「お兄ちゃーん! こんにちはー!」
大きく手を振って、遠くから呼びかける女の子。その名は林藤ネイリーン。
「私の夢の最初の礎にしてあげるー!」
「……どうする?」
「油断なく」
短い言葉で対応を決める。下手に言葉を交わして、俺がゲームに参加すると決めたことを悟られてはいけない。ネイリーンのあの様子からすると、まずは倒しやすい相手から倒すことにした、ということなのだろう。現れたのは一人だが、今回は神奈木がいるのに構わず声をかけてきた。彼女は既に、誰かと契りを結んでいる。そう考えるべきだろう。
魔法の呪文は耳で囁く必要があるから、接近を許さなければ回避できる。そもそも、俺は一度その攻撃を受けているのだから、回避しなくても攻撃は無効だ。
「ふっふっふ……」
怪しい笑い声を口にしながら、ネイリーンはこちらにやってくる。俺は油断なく彼女の顔を見つめて、しっかり目と目を合わせてみるが……ゆっくり近付く彼女の手帳端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響くことはなかった。
彼女は『視覚』の防御カードを持っているのだろうか。手帳端末を見ると、ネイリーンのポイントは5のまま。最初と言うからには、彼女にとってもこれが本格的な初めての戦い。
「くらえー、まきびしっ!」
近付いたネイリーンは、手帳から取り出した小さな何かを三つ投げつける。地面に転がった光る設置物は三角形を描き、ちょうど彼女と俺たちの間に転がった。
「まきびし?」
じゃあ踏まなければ大丈夫なのかと、一歩踏み出してみる。
「……ふむ」
俺に続くように、神奈木も前に歩き出した。設置物は踏まないように、ほんの少し後ろに離れたネイリーンを追いかけてみる。
「あー。お兄ちゃんが攻撃してるー! ふふん、でもそんなの効いてないもんね!」
余裕のネイリーンは手帳端末から、俺が『視覚』で攻撃を試みたことを確認したようだった。通用しなくても攻撃の条件を満たせば、追加されるカードリストに表示されるということか。
彼女がそうしている間に、俺たちは設置物の三角形を踏み越えて、ネイリーンの傍に到達する。おそらく無事に……と思っていたのだが。
「ふっふっふ……お兄ちゃんは今、越えてはいけない一線を踏み越えちゃったんだよ。ついでにそっちの恋人さんも!」
「なんだって?」
「そう……さてと」
訝しむ俺と対照的に、余裕の表情で端末を操作している神奈木。
「そろそろ十秒、かな?」
その言葉が終わる頃、手帳端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響いた。俺の手帳端末、一つからだけ。
「あれ?」
一つしか響かなかった音に、ネイリーンは首を傾げる。
「『設置』の攻撃カード1。対象に三つの設置物で囲まれた空間を通過させる。言っておくけど、私にそれは通じない」
「ふーん。お兄ちゃんには効いちゃったよ?」
「私には効いてない」
神奈木とネイリーンが見つめ合う。5秒が経過してもネイリーンは目を逸らすことなく、黙って神奈木を見続けていた。随分と余裕な二人だ。
先に視線を外した神奈木が、視線で俺に促す。何の合図かは、言葉がなくても理解する。
「ネイリーン。俺も見てくれ」
「やだ、お兄ちゃんってば。それは私には無駄だって……仕方ないなあ。最後に可愛い私の顔をじっくり見せてあげるよー」
可愛い笑顔のネイリーンと見つめ合う。少し気恥ずかしいが、これも『視覚』の条件だ。
そのままたっぷり十五秒。ネイリーンが視線を外して、俺も視線を外す。
「堪能した? ふふん、お兄ちゃんの『視線』は半減されるから、攻撃カード1ならいくらやっても私にはー……あれ。……んー、ああっ!」
