八月一日 午前八時十分


「お兄ちゃん、本当に今日は一日なの?」

「ああ。何度聞かれても答えは変わらないぞ」

「そう、なんだ。まだ一日なんだ」

 私は大きなため息をついた。未希を救うことはできたけど、繰り返しからの脱出はできなかったらしい。あのまま脱出したら色々困ることはありそうだったけど、またやり直すよりは間違いなく良かった。

「夢でも見たのか?」

「ん、そんなとこ。おやすみ」

「……起きたんじゃないのか」

 私は二度寝するためにリビングから出た。もうなんか考えるのが面倒くさい。放棄するわけにはいかないけど、今は少しくらい休みたい気分だった。

 けれど九時を過ぎたころ、私は二度寝を中断せざるを得なかった。来客だ。今日この時間に来られる者は一人しかいない。階下で待っていたのは、私の予想通りの人物だった。

「……あ、先輩……」

「聡美、お客さんだ」

 お兄ちゃんがいるので元気がないけど、あのアホ毛は間違いなく梨絵だ。お兄ちゃんにリビングから出てもらって、私は梨絵と会話する準備を整える。

「残念でしたね、先輩」

「うん」

「かわいかったのに、また見れますかね?」

「そうだね」

「生返事ですね」

「わかってる」

 二度寝をしたけどまだ考える気は起きなかった。梨絵もそれがわかっているのか、私を促すようなことはしてこない。だけど、わざわざ来たということはそういう気持ちがあるのは確かだろう。

「先輩、とりあえず情報をお願いします。記録、しておいた方がいいですよね?」

「そうだね」

 私は今までに調べてわかったことを梨絵に伝えておいた。それ以上のことは口にしない。

「じゃあ先輩、次も杖を使ってみてください。今は考えられないにしても、未希先輩の死を見て繰り返すより、助けて繰り返した方がいいはずです」

「うん。そうする」

 確かに、梨絵の言う通りだ。何もしないにしてもきっとその方がいい。私はとりあえず、杖を含めて四枚のカードを選んだ。緑になるイエローとシアン、それに杖と楽器だ。一応、黒以外でも杖の効果があるのかくらいは確かめておこう。

 梨絵が帰って、また一日が始まる。ぬいぐるみを選ばなかったから変身はないとしても、今回もきっと未希を救うことはできるだろう。

 脱出するために考えるのは今すぐじゃなくていい。運が良ければ、繰り返すことなく脱出できるかもしれないんだし、それに淡い期待を抱いておくことにしよう。

 未希と会ってからはいつも通りに。ちょっと落ち込んでいるからといって、それを未希に悟らせるわけにはいかない。私にとっては何度も体験した一日だけど、未希にとっては初めての一日なのだ。

 そしてその一日はいくつかの変化がありながらも無事に進み、未希を救うことはできた。前と違った形でも、杖があれば救えるのかもしれない。けれど、繰り返しは終わらない。

 次の朝、私は真剣に脱出するための方法を考えていた。このまま深く考えずにいると、そのうち確実に未希を救えるなら繰り返し続けてもいいかなと思いかねない。

 杖は未希を救うために必要だということはわかった。可能性を高めるだけで確実ではない、ということも考えられるから、一応その可能性も忘れないようにしておこう。

 もうひとつ重要だと考えられるのは、複数の色を混ぜること。でもその二つを揃えても脱出はできない。ということは、どちらか、もしくは両方が間違っている可能性もある。

 組み合わせたときのことを思い出してみる。黒はシアン、マゼンタ、イエローの三色で、それに合わせたのは杖とぬいぐるみ。緑のイエローとシアンには杖と楽器。そこに何か問題があるとすれば、余るものがあることだろう。

 黒の場合はぬいぐるみが効果を表すのはイエローだから、シアンとマゼンタは無視されている。緑の場合はシアンに対する楽器だけで、イエローが無視される。

 ならば無駄が残らないような組み合わせにすればいい。杖と組み合わせることを考えれば、パターンはシアンに杖と楽器、マゼンタに杖と手帳、イエローに杖とぬいぐるみの三つ。もし杖以外の二つでも組み合わせられるなら、青に手帳と楽器、赤にぬいぐるみと手帳、緑にぬいぐるみと楽器もあるから、合計六つだ。

