研究の合間に洞窟の広い机で食事をしていたサーワの元に、空いている部屋で彼の研究結果を整理していたイセカがやってくると、サーワは食事の手を止めて口を開きました。
「イセカ、登山に興味はあるか?」
答えが返ってくるまでの間に、サーワは最後の一口を口に運んで食事を終えます。
「僕の世界ではあまり興味はなかったね。でも、この世界の山には興味があるよ」
「そうか。途中に危険な竜獣もいると思うが、興味があるなら最短で向かうのもいいな」
「珍しく歯切れが悪いね」
「ああ、アチも登山に興味はないからな。だがルエと二人なら新たな発見もあるかもしれないし、最短で向かうとしよう」
この会話で二人の今日の目的地は決まりました。
「ところで、危険じゃない竜獣なんているのかい?」
「いるならアチも会いたいな。アグラクのように、こちらから接触しなければ安全な竜獣も存在するが……。あの辺りにいるタメダメは非常に好戦的でな」
「というと?」
「見かけたら襲ってくるどころではなく、襲いかかるために常に探して動き回っているのだ。高山周辺の森林側をな。あそこにはたまにロクシチが出てくるから、それらを狩るためだとアチは推測している」
「まだ推測なんだね」
「一度や二度見ただけでは、証拠としては乏しいからな。かといってアチが直接近付いて囮になるわけにもいかない。あいつはなかなか逃がしてくれないからな。生きるために倒してばかりいては、行動が変化してしまう可能性が高い。研究を続ける上で、そういったことはなるべく避けるべきなのはわかるな?」
「よくわかるよ。僕の場合は研究対象は異世界そのものだし、術気も使えない僕にこの世界を変化させるようなことはできないけれどね」
「ふ。その通りだな。さて、アチは食事を終えた。ルエがいいなら今すぐにでもいいのだが、休息が足りないなら明日にしてもいい」
サーワの言葉にイセカは少しも思案の気持ちを顔に浮かべることはなく、すぐに答えを返しました。
「明日にさせてもらうよ。まだ少し整理したいことも残っているんだ」
「では、アチも別の研究を続けるとしよう。明日のこの時間より少し前、出発はそれでいいな?」
「了解」
それから二人はその日の研究を続けて、終われば、明日の行動のために体と精神をゆっくり休めて、翌朝を迎えます。
リアが高く昇りきる前に、二人は洞窟を出発しました。森林を抜ける頃にリアは天高くまで昇り、タメダメの行動範囲が近付きます。
「ロクシチはあまりいないみたいだね」
「うっかり外の出てしまえばタメダメに食われてしまうからな。やつらも危険な場所には無闇に近付かない。小型の竜獣ゆえの知恵とも思えるが、大型の竜獣にも知恵が回るやつはいる。この島の広さを考えると、また見つけられた痕跡からも、未知の竜獣が他にも多くいるのは間違いない」
「出会ったらどうするんだい?」
「今回はルエもいるし、倒して通り抜けるとしよう。なに、ルエは囮になるだけでいい。直撃すると半身を吹き飛ばされる攻撃もあるから、十分に気を付けるのだぞ」
「それは……、随分と危険な囮だね」
「最初は二人で引きつける。その間に学べばいい」
話している間に、二人は森林を抜けます。森林の東にある高い山が視界を埋め尽くしますが、伝えられていた竜獣の姿はありません。
「まだいないようだな。だが、山に近付くまでにきっと現れるだろう。アチの研究が間違っていなければ、この時間は狩りが最も活発化する時間だ」
「間違っていることを祈りたいね」
「ふふ、それもまた面白いな。アチの予測を越えてくるなら、タメダメは想像以上の知恵を持つ竜獣だという証明になる。あるいは、より大型の、より強力な竜獣を発見できる痕跡が見つかるかもしれない」
そこでふと、サーワが足を止めて真剣な顔で辺りを見回します。話していた竜獣が現れたのかとイセカも周囲を見回しますが、大型の竜獣の姿はどこにもありません。
