北は凍えて四季の花

第十章 擬人の鼓動は時を想いて


 北凍市立雪羊自然高等学校。北凍市の南部地域と東部地域の中間にある自然のあれこれを学べる高校は、他の北凍市内のどの高校よりもずっと広い敷地に建っている。

 陸道四伝は地図を片手にやってきたが、広い敷地のどこから入るべきか迷って立ち止まる。校舎には正門もある。だが、周囲に広がる草原のような敷地には明確な入口はない。いくらか柵が設けられている場所もあるが、どれも低いもので乗り越えようと思えば乗り越えられる高さだ。

 高山地帯と高原地帯の中間、開けた土地に広がる高原と山のいくつかが雪羊高校の敷地で、それがあるゆえに自然のあれこれを学ぶには最適の学校。

 今日は休日。部活動の生徒や、一部の教員、用務員や警備員はいるだろうが、きっと人は多くない。アルベガに呼ばれたのだから正面から入っても良さそうなものだが、その正面までが遠いとどうしても迷ってしまう。

 アルベガはイリスを呼んだ。稲穂のイリスを呼んだ。到着した時点で、既に何かが始まっているかもしれない。警戒は強めるべきだ。

「お兄ちゃん、そっちはどう?」

「周囲に人はいない。他は?」

 フラグメント・ウェポンから骨を伝って聞こえてくる声。四季花の確認に、四伝は答える。

「校舎の裏側にも人はいないよ」

「側面、北西の山側も同様だ」

「少なくとも、ここに罠はないと見て良さそう……かな?」

 通信で繋がっている稲穂と小麦が答えて、誰かに確認するような四季花の声が聞こえてくる。四季花は一人ではないから、実際に傍にいる人に確認しているのかもしれないが、声だけの四伝たちには見えない。

「南東側にも人はいない。当然、擬人もいない」

「問題はないでしょうね」

 四季花の傍にいる人――一文字珊瑚と炭石涼乃が確認に答える。四伝たちは北部地域へ向かう前に、『タギ』の中立と白の先輩二人にも声をかけていた。

 それから、北部地域に到着して小麦に連絡し、地下鉄と山沿いに走る市電を経由して雪羊高校へと向かう。平日ならバスも走っているが、休日の今日はこの時間に走るバスはない。高校に通う学生のための運行なのだから、当然だ。

 地下鉄の駅は東部地域まで、市電は東部地域から雪羊高校のある高原地帯まで。そこからは徒歩になったが、牧場の広がる高原地帯は空気も良く、視界も開けていて歩きやすい。

「珊瑚さんと涼乃先輩は問題ないって。お兄ちゃん、稲穂ちゃん、小麦くん、同時に」

 四季花の指示で、四伝たちは動き出す。ここから校舎の周辺で合流することになるのか、校舎にも三方から入るのかは、近付いてみての判断だ。

「ほう……なかなかの指揮だな。相手が擬人なら、俺も動きたいが……他地域の『タギ』の人間なら見守るしかないな。退屈なもんだぜ」

 その様子を近くで見ていた火山天岩が、肩をすくめてから軽く拳を握って空気を素早くパンチする。

「それでも、よく来たわね?」

 涼乃が開いた扇を左手に、高原の風を自らに扇ぎながら言う。北部地域で小麦を呼んだ際、一緒にいた天岩にも声がかけられた。声をかけるまでは想定していたが、涼乃の予想では天岩は来ないものだと思っていた。

「相手が『タギ』の人間と決まったわけじゃないからな。そりゃ、行くだろうよ。もし擬人であればそいつは……スプリングやサマーじゃねえ」

「オータム。あるいは、ウィンターだね」

 天岩の言葉を珊瑚が引き継ぐと、彼は笑顔で大きく頷いた。

「だったら、邪魔はしないが見逃さない。そういうこった」

「何か、個人的な恨みでもあるのかしら?」

 涼乃の疑問に、天岩は小さく肩をすくめる。

「さあ……あるかもしれないし、ないかもしれない。逃がしたオータムは一体じゃない。だが、擬人であるなら、それだけで恨みの対象になるぜ」

 天岩は軽く答える。四季花はそのことが少し気になったが、今は聞く時間じゃないとイリスの指揮に集中する。

 珊瑚、涼乃、天岩の三人は邪魔はしない。ただ、通信役である四季花に危険が及ばないように、周囲を警戒して守っているだけだ。相手が誰であれ、相手の目的が何であれ、これだけの行為を邪魔と判断することはないだろう。

