初めてラブレター
翌日、学校に着くと一通の手紙が机に入っていた。白い封筒の中には一枚の便箋。ハートのシールこそなかったものの、明らかにラブレターである。
昔から、かっこいいけどシスコンすぎて近づきにくい、頭の中の半分以上が妹で彼女の入る余地がない、などと噂されてきた私にとって、このような手紙を受け取るのは初めてである。何人か、それでも告白をする女の子は何人かいたが、みんな妹たちの視線が怖くて自分から撤回し、その噂が広まってからは誰も告白しなくなった。
直接的な妨害はしていないそうだけど、噂によると、私にふさわしい女性かどうか、徹底的にチェックされているような視線を常に感じる、らしい。
その環境は、私が中学、高校と進学しても変化はなかった。小さいとはいえ五万人の暮らす和神町。学校はいくつかあるが、町の中での転校は、百年以上続く町の歴史を辿っても、片手で数えられるほどしかない。それにしても、特別な深い事情があるときだけ。転校自体は町の外との出入りがあるのでそこまで少なくはないし、神の力が関わって記録されていないものもあるかもしれないが、珍しいことに変わりはない。
町内にある二つの高校も、学力・スポーツのレベルに大差はなく、学費も同等であるため大抵は近い方を選ぶし、優秀な生徒は町の外の高校に進学するのがほとんどだ。
私は開いた封筒の中にある、一枚の紙をじっと見つめる。妹たちからの好意には慣れているとはいえ、他人からの好意には慣れていない。どきどきして、その文面に書かれている内容を確かめるのが遅れてしまう。実はラブレターではなく、単なる連絡のメモだったという可能性も否定はしきれない。たまたま手元にあった便箋を使っただけで。
「礼人、それは?」
そんなことをしていると、気付いたまもりがこちらを見た。隣の席だから気付くのは不思議ではない。さっきまで会話していた他の女の子はもういなかった。
「封筒の中に便箋が入っている」
「うん。それはわかるけど……見ないの?」
「そうだな。見ようか」
私は意を決して、封筒から便箋を取り出して、広げてみた。薄く爽やかな色で模様が描かれた、可愛らしい便箋である。まもりは覗き見ることなく私の方を見ている。机の中の封筒ということで、察してくれたのだろう。
そこには手書きの文字で、こう書かれていた。
湖守礼人さんへ
小学生の頃から、ずっとあなたのことが好きでした。
高校生になって初めて同じクラスになったときはとっても嬉しくて、
こっそり見ていたけれど、やっぱりそれだけじゃ思いは届かないですよね。
だからこうしてお手紙を書きました。
礼人さん、大好きです。
妹さんのことも知っています。それでも、この気持ちは止まらないです。
何度だって伝えます。私は、あなたのことが好き。
心から愛しています。
ラブレターである。おそらく誰がどう見てもラブレターと判断するだろう。私の名前も入っているから、間違えて入れられたものという可能性も消えた。
しかし、このラブレターには一つ、肝心なものがなかった。最後の文章の下には、空白が広がるだけで、差出人の名前が書かれていない。封筒の裏は開く前に確認したし、念のためにもう一度確認してみても何も書いていなかった。
文章は便箋の途中で終わっているから、二枚目を入れ忘れたとも思えない。書いている途中で間違えて入れてしまった、なんてことは手書きの手紙ではないはずだ。丁寧に折りたたまれた便箋と、綺麗に中央に貼られていたシール、震えのない綺麗な文字から、急いでいて書ききれなかったということもないと思う。
「誰からのラブレター?」
質問するまもりに、私は素直に答える。
「知らない人からだ」
「というと、隣のクラス? もしくは一年生や三年生かな?」
「そういう意味じゃない。名前がないんだ」
「あ、私じゃないから」
「字を見ればわかる」
