四月 第三章 触手と恋と約束と


第一話 初めましての神尾塚里湖


 四月も下旬になれば、北海道でも南の方ではちらほらと桜の花が顔を見せるようになる。それより少し北にある砂和里手村にはまだピンクの花びらは広がってないけれど、代わりに桜色の装飾が村の要所に現れ、祭事の始まりを告げてくれる。

 守月神社の月祭り。小さな祭りではあるけれど、毎月のように行われる恒例祭事だ。これまでは、祭りをしていますよ、という装飾を目にするだけで、どんな祭りなのかは気にすることはなかった。縁日があるわけでもないし、神社関係者や村の偉い人だけが関わるお祭りと多くの生徒は認識していて、私も例外ではなかった。

 ただ、今年はこれまでと状況が違う。それは守月神社の巫女娘である、鞠帆ちゃんとなかよくなったからではなく、きっかけはその少し前にあったのである。

「月祭りってあるでしょ?」

 放課後に集まった第一生物部の部室で、鞠帆ちゃんがそう口を開いたのは装飾が飾られた初日のことだった。

「あれ、閃穴が大量発生する時期に行われる祭りなの。だから、今年はあなたたちにも関係があるものになると思う」

「特別なとき?」

「そうね。誰かから聞いてた?」

 私は小さく頷きながら、恋凜さんから聞いた言葉を思い出す。

『この村は世界に数十か所はある、閃穴の発生しやすい場所ですから、特別なときもあります。そのときは少し困ったことが起こるかもしれません』

 あのときに聞いた特別なときというのが、月祭りのことだったのだ。そうなると、思ったよりも特別なときは多いんだなあと意外に思うとともに、続く言葉が気になった。

「何か困ったことが起こるかもしれない?」

「施設での事件も解決したし、この短期間で再びなんて、そうそう起こることはないだろうけど……」

 鞠帆ちゃんが気の抜けた様子でそう答えると、副部長の席――部屋の奥の部長が座りそうな席の隣という、位置がそれっぽいだけで明確に決められたものではないけど――に座っていた鋭刃くんが口を挟んだ。

「それなんだけど、そうもいかないみたいだよ。もうそろそろ、本人から直接お話があると思うから、僕の口から話すより、彼女から聞いた方が早いだろうね」

 どういうことだろう? と、私と成ちゃんと鞠帆ちゃん、ンレィスや月星ちゃんも首や触手をかしげる中、部室の扉が小さな音を立てて開く音が中に響いた。自分の部屋かのように、自然と開かれる扉。それはつまり、その人がこの部活の関係者であることを示していて……。

「みなさん、お揃いのようですね」

 流れるような足取りで部室に入ってきたのは、長くもなく短くもない艶のある黒髪をなびかせた、私たちの誰よりも背が高くて、細身の引き締まった体に程々のふくらみが女性らしさを強調し、長めのスカートから見える脚も長くて美しい、抜群のスタイルを持つ上級生の女の子だった。

 顔立ちはおしとやかに見えて、その瞳は力強く、口元には泰然とした笑みが浮かんでいる。その顔にはとてもよく見覚えがあるけれど、この距離で見る彼女の姿は、遠くから見た姿の何倍も美しく、立派に見えた。

「私が神尾塚里湖です。初めまして。生徒会長としてはご存知でしょうが、こうして部長としてお会いするのは、今日が初めてですね。色倉灯さん、大岩成さん、お二人との新たな出会いに感謝を。それから、守月鞠帆さん、待望の入部を歓迎いたします。ンレィスさんとは、一度ピッツァカフェでお会いしていますが、改めてご挨拶しましょう。砂和里手村に暮らす触手の一触として、今後ともよろしくお願いします」

 長い台詞は流れるように、長さを感じさせない流暢さで、私たちの耳を通り抜けていった。

「さて、お話をするため、時間は十分にとってあります。ですから……」

 神尾塚会長にして、神尾塚部長は、部室の中を緩やかに歩いて、部屋の奥にある部長の席みたいなところにそっと腰を下ろした。

「こうして、ゆっくり話すとしましょう。ああ、先に言っておきますが、私のことは気兼ねなく、里湖、とお呼びください。神尾塚は家の名前、私個人の名を示すのは里湖なのです。いっそ、呼び捨てでも構わない、と言いたいところですが……。その様子だと、会長や部長、あるいは敬称があったほうが呼びやすそうですね」

 その立派で風格のある態度に、私と成ちゃんが声を発するのをためらっている中、鞠帆ちゃんが気兼ねなく里湖会長に声をかけた。

「そうさせてもらうわ。では里湖様、お話とやらをお聞かせくださいませ」

「ええ、そうさせてもらいましょうか、守月神社の稀代の巫女、鞠帆様」

 鞠帆ちゃんのやや試すような言い方にも、くすりと笑って平然と返す里湖会長。二人の雰囲気にはそれだけではない何かも感じたけど、私には彼女たちの関係はわからない。けど、神尾塚の家と守月神社の関係性と関わりがあるなら、鞠帆ちゃんが距離をとっている、と考えるのが近いと思う。

