私と成ちゃんと鞠帆ちゃんは、情報収集のために新住宅地の西側にある小商店街に向かっていた。ンレィスたちや、里湖会長らとは学校の前で別れて、別行動だ。
肉屋に魚屋に八百屋に米屋に薬屋、五つのお店が並んでいる小商店街は、新住宅地に住む私たちには日頃お世話になっている場所だ。帰りにコロッケやフライを買えば、おやつにもなるし、ごはんの用意もお手軽である。
「小」とはついているけど、大きな商店街が他にあるわけではない。砂和里手村の小さな商店街を、小商店街とみんなが略しているだけなのだ。
「薬屋のおばあちゃんと、米屋のお兄さんは触手が見える人よ。肉屋のおばさんと魚屋のおじさんは見えなくて、八百屋のお姉さんも見えないけど、引退した先代のおじさんは見える人だから、外に出たときに何かを見ているかも。ま、みんな砂和里手村の大人で、人もよくくるから噂も集まりやすいし、一応、全部に聞き込みしてみるべきでしょうね」
「大人なら、みんな触手について知ってるの?」
「そうとは限らないけど、ずっと砂和里手村で暮らしていれば、触手が見える人と接しない方が難しいわ。特に、小商店街の店々には月祭りのチラシも貼ってもらってるし、神尾塚の家との関わりもある。それで、触手や閃穴について全く知らないなんてありえない。……八百屋のお姉さんは、二年前に店を受け継いだときに知ったらしくて、始めは結構驚いてたけど」
「ふーん……だったら、大人の人たちに聞けば、見つかるかな?」
「ま、それくらいのことは里湖会長もしてるでしょうし、決定的な情報はないでしょうね。けれど、調べるための手がかりを得るならきっとそこが一番よ」
小商店街へ向かうことを提案したのは、鞠帆ちゃんだ。小商店街へ向かう短い道すがら、一歩先を歩く鞠帆ちゃんが詳しい話を聞かせてくれる。
「じゃ、順番に聞いていきましょう。まずは、肉屋と魚屋の方が早く済むかしら?」
成ちゃんの推測通り、小商店街に到着して最初に聞き込みをした二つのお店では、特に目ぼしい情報は得られなかった。何かおかしなことや、変な噂を聞かなかったと尋ねても、
「ああ、それなら、あっちの橋の先にある合宿・自由施設で、変な出来事があったってねえ……」
とか、
「今年の湖の魚は、ちょっと小さいぞ。それでなあ、身が詰まってればいいんだが、身は普通でなあ、おかしなことっていえばそれくらいだなあ」
とか、私たちの方が詳しく事情を知っていることや、どう考えても事件に無関係そうな変化しか情報としては得られなかった。
「おかしなこと? ああ、お父さんが最近よく話すんだけど、煙突から出てくる見慣れない触手を見たって。あっちの方だから、――え? 灯ちゃんの家?」
ンレィスのことだ。八百屋のお姉さんと引退したおじさんから聞けた情報は、それだけだった。
残りは薬屋のおばあちゃんと、米屋のお兄さんだ。鞠帆ちゃんが先に口にしただけあって、本命は薬屋のおばあちゃんらしく、彼女は先に米屋のお兄さんに声をかけていた。
「ん? いや、知らないなあ。だってほら、触手は米を食わんだろ? だから、村の外れの水田の周りじゃ滅多に見かけないんだろ? ま、最近は、なんだかちょっときたらしい形跡もあったけど、この目で見たわけじゃないし、そうだ、そこでとれた米なんだが……」
脱線し始めた米屋のお兄さんからは、そこまで有力な情報は得られなかった。ちなみに村の外れの水田はここからずっと南の方にあって、そこで自家栽培された米は量が少ないけど割と美味しいと評判だ。
それ以上にお米屋さんの目利きや交渉能力が高くて、量が多くて美味しいお米が他にもあるから、滅多に売れてはいないみたいだけど。
「ほうほう、触手かい? ちょっとお待ちよ、最近というと、いつからかだい? ――ふむ。そうかいそうかい、じゃあちょっと整理するから、どこかに座って休んでいておくれよ」
