四
魔女が記すは人族に受け継がれし伝承。
それは歴史の断片。
魔女が受け継ぐは気高き魔法の力。
それは始まりの歴史。
ラスマールの名を継ぐは一人の魔女。
それはイルナルヤの魔女。
それは可憐な魔法少女。
城を出発して三日。私は魔族の領地を抜けて、ようやく人族の暮らす村に到着しました。一人旅は初めてでしたが、激しい流れの内海に、何もない高地……どちらも適度に体と心を鍛えられて、旅というのも楽しいものですね。
村の名前は分かりません。ですけれど、立ち並ぶ家の数からここが村であることは分かります。これが人族の村。城より多くの人が住んでいそうですね。
村の入り口には、一人の小さな女の子が立っていました。私を待つようにこちらを見ていますね。ここが目的の村であるか、迷わずに辿り着けたかどうか、尋ねてみます。
「やあ! 私はアルマリカ。名前を教えてもらえますか?」
元気に手を挙げて、可憐な少女に声をかけます。
「ここはイルナルヤ村。わたしはイスミです」
「ありがとう。貴方はこの村の人ですか?」
私が続けて尋ねますと、イスミさんは微笑んで頷きました。
「アルマリカさん」
「何ですか?」
イスミさんの声に私はすぐ答えます。私がどこから歩いてきたのか、村の入り口から見ていた彼女の言葉は大体予想できます。
「魔族の方、ですよね?」
「はい。私は魔族の王、コル・ニア・アルマリカ。本日は理由があってイルナルヤ村を訪れました。敵意も悪意もありませんよ」
私は柔らかい声で、優しく静かに答えます。敵意も悪意もなく、柔らかな物腰でお話をするのは、魔王の嗜みです。相手が魔族でなくとも、同じ神魔大陸に暮らす種族。言葉が伝わるなら、気持ちも必ず伝わります。
イスミさんは私の全身を眺めてから、小さく頷きました。顔には微笑を浮かべていますし、どうやら納得してもらえたみたいです。やはり、声で言葉を交わすのが一番ですね。
「わかりました。わたしも一緒にいていいですか?」
「理由を聞いてもいいですか?」
私と同じくイスミさんからも、敵意や悪意は感じられません。
「あなたと、あなたのお相手に興味があります」
「へえ」
私は感心して頷きます。イスミさんは私についての知識はあるみたいですね。勇者募集のお知らせは人族に広く知れ渡るようにしましたから、それを知った上で私が募集主だと推測したのかもしれません。そして私がここに現れたことで、それに確信を持った。
と、考えることもできますね。しかしそれにしては、お相手のことまで知っているのは説明できません。何せ、私も会うのは今日が初めてなのですから。
イルナルヤ村は人族の村。魔女も住むと聞いています。ですが今日まで人族は、争いなく平和に暮らしています。諜報活動を得意とする者がいるとは思えません。魔王に対しては誤解もされてしまいましたから、私への警戒を強めてとも考えられますが……。
「イスミさん。貴方は人族ですか?」
それにしては、イスミさんに敵意や悪意がないのは不可解です。ですので私は、より高い可能性について尋ねることにしました。
「違います」
私の質問にイスミさんはすぐに答えてくれました。
「わたしは自然なる者、イスミです。イルナルヤ村の湖から生まれました。魔族の王――魔王のアルマリカさんならわかりますよね」
微笑みを浮かべてイスミさんは言いました。その答えは私の予想の内でもありましたが、予想の外でもありました。
「知っていますが、出会うのは初めてですよ。神霊族のみなさんに比べると、自然なる者への信仰も強くないですから」
もちろん魔族も、自然なる者が世界にとってどれほど大切かは理解しています。
ですから、彼女への答えは決まりました。
「一緒にいてもらえますか、イスミさん。私としても、自然なる者に立ち会いしてもらえるならありがたいです」
「はい。では、人の集まる場所に案内します」
「ありがとう。さすが、詳しいのですね」
「えへへ……わたしも、ちょっと前に教えてもらっただけですけど」
私が素直な感謝を述べますと、イスミさんははにかんで微笑みます。敵意も悪意もなく、幼く可愛らしい自然なる者と一緒に、私はイルナルヤ村へ一歩を踏み出すのでした。
イスミさんが案内してくれたのは、おにぎり食堂と呼ばれる一軒の食堂でした。中で待っていたのは白黒カチューシャの少女です。カウンターの奥にいますし、イスミさんの表情から彼女が店主ですね。
「やあ! ここで待たせてもらってもいいですか?」