 そのどれかが正解なのか、そのどれもが正解なのか、脱出できる組み合わせがいくつあるのかわからないから判断はできない。

 だけど試すことならいくらでもできる。私はどの組み合わせにするかちょっと迷ったけれど、一度試して効果がある程度わかっている、イエロー、杖、ぬいぐるみの三枚を選んだ。

「おはよ、未希」

「おはよう、聡美ちゃん。……なんだか機嫌が良さそうだね?」

「未希と一緒だからね」

「そっか、嬉しいな」

 機嫌がいいのは今回の組み合わせに自信があるのも関係しているけど、未希と一緒というだけでも楽しい気分になるから嘘をついているわけじゃない。

 昼前にはやっぱりペガサスが現れた。火の玉を吐いたり、炎を吹いたりする危険な生物。それだけならいつも通りだけど、今回は二体のペガサスが空を駆けていた。

「増えてる……」

 今までにない光景についそんなこと場が口から出る。イエローだけだから一体しかいないと思っていたので、完全に予想外の展開だ。

「聡美ちゃん、前にも見たことあるの?」

「あ、ううん。何でもないよ」

 疑問の答えになっていないけど、未希はそれ以上は追求しないでくれた。私は空を駆けていくペガサスを眺めながら、今後の展開を予想していた。

「先輩! 渡したいものがあります!」

「ぬいぐるみ?」

「はい。くまさんです」

 喋るくまさんのぬいぐるみ。だけど、この時点で渡されたくまさんは言葉も喋らず、動く気配もなかった。梨絵によると、前回も夕方になったら突然動き出して、それまではただのぬいぐるみだったらしい。

 ペガサスは増えたけど、マスコットも先に入手した。前のことを考えると、別にこのぬいぐるみがなくても変身はできるのかもしれないけど、やっぱりないよりはあった方が断然良いと思う。

「それにしても、先輩がまた魔法少女を選ぶなんて……他にもありましたよね?」

「うん。でも、この方が確実かなって」

「それにかわいいですしね」

 そういう気持ちが欠片もないと言ったら嘘になるので、私は否定しないでおいた。

 梨絵と別れて、家電量販店では勇輝に会う。そういえば、今回はペガサスを追いかけていなかったけど、些細なことだから気にしなくてもいいだろう。これが追いかけて接触したとか、捕まえたとか、乗せてもらったとか、そういうのだったら考慮すべきだけど。

 喫茶店ではお兄ちゃんにケーキだ。未希はチーズケーキを頼んでいたけど、今回はマゼンタがないから気にしなくてもいい。

 外に出てペガサスが暴れているのを見たら、ぬいぐるみが喋りだした。

「やあ! ぼくは」

「変身」

「ちょっと! まだ自己紹介もしてないよ! 前もできなかったのにまたなんてひどいよ!」

 どうやらこのマスコットも前の記憶が残っているらしい。でもそんなことはどうでもいいので、私はさっさと変身してペガサスの前に立ちはだかった。

 今回は人がいなかったので迷う必要はない。おそらく、既に梨絵がこの展開を見越して人払いを済ませておいたのだろう。空飛ぶ二体のペガサスは私と未希をじっと見ている。前と同じなら、私に使えるのはシールドだけなので、相手の動きを待つしかない。

「聡美ちゃんの変身シーン、もっとちゃんと見たかったなあ」

「ごめんね。これが終わったらあとでいくらでも見せてあげるから」

「うん。約束だよ」

 ループから脱出できなければ叶わない約束だけど、私は今度こそ脱出したいという意思を込めて約束を交わす。

 一体のペガサスが炎を吐いてきた。私はイメージして盾を作り、炎を跳ね返す。これが届けば倒せるけれど、今回はそう簡単にはいかなかった。もう一体のペガサスが炎を吐いて相殺したのだ。

