「……遅かったね。寄り道をしていたわけじゃないのね?」
「船の速度は上げられないんでね」
合流場所に先に着いていたのは神奈木さんだった。
「なるほど。船は離れたエリアへの移動もできるようだけど、時間はかかると」
納得した様子の神奈木さん。最初から彼女に不満の色はなく、疑問の色があっただけ。これだけ一緒にいるのだから、彼女には結構信頼されているのだろう。参加する気がない俺への信頼なんて、ゲームには役に立たない信頼、なのだけど。
合流した場所から俺たちは歩いて、食事を提供する場所を見つけた。そこにはいくつかの座席と、ハンバーガーの並ぶ屋台、そして一人の少年が座席に座っていた。
「……ああ、また誰か来ちゃったか」
少年は顔を上げて視線をこちらに向けると、屋台を視線で示す。
「僕は君たちと戦う気はない。食事が目当てなら、邪魔はしないよ。だから僕にも関わらないでほしい……大鎌嵐雪さんに、板前神奈木さん」
彼はずっと手帳端末を片手に、タッチペンで何かの操作をしていた。そのうちの一つに、俺たちの名前の確認もあったらしい。
「鞍馬勇馬。確かに、ダメージを受けた記録はない」
神奈木さんに倣って、確認したプレイヤーを見る。そこにはプレイヤーの名前に、確認した所持カードリスト、それから残りのポイント数がゲージで表示されている。彼女の言う通り、鞍馬勇馬という少年のゲージは5のままだった。
「戦う気はない、って?」
「見ての通り、僕はこういう体だ。体力があるように見えるかい?」
俺と神奈木さんは顔を見合わせて、同時に首を横に振る。勇馬の年齢は俺達とさほど変わらないように見えるが、その体は俺よりも、神奈木さんよりも華奢に見える。
「僕も一人のゲーマーだ。ゲームは好きだけど、こういう体感型のゲームは専門外だよ」
「じゃあ、参加する気はないのか?」
もしかしたらと思い、俺は希望を持って尋ねてみる。
「そうだね、今のところは積極的に参加する気はない。でも、もし勝てそうなら参加してもいいと思っているよ。例えば、僕がここでじっとしている間に、潰し合ってくれてあまり動かずに決着が付けられるなら、ね」
「ゲーム自体に参加する気はある、のか」
「ああ。どうやら君は違うみたいだね。でも安心してくれ。言った通り、今は様子見だ。僕から攻撃することはないし、騙す気もない。何なら、君たちが食事をする間、端末を預けてもいい。君たちに別の端末を操作することはできないけど……」
「そうね、では預からせて」
神奈木さんが即答した。彼女が近付くと、勇馬は自分の端末を彼女に手渡す。
「うん。食事が終わったら、返してくれるかい?」
端末を操作できるのは所持する本人だけ。基本ルールにも書かれていて、待機中に神奈木さんは俺の端末を借りて試していた。そして、手帳端末を所持していなければ、攻撃カードの攻撃は全て無効になる。
これで食事中の不意討ちはない。俺は気にしなかったが、神奈木さんは気にするだろう。
離れた席でハンバーガーをゆっくりと食べて、ナプキンで口を拭きながら、神奈木さんは俺に勇馬の手帳端末を渡した。どうやら俺に返せということらしい。
「ありがとう。ま、君たちの関係は知らないけど……君に一つだけ忠告するよ」
「俺に?」
勇馬は俺の顔をまっすぐに見て、目を見つめながら口を開く。視線を逸らしたいのだが、どうにも視線を逸らしにくい雰囲気で困ってしまう。
「君がゲームに参加しないのは自由だ。僕から……」
「あたっ」
後頭部に硬く丸められた紙の包みが当たって、俺は思わず声をあげる。いたずらっぽい笑みを浮かべる神奈木さんに恨みがましい視線を向けながら、心の中で感謝する。危うく五秒が経過してしまうところだった。
呆れた顔で俺を見つめる勇馬を横目に、神奈木さんも視界に入れながら続きを待つ。
