世界の果てのその向こう

―終章―

第五話 ミルニ・コンクェイラ


 次の日は街から離れたところの調査へ向かうことになった。ここ数日で、とりあえず街の側に危険な怪物がいないことは把握できた。ならば、近づいてくる怪物がいないかの調査をするのは必然の流れだ。

 かといって、その間に街が襲われる可能性もあり、効率も考えて、二手に分かれて調査をする。サクヤは街の外を全般的に。俺は街の中を歩き回り、旅人からの聞き込みだ。

 最初に向かったのは広場。神の柱の周辺には街の人は滅多に訪れない。逆に考えると、ここを訪れている人は、旅人である可能性が高いということになる。

 十数分ほど広場を見張っていると、果たして、神の柱に近づく人が現れた。ヒヨリよりも幼い、可愛らしい少女。長めの薄い緑の髪はストレートに下ろされ、結わえた檸檬色の紐リボンが目に映える。

 彼女は神の柱をじっと見つめてから、広場の周囲をぐるりと見回した。ふとしたところでそれは止まり、薄い青の瞳は俺に向けられたまま動かない。

 元々彼女に声をかけるつもりだったからちょうどいい。理由はわからないけれど、彼女は俺に興味を抱いているようだから、突然声をかけても警戒される可能性は低い。そう思って俺が近づいていっても、彼女は視線を逸らさない。

「ちょっといいかな? 聞きたいことがあるんだけど」

 少女は小さく頷いて、囁くように答えた。

「奇遇。私も、話がある」

「俺はクサナギカゲユキ。君は?」

「ミコミャ。ミコミャ・レシアーゼ」

 少女は俺の顔を見上げ、じっと見つめながら名乗る。表情の変化が乏しくて感情は読みにくいけれど、警戒しているようには見えない。

「ミコミャちゃん、でいいのかな?」

 彼女は首をゆっくりと横に振る。

「私はもう十歳。あなたの年齢は知らないけど、十七歳未満ならお断り」

「そうか。それじゃあミコミャ、君は旅をしてるのかい?」

「ん。遠くの街から来た。あなたも、そうでしょ?」

 そう言って、ミコミャは空を指差す。

「あなたは多分、上から来た人。この世界に生まれた人とは違う。神様?」

 小さく首を傾げるミコミャ。俺は驚いて答えに詰まる。彼女の前で神の力――空間を凝結させたことはないはずだ。出会う前に見られていた可能性は残るけれど。

「あなたを見るのは初めて。街には今日、着いたばかりだから。でも私にはわかるの」

 俺の疑問に答えるように、彼女は言った。こういう反応には慣れているのだろうか、表情ひとつ変えずにすらすらと言い切った。

「聞きたいことって?」

「ああ、それなんだけど……」

 俺は怪物の活動が活発化していること、その怪物を退治しようとしていることを簡単に説明して、怪物の情報を何か知らないかとミコミャに尋ねた。疑問はあったけど、今は当初の目的を優先すべきだ。

 彼女は数秒の間目を瞑ってから、ゆっくりと開いて一言、言った。

「ミルニ・コンクェイラ」

 何かの名前だろうか。人名、とは違うような響き。怪物の名前?

「海で見かけた人がいるって、港町で聞いた。おっきなイカ」

「イカの怪物、か」

 記憶を辿ると、すぐに思い当たるものがあった。花怠烏賊(はなまけいか)という名の巨大な怪物。今までに戦った怪物に比べても、かなり強い怪物だ。そして他にイカやイカのような怪物は知らない。

「兄が詳しく聞いていた。こっちに向かってるみたいだって。だから、偉い人に伝えてきてって頼まれた」

「お兄さんは?」

「ん。もう少し調べてから来るって。多分、自分の目で確かめたいんだと思う」

 その情報を待ちたいところだけど、待ってからでは対応が間に合わない。ヒナタやヒヨリにも伝えて戦うだけなら余裕はある。けれど、もしこの街、神の柱のある場所を目指しているのだとしたら、街の人の避難をさせないと満足に戦えなくなる。

