第四節 月風〈つきかぜ〉(一)

章 遺跡の深くへ潜りて知りて


 季節は月風へと移ります。星風の季節に出会った人々、この世界について新たに得られた知識、それらはイセカの研究意欲を高めるばかりで、自ら大きな行動を起こし始めます。それがこの季節――月風の季節でした。

 今回、イセカが研究対象としたのはビーダの領域である遺跡です。表層の部分だけではなく、地下深くにはどれほどの空間が広がっているのでしょう。

 しかし、彼一人で探索するには明かりもなく危険な場所です。まずサーワに協力を頼みましたが、遺跡には興味がないと断られました。それから、他の知り合った人たちに声をかけていき、集まった協力者は三人です。

 一人は、ドギド・ドーギ。たまには森林の外に出るのも護衛としての勘を維持するには役立つと、快諾でした。

 一人は、ビダビ・ビーダ。遺跡そのものに興味はない彼ですが、遺跡の表層部分と地下の浅い部分は彼の居住空間と、彼の一族の居住空間だった場所です。その区別くらいはしてもらわねば困ると、協力を引き受けてくれました。

 一人は、バジバ・バージ。遺跡の傍には滝があるんだ、地下水脈に未知の魚もいるかもしれないと、噂で伝わっていた彼から洞窟にやってきて同行を願い出ました。

「見事に男だけが集まったものだな」

 揃った面々の名前を聞いたサーワからは、微笑とともにそんな答えが返ってきました。

「そうだね。できればヒーラもいてくれると心強かったんだけど、邪魔はできないよ」

「ふむ。アチもそれがいいと思うぞ。珍しく、『バージがいないなら困ることはない?』と、コーネから親睦を深めようとしているのだからな」

「ネン〈燃〉の術気が得意な人も、一人はほしかったのだけどね」

「ルエもいきなり深くまで潜るつもりはあるまい? どうしてもと言うのなら、次はアチも手伝ってやろう。遺跡深くに見たことのない竜獣が棲んでいる可能性も否定はできぬからな」

 そして集まった四人が、遺跡を探索する日が訪れます。現地集合ということで、遺跡で待っていたビーダに、森林内で合流したイセカとドーギの二人が加わります。話によるとバージも少し前から来ているとのことで、三人は彼が見に行ったという滝の近くまで歩きます。

 それは遺跡の一階部分の建物と、地下部分への階段部屋がある場所からずっと先に抜けた場所でした。ビーダが暮らしているとはいえ、彼もその全貌を知らない広い遺跡です。前にイセカが二度訪れたときも、そこまでは行ったことがありませんでした。

「お、みんな来たな。どうだ? この滝。地下水脈でもありそうだろ?」

 足音に気付いて、振り返ったバージが遺跡に流れる滝を指さします。

「どうなんだい、ビーダ?」

「ここは遺跡の端の崖だろう? 僕も遺跡の床石を剥がしたことはないから、暗渠がある可能性は考えられるね。これだけの遺跡だ、全てを活用して暮らしていた時期に、水路くらいは通しているだろう」

「ほう。天然ではなく人工と予想するか。けど、ビーダも知らない昔に作られたものなら、滝を登って魚が棲みつくには十分だな。そのまま定着したのなら、かつては海の魚でも今は川の魚だ」

「此方は本当に川魚にしか興味がないのだな」

「ああ、ま、それはいいさ。今日の俺はイセカの付き添いだ。途中でちょっと自由に行動するかもしれんが、なるべく一緒に行動して助けてやるぜ。それに……」

 バージは黙っているビーダの顔を見ます。ビーダは小さく肩をすくめると、続けて小さく首を横に振りました。

「僕もお前もスイ〈水〉の術気が得意だ。二人いた方が、その地下水脈とやらも見つかりやすいって魂胆だろう? 別に手伝ってもいいが、壊すなよ」

「当然だ。無闇に壊して魚の棲みやすい環境を崩すなんて、釣り人として一番やっちゃいけないことだ」

 バージと合流したイセカたちは、四人で遺跡の探索を始めます。地下に降りるための階段がある部屋はいくつかありますが、最も広くて安全な場所をビーダは示しました。

「あそこはかつて、僕の一族が暮らしていた空間だ。階段の先にも少しは下りたことがある。地下二階までだから、それより先は知らないし、二階だって全貌は知らないから注意するんだな」

「我が輩が先行しよう。此方らは後から付いてくるがよい。長年残っている遺跡だ、よもや崩れることはなかろうが……罠や仕掛けの類があるやもしれぬ」

「ドーギは罠にも詳しいのかい?」

「我が輩も護衛としてこの島にいる。此方らよりは、な」

 ドーギを先頭に、イセカたちは遺跡の地下一階部分を通り抜けて、地下二階への階段を下りていきます。そのまま三階まで下りることもできるようですが、探索するのは遺跡全体です。