「……僕からは何も言わない。でも、ここまでした主催者は甘くないよ。ゲームに参加しない者は、ゲームのルールから外れた方法で排除される。そう覚えておいた方がいい」
「ルールから外れた、方法で……。勇馬、君は主催者に会ったのか?」
「いいや。僕ならそうするって話さ。言っただろ、僕はゲーマーだって。クリエイターの気持ちも少しはわかるつもりだよ」
「ありがとう。覚えておくよ」
俺は彼の方を見て感謝の気持ちを伝えると、踵を返して神奈木さんの所に戻っていった。
彼が現れたのは、食事を終えた俺たちが戦略ルームを目指していたときだった。ハンバーガーと一緒にドリンクも飲んだ俺には、戦略ルームに入るのを我慢することはできなかった。
「っと、二対一か。俺は中原灸。目指すはヒーロー、だが、無謀な戦いはしない」
鍛えられた体の大男……といっても顔は若く、声も若い。鍛えた部活少年より、さらに鍛えた凄い少年、といった印象の彼は、出会うなりすぐに自己紹介をした。
「ええ。二対一ね。あなたが不利」
いや俺は参加する気がないからカウントに入れられても、という言葉は視線で制された。ついでに足も踏まれそうになったので、俺は表情にも出さないように合わせる。
「そうだ。だから今は逃げることにする。特撮ヒーローだって、最初は負けてリベンジするものだろう? そういうわけで、駆け抜ける!」
「え? あ」
逃げるといった灸は、俺たちを迂回して真横を駆け抜けていった。かなりの走力で、速度では追いつけないし、持久力でもおそらく追いつけないだろう。
「このゲームは格闘による戦いは禁止されているけど、あの脚は厄介ね。二対一で避けられて良かった」
「人数だけの二対一だけどな」
それでも、二対一は二人側が有利である。攻撃1で与えるダメージは1、攻撃2で与えるダメージは2。失うと負けるポイントは5。そして同じ対象に同じ攻撃者の同じカードによる攻撃は、一度しか効果を発揮しない。一人は二人を絶対に倒せず、二人は一人を倒せる。防御カードを持っていても、大きく削られては以降の戦いで不利になる。
「契りを結んでいれば、戦えた」
彼女の言葉にはゆっくりと首を横に振って、俺たちは再び戦略ルームを目指して歩く。
戦略ルームから出た俺が見たのは、三人の人間が言葉を交わす光景だった。
「可愛い女の子が二人。俺は八方唯一。二人とも、俺が守ってあげよう」
二人の女の子に声をかけているのは、真面目そうな顔だけど軽薄な声の男。
「ごめんなさい。私には既に決めた相手がいるので」
神奈木さんは俺の方に視線を向けて、明確に拒絶の言葉を返していた。
「うむ。そうか、じゃあ君が俺に惚れるその日まで、俺は待っていよう」
しつこく食い下がるかと思いきや、八方唯一――一応端末で確認した――という少年はあっさり引き下がった。どうやらゲームとは無関係に、ナンパしているだけらしい。
「君はどうかな?」
「私は空が飛びたい。……空、飛べる?」
その声と視線は、俺や神奈木さんにも向けられていた。あいにく俺も神奈木さんも空は飛べないので首を横に振るが、唯一は笑顔で頷いた。
「俺の移動カードは『空』だ。君を空に連れていってあげよう」
「……あなたとは、何となくいや。空……空を、飛ぶの……」
不思議な雰囲気を纏った少女は、やんわりと拒絶してどこかへ去っていった。
「ふ。振られたか。まあいい、そこの少年!」
「え? はい」
「ああ、少年といってもあまり年は離れていないと思うが……宣戦布告だ。俺はこのゲームに勝ち、女の子を惚れさせて、ハーレムを作る! そのために、男に容赦はしないぞ! だが、彼女の愛する君を、目の前で傷つける真似はしたくない。よって、今は見逃してやろう。さらばだ、名も知らぬ少年よ! それから、板前神奈木ちゃん」