「あそこにロクシチがいる。出てきたようだな」
「上手く囮に使えば、無傷で抜けられるかな?」
「いや、むしろ逆だ。ロクシチに襲いかかったら、次はエルカが狙われる。――ほら、あれがタメダメだ」
サーワが指さした先、高山の岩々を掻き抜けて大型の竜獣――タメダメは姿を現しました。特徴的なものは全身についた多数の目で、十、二十、遠目に見ても三十以上はあるのが見てとれます。
身を隠さずに高山に近付きながらイセカたちが眺めていると、タメダメの目の一つが輝きを放っていきます。
「さて、今のうちに少しでも接近するぞ。あれが狙っているのはロクシチだ。エルカにも気付いているとは思うが、狩りやすい方から狩る魂胆なのだろう」
サーワの言葉にイセカは頷いて、輝きを強くしていくタメダメの目を見ながら、素早く近付いていきます。
まだまだ距離はありますが、その輝きの増大が止まった直後、タメダメの目からは強力な光線がロクシチへ向けて放たれました。遠くからでもロクシチが一撃で絶命したことを悟ったイセカは、その光線の威力に目を瞠ります。
「何に気を付ければいいかわかったな? なに、恐れることはない。威力は高いが連射が効かないからな。ただ……」
タメダメのこちら側に向いた目の全てに、光が集まり輝きを放っていきます。
「同時には放てるんだね。ここからだと全速力で二発、いや三発かな?」
「四発にしておけ。この距離ならかわすもの簡単だが、近付けば危ない。やつの目は百個あるからな。至近距離でまとめて放たれたら危険だ。四発目を避けた直後に、一気に接近するぞ」
「了解」
サーワの指示に従って、イセカはやや速度を落として接近します。一発目の光線は本数こそ多いものの、距離が離れているためかわすのは簡単です。二発目も同じ本数が飛んできましたが、まだ十分に余裕を持ってかわせる距離です。
「チャージ中が隙かい?」
「少なくとも攻撃はされないな。だが、溜めている間は硬毛に守られている。一撃で倒せるほど容易くはないぞ」
「なるほど。さすが竜獣だね」
三発目の光線は上部の目からも放たれて、時間差で頭上からの攻撃が届きました。本数が少ないのでイセカも無事にかわせましたが、四発目は全身から光線が放たれます。
「おっと!」
「足を止めるな! 百は全てこちらには届かん! 見せかけだ!」
思わず足を止めたイセカは、サーワの声に反応してすぐに足を動かします。彼女の言葉通り、イセカたちのところに届いた光線は六十本程度でした。
光線を潜り抜けて先に近付いたサーワがタメダメの皮膚に攻撃を加えます。イセカも続いて拳を叩き込みますが、硬毛は硬く叩き込んだ拳の力も多くが吸収されてしまいます。
「これ、倒せるのかい?」
攻撃を続ける間も、タメダメの全ての目に光が集まっていきます。この距離では光線をかわすのは困難ですし、守りを固めたとしても別の目から放たれた光線が横から飛んできます。一本なら軽減できたとしても、その全てを受ければたとえ軽減できたとしても行動不能になるのは明らかです。
「アチは術気も使っている。手を休めるなよ。放つ瞬間に守りが薄くなることなどない。相討ちでいいなら、光線を身に受けながらも反撃することはできるがな」
「そういうわけには――いかないね!」
可能な限り全力で、素早く、イセカは拳を叩き込んでいきます。サーワも同じように拳と、蹴りと、さらにはネン〈燃〉の術気を使った爆発、スイ〈水〉の術気を使った流れるような連撃、ヨウ〈葉〉の術気を使った一点に対する集中攻撃、様々な技を織り交ぜながら攻撃していきます。
「意外と、ばらばらなんだね?」
「ルエは一箇所を崩しただけで、タメダメが倒れると思うか?」
「思わないね。半身を崩したとしても、残る五十の目から光線が放たれる」