即座に否定するまもりに、私もすぐに返す。筆跡鑑定をする能力は私にはないが、まもりの字なら何度も見たことがある。まもりの文字はこんなに綺麗な文字ではない。汚いわけではないから、じっくり時間をかければ偽装できるかもしれないが、そもそも彼女にそんな気持ちが少しでもあるなら、妹たちが気付かないはずがない。
さすがに怪しい女の子を探して、筆跡を比べるわけにもいかないし、私は別の方向から軽く探りを入れてみることにした。
ラブレター少女
「渡さん、ちょっといいかな?」
私は振り向いて、後ろの席の女の子に声をかける。
「……なに?」
急に声をかけられて驚いたのか、彼女は少しの間のあとに答えた。妹たちよりちょっと背の高い、ロングツインテールが可愛らしい彼女は、渡美々奈。去年から同じクラスの女の子で、いつも教室には朝早くに到着している。
私は手紙と封筒を見せて――もちろん文面は見えないようにしている――彼女に聞く。
「これなんだけど」
「それがどうかした?」
「誰が私の机に入れたのか見ていないか?」
登校時間の早い彼女なら、気付いていないだろうかと尋ねてみる。直接見ていないにしても、手がかりは得られるかもしれない。
「見てはいない」
「ふむ」
見ては、ということは他の何かは知っているということだろう。私は彼女から視線を外さずに、続きを待つ。
「けど、それ書いて入れたのは私」
つり目がちな渡さんの目がやや伏せられる。視線は辛うじて外れていない。
「代行?」
ここ一年の間で、彼女が強気な性格であることは知っている。私に対しての態度も、今のように素っ気ないものばかりだ。その彼女と、先程の手紙の文面はどうしても繋がらなかった。なので、私はその可能性を真っ先に考えて、尋ねてみる。
「さあ?」
はぐらかされた。よくわからないが、少なくとも彼女がこの手紙を書いて、私の机に入れた、ということは事実のようだ。
そうしているうちに、先生が教室にやってきたので追求することはできなかった。それからも授業の準備やら、トイレやらで、彼女と話す機会はなく、全ての授業が終わり放課後がやってきた。
放課後の兄妹
「お兄様ー」
授業が終わってすぐ、翠の声が聞こえた。隣には鈴がいて、教室の後ろの扉の前に立っている。私たちがそこまで行くと、翠は私を見上げてこう言った。
「今日はお話があります。いいですか?」
「ちょうどいい。私からも話があるんだ」
話とは当然、今朝のラブレターのことである。隣で会話を聞いていたまもりとも少しは話したが、じっくり話している時間はなかったので結論は出なかった。
渡さんはまだ教室に残っているとはいえ、妹たちの話を聞かないといけないのでそんな余裕はない。ラブレターの件にしても、もらったことを伝えるのが目的だ。情報が不足しているから、四人で考えたところで結論は推論の域を出ないだろう。
廊下に出て、ゆっくり歩きながら翠の話を聞く。
「わたくしたちも高校生になりました。なので、新しい部活動を始めようと思います」
それほど盛んではないとはいえ、部活動の勧誘期間は連休前に終わり、昨日から仮入部期間が始まっている。中学の頃は、鈴はスピードスケート部、翠は陸上部に入っていた。競技は違うが、二人とも中距離が得意というのは同じだった。
ちなみに私とまもりは中学高校と帰宅部。神社のことはユズリがいるとはいえ、私にも色々と学ばないといけないことがある。まもりはまもりで、ヒサヤを一人にしておくのは心配だからというのが理由だ。中学入学前に出会ったのだから、当然ともいえる。
「新しい、というと?」
「新しい部活を作るんです」
胸を張る翠に、鈴も大きく頷く。珍しく二人が結託している。
「詳しくは部室……予定の教室でお話します」
