八月一日 午前八時五分


「あ、はは……だめ、なんだ。あれでも、だめなだ」

 目が覚めて、私は乾いた笑みを浮かべた。今日が何日かなんて、聞くまでもない。私が生きているという時点で、また繰り返しているのは明らかだ。

 もうどうしたらいいのかわからない。このまま、繰り返す世界に囚われたまま、私たちは出られないんだ。これがきっと諦観というやつなのだろう。諦めるしかないんだ。私は二度寝する気にもなれず、何となく階段を下りていく。

 お兄ちゃんとの会話をいつも通りにしながら、カードの存在を確かめる。けれどカードに触れようという気は起きなかった。どうせ出られないなら、使う必要なんてない。

 そんな風にぼんやりと過ごしていると、チャイムが鳴った。誰かが来たのだ。この時間に来るのは一人しかいない。でも、梨絵がいくら説得しても私の心は変わらない。かといって放置するのも悪いので、出るだけは出ておこう。

「あ、起きてたんだ。おはよう、聡美ちゃん」

 にっこりと笑って玄関に立っていたのは、未希だった。ありえないはずの出来事に、私は混乱して、何も言えなくなってしまう。

「もう。挨拶は? おはよう、聡美ちゃん」

「……あ、うん。おはよ、未希」

「約束より早いけど、入っていい?」

「うん、いいけど」

 よくわからないまま、私は未希を迎え入れる。そして少しして、未希からこれまでの説明を受けた私は、大きなため息をついた。

「……じゃあ、私が未希に知らせないようにしたのは、全部無駄になったんだ」

「ごめんね、聡美ちゃん。でも私は元気だよ!」

「うん。それは良かったんだけど、でも……はあ」

 もう一度ため息。今度はさっきよりは小さいけど、誰にもはっきりとわかるようなため息をついた。

「まあいいや。それで、未希。策はあるんでしょ?」

「うまくいくかどうかはわからないけどね」

 そう言う未希だけど、表情は自信満々だった。私は未希に全てを任せることにする。諦める気持ちはなくなったとはいえ、思考を働かせられる余裕はまだない。

「そのためにも、まずは確認しておかないとね」

 未希は持ってきていたカードケースを開いて、七枚のカードを並べる。そこからマゼンタとイエロー、杖とぬいぐるみの四枚のカードを手にとった。

「えへへ、これで私も魔法少女ー」

「魔法少女って、未希に使えるの?」

「さあ?」

 未希はあっさりとそう答える。一応、再び繰り返すことができたのは未希がいたからだし、未希にもカードが使えるとしても不思議ではない。けれど、それじゃ結局使う人が変わっただけで結果は変わらないような気がする。

「残りの三枚は聡美ちゃんが使ってね」

「……そういうこと」

 その言葉で、未希が何をしようとしているのか理解する。未希が四枚のカードを、私が三枚のカードを、同時に使えないか試そうとしているのだ。もしそれが可能なら、今までとは違う結果も充分に起こり得る。

 ただ、それはわかってもひとつ疑問が残る。だけど、それを聞く前に未希が四枚のカードを使ってしまったので、私も残りの三枚のカードを使わざるを得なかった。

「未希、ひとつ聞いていい?」

「なーに?」

「未希のことだから、多分、もう正解はわかってるんでしょ? わざわざ試す必要、なかったんじゃないの?」

「だって私も魔法少女になりたいんだもん」

 未希は小さくそう呟いた。変身する姿を目の前で見たのだから、憧れる気持ちもわかる。未希のカードの組み合わせは誰も死なない展開になるから、辛い思いもしないだろうし、一度くらいならそういうのもいいかもしれない。