「ああ。だがエルカなら、一気に仕留められる!」
叫び声とともに、サーワの叩き込んだ攻撃でタメダメは体を崩れ落とします。しかし目に集まる輝きは強くなる一方で、攻撃は止まりません。
「一対一なら、少しずつ削る必要があって、大変な相手なのだがな!」
「僕一人だったらと思うと、考えただけでも怖い――ね!」
サーワの強い蹴りと、イセカの跳び上がっての蹴りが、タメダメの別の場所に同時に衝撃を与えます。その衝撃は硬毛を貫いてタメダメの体をさらに崩れさせ、もう少しで倒せることをイセカは理解します。
しかし、集まった光も極大に近付いています。ほんの少しでも遅れれば、倒す直前に放たれた光線で、相討ちにはならずとも、大怪我をするのは避けられないでしょう。
「イセカ! 最後は、頭の上だ!」
「了解!」
崩れた体を駆け上って、イセカはタメダメの頭上に拳を叩き込み、反動で跳び上がった空中から鋭い蹴りを落とします。直後に身を翻して着地するイセカと入れ替わるように、サーワはネン〈燃〉の術気を込めた蹴りを同じ場所に直撃させました。
タメダメは静かな音を立てて地面に崩れ落ちます。段階的に崩れたため大きな音にはなりませんが、極大まで輝いた光が霧散する様子は、イセカとサーワが戦いに勝利したことをわかりやすく示してくれます。
「やった……。やれたね」
「アチとルエなら当然だ。そのためにルエも鍛えたのだろう?」
「そうだね。一人だったら、怖くてここまで積極的に戦えた自信はないけれど」
イセカの言葉にサーワは小さく笑って、彼を優しく見てから言葉を続けます。
「まだ安心するなよ。本番の山登りはここからだぞ?」
「はは、そうだったね。これはどうするんだい?」
「そことそこ、あとはあそこを切り落として、持っていくとしよう。タメダメの中でも特に栄養がある部分だ。全てを持っていけないのはもったいないが、あまり重い荷物は持てないからな」
「ロクシチの餌にでもなるのかな?」
「どうだろうな。ドーギやコーネが見つけて持っていくかもしれんし、他の竜獣が見つけて餌にするかもしれん。何にせよ、死んだ命が無駄になることはないだろう」
サーワに言われた部分をイセカが手刀で切り落とすと、サーワが持ち運びと食事をしやすいように術気で加工をします。生きている間は硬毛に守られて硬かった体ですが、死んだタメダメの毛は柔らかくなり、的確に腕を振り下ろせば簡単に肉を削ぐことができました。
山登りに役立つ食糧を確保した二人は、周辺を警戒しつつ島で一番高い山に登っていきます。
「ここに竜獣は?」
「ああ、おそらくいるだろうが、少し登れば出会う可能性は低いだろう。この山は険しいからな。大型の竜獣が登るには足場が悪すぎる。もっとも……」
「タメダメなら、光線で攻撃ができる。山に逃げ込んでも安心できないってことだね」
「その通りだ。しかし、警戒は怠るなよ。未知の竜獣にどんなものがいるかまでは、アチにも予想できない。出会ったら出会ったで、じっくり研究させてもらうのだがな」
イセカたちはなるべく歩きやすい場所を選んで、かつ少しでも早く登れる場所を歩き、高い山の頂上を目指します。
頂上は常に見えていますが、そこまでの道のりはまっすぐではありません。途中でタメダメから確保した食糧を口に入れて、体力は十分ですが疲労は溜まります。
「山を越えることが目的なんだよね?」
「ああ。頂上付近を経由するのが一番早いが、頂上に登る必要はない。ルエが見たいなら寄り道してもいいが、どうする?」
「増える時間は?」
「頂上付近は特に険しいから、数時間はかかるな」
「下山するときにはイクが見えそうだね」
「目的地は山を下りた先の湖だ。目立つから暗くても見えると思うぞ」
サーワの答えにイセカは少し考えましたが、今回は目的地にいる人物も気になるため、迅速な山越えを優先することにしました。