妹たちは二階中央の広間から、北の廊下に向かった。短い廊下の先には教室がいくつかあるが、その全ては空き教室。文化部の部室は南の廊下の先に集まっていて、運動部の部室はグラウンドや体育館の脇の別棟にある。どちらも全て埋まっているから、新しい部室となれば空き教室を探すのは自然なことだが、この先にある教室は部室用に用意されたものではない。
和神町に生まれた若き神のために用意された部屋であり、普通なら生徒どころか教師さえも訪れない教室だ。といっても、改築以来はほとんど使われていないらしく、神域として侵入が禁止されているわけでもない。
「部室予定って、誰が貸してくれたんだ?」
しかし、だからといって気軽に部室として使えるような部屋ではない。
「お兄様、わたくしたちは神社の娘ですよ。何より、ユズリとヒサヤがいます」
「なんでヒサヤも?」
疑問を口にするまもりに、翠は微笑んで答える。
「それはのちに。ともかく、そういうことで霞先生に頼んでみたら、承諾してもらえました」
「霞先生か」
神の存在を信じるのは和神町の生まれなら珍しくない。しかし、家に神がいるので貸してください、というのをあっさり教師が承諾する、というのは珍しい。ただ、霞先生なら信じても不思議ではないようにも思えた。副担任だった頃に聞いたことがあるが、月宮の家も私たちと同じく、神に関わる仕事をしているという。神社のような密接な関係にあるところは滅多にないとはいえ、少し関わるくらいなら和神町では珍しくない。
詳しく聞いたことはなかったけど、それなりに深く関わっているなら何らかの信じるにたる根拠が得られたのだろう。
「はい。その上、顧問にもなってくれるそうです。といっても、部員を五人集めたら、という条件つきですが」
「翠に鈴、残りは三人か」
「いえ、一人ですよ? お兄様とまもりも含めて四人です」
いつの間にか私たちの入部が決まっていた。妹たちの頼みなら断りたくはないが、どんな部活か聞くまでははっきりとは言えない。
そうしているうちに、私たちは部室予定の教室に到着し、中に入った。椅子と机が六つずつ、それに小さなホワイトボードが用意されているだけの部屋。普段は空っぽのはずだから、事前に用意していたのだろう。
若き神の部活動
私とまもりが席につくと、鈴がホワイトボードに何かを書き始めた。
『若き神と仲良くなる部』
達筆な文字だ。鈴がペンの蓋を閉じて、満足そうな笑顔をたたえて振り向いた。
「とは名ばかりの、お兄様と一緒にいるための部活動を発足します!」
翠がいきなり撤回した。
「一応、嘘ではないですし、それなりに活動もしますが、わたくしたちにとっては日常を過ごすだけでも十分ですからね」
「だからヒサヤかあ」
得心したように頷くまもり。確かに翠の言うとおり、私たちは特に何かをする必要はないだろう。その間に、鈴がホワイトボードに文字を書いていく。
『活動目的:和神町にいる若き神と出会い、仲良くなる方法を研究・実践する部活』
「霞先生も承諾してくれました!」
まあ、確かにこの目的なら、不適切と判断されることはないだろう。とはいえ、それが名ばかりであることは翠の発言でわかっている。
「その目的なら、私は入部してもいいよ。当然、礼人もいいでしょ?」
「ああ。ただ、大きな問題が一つある」
部室(予定)に一瞬の緊張が走る。おそらく、ここにいる者なら誰もがわかっているであろう、唯一にして最大の問題。
「最後の一人はどうするんだ?」
さすがに、私たちと同じ境遇の生徒を見つける、というのは現実的ではない。若き神は数年に一度、和神町に降臨する。それが同じ高校に他にもいる可能性は高くないし、いたとしても気付くのは難しいだろう。
神と出会えば神を認識することはできるが、神と人を見分けられるようになるわけではないし、神と出会った人を判別することができるわけでもない。
「霞先生くらいに、神との関わりが深い人を探す?」
「もしくは、お兄様に恋する女の子です」
翠の言葉に、鈴がこくりと頷く。二人からそんな言葉が出るとは驚きだった。