「先の合宿・自由施設での出来事は、みなさんもまだ覚えていらっしゃいますね。私も報告を受けて、事件は無事に解決したということは大半の生徒にも伝わっていると思いますが、彼らには公表していない、未解決の謎が一つだけあるのです」

 その言葉に、私たちは顔を見合わせる。ンレィスと月星ちゃんも触手を見合わせて見当もつかない様子だった。鋭刃くんとンリァスちゃんは先に聞いていたのか落ち着いた様子だったけど、詳細までは聞いていないのか何もかもを知っているという表情は見せていない。

「施設の事件は四つの閃穴が原因と見られていましたが、閃穴は五つあったのです。そして、その最後の閃穴をふさいだ触手は、未だ見つかっていないのです。この村にいるのは確実ですが、その触手がどこにいるのか、みなさんにも調査へ協力してもらいたいのです」

 里湖会長はそこで一息ついて、爽やかに微笑んでから続きを口にした。

「もっとも、これは私個人からの依頼です。第一生物部としての活動ではないですし、見つけられなかったからといって村に困ったことが起こるわけでもありません。ですが、頼めるのはあなたたちの他に、多くはいないのです」

「僕たちは当然協力するけど、君たちには強制しないよ」

「探偵の刈霧正五さんにもお願いしていますが、『残った大きな謎は気になるから、手伝いはしよう。だが、施設のときほど積極的に動くことはできない。ただの人探しや迷い猫探しとは、労力が違いすぎる』、というのが彼からの返事です」

「それほどのものを、私たちが手伝えるんですか?」

 施設での事件が解決したのは、ほとんど正五さんのおかげだ。その探偵が大変だというものを、探偵でもなんでもない私たちの手に負えるのだろうか。

「数が多くて困ることはないでしょう。範囲はこの村全体ですから、人海戦術が有効なのです。それに加えて、触海戦術も展開できれば、広範囲を短期間で探ることもできるでしょう。何より、今は閃穴が増える月祭りの時期――餌がいっぱいありますから、動きも感知しやすくなると思います」

「ま、確かにいい時期よね。それに、里湖様も手を貸してくれるというなら、力強いわ」

「その言い方はおかしいですね。これは私個人の探しものですから、私にみなさんが手を貸してくださる、というのが正確ですよ、鞠帆様」

「どっちでもいいじゃない。けど、まさか、こんな形で私たちが初めての協力をすることになるとは思わなかったけど」

「当代の守月神社の巫女と、もうじき当代となる次代の神尾塚家の当主――若いうちにともだち関係を結ぶのは、砂和里手村にもよいことだと思いませんか?」

「協力関係じゃ、不満?」

「不満はないですが、希望です」

 二人は仲がよいのか悪いのかわからないけど、色々と私たちにはわからない交流があるらしい。それより、重要なことは里湖会長も調査に動くという事実だ。

「里湖会長が噂通りの人なら、一人で見つけられるんじゃないの?」

 私の頭にもふんわり浮かんでいた疑問を、成ちゃんが尋ねる。

「私が噂通りの人でも、噂以上のことはできません。だからこそ、見つけたいのです。私が一人でも見つけられないその触手こそ、私といっしょに未来を見据える触手にふさわしいのではないかと」

 自分では見つけられない相手は、自分よりも優れた存在である。彼女が言いたいのはそういうことなのだ。実際には、生身の人間には見つけられないだけで、乗り物や高性能な道具を駆使すれば簡単に見つけられるだけの可能性もあるけど、見つけられなければそれを確かめることもできない。

「答えは急ぎません。私は今日もこれから動くつもりですが、急な話ですし、放課後では動ける範囲も限られます。ただ、二手に分かれることができれば、湖の北と南を調べられて、効率的に調査ができます」

「その場合、僕たちが北側、君たちが南側になるね。家も近いし、報告は次の日にすればいいだけだ」

 神尾塚の家――里湖会長と鋭刃くんの暮らす家だ――は湖の北の古住宅地にあって、私や成ちゃんの家は湖の南の新住宅地にある。そこからさらに東にあるのが守月神社だから、確かに効率的だ。

 それだけでなく、古住宅地の周辺には文化財もたくさんあるから、神尾塚の家の関係者なら調査もスムーズに行えるのだろう。あれら全ての管理を神尾塚がしているわけではないけれど、許可をとるのも簡単だし、きっと許可はもうとってあるに違いない。