私が挨拶をしますと、声はすぐに返ってきました。
「おにぎり一つ、銅貨一枚です。待ち合わせについて、いくつか尋ねてもよろしいですか?」
「はい」
私はすぐに頷きます。場所を借りたいと言ったのですから、あちらの条件を聞くのは当然のことです。
「私はスクリナ・アミィリアです。お客さんのお名前は?」
「コル・ニア・アルマリカです」
アミィリアさんは私の方をじっと見つめています。私も彼女の目をしっかり見て答えます。
「魔王さんですか?」
質問の言葉に驚きました。食堂への道中、イスミさんからここに旅人がよく来ることは聞いています。そしてこの村は魔族の領地に接するのですから、姿を見て魔族と推測することは難しくないと思います。ですが、アミィリアさんは魔族ではなく、魔王と言いました。
「よく分かりましたね」
私は笑顔で認めます。理由を尋ねたいところですが、今質問されているのは私です。ここで待たせてもらう許可を頂いてから、まとめて聞いた方が誤解もないでしょう。
「待ち合わせの方は?」
「募集したのは勇者です」
「待ち合わせは勇者さん……はい、間違いないですね」
最後の言葉に私は特に反応は返しませんでした。彼女の声色から、私への確認の意味は薄いと判断したからです。自分自身への確認、といったところでしょうか。
「おにぎりは先に食べますか?」
最後の質問には、私は首を横に振りました。
「分かりました。確か……はい、勇者さんが到着する頃には」
再びの確認です。気にはなりますが、私はまず席について勇者さんを待つことにしました。スクリナ・アミィリア――彼女からも敵意や悪意は感じられませんでしたから。
「すまないが、ここが……」
「勇者さんですね。お相手の方がお待ちですよ。おにぎり二個、銅貨二枚です」
立派な剣を腰に、長身の勇者さんがやってきました。アミィリアさんは私のおにぎりと、勇者さんのおにぎりを握っていたみたいです。
「手際がいいな。君が?」
「違いますよ」
席に座って私は勇者さんとおにぎりを食べます。アミィリアさんに銅貨を渡してから、私たちはお話を始めることにしました。
「リグルだ。フォールナー・リグル。王が仕える勇者を募集している……間違いないな?」
私はゆっくり頷いてから、勇者リグルさんに答えます。
「コル・ニア・アルマリカ――魔族の王です」
「魔族の、王?」
リグルさんは怪訝な顔で私を見ています。どうやら、彼は魔王について誤解している一人かもしれません。原因は私にありますので、文句は言えませんね。
「魔王アルマリカ、の方が分かりやすいですか?」
「魔王が、人族の勇者を募集か」
ですが、リグルさんからも敵意や悪意は感じられません。さすが勇者さんですね。立派な剣から感じる気配も、私の勘違いではないようです。
「リグルさん、ここで戦いはやめてくださいね?」
私とリグルさんが次の言葉を口にする前に、アミィリアさんが言いました。
「……む」
「おや?」
そう言われてみると、確かにリグルさんから微かに戦意は感じ取れますね。注意しないと気付かない本当に微かなものです。アミィリアさんが気付いたというよりも、知っていたという方がしっくりくるような意外さです。
「あの、アミィリアさん」
「何かな? 可愛いお嬢さん」
「わたしはイスミです。ええと、その、あまり変なことは……」
その不思議な様子を指摘したのは、イスミさんでした。
「うーん……イスミちゃんのことを教えてくれたら、考えるよ?」
会話の内容を聞くに、二人には何らかの関係があるようですね。リグルさんも二人の会話が気になるのか、微かに感じられた戦意はすっかり消えていました。
「簡単でいいですか? あと、他の人に話さないでくださいね」
イスミさんは困ったような笑みを浮かべて、承諾していました。
「あ、アルマリカさんとリグルさんは、先に湖の方にお願いします。私も急ぎますけど、勝手に始めないでくださいね? 色々困ってしまいます」
それから私たちの方を見て、イスミさんは促しました。最後の一言だけは私の顔を見ていましたから、私は頷いてリグルさんと一緒に店を出ることにします。自然なる者が困るというのですから、必ず何らかの事情があるのは間違いありません。
しかしもちろん、リグルさんはよく分からないといった様子で座ったままです。ここで私が強引にするわけにはいきませんから、私は説得を試みます。
「イスミさんは自然なる者です。詳しい事情は私も知りません」
