真っ先に動いたのは、うずうずしていたネイリーンと三千花さんだった。ステージの左右から回り込むように駆け出し、比奈理さんを追いかけようとしている。
「撤退か?」
「そうね。三つ巴は不意討ちされやすい」
こちらからも不意討ちは狙えるが、このゲームの勝利条件は最後まで生き残ること。決して多くのダメージを与えることではない。
「ふ……あれだけの熱視線を送っておきながら、感動しない女性がいるとはな」
「感動? そんなので、私の性欲は抑えられないわ」
「……ほう。君はもしや」
「変な目で見ないでくれる? 男は消す」
互いを認識した唯一と涼香は、向かい合って会話をしていた。こちらも混ざれば三つ巴。
「変態二人は放っておいてもいい」
「けど、もし協力したら手強いぞ?」
「すると思う?」
「ないよな」
互いに求めているのはハーレム。だが唯一のハーレムと、涼香のハーレムは違う。男を消して百合ハーレムを目指す涼香の世界に、唯一は存在できない。そして唯一の女の子を惚れさせるハーレムの作り方と、女の子を襲って傷付ける涼香のやり方は相容れない。
そんな二人がゲームで勝つために協力するなど、絶対にありえないことだろう。
「じゃ、一旦離れて次の行動」
「ああ」
俺たちはなおも口論を続ける二人を背に、その場を離れた。
ライブ会場となったステージから遠く離れた、エリア2の片隅。そこで俺たちは次の行動を決めるため、手帳端末を開き状況を確認していた。
チラシを見て集まった中に、未知のプレイヤーはいなかった。しかし、あの場で起きた『聴覚』の攻撃カードによる攻撃は、ゲームの状況を大きく動かした。条件の厳しい攻撃2で与えるダメージは2。ポイントを大きく減らされたプレイヤーは一人ではない。
「比奈理さんのポイントが減った。順調に追撃中?」
「二対一だからな。……契ってないのかな?」
彼女は一人だからこそ、あんな大胆な行動に出たのだろうか。あるいは、追いかけてくる誰かを誘き寄せるための罠? にしては、ネイリーンと三千花さんのポイントは、あれから一つも減っていない。戦略ルームに入ってカードを変更する機会を窺っているのか?
「そこまで」
「ん?」
「私たちは私たちの戦いを優先。今起きている戦いは、気にしなくていい」
「そうだけど……いいのか?」
確かにいくら考えたところで、遠い相手の動きは推測することしかできない。あの場に来ていなかった勇馬や灸のポイントも1減っていたが、わかる事実はそれだけ。二人が戦った結果なのか、二人と誰かが戦った結果なのかも、ここからじゃわからない。
唯一と涼香の二人は、口論が続いているのか牽制し合っているのか、ポイントに動きはない。
そしてもう一人、ポイントに動きがない者――古宮杜梓葉。
「梓葉はまだポイントが減ってない」
「それなら私も同じ」
確認したプレイヤーの中で、ポイントが5残っているのは神奈木と梓葉の二人だけ。
「優先すべきは、残りのプレイヤーを探すこと。目指すはエリア4」
「戻るのか?」
「エリアの数は6。プレイヤーの人数は十二人」
俺の質問には答えず、神奈木はそれだけ告げた。これで理由を考えろ、と。
「神奈木が目覚めた場所に、他のプレイヤーは?」
「遠くに一人。舞鳥三千花。遠すぎて、情報は記録されなかった」
「各エリアにプレイヤーは二人。それが初期配置か」
神奈木は頷く。俺と同じくエリア4に最初からいたプレイヤーが、まだそこにいるかもしれない。しかし、エリア4ならじっくり探索したはずだが……。
「いや、あれだけじっくり探してたら、そりゃ隠れるか」
考えてみれば簡単なことだ。俺たちが探していたのは一人のプレイヤー。戦いを避けて、発見されないように隠れていたら、あの程度の探索なら切り抜けられる。
「次は本気で」神奈木が言った。
「全力で」俺は答える。