イセカがその旨を伝えると、サーワは頷いて目的が定まります。二人は最短の距離で山を登り、頂上付近に辿り着くと一旦足を止めて軽く景色を眺めてから、目的地の湖へ向けて山を駆け下りていきました。
頂上でないとはいえ、島で一番高い山の頂上付近です。その見晴らしはかなりのものでしたが、頂上が北側にあるために視界に広がる多くは東と南の海です。それから眼下に湖と大きめの家があり、その北には草原も見えましたが島の北端までは見えません。
登るよりは幾分か楽な下山はもうすぐ終わりです。目の前に近付いてきた湖の美しさにイセカは見蕩れますが、近いからといってそこが終着点ではありません。
「イセカ、こっちだ。回り道は嫌いか?」
「僕も湖の中に突っ込む気はないからね。回り道も大歓迎さ」
二人は湖の南側に回り込んで、高い山の麓から裾野に進んでいきます。
「あそこに二人の女性がいる。まあ、会ってみればわかるだろう」
サーワの言葉を耳にしながら、イセカは彼女に続いて歩き、湖のほとりに建つ大きな家の前に到着します。促されたイセカがノックをしようとした矢先、中から扉が開いて若い女性が姿を現しました。
現れたのはグラマーな色気のある女性で、扉の前に立っていたイセカに笑顔を見せます。
「ああ、君の話は噂に聞いてる。あたしはタユタ・ターユ。この島で発明芸術作品を創っているものだ。サーワと一緒にいるなら、見たことはあるかな?」
「白円錐なら見たことがあるよ。えっと、知っているかもしれないけど、僕は稲荷イセカ」
ターユはイセカの言葉を耳にしながら、一度後ろに視線をやってから、イセカの後ろに視線を向けます。イセカはサーワを見ているのかと思いましたが、それにしてはやや視線の方向が違うことに気付き、彼もそちらに視線を向けます。
イセカが見た先には、キュートな若い女性が立っていました。グラマーなターユとは対照的ですが、キュートな彼女にも同じくらいの色気を感じます。
「わたくしはフニフ・フーニです。初めまして、イセカさん」
「いつの間に……いや、この家の広さなら元々、外にいたのかな?」
「ご明察だよ、イセカくん。妹が見つけたから、あたしも君がノックするより先に扉を開けることができた。ふむ。サーワが連れてきた異世界人は、なかなかの知恵が働くようだ」
「だろう? ただの食糧にするには惜しくてな」
笑顔のターユに、サーワも微笑みで返します。イセカの視線の先にいるフーニは微かな笑みも浮かべていませんが、優しい表情でイセカを見つめています。
「イセカさん、サーワさん。今夜はゆっくり休んで、お話はまた明日にしましょう。姉様もいい機会なので、今日は早めに寝てもらいます。いいですね?」
「あたしはもっと発明を続けて、芸術に心を燃やしたいのだけどね」
「姉様の設計図を形にするのは、わたくしであるのをお忘れですか? 寝ないからといってお手伝いをしないとは言いませんが、わたくしにも限界があります」
「仕方ないね。じゃあ、サーワはいつもの部屋で。イセカも同じでいいかな?」
「構わない」
「構わないよ」
二人は同時に答えて、ターユに案内された部屋で一夜を過ごします。ベッドの三つ並んだ寝室へ向かう途中、歩いた部屋には様々なものが散らばっていました。何かの設計図に、何に使うのかわからない物体が多数、床に天井に壁にばらばらに置かれています。
それらも発明芸術作品の一つであることは推測できましたが、一つ一つ尋ねている時間もありません。イセカとサーワと、それからターユも、フーニの提案通りに今夜はゆっくり休むことにしました。