 もし判断されたとしても、ここにいるのは三人もの『タギ』の人間。四季花に戦闘能力がなくとも、守れるだけの戦力は揃っている。

「校舎まで無事なら、私たちも移動します。退屈だと思いますけど、火山先輩」

「おっと、気にするな。あいつらを見守るのも先輩の役目だからな。特に小麦は、イリスが生まれる前は黒として一緒だったんだ。あいつの仇は、討ってやらなくちゃな」

「あたしは、仇になる前に動くつもりだけどね。守りは涼乃先輩がいればいいだろうし、あたしは中立なんだ。相手が『タギ』の人間でも、動くだけの理由はあるさ」

 天岩と珊瑚が考えを口にする中、涼乃だけは微笑んだまま何も言わなかった。彼女の視線はまっすぐに雪羊高校の校舎を捉えて、黙って観察を続けるのみである。

 アルベガは雪羊高校の校舎の屋上で、やってくるイリスの四人を望遠鏡で眺めていた。

「わあ……大集結じゃないか。けど、動く様子はないみたいだし、あちらは放っておこう」

 屋上に置かれた望遠鏡は地面に設置するものだが、アルベガは軽く扱って見たい場所に持っていく。相当丈夫な様子の望遠鏡は、ほんのりと淡い光を放っていた。

「ボクのところまで、早く来てほしいな。障害はないんだけど……警戒、するよね」

 アルベガは苦笑する。雪羊高校は彼女にとっては慣れた高校だが、稲穂たちにはおそらく初めての場所。もし屋上で待つと言ったとしても、きっと警戒されたことだろう。

 もっとも屋上で待つと決めたのは、約束してから。帰り道の山道でのことだから、伝えることなどできなかったのであるが……。

 アルベガは校舎に近付いてくる稲穂たちを確認すると、望遠鏡を消してフェンスに背中を預けた。校舎の中は望遠鏡では覗けない。あとは彼女たちがここへやってくるのを、ただ待つだけだ。

 雪羊高校の校舎の前に、四伝、稲穂、小麦の三人は到達した。正門前の四伝、裏門前の稲穂、側面の門はないが入れそうな場所の前に小麦。

 四季花は敷地内には入っているが、まだ校舎から離れたところで待機している。雪羊高校の施設の大部分が見渡せる小高い場所で、校舎の外にいる四伝、稲穂、小麦の居場所を把握するには絶好の場所だ。

「お兄ちゃん、どう?」

「ああ、何人か人はいるが……ん?」

「もしかして、四伝くんも?」

「姉さんもか」

 場所は違うが、気付いたことは同じ。四季花が尋ねる前に、四伝が見えた光景をはっきり言葉にする。それで同意があれば、稲穂と小麦の状況も同じであると確認できる。

「生徒が五人、六人。ジャージを着ているから部活の練習中だと思う。その中に擬人が一人混じっているみたいだ。普通に他の生徒と一緒に練習をして、話をしているように見える」

「やっぱり、そっちも?」

「こちらは教師だが、状況は近い」

 多くの人の中に紛れている擬人。それは普段見かける光景と変わらないが、雪羊高校にいる擬人は生徒たちの間に溶け込んでいるように感じた。

 『タギ』の一員となって日が浅い四伝にとっては見慣れないだけで、稲穂や小麦にとっては見たことのある光景かと思ったが、そうではないらしい。

「やっぱりこういうのは珍しいのかな?」

「うん。危険はないみたいだから、放っておいてもいいと思うけど……」

「念のため、合流した方がいいかもな」

「だったらお兄ちゃんのいる正門前に。そこが一番見やすいから」

「了解」

「うん」

「ああ」

 四季花の指示に、四伝、稲穂、小麦が同時に答える。

 それから数分後、雪羊高校の正門前で四伝たちは合流する。待っている間も四伝の見ている光景に大きな変化はなく、練習の内容がストレッチに変わっただけだった。そのストレッチには擬人も参加しており、無防備な人間の背中にしっかり触れているが、鼓動を吸収している様子はない。