「そうか。ならば、俺も従おう」
さすがは勇者さんです。人族も自然を愛してはいますが、自然なる者の存在は魔女の一族が伝えるのみと聞いています。彼らにとって一般的ではない知識を、リグルさんは持っているのです。もしかすると彼は、期待以上の逸材かもしれません。
イスミさんがアミィリアさんと話す声を聞きながら、私たちは食堂を出ます。歩き始めてすぐ、リグルさんが尋ねてきました。
「ところで魔王よ。湖とはどこだ?」
「アルマリカでいいですよ、リグルさん」
私が笑顔で返すと、リグルさんは質問を繰り返しました。
「アルマリカ。湖とはどこだ?」
「優しい村人、探しましょうか」
私が微笑んで言いますと、リグルさんは無言で大きく肩をすくめました。
湖、というからにはそれなりの広さがあるはずです。建物も多くないので目立つところにあればじきに見つかると思いますが、見つからないとなると怪しい場所は村の周囲に広がる林ですね。広い林なので、何らかの目印でもないと探すのに時間がかかりそうです。
ということで、私とリグルさんは村を歩いてみて、村人から情報を得ることにしました。そして見つかりましたのは、イスミさんより少し大きな可愛らしい女の子でした。
「あら、貴方たち……見ない顔ですわね? それにお一人は魔族の方ですか」
「ああ! よく分かりましたね?」
「当然ですわ。わたくしスーミゥは……ああ、その前にお名前、よろしくて?」
長いツインテールを揺らして小首を傾げたスーミゥさんに、私たちも名前を告げます。
「アルマリカです。魔族の王、魔王ですよ」
「リグルだ。勇者と呼ばれている」
「不思議な組み合わせですわね? 恋人……には見えませんし、何かを探していまして?」
私たちは頷きます。村人を探して周囲を見回していましたから、こちらに気付かれるのは当然ですね。おかげでお話もすぐにできそうです。
「はい。自然なる者より、湖の方にお願いと頼まれたのです」
「わたくしはそんなことを頼んだ覚えはありませんわ」
「ん?」
「どういう意味だ?」
私とリグルさんが疑問を口にしますと、スーミゥさんは小さく肩をすくめて微笑みました。
「なんて、当たり前ですわね。名は聞いていまして?」
「イスミさんです」
「イスミ……知らない名ですわ。ですが、もしかすると」
スーミゥさんは小さな声で答えてから、言葉を続けました。
「でしたら、わたくしが湖まで案内しますわ」
天真爛漫な笑顔でスーミゥさんは言いました。その笑顔と言葉に敵意や悪意は全くないようですが、そこまでしていただく理由は気になります。
「よろしいのですか? 私たちは場所さえ教えていただければいいのです」
私が確認しますと、スーミゥさんは大きく頷きます。
「ナチュラルメイドなわたくしが、お仲間をお助けするのは当然のことですわ。わたくしも自然なる者ですのよ」
「へえ! 驚きですね」
「まあ、この村の様子を見れば不思議ではないが……二人は珍しいな」
自然なる者は自然の力が極まることで生まれる存在です。このイルナルヤ村の豊かな自然を見れば、自然なる者が生まれてもおかしくないとは思っていましたが……二人も生むほどの雄大な自然がどこかに隠されているのでしょうか。
自然といっても目に見えるものがすべてではありません。地下水や洞窟といったものも自然ですから、目に見える自然と目に見えない自然を合わせれば、かなりのものです。ですが、それほどの自然があるのでしたら、魔王たる私も気配に気付くと思うのですが……。
「わたくしはここの生まれではありませんわ。ただ、この地の自然に惹かれてやってきた自然なる者……それがわたくしスーミゥです」
「それも、また珍しいですね」
「……そうなのか?」
私がやや驚いた顔でスーミゥさんを見つめていると、リグルさんが疑問を口にしました。勇者として相応の知識はあるみたいですけれど、やはり魔族に比べると知らない情報もあるようですね。
スーミゥさんは笑顔で私を見ています。目で合図をしているようですね。出会ったばかりでちゃんと読み取れたかは分かりませんが、言わないで欲しいという気持ちは理解できたと思います。
「はい。ですが今は湖に行きましょう。色々とお話するのは、親しくなってからでも遅くはない――でしょ?」
「了解した。その機会があるかどうかは分からないが」
私とリグルさんの会話が落ち着いたところで、スーミゥさんが言いました。
「では、わたくしについてきてくださいな。こちらですわ」