 おそらく、ミコミャの兄もその危険を考えて、彼女だけ先に行かせたのだろう。自分の目で確かめるついでに、可能なら多少の足止めもするつもりなのかもしれない。

「次は私。あなたは偉い人? 偉くなくても、慕われてる人なら構わない。この街には神様がいるって聞いた。そして、あなたは私の言葉を否定しようとしなかった」

「俺じゃないよ。けど、その人ならよく知ってる。昼頃には一旦戻ってくると思うから、一緒に来てくれるかな? 近くの喫茶店で待ち合わせをしているんだ」

 ミコミャは頷いて、素直に俺についてきた。といっても、昼まではまだ時間がある。喫茶店が込む前に入る必要はあるけど、もう少し広場にいてもいいだろう。もしかすると、彼女以外にも情報を知る者がいるかもしれない。

 しばらく広場で待っていると、唐突に鋭い声が飛んできた。

「一人で何をしているかと思えば……まさか、そういう趣味があったとは」

 声のした方に目を向けると、そこにはヒヨリが立っていた。後ろにはヒナタがいて、彼女は片手に荷物を持っている。荷物の量も少ないから、買い出しというわけではなさそうだ。

「リリィロットさんがケーキを焼いたから、二人に届けてきてって頼まれたんだ。ついでに色々情報も交換してきてって。サクヤさんは?」

 ヒナタは普通に会話をしてくれた。ヒヨリも本気で疑っているわけではないのは、彼女の顔を見ればすぐにわかる。呆れているように見えるけど、本気の彼女なら口より先に手が出ているはずだ。

「サクヤなら外だよ。もうすぐ戻ってくると思う」

「サクヤ?」

「そう呼べって言われたんだよ」

「それだけならいいんだけど」

 ヒナタが疑わしそうに俺を見ている。彼女の誤解を解くのは簡単だけど、その根拠は他言無用にするようサクヤに言われている。彼女が戻ってきてから、事情を説明してもらおう。

「そうだ。二人も一緒に来てくれないか? 二人にも、この子の話を聞いてもらいたいんだ」

 ミコミャは二人をじっと見つめて、ぼそりと呟いた。

「神様みたいな人が増えた」

 ヒナタやヒヨリに彼女のことを説明する。二人はすぐに納得したようで、互いに自己紹介を済ませていたら、そろそろ喫茶店に向かってもいい頃合になっていた。

 喫茶店で軽く注文をして、六人が座れる広い席でサクヤの到着を待つ。しばらくして到着した彼女は、人が増えていることに少し驚いていたけれど、事情を説明し、ミコミャと互いに自己紹介を終えた頃にはすぐに打ち解けていた。

「そっちの成果は?」

「怪物の姿も気配もありませんでした。最近の流れから、不思議に思っていましたが……彼女の話が本当なら、その怪物たちはコンクェイラと合流するつもりなのでしょうね」

 花怠烏賊――ミルニ・コンクェイラは触手から他の小さな怪物に栄養を与え、その怪物たちは栄養を求めてコンクェイラに集まり、守る。本で読んだ内容と、サクヤの説明した特徴は完璧に一致していた。

 ミルニというのは固体名を表すものではなく、大きさなどを表す言葉なのだそうだ。他にもそのような言葉はあるけれど、コンクェイラという怪物は他にいないので、省略されることが多いという。海に生息する巨大な怪物、コンクェイラ。港町に住む人や、船乗りの間ではもっとも避けるべき危険な怪物として、よく知られているそうだ。

 もっとも、見つかっていないだけという可能性はある。本に似た怪物が載っていないといっても、俺たちは全ての本を読破したわけではないし、そもそも本に全ての怪物が載っているとは限らない。

「では、ヒナタさんとヒヨリさんはリリィロットに。私は街の人たちの避難を誘導します。カゲユキ、あなたも協力を」

 それからの計画はすぐにまとまった。ミコミャの話によると、コンクェイラがこちらへ向かっていると証言した人は複数。見間違いの可能性もゼロではないけれど、その可能性は低いだろう。コンクェイラが襲ってくることを想定して、準備は進めておくべきだ。

