と翠が起きたのは、ユズリが帰ってきてから数十分後、お昼ご飯の少し前だった。
「……ふぁ、お兄様」
眠たそうに目を擦りながら、翠が呟く。鈴はちょっと遅れてから起きて、私を見つけると、ほんのりと頬を赤らめていた。
「タオルケット、ありがとうございます」
「いや。お礼はもう十分もらったよ」
私がそう言うと、翠は少し俯いて、鈴はさっきよりもはっきりと頬を赤らめた。仲の良い可憐な妹たちの寝顔を、じっくり堪能させてもらったのだから、私はそれだけで大満足だった。
願わくば、このまま妹たちと仲良く暮らしていきたい。そんなことを強く願うまでもなく、そうなるはずと当時の私は疑ってもいなかった。
回想・小さなきっかけ、お兄ちゃん独占
「お兄様、お姉様。今日はわたくし、用事があるので一緒には帰れません」
そう言った翠と別れて、私は鈴と二人で帰り道を歩いていた。少しくらいなら待って一緒に帰るのだけど、その程度の用事であるなら翠はこんなことは言わない。
とはいえ、こういうことは初めてだったので、何の用事なのかは気になったのだが、詮索はしないでおいた。鈴も翠もそれぞれの趣味があり、やりたいことも違うのだから、私たちもいつも一緒にいるわけにもいかない。
これは後日知った話だが、そのときに翠は先生に呼ばれて、本格的に陸上を始めてみないかと誘われていたらしい。体育の授業を見ていて、かつて陸上をやっていたというその先生は、翠には素質があると判断したらしい。
翠がその誘いを受けたのは妹たちが二年生になる頃。その年の冬、同じ先生が鈴にスケートを勧めて――先生はスピードスケートをしていた時期もあったらしい――から、数か月後のことだった。最初は乗り気でなかったらしく、鈴に対抗する形での開始である。
手を繋いで帰り道を歩く。私に寄り添う鈴はいつもと変わらない。
神社に着いたところで、鈴は私の手を引っ張ってきた。すぐには家に帰らず、境内を一緒に歩いてから私たちは家に到着する。家に着いてからも、鈴は私にぴったりくっついていて、とても嬉しそうな顔をしていた。
「お兄様、お姉様。ただいま帰りました」
しばらくして翠が帰ってきて、ソファでくっついている私と鈴のところにやってくる。
「おかえり、翠」
「はい。……お兄様、お姉様とずっと?」
私が答えるより早く、鈴が頷く。
「そうですか」
「翠?」
少しだけ落ち込んだような顔を見せた妹に、私は声をかける。私と鈴はいつものようにしていただけで、特別なことはしていない。翠がいるときと変わらず、私は妹との時間を楽しんでいた。
「い、いえ。なんでもありません」
翠はそのまま後ろを向いて、自分の部屋へと早足で戻っていった。私と鈴は首を傾げてその後ろ姿を眺めていて、彼女に芽生えた気持ちには気付かなかった。
回想・お兄様とお買い物
そんなことがあってから、数日が過ぎた週末。朝食を終えて宿題をしていたところ、翠が私の部屋を訪れて声をかけてきた。
「お兄様。一緒にお買い物に行きましょう!」
「ああ、少し待ってくれるか?」
天気もいいし、特に用事もない。宿題はもう数分あれば終わる。今日も妹たちとゆっくり家で過ごす予定だったから、妹が外に出たいというのなら断る理由はない。
宿題を手早く終わらせたところで、私はベッドに転がって待っていた翠を呼ぶ。
「終わったよ。どこに行くんだ?」
「色々と回りたいのです。お兄様と二人で」
「二人?」
誘いに来たのが翠だけで、鈴も一緒に行くものだと思っていたので、私の口からは疑問の言葉が出た。
「はい。だめですか?」
「だめではないが、鈴に出かけることは伝えておかないとな」
「もちろんです。では、行きましょう」
私たちは鈴に買い物に行くことを伝えて、ユズリにも伝えてから外へ出た。鈴は特に迷うこともなく頷いて承諾してくれたが、ユズリは承諾しながらもじっと翠の顔を見つめてから、微笑んでいた。
当時はなんのことかよくわからなかったのだけど、後日、彼女に尋ねてみたところ、翠に芽生えた小さな嫉妬心を微笑ましく思っていたのです、と答えてくれた。そしてその言葉で、私も翠に嫉妬心が芽生えていることに気付いたのである。
「お兄様、次はあちらに!」
「わかったから、そんなに強く引っ張るな」