だが、こちらの人数は二人。そして相手はおそらく一人。なら、時間をかければきっと見つかる。エリアも広いが、堀と川に囲まれた閉鎖空間なのだから。
すかさず言葉を続けた俺に、神奈木は小さな笑みを浮かべていた。
エリア4に戻った俺たちは、早速捜索を開始する。ゲームが始まってから、だいぶ時間が経過している。はっきりとは覚えていないが、目が覚めたときの太陽は低かったと思う。そして今の太陽もまた、低い位置に浮かんでいる。長く参加を拒否し続けてきた俺には、まだ始まったばかりのように感じるが……それにしても明るい空である。
この時間にこれだけ明るいということは、ここは高緯度の土地なのだろうか。どの国にも属さない土地。こんな状況でなければ、見知らぬ土地をゆっくり楽しめたかもしれない。
大きく動いたゲームは夜が明けるまでに決着が付くのか、それとも二日、三日と長引くのか。今の状況では判断がつかないが、暗くもなっていないのに考える必要もないだろう。
「私が先行する。隠れながらついてきて。距離は大体十メートル」
「まるで尾行してるみたいだな」
「それくらいの気持ちでお願いね。地味な戦いだけど……」
「勝負を決める大事な戦いだ」
まだ見ぬプレイヤーの一人は、古宮杜梓葉の契り相手。彼女のポイントはまだ減っていない。そして隠れているプレイヤーのポイントも同じなら、消耗した分だけ不利になる。
幸い、他に警戒すべきプレイヤーは近くにいない。ゆっくりと追い詰めていこう。
神奈木は建物を一つ一つ丹念に調べて、俺は離れたところからその様子を見守る。建物から出てきたのが彼女一人であることを確認したら、左手の指を立てて合図を送り、合図を見た神奈木が次の場所を捜索する。非常に地味だが、ここまでされては敵も逃げられない。空でも飛ぶとか、地下に潜るとかでもしない限りは。
元々そういう場所がいくつか用意されている可能性も考慮はしていたが、一時間ほど続けた捜索の結果、その可能性はとても低いというのが神奈木からの中間報告。
「これで一時間か……」
調べた範囲は、エリア4の三分の一ほど。残りは三分の二だが、最後まで順調に探索できるかはわからない。二時間も経過すれば、他のプレイヤーがこのエリアに現れるかもしれない。
「半分」
「休憩しよう。おなかすいた」
時間にして一時間半。ハンバーガー屋台の近くに着いたところで、神奈木からの提案。俺たちは食事をとることにした。今回の勝負は、見つければ勝ちというものではない。見つけた上で、見つけたプレイヤーとの戦いが始まるのだ。それまでに疲れ切って、逃げられてはほとんど意味がない。
見える範囲で軽く警戒しつつ、戦略ルームから戻った神奈木が椅子を引いたとき。
鳴り響いたのは、高く澄んだ鈴の音。
音源は、二つの端末。俺と神奈木、二人の手帳端末だった。
「……重三神」
素早く開いた手帳端末から、神奈木は攻撃したプレイヤーの名前を口にする。俺も急いで手帳端末を開き、同じ名前と、攻撃されたカードの種類を確認する。
「『潜伏』の攻撃2。対象を視認してから、視認した対象全てに十二時間視認されない」
「八種類目の攻撃カード。だからずっと隠れていたってわけか」
「うん。でも、あなたも私もまだポイントは残ってる。重三神という――多分女の子も、ポイントは4」
「足したら同じだな」
俺の残りポイントは1。神奈木の残りポイントは3。まだ二人とも、戦える。
「何人かは今のでゼロになったみたいだけど……梓葉もダメージを受けてるな」
重三神という少女(推定)に視認されたプレイヤーは、全員2ダメージを受けたのか。そう思ってプレイヤーリストを眺めて、一人だけ一つしか減ってない人物を見つける。
「比奈理さんだけダメージ1、か?」
自信がないので尋ねるように言うと、神奈木は大きく頷いた。
「防御カードね。チラシを配って集めたあのライブも、きっとこのための時間稼ぎ」
「視認するため……いや、あれから十二時間も経ってないな」
