八月一日 午後四時二十二分


「聡美、ちゃん?」

「先輩!」

 梨絵ちゃんが駆けている。私は遠くからそれを眺めるだけ。近づいて、現実を直視するのが怖かった。でも、私が望まなくても、それは向こうからやってくる。

「未希先輩、いいですか?」

「よくない」

「だめです。聞いてください」

 智茂さんが聡美ちゃんの側で、誰かに電話している。きっと救急車を呼んでいるんだろう。

「私、帰らなくちゃ。聡美ちゃんにはお兄ちゃんがついてるから大丈夫だよ。お見舞いに行きたいけど、すぐには無理だよね」

「お見舞いには行けないと思いますよ」

 梨絵ちゃんは淡々と告げる。それくらい、言われなくてもわかってる。聡美ちゃんは気を失っているわけじゃない。深い傷はないみたいだけど、梨絵ちゃんが呼吸や心臓の音を確かめている姿を見ていれば、大体の想像はつく。

 でも少しくらい、乗ってくれてもいいんじゃないかと思う。こんな事実をいきなり受け止められるほど、私は心が強くない。

「これから聡美先輩の家に行きます。ついて来てください」

「鍵、ないよ?」

「借りてきてくれませんか?」

 それくらいなら自分でやればいいのにと思うけど、簡単にできない事情があるのも理解している。私は智茂さんに梨絵ちゃんの言葉をそのまま伝えてきた。理由はわからないから言わなかったけど、私が頼んだからかすんなりと鍵を渡してくれた。

 受け取ったのは聡美ちゃんの鍵だ。手荷物も一緒に渡されたから、部屋に置いておこう。

「ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか」

 私は無言で頷いた。よくわからないけど、梨絵ちゃんにも何か考えがあるんだろう。それがどんなものでも現実は変わらないと思うけど、一人でいるより気が紛れるのは確かだ。

 家につくと、梨絵ちゃんは何かを探しているようだった。私はその間に、聡美ちゃんの荷物を部屋に置いてくる。降りてくると、梨絵ちゃんが何かを持って待っていた。

「それ、なに?」

「一言では答えられません。来てください、全部話します」

 リビングに案内された私は、梨絵ちゃんからこれまでのことを話してもらった。聡美ちゃんが私を救うためにがんばってくれたこと、梨絵ちゃんがイレギュラーな存在だということ、そしてカードのこと。

 突然すぎて、すぐには信じられなかった。けれど今日はペガサスも飛んでいたし、聡美ちゃんも変身して戦っていた。そんなことが起きるくらいだから、あってもおかしくはない。

「それで、私には何ができるの?」

 そして、最初に口にした言葉はこれだった。これまでのことを聡美ちゃんが話さなかったのは、私に知られたくないから。口止めされていないにしても、それは梨絵ちゃんもわかっているはずだ。それをわざわざ私に話したということは、そう考えるのが妥当だ。

「もう一度、繰り返すんです」

「無駄だと思うよ。聡美ちゃんが使ってきたカードの組み合わせを考えると、これ以上の展開は望めない。少なくとも、聡美ちゃんが使うだけじゃ無理だよ」

 冷静に考えればそれくらいすぐにわかる。聡美ちゃんの辿り着いた答えは間違っていない。である以上、それよりも良い答えは存在しないはずだ。

「それはつまり、もう一人いれば大丈夫ということですよね」

「うん。でも、梨絵ちゃんはカードを使えないんだよね。それに、私だって繰り返したら、また忘れちゃう。毎回教えにきてくれたとしても、今日のような体験がないと私もさすがに信じられないと思うよ」

「大丈夫です。未希先輩がカードに触れてやり直したいと祈れば、きっと先輩にも記憶が残るようになるはずです。ただ……」

 そこで梨絵ちゃんは口ごもった。代わりに、私は自分で答えを口にする。

「私が死んだ記憶も思い出す、でしょ?」

「はい。きっと辛いはずです」

「でも、やり直したら聡美ちゃんにも死んだ記憶は残るんだよね? だったら、私だけが辛いなんて言ってられないよ」

「それは、そうですけど、数が違いますよ。それに一気に思い出すんですよ。最悪の場合も考えると……」

 その記憶に押し潰されてしまうかもしれない。そして、記憶が続くようになるなら、ずっとそのまま。もうやり直しはできない。確かにそのリスクは大きいと思う。

「そのときは聡美ちゃんが助けてくれるよ。あ、でも、もしかすると聡美ちゃんも落ち込んでいるかもしれないよね。せっかく脱出できたと思ったら、また繰り返しちゃったんだもん。だったら、私がしっかりしなくちゃね」

「……簡単に言ってくれますね」

「もしものときの梨絵ちゃんがいなければ、こんなに楽観視はできないよ?」

「そこまで期待されると困るんですけど」

「でも、わざわざ私に決断を迫ったんだから、それくらいしてもらわないとね」

 その気になれば、梨絵ちゃんが決めることもできたはずだ。最終的には私の意思が必要になるとしても、聡美ちゃんのことを引き合いに出せば、半強制的に私にカードを使わせることもできた。

 それをしなかったのは、私のことを考えてというのもあるけど、梨絵ちゃん自身がそこまで決めるのに抵抗があったからに他ならない。

「未希先輩って、思ったよりも強いんですね」

「聡美ちゃんのためなら、いくらでも強くなれるよ」

 私は笑顔を見せて、手を差しだした。梨絵ちゃんは迷うことなく、私にカードを差し出してくれる。私はそれを受け取って、強く祈った。聡美ちゃんを救いたいと。そのためなら、もう一度、いや、何度でも繰り返してもいいと。

 光の粒子なって消えていく四枚のカード。その光が薄れるのと同時に、私の意識もなくなっていった。


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