「東の合宿・自由施設の周辺や、山のあたりはどうするんですか?」

 学校は湖の西にあるから、私たちのどちらでも調査できるし、合同で調査してもいい。だけど東側は放課後に調査するには遠いし、きっと他にも調べる場所があるはずだ。

「そちらは正五さんが担当してくれるそうです。そもそも、施設周辺は事件の際にも調べていますから……ああ、それと湖ですね」

「湖?」

「……まさか、そこも調べるの?」

 私の疑問に続いて、成ちゃんの驚きの混じった声が響く。

「はい。そこでみなさんの協力が特に必要なのです。地上であれば、最悪、神尾塚の家の者を動かせば何とかなりますが、湖の中の調査は人が調べるには相応の準備が必要です。しかし、ンレィスさん、月星さん、それに氷河さん――触手のみなさんなら、準備がなくともいつでも調べられるでしょう?」

 にっこり笑顔の里湖会長に、当然のように彼女から即座の突っ込みが入る。

「里湖ー! あたしも忘れないでよ!」

「忘れてはいませんよ。けれど、ンリァス一触に任せるのはとても心配ですね。砂和里手湖はとても広いのです。いくらあなたががんばっても、見落としが発生する可能性は百パーセントに達するでしょう。分身、できます?」

 ンリァスちゃんはぴくりと液体を震わせた。分身という言葉に反応したみたいで、少しばかり考えてから、堂々とした様子で一言。

「ンリァスちゃんには無理だねー。そういった力を持つ触手か、すっごい切触種の触手ならできるかもしれないけど、分身はしたい!」

 最後は完全に願望だったけど、ンリァスちゃんが分身できないことと、分身できる触手がいることは私にも理解できた。

「ンレィス、切触種って珍しいの? どんな触手?」

「切触種自体は珍しくはないですわ。ミミズは体を切断しても動くでしょう? あんな感じで、自らの触手を切り離して、それらを操るのが切触種ですの。わたくしも出会ったことはないですから、どれだけの触手をどこまで操れるのかはわかりませんが……恋凜によると、通常はこの学校の敷地くらいの範囲で動かすのがせいぜいみたいですわね」

「ふーん。だから、すっごい切触種なんだね」

 湖は測量して比べるまでもなく、この学校の敷地より遥かに広い。それにンレィスから聞いた話だと、あくまでも他の種類の触手よりも遠くに触手を伸ばせるだけで、切り離した触手を分身と呼ぶには無理があるように思えた。

「成ちゃん、どうする?」

「灯が決めたことに従うわ。灯といっしょにいられるなら、私はどっちでもいい」

「ンレィスは?」

「わたくしもお任せしますわ。気にはなりますが、わたくしの手で調べたいというものでもありませんし」

「そっか。じゃあ……」

 私は少し考えてから、里湖会長に視線を向けて答える。

「私たちも手伝います。実は謎が残っていた、なんて言われると、気になっちゃいますし」

 私の答えに、里湖会長は笑顔で頷いて、視線はもう一人と一触の答えを待つ相手に向けられた。

「聞く必要はないと思うけど、聞きたいなら答えるわ。どうせ、守月神社の月祭りで閃穴は調査するんだし、手伝わなくても情報は自然と集まる。それでいいでしょう?」

 彼女の頭の上の月星ちゃんも、笑っているように触手を動かして、同意を示した。

 鞠帆ちゃんからの答えに、里湖会長は納得した表情で大きく頷いていた。

 これで、私たち第一生物部の次の目的は一つに定まった。部活らしい行動なのか、個人の頼みだからよくはわからないけど、こうして集まるだけじゃないみんなでの行動は、とてもわくわくする。

「では、お願いしますね。詳しい調査の箇所や調査方法は、目星をつけているのでこれから地図をお渡しします。みなさんの家の場所も考慮に入れて、効率的なルートも示していますが、あくまでもそれは目安です。何か気になるものを見つけたら、そちらを優先して調べてもらえると助かります」

 里湖会長の鞄から出てきた地図が私たちに手渡される。地図の枚数は八枚。私と成ちゃん、鞠帆ちゃん、鋭刃くん、里湖会長の五人分と、ンレィス、月星ちゃん、ンリァスちゃんの三触分の合計だ。

 私たちの地図は広げても見やすいタブロイド判で、ンレィスら触手たちの地図はその半分くらいで、防水の加工がされているそうだ。調べるのが湖の中だから、そこでも見やすいように特殊な印刷をしたらしい。……ただ、ンレィスに見せてもらった地図の中身は、地図というより地形図といったほうが正確だった。

 目星をつけた印もなく、ルートもない、あくまでも迷わないための地図であるらしい。

 準備は整った。

 部長も含めた、第一生物部が総動員する初めての活動、開始である。


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