顔はいいのに性格がだめそうな唯一は、不思議な少女とは別の方向に駆けていった。あっちの方向には、勇馬や灸しかいないと思うが……別に言わなくてもいいだろう。
「なんだったんだ、あれ」
「舞鳥三千花、という名前のようね」
俺に宣戦布告してきた男の方は無視して、神奈木さんはもう一人の少女の名を告げた。
「彼がやってくる前に、少しだけ話していた」
「ああ。そのときに名前を」
「端末で確認したのは今だけど……情報は以上」
「空が飛びたい、か」
空を飛ぶことに憧れる人間は、今の時代にも少なくない。とはいえ、彼女ほどはっきりと言葉にして、おそらくは本気で空を飛ぶことを目指している人間は少ないだろう。
「移動カードの一つは『空』。多分、いくつか見かけたスロープ」
「だろうなー」
空を駆けるように、橋より高い場所に伸びたスロープ。目立つものだから何度も目にすれば、あれが移動手段の一つだということはわかる。わからなかったのは、移動カード『空』という名称だけだ。他に見かけた移動手段らしきものもわかっていないが、推測はできている。
「で、最後が『穴』か?」
「多分」
見かけたのはトンネル。それを一文字で表す単語は、やはり『穴』しかないだろう。そして他には移動手段らしきものは見当たらなかったから、この四種類が移動カードの全てだ。
「参加はしなくても、ちゃんと推理はしてるんだ」
「そりゃな。どこに脱出へのヒントがあるかわからないんだ」
「見つかった?」
「……全然」
俺は小さく肩をすくめて、事実を口にする。方法どころかヒントも見つからない。脱出する手段も、ゲームの参加を拒否する手段も、見つかっていない。
「けど、マップは広い」
「そうね。なら、マップの外を目指してみる?」
「外? いいのか?」
優しい声で、優しい笑みで言葉にされた提案に、俺は耳を疑う。
「神奈木さんはゲームに参加するんだろ」
「うん。だからこそ、あなたと契りたい。それにはやっぱり、あなたを諦めさせることが必要だと思ったの。脱出する手段はない、それを強く自覚させることで」
「もし見つかったらどうする?」
神奈木さんは微笑むだけで、その質問には答えなかった。
「もし見つかったらどうする、だっけ?」
「……はあ」
大げさにため息をつく。エリア5の川沿いに下り、マップの端に辿り着いた俺たちを待っていたのは、大きな堀だった。とても深くて、長くて、とても生身では突破できない堀が、マップの外への脱出を阻んでいた。
「凄いお堀ね。道具があっても難しそう。空、飛べないよね?」
「嬉しそうにしてるけど、ゲームには参加しないからな」
「まだ不足……」
俺がそれだけははっきり言うと、神奈木さんのテンションはすぐに下がった。だが言葉からも表情からも、諦めた様子は欠片も伝わってこない。
「主催者を探せば、さすがに満足?」
「それも手伝ってくれるのか?」
「そのつもりだったけど……手伝うまでもないみたい」
微かな笑みを浮かべた神奈木さんの視線の先には、一人の女の子。空に浮かぶ機械のようなものを引き連れて、こちらへやってくる姿が見えた。
お嬢様のような、華美な装飾に彩られた服装。引き連れている機械のようなものには、少女の上半身と同じくらいの大きさ。プロペラは見当たらず、小さな翼と、よくわからない動力で浮かんでいる。二度乗った船と同じで、近づいても動力音は聞こえない。
「こんにちは。大鎌嵐雪さん、あなたにお話があります。こちらへ」
女の子の声。手帳端末から聞こえてきた声と、同じ声だと思う。
「行ってらっしゃい」
「素っ気ないな」
「今すぐ契ってくれるなら、引き止めてあげる」
隣からかけられた声に軽く答えると、同じく軽い答えが返ってくる。