私たちは頷いて、スーミゥさんについていきます。林の中にあるという湖へと。
澄んだ湖の傍には大樹がそびえていました。一目見ただけで分かるほどの、美しい自然。そして周囲に木々は少なく、加減をすれば動き回るにも支障はなさそうです。
「ここでよろしいですわね? わたくしは戻りますが、また何かあったらいつでも尋ねてくださいな。石造りの大きな家ですから、すぐに分かると思いますわ」
「感謝します、スーミゥさん」
「ありがとう」
スーミゥさんを見送って、私たちは湖の傍で見つめ合います。
「……さて」
「リグルさん」
「分かっている」
イスミさんには「勝手に始めないでください」とも言われています。ですがリグルさんは待ち切れないのか、剣の柄に手をかけていました。素振りを始めないところを見ますと、彼は相当な本気でぶつかりたいようですね。素振りであっても手の内を明かさないように……冷静に警戒されていますね。
その間に、私は周囲を確認しておきます。人の気配はありませんが、自然を傷つけることのないように念を入れます。リグルさんも気をつけるとは思いますが、リグルさんと私の実力差がどれくらいあるのかはぶつかるまで分からないですからね。
できればぶつかり合わずに、お話だけで済ませたかったところですが、その方が早いというのなら躊躇はしません。魔王として、相手に合わせた柔軟な対応が大切です。
力は無闇に使うことなかれ。されど、必要と思えば躊躇なく揮え――ですね。
「よし」
「……ですね」
イスミさんの到着を察知しましたリグルさんは、力を抜いて呟きました。私も刺突剣を抜いて、軽く素振りをしておきます。
「お待たせしましたか?」
「問題ない。アルマリカ、力を確かめてもらう。魔王だとか、魔族だとか、そういう話はあとにしよう」
「はい。リグルさんがそうしたいのでしたら、いつでも」
イスミさんの姿と声がしてすぐに、勇者さんは始めました。一歩踏み込み、柄に触れた剣を抜いて、私に斬撃を……そう思っていましたが、剣は最後まで抜かれませんでした。
私は刺突剣を軽く振って、勇者さんの放った斬撃を弾きます。
「反応するか」
私は笑顔を見せて、リグルさんに近づいていきます。さすがは勇者さん、自身の魔法の力と武器の力を引き出した、素晴らしい攻撃です。
「だが!」
先ほどと同じように柄に触れたかと思うと、再び私を斬撃が襲いました。もちろん私も油断なく、刺突剣で全てを弾きます。
「……ほう」
「勇者の剣は見えざる剣――素晴らしいですよ」
言葉ではっきり伝えますと、リグルさんは剣を抜きました。鞘に入ったままでも分かっていましたが、彼の剣はやはり凄い剣ですね。今の見えざる剣だけでも、並の魔族なら必ず圧倒することができるでしょう。
抜いた状態なら、おそらくは並以上の魔族も……人族にはこれほどの実力者がいるものなのですね。なればこそ、私は彼らに伝えなければなりません。
「その剣、普通の刺突剣ではないな? 魔法剣……というわけではないようだが」
「はい。魔法剣は人族の発明した武器。剣に魔法の力を込めて、魔法による補助、もしくは強化、はたまた魔法の発動をも可能とする珍しい武器――で合っていますね?」
「ああ。そこまで詳しくはないようだな」
人族の魔女が魔法剣という凄い武器を生み出した、ということは私も知っています。十数年前に生み出された珍しい武器と聞いていますから、実物を見たことはありません。
「私の刺突剣は、レコラリルム製ですよ」
レコラリルムは魔法の力をよく通します。それは魔法の力を高めるだけでなく、魔法の力を奪うことも可能です。それに、硬度や耐久性も抜群ですから、まさに万能です。
「道理で。しかし、俺の斬撃は普通の魔法ではないが……どれほどのレコラリルムを使っているんだ?」
「神霊族、ですね」
私が確認しますと、リグルさんは頷きました。彼の見えざる剣からは神霊族の気配を感じました。レコラリルム製ではない武器でしたら、簡単には防げなかったでしょう。
「純レコラリルム製ですよ。魔族の領地ではレコラリルムがよく採れること、リグルさんなら知っていますよね?」
「……ああ、確かに知って、いやちょっと待て。純って、全てか?」
「はい。分かりにくかったですか? すみません」
リグルさんは私の体を舐めるように見ています。特に、腕や肩、それから腰や脚に集中していますね。剣を振るうために必要な場所を確認しているようですが、すぐに攻撃しないのでしたら私から動くことにしましょう。