お買い物といっても、当時の私たちは小学二年生と一年生。お小遣いも少ないから、色色な店を見て回るだけである。それでも翠はとても楽しそうで、いつもの倍くらいは元気に見えた。今にして思えば、初めての二人きりでのお出かけというのに興奮していたのだとわかるが、当時はそんなことには全く気付かなかった。
鈴と翠も常に一緒にいるわけではないし、少しの時間に二人きりになることはあったから、今回のことはその延長でしかないのだと、そのときの私は思っていた。
回想・幼い幼馴染み
翌日、私は妹たちと境内の掃除をしていた。昨日はユズリがほとんどのことをやってくれたので、今日は私たちの番である。特に用事もない日曜日、ときどき休みながら、ゆっくりやれば疲れて倒れる心配はない。
掃除を始めてしばらくした頃、神社に一人のお客さんが訪れた。
「れーいとー! すーずー! すーいー!」
女の子の大きく元気な声。鳥居のあたりから聞こえて来たので、一番近かった私が彼女のところへゆっくりと向かう。
「やっほー。遊びにきたよー」
大きく手を振って挨拶するのは、当時から仲良しの幼馴染みだったまもりだ。
「あれ、今日もお手伝い?」
私の持っているほうきを見て、まもりは首を傾げた。
「ああ。遊ぶのはちょっと難しいな」
「そっか。最近、よくお手伝いするようになったよね。何かあったの?」
「それは、その……私たちにも色々と、な」
「それも!」
私を指差して、まもりは言った。
「礼人、ちょっと前までは『僕』って言ってたのに、なんで急に『私』になったの? そういうの、礼人にはまだ大人すぎると思うよ」
「そう、かな。でも、僕が……いや、私がしっかりしないといけないから」
じっと見つめてくるまもりに、私は少し困っていた。このときのまもりは、ユズリのことを知らない。ユズリが若き火の神であることを知らない。説明しても信じてもらえないのだから、どうすれば納得してもらえるのかわからなかった。
ほとんどの人になら、これだけでもごまかせたのだけど、まもりみたいに親しく、細かい変化に敏感な相手にはなかなか納得してもらえなかった。その中でも、特に親しいまもりは難関で、未だに私たちの変化に疑問を抱いていた。これが完全に解決されるまでにはもう少し……どころでなく、彼女がヒサヤと出会うまでだから、四年以上の年月を要することになる。
「ふーん。まあいいけどさ、私もお手伝いするよ。そうすれば遊べるでしょ?」
「ああ。助かるよ」
ただ、まもりはそれほど深くは詮索してこなかったので、私たちの関係には大した影響はなかった。最初こそ遊びのためという口実があったけど、しばらくすると単に手伝うために来てくれることも増えてきて、あの頃のことは今でも感謝している。
あとからやってきた鈴は、まもりの姿を見つけると顔に笑顔の花を咲かせ、別方向から同じくらいのタイミングで出てきた翠も、早足でこちらにやってきた。
「や、鈴、翠! さっさと終わらせて遊ぶよー!」
「おー!」
元気に手を天高くあげて答える翠。鈴も声こそ出さないものの、同じように手をあげていた。色々と事情があるとはいえ、まだまだ遊びたい盛り。当然の反応である。
と、今の私であれば冷静に分析できるのだが、当時の私は小学二年生。妹たちのために気を張っていようと、私もまだまだ遊びたい盛りである。彼女たちのように大げさに反応はしなかったものの、内心は遊ぶことを楽しみにしていた。
回想・湖で水浴びて
四人で協力して境内の掃除を済ませた私たちは、ユズリに一言いってから北の湖、和神湖で水浴びをすることにした。
北海道の夏は短く、本番が訪れるのも夏休みに入ってから。けれど、水着で肌寒い季節はもう過ぎていて、ちょっとした水浴びをするには十分な暖かさになっていた。神社にとって大事な湖は、私たちにとっては遊び場でもあった。
湖から流れる小川の近辺、浅いところに私たちは集まる。ワンピース型のお揃いの水着に身を包んだ妹たちは、一人だけセパレートの水着を着たまもりを見て、大人だと盛り上がっていた。セパレートといっても上下だけで、左右は分かれていないからスポーティという表現が似合うと思ったのだけど、可愛い妹たちの姿を目に焼き付けるのに精一杯で、そんなことを指摘する暇はなかった。
女の子たちの会話が終わると、鈴と翠が私の方に駆け寄ってきた。鈴は私の方に右手を伸ばし、笑顔でじっと私を見つめる。
「お兄様、わたくしと一緒に遊びましょう!」
同じように手を伸ばした翠が、大きな声で言った。鈴はちらりと隣の妹を見て、不機嫌そうに頬を膨らませて言った。