 合流した三人は、四季花に一度確認してから校門を抜け、校舎内に向かう。

 すると、部活の練習をしている生徒の一人が彼らに気付き、声をかけてきた。

「あ、もしかして……アルベガちゃんなら屋上ですよ。話は聞いてます」

 ジャージを着た女の子が笑顔で言う。すぐに練習に戻ったが、四伝たちが動かないのを見て再び声をかけてきた。

「ええと……道、案内しましょうか? すぐにわかると思いますけど」

「ああ、いや、大丈夫。稲穂さん」

「うん。ありがとうね」

 小麦は女の子に警戒の目を向けながらも、黙って歩き出す二人についていった。

「……稲穂さん」

 校舎の中に入る直前、部活少女たちから離れたところで四伝が口を開く。

「うん、フレンドリーな擬人だったね。スプリング。声をかけられること自体は、擬人が人を襲う常套手段だから珍しくはない」

「アルベガは屋上だ。急ぐぞ」

 小麦は少し足を速めて、先頭に立って歩き出す。四伝と稲穂も頷いて、フラグメント・ウェポンの通信機能で繋がっている四季花からの指示もなかったので、彼らは迷わず屋上へ向かって歩き続けた。

 初めての校舎で少し迷いそうになる場面もあったが、近くにいた教師が声をかけてきてアルベガの待っている屋上への道を教えてくれた。若くはないが年老いてもいない男性教師で、校舎前で案内してくれたジャージの女の子と違い、彼は人間だ。

 他校の生徒を、休日に屋上に呼ぶのだから、教師や生徒に話を通しておくのは当然。おそらく他の場所にいる生徒や教師にも、アルベガは来客を伝えているのだろう。

 目的の屋上へ向かう階段。そこに人はいない。擬人もいない。休日だから当たり前の光景で、平日でも当たり前の光景かもしれない。普段の雪羊高校の生徒が、この階段と屋上をどのように使用しているのかは、初めての四伝たちにはわからない。

 扉の鍵は開いている。四伝たちは頷き合って、稲穂が先頭に屋上への扉を開けた。

「やあ、待ちくたびれたよ。いらっしゃい、稲穂。それから小麦に、四伝」

 フェンスに背を預けていたアルベガが、フェンスから背を離して出迎える。扉から正面、奥のフェンスまでは距離はあるが、風の弱い屋上で声はよく届いた。

「うん。来たよ、アルベガちゃん」

 その声に稲穂が答える。微笑む二人の少女に、四伝と小麦、それからフラグメント・ウェポンを介して声を聞いている四季花も、まずは彼女たち二人に会話を任せることにした。

「さて、早速だけど……」

 アルベガは大きく緩やかに見えるが、見た目より素早く右腕を振って、その右手に淡い光を放つ望遠鏡を生み出していた。どこからともなく、生まれた武器――にも使える望遠鏡。

 それはフラグメント・ウェポンの武器のようで、違う。今の武器は、脈動から生まれたものではない。擬人の、鼓動から生まれた武器だ。

「どうかな? これでもう気付いただろう? ボクは擬人――君たちの言う、秋――オータムなのさ。昔から、初めて会ったあの日からね」

 告げられて、稲穂は――四伝も、小麦も、通信機能で話を聞いている四季花も、黙ったまま言葉は返さない。それは状況を理解する時間であり、対応を考える時間である。

 しかしその沈黙は一瞬で、すぐに沈黙を破ったのは稲穂だった。

「そっか。気付かなかった……オータムって不思議だね。それで、私たちをここに呼んで、アルベガちゃんはどうしたいの?」

 稲穂は冷静だった。動揺もなく、ただ自然にアルベガと会話をする。それは瞬時に、望遠鏡を生み出したアルベガに戦意がないと感じ取ったから。まだ、彼女に戦意はない。

「そうだね、ひとまずは稲穂たち次第かな。ここに来るまでに、擬人は見ただろう?」

「うん。この場所を教えてくれたよ」

「擬人と『タギ』は争っている。けれど、戦争をしている国の人々が皆争いを望むわけではないように、擬人だってみんなが争いを望むわけじゃない。ここ――雪羊高校にいる擬人はみんな、そういう擬人なのさ。『タギ』とは戦わないし、人から鼓動を吸収して命を奪うようなこともしない。生きるために、鼓動は吸収しているけれどね。

 彼らは、ボクの指揮下にある者もいるけど、そうでない者もいる。でも、人を殺さないのは同じさ。そうでない者は、ボクが別にまとめている。ここで戦いを起こさせるわけにはいかないからね」