今でも自分で薬を煎じることもある薬屋のおばあちゃんは、元気で記憶力も抜群だと有名だ。私たちが店内にある低いベンチに座って待っていると、静かに奥に引っ込んだ薬屋のおばあちゃんが、何枚かの写真を持って戻ってきた。
「見てごらん、これは毎日の湖を撮ってる写真なんだけどねえ、変な感じがしないかい?」
「……変な感じ?」
「……どこかな? 成ちゃん、わかる?」
「……そうね。雲がちょっと、大きい? 小さい?」
私たちが首をかしげていると、薬屋のおばあちゃんは小さく長く笑って答えた。
「そうかいそうかい、やっぱりわからないさねえ。けど、あたしにはわかるんだよ、まあ、十年は前からときどき起こることではあるんだけどねえ、最近また増えて、きっとあそこには、珍しい触手さんが住んでいるんだよ。あたしが死ぬ前に、この目で見てみたいものだよ」
薬屋のおばあちゃんから得られた情報は、そんなあやふやな情報だった。だけどその手がかりは確かに、湖に関係があることを示している。とはいえ、砂和里手村は砂和里手湖の周りに人が集まって暮らしている村。湖の近く、というだけでは村の外れを除けるだけで、大きく範囲は狭まらない。
そしてどの小商店街の人も口を揃えた答えたのは、似たようなことを神尾塚の一人娘――神尾塚里湖会長にも聞かれたということだった。
ただ、薬屋のおばあちゃんが写真を見せたのは私たちだけで、米屋のお兄さんも詳しく話はしてないな、と言っていたから、どこまで里湖会長が情報を得ているのかはわからない。それは追々、集まって情報をまとめるときにでも尋ねればいいだろう。
「やっぱり、これ以上は自力で調べるしかなさそうね」
「うん。三人いるけど、別々に動いた方がいいかな?」
「ルートは一本、それから二本に分かれてるけど、これは私たちの家と、鞠帆の家の場所が違うからでしょうね」
それぞれにもらった地図を眺めて、私たちは次の行動を検討する。今は私の地図を三人で囲んで見ているけど、地図は三枚あるから別行動しても探索範囲が重なることはない。
「ま、必要があれば分かれる、でいいんじゃない? そもそも、たった三人で全てを調べ尽くすなんて、いくら砂和里手村が小さな村とはいっても……」
「一日じゃ無理ね。地上の道だけならまだしも、触手は空も飛べるし、建物の壁や屋根の上まで虱潰しに探すとなれば、月祭りなんて終わっちゃうわ」
「そうだね。三人いっしょに探した方が変なものに気付ける可能性も上がるし、その方が楽しいし、いっしょにいこう」
そうして次の行動予定を決めた私たちは、小商店街を南に抜けて東の新住宅地方面へと歩き出した。
ここからは道を歩いて、何か見慣れないものはないかを地道に探すことになる。触手に関わるものと限定はされてるけど、出会ったことのない触手だからどれが関わるもので関わらないものかの判断は私たちには難しい。
「あ、花が咲いてる」
「綺麗ね。あまり見ない花だけど、何かしら?」
「植物図鑑は持ってない」
だから私たちが見つけるのは、明らかな異変ではなく、あらゆる小さな変化になってしまう。
「この塀の岩、ちょっと欠けてるけど」
「車がぶつかったものじゃないわね。経年劣化じゃないかしら?」
「触手で付く傷ではないでしょうね」
すると、探している私たちの会話はそんなことになってしまう。普段と違うのは、全てにおいて触手が関わる可能性を検討することだけ。それに関しては、私や成ちゃんより詳しい鞠帆ちゃんに多くを頼ることになる。
「触手で付く傷って、どんなものがあるの?」
「触手がぶつかっただけなら、触手の太さとしなり方が関係するし、もっと直線的になるはず。こんなにガタガタに削れることはないわね」
「そもそも、こんなところにぶつかるのかしら?」
「喧嘩でもしていない限り、まずないと思う」
私と成ちゃんが納得しかけたところで、鞠帆ちゃんは困った顔で言葉を続けた。
「ただ……。個体が持つ能力が関係するなら、お手上げ。たとえば月星なら範囲内でどこにでも岩石を生み出せるんだけど、それを投げて傷付けたなら違った痕跡を残せる」