そして翌朝、その様々なものが散らばった部屋で、彼らは話をします。中央に置かれた大きな椅子に座るターユに、傍らに立って飲み物を淹れるフーニ、向かい合うイセカとサーワは小さめの椅子に座っています。間にあるのはテーブルではなく、何に使うのかわからない横長の物体です。イセカの知っているものではバイクのような乗り物に形が似ていますが、ハンドルもなくサドルもなく、全く別の用途に使うものであるように感じます。
「今日は何の用かな、サーワ?」
「アチの用件は湖周辺の竜獣調査だ。その間に暇なイセカに、ルルナからこの世界について話してもらいたい。彗隕精については、この島で一番詳しいのはルルナだろう?」
「それは間違いだね、サーワ。彗隕精そのものに対して、最も詳しいのは彼女だ。ただ、外から見た彗隕精を語るなら、確かにあたしたちが一番と言える」
「姉様が大大陸で発明芸術作品を創るのをやめた理由であり……」
「あたしの大切な友人、騎士隊長として立ち向かった彼女を殺した存在。それが彗隕精だ」
「この世界にとって、最も畏怖の対象とされていた存在です。イセカさん――あなたは、全てを聞く覚悟はありますか?」
畳み掛けるような二人の言葉に、イセカはサーワの意見を求めようとしますが、彼女はいつの間にか椅子を立っていました。ぐるりと見回すと、扉の近くにその姿が見えます。
「アチは研究に向かうぞ。ルエは話を聞いているといい」
軽く手を振って、扉の外へ歩いていったサーワに、イセカは肩をすくめてからターユに向き合います。
「書き留める紙の準備はできているよ。是非教えてほしいね」
「研究者とは勇気に溢れるものだな。竜獣よりも危険な存在、知らぬ方が恐怖もないだろうが、是非というなら全てを話そう」
「姉様、わたくしはこの話し方に疲れました。確かに彗隕精は、この世界に暮らす一般の方々にとっては、重々しく語るべき存在ですが……」
「ん? あたしはもっとやってもいいが、そうだな。あたしもフーニも、一般の方々などではない。彗隕精に襲われるよりは安全だからといって、世界の果てを越えようとしたくらいだからな。ま、その辺りの経緯も話してやるとしよう」
フーニに告げられて、ターユは小さく肩をすくめつつ答えます。イセカもまるで異世界に来た勇者みたいだと乗ってはいましたが、彼が憧れるのは勇者ではなく先達の優れた研究者です。一転、和やかな雰囲気で彗隕精についての話は語られ始めました。
「この世界には神がいる。その神をも食らう存在が彗隕精だ。かつて神により封じ落とされ、大陸を二分した――君もこれくらいは知っているかな?」
「本で読んだよ。それが今の二連大陸。ずっと東にある大大陸の南、草生えの岸辺との間にある大陸だね」
「ならば、神の住む場所も知っているかな?」
「大大陸の東、輝きの海を越えた先の神の世界。それと、大大陸の南側、そこから少し東に位置する神大陸にも住んでいるのかな?」
「うむ。基本的な知識はあるようだね。ああ、そうそう、ここで話した方がいいから話しておこう。あたしとフーニはその大大陸の出身だ。……さて、この島にある本で得られる知識では、君の認識はそこまでかな?」
「遠い昔の伝説の話だね。創世神話のようなものとして捉えていたけれど、まだ続きがあるんだよね?」
イセカが読んだ本に載っていたのは、古い話に出てくる彗隕精の名前だけでした。より新しい書籍も何冊もありましたが、そのどれでも彗隕精については過去の存在として扱われていました。
「ああ、その彗隕精なんだが、最近までこの世界で暴れ回っていてな。神とともに再び封じ落とされたのは最近のことだから、この島に本がないのも当然だ。もっとも、あたしはその光景を目にしたわけではない。境界大陸の場所はわかるか?」
「ここからずっと海を越えた先、大大陸に着く前にある細長い大陸だね」