 地下二階には大きな空間が広がっていました。天井と壁と床だけが視界に入る、とても大きな部屋です。他には何もなく、柱の一つもありません。それゆえに目には多くが入りますが、細部に何があるか――全貌を知るには注意深く見る必要があるでしょう。

「へえ、綺麗だね。ビーダが下りたことがあるのはいつだい?」

「歳が五つにもなる前だ。何日前かは覚えていない」

「ありがとう。それに、思ったよりも明るいみたいだ。壁が発光しているわけではない。天井に隙間があるようには見えないけど、どこかから光を取り込んでいるのかな?」

「階段からの光じゃなさそうだな。こういうところにいる魚は……いや、ここにはいないな」

「僕も怪しい流れは感じない。当然、天井の方にもな」

「僕はもう少しこの階を調べてみるよ。怪しいものはなくても、異世界の遺跡を調べるだけでも興味深いからね」

 イセカが言って壁際に近付くと、ドーギも一歩進んで近くで待機します。

「我が輩は此方を守ろう。……やることも他にないしな」

「じゃあ、俺たちも部屋をじっくり調べるとするか。な! ビーダ!」

「僕を巻き込むな。水脈探しはお前の目的だろう?」

 ビーダは呆れた声で答えながらも、バージと一緒に行動します。それからしばらく、二人と二人で遺跡の地下二階を調べ続けました。

「水脈はなかったな。イセカ、お前は収穫あったのか?」

「いや、ここだけじゃまだわからないね。三階まで潜ろう」

 見たことのない石ばかりですが、それだけならこの島にいくらでもあります。どこの石なのか、どう加工されたのか、そこまで調べ尽くすことはできませんから、同じ石がどこに使われているのか、何種類の石が使われているのかを調べるのが大事です。

 彼らは再びドーギを先頭に、階段に戻って三階へと下りていきます。三階まで下りても明るさは変わることなく、暗さを増さない遺跡にイセカは興味を惹かれます。

「ここはいくつかの部屋に分かれているようだね。扉もある。全体の広さは変わらないようだけど……」

「閉じられた扉か。僕も開けたことはないな。他の居住空間で、似たようなものは見たことはあるが……」

 地下三階に見えたのは、広く長い部屋と二つの扉でした。二つというのは見える範囲にある扉の数で、部屋にはまだいくつかの扉がありそうです。

 左手にある扉の前にドーギが立ち、軽くその扉を押してみます。すると扉は押した方向ではなく、横に動いて開きました。イセカにはすんなり開いたように見えた扉でしたが、彼が右手にある別の扉を触っても全く反応はありません。

「やはり此方には簡単には開かぬか。だが、術気の使い方は知っておろう?」

「術気……。こうかな?」

 彼にはほとんど使えない術気ですが、僅かな術気でも扉は反応して横に動いて開きました。

「ああ、こういう仕組みだったのか」

「開けたことがないからわからない?」

「ああ。しかし、お前でも反応するということは……」

 奥にある二つの扉にビーダとバージが向かい、軽く手を触れて扉を開けます。最初にドーギがそうしたように、すんなりと扉は横に動いて開きました。

「よし、開いたぞ! けど……」

「中には何もないね」

 扉を開けた二人の声が遺跡の部屋に響きます。

「こっちもだよ」

「我が輩も同じだ。此方が望むなら、くまなく調べてもいいが……」

「その必要はないよ。部屋の間隔から、この四つの部屋はおそらく同じ目的で使われていた部屋だ。二階と比べて際立った違いはないし、些細な違いも扉以外には何もない。そうなると、怪しいのはやっぱり……」

 扉の並んだ広い道のような大部屋を抜けて、イセカは突き当りの壁から後方を見回します。入口からは見えない場所に他の扉や部屋があるのではと推定しての行動でしたが、そこにあったのはいくつかの石の机と、いくつもの石の椅子でした。

「ここで食事をしていたのかな? 食材は……ないと思うけど、探してみよう」

 強い興味で動いているイセカは、軽い警戒はしつつも一人で調べ始めます。そんな彼の動きを予想していたドーギも、彼の後ろから護衛の役目を自然に果たします。研究者が時に予測もつかない行動をとるのは、サーワの護衛で彼もよく知っています。

 学者船団としてやってきた中でも、到着してすぐに島に滞在することを決めたサーワは、とりわけ行動の予測がつかない研究者でした。それに比べればイセカの行動はだいぶ予測しやすいものですが、それでも意外な行動をとることがあるので、ドーギの護衛としての勘を維持するのに大いに役立ちます。