たまたま比奈理さんが『潜伏』の防御カードを持っていただけかもしれないが、考えるのはここまでだ。
「再開」
「ああ。重三神って女の子、探さないとな」
「……それは、探さなくても勝手に出てくる。同じ攻撃カードはもう使えないから。多分、ここにいるのは……」
俺の言葉に、少しの間を置いて答える神奈木。言いかけた言葉の先は気になったが、聞かなくても捜索すれば答えはわかる。このエリアに隠れている、誰かを見つければ。
再開して三十分。捜索開始から二時間と十数分(休憩時間含む)は経過した頃。ついに俺たちは目的の人物に辿り着いた。
「この向こうに?」
「うん。気配があった」
大きな建物の二階、その一室。扉の前に呼ばれた俺は、神奈木に尋ねた。
「って、言っちゃっていいのか?」
「大丈夫。逃げる気はないって」
建物から出てきた神奈木はのんびりとこちらにやってきた。そしてこの発言。
「連れてきた。開けるね」
「ハーイ! 見つかってシマッタラ、仕方ナイデース!」
ノックしてかけた神奈木の声に、テンション高く明るい声が返事をする。どこかで聞き覚えがあるような、いやしかしそんなはずはない声に、俺は混乱しながら開いた扉の向こうを見る。
座り心地の良さそうな椅子に座っていたのは、金髪の美少女。椅子を軽快に回してこちらを向いて、歓迎するように片手でポーズをとりながら笑っている。
「オウ! 初めましてデスネー! リアネラ・イズ・ビューティフルガール!」
「えーと、これ、どういう」
手帳端末を開く。そこには確かに、能海川リアネラという名前が表示されていた。
「ランセツ・アーンド・カナギ! リアネラは、ノウミカワ・リアネラでーす。アズハと一緒のラークは、ここから操縦できマース」
「ハロー。もっと情報プリーズ。おーけー?」
「オーケーオーケー! ラークはちょっとズルイでーす。見つかったらコタエマース。それにシテモー、さっきは大変デシタネー。ユイイチにリョウカ、ユウマにヤイト、ネイリーンにサンゼンカ、それからランセツ・アンド・カナギに、アズハまでダメージでーす。ヒナリはいい仲間をミツケマシター。キョウテキでーす」
「……おー。みんな契ってるねー。サンキューガール!」
「神奈木のそのテンションはなんなんだ?」
「オウ! ランセツ、ノリ悪いでーす。まあまあ、トリアエズ見つめるデース」
「は? ええと、大丈夫か?」
「心配無用デース」
リアネラは手帳端末を見せて、『視覚』の攻撃カードが入っていないことを示す。それを見た俺は彼女と見つめ合い、続いて「ガール・アンド・ガール!」「オーケー!」という謎のやりとりをしてから、神奈木もリアネラと見つめ合った。
そして十秒後。リアネラの端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響いた。
「ハイ! もっと攻撃してもいいデスヨー? 倒サレテモ見つカッタラそれもサダメです!」
「じゃあ、抱いていいか?」
「フウ! ランセツ・変態でーす! 近寄るなこの変態! ばか、えっちー!」
「え? いや、そうじゃなく……」
俺が戸惑っている間に、リアネラは椅子を蹴り飛ばすように立ち上がり、勢いよく抱きついてきた。色々な柔らかい感触を味わいながら、神奈木のクール――冷めた視線に気付いて、俺も彼女を抱きしめる。三秒くらいそのままでいて、俺が腕を離すとリアネラも離れた。
「コウフンしなかったデース?」
「いや、この状況じゃ」
俺が弁解しようとする間に、再びリアネラの端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響く。
「おーけー。これ以上は時間かかるの。行っていいよ、小鳥さん」
「イエース。リアネラ、アズハを助けに行きマース! グッバイ・ガール!」