「……本当なのか?」

 半信半疑といった顔で、小麦が口を開く。

「小麦には彼らが戦うように見えたかい? 今でもどこかに隠れて、君たちを包囲するように見えたかい? 四伝にはまだそこまではわからないかもしれないけれど、君ならそれくらいの判断はできるはずだろう?」

「見えなかったな。だが、警戒は解けない」

「小麦はそれでいいさ。さて、稲穂。もうわかるよね?」

「うん。四季花ちゃん、先輩たちには何もしないように伝えておいて」

「はーい。話は……大体で伝えるね?」

「お願い。アルベガちゃん、これでいい?」

 フラグメント・ウェポンを介した声は、アルベガには聞こえない。だが稲穂の声だけでも伝えた内容は理解できるし、結果も理解できる。しかし、念のためにアルベガは言葉を加えた。

「ああ。彼らはここにいる擬人を襲わない……それでいいね?」

「うん。大丈夫だよ」

 稲穂が頷いたことで、話は次に進む。ここからが、最も大事で、予測のつかない話だ。

「稲穂。ボクは擬人で、君は人間だ。だけどこうして、ボクたちは話をしている。話ができるなら理解し合えるとは限らないけれど、ボクにとって稲穂は――正確には稲穂と小麦だけど――初めて見た人間だ。そんな君と、十年は経った今、こうして話ができている」

「その間、『タギ』の人とは?」

「何度か。でも、ボクはオータムさ。『タギ』の人間は優秀だけど、ボクたちオータムは彼らから隠れるのは得意だ。気付けないなら戦いは起こらないし、気付かれても逃げやすい」

 四伝たちが彼女が望遠鏡を生み出すまで、アルベガを擬人だと気付かなかったように。他の『タギ』の人間も、彼女に気付くのは難しかった。

「四伝。君は少し怪しいと思っていたように感じたけど、違うかな?」

「少しだけだ。まさか擬人だなんて、想像もしてなかったよ」

 ほんの少しの違和感。直感。ただそれだけで確信は全くなかった。何となく、アルベガには何かがあるような気がした、たったそれだけだ。

「そうなんだ。凄いね、四伝くん」

「ふむ……。俺と姉さんは、幼い頃にアルベガに会っている。それも影響しているか」

「かもしれないね。ボクにも詳しいことはわからないけど」

 アルベガはふんわりと微笑む。これは彼女自身にも、他の誰にもわからないこと。

「それから――彼女。凄く強い彼女から逃げるのは苦労したよ。顔も見られてしまったし、注意しないといけなくなってしまった。ほんの少し、稲穂たちの力を確かめるだけのつもりだったんだけどね」

「私たちの……力。ショッピングモールのオータムはアルベガちゃんで、狙いは私たちだったんだね」

「そうさ。素晴らしいね稲穂」

「それほどでもないよ。けど、あのときは私たちに戦いを仕掛けてきた。だったら今も、アルベガちゃんはきっと、同じことを考えているのかな?」

「どうだろうね。ボクはオータムだ。そのフラグメント・ウェポンの武器で攻撃されても、一撃で倒れるほど柔くはない。本気で戦っても、三対一でも負けはしないよ。勝てなくても、逃げるのは簡単さ。ここはボクの通う高校だからね、地の利はボクにあるのさ」

 アルベガは望遠鏡をくるくると回して、何も考えていない――今ここで考えているような仕草を見せていた。実際に全てをここで考えているわけではないが、大部分は今考えている。

 稲穂たちに全てを話して、それからどうしたいのか。きっと稲穂たちと話をしたら、その答えも自然と浮かんでくる。その確信を持って、アルベガはここに彼女たちを呼んだ。事前に考えて決めたのは、そこまでだ。