ゆっくり移動を始めていた女の子と機械が、足を止めてこちらを振り向く。神奈木さんに小さく手を振ると、俺は足を早めてその主催者と思しき女の子を追いかけた。
「さて、あなたはどうしてもゲームに参加する気はないようですね」
少し移動した場所。そこには俺と、彼女と、彼女の連れる機械が一体。
「ああ。君が、主催者――誘拐した犯人か?」
率直に言葉を投げかける。
「誘拐された、とあなたが証言しなければ、誘拐にはなりません」
証拠もない。証言させるつもりもない。彼女は短い言葉でそれを告げた。
「古宮杜梓葉。こちらはラークです」
「ハイ! ラーク・イズ・ビューティフルガール!」
視線で示された機械――ラークというそれが、女の子の声で喋った。
「美少女?」
「イエス! ラーク・イズ・ビューティフルガール!」
変な機械だが、今は機械よりも生身の人間の相手をしなければ。俺が視線を移すと、古宮杜梓葉は楽しそうに笑っていた。
「凄いでしょう? 私の開発したものです」
「警備ロボット、ってところか?」
「そんなところです。古宮杜の警備システム……聞いたことはありますか?」
「俺の知ってる古宮杜なら、名前くらいはな。革新的な警備システムで、世界各国の要人を完璧に守る、だったかな?」
「はい。その古宮杜です」
「古宮杜家の財産で、こんなことをしたってわけか」
「あら。誤解があるようですね。確かに私は古宮杜に生まれ、古宮杜家は資産を持っていました。幼い頃に小さな金鉱を発見した偶然が起きたのも、それだけの場所に連れてくださった両親のおかげです。その資産を元に私は警備システムを構築したので……元を辿れば、確かにそうであるとも言えますが」
古宮杜梓葉は周囲をぐるりと見回して、言葉を続けた。
「この土地を手に入れ、これだけの準備をしたのは、全てこの古宮杜梓葉個人の資産によるものです。もちろん、勝者に与えられる権利も同じです」
「それだけの才能があって、なんでこんなことを」
「したいと思ったから。それ以外に理由は必要ですか?」
屈託のない笑みを浮かべる梓葉。彼女はただ彼女の本能のままに動いて、今回の事を起こしたのだろう。倫理とか、理性とか、そういうのとは無関係の、とても純粋な動機。
「だからって、ゲームに強制参加させるのはどうかと思うな。無作為に選んだ人間を戦わせて、楽しむなんて」
「無作為だなんて、とんでもない。私は作為を持って、みなさんを集めたのですよ。このゲームに参加できるだけの知力、体力、気力、その全て、あるいはそのどれかを持っていると判断した人間を。そうでなければ、私が楽しむには値しません」
「参加する意志は?」
「ご褒美があれば大丈夫、と思っていたのですが……」
梓葉はじっと俺の顔と体を眺める。例外がここに一人いた、という意味の視線。
「お金じゃ叶えられない願いもたくさんあるだろ」
「否定はしません。でも、あなたが思っている以上にお金で――いえ、この古宮杜梓葉に叶えられる願いは多いのですよ」
「じゃあ、女の子がほしいって言ったら? その心も、体も、俺に捧げてくれるような美少女がほしい」
「美少女ならここに一人。私の全てを捧げましょう。それから、私の信頼できる親友や、部下もいますから……美少年であっても、限度はありますが集められます。無論、このゲームを始める前に、その覚悟は決めてもらっていますから、簡単ですよ」
「……じゃあ、世界の支配者になりたい」
「我が古宮杜梓葉の警備システムの全容を知っているのは、この梓葉ただ一人。あらゆる要人を警護できるシステムを逆用すれば、簡単ですね」
「う……それじゃあ、他には……」
無茶な願いを二つも口にしたのに、二つとも叶える手段はあるという。その根拠も正しく、否定するのは難しい。
