Sister's Tentacle 11

三本目 王女様から風が吹いた


 コーヴィアとユィニーがリリファと別れて一週間、一の月三の週。兄妹はセントレストの中央広場にある屋台を訪れていた。料理の味はそれなりだが、調理法が独特で噂になっている屋台だ。

 店主の男はフライパンを片手に、空中で静止させる。下に広がるのは何もない空間。店主は右手で指を鳴らして、その空間に中くらいの炎を生み出す。自在に火加減を調整しながらの、魔法によるパフォーマンス調理。魔法を使える人間は多いが、ここまで自在に扱える者は珍しい。

 魔法の火を消して、紙の皿に持ってコーヴィアに手渡す。乗っているのは簡単な野菜炒めである。若くて無口なイケメン店主、というのもこの店が人気の理由だった。

「……確かに、味はそれなりだな」

「うん。普通」

 パフォーマンスこそ凄いが、料理の味も噂通り。実際、リピーターもそれほど多くはなく、名物屋台となるにはまだまだ課題は多そうだった。

「魔法もそれなりだと思うけどなあ」

 独り言か話しかけているのか微妙な大きさの声で、兄妹の近くの席に座っていた少女が言った。彼女は箸で炒められた一つの野菜を持ちながら、色々な方向から眺めている。

「そもそもこれくらいの料理なら、フライパンを使わなくても……あ、でもそれだと、火だけじゃ難しいのかな……どう思う?」

「さあな。俺も魔法には詳しくないんでね」

 声をかけた少女は赤い瞳をコーヴィアに向けて聞いた。明るい金髪はセミロングのストレート。顔立ちからも活発な印象を与える、可愛らしい女の子であった。

 身長は百六十ほど。煌びやかな白を基調とした衣装の上に、短いコートを羽織って少しは目立たないようにしているらしい。控えめな胸はユィニーよりは大きい。遺跡探索のときに出会ったミレナといい勝負である。

「そうだよね。ところであなたたち、十五歳くらいだよね?」

「ああ。俺は十五で、妹は十四だが」

「私も十五歳なんだ。うん、予想通り」

 得心したように頷く少女に、コーヴィアは怪訝な視線を向ける。ユィニーは我関せずといった様子で、黙々と野菜炒めを食していた。

「私はマセリヤ。よろしくね、お二人さん」

「俺はコーヴィアだ」

「ユィニー」

 最初に年齢を聞いた目的はわからないが、マセリヤと名乗る少女に悪意があるようには感じなかった。

「それじゃ、またねー」

 コーヴィアたちより先に食事を始めていた彼女は、勢いよく椅子から立ち上がってそのまま早足で去っていった。大きな動作に短いスカートがひらめくが、上手い具合に吹いた風が抑えていて、めくれることはなくぱんつは見えない。

「お兄ちゃん、どこ見てたの?」

「めくれなかったな」

「うん」

「魔法、か」

 先程の会話の流れから、そして風が彼女のスカートの周囲だけに吹いたことから、コーヴィアはそう結論付ける。

「えっち」

「認めよう」

 鋭い視線で妹に睨まれて、その確認のためにスカートを見ていたわけでないことを、コーヴィアはあっさりと白状する。異性愛者の少年として、あの状況でスカートに視線が向くのは仕方ないことである。鋭い視線を向けたユィニーも声音は柔らかく、本気で兄を非難してはいなかった。

 翌日、コーヴィアとユィニーはセントレストの南、比較的近くにある古代遺跡へ向かっていた。日帰りで探索できる最後の遺跡。浅い遺跡だが入り口が崩れていて、探索を後回しにしていた遺跡である。