「稲穂。一騎討ちでもしてみないかい?」

 回していた望遠鏡を止めて、アルベガは聞く。

「一騎討ち? それで?」

 並の望遠鏡よりは丈夫だろうが、武器ではない。稲穂の小剣であれば簡単に真っ二つにできて、素手にできるようなものだ。

「そうだね……ボクも君と同じ、小剣にしよう」

「勝敗は? それに……」

 答えながらも、稲穂は右手に小剣を生み出す。アルベガは望遠鏡を地面に置いて、同じく右手に稲穂と同じ長さの小剣を生み出していた。

「二つ……」

 四伝の呟きに、アルベガは微笑みながら彼を見る。それから、稲穂に視線を戻して口を開いた。

「見ての通り、ボクが生み出せるのは一つの武器に限らないけど、使うのはこれ一本だよ。君と同じ条件で戦いたいからね」

 互いに小剣を構え、稲穂とアルベガは向かい合う。

「勝敗は有効な一撃を与えた方に。判断は君たちに任せるよ。ボクがしたいのはそれだけさ。稲穂、君たちのことを知りたい」

 淡き輝き放つ二本の小剣。稲穂は中段に軽く構えて、軽快に動ける構え。アルベガも同じく中段だが、剣は横に倒している。攻めるには向かない、受けの構えだ。

「いいよ、アルベガちゃん。私が相手をする。一騎討ち、受けるよ」

 準備を全て整えてからの宣言。四伝と小麦が左右に分かれて二人から距離を取り、勝敗の判定をしやすい位置に移動するのをしばし待ち、移動を終えた瞬間に稲穂は動き出す。

 強く地面を蹴っての、大きな踏み込み、前進からの突進。

「はあっ!」

 片手で握った小剣を振り上げて、構えるアルベガの小剣に強く振り下ろす。武器の性能を考えると初撃には大振りで隙の大きい一撃だが、受けの構えのアルベガは全力で受け止める。

「……やっぱり。ふふ、面白いね」

 勢いをつけた一撃にアルベガの剣は押されていくが、押し切られる前に刃を斜めにして受け流す。ぎりぎり、まだ受け流せるタイミングまで粘っての受け流し。戦いにおいては最初から受け流した方が有利になれるが、アルベガはそうしなかった。

 稲穂はそれを不思議に思いつつも、攻撃の手は緩めない。彼女がそうしなかったことにより、若干ではあるが有利になったのは稲穂の方だ。

 初撃と違い、二撃目、三撃目は流れるように放たれる連撃。構えは受けのままのアルベガはその全てを受け流していくが、素早く色々な方向から飛んでくる斬撃に対応し続けるのは簡単ではない。

 いつか反応は追いつかなくなる。稲穂がそう思って振り続けた小剣に、今までとは違う方向の衝撃が返ってくる。

 剣が、弾かれた。

 受け流すことばかりに集中していたアルベガは、唐突に受けの方向を変えて、弾き返すことで稲穂の一撃を受けたのだ。

 予想外の反撃に腕が浮いた稲穂の懐に、アルベガは剣を構えて大きく踏み込む。

「どうだい!」

 構えは下段。振り上げるように放たれた剣に、稲穂が剣を下ろすのは間に合わない。

「まだ――だよ!」

 しかし稲穂は、弾かれた腕をそのままにアルベガに接近した。体当たりとしては勢いのない行動だが、距離が詰まれば右腕から伸ばされた小剣が、稲穂の体には届かなくなる。

 アルベガの右腕と小剣の柄が稲穂の胸部から腹部に当たり、少し体は吹き飛ばされるが小剣は止まり、吹き飛ばされたことでそのまま振り抜いても届かない距離になる。

「やるね。稲穂」

 受けの構えから急に反転したアルベガは、咄嗟には踏み込めない。踏み込んだとしても、吹き飛ばされている間に構え直された小剣に受け止められるだけだ。

 四伝と小麦が緊張して見守る中、二人は再び動き出す。

「今度はアルベガちゃんからどうぞ。私に、当てられるならね」

 右手の小剣を揺らめかせ、捉えどころのない構えで稲穂は待機する。

「いいよ。ボクから攻めてあげよう!」

 アルベガは応える。二人の顔には笑顔が浮かび、まるで戦いを楽しんでいる表情。

 小剣を前面に突き出して、アルベガは全速力で駆け抜ける。揺らめく小剣の正面から、当たれば弾く、当たらなければ剣先が届く、鋭く速い突きを放つ。

 しかし、稲穂はそれを予想していたかのように、揺らめく小剣の軌道を変えて横から弾く。攻める側と受ける側。最初の攻防は、二人にとっても予想のうち。

 アルベガの小剣を弾いた隙に、稲穂は小剣を素早く振って、もう一度アルベガの小剣を――今度は下から――弾いて、右手と右腕、アルベガの体ごと大きく弾いて隙を広げる。

 だがアルベガも、その弾かれた勢いを利用して体を回転させ、背中を見せながらもそのまま一回転して、稲穂の右手に握られた小剣目がけて二度弾かれた剣を上から振り抜く。

「いくよ!」

「それなら!」

 背中を見せたアルベガに斬りかかっても、回転の勢いは止まらず無防備な体に反撃が届く。ならば対応するのはアルベガではなく、アルベガの小剣。稲穂は右腕を大きく左下に振り下ろして、回って振られる小剣に対して下から大きく振り上げる。

