北は凍えて四季の花

第六章 一途な想いはイリスの始まり


 イリス――ギリシャ神話の女神様の名前。四伝が確認して、伝えて、それから『イリス』としての初日は始まった。集まったのは三人。陸道四伝、南城稲穂、それに狼四季花である。

「なんで四季花がいるんだ?」

 当然の疑問を四伝は口にする。ちなみに集まったのは、湖囲高校の旧校舎の一室。残った僅かな部屋で、涼乃がたまにいる場所とは別の部屋である。通う高校が違うため、放課後ではあるが南城小麦の姿はない。東雲私立学園は北凍市の北部地域にある高校。放課後すぐに集まるにはここから遠く離れている。

「稲穂ちゃんに頼まれちゃって。それに、お兄ちゃんを放っておけないし」

 いるだけではない。自慢するように見せた四季花の右腕には、おそらく前に着けたものと同じであろうフラグメント・ウェポンが装着されていた。

 どういう意味で放っておけないのかは、色んな意味で放っておけないのだろう。ここで尋ねても自分が困るだけと判断した四伝は、頼んだという稲穂との会話に集中する。

「イリスは私と四伝くんと小麦の三人。三本柱、三角形」

 四伝から質問がされる前に、稲穂が説明を始める。

「三角形は優れた図形だよ。どこから力を受けても丈夫だし、三点で支えれば安定する。でも三角形は脆い図形でもあるの。一点を失ったら、ただの線になる。面が失われて、ただの線になっちゃったら……範囲が一気に狭くなる」

 その範囲が『タギ』として擬人から人を守れる範囲なら。四伝は言われずとも、稲穂の言いたいことを理解する。

「だからもう一点、四角形になれば、一点を失っても三角形になる。面は減るけど線にはならない。その一点が、四季花ちゃん」

「四季花が……前線に出るわけじゃないよね?」

 半分は四季花を心配するもので、もう半分はその場合の四季花の役目を尋ねるもの。

「私はお兄ちゃんや稲穂ちゃん――イリスの、後方支援。具体的なことはこれから教わるんだけど……それから、これの使い方もね」

 四季花はもう一度、今度は控えめに腕輪として装着されたフラグメント・ウェポンを示す。

「基本は連絡役だね。擬人を倒すのには使えないから四伝くんには教えてなかったけど、フラグメント・ウェポンには通信機能もあるの」

「通信機能? 擬人は電波を妨害するんじゃ?」

「うん。一般の通信機器は妨害されて使えない。けど、フラグメント・ウェポンでの連絡は特別で、擬人の妨害を気にせず通信することができる。テレパシーみたいな感じだよ」

「テレパシー……超能力か」

 そんなものがこれに備わっていたのかと、四伝は自分のフラグメント・ウェポンを見る。

「色々複雑で、使うには相当の練習が必要。フラグメント・ウェポンは分岐型武器。武器として調整されたものだから、分岐型が派生型、枝分れ型、特化型――戦闘に向いた、分岐を活かせる型だと、簡単には扱えない。確か、涼乃先輩は使えるって話だけど……」

「四季花の分岐型は一途型。戦いには向かない、分岐を活かせない型。それなら、武器として以外の使い方――通信機器として扱いやすい?」

「そう。具体的にどんな感じで使えるのかは……また今度。使えるようになってから、実際に使ってみれば言葉がなくてもわかるから」

 稲穂は微笑んで言葉を終えた。涼乃に頼んで確認することもできるが、四季花が使えるようにならなければ確認しても知識が増えるだけ。四伝が今すぐに知りたいというのでなければ、確認を急ぐ必要はない。

 稲穂は少しだけ待っていたが、四伝は何も言わなかった。それを答えと理解し、そこから三人の話題は少し変わる。

「イリスとしての活動は、『タギ』としては問題にされてないのかな?」

「うん。北海道支部の、一地域の『タギ』の人間が始めたくらいじゃ、まだ他の支部が気にすることじゃない。お母さんとお父さんに話して確かめたけど、関東支部や近畿支部では噂にさえなってない。あっちは、こっちと違って白と黒の対立が深いから」

「非公式であることは?」

「そもそも、白と黒も非公式。活動に支障はないよ」

 答えが得られたところで、四伝はふと思い出したように疑問を続けて口にする。

「ところで、『タギ』の支部っていくつあるんだ? それに本部はどこに?」

「支部は北海道支部、関東支部、近畿支部、東北支部、中部支部、中国支部、四国支部、九州支部の八つ。日本にある支部はこれで全部。海外の支部は覚えてないけど、今はいいよね?」

 四伝は頷く。海外の支部なんて、聞いても国のある大体の場所しかわからない。

「本部の場所は私も知らない。私の知っている人でも、みんな知らないと思う」

「でも確かに存在はする?」

「うん。フラグメント・ウェポンは本部から支給されるものだから。製造方法や、量産方法、詳しいことは何も知らないけど……北海道支部には、四伝くんと四季花ちゃんに渡した分を減らしても、まだいくつも余りがあるよ。その余りのうち、涼乃先輩が十個くらいは持ってる」

 北海道支部の『タギ』は人手不足。人手はなくとも、いつでも人手を増やせるように武器は余分に確保してある。分岐型が一途型で、非戦闘員である四季花の分を用意できるほどに。

 四伝は気になっていたことを聞き終えて、これから通信のやり方を稲穂や涼乃に教わるという四季花と別れ、旧校舎の前で待っている珊瑚のところへ向かう。ショッピングモールでの事件は解決しても、フラグメント・ウェポンの練習は終わらない。