それだけ言うと、リアネラは部屋の外へ駆けていった。思ったよりも俊足で、鍛えていそうな灸にも並べるんじゃないかという速度で、リアネラは梓葉の名を叫んで駆け抜ける。
「いいのか?」
「うん」
手帳端末を開いてみる。出会ったときはポイントが5あったリアネラのポイントは、あっという間に1まで減ってしまった。こんなに簡単に削れていいのかと思うほど、あっさりと。
他の情報を見ると、リアネラからの情報で全ての契り相手が表示されている。椋比奈理に重三神、鞍馬勇馬と中原灸。加えて、古宮杜梓葉と能海川リアネラ。この三つは新情報だ。推定ではなく、ここで一気に確定できたのは大きい。
ちなみに八方唯一と羽頭女涼香は契っていない。そもそも、唯一はさっきの『潜伏』攻撃2でポイントを全て失っている。比奈理さんと重三神、二人の攻撃をもろに受けたのだ。
プレイヤーの項目に表示された人数は、十二人。
『封鎖の契り』に参加するプレイヤーの人数も、十二人。
全てのプレイヤーが確認されて、ゲームは佳境に近付いた。それが少しなのか、大きくなのかは、まだわからないけれど。
エリア4からエリア6へ。この位置からなら、エリア1まで『船』で大きく移動することもできる。残るプレイヤーの人数はまだ多い。乱戦での勝負はなるべく避けたい。
そしてまた、エリア1からもエリア6へは大きく移動できる。全速力で走ったとしても、他の移動カードでは移動できない距離を、『船』なら移動できる。俺たちが利用を考えていた移動方法で、移動してきたのは二人の少女だった。
見覚えのある大きな物。ベースケースを持った椋比奈理。
続けて船を下りたのは、ショートカットで理知的な立ち居振る舞いの少女。表情にはどこかやる気がなく、しかしその瞳には何かを期待するような色が常に潜んでいる。
「ありゃ、ここなら誰もいないと思ったんだけどなー」
「嵐雪……嵐に雪なんて、いい名前ね。クローズドサークル、ここもクローズドサークル。なのに誰も死なないっておかしいよね? これじゃあ私の活躍が……あ」
手帳端末から顔を上げて、少女はこちらを見る。それから大仰な動作で深く礼をすると、腰に右手を添えて自信に満ちた表情で、その名前を口にした。
「こんばんは。私は重三神です。探偵志望の可憐な少女。死体を見つけたら御一報を」
三神さんは両目の間に指を当てて、可憐に微笑む。探偵気取りの女の子、か。
「ふむ。嵐雪くん、あなたは今、探偵気取りと思いましたね? 残念ですが、私は気取っているだけの無能探偵ではありません。それは『潜伏』を見事に成功させたことで、理解しているのではないかな? でも、私のスキルはこんな――こんなゲームに使っても楽しくない!」
「この状況で、連続殺人が起きないから鬱憤たまってるんだって」
「あー、なんでゲームなの? でも、でも、ゲームに勝てば、私は事件に出会える!」
どうやらそれが彼女の参加する理由らしい。梓葉ならそれくらい簡単に叶えられそうだ。
「ま、ともかく! 出会っちゃったからには、戦おっか? 嵐雪くん、残り1だし」
「そちらも、余裕ないみたいだけど?」
手帳端末を確認する。比奈理さんの残りポイントは2、三神さんは3と表示されている。
「やっぱ、あれだけ動くと目立っちゃって。ここまでは何とか逃げたのになー」
「ふう……その逃げた先で、見つかる死体! 連続殺人! 何で起きないのかな?」
「いや、起きないって」
「はい。せめて性的な事件なら、起こる可能性が」
俺を横目に言っているのが気になるが、確かに羽頭女涼香ならその気になればやる。
「今その人物は、無謀にも古宮杜梓葉を狙っている。私の推理では、彼女に古宮杜のお嬢様は襲えない。契りも結ばず単独で挑むのは、無謀としか言いようがないよ」
三神さんは肩をすくめて、ポケットに左手を入れたまま苦笑してみせる。左手に持っていた手帳端末も一緒にポケットの中に入ったが、何かをできるとは……。