余裕で端末を操作していたネイリーンだったが、あることに気付いて驚きの声をあげる。その声があがってから数秒後には、彼女の手帳端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響いた。
「むむむ……お兄ちゃん、いつの間に参加する気になったの? さっきもあっさりダメージを受けてくれたし、安全に削れると思ってたのにー」
「ついさっきな。主催者様には逆らえないんだ」
防御カードの効果は、あくまでも攻撃の威力の半減。そして攻撃カードの攻撃は、対象に一つの条件が満たされてから、十秒以内に別の条件を満たせば、同時として扱う。
つまり、俺の『視覚』で与えるダメージは1。神奈木の『視覚』で与えるダメージは1。足して2のダメージを半減しても、与えるダメージは1だ。無効化される1未満にはならない。
「もしかして、お兄ちゃんたちも契っちゃった?」
「恋人の契りではないけれど」
答えたのは神奈木だ。確かにそうだけど、迷わず否定されるとちょっと寂しい。
「ふーん。そっかー。じゃあ無理しなーい。三千花さーん! 思ったよりも手強いから一旦退却ー! またねー! 嵐雪お兄ちゃんに、神奈木お姉ちゃん!」
ネイリーンは大声でそう叫ぶと、軽く手を振ってから優雅な仕草で振り返った。軽い足取りで去っていく彼女の背中を、俺たちは黙って見つめる。
「舞鳥三千花。彼女と契ったのかな?」
「さあ? それより、私たちも退却。あなたのポイントはこれ以上減らせない」
攻撃カード2の不意討ちで受けるダメージは2。逆に言えば、ポイントが3以上残っていれば、不意討ちを受けても一度は耐えられる。
呼びかけられた三千花さんは、姿を見せない。ただ、おもむろに開いた手帳端末には、林藤ネイリーン、舞鳥三千花の二人が契り相手であることを、明確な記号で表示していた。俺と神奈木についているのと同じ記号で、その記号の後ろに契り相手の名前が続く。
今のところ、確認したプレイヤーの項目で、それが表示されているのは四人だけ。遭遇する前にネイリーンと三千花さんが契っていたとすると、二人が契り相手であると手帳端末の所持者が気付くことで、あるいは気付いたと推定される状況になることで、自動で更新されるらしい。現に、既に契っているという古宮杜梓葉の名前には、記号だけしか表示されていない。
「収穫はあった。次に遭遇する前に、戦略を立てないと」
「了解だ」
今回の戦いの目的は、多くのダメージを与えることではない。これからどうやってダメージを与えていくか、その方法を試すことだった。その目的は、最小限のダメージで果たされた。
エリア6からエリア4へと向かう船着き場を目指しながら、俺と神奈木は今後の戦い方について会話をする。6から4へは『橋』では直接移動できないため、『船』の方が早い。
「やっぱり、『視覚』による同時攻撃はかなり困難。見つめ合うという条件上、二人で同時に見つめても意味はない。十秒以内の判定は攻撃が成功した時点で判定されるから、猶予はたったの五秒。普通の状況では相手も誘導されない」
「ああ、でも俺のは変えても意味がなさそうだし」
「そうね」
攻撃カード1『言語』の条件は、対象に攻撃者に対して「可愛い」と言わせる。女の子ならまだしも、男の俺にその条件を満たせるタイミングは非常に限られるだろう。
「それでも使い道はあるけど……防御されたときなんかにね」
「そうだな。防御されても無効だったら、攻撃は成功したことにならない」
だからもう一度見つめることで、俺たちはネイリーンに攻撃できた。ネイリーンが俺の攻撃カード1は『視覚』であると知ったから、それが起きた。
情報は知られないことも重要だが、知られることもこの『封鎖の契り』においては、特に契りを結んで、契り・協力ルールを理解している者には、同じくらい重要だ。一つの攻撃カードを知っているからこそ、もう一つの攻撃カードが何かを警戒する。それを警戒して防御カードを変えれば、今度は最初に知られた攻撃カードが有効になる。