 四伝はまだ、一体のサマーに一対一で勝てただけ。この程度では到底、足手まといから肩を並べられる戦力に成長したとは言えないのである。

      ―― 時、遡り ――

 南城稲穂と南城小麦が、その幼女と会ったのはこれで三度目だった。初めての擬人を見たあの日に出会い、また別の日に境内で、そして今日もまた出会いの場所は神社の境内。

「そろそろお名前、知りたいな!」

 率直に知りたいことを尋ねる稲穂に、名乗らぬ幼女は今日も名乗らない。

「そんなにボクの名前が知りたいの? けど、秘密だよ」

 何か名乗れない事情があるのか、稲穂はちょっとだけ考えたけど深くは気にしない。

「ボクは稲穂と小麦の名前を覚えている。ここには三人しかいない。不便はないよね」

 同い年くらいの幼い女の子。だけど、彼女は南城姉弟よりとても大人びている。二回目の遭遇で知れたのは、彼女が女の子であるということ。稲穂は最初からそう信じていたが、小麦が疑っていたのでまた尋ねたのだ。そして今度は、名乗らぬ幼女もはっきりと答えた。

 その日はそれだけで、初めての日と同じように幼女はすっと姿を消していた。

 どこから現れたのかもわからないし、どこへ消えたのかもわからない。そんな不思議な名乗らぬ幼女に、幼い稲穂や小麦が興味を惹かれないはずはなかった。何より、彼女は二人に擬人のことを教えてくれたのだ。

 自分たちも知ってはいるけど、見たことのなかった擬人。それを見分けられた女の子。稲穂には聞いてみたいことがいっぱいだった。小麦も顔には出さないが、姉とほぼ同じことを聞きたいと思っていた。

 だから前回は聞けなかったこと。大事な質問を、今回はしようと決めていたのだ。

「擬人って、知ってる?」

 稲穂が聞く。単純かつ、聞きたいことの多くが含まれた言葉だ。

「……ぎじん?」

 少しの間があって、大きく首を傾げて返ってきた答えはその一言。ただ聞かれた単語をゆっくりと繰り返しただけ。

「うん、擬人」

 稲穂はもう一度。首を傾げたのは、知らないからとは限らない。稲穂たちに聞かれるとは思っていなかったから、別の同じ発音の「ぎじん」かと悩んでいるのかもしれない。

「初めて出会ったときの、巫女さん。彼女がね、擬人なの」

 だからはっきりと、ここまで説明すればきっと大丈夫。稲穂は名乗らぬ幼女の言葉を待って、小麦も興味ないふりをしつつも耳をそばだてている。

「ああ、稲穂たちはそう呼んでいるんだね。となると……漢字は擬人化の擬人?」

「……そう?」

 稲穂は小麦に尋ねる。擬人は知っているが、擬人化という概念はよく知らない。こういうのは漢字が得意な小麦の方が詳しい。

「そう。擬人化の擬人」

 小麦が答えて、幼女は納得し、稲穂も理解する。

 話は次に進む。もう質問の内容は伝わったはずだ。あとは答えを待つだけ。

「その呼び名は知らないけど、知ってるよ。稲穂たちも知ってたんだね?」

 質問に答えてから、返される質問。稲穂と小麦は頷いて、

「お父さんとお母さんから教わったの。でも見るのは初めてだから、見分けられなかった」

 と答えた。

「今は?」

「もうちゃんと見分けられるようになったよ。なんでそうなるのかは、えーと……説明されたけど、よくわからなかった」

「まだ俺たちには少し難しくて、聞いた言葉は覚えている」

「ふーん……一度見たら見分けられる、認知することで、認識できるようになる、ってところかな?」

「うん。そんな感じだった!」

「そう、ボクの推測が当たって良かったよ」

 名乗らぬ幼女はほんわかと笑って言う。

「凄いね、もうわかるんだ」

 改めて感心の言葉を口にする稲穂に、ほんわか笑顔で幼女は視線を返す。

 その笑みはこれくらいは当然という意味なのか、それとも何か別の意味なのか、稲穂は気になったけれど質問はできない。名乗らぬ幼女はその笑顔のまま、歩いてどこかへ消えてしまったから。

 背は向けないけれど、神社の境内は広くて、色々なものがある。その影に消えていった幼女を追いかけることもできたけど、稲穂たちは追いかけなかった。

 きっと彼女とはまた会える。

 そう思っていたのだが、彼女たちが想像していたよりもずっと遅くにその再会は訪れるのである。幼い頃の出会いは、その日が最後だった。

      ―― 時、戻りて ――

 稲穂と小麦の過去の話。名乗らぬ幼女との出会い。それについてはちょっとだけ、四伝も稲穂から聞いている。初めて擬人と出会い、見分けられるようになった日の話。

 擬人の呼び名は知らないけれど、擬人を知っていた稲穂や小麦よりも先に、擬人を見分けることができていた幼女。名乗ることはなく、未だに名前は知らない幼女。練習の前や練習の終わり、放課後や昼休み、何気ない会話の中で。

 幼い頃には誰にでもあるような、不思議な出会いの話の一つ。たまたま遠くに、いつもと違う場所に、幼い子供の狭い行動範囲の外に出たときの話。

 きっとそれは、名乗らぬ幼女にとっての珍しい出会い。その三回、何かのきっかけで南城姉弟がよくいる神社を訪れていた。ただそれだけのこと。それが最後になったのも、きっとそんなに特別なことではない。

 だけど稲穂は覚えていて、それを四伝にも話していた。もちろん、よく近くにいる四季花もその話は聞いている。

 それを四伝も、覚えていた。一目惚れした相手の話だから。それに、『タギ』の一員になりたての彼には、ちょっと興味を惹かれる話でもあったから。

 見かけた巫女さんはスプリング。初めて見た擬人は、同じく春。


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