「食べ物か。魚は、いないな。腐った魚でも、俺が見落とすはずはない」

「海魚は見落としそうなものだが、違うのか?」

「あのなあ、海魚と川魚の見分けができなきゃ、川釣りは極められないだろ? ああ、肉や野菜は全然だから、わからないけどな」

 遅れてバージとビーダも加わりますが、食事の残骸は一切見つかりませんでした。近くに倉庫の類もないようで、ついでに水脈も見つかりませんでした。

「けれど、この加工は興味深いね。石がとても綺麗に加工されている。触り心地も、石なのに柔らかみを感じる不思議な感触だ。ドーギ、君にも真似できるかい?」

「……ふむ」

 問われたドーギはイセカがそうしていたように石の机に触れると、少し考え込みます。それから石の椅子に視線を向けると、小さく頷きました。

「ここまでの机は我が輩にも図面がなくては無理だ。だが椅子の一つくらいなら、十日もあれば作れるだろう」

「それは石を用意したらの話かい?」

「同じ石の場所がわからぬから、そうなるな」

「それを、これだけの数……。机のことも考えると、多くの人がいたのは間違いないね。ドーギくらいにヨウ〈葉〉の術気が得意な人は、一般にはどれくらいいるんだい?」

「あまり多くはないな。それに我が輩が見たところ、これらは……」

 ドーギに視線を向けられたビーダが言葉を継ぎます。

「スイ〈水〉の術気も加工に使われている。それにおそらく、ネン〈燃〉の術気も」

「みたいだなー。それにこれは、一人でやったんじゃないか? この机の角の部分、この中で簡単にできるやつはいるか?」

 バージの問いかけに、その場にいた全員が否定の反応を示しました。

「つまり、サーワくらいの人がたくさんいたか、一人の制作者が時間をかけて作ったか、そのどちらかというわけだね」

「俺も釣り竿しか作ってないから、断言はしないぞ? ドーギも図面があればできるんだろ?」

「否定はせぬ。簡単に、はできぬがな」

「専門とする職人なら、僕らの知らない技術で作れるかもしれない」

「それが古代の技術の可能性もある、と」

 イセカの言葉に、ビーダはゆっくりと頷きます。

「面白いね。そもそも、加工が必要なものは石の机や椅子だけじゃない」

 イセカは石の机と椅子が置かれた空間、遺跡の部屋全体をぐるりと見回します。

「この遺跡を作るのがまず先だからね。もう少し深くまで潜りたいところだったけど、僕にはまだまだ知らないといけないことがあるみたいだ。まずは、現代の加工技術からだね。その前に、いくつかみんなに聞いてもいいかな?」

「武器に関してなら、我が輩が答えよう」

「僕には聞かないでほしいね。料理ぐらいなら、多少は答えられると思うけれど」

「釣り竿と魚なら、俺に聞いてくれていいぞ!」

 イセカたちは机を挟んで椅子に腰を下ろすと、しばらくの間、イセカの質問を中心に話を続けました。途中で脱線して、ドーギが武器の性能まで深く語ったり、バージが魚の釣り方についての話を始めたりもしましたが、イセカの聞いた質問には全ての答えが返ってきました。

 しかし、彼の疑問はまだ尽きません。けれどもそれは、異世界研究を続ける彼が時間をかけて解いていかないといけないものです。

 イセカ、ドーギ、ビーダ、バージ、の四人の遺跡探索は、地下三階で終了。彼らはイクが浮かぶのに合わせるように遺跡の地上に出て、それぞれの住処に帰還したのでした。

 後日、イセカはふと座った椅子の座り心地がよくなっていることに気付きます。見た目は最初から洞窟内にあった木の椅子と同じでしたが、座面だけが微妙に変わっていたのです。

「気付いたようだな。ルエから聞いた遺跡の椅子を真似してみたのだが、どうだ?」

 向かいに座るサーワが言葉を言い終わる前に、イセカは立ち上がって触り心地を記憶と比べます。話をしながら座ったときとの比較は、立ち上がるまでに終えています。

「そっくりとは言えないけれど、近いものだね」

「アチも聞いただけだからな。仕方あるまい」

「それでも、石と木でここまで近い感触にできるのは凄いよ。どれだけかかったんだい?」

「一つにかかった時間は、ものの数分だ。研究の片手間に、アチの座るものと、ルエの座るもの、二つを加工しただけに過ぎぬがな」

「石でも同じことができそうかい?」

「数分では難しいな。ここの木はアチもよく知っている。それに、加工した椅子はアチが作ったものだ。現物を見ずにやるつもりはないさ。ルエも別に望んではいまい?」

「そうだね。どうせ頼むなら、遺跡の再現を頼みたいよ」

「どうしてもと言うなら構わんが、研究が終わってからにしてもらおう。それまで無事にいることだな」

 サーワはそう言って小さく笑いました。イセカも小さく笑って頷くと、再び座り心地の格段によくなった木の椅子に腰を下ろすのでした。


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