 けれど、みんなが無事で脱出できる組み合わせの中にも、きっと魔法少女になれる組み合わせはあるはずだ。だとしたら、わざわざ試す必要はないと思う。

「本当にそれだけ?」

「聡美ちゃん、でもこれって結構重要なことなんだよ?」

 それ以上の詳しい説明はしてくれない。未希に勉強を教えてもらうときもいつもこんな感じなので、私はその言葉をヒントに考えてみる。

 私が魔法少女になれたように、未希が魔法少女になれることが重要。魔法少女自体に何らかの意味があるわけではない。魔法少女にならない組み合わせでも、未希を救える展開は発生させられる。

 そうなると、一体何が重要なのか。冷静に考えてみると答えはすぐに出た。

「私と未希が対等であるかどうか、ってこと?」

「正解!」

 未希は小さな拍手とともに、笑顔を見せる。続く言葉は詳しい解説だ。

「私はそれを前提条件として考えてる。でももし、聡美ちゃんと私の関係が対等じゃなくて、メインとサポートの関係だとしたら、最悪の状況で脱出してしまうかもしれない。そうでなくても、カードについて考え直さなきゃいけないよ」

「そっか、確かにそうだよね」

 対等以外の関係。メインとサポート以外もあるけれど、何にせよ考え直す必要があるということまでは私にもわかっていた。けれど、もうひとつの、最悪の状況については考えていなかった。

 今回は私が死んでも未希がいたから良かったけど、もしも二人とも死んで繰り返しが終わるようなことがあれば、再びやり直すことはできなくなる可能性が非常に高い。

 もしそうなったらどうしようと暗くなりかけた私に、未希は明るくこう言った。

「でもね、推理が間違っていたとしても、最悪の事態にはならないと思うよ。その可能性があるとしたら、梨絵ちゃんが何か言ってくれるはずだもん」

 梨絵も全てを知っているわけではない。けれど、梨絵がわからなかったのは具体的なカードの使い方だけだ。カードそのものについては、ループ脱出に必要な物としてはっきりとわかっているようだった。

 もちろん、梨絵が知っている情報に抜けがあって、という可能性も否定はできないけど、そこまで考えるとキリがないし、今ある情報だけでは根拠に乏しい。

 情報がないからといって即否定するのはいけないけど、ない情報まで考慮するのも時間の無駄だ。そうする価値があるのは、あるはずの情報、なくてはならない情報だけだ。そしておそらく、私たちが陥っている状況に関しては、そのような情報はないと思う。

 そうして話しているうちに、そろそろ約束の時間が近づいてきた。一緒にいるから待ち合わせに遅れることはないけれど、出かける準備はしないといけない。

 そして午前十時、私たちは揃って家から出かける。今までにない展開だけど、状況も変わっているからカードの効果ではない。

 昼前にはペガサスがいた。私が使ったときと同じく、一体だけだ。

 その後の展開も、梨絵と出会ったときに堂々と会話できるようになったくらいで、勇輝に出会う場所も、お兄ちゃんに喫茶店でケーキをおごってもらうのも変わらなかった。

 未希が食べたケーキはチーズケーキだけど、私はイチゴショートではなくてモンブランを選んだ。イチゴショートが品切れという展開は始めてだけど、未希の使ったカードの効果が表れているとすれば不思議ではない。

 そしてペガサスの前で、魔法少女に変身して対峙するのは私ではなくて未希。その変身シーンを近くで見ると、憧れるのも納得の可愛さと美しさだった。

 ちなみに変身した本人の感想は、自分で変身するとあんまり凄くないねというもの。この反応は誰でも変わらないらしい。

 そして未希はペガサスに向かって、魔法の弾みたいなのを発射して撃破した。

 魔法少女になれることは同じでも使える魔法は違うようだ。ただ、どちらも一撃で倒したことに変わりはないから、魔法の威力は同等なのだろう。

 そして、変身を解いて駆け寄ってきた未希を抱きとめたところで、私の意識は薄れていく。

「記憶はあっても、これは二回目だから慣れないや」

 意識が途切れる直前、最後に聞こえてきたのは未希の呟く声だった。


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