「ねえ、こういうときに都合のいい必殺技ないの?」

「あるよ! でも、それはとっても危険な技なんだ!」

 妙にテンションの高いマスコットは空をふよふよと飛んで私の隣にいる。前はよく見ていなかったから気付かなかったけど、どうやら変身するとこれも強化されるらしい。

「これを投げつけるの?」

「これって言うなー! ぼくにはちゃんとした名前が――」

「どうでもいいから、教えて。未希を守れるなら、危険があっても怖くない」

「……ひどいや」

 くまさんのぬいぐるみは落ち込んでいた。けれど、機嫌を取るために名前を聞いたらあっさりと必殺技を教えてくれた。何が危険かというのも確かめてみると、どうやら制御が難しくて周囲に被害を与える可能性が高いのだとか。

 寿命が縮むとか、命を削るとか、そういう危険だったら地道に戦うことを選んだけど、そうでないなら構わない。

 私は二体のペガサスに向けて、大きく杖を振る。イメージするのはただ強く、大切なものを守りたいと思う力。ペガサスは二体同時に炎を吐いて、隙を狙ってくる。反射されることを警戒してか、吐いてすぐに彼らは散開した。

 私は大きく広がる不可視の盾でそれを弾く。必殺技というからには何か叫ばなきゃいけないのかと思ったけど、どうやらその必要はないみたいだ。まあ、変身の宣言が魔法少女らしからぬあっさりした一言だったから、予想はしていたけど。

 反射された炎はそのまま戻っていくわけではない。二つの炎は、放射状に広がって反射されていた。ペガサスが散開していようとその広範囲に渡る攻撃は避けられない。それでいて威力もそのままだというのだから、必殺技という名に相応しい。

 炎はペガサスの身体を焼き尽くす。当たらなかった炎も、空中に消えていった。制御のおかげだろう。といっても、当たらないようにイメージするだけなんだけど、難しいというだけあってそれだけでも物凄く疲れた。

 ふらりと倒れそうになる私に、未希の叫ぶ声が聞こえた。

「聡美ちゃん! 危ないよ!」

「……え?」

 炎。おそらく、あのペガサスが最後に一矢報いようと放ったものだろう。回避したくても足が動かない。じゃあ盾を、と思ったけどどうやら必殺技で力を使いきったようだ。

 その証拠に、魔法少女の可愛らしい衣装は消えて、私は普段の服に戻っていた。慌てるマスコットは、変身が解けたのに合わせてただのくまさんのぬいぐるみに戻っていた。口を動かして手足をばたばたさせることはできても、自由に移動はできないようだ。

「ここにいたら危ないよ」

「そうだけど! って、うわあ!」

 私は手を伸ばして、拾ったぬいぐるみを未希に向かって勢いよく投げつけた。それを咄嗟に受け止めたことで、私に向かって駆けてくる彼女の足が止まる。

 これでいい。あの距離で一度足が止まってしまえば、未希が私をかばうことはできない。私を守ることよりも、未希を守ることの方が重要だ。

「聡美ちゃん!」

 炎が私の身体を焼いていく。不思議と熱さや痛みは感じない。きっと魔法だからだろう。

 意識が薄れていく。再び繰り返すのかなと思ったけど、なんだかいつもとは感じが違う。いつもだったら、そろそろ意識が途切れて、目を覚ましているはずだ。

 そうならないということは、もう繰り返さないということ。

 そこで私にひとつの考えが浮かんだ。未希を救って繰り返しから脱出するには、きっとこれが必要だったんじゃないだろうか。私が生きているから、繰り返しは終わらない。もしかすると、この繰り返し自体、死にかけた私が見ている夢なのかもしれない。

 でもそれにしては、カードとか、梨絵とか、ちょっと複雑すぎる。だから多分、これは夢なんかじゃなくて、現実だ。どっちにしても、ここで死んだら確かめようもないんだけど。

 考えても仕方ない。そう思うのと、私の意識が完全に途切れるのはほぼ同じだった。


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