「そう。二連大陸で目覚めた彗隕精は、神大陸へは直接向かわなかった。人の世界で力を蓄え、神の世界に攻め込むために、境界大陸から大大陸へと向かったんだ。境界大陸に派遣された騎士団には、あたしの友人もいた。騎士隊長として多くの騎士を率いて、勇敢に戦ったのだが……彗隕精は、人の力ではとても倒せるものではない。結果は目に見えていたさ。あたしの大切な友人だから止めはしたんだけどね、彼女が聞くはずもないこともわかっていたんだよ」
「わたくしにとっても、姉のような方でした。彼女は帰ってくることはなく、騎士団は壊滅したと伝えられています」
「結局、神の力なくしては彗隕精は倒せない。封じることもできない。だからあたしは、大大陸を出ることにしたんだ。飛潜船〈ひせんせん〉という特別な船を作って、世界の果てを越えてやろうとね。あたしの発明芸術作品ならできないはずはない、と一度この島に停泊してから、世界の果てに向かったのだけれど……。ま、どうなったかは今のあたしを見ればわかるだろう?」
「世界の果ては越えられなかった。それからこの島で発明芸術作品を?」
「大大陸には彗隕精がいて、研究どころじゃなかったからね。多くは外大陸や境界大陸に逃げようとしたが、ここまで逃げようという者はいなかったね。もっとも、逃げる前に彗隕精に命を奪われた人もたくさんいたから、その中にいた可能性は否定できないがね」
外大陸はこの島よりずっと北東、境界大陸の西にある小さな大陸です。小さいといっても大陸は大陸なのである程度の広さはありますが、大大陸に比べると五分の一ほどの広さしかありません。
「その頃に比べると、この島の方がいくらか安全だったわけです」
「そんな状況なのに、よく学者船団がやって来れたね?」
「彗隕精の目的は神だ。人はその道にいるから巻き添えにされたに過ぎないし、侵攻の邪魔をしなければ相手から攻めてくることはない。人が無謀にも何度も戦いを挑み、それに気付いた頃の話だね。神大陸の神が教えてくれれば簡単だったのだけど、神もまた人には理解が及ばぬ存在さ。あたしの考えでは、神も時間を稼いでいたのかもしれない。彗隕精を倒した神は、普段は神大陸にいない神の世界からやってきた神たちだと聞くからね」
「人が戦っている間に、神が戦力を整えていたのでしょうね。言葉も通じているのかわからない存在ですから、真偽はわかりませんが」
ターユとフーニの話を聞き終えて、イセカは神妙な顔で感想を口にします。
「まるで神話の話だけど、実際に最近あったことなんだね。それがこの世界、――とても興味深いよ」
イセカが見せた反応に、ターユは小さく笑って答えます。
「サーワと同じ研究者の感想だね。怖くはないのかな?」
「既に倒されたものに恐怖を抱く必要はないさ。そんなものより、ここにいる竜獣の方がよっぽど怖いね。彗隕精がいなくなった今、最も危険な生物は竜獣なんだろう?」
「……ああ。そうとも言えるが、ふふ」
少しの間を置いて、曖昧に帰ってきた答えにイセカは首を傾げます。
「ここから先は、わたくしたちから話すことではありません。あなたが彼女から直接聞けばいいでしょう。わたくしも姉様も、あまり詳しくは聞いていないものですから」
「彼女? さっきも出ていたけど……」
「ここからは遠いし、竜獣もいる。君がそれでも行くというなら、あたしは止めないよ。君の実力には詳しくないけれど、あたしは発明芸術作品の創作で忙しいからついてはいけない」
「わたくしも姉様のお手伝いをします。道案内くらいはできますが……」
「一人で行くのは危険だね。君たちのこと、ここで見ていてもいいかな?」
イセカは迷わずそう答えて、二人に尋ねました。それからサーワが戻ってくるまでの間、イセカはターユとフーニが発明芸術作品を創作し、制作する様子を見ていました。
彗隕精に関わる彼女について気になるイセカでしたが、無理はしません。異世界の研究はまだまだ始まったばかりです。先にこの場にいる発明芸術家の彼女たちと深く接してからでも、調べるのは遅くないのですから。