「どうですか? 考えは変わりました?」
「いや。願いが叶えられたとしても、参加しなきゃいけない理由はない」
けれど、無茶と思える願いが叶えられるからといって、問題はそこじゃない。
「ふう……では、あなたはこの場から排除されてもよろしいと?」
「それは、参加しなければ殺すってことか?」
オブラートに包んだような彼女の言葉から、オブラートを剥がして抜き出してみる。そうしたつもりだったが、彼女は最初からオブラートになど包んでなかった。
「殺すなどもったいない。あなたには一生、私の下僕になっていただきます。どうせ逃げられたら私は困ってしまうのです。それなら人体実験の素材を一つ手に入れた方が……」
さらりと怖い発言をした梓葉だが、冗談で言っているようには聞こえない。
「脅迫か。でも、このゲームに負けたらどうせ同じなんだろ?」
だったら参加する必要はないじゃないか。そう思っていたが、ここでも彼女は俺の予想を超える答えを返してきた。
「いえいえ、ゲームに参加してくださるのなら、後の一生はこの私が保証します。勝者に与える権利ほどのものではありませんが、古宮杜梓葉の下で好きなように才能を発揮していただけますわ。普通に暮らしていては決して得られない、幸せな生活を約束します」
「冗談みたいな待遇だな」
「解放すれば私を誘拐犯として告発するかもしれない。そう考えれば、妥当な待遇ですよ」
確かに、その通りだ。ここはどの国にも属さない土地。証拠もないなら、俺たちが証言しなければ誘拐の事実は消える。そのために、それくらいはしてもおかしくない。
「……わかった」
「参加、していただけるのですね?」
「ああ。それが一番良さそうだからな」
自力で脱出することはできない。参加せずに排除されたら、何をされるかわからない。それなら勝っても負けても、参加するという選択が一番だ。
「これで『封鎖の契り』に参加する、十二人全員の意志が固まりました。人数が減ると楽しみが減ってしまうので、助かりましたよ」
「十二人、なのか」
参加すると決めた以上、ゲームに関する情報にはより敏感にならなくては。幸い、主催者が目の前にいるのだ。聞き出せる情報は聞いておこう。
「はい。ちなみに、私もその一人です」
「……ちょっと待て」
「はい?」
「それ、卑怯じゃないのか? このゲームを考案したのも、梓葉。君なんだろ? それに梓葉だけは、俺たちを監視することもできる」
俺の質問に、梓葉はくすくすと笑いながら答えた。
「ですから、みなさんが理解するまで動かずにいたのですよ。みなさんを監視していたのも、参加する意志を確認するため。今はあなただけですわ。そしてその必要も、もうなくなりました。無論、この場で攻撃を仕掛けることもしません。契っていないあなたを、契っている私が攻撃するなど……」
「そうか。ところで、君が勝ったら?」
「ゲームの質、次第ですね」
これが最後とばかりに、梓葉はラークに指示を出して後ろを向かせる。どっちが前でどっちが後ろなのかわかりにくいが、半回転したから多分前後はあるのだろう。
梓葉が納得のいかないゲームであれば、俺たちはどうなるかわからない。つまり、このゲームには本気で臨む必要があるということだ。気が進むとか、進まないとか、もうそんなことは考えていられない。俺にとってより理想的な未来を掴むために、動くしかないんだから。
「というわけだ。契ろう」
戻った俺は経緯を簡単に説明して、神奈木さんにそう言った。
「ようやくね。契る前に尋ねさせて、最後に私と一対一になったら?」
「君の願い次第だな」
「それは秘密」
「じゃあ、そのときになったら考える」
「では、契りを」
先に俺が出していたコードに、神奈木さんのコードが繋がる。端末の画面には契りを結ぶ相手の名前、板前神奈木の名が表示される。タッチペンで画面に触れると、名前が消えて画面が僅かに変化した。