「いきますよ、リグルさん」
私は強く地面を蹴って、一瞬でリグルさんの傍に跳躍します。リグルさんは驚いた顔をしていましたが、冷静に剣を構えて守りを固めていました。突然の接近にも、この反応速度。速さは問題ないようですが、力はどうでしょうか。
「やあっ!」
私は刺突剣を振り下ろして、リグルさんの剣にぶつけます。レコラリルムではないようですが、凄まじい強度の剣ですね。
「ぐ、これは……簡単にっ」
私の全力の一撃を、リグルさんは受け止めました。そのまま数秒力を入れていましたが、これ以上やるとリグルさんが倒れてしまいそうなので、私は力を抜きました。
「合格ですね。ええと、まだやりますか?」
私が微笑んで言いますと、リグルさんは剣を収めて答えました。
「必要ない」
「そうですか」
「それより、その剣……その細腕でよく扱えるものだな」
「魔族ならそう難しいことではありませんよ?」
「人族には、重すぎる」
「……ああ」
そこまで言われて、私も理解しました。レコラリルムは万能の鉱石ですが、重いという欠点があります。魔族の身体能力であれば問題にはなりませんが、人族の身体能力であれば、一般の武器として扱うのは難しいのですね。
建築物に使用する際の問題点は同じですが、私も理解が足りませんでした。人族と魔族の違いについて、もっと学ばないといけませんね。
「あの……わたし、来たばかりですよ?」
決着が着いたのを見ましてか、イスミさんが口を開きました。呆れたような声で、主に勇者さんに視線を向けています。
「待ったぞ?」
「そうですけど、いえ、いいです。それよりも、その剣――竜霊剣ミリーネでしたよね?」
イスミさんは何かを言いかけましたが、すぐに話を切り替えました。
「そうだが、なぜ知っている?」
驚いた顔でリグルさんが聞き返します。私もその名前は、初めて聞きますね。
「秘密です」
イスミさんは微笑むと、自然な態度で言葉を続けました。
「トレスト王国のお姫様ともお話できますか?」
「そこまで……自然なる者なら不思議ではないが、待っていろ」
リグルさんは再び剣を抜いて、剣に対して声をかけました。
「ミリーネ。聞こえるな?」
「はい、勇者様っ。勇者様から私を呼ぶなんて、これは覚悟を決めたということでよろしいのですね? こうしてはいられません、私もそれなりの準備を」
すると剣から女の子の声が聞こえてきました。魔法によるものですね。
「違う。君と話したいという者がいるのだが、許可した方がいいな」
「……はあ。よく分かりませんが、分かりました」
声が答えたと思いましたら、リグルさんの竜霊剣が微かに光りました。直後に、剣の傍に現れたのは女の子の立体像。リグルさんは許可しただけのようですし、これは女の子の魔法の力ですね。
華麗なドレスに身を包んだ、綺麗な女の子です。白金の髪はミディアムロングでウェーブがかかっていまして、背はイスミさんとアミィリアさんの中間くらいでしょうか。輝くような蒼の瞳は、私とイスミさんを交互に映します。
「勇者様……これは?」
女の子は不安そうな顔で、リグルさんに尋ねました。
「ミリーネ」
リグルさんが名を呼ぶと、ミリーネさんは再び私たちを見ます。
「やはり勇者様は私では不満なのですね? 胸ですか胸ですね。確かに私の胸はそちらの銀髪の方より小さいですし、もう一人の緑髪の方と大差はないでしょう。そして私はもう十六歳ですから、ここからの成長も見込めません……でも」
「落ち着け、ミリーネ」
早口でまくしたてるミリーネさんに、リグルさんは冷静に返しています。ミリーネさんも特別に混乱している様子はありませんし、しばらくは見守ることにしましょう。
「では身長ですね。勇者様は背がお高いですから、四分の三ほどしかない私では不釣り合いなのですね。銀髪の方ならちょうどいいですし、だから勇者様は私に大事なお話を」
「勘違いだ。話があるのは彼女の方で……」
「……そうでしたか」
リグルさんがイスミさんを目で示しますと、ミリーネさんは僅かな間を置いてから、小さく頷きました。
「本命はそちらの女の子なのですね? 勇者様にとっては、私でも大きすぎるのですね。でも胸の小ささならいい勝負ができると思います」
「あの、お二人はどんな関係なんですか?」
何事もなかったかのようにイスミさんが尋ねました。
「色々あったから、一言では説明できない」
「私は勇者様の婚約者です」