戦略ルームでの『カードの交換』こそが、おそらくこのゲームの肝だ。戦略を練るための部屋ではなく、戦略を実行するための部屋。それが『封鎖の契り』の戦略ルーム。
「にしても……」
「なんだ?」
「参加すると決めた途端、随分と前向きになったなあと」
「あー、そうだなー。でも、手は抜けないしな」
「梓葉さんと戦うときも、その調子でお願い」
「わかってるさ。むしろ彼女の前でこそ、一番手が抜けない」
そうして話しているうちに、船着き場に到着した。手を繋いで船に乗り、目指すはエリア4。俺が最初に目覚めたエリアに、船は相変わらず静かな駆動音で俺たちを運んでいった。
エリア4で出会ったのは、背の高い一人の女の子だった。見たことのない、初めて出会う女の子。彼女はこちらに振り向くと、俺を睨んでから、神奈木に優しい笑顔を向けた。
「初めてね。私は羽頭女涼香。このゲームを利用して、私はハーレムを作るの。私の大好きな女の子ばかりを集めた、百合ハーレム……男は消す」
「敵意満々ね」
「それも俺だけに、か」
神奈木は端末を操作して、小さく頷く。彼女の口にした名前に偽りはないようだ。
「唯一の仲間か?」
契り相手という意味ではなく、同じくハーレムと口にした彼の名前を出す。
「誰それ? 男? じゃあ敵に決まってるわ。男をみんな消して、それから私は女の子を襲うの。そしてみんな私のものに……誰だか知らないけど、ここに連れてきた女の子には感謝してるのよ」
「感謝?」
「そう。ここなら法律は無効。つまり、どんな襲い方をしても――捕まらない!」
危険人物だ。八方唯一とは、ハーレムの意味が違う。
「今はゲームのルールがあるから自重してるけど……ねえ、その主催者に会ったの? だったらまずはその娘から襲えば……教えて?」
「今の居場所は知らない」
「そう。だったら、今すぐ消す」
涼香は隙のない構えで、こちらに歩いてきた。敵対視されていない神奈木は端末を操作しながら、彼女の情報を伝えてくれる。
「羽頭女涼香の残りポイントは4。『視覚』で二つ削って、とどめはあなたの『接触』でいける?」
「無茶言うなよー」
彼女に『接触』の攻撃カード2でダメージを与えるなんて、男の俺には絶対に彼女が許してくれないだろう。襲いたがってる女の子ならともかく。
「ふん……私の目の前で仲良く会話なんて、やってくれるじゃない。殴るわよ?」
「殴るって……」
「金玉を全力でね。これはそのための構え。それから金玉蹴って、踏み潰して、その間にそっちの女の子を……ああ、ルールがなければ!」
「ルールがあって良かったね」
「本当にな」
彼女の目は本気だ。俺が『視覚』を狙って彼女の目を見つめても、彼女の視線は三秒に一度は俺の股間に動く。男の弱点、急所を常に狙い続ける危険な目。
距離を詰められても俺は動かない。彼女の攻撃カードと、防御カードがわからない以上、まずは様子を見る。特に気をつけなくてはいけないのは、彼女に仲間がいるかどうかだ。あの発言からすると、男と契るとは思えないし、女の子だって難しそうだが……。
「動かないの?」
「仲間がいるかもしれないからな」
「……へえ。私のことを『可愛い』って言ってくれたら、教えてもいいわよ? 男に言われるなんて全く嬉しくないけど、言いたいなら言うといいわ」
「『言語』の攻撃カード1か」
わけのわからない誘導ではない。何を目的とした誘導かは、すぐにわかった。
「……もしかして」
手帳端末を開きながら、涼香は神奈木の顔を見ながら口を開く。
「神奈木ちゃんの可愛い顔、私に見せて」
「お断りします。でも、見つめるだけなら」
「……え。じゃあこっち?」
俺は小さく肩をすくめる。涼香は一瞬だけそれを見てから、神奈木を見つめた。