元に戻ったような端末画面には新たな情報が二つ。契った相手の名前が、左上に追加で表示されていた。それからもう一つ、基本ルールが勝手に開かれて、新たな項目が追加されて見えていた。
「契りの詳細か」
「そのようね」
周囲の安全を確認しつつ、ルールに目を通す。契ることで可能になったことは三つ。
一つは手を繋ぐことで、契り相手の移動カードで移動できること。
一つは二種類目の攻撃カード1、攻撃カード2、防御カードが使用可能になったこと。手帳端末の右、カードが入っているところについている鍵は契った瞬間に外れた。抜き差しは戦略ルーム内に限られ、これが『カードの交換』の意味するところらしい。
最後は契り相手が攻撃を受けるなどして、確認した情報は自動で記録されること。一緒に行動している間はさほど役に立たないが、別行動の際は役に立ちそうだ。
試しに二種類目のカードを確認しようと思ったが、抜こうとすると繊維が絡みついて動かない。さらに力を入れると指に絡みつき締めつけが痛い。どうやらこの特殊な繊維が戦略ルーム外での抜き差しを封じているらしい。
「変更は急がなくてもいい。まずは、このカードで攻撃を与えてから」
「あるいは、今のカードじゃ防御されると予想できたら、か」
攻撃手段は増えたが、一度に使える攻撃手段の数は変わらない。戦略ルームの利用に制限があることを考えると、無闇に抜き差しして入れ替えるべきじゃないだろう。
「ちなみに私のカードは教えない」
「俺のは教えてもいいけど……今ので困らないか?」
「はい。特に、『視覚』の攻撃カード1は使いやすそうなので、しばらくは。次に戦略ルームを見つけて、余裕があれば確認する。本格的な戦いが始まる前に」
「待機の方針は変わらないか?」
「今のところは」
こうして俺たちの行動方針は決まった。もっとも、神奈木さんは最初からそのつもりだったのかもしれないが……俺としては、参加すると決めたこと自体が大きな変化である。
「でも、少しだけ移動はする」
「ああ、どこに?」
「まずはエリア6。それからは他の動き次第。急ぐ必要がなければ、確認を優先。危険が少ないうちに使えるカードは確認しておきたい」
自分で確認するかのように、いや実際にその意味も半分はあるのだろう。神奈木さんは淡々と目的を口にして、俺に手を伸ばした。
「橋で移動する」
「その確認も含めて、ってことか」
ルールに不備はないと思うが、念のためである。俺と神奈木さんは手を繋いで、神奈木さんの持つ『橋』の移動カードでエリア5からエリア6へと移動することにした。
船からも見えていた橋は渡ってみると見た目以上に立派で、非常に高い手すりを乗り越えて降りることはできないだろう。実際にやるかどうかはともかく、橋から飛び降りて速度の遅い船に乗り込むような芸当は、魔法で空にでも浮かばない限り無理だ。
出会った中では、あのラークとかいう警備ロボットらしい機械になら、可能だろうか。
それからしばらく、俺たちは他のプレイヤーと接触することはなかった。既に攻撃を始めている者がいるのは、ネイリーンで確認済みだが、やはり今は契りを結ぶことを優先しているのだろう。大事な要素と最初から告げられて、基本ルールにも詳細が書かれていない契り。予想外の大ダメージを受ける可能性があるのだから、当然だ。
そしてそれだけの時間があれば、戦略ルームでカードを確認する余裕もある。一時間に一度の五分以内の利用であったが、一度目にすれば確認したカードリストに情報は記録される。
「移動カードは四種十二枚、攻撃カードは十六種四十八枚、防御カードは八種十六枚。ルールと人数を考えると、これは間違いなさそう」