考えが頭をよぎった瞬間、三神さんは地面を蹴って駆け出した。端末をしまったのは、身軽な動きの邪魔にならないようにするためか。
いや、それだけではない。三神さんがポケットから取り出した手には、発光する小さな物体が握られていた。あの光には見覚えがある。ネイリーンが使った、設置物だ。『設置』の効果を思い出す。
「嵐雪!」
「わかってる!」
じっとしていては危ない。左手を構えて、設置物を投げる仕草を見せた三神さんに、俺たちは左右に動いて反応する。俺たちの足元を狙った彼女の手からは、設置物が投げられることはなかった。
「ふむ。比奈理さん、『設置』は知られてるみたいだよ」
「そっかー。少し長くなりそうだね」
見ると、比奈理さんもベースケースの上に設置物を載せていた。どうやらこの二人は、二人とも『設置』の攻撃カードを持っているらしい。攻撃1なら確認済みだが、攻撃2の条件はわからない。
「神奈木」
「大丈夫」
短い言葉で確認する。神奈木の防御カードは『設置』のまま。単純な攻撃なら彼女がダメージを受けることはないだろう。『設置』攻撃1の条件は、対象に三つの設置物で囲まれた空間を通過させる。不意の初撃を避けてしまえば、奇襲でダメージを受けることはない。
もちろん、それは比奈理さんと三神さんも承知の上。一転して距離をとった二人は、周囲を確認して近くの建物に逃げ込もうとする。
「追うか?」
「当然。でも、決して先行はしないで」
「了解した」
俺の残りポイントは1。仕掛けられた攻撃を受ければ一撃でおしまいだ。神奈木のポイントは3もあり、『設置』防御もある。索敵の役目は彼女に任せるべきだろう。
こちらの攻撃手段としては、やはり『視覚』が狙いやすいか。あるいは、『接触』を狙ってみるのもいいかもしれない。うっかり転んで抱きついて、反射的にほんの少しでも抱き合う形になれば、『接触』の攻撃2は有効なはずだ。
二人が逃げ込んだ建物は、二階建てのショッピングモールのような大きな建物。エスカレーターはないが、商業施設なら店がある部分にはいくつかの箱が障害物として置いてある。
入ってみると、吹き抜けの上に続く階段を、三神さんが駆けていく姿が見えた。
「薄暗いな」
「うん」
外はまだ少し明るいはずだが、この建物には小さな天窓がいくつかあるだけで、照明はついていない。元々こういう戦いをするために用意された場所。比奈理さんと三神さんが迷わず入ったところをみると、何かがあればここに引き込もうと、以前このエリアを訪れたときに下調べは済ませていたのだろう。
設置を狙うには室内の方が、道幅が制限されて狙いやすい。けれど条件を満たすための設置物は光る。階段のところに設置された三つの設置物も、光を放ってよく目立っていた。
設置物を使える数に制限があるのかはわからないが、条件からすると一度に設置して有効になるのは三つで、次の三つを設置したら切り替わる、といったところだろう。
「嵐雪は別の階段から。私は三神さんを追いかける」
「ああ。気をつけて」
頷いた神奈木を見送って、俺は別の階段の前に陣取る。建物内をざっと見た感じ、目立つ階段はこの二つ。俺がここで待ち構えている限り、こちらから逃げることはできない。
下からでもある程度は上の状況はわかる。が、問題は姿が見えない比奈理さんがどこにいるか。中央を抜けながら視線を飛ばした端の空間にはいなかったから、やはり二階で待ち構えているのだろうか。
手すりから顔を出した神奈木が、合図を送ってくる。周辺の安全は確保。俺は頷いて階段を登ると、二階で待っていた神奈木と合流した。
「比奈理さんは?」
「見つからない。逃げたなら無理には追わないけど……」
通路の先では三神さんが立って待っている。今ならもう一つの階段から逃げられるのに、そうしているのだ。彼女を残して比奈理さんだけが逃げたとは考えられない。