「ああ、もちろんだよ」

 彼女ほど街の人に慕われているわけではないけれど、俺がサクヤと一緒にいる姿は街の人にも知られているし、サクヤの手伝いをするくらいならどうにかなるだろう。

「私も、手伝う」

「ええ、よろしくお願いしますね」

 ミコミャに優しい声をかけるサクヤ。ヒナタたちはリリィロットさんの家で、戦いの準備を進めることに決まった。コンクェイラは強敵だ。四人がかりでも簡単に倒せる相手ではないので、色々と対応できるように戦略を練っておかないといけない。

 街の人たちは、街の東側に避難させることになった。戦況によっては街を脱出させて、森林の方へ避難させるつもりだけど、街に侵入する前に倒すのが理想だ。

 街に侵入されれば、人の被害はなくとも建物への被害は避けられない。もっとも、進路がわかっているのだから、コンクェイラ一体だけなら食い止めるのは容易。問題は、そいつと共生している多数の怪物への対応だ。

 こればかりは臨機応変に対応するしかないのだけど、ある程度の役割は決められる。俺、ヒナタ、ヒヨリがミルニ・コンクェイラを含む強敵に対応し、逃げた怪物はサクヤが捕獲。

 細かいことはあとで考えればいいということで、俺たちはそこで分かれて、それぞれの行動を開始した。すぐに街まで来ないとは思うけれど、ゆっくりしている時間はない。

 その日からの避難誘導は、サクヤの人望のおかげか順調に進んだ。数日後、ヒナタたちが街に来て作戦の説明を受ける。多少の疑問点を指摘して、修正して、作戦はほぼ確定した。問題があるとすれば、ミコミャの兄がまだ街に来ないということだ。

「ミコミャ、君のお兄さんはどうしてるかわからないか?」

「ユーグレンです。多分、そろそろ手紙くらいは来ると思います」

 その言葉通り、翌日には港町から手紙が届いた。ミコミャの兄――ユーグレン・レシアーゼは海の上でコンクェイラを監視しているという。今のところ、すぐに襲ってくる気配はないようだけど、怪物が集まってきていて数日中には動き出すのではないか、とのことだ。

 ミコミャからの手紙で、俺たちのことは伝えてもらっているので、それを受けての内容も手紙には含まれていた。曰く、戦いは任せる、ミコミャを守って欲しい、そしてミコミャに手を出したら絶対に許さない、と。

 ちなみにミコミャは現在、リリィロットさんの家に滞在している。ユーグレンからは一月分の宿代――それもサクヤが泊まっている高級宿に泊まれるほどのお金を持たされていたそうだけど、一人では退屈だからと彼女から申し出て、滞在することになった。

 それについて、ヒナタは俺にこう話してくれた。

「ミコミャは料理上手で、色々と助かってるよ。それにヒヨリと仲良くなって、毎日一緒に寝てるんだ。お姉ちゃんとしてはちょっと寂しいんだけどね。まあ、私が誘ったら嬉しそうな顔をしてすぐに来てくれるんだけど」

 そんなことがありながら、ユーグレンから最初の手紙が来て二日後。再び手紙が届いた。今回はミコミャではなくサクヤに直接送られて、内容も短いものだった。

『コンクェイラが大きく動き出した。すぐに準備を』

 手紙を書いた時点で動き出したということは、既に陸に上がってこちらへ向かってきていることだろう。俺たちはヒナタたちにもそれを伝え、戦いの準備を整えた。

 コンクェイラの移動速度、港町とこの街の距離を考えると、街に到着するのは翌日の夜。侵入を防ぐことを考えると、昼には出撃して、街の西の草原で迎え撃つのがいいだろう。街を目指しているのなら、必ずあの草原を抜けなくてはならない。巨体であれば、見逃すことはないはずだ。

 準備を整えて、俺たちは街を出た。遠くに小さな怪物の影が見える。ここからでもぼんやりと見えるということは、あれがコンクェイラに間違いないだろう。

 草原に着いた頃には、はっきりと姿が見えるようになった。サクヤと泊まっていた宿と同じくらいの大きさの、巨大なイカの怪物――ミルニ・コンクェイラ。触手、長い足をずりずりと引きずるようにして、こちらへ向かってきている。