リグルさんとミリーネさんが同時に答えました。リグルさんが困った顔をしていますが、否定しないところを見ると事実でもあるようですね。
「私、トレスト・シーレム・ミリーネは、ある事件を経て勇者様と婚約を致しました」
「半ば一方的にな」
「竜霊剣ミリーネは婚約の証でもあるのです」
仲の良いお二人の説明が終わりましたので、今度は私の番です。
「では、私からも説明させてもらいますね」
私がリグルさんとの関係を話すと、ミリーネさんは何度か驚きながらも冷静に話を聞いていました。驚いていたのは、私が魔王と告げたときと、イスミさんが自然なる者であると知ったときの二回ですね。
「失礼致しました。私としたことが勘違いを。ですが問題はありますね」
ミリーネさんは素直に謝罪してから、リグルさんをじっと見ました。
「何がだ?」
「勇者様は、なぜ募集を受けたのですか?」
「ミリーネには話しているだろう。勇者の伝説は広まっている。これほどの武器も手に入れることができた。だが、伝説と報酬は比例しないんだ。旅の資金も尽きかけている。王に仕えるとなれば安定した報酬と生活を得ることができる」
リグルさんの言葉に、ミリーネさんは頷きました。
「それでしたら、私の国でも与えられます」
「ミリーネと婚礼したら、だろう?」
「それは……はい。勇者様のお気持ちは分かりました。私も形だけは絶対に嫌です」
ミリーネさんははっきりとそう言ってから、次は私の方を見ました。
「魔王様は、なぜこのような募集を? 先日は私を要求してきた貴方が、今度は勇者を募集する……目的をお聞かせ願えますか?」
「いいですよ。その前に、前の手紙のことは誤解です。紙に残す言語は人族のもの。私も覚えたてでして、脅迫をするつもりは一切なかったのですよ」
この言葉はミリーネさんだけではなく、リグルさんにもはっきり聞こえるように伝えます。本題に入るのは、まず誤解を解いてから。順番は大切です。
「誤解、か」
「信じましょう。私の目に映る貴方は、悪い人には見えませんから」
「ありがとう」
リグルさんはまだ少し迷っているみたいですが、ミリーネさんは微笑んでいました。私も笑みを浮かべて答えて、言葉を続けます。
「私の目的は、人族との友好です。魔族の歴史を伝えて、人族には同じ歴史を歩ませたくはないのです。少々長くなりますが……よろしいですか?」
ミリーネさんははっきりと頷きました。リグルさんとイスミさんも頷きましたから、私はお話をすることにしました。魔族の歩んだ争いの歴史を。
「魔族がこの世界に生まれたのは、三千年前のことです。同じ時期に神霊族も生まれ、この大陸は神魔大陸と呼ばれるようになりました。ここまではみなさんもご存知ですね? ――では続けましょう。
リグルさんはその身で理解したと思いますが、魔族は誰もが高い力を持ちます。竜族に匹敵する優れた身体能力。神霊十法の極致、神霊魔法に匹敵する独自の儀式魔法。そして高い生命力も有する、神魔大陸において最強の種族とも呼ばれています。
繁殖力の低さから集団は生まれず、個人が領地を支配する。それが魔族の普通でした。しかし、低い繁殖力でも年数があれば徐々に魔族は増えていきます。それゆえに、魔族の間では領地を奪うための争いが起こったのです。
神霊族は北方に、魔族は南方に暮らしていましたから、種族間の衝突はありませんでした。千五百年前、竜族が世界に生まれてからも、彼らが暮らすのは山岳。住む場所が違いました。
ですが、魔族の間の争いは終わらないどころか、激化する一方。自然を荒らさない小さな争いから、いつしかそれは命を奪い合う激しいものになっていきました。千年ほど前まで、人族の方は知らないでしょうけれど、他の種族には警戒されていたのですよ。
このまま争いを続ければ、魔族の命は失われ続け、自然までも壊してしまうでしょう。このままではいけないと、一部の魔族が魔王制度を考えたのです。
特に強い力を持つ魔族が魔王となり、争いをなくすために全ての魔族を統治します。もちろん、力に対して力で抗ったのですから、魔王と多くの魔族は三百年の衝突を繰り返しました。ですがそのおかげで、全ての魔族は魔王を認め、今は平和に暮らしています。
そして五百年前、人族が世界に生まれました。若い種族でしたが、人族はたったの五百年で大陸一の繁栄を得たのです。魔族がかつて南方に繁栄したように。繁殖力の差ですね。