比奈理さんは重そうなベースを持っているから、こういう行動は三神さんの役目。隠れた比奈理さんの役目は奇襲か、挟撃か。あるいは、ベースケースをどこかに置いて、身軽に戦えるように準備をしている可能性も否定できない。俺たちのどちらか一人でも倒せれば、二対一で回収は容易になる。
神奈木を先頭に、三神さんのいる場所へ向かう。彼女は後ろに下がると、一つの空間に潜り込んだ。箱によって道は何本かに分かれて、奥には隠れる場所もある。
「見張り、お願い」
「ああ」
入り口付近で後ろからの襲撃に備える。神奈木が向かう先には、二つの設置物が床に設置されていた。それを不思議に思ったのか神奈木は足を止めて、こちらに軽く視線を送る。
二つでは『設置』の条件は満たせないはず。どういうことだ? 足を止めるのが狙いかとも思ったが、三神さんも比奈理さんも飛び出してくる様子はない。
俺が首を横に振ると、神奈木は頷いて一歩前に踏み出した。
「……ん?」
視界の端で何かが動いた。あのケース、比奈理さんか? 後ろに続くのは三神さん。裏を回ったら神奈木が戻ってくるであろう場所に、設置物を投げて仕掛けていた。神奈木の周辺に集中していたのではっきりとは見えなかったが、二人とも投げたように見える。
今のはこのための時間稼ぎ。次の攻撃が本命か。今は神奈木に詳しく伝える方法がない。
神奈木が裏から姿を見せた瞬間、三神さんに続いて比奈理さんが俺の方に駆けてきた。残りポイントを考えて回避しようと思ったが、神奈木の視線に気付いて行動を変える。
「おっと。逃がさないぞ」
両手を広げて、二人をまっすぐに見つめて立ちはだかる。この狭い道、強引に突破することは叶わない。格闘を避けて事故による衝突なら別だが、それをしてくれればこちらの勝ちだ。
「いいの? 『設置』でやられちゃうよ?」
比奈理さんが三つの設置物を手に、言葉で俺を牽制する。
「通過しなければいいなら、剥がせばやられないよな?」
比奈理さんの瞳をまっすぐに見つめながら、俺は答える。怖いのは『設置』攻撃2の未知の条件だが、神奈木の視線からその危険はかなり低いと判断する。
「中途半端な推理の披露は、第二の被害者に……ああ、でもまず第一の被害者が」
「ふふっ」
三神さんの反応に微笑みながら、言葉の途中で比奈理さんは自然に視線を逸らしていた。
「ああ、君の攻撃カードは『視覚』だね? あいにく、それは私たちには通じないよ」
指を立てたポーズで、三神さんが推理を披露。
「私の二種類目も『視覚』なんだ。だから見つめても無駄。少し待とっか?」
距離の離れた状態では、どちらも攻撃は不可能。立ち止まった二人の様子を不思議に思いつつ、同じく奥で立ち止まっている神奈木を見る。
床に置かれたのは二つの設置物。ここから見える光からは、危険はないように感じる。
「狙いは神奈木?」
「さあ? すぐにわかるよ」
神奈木も同じように判断したのか、念のため二つの設置物の間を避けて一歩踏み出す。彼女の横からの襲撃はないし、安全に通過できるはず……と思ったところで、気付いた。比奈理さんと三神さんの表情が、ほんの少しだけ笑顔に傾いたことを。
「嵐雪。問題ないみたいだから、攻撃……」
「いや、問題あるみたいだ。取り返す」
疑問に首を傾げる神奈木を無視して、俺は目の前の二人に駆けていく。ちょうど逃げようとしていた比奈理さんと三神さん。俺は三神さんの方に向かうと見せかけながら、咄嗟に向きを変えて比奈理さんの前に立ちはだかる。
「きゃっ!」
「っと……とと!」
思ったよりも勢いがあったが、何とか倒れないようにする。バランスを崩した俺に、思わず抱きつく形となった比奈理さん。その隙を見逃さず、俺も彼女の背中に手を回す。
「わ、わ、ちょっと。何する気ー! 三神さーん、助けてー」
「……どさくさ紛れに、諦めて? ナイフは、ナイフはないの?」
変な誤解をされる前に素早く手を離す。その直後、高く澄んだ鈴の音が鳴り響いた。