「見つめるだけだなんて、神奈木ちゃん。私に言ってくれれば、もっともっと気持ちのいい世界を見せてあげるのに……ああ、今すぐ可愛い神奈木ちゃんを襲いたい! 襲わせなさい!」
誰に言ってるのかわからないが、とにかく二人は見つめ合っていた。五秒以上。
「涼香、だっけ」
「なに? 嵐雪」
「あ、名前覚えてるのか」
「ふん。敵の名前を覚えるのは当然でしょ?」
「いや、なんていうか」
俺が続きを言う前に、涼香の端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響いた。
「意外と油断が多いんだなって」
「本当ね。襲えないのがもどかしい。襲えたら、力尽くで……」
端末から受けたダメージを確認しながら、涼香は冷静に答える。
「はあ……こんなの、どうやって勝てばいいんだか。いっそルールを無視して……」
そのまま涼香は俺たちの間を横切って、神奈木に何かを囁いてから去っていった。一瞬警戒したが、囁いた言葉は短く、『聴覚』の攻撃ではないようだった。
「なんだったんだ?」
「今は襲わないであげる、と」
どうやら撤退したということらしい。敵意は見せていたが、戦意はさほどなかったらしい。
「追いかけるか?」
「うん。あなたが『接触』でとどめをさせるなら」
「よし、やめよう」
俺たちは追撃を諦めて、エリア4に他のプレイヤーがいないかを確かめることにした。羽頭女涼香の守りが甘いのは、女の子である神奈木に対して。俺に対しての警戒は強く、ここで急いで戦う必要はないだろう。長く戦えば、こちらもダメージを受ける可能性もある。
しばらく歩いても、エリア4には他に人物の姿はなかった。
「やっぱり、誰もいないか」
「やっぱり、とは?」
俺が何気なく口にした言葉に、神奈木がすかさず反応する。意外な反応に驚きつつも、俺は目が覚めてからの状況を簡単に説明する。
「私と出会うまで、ここでは誰とも出会わなかったと」
「ああ。すぐに船着き場を目指したから、このエリアはあんまり見てないんだ」
「なるほど。それだけなら……」
途中まで言いかけた言葉が気になったが、神奈木も今はこれ以上は続けられないと考えて、途中でやめたのだろう。何の話かはなんとなく推測はできる。
「残る二人のプレイヤーか」
「うん。せめて確認はしておきたい」
手帳端末を開いてみる。端末をタッチして、確認したプレイヤーの項目を表示。そこには十人の名前が表示されて、それぞれの現在のポイントも表示されていた。多くは5ポイントのままでほとんど減っていないが、俺を含めた幾人かのポイントは減っている。
契った相手の表示と違い、現在ポイントの表示はリアルタイム、あるいは定期的に更新されているようだ。つまり、一度確認さえすれば、そのプレイヤーの状況がある程度掴める。
ゲームのルールを考えると、狙われやすいのはポイントが極端に少ない者より、ポイントが多く残っている者。短時間で多くのダメージを与えるのが難しいため、最後まで5ポイントのプレイヤーが残っていると、そのプレイヤーが圧倒的に有利になってしまう。
それまでは、よほど積極的なプレイヤー以外は、状況を見ながら動くだろう。特に未確認のプレイヤーがいるなら、そのプレイヤーがポイント5のまま潜伏しているかもしれない。そう考えて激しい攻勢には出られない。
ということで、しばらく俺たちは待機することにした。戦略ルームで少し調整しながら、エリア4にもあった屋台の前で。軽く小腹を満たしながら。
「……で、こんなのを見つけた」
「単独ライブ……手書き?」
神奈木さんの提案で一時的に別行動をとって、俺たちはエリア4を探索していた。二人でいるから姿を隠している誰かがいれば、一人になることで警戒が解けるかもしれない。その期待は外れたが、代わりに見つけたのがこの一枚のチラシ。