そうなれば、人族も魔族と同じ歴史を辿るかもしれない……魔王に選ばれる前から、私はそう思っていました。かつての魔族がそうだったように、同じ種族で激しく争い、争いを求めて他の種族をも襲うかもしれません」
私がその言葉を口すると、リグルさんとミリーネさんは神妙な面持ちで、顔を見合わせました。トレスト王国は四百年前に生まれた、人族としては初めての国家です。歴史ある国のお姫様と、伝説を生むほどの勇者さん。何らかの心当たりはあるみたいですね。
「ですから私は、人族との友好を結びたいのです。魔族の歴史を伝えることで、血を流し、自然を汚し、命を奪い合う争いは未然に防げると思いまして。争いの歴史は魔族だけでいい――でしょ?」
私は笑顔で、お話を結びました。
「それは、魔族の安全のためか?」
リグルさんは言いました。私はゆっくりと頷いてから、質問に答えます。
「そうとも言えますね。今の人族にとっては、無用な心配と思えるかもしれません。多くの人族にとっては、ですけれどね」
「……ふ」
リグルさんは小さな笑みをこぼしました。
「勇者様。いえ……リグル」
ミリーネさんも微笑んでいます。優しい声で、もう一人に言葉を求めていました。
「分かっている。俺に――俺たちにどこまでできるかは分からないが」
「他の種族の方々に、自然に迷惑をかけるわけには参りません。あのときのように、許してもらえるとは限りませんから」
「あのとき、ですか?」
イスミさんが小首を傾げて尋ねました。私も少し気になりますね。
「以前に我が国の過ちで、神霊族の方と揉めたことがあるのです。そう、そしてあの日がリグルと――勇者様と初めての出会い」
「霊祓いの伝説、ですね」
私が言うと、リグルさんとミリーネさんが同時に頷きました。息がぴったりです。
「竜殺しの伝説についても、聞かせてもらえますか?」
思い出しましたので、私はもう一つの伝説についても尋ねました。殺しという言葉が入っているからには、その意味を知っておきたいところです。
「ああ。若い竜に勝ったって話が、伝わるうちに誇張されて広まったらしい」
「私と勇者様を繋ぐこの剣も、そのときのお礼でもらったのですよね」
「寿命で死んだ竜の牙と鱗を、竜の民が加工してくれてな。決して、竜を殺して奪ったものじゃないぞ」
念を押すリグルさんに、私は大きく頷きます。竜の牙と鱗は貴重な素材ですが、竜に認められた者でないとその力は扱えません。ですから二人のお話に嘘がないことは、既に証明されています。
「とはいえ、だ」
リグルさんはそう前置きしましてから、はっきりと言いました。
「魔族と人族では文化も違うだろう。それに、勇者の俺が魔王に仕えるとなれば、また誤解されるのではないか?」
「詳しい話はまた夜にでも、ですね勇者様」
ミリーネさんの言葉に、リグルさんは頷きました。確かに、魔王についての誤解はここでは解けましたが、他の人たちには広まったままです。友好を結ぶにしても、しっかり準備をしてからの方が良いでしょうね。時間にはまだまだ余裕があります。
「勇者さんって、優柔不断なんですか?」
そんなところで、イスミさんが尋ねました。
「私と婚約して一年。未だに何も決めないのですから、それはもう優柔不断ですね」
「一年……」
「へえ。そんなに」
ミリーネさんの言葉に、イスミさんと私の視線がリグルさんに集中します。
「そういうことにしておいてくれ。俺もさすがに、この状況で反論はしない」
「……こういうところだけは、判断が鋭いんですよね」
ミリーネさんは苦笑いを浮かべていました。勇者さんは困った顔をしていましたが、まんざらでもなさそうです。
その後、二人で相談したいというリグルさんたちと別れて、湖の傍には私とイスミさんの二人だけが残りました。私はイスミさんを見て、小さな声で尋ねました。
「イスミさんの目的は、これで終わりではないですよね?」
「はい。あの」
「当然、気付いていますよ。貴方は……知っているのかもしれませんが」
私の言葉に、イスミさんは微笑を返しました。肯定にせよ否定にせよ、今の私にできることは一つだけです。私は周囲の林を見回して、彼らの場所を特定することにしました。
周囲の木々を確認して、彼はすぐに見つかりました。
「どなたかは存じませんが、覗きはいけませんよ?」
私がその方向を向いて呼びかけると、木の裏から一人の男の子が姿を現しました。爽やかで知的な感じのする男の子ですね。
「アルマリカさん、でしたよね? ライカと言います。僕にも覗きたい事情があって、許してもらえませんか?」