「街を目指しているのは間違いない、か」

 小さな瞳ははっきりと街を、街の中心にある神の柱を見つめている。そのせいか、下部にはあまり視線を向けていないように見えるけれど、近づけば俺たちの姿に気付くのは時間の問題だろう。

 待ち構えていると、コンクェイラは動きを止めて俺たちを見た。俺たちを避けて街へ向かおうとするのを、回り込んで止める。何度かそうしていると、避けるのは無理と判断したのか強行突破を試みてきた。

 何本かの触手を花びらのように回し、突風を起こす。それだけならスカートがめくれるくらいで、痛くないどころか目の保養になる。もっとも、その行動は本で知っていたので、先頭に立たされた俺には何も見えないし、後々のことを考えると振り向く勇気もない。

 それだけなら疲れるのを待てばいいのだけれど、そう簡単にはいかない。突風とともに、触手にくっついた怪物が飛んでくるからだ。

 最初に飛んできたのは、ファルフォルとプニマの群れ。プニマが視界を遮り、ファルフォルが固めた毛を飛ばして牽制してくる。

 突風が止み、コンクェイラが移動し始める。こいつらに足止めさせて、その隙に抜けようという魂胆だろうけど……俺たちはそんなに甘くない。

「サクヤ、頼むよ」

「任せなさい。この程度の群れ、私一人でまとめて始末してさしあげます」

 全員で戦って蹴散らした方が早く片付けられる。しかし、そうするとコンクェイラは警戒を強めるだろう。油断している今のうちに、接近して攻撃を加え、体力を削る。可能であれば、弱点の背中を狙いたいところだけど、無理はしない。

 コンクェイラ自身も、弱点は知っている。そこには強力な怪物の群れが待ち構えているはずだ。そこを攻めるのは今ではない。

 空を飛び回り、空間を凝結させて向かってくる怪物を捕らえるサクヤを尻目に、俺は駆け出す。まずは、地上を、そして空中を。

 フェンレークスを参考に修行した成果。凝結させた空間で道を作り、その上を駆ける。修行したのは、いかにして気力の消耗を抑えるかというのが主だ。

 触手が伸びてくる。その先には、フェンレークスが数体くっついていて、超高速で俺に突進してくる。俺は柄を握りつつ、足元の空間を凝結させた。ゼロ固定ではなく、ほんの少しの反発力を与えた空間を。

「遅い!」

 空間を蹴って、フェンレークスの頭上を飛び越える。彼らを参考にして修行したけれど、ただ真似をするだけでは彼らより上には辿り着けない。そこで考えたのが、これだ。

 尚も追いかけようとするフェンレークスを、空を跳ねて、駆けて、翻弄する。飛び回ることはできなくても、駆け回ることなら俺にもできる。コンクェイラは触手を花びらのように回転させ、大量の魔物を俺目がけて飛ばしてきた。

 フェンレークス、ラクラッド、グレアス。強敵揃いで、さすがにこいつらを全て倒すのは難しい。けれど、倒されないように引き付けるだけなら問題ない。

 拳を主体に一体ずつ相手にし、複数まとまっているのを見かけたら抜刀。居合い一閃。

 一撃離脱と、居合いによる強烈な反撃。体力の消耗は激しいけれど、長時間でなければ問題ない。少しの間そうしていれば、ヒナタとヒヨリが動いてくれる。

 直後、コンクェイラが大きな悲鳴をあげた。どうやら、届いたようだ。

 巨体の足元では、ヒナタが蹴りを、ヒヨリが凝結させた空間の槍を、コンクェイラの体に加え、突き刺していた。その悲鳴に反応して、俺を狙っていた怪物たちが俺から距離をとる。

 コンクェイラの身体から伸ばされた触手にくっついて、一気に戻っていく怪物たち。それを見るよりも早く、ヒナタたちはその場から離脱していた。戻った怪物たちは戦うべき相手を失い、困惑しているようにも見えた。