 普段は遺跡探索の最中に誰かと出会うことはないのだが、今日は違った。

「あれ、あなたたちも?」

 そこにいたのは昨日、屋台の前で出会った少女――マセリヤだった。

「あんたも遺跡探索してるのか?」

「ううん。私は人がいないから、よくここで魔法の練習をしてるんだけど……ここ、入り口あったっけ?」

「崩れてるな。が、俺たちは他にないか探しにきたんだ」

「そっかー。それはそうと、私にはもうひとつの目的があるんだ。あなたたち、最近このあたりで起きてる事件のことは知ってる?」

「事件?」

「一応、噂くらいなら」

 遺跡探索に集中して、それ以外のことに興味の薄いコーヴィアは首を傾げたが、ユィニーは頷いて知っていることを示す。

「可愛い女の子が襲われてるって。大きな被害はないみたいだけど、犯人についてひとつだけわかってるのは……」

「魔法を使っていた、ってこと。同じく魔法を使うものとして、許せないよね。他にもやることがあるから、集中して調べることはできないんだけど……その様子じゃ、情報は知らないみたいだね」

「外には良く出てるが、遺跡ばっかりだからな」

 マセリヤは話しながらも、自らの周囲で風を操っていた。葉っぱがふわふわと舞い、高く浮いたり下降したり、かなり自在に風を操っているように見える。

「風、か……」

「うん。私の得意な魔法」

「あんた、それで遺跡の入り口、調べられないか?」

 入り口があるなら風が流れるはず。自力で探すよりは遥かに効率よく探せるはずだ。

「やろうと思えばやれるよー。で、見返りは?」

「なんでもいいぜ。といっても、限度はあるが」

「それじゃ、これ。指定した人の傍に落としてきて」

 マセリヤは風を弱めると、舞わせていた数枚の葉っぱを手にとり、コーヴィアに渡す。

「対象は三人。私がやると怪しまれるかもしれないから、あなたがやってくれる?」

「それくらいでいいなら構わないが……目的は?」

「さっきの事件解決。それには魔力を込めておいたから、ある程度の範囲にいる限り居場所がわかるんだ。対象者の近くに落とせば自動で発動するようにしてるから、魔法の使えないあなたなら誤発動もないと思う」

「よし、任せとけ! 今すぐに町に戻って仕掛けてこよう。その間に頼めるか?」

「いいよ。すぐに見つかるかどうかはわからないけど」

 コーヴィアは対象の三人の名や容姿、場所を口答で聞くと、駆け足でセントレストの町に戻っていった。ユィニーは兄にはついていかずに、遺跡に残る。

「見張り?」

「お兄ちゃんはどうせ戻ってくるから。面倒なだけ」

 ユィニーは適当な石に腰かけて、ぼんやりとマセリヤを見ながら答えた。ついでに触手を伸ばしてみて、軽く振って時間を潰す。

「ねえ、それで何するつもりなのかな?」

「退屈しのぎの運動」

 触手を鋭く振り、たまに形状を変えては突いたり丸めたりしてみる。人の目があるセントレストではやれないが、人の来ないこの場所ならやり放題だ。

「私からも一つ。あなたの、他にやることって何?」

「様子見、ってところかな。詳しく聞きたい?」

「別に。私たちに関係ないなら、聞かなくてもいい」

「そ。なら、今はいいや。あなたたちなら問題なさそうだし」

 しばらくして、コーヴィアが遺跡に戻ってきた。夕方にはまだ早いが、日を過ぎるくらいの時間にはなっている。

「戻ったぜ! 入り口は?」

「見つかったよー」

「瓦礫は私がどけといた」

「ありがとう。助かった……ん?」

 ユィニーが瓦礫をどけるには触手を扱う必要があることに気付いて、コーヴィアは首を傾げる。しかし、彼が町に戻ったときと二人の様子はあまり変わらなかった。

「こちらこそありがとう。またね、コーヴィア、ユィニー!」

 魔法の風でコーヴィアの頬を撫でると、マセリヤは入れ替わるように町へと戻っていった。困惑しながら彼女の後ろ姿を眺めるコーヴィアだったが、妹に手を引かれたので今は遺跡探索を優先することにした。