「……え? なにそれ?」
なんだかよくわからない解説があったので、私は思わず足を止めて聞き返す。
「ンレィスやンリァスにも違ったものがあるわ。色々複雑だから直接見せてもらいながら説明を受けた方がいいでしょうけど、ンレィスなら心当たりがあるんじゃない? 見たところ、物を吸着する――いえ、それよりもっと単純な、引力? みたいなものじゃないかしら」
「そういえば……」
大魔王のルールを教えていたとき、ンレィスは何枚ものカードを触手の先にくっつけていた。ああいったことに、ンレィスの持つ個体能力というのが使われていたのだろうか。
「ま、私にはどこまでできるか知らないけど」
「どこまでかわからないけど、飛んできた大岩を防ぐくらいはできそうだよ」
ン・ロゥズの近くに閃穴が発生して、大きな岩が飛来してきたときの、ンレィスの落ち着いた声が思い出される。
『灯、大丈夫ですわ。あの程度の岩ならわたくしが……』
あれを軽々と砕いて――砕くだけじゃなくて、私が怪我をしないように安全に始末する、それくらいのことは彼女には容易いのだと思う。
「へえ、なかなか凄そうね。ともかく、それくらいのことは大体の触手ができるの。人間業とは思えない、大きな穴でも道路に開いていたら、それはきっと触手の仕業」
そんなのがあったら一目瞭然だ。けど、そんなものがあったら私たちが調べるまでもなく、村でニュースになっていることだろう。……山の中とか、湖の底とかなら話は別だけど。
「それ、触手以外の何か未確認の生物の仕業ってことはないの?」
「さあ? 鬼か妖怪か天使か悪魔か、そういうのは私の専門外。荒ぶる神様なら不可能じゃないけど、神様にしてはしょうもない痕跡すぎるわ。山の一つくらい、吹き飛ぶんじゃない?」
それはもう天変地異だと思う。だけど、いくら触手が凄くても、そこまでのことはできないということだ。大きすぎる痕跡で見落としてしまう、ということは多分なさそうだね。
ともかく、そんな予測不能な痕跡があれば、探している触手は簡単に見つかるのだけど……。
「灯、ほんの少し背が伸びたわね」
「そうかな? 成ちゃんは変わらないけど、少し胸のあたりが太った?」
「ええ、今朝測ったら〇.三ミリは前に測ったときより成長してたわ」
「……あなたたち、いえ、見つからないのはわかるけど」
道路には大した痕跡も見つからなくなった私たちは、互いの変化を探すくらいになっていた。もうそろそろルートは分かれて、私と成ちゃんは二人で家に向かう方向に、鞠帆ちゃんは守月神社へ向かう方向に歩いていくことになる。
それから家に帰るまで、私と成ちゃんは変化を探したけど、やはりこれといったものは見つからなかった。
翌日の報告では、鞠帆ちゃんもその後の収穫はなかったらしく、首を横に振っていた。里湖会長や鋭刃くんの報告も似たようなもので、書面で届いたという正五さんの報告書も、報告書と呼べるほどの長さではない短い文面だった。
『手がかりなし。調査続行中』
小さな白い封筒に入っていたそれは、学校の生徒会に届いていたらしい。正五さんは施設の側にいるから、きっと氷河さんが届けてくれたのだろう。今は施設は使えないはずだから、駅前のホテルに泊まってるのか、それともどこかにある自宅か事務所にいるのかな?
「なかなか手強いですね。探索だけなら、名探偵の力は必要ないはずですが」
「観察力だけならワトスンにもあるからね。ワトソンの方が一般的かな?」
ともかく、そういうことで、私たち人間に調査できる範囲では明確な手がかりはほとんど得られなかった。
「では、次は触手のみなさんの報告をお聞きしましょう」
これだけでは、これ以上の調べようがない。本当にそんな触手がいるのかどうかを疑いたくなるけど、薬屋のおばあちゃんの話からも、いることだけは確かな真実だ。
その触手の正体を見極めて、居場所を探るための手がかりが得られるかは、ンレィスたちの探索した結果に託されたのである。