 力と力の勝負。回転による一撃と、居合のように力を込めて振られた一撃。

 四伝と小麦はそのぶつかり合いに息を呑む。アルベガもその衝突を想定して、握った小剣には強い力を込めていた。

 二つの小剣がぶつかり合う瞬間、稲穂がほくそ笑む。

 笑みに気付いたアルベガが、彼女の狙いに気付いた時にはもう遅かった。

 勢いよく振り上げられた稲穂の小剣は、アルベガの勢いのついた小剣を剣刃に滑らせるように、鋭く受け流す。アルベガの勢いは止まらず、顔面すれすれを抜けていく小剣を通り過ぎるまで見てから、稲穂は小剣を返してアルベガに振り下ろした。

 回転の勢いのまま、アルベガは稲穂に側面を見せている。彼女の小剣が握られているのは右手。この体勢では、どうやっても小剣を受けることはできない。

 だが、アルベガはその体勢でも、地面を蹴って少しでも前方に、さらに身を屈めて小剣の一撃を少しでも回避しようと試みた。実際にそれは成功し、稲穂が振り下ろした小剣はアルベガの側面から背中を捉えたものの、有効な一撃を与えたというには足りないものだった。

 その行動は稲穂にとっても予想を超えるもの。これで決まると思っていただけに、一の太刀、二の太刀に続く、三の太刀は用意していない。

 見ていた四伝と小麦は、まだ戦いは終わらないと思っていた。だが、戦っているアルベガは、既に負けを覚悟していた。彼女が体勢を立て直して、小剣を構えるより先に、稲穂も地面を蹴っていたのだ。

 そして握り締めた左の拳を、狙いやすい位置にあるアルベガの胸部に叩き込む。

「……どう?」

「痛くはないよ。素手の一撃じゃ、ボクは傷付けられない」

 アルベガは胸を押さえることもなく、平然とした顔で稲穂に正面を向ける。それから、ふんわり笑顔で右手に持っていた小剣を消して、右腕を下ろす。

「けど、有効な一撃だ。二人は迷っているみたいだけど、これは一騎討ち。擬人と人の戦いじゃなくて、ボクと稲穂の一騎討ちだからね」

 握り締めた拳の一撃は、重い。相手が人であればそれだけで動きが止まり、勝敗が決するような一撃。それは間違いなく、アルベガの定義する有効な一撃であった。

「……いいのか?」

 疑問を口にしたのは小麦だった。擬人との戦いを、四伝よりもよく知っている小麦。彼からすると、今のは時間稼ぎにもならない無効な一撃だ。

「いいんじゃないかな? アルベガが認めてるんだ」

 四伝が答える。そしてもちろん、稲穂もこれが有効な一撃になるとわかって、拳を握り締めて叩き込んだのだ。

 それは、次の一言でもはっきりと証明されていた。

「アルベガちゃんは擬人。一撃で倒れるほど柔くはなくても、怪我はする。怪我をしたら吸収する鼓動も多くなる。きっと、回復するために人から鼓動を吸収する。だから、これは予定通りだよ」

「ああ、稲穂ならそうするんじゃないかって――そうしてほしいと、思っていたよ」

 稲穂は微笑み、アルベガも微笑む。稲穂は余裕ではなかった、アルベガも手加減をしなかった、ただ小剣同士で戦うという条件をつけただけで、二人は本気で戦った。そして決着はついた。アルベガの理想通りに、稲穂の予定通りに。

 これは情ではない。稲穂はただ、自分の考えに従って、『タギ』として、『イリス』として戦っただけだ。

「アルベガちゃんは、私たちをイリスとしてここに呼んだ。だから、これは私とアルベガちゃん、昔馴染みの二人としての戦いじゃない。オータムのアルベガちゃんと、『タギ』のイリスの私の戦い。そう思ったの」