 日帰りで探索できる距離とはいえ、一度町に戻ったから残る時間は少ない。兄妹は新たに見つけた入り口から遺跡に入ると、早速探索を開始した。

 結果は、少々の古代文明の銅貨が見つかったのみ。町へ戻るコーヴィアは、いつものように落ち込んでいた。

 コーヴィアとユィニーが再びマセリヤと出会ったのは、それから三日後。一の月三の週六の日のことだった。そろそろ別の町に移ろうかと、中央広場の商店で準備をしていたときである。

「二人とも、ちょっと頼みがあるんだ」

 声をかけられ、近くの喫茶店に連れてこられた兄妹。午前中の食事には中途半端な時間ということもあってか、喫茶店に人の姿は少ない。その奥の、最も人が少ない席で、マセリヤはそう切り出した。

「何か進展でもあったのか?」

「うん。犯人の目星がついたから、ちょっと挑発しておいた。多分、動くとしたら今夜。あなたたちには少しお手伝いをして欲しいんだ」

「事件はまだ続いてるのか?」

「あれからまた一件。結構危なかったみたい」

「具体的には?」

「犯人は私が倒すつもりだけど、逃げ道を塞いでおいて。今まで顔も見られていないくらいだから、逃げ足は早いと思うんだ。なんなら、処罰しちゃってもいいよ」

「お兄ちゃん。協力しよう」

 処罰という言葉に、今まで黙って聞いていたユィニーが鋭く反応した。

 コーヴィアは微笑むマセリヤと、やる気を見せているユィニーの顔を交互に見てから、ゆっくりと頷いた。

「ま、ユィニーがそう言うなら。俺も協力するぜ。出番はないかもしれないけどな」

 マセリヤが犯人を倒し、ユィニーが処罰するというのなら、コーヴィアにやるべきことは何もない。しかし万が一ということもあるので、気は引き締めておくことにした。

 その日の夜、コーヴィアたちは先日訪れた遺跡に向かっていた。マセリヤのしたという挑発は、犯人に一通の手紙を渡すというものだった。風とともに届いた差出人不明の手紙には、「南の遺跡で美少女があなたを待っています。捕まえちゃうぞ!」という一文が書かれているだけ。ふざけた文章ではあるが、直接届けられた以上、犯人にとっては無視するわけにはいかないだろう。

 しかも、待っているとしながらも、彼らが出立したのは夜になってから。もっともこれには、遠くから様子を見られて、逃亡される危険を減らすという意味もある。以前仕掛けた魔法の葉っぱの効果は残っているので、相手が遺跡にいることはわかっている。

 遺跡へ向かう道中、マセリヤはコーヴィアたちに一つの質問をする。

「あなたたち、なんで人間が魔法を使えるのか知ってる?」

「今聞くのか?」

「協力する前に信頼関係、築いておこうかなって」

「今やるのか? まあいいが」

「質問の答えをお願い」

「深く考えたことはないが、生まれつきじゃないのか?」

 コーヴィアの答えに、ユィニーも小さく頷く。人間が魔法を使えるのは当然のこと。個人差もあり使えないものもいるが、それは素質の問題であると二人は認識していた。

「間違いではないよ。じゃあもう一つ質問。古代遺跡の探索をしてるなら、当然知ってるであろう擬似魔法。なんで、擬似なのかな?」

「なんでって、魔法を真似た魔法だから、擬似魔法なんだろう?」

「そう。でも変じゃない? 古代の人間は魔法を使えなくて擬似魔法を生み出したのに、何で今の人間は普通に魔法が使えるんだろうね」

「昔は素質のある奴が少なかった?」

「近いけど、外れ。昔は素質のある人間なんて、いなかったんだよ。人間は神の魔法に対抗するために、擬似魔法を生み出した。そして今の人間が魔法を使えるのは、神の残滓たる女王が長い時間をかけて広めたから。それこそ、大きな国ができる前から、じっくりゆっくりと。再び争いを起こさないために」