「お兄ちゃんは私と遊ぶ。翠は前に二人きりでデートした」
「あ、あれは……お買い物に行っただけです」
鈴の指摘に、翠は少し迷うような顔を見せながらも、はっきりと答えた。
「それに、嫌だったならお姉様も一緒に来ればよかったのです」
「……そうだね」
今度は鈴が困ったような笑顔とともに、力のない声で呟く。
「どうしたんだ、二人とも? 四人で一緒に遊ぶんだろう?」
不思議な妹たちの様子に首を傾げながら、私は言った。一対一のゲームをするでもないし、二人にこだわる理由は思いつかなかった。
私の言葉に、妹たちの間に流れていたよくわからない空気は消えて、二人は私に笑顔を見せてくれた。鈴は大きくしっかりと頷き、翠は元気な声で答える。
「はい。そうしましょう」
私は二人に両手を引かれて、退屈そうにぱしゃぱしゃと水を蹴りながら、一人待っているまもりの元に向かった。
仲違い姉妹、鈴と翠
きっかけは本当に些細なもの。最初はちょっとした独占欲でしかなく、放っておけば自然と元に戻るような、その程度ものだった。しかし、当時の私は気持ちにすぐに気付くことができず、妹たちを上手くフォローすることができなかった。妹の気持ちに鈍かったというのもないとは言えないが、それ以上に二人を支えないといけないという気持ちが強かったのが大きいだろう。ユズリのことを理解してはいても、信頼するにはまだまだ足りなかったから。
私がそれに気付くまでの間も、色々あって妹たちの喧嘩はとてつもなく長引いていた。私を巡っての対立だけと思って微笑ましく見守っていて、その裏でじわじわと深まっていた二人の溝に気付くのが遅れてしまったのである。
今の鈴と翠の関係は、簡単に仲直りできる状態ではない。しかし、始まりが些細なきっかけでしかなかったように、きっかけさえあればきっと仲直りができると思う。
そして今、ちょうどそのきっかけになるかもしれない手紙を私は持っている。
「ところで、二人とも」
ぼんやりと回想に浸っている間にも、言い争いを続けていた妹たちに声をかける。二人は私を睨んでくるが、一時的にではあるが争いは中断された。言われた通りにしばらく黙っていた甲斐があったというものだ。
「今日、私にラブレターが届いたのだが」
最後の一人
「その人に覚悟はありますか?」
「……優しい?」
さっきまでの争いはどこへやら、二人はすぐにそのラブレターの送り主について尋ねてきた。私はもらった経緯を包み隠さず妹たちに話してから、最後に一言。
「詳しいことはまだ聞けていない。鈴、翠、協力してくれるか?」
「もちろんです。お兄様」
微笑んで頷いた翠に、胸を軽く叩いてゆっくりと頷く鈴。なんだか渡さんにはちょっと悪い気もするが、彼女の真意がわからない以上、その気持ちは一旦忘れることにする。
話し合った結果、鈴と翠にはそれとなく噂を調べてもらうことにして、私は明日、直接渡さんに話をしてみることになった。まもりはそのサポートとして、遠くから見守ってもらうことに決まった。何らかの事情ではぐらかして逃げ出される可能性もなくはない。
四人で協力する形ではあるが、その九割を担うのは私の役目だ。分担することも可能だけど、ラブレターを受け取ったのは私だ。できる限りの礼儀を尽くすべきだろう。
そして翌日の昼休み、今日は妹たちと一緒に昼食はとらずに、教室で昼食をとる。同じく教室でお弁当を食べている渡さんに声をかけるためだ。
「渡さん、ちょっといいかな?」
食べ終わった頃を見計らって、私は彼女に声をかける。
「うん。その前に、これ」
渡さんはすっと手を伸ばして、私に一通の手紙を渡す。昨日と同じ封筒。そのままじっと動かないので、私はその中身を確認することにした。
湖守礼人さんへ
好きです。以下省略。
渡美々奈
「……えっと」
昨日に比べるととても簡素なラブレターである。しかし、今度は最後にしっかりと名前が書かれていた。渡美々奈。彼女の名前がはっきりと。
「これはつまり、君が――」
「黙って」
渡さんは人差し指を立てて、静かな声で言った。私は言われるままに言葉を止める。
「クラスのみんなに聞かれると恥ずかしい。その、続きは放課後でいい?」
小声でそう言う彼女に、私は小さく頷いて答えた。幸い、近くの席には誰もいないし、それぞれで盛り上がっているから、私たちの様子に気付く生徒はいないだろう。唯一、サポートを頼んだまもりを除いては。