「ああ」
『椋比奈理の単独ライブ!』
『みんな集めてエリア2で待ってるよ!』
そんな二言が手書きで書かれたチラシに、ギターを片手に弾いているような、比奈理さんを描いた簡単な絵が添えられている。
「罠だよな」
「罠ね。でも」
端末で確認した椋比奈理の現在ポイントは、一つ減って4ポイント。気になるのは『単独ライブ』という単語だ。最初に会ったときに、確か比奈理さんは仲間を探すと言っていた。
こんなチラシまで用意して、これはその仲間を探すための行動なのか、それとも既に見つけた仲間との共同作戦なのか。どちらにせよ、本当に演奏を聴かせるだけとは思えない。集まったプレイヤーを攻撃するための、罠であるのは間違いないだろう。
「未知のプレイヤーと出会える可能性は高い」
「行くのか?」
「うん。もし他に集まらなければ、彼女も動かないと思う」
「ふむ……それもそうかー」
この罠はほぼ間違いなく、多くのプレイヤーをまとめて狙うための罠。少数であれば効率が悪く、実行しない可能性も高い。神奈木の考えに俺は同意して、大きく頷いてみせた。
どこでチラシを用意したのかは、エリア4の探索で答えは見つかっている。建物の中をくまなく探せば、紙や筆記用具は見つかるのだ。チラシを作って各地に貼り付ける時間も、多くのプレイヤーが様子見をしている今なら十分にある。勝手に探してくれるから、各エリアの目立つところに数枚貼っておくだけで効果も抜群だ。
チラシに時間は書かれていない。『集まり次第、開催!』と書かれているだけだ。
ここからエリア2へは、『橋』を使えばすぐに移動できる。そしてそのエリアは、俺も神奈木も行ったことのないエリア。比奈理さんにどう対応するにせよ、エリアを確認するだけでも今後のゲーム進行には役立てられるだろう。
手を繋いで橋を渡り、エリア4からエリア2に入る。地図でいうとマップ中央の上部、丘より高い山の景色がそこには広がっていた。特に高い場所はマップ外で、川の向こうまで見通せる高さではないが、ここからならエリア3くらいはそこそこ見通せるだろう。
とはいえ、見通せる場所の近辺に身を隠せるような場所はない。適度に様子を見るくらいがせいぜいで、安全に監視するには適さないだろう。
「おお、君も来たか少年。それに神奈木ちゃん」
八の字が付く変態1号が現れた。相変わらず俺のことは少年である。
「君たちもチラシを見て来たんだろう? なら争いは無用と考えるが……どうかな?」
冷静に手帳端末を操作している神奈木を見て、八方唯一は笑顔を見せた。少し前に出会った変態2号と違って、こちらは安全な変態なので俺が敵視される心配はない。
「その1ダメージは誰に?」
「もちろん女の子に決まっているさ。ふ……嫉妬かな?」
俺も端末を操作して確認する。確かに唯一のポイントは4に減っていた。
「うん。少しあなたの端末に触らせて」
「ほう? ああ、好きにするといい」
唯一は迷わず開いた手帳端末を差し出す。神奈木はそっと近付いて、その端末に手を伸ばして触れた。指ではなく、指に持っていた彼女のタッチペンで。
「ありがとう」
「うむ。で、十秒待てばいいのか」
十秒後。
「……ふ」
そんな声が漏れたと同時に、唯一の端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響いた。
「なるほど。これが『端末』の攻撃というわけか」
カードリストを確認すると、情報が更新されていた。対象の端末に攻撃者の端末操作用の道具(タッチペン)で触れる。『端末』の攻撃カード1の条件だ。
「どう?」
「ああ、俺の方にも情報が記録された」
「そう」
「はは、君のカードを教わるだけでは不公平だな。俺の攻撃カードも教えてあげよう!」