「女王って……」

「トフィン王国の女王だよ」

「人間じゃないのか?」

「人間に限り無く近いけど、人間じゃない。ヒトの女王トフィン。十一体の女王の一体。国民の誰も知らないことだけどね。知るのは女王本人を含めて王家の人間でもごく一部」

「マセリヤがなんで知ってるのか、当然聞かせてくれるんだよな?」

「あはは。といっても、深い事情は何もないよ? 私、マセリヤはトフィン王国の第二王女。女王の血を引く女の子。妹さんは、薄々気付いていたみたいだけど」

「王女だとかはわからなかったけど、近い人ではあるかなって。私の触手を見ても平然としていたから、それで確信」

「いつの間にそんなことを」

「お兄ちゃんがいないとき」

 兄妹二人のやりとりに、マセリヤは少し微笑んでから、真剣な表情になって言葉を続けた。

「それでね、私は剣の持ち主がどうしてるのか、様子見するように頼まれたの。一応、私もこれ、使えるから。魔法に長けた子供が生まれることはたまにあったみたいだけど、王家としては剣を使えるのは初めてなんだって」

 腰に添えた細剣に触れて、マセリヤは言った。

「君も、剣を探してるのか」

「も?」

「ああ。少し前に、似たような……」

 コーヴィアはリリファのこと、そして詳しくは知らないが、剣を使えるらしいミレナのことをかいつまんで話した。

「……女王の血、かあ」

 話を聞いたマセリヤは漏れ出すような声で呟いたが、それ以上の言葉はなかった。

「ま、今は犯人退治に集中! そろそろ着くよ」

 彼女の言葉の通り、目的の遺跡はもう目の前だった。

 遺跡の中心に立っていたのは、一人の男。コーヴィアやユィニーも身覚えのある、あの屋台のイケメン店主だった。

「……呼んだのはお前たちか?」

「そうだよ。降伏するなら命まではとらないけど、どうする?」

 一歩前に進み出たマセリヤは、出会ってすぐに降伏勧告をした。

「ふ……甘く見られたものだ。屋台のときは手加減していたが、この私の真の力はあの程度ではない。たったの三人で私に挑もうとしたこと、後悔するがいい!」

「うわ、雑魚っぽいセリフ! 無口なら格好いいのに……」

 マセリヤは細剣を抜いて、店主の動きをじっと待つ。ヒトの女王が魔法を使えて、その力を受け継ぐ彼女の魔法がどれほどのものか。今この場で、それを理解しているのはマセリヤ本人だけである。

「炎よ、焼き尽くせ!」

 店主の右手から炎が吹きだす。一本の炎は太い柱と同じくらいに成長して直進する。

「それが全力?」

 マセリヤは剣を持たない左手を軽く振ると、突風を生み出す。魔法の風は魔法の炎とぶつかり、一瞬で炎をかき消してしまった。

「……まだだ。魔力はまだたっぷりある!」

「魔力勝負? ごめんね、付き合う義理はないんだ」

 店主が放った魔法をかき消した旋風は、そのまま店主に襲いかかってその体を切り刻んでいく。逃げる隙間もない風。とても彼の魔法で太刀打ちできるものではなかった。

「馬鹿な……お前、ただの人間ではないな!」

「ユィニー、好きにしていいよ。私はね、お母さんの与えた魔法を悪用する人だけは、許せないんだ」

「お言葉に甘えて。いただきます」

「な、ちょっと待ちたまえ、まさかお前も……」

 ユィニーは触手を伸ばして、男の体を絡めとる。そして彼が落ち着くのも待たずに、一気に生命を吸いとっていく。夜の闇に淡い光が舞い、その光が消えた場には、店主の骨さえも残ってはいなかった。