「ああ、そうさ。ボクにはもう一つ目的があったけど、これはまだ話すべきじゃないね。いつかの機会に話すとするよ」

 最後のその目的が何なのか、さすがの稲穂もそこまではわからなかった。

「ということで、こっちは終わったよ、四季花ちゃん」

 フラグメント・ウェポンを介して響く声が、離れた場所から校舎の屋上を見ている四季花の耳に届く。

「終わったみたいです。稲穂ちゃん、涼乃先輩が詳しく話してほしいって」

 状況の終了を周囲の先輩たちに伝えて、戦いが始まる前に伝えられていたことを、四季花は四伝たちに伝える。

「うん。帰ったら報告書にまとめますって伝えておいて。それから、アルベガちゃんたちの扱いは……」

「帰ったら報告書にまとめるそうです。アルベガちゃんや、ここにいる擬人の扱いは?」

 稲穂から言われたことを四季花が伝えると、涼乃は微笑を浮かべて答えた。

「ここで手を出さなかったのだから、これからも変わらないわ。アルベガと言ったかしら。彼女の考えがこれからも変わらない限りは」

「アルベガちゃんが今まで通りなら、これからも変わらないってさ」

「そう。じゃあ、アルベガちゃんにも伝えておくね」

 それ以上は稲穂たちからの言葉はなく、四季花も戦いが終われば指揮をする必要もない。

「報告書って、受け取ったらどうするんですか? 涼乃先輩」

 珊瑚に聞かれて、涼乃は小さく肩をすくめる。

「もちろん、私が受け取って処理するわ。必要があれば『タギ』の北海道支部にも伝えるけれど、その必要はないでしょう。一人、気になる者もいるけれど」

 その気になる者として、涼乃に視線を向けられた天岩は大きく肩をすくめた。

「俺も危険性がないとわかっている擬人を、無闇に倒そうなんて思わないぜ。もちろん、俺の目的を果たすため、最後まで放っておくつもりもないが……な」

 全ての擬人を倒す。そのためには見逃すことはできない。だが、後回しにはできる。

「そう。少なくとも、卒業までは無事にいられそうね」

「……まあな」

 天岩は小さく肩をすくめる。彼自身も、今は一人の高校生。全ての擬人を倒すには、北海道にいるままではどうやっても不可能だ。本州を中心とした日本各地、それから世界。彼が卒業して、より力をつけたとしても、一年や二年で終わる範囲ではない。

「それはそうと、一文字珊瑚」

「何? 涼乃先輩」

「オータムについて、私たちはもっと知らないといけないと思わない?」

「あたしはそういうのに興味はないけど、そうだね。戦う必要がない擬人もいるなら、これからの『タギ』にも変化が必要かもしれない」

「ええ。そのときは、協力をお願いするわ。一文字珊瑚――あなたの立場は、非常に扱いやすくて動きやすい」

 涼乃は珊瑚をまっすぐに見て、優しく笑ってそう言った。

「あたし、そのつもりで中立してるわけじゃないんだけど……涼乃先輩が本気なら、引き受けるよ」

 珊瑚もまっすぐに涼乃を見て、朗らかに笑ってそう答えた。

 このときの三人の言葉の意味を、四季花は深くは理解できなかった。だが、彼女たちにも目的があって、そのために考えて動いている。そのことだけは四季花にもはっきりと理解できることであった。

      ―― 夢 ――

 狼四季花は夢を見ていた。

 話には聞いていた夢だが、四季花がそれを見られたのは今日が初めてだった。

 彼女の分岐型は一途型。分岐型武器――フラグメント・ウェポンとは相性が悪い。だからきっと、そのせいで見られないのだと誰もが思っていた。

 十歳にも二十歳にも見える、四季花よりも少し背が高いくらいの少女。

「あなたが……」

 四季花が呟く。続きは出てこない。だって、彼女の名前は知らないのだから。

「はい。初めまして、狼四季花」

 四季花は驚く。だって、彼女は自分の名前を知っていたのだから。

 フラグメント・ウェポンを装着しているから当然なのかもしれない。けれど、何となく、それだけじゃないような気もした。

 夢は覚める。

 初めての夢はすぐに覚めていく。

 一途型だから。それとも、そういうものだから。

 ただ、その中でも四季花は一つだけ理解していた。自分がこの夢を見れた意味、夢を見た意味を。夢が覚めたらすぐに確かめよう――そう考えた瞬間、夢は覚めた。

      ―― 夢、覚めて ――


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