「そうなのか。じゃあ信じよう」
俺のカードは全て彼女に伝えたが、神奈木さんのカードで俺が知るのは二枚だけ。移動カードの『橋』と、奇しくも俺と同じだったという攻撃カード1の『視覚』。それ以外の情報は知らないので、俺の知る情報だけではそこまでの判断はできなかった。
「はい。攻撃及び防御の種類は、確認済みが『言語』『視覚』『聴覚』『接触』『追跡』『設置』『端末』の七種類。攻撃の場合、攻撃1と攻撃2に同じものが存在する。順番は確認したカードリストに記載されている順番をそのまま。移動は『空』『橋』『船』を確認済み」
「ふむ……って、ことは」
戦略ルームで確認した俺のカード。攻撃カードは攻撃1が『視覚』『言語』、攻撃2が『接触』『端末』だから、神奈木さんは少なくともそのどれかの攻撃2か攻撃1を一枚は持っていることになるのか。
「ああ、ネイリーンさんの『聴覚』もお忘れなく」
「鋭いな」
「いえ、推測くらいはすると読んでいて、準備していただけ」
「してなかったら?」
「学んでもらうつもりだった。このゲーム、相手のカードを予測することが大事なのは、当然あなたもわかっている。残り二人になるまで味方とはいえ、いえ、味方だからこそ安全に練習すべき」
「そうか。ちなみに答えは?」
「そのうちのどれか、という推理は正解」
小さく笑って神奈木さんは答えた。必要以上の情報は明かさない、言葉通りだ。全く同じカードである『視覚』の攻撃1に関しては、共有することに意味があるとのこと。その理由は口にしなかったが、同じ攻撃手段を二人が持っているというのが、攻撃において有利であるのは理解できる。例えば、片方しか持っていないと思わせて、不意討ちでもすれば確実に1ダメージは狙えるし、他にも色々と有効に扱えるだろう。特に、攻撃1であれば。
「移動カードの四種類目はともかく、攻撃カードの残りの一種類は要注意か?」
「他にも、未確認のカードは全て警戒ね。同じ『聴覚』だからといって、囁く呪文が長くなる程度の条件ではないのは、攻撃2の条件を見れば明白」
「『追跡』なんてのもあるくらいだし、接触していなくても攻撃を受ける可能性もあるんだよな?」
俺の防御カードは『言語』『追跡』の二種類。戦略ルームで見つけたときは驚いたが、その情報を伝えても神奈木さんは冷静だった。
「うん。気をつけてね。ある程度はフォローするけど」
情報は教えなくとも、味方であるなら助けはする。しかしそれももちろん、彼女まで巻き添えとなって大きなダメージを受けない場合と、そして神奈木さんに予測できる範囲の攻撃に限られる。
「わかった。頼りすぎないように、な」
自分より情報を知っているといっても、この『封鎖の契り』は情報だけで勝負が決まるほど簡単ではない。存在するカードの情報量が全てなら、どうやっても俺たちは梓葉には勝てなくなってしまうだろう。
無論、未知の間に不意討ちでダメージを与えて倒してしまうのが最良であるのだが、それにしてもそれが通じない相手は一人、ゲームが長引けばもっと増えるだろう。
「上出来。それと、安心して。最後の二人になるためであっても、決して私はあなたを捨て駒には使わない。必ずあなたと二人で、嵐雪と一緒に生き残る」
神奈木さんは俺の目をまっすぐに見て、俺の名前を呼んだ。出会ったときのような確認ではなく、それはきっと、仲間としての信頼の証。
「わかった。頼むよ、神奈木」
だから俺も信頼に応えようと、少しの勇気を持って呼び捨てにした。
「……うん」
少しの間を置いて、神奈木は目を逸らす。見つめ合っていた時間は四秒と少し。五秒間見つめ合えば、俺たちは互いの攻撃カードで互いを傷付け合ってしまう。今のは、それを避けるための行動。照れたわけでも、照れ隠しでもない、と思っておこう。