「屋台の料理より美味しかった。大満足」

「良かったな。ユィニー」

 これにて事件は無事に解決。したのだが、彼らはまだ気を抜いてはいなかった。

「念のためにと見ていましたが、私の手は必要なかったようですわね」

 遺跡の柱の影から現れたのは、一人の少女だった。

「可愛い女の子はみんな私のもの。処罰が甘いようでしたら私が止めをさすつもりでいましたが……無用な心配でした」

 現れたのは百七十ほどの、整った顔立ちの少女。輝くセミロングの金髪をサイドテールに結い、露出の高い衣装に身を包む。ユィニーやマセリヤを見つめる瞳は銀。胸は二人よりも確かに大きいが、一段階くらいで程々の大きさである。

「あなた、何者?」

 マセリヤの問いかけに、少女は胸を張って答える。

「生まれて十六年、女の子を愛し、これからも女の子を愛し続ける者ですわ! 特にあなたのような強い女の子は、今すぐにでも私のものにして……そして……うふふ」

「名前は?」

「私としたことが、あまりにも魅力的な少女に出会ったせいか、名乗り忘れていました。私はスースエル。白翼の女王を母に持つ、光華の剣の使い手ですわ。あなたたちの自己紹介は結構ですよ。あなたたちのことは、町で見かけたときから重要人物として調べておきましたから。一応、そちらの男の方も、小さな障害として調査済みですわ」

「用件は……何となく想像がつくけどね」

「今回は様子見ですわ。剣を持つ者の情報を集める、それだけです。ですが、私の個人的な事情として、マセリヤさん。あなたを襲わせてもらいますわ!」

「俺たちも手伝うか?」

「私も一緒なら、負けはないと思う」

 曲剣を抜いて、隙のない構えで宣戦布告するスースエルに、三人も構えて対峙する。三対一では分が悪いことは理解しているのか、襲う気満々のスースエルも、この状態で戦端を開くつもりはないようだった。

「一人でやるよ。私もちょっと運動不足だから」

 答えを聞いて、コーヴィアとユィニーは後ろに下がっていることにした。

「いいですわ。その気概……ますます私のものにしたくなります」

 体を震わせて、スースエルはうっとりした目でマセリヤを見つめる。

「あなたのお人形になるつもりはないかなー」

「お人形? そんなつまらないものは求めていませんわ。最後まで抵抗し続け、この私を倒そうとする気持ちを失わない少女……いえ、むしろ倒してしまうくらいの、強く気高い女の子と戯れるのが至高!」

 最後の叫びとともに、スースエルの体が地上から浮き上がる。そのまま空中を浮遊しつつ、僅かに後ろに下がりながら曲剣を天高く伸ばし、円を描く。

 剣先から伸びた光が輪となり、軽く剣を前に動かしてスースエルは呟く。

「エンジェルリング」

 優雅に、それでいて高速で飛んでくる天使の輪を模した光に、マセリヤは風の魔法をぶつけて相殺する。

「ふふ、これはどうです?」

 前方で半円を描いた剣先から、何本もの光が曲線を描いてマセリヤに襲いかかる。

 マセリヤは自らの周りに風を纏わせ、細剣を優しく地面に突き立てる。切っ先が地表に触れるだけで、彼女が支えていなければ剣はすぐに倒れてしまう。

「天空の剣よ、私の風に力を。そよ風を突風に、旋風を竜巻に!」

 彼女の周りの風は一気に増幅し、襲いかかる光を逸らし、消していく。それでもなお風は止むことなく、それは突風となってスースエルの体を吹き飛ばした。

 陸上に立つ者なら重心のバランスを崩して、倒れるのは必至。それほどの突風を全身に受けても、空中に浮遊するスースエルは後ろに動かされるだけで、楽しそうな笑みを浮かべるだけだった。

「なかなかの風ですわね。この私が吹き飛ばされるとは」

「あなたこそ。白翼の女王の力、意外と侮れないかも」

 浮遊するだけの力ではあるが、それには浮遊した状態で姿勢を制御する力も含まれている。もちろん何もせずに浮いていれば大丈夫というわけではなく、熟練も必要になるのだが、彼女にはその熟練があった。