「驚かないでくださいお兄様。わたくしたちも成長しています。嫉妬だけでお兄様の恋を邪魔する気はありません。それに、お兄様に恋人ができても、わたくしたちは変わらず妹です。何も問題はないでしょう?」
「ああ、その通りだ」
仮に私に恋人ができたとしても、妹たちとの関係を変える気はない。ただ、今の私に恋人を作る気はないのだが、今重要なのは私ではなく鈴と翠の気持ちだ。
「しかし、それを受け入れる覚悟や優しさのない女性であれば、わたくしたちも敵対せざるを得ないのです。ただでさえ、鈴がいるのに」
翠はちらりと鈴を睨む。鈴も目を逸らさず、翠を睨み返した。お姉様ではなく、鈴。さっきとは違う理由で空気が緊張するのが伝わってきた。
片鱗
「ですから、それについての試験を考えているのですが、お姉様とは考えが違うようでして。それが今回の、一番重要なお話です」
「じゃあ、まずは翠の意見を聞こうか」
翠は頷いて、その試験についての話を始める。
「重要なのは覚悟です。ですから、わたくしは候補者に、いくつかの厳しい質問をするのがいいと思います」
「鈴は?」
翠の言葉にはまだ反応を示さず、もう一人の妹に言葉を促す。ここは兄として、冷静に判断しなくてはならない場面だ。
「優しさが一番。私たちも好きになってもらえるか、尋ねる」
「……ふむ」
二人の話を聞いて、結論はすぐに出た。確かに考えは違うが、その方法は両立が可能なものだ。妹たちもおそらくそれはわかっているはず。問題は、最も重要なのは覚悟か優しさか、という点だろう。
「覚悟も優しさも、同じだけ重要だと私は思う」
「いえ、そんな生ぬるい覚悟ではだめです」
「優しさは覚悟の基盤。これがないと始まらない」
二人同時に即答された。どうやら、これは少々厄介なことになりそうだ。
「……ふふ。そうですね。お姉様はお兄様に優しくしてもらわないといけませんから。お姉様なのに、わたくしより胸の小さい貧乳さんですからね」
「Aが一つ少ないくらいで、偉そうに」
「シングルとダブルの差を甘く見てはいけませんよ。アイスクリームでも、ベッドでも、大違いです」
「あ、それわかる」
「まもり、ややこしくはするなよ」
話に入ることは止めないが、どちらかに肩入れされると困る。まもりは「わかってるって」と言わんばかりの笑顔で、言葉を続けた。
「私もね、ダブルからシングルになったときは嬉しかった。でもね、実際のところ、貧乳好きで小さければ小さいほどいいという人にとってはトリプルが最強。そして、こだわりがない人にはBくらいまでなら別に気にしないもの。礼人にとっては、ユズリのAもヒサヤのBも同じ仲間なんだよ。そう、つまり私たちはみんな仲良くなれる!」
その結論はおかしい。それと、私がこだわりのない貧乳好きというのがいつの間にか前提になっているのだが、小さければ小さいほどいいタイプでないのは認めるし、どちらかを選べといわれたら小さい方を選ぶとは思うが、妹たちの胸が大きく成長するようならすぐに嗜好は変わるだろう。
「鈴と仲良くですか? 遠慮しておきます」
「こっちの台詞。翠となんて仲良くならなくてもいい」
「鈴、翠。そこまでにしておいたらどうだ?」
「お兄様は黙っていてください。これはわたくしとお姉様の問題です」
「お兄ちゃんには関係ない。しばらく黙ってて」
どうにかなだめようとしたが、また二人同時に返された。私は呆れてため息をつく。隣の親友も、呆れ顔で肩をすくめてみせた。こうなってしまったら諦めるしかない。
私のことでの争いであれば、私の気持ちを優先させて収めることができる。しかし、二人の問題となればそうはいかない。私の仲良くして欲しいという想いとは裏腹に、妹たちの仲は悪くなる一方だ。そう、あれは神火の中でユズリと出会ってから数日後。あの日の出来事が、二人の仲違いのきっかけだった。