「これは。いつの間に?」
それは神奈木の端末から鳴り響いた鈴の音。そしてそれから数秒後に、別の手帳端末からも高く同じ音が鳴り響く。
「おおっ……三神さーん、わかってる?」
「ふむ。『接触』の攻撃2。ただ抱きついておっぱいの感触を味わおうとしただけではなかったようだね」
「違ったんだー」
どう思われていたんだと文句も言いたくなったが、あんな行動をしては文句は言えない。それに多少は、おっぱいの感触を楽しまなかったわけでもないのだし。
そこそこの距離をとった三神さんに、今の攻撃でポイントがゼロになった比奈理さんが駆け寄る。振り向いた俺の隣には神奈木も歩み寄ってきて、説明を求めようとしたが、それより先に片付ける問題があった。
「どうかな? 比奈理さん」
「んーと、あ、この地図に表示された、封鎖ルームに徒歩で行けって。回収されるわけじゃないんだね。逃げたら強制的に、って書いてあるけど」
「封鎖ルーム……死体を見つけたら、是非!」
「や、見つからないと思うけど……うん、三神さんは?」
「探偵が死んでは誰が殺人事件を解決しますか?」
解決も何も殺人事件は起きていない。自信たっぷりの表情でそう言った三神さんは、俺たちに視線を向けてきた。
「嵐雪くん。君の攻撃カードは全て把握したよ。それでも続けるかい?」
「いや、続けないよ」
この奇襲が成功するのは一度きり。だからこそ、一撃で倒せるかもしれない比奈理さんを狙ったのだ。ここにいるのが最後の三人でもないのだし、これ以上続ける理由はない。
神奈木の判断を待たずに答えたが、彼女も同じ判断をするだろう。
「じゃ、私は先に行くねー。もう危険はないし、ね」
軽い足取りで踵を返した比奈理さんに、少し遅れて三神さんも続く。
「説明」
二人が離れてすぐ、神奈木が呟いた。
「ああ。上」
「上? ……そういうこと」
俺が指差した場所を見て、神奈木はすぐに理解した。地面に二つの設置物が設置された場所の天井、そこにも四つの設置物が光を放って存在を主張していた。光って目立つ設置物。注意していれば見落とすはずはないが、視界の外に設置されたものは見抜けない。
三つの設置物で囲まれた空間。それは床から伸びた三角形の空間だけではなく、天井を含めた三角形の空間でも良かったのだ。
攻撃カード『設置』を確認したとき、補足されていた説明によると、地上に設置した場合は囲んだ範囲の上空三メートルまでを範囲に含むとある。地上に設置しなかった場合はそれがなく、囲んだ範囲がかなり狭くなるが、それを予想していない相手には当てられる。
「神奈木にも予想外だったか?」
「壁は確認したんだけど、天井はうっかりしてた。身を低くすれば、かわせたのに」
「神奈木は小さいからな」
その小さい神奈木が身を低くすれば、床に一つ、天井に二つで作られた空間は、通過されることなく頭上を抜けていく。
「小さい」
胸に手をあてて神奈木が言う。
「そっちじゃなくて」
「冗談よ。でも、比較できるくらいには覚えてるんだ」
微笑みながら神奈木は振り返って、床に貼られた設置物を剥がそうと試みる。屈んですぐに一つを剥がして放り投げたが、もう一つを剥がすのには苦労しているようだった。
「瞬間接着剤」
「簡単には剥がせないのか?」
もう一つが簡単に剥がせたのは、ポイントを失った比奈理さんの設置物だから。三神さんの設置物は指で簡単に剥がせるものではないようだ。
「うん。でも……」
設置物の光が弱まったのを見て、神奈木は再び手を伸ばす。今度は一つ目と同じように、簡単に剥がすことができていた。
「三神さんが離れたから、か」
「そうみたい。それに、さらさらしてる」
「細かいところにも、どんな技術を使ってるのやら」
俺は苦笑して、このゲームの主催者である古宮杜梓葉のことを思う。もし俺が最後までゲームに不参加を貫いていたら、この技術は俺を襲っていたのか。うん、勝てる気がしない。