「次は私の番ですわ。エンジェルウィップ!」

 剣先から伸びた光の束が鞭のようにしなり、遠くにいるマセリヤの胸を的確に狙う。

「そのくらい……っと!」

 左に回避したところに、光の束は急速に向きを変えて襲いかかる。風の補助で素早く右に方向を変えても、光の束は彼女の体を追いかけてくる。慣性を無視して縦横無尽に動く光の鞭は、マセリヤを逃がさなかった。

 しかし、動きは厄介でも威力は低い。細剣に魔法の風を纏わせて、増幅と同時に振り払うと、光の束は瞬く間に散っていった。

(あの動き……負けられない!)

「痛っ。ユィニー、じっとしてろ」

 その動きに触発されたのか、ユィニーは触手を鞭のようにしならせてコーヴィアの背中を叩いていた。手加減しているとはいえ、不意打ちにコーヴィアは転びそうになる。

「うふふ、さすがですわ! ああ、もっと楽しみたいところですが、今日はこのくらいにしておきすわ。残念ながら、ここであなたを倒しても、お持ち帰りはできないのですわ」

 スースエルは触手を伸ばして複雑な動きに挑戦しているユィニーをちらりと見て、剣を鞘に収めた。マセリヤとスースエルの実力は、今のところ拮抗している。どちらかが勝利したとしても消耗は確実。その状態で後ろに控えているユィニーと連戦となれば、倒すことはできてもそれ以上のことは不可能だ。コーヴィアもいるので救出は容易である。

 マセリヤも剣を鞘に収めて、身に纏っていた風も弱らせた。二人とも武器を収めたことで、戦いは終結する。

「スースエル、剣を持つ者の情報を集めて、どうするの?」

「伝えるべき方に伝えるだけですわ。それからの行動は彼次第ですが、ご安心なさい。あなたを奪うのはこの私。どんな手を使ってでも、それは死守しますわ!」

(……しなくていいんだけどなあ)

 マセリヤは困ったような笑みを浮かべながら、地表すれすれの低空を浮遊して去っていくスースエルの後ろ姿を眺めていた。その速度は普通の人間が走るよりも遥かに速く、崩れた古代遺跡の障害物も直前で方向を変えて回避していた。

 彼女も彼女で全力を出していなかったとはいえ、得意な風の魔法に強いことを考えると厄介な相手であることは変わりない。

「ま、いいや。二人とも、帰ろう?」

 頭を切り替えて振り返ったマセリヤに、コーヴィアとユィニーも頷く。最後に予定外の展開はあったが、当初の目的である犯人退治は無事に完了した。

 一夜明けて、セントレストの町を旅立とうとする兄妹の背に、マセリヤが声をかけた。

「や、二人も今日旅立つんだ?」

「も? あんたはまだこの町にいるものだと思っていたが」

 コーヴィアは意外そうな顔で、長旅仕様の装備を身につけていたマセリヤを見る。

「その予定だったけどねー。いろいろ気になる情報があったから。一旦、トフィン王国に戻って相談するつもり。あなたたちとはまた会う機会もあると思うけど、そのときはよろしくね」

「ああ。じゃ、またな!」

「また」

「うん。またねー」

 大きく手を振って別れの挨拶をするマセリヤに、兄妹も軽く手を振って応える。去っていく彼女の後ろ姿を眺めることもせず、兄妹は自分たちの目的地へと歩き出した。

 兄妹が目指すのは、南西の山岳地帯の麓にある、鉱山の町グレストス。まだ見ぬ古代遺跡を求めての旅立ちである。

 大陸最大の王国の第二王女に、百合の花咲く変態少女。新たな出会いに、新たな情報。いくつか気になることはあるが、今の自分たちには関係の薄いこと。分析通り、兄妹がその中心になるのは、まだもうちょっとだけ先の話になる。


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