俺たちの会話などまるで聞いていなかったように、唯一は声を張り上げた。どうやらこの流れを作るのが彼の目的だったらしい。
「女の子と裸で抱き合う! これが『接触』の攻撃2だ。さあ、いつでもいいぞ!」
「ごー、嵐雪」
「いや『ごー』って言われても。あー、唯一?」
両手を広げて構えていた彼の視線が、こちらに少しだけ向く。
「俺の攻撃カード2も『接触』なんだ」
「奇遇だな少年。良かったではないか。欲望を満たしつつ、ゲームに勝てる!」
「……そうだなー」
とりあえず同意しておく。唯一の言った条件は、ほぼ間違いない。性別は無関係であることと、『裸で』という余計な条件がついていないことを除けば。
「まあ、少しばかり誇張はさせてもらったが……抱き合うといえば、裸だろう? なあ少年」
「え、いや、それはちょっと同意したくない」
「ふ。もっと素直にならねば、彼女に愛想をつかされるぞ? もっとも、俺にとっては望むところだが……さて、そろそろ行くとしよう。いざ、美少女たちの群れに!」
それだけ言って唯一は、チラシに書かれたライブ会場へと駆けていった。
「嵐雪は着衣フェチ……記録できない」
「何を記録しようとしてるんだ」
「……性的嗜好?」
見上げるように見つめてくる神奈木に、俺は無言を貫いて逃げることにした。このゲームの戦い同様、不要な戦いは避けるに限る。
チラシに書かれた場所に到着する。エリア2の上部には広めのステージがあり、その上にはチラシの配り主である比奈理さんが立っていた。
観客席には既に幾人かのプレイヤーが集まっている。さっき会ったばかりの八方唯一に、離れたところには女の子を襲いたがっている羽頭女涼香。チラシの主が女の子だから、この二人が集まるのは予想通りだ。
他にいたのは、林藤ネイリーンと舞鳥三千花の契った二人。気付いたネイリーンがこちらに大きく手を振って、三千花さんは小さく動いて視線を向けるだけ。特に彼女の考えはよくわからないが、二人とも今すぐここで再戦する気はなさそうだ。
そのまましばらく待っていたが、俺たちが到着したのを最後に、他のプレイヤーが集まってくる様子はなかった。
手帳端末を開いてみる。ほとんどポイントの減っていない鞍馬勇馬、中原灸、さらに全くポイントの減っていない古宮杜梓葉の動向も気になるところだが、今は目の前の相手を気にするべきだ。ステージ上の比奈理さんも、俺と同じように手帳端末を操作していた。
「意外と集まったねー。みんなー! 私の演奏を聞かせてあげるー! 突然こんなゲームに巻き込まれたみんなに、私の元気をお届けするよー!」
マイクもなしに大声で叫ぶ比奈理さん。彼女の両手には、ケースから出されたギターが一本握られている。そこから伸びたコードは、アンプに繋がっているのだろうか。
「演奏に自信あるんだ」
「あるいは、マイクを使わないことに意味があるのか」
この状況で怪しむべきは、『聴覚』の攻撃カード2の条件。ネイリーンが呪文を囁いたように、何らかの言葉を肉声で伝える必要があるのか。それも複数の対象に。あるいは、『聴覚』を警戒させての、別の攻撃手段――相手に何らかの言葉を言わせる『言語』や、よく見える場所からの『視覚』を狙っている可能性もある。
「読めたか?」
「半分くらいは」
そもそも彼女の目的が攻撃なのかも、まだわかっていない。とりあえずは彼女の演奏を聴いてみることにしよう。少なくとも、カード『聴覚』攻撃2の条件が、楽器を使った演奏を聴かせるというものではないはずだ。そんな条件を満たせるのは、最初から楽器を持っていた椋比奈理ただ一人になってしまうのだから。
「じゃ、始めるよー! ワン、ツー、スリー!」
ジャーン! と弦を強く弾いて、比奈理さんは軽快な音楽を奏でていく。アコースティックギターから響く音は、軽快だがどこか落ち着いていて、低音のビートを伝えてくる。