ライカさんの姿と声に私は注目します。敵意も悪意も感じません。ですが、単なる好奇心というわけでもないようですね。
「その前に、もう一人の方も出てきてもらえますか?」
私が声をかけると、後方の林から一人の女の子が出てきました。私は振り向いて、淑やかで力強い感じのする女の子の姿を確認します。
「ヒノカ。でも私は貴方たちを覗いてたわけじゃないから」
ヒノカさんの視線の先には、驚いた顔のライカさんがいました。
「変な行動をしてるお兄ちゃんを監視するのは、妹の務めだから見てただけ。自覚ないって言ったら怒るよ、お兄ちゃん?」
「ヒノカにはなんでもお見通しだね」
ライカさんが笑顔で言うと、ヒノカさんは真っ直ぐに私たちの横を通り過ぎて、無言でお兄さんの横に並びました。視線は私と、イスミさんの方に向けられています。
「お兄ちゃんの変な行動について、手掛かりを知らない?」
「ええと、なぜわたしに?」
イスミさんは微笑み、首を傾げます。
「お兄ちゃんが見ていたから、関係あるのかと思って。ないならいいけど、自然なる者って凄いんでしょ?」
「ヒノカ、どこから見てたんだ?」
「お兄ちゃんは朝から変だったから、ずっとに決まってるでしょ。邪魔しないで」
ライカさんの疑問に、ヒノカさんはすぐに答えます。見つめるのは私ではなくイスミさん。二人とも、アミィリアさんにでも聞いたのでしょうね。
「ふふ、ヒノカさんは本当にライカさんのことが大好きですね。わたしも安心します」
「……冗談で誰かを大好きになるなんて、確かに私はしないけど」
イスミさんの言葉に、ヒノカさんは否定も肯定もしませんでした。どうやらイスミさんはお二人のことをよく知っているみたいですね。
「イスミさん」
「はい」
ヒノカさんはお兄さんに声をかけられて、すらすらと説明していました。その間に私はイスミさんに声をかけます。彼女は元気に返事をしました。
「何か私に頼みたいことはありますか?」
「ありますけど、頼むまでもないと思います」
イスミさんはすぐに、笑顔で答えます。
「頼めない、と言った方が正確なんですけどね。でも、そうですね……わたしと一緒に林を出てもらえますか?」
私は小さく頷いて、イスミさんを抱いて湖の傍を離れようとしました。
「あ、ちょっと待って! 聞きたいことがあるんだけど」
「お兄ちゃん、どっちを狙ってるの?」
「そういう意味じゃないよ」
私はライカさんとヒノカさんを見て、答えました。
「私に答えられることはないと思いますよ。イスミさんも、今はまだ。でも貴方たちには必ず全てを知る日が来ると思います。……ですよね?」
抱いたままのイスミさんに、私は尋ねます。イスミさんは小さく頷きました。
「では、私はもう少し村を見てみますので、失礼しますね」
ライカさんは曖昧に頷きまして、ヒノカさんはそんなお兄さんを見つめていました。この世界に生まれた者として、自然なる者への協力は惜しみません。しかし、私は魔王ですが、今は一人の旅人でしかありません。
イスミさんはこの村の自然が極まり、この村で生まれた自然なる者。詳しい事情は分かりませんが、彼女と深く関わるべきなのはイルナルヤ村に暮らす人たちです。
イルナルヤ村に宿はないそうなので、私は夜まで村を歩き回ることにしました。リグルさんとの約束の時間、場所は特に定めていませんが広場がちょうどいいでしょうか。
隣を歩くイスミさんは、笑顔で元気に歩いています。目的は果たした、といった様子が見えますね。全ての目的というわけではなさそうですが。
「アルマリカさん。今日はありがとうございました」
イスミさんが私にそう言ったのは、夕方になった頃でした。
「おしまい、ではないですよね?」
「そうですけど、このお礼は今日しか言えないんです」
「そうですか。でしたら、素直に受け取りますね」
笑顔のイスミさんに、私も笑顔を返します。夜が近づきまして、広場に向かう私は途中でイスミさんと別れました。
空には月が出ています。リグルさんの到着はまだのようですが、場所の指定がなくても彼なら必ず分かるでしょう。
じっと広場で待つ間に、私は別の気配を感じました。敵意や悪意はなく、どこか優しい、不思議な感覚です。正体は何なのか、魔王として探ろうかとも考えましたが、どうやらそんな時間はないようです。
広場にやってくるリグルさんの姿が見えたと思いましたら、すぐに私の意識はゆっくりと薄れていきました。