八月七日 午前十二時三十分


 繰り返しから抜け出して以降は、夏休みの平和な日常が戻ってきた。脱出するのに役立ったカードは私の部屋の机の上に置いてある。もっとも、七枚全て使ったので、残っているのはカードケースだけなんだけど。

 マスコットになったくまさんのぬいぐるみは、あれ以来、動くことも喋ることもなくなったので、部屋に飾りたいという未希にあげた。魔法少女に変身することもできなくなったけど、特に困ることはないので気にしていない。

 そんな中、未希から連絡があったのが昨日。何でも話があるとのことで、明日行くから梨絵を呼んでおいてほしいと頼まれた。私は暇だったし、梨絵も特に用事はなかったので、今日この家には二人が来ることになっている。

 約束の時間ぴったりにチャイムが鳴って、未希が梨絵と一緒にやってきた。ちなみにお兄ちゃんはいつものように出かけていて、帰ってくるのは夜になる。

 二人を部屋に招き入れると、未希は部屋を見回して何かを探しているようだった。そしてすぐに目的のものを見つけると、手にとって話題を切り出す。

「あれから色々考えたんだけど、これじゃないかなっていうのが思いついたんだよ」

 私は終わったことだからとすっかり忘れていたけど、未希はまだカードの組み合わせについて考えていたらしい。

「興味深いですね」

「私も、ちょっとは気になるかな」

 言われないと特に気にしなかったけど、言われたら興味を惹かれるのは当然だ。

「それでね、どうにか試せないかな思ったんだけど」

 言って、未希は梨絵を見る。視線を向けられた梨絵は、考える素振りも見せずに即答した。

「できると思いますよ。もちろん、二人とも承諾すればですけど」

「聡美ちゃん、協力してくれる?」

「協力してあげたいけど、ちょっと待って」

 試してみて失敗しても、答えを知っている以上、再び脱出することは簡単だ。ただ、脱出したとして、その日は八月一日。今日までの数日をやり直すことになってしまう。

「聡美ちゃん、宿題やってたなら私が手伝うよ」

「あ、それは手をつけてないから大丈夫」

「……聡美ちゃん?」

 未希が咎めるような視線を向けてきたけど、まだ夏休みは残っているから問題ないと思う。ざっと見て時間かかりそうなのだけは先に終わらせておいたし、あとは簡単なのだけだ。

 だから大丈夫と説明すると、未希は納得してそれ以上の追求はなかった。簡単だと思ったら意外と難しかったときに、七月のうちに宿題を全部終わらせた未希に教えてもらおうと思っているのは、聞かれないから黙っておこう。

「そんなことより、どうなの梨絵?」

「脱出したら今日に戻る、というのは無理ですよ。ただ、もし未希先輩の推理が正しければ、抜け出したあとの世界は確実に変わります」

「つまり、私が未希を信じるか否か、ってことだね」

 未希の推理が間違っていれば同じような一週間をまた繰り返すことになる。だけど間違っていると思うなら、私が拒否すればこのまま平和な日常を続けられる。

 推理を聞いてから決めるというのも考えられるけど、その推理が正しいかどうかの判断は既に未希自身が行っていて、確信が持てたから私に伝えたのだと思う。もしかしたらというような曖昧な状態で、こういうことを頼むような彼女ではない。

「わかった。いいよ、未希」

「ありがとう、聡美ちゃん。でも、これだけは言っておくね。自信はあるけど、その結果どうなるのかまでは保証できないよ。それでもいい?」

「でも、それで世界が破滅したりとか、私たちの命が削られたりとか、そういうのじゃないんでしょ?」

 この質問は梨絵に向けてのものだ。そんな結果が待っているとしたら、梨絵も興味深いなどと言わずに、私たちを止めたはずだ。

「それは私が保証します。不幸な方向に転ぶということだけは絶対にありえません」

 梨絵はきっぱりと言い切った。梨絵が何かを知っているのは確実だけど、そこで言葉を止めたということは、聞いても答えてはくれないのだろう。

 私は未希の持っているカードケースに手を重ねる。私が言葉にするまでもなく、未希は小さく頷いて答えた。もう一度やり直したい。そう祈ると、緩やかに意識は薄れていった。懐かしい感覚。だけど、もう二度と経験することはないと思っていた感覚だ。


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