音楽に詳しくなくても上手だとわかる技術。誰にでも伝わるような、美しく優しい音色。
「……ん?」
ただ何か、その音には違和感があった。そう。思えば最初から……ギターにしては、どこか主張が弱いというか、落ち着きすぎているというか。俺が知らないだけで、そういう音楽や演奏法もあるのだろうと思っていたが、この違和感は……。
「あ、これギターじゃないのか」
「アコースティックベース。今更気付いた?」
比奈理さんが演奏している楽器は、ギターではなかった。ギターソロではなく、ベースソロ。あまり聴いたことのないソロ演奏だが、それでもここまでの音楽を演出できるのは、彼女の技術やセンスの成せる業か。
「今更って……」
「私は会ったときから気付いてた」
「早いな」
演奏を聴きながら、出会ったときのことを思い出す。確かあのとき、俺は比奈理さんに「ギターの持ち込みも可なのか」と聞いた。それに対する答えは、「さあ? それは私にもわかんないなー」だった。その意味は、主催者の考えがわからないという意味ではなく……。
綺麗な音色を響かせ、俺たちの心を揺らし続けたベースの音が弱まり、消えていく。最後の方は思考に集中していてよく聴いていなかったが、いい音楽だった。
「ありがとー! 最後まで聴いてくれてありがとー!」
拍手の音は隣からも聞こえる。神奈木に、他には唯一や涼香、それから三千花さんも小さく手を叩いていた。ネイリーンは何かうずうずした様子で、ステージ上の比奈理さんを見つめていた。
「スリー、ツー、ワン! フィナーレ!」
演奏も終わり、拍手の音も小さくなって。叫ぶ声とともに、比奈理さんはベースを片手で高く持ち上げて、可愛らしくも格好いいポーズを決めた。
同時に、複数の端末から高く澄んだ鈴の音が鳴り響く。慌てて俺は端末を確認するが、ポイントは減っていない。ダメージを受けたのは……唯一とネイリーンが2ポイント、三千花さんが1ポイント。比奈理さんは当然として、神奈木や涼香もダメージは受けていない。
いつの間に攻撃を受けたのか。そもそもどんな攻撃だったのか。演奏を聴き終えることが条件かと思ったが、それならここにいた全員がダメージを受けているはずだ。
三千花さんだけダメージが少ないのは、おそらく防御カードを持っていたのだろう。三つの音が響いたのは同時。綺麗に同じタイミングで、別の攻撃カード1でダメージを受けたとは考えにくい。
「感動」
隣で神奈木が呟いた。彼女は開いた端末を見せて、その画面に表示されていたのは確認したカードリストから、一枚のカードの説明。『聴覚』の攻撃カード2。条件は、対象に攻撃者が音を聴かせて感動させる。
視線で促されて、俺の端末にも同じ情報を入力してみる。『聴覚』、感動、音……正確な情報として、入力はすぐに記録された。
「何とか予想は合ってたみたい。それに」
「ありがとな」
「あなたがダメージを受けて、困るのは私だから」
あのタイミングで神奈木に言葉をかけられなかったら、俺もダメージを受けていた。「私は会ったときから気付いてた」。あの言葉がなければ、俺は会ったときのことを思い出さず、考えることもなく、ただベースの音に聴き惚れていただろう。
危ないとわかっていても、ほんの少し油断すると聴き惚れてしまうほどの魅力。それが比奈理さんの演奏にはあった。
「三つかー。うーん、もう一人いけると思ってたんだけど……ま、いっか!」
比奈理さんは手帳端末を開くまでもなく、端末からの音だけで効果の確認を終えていた。ギターケース――ベースケースに愛用のベースをしまうと、ステージの裏を抜けてどこかに姿を消してしまった。とはいえ、その気になれば追いかけることも可能だろう。
だが、この場にいるのは合計七人のプレイヤー。消えようとする相手を見つけるより、まずは残ったプレイヤーの動きを把握するのが先決だ。