 先制攻撃は成功だ。コンクェイラと怪物たちは共生関係にあるけれど、戦略的な協力関係にあるわけではない。連携力の差。それが先制攻撃が決まった大きな要因だ。

 とはいえ、二度も同じ手は通用しないだろう。俺たちは一旦、コンクェイラから離れてサクヤのところに戻り、動きを制限されている怪物を各個撃破していく。さらさらと大量の砂が舞うように、消えていく怪物たち。

 目的は先制攻撃だけではない。怪物を減らし、コンクェイラの守りを薄くすることも重要な目的だった。そちらも無事に成功したとはいえ、楽観するにはまだ早い。

 俺たちが怪物を倒している間に、コンクェイラは大量に墨を吐いて、突風に乗せて飛ばしてくる。視界が遮られるが、巨体が完全に隠れるほどではない。墨に毒はないけれど粘着性があり、顔に正面から近づくと厄介だ。とはいえ、風で飛ばすと墨は霧散し、粘着力も弱まる。その気になれば近づくことも可能だけど、距離がある。今は待つのが得策だろう。

 突風によって生まれた墨の霧はすぐに晴れる。開けた視界に見えたのは、コンクェイラの姿と、数百体にも及ぶ怪物の群れ。半数以上は弱いプニマだけど、ラクラッドやグレアスも散らばっていて隙がない。

「数で勝負ってことか」

 四人に対し、数百の群れ。コンクェイラを守るように横に広がっているから、包囲されないように気をつけて戦えば、負けることはないだろう。問題は、後ろに構えるコンクェイラだ。

 この配置では、先程のように地上を迂回することはできない。けれど、コンクェイラも空間凝結が使えるから、空中を抜けることができる。

「大変そうだね。でも、あれだけいるとなれば……」

「背中を守る怪物もほとんどいない、でしょうね」

 コンクェイラの速度は俺たちより遥かに速いわけではない。そもそも、それなら既に勝負は決している。少し抜けられたとしても、弱点ががら空きなら止められる。

「では、怪物の相手は二人にお願いします。私とお姉ちゃんも少しは助力しますが、あまり期待はしないでください」

 ヒヨリの言葉に、俺とサクヤは頷いて駆け出す。コンクェイラの巨体は、さすがのサクヤでも捕らえられない。素早く抜けようとするなら、こちらも最速のヒヨリが相手をする。ヒナタの役目はヒヨリの後方を守ることだ。

 駆け出した俺たちを包囲するように、怪物たちが動き出す。ヒナタとヒヨリもゆっくりと後ろからついて来て、包囲を防ぐように動く。コンクェイラの突破を誘導しないと、この作戦は成立しない。

 刀を振り、集まってくる怪物を蹴散らしていく。サクヤが弱い怪物を封じてくれるので、その隙に強敵を撃破する。弱い怪物は倒さずにおいておくので、彼らが障害となって怪物が一気に接近してくることはない。が、後ろには控えているので、倒しても倒しても現れてきて突破するのは難しい。サクヤが捕らえるのにも限界がある。

 空ではヒヨリが飛び回り、遠距離攻撃が厄介なファルフォルを中心に仕留めていく。ヒナタは俺たちの後方から接近しようとする怪物を、低空を派手に飛び回って引き付けている。

 四人がかりの攻撃で、怪物たちが数を減らし始める。そのとき、遠くのコンクェイラが動きを見せた。地面を――地面に凝結した空間を触手で叩き、勢いよく空に飛び上がる。そのまま触手を空中に凝結した空間に張り付け、素早く空を飛んで抜けていこうとする。

 ある程度動くのを待って、ヒヨリとヒナタも動き出す。俺たちは彼女をサポートするように怪物を蹴散らす。元々、怪物たちは突出した俺とサクヤを狙っていたので、抜け出させるのは簡単だった。

 ヒヨリが高反発の空間を蹴り、高速で空中のコンクェイラに追いつく。ヒナタは後ろに控えて、向かってくる怪物たちを相手にする。もっとも、追いかけようとする怪物の多くは、サクヤが捕獲して、俺が倒しているので近づく怪物は少ない。

 コンクェイラの背中には数体のラクラッドが張り付いていて、様々な武器を投げてヒヨリを迎え撃つ。けれど、あの程度の数ならヒヨリの敵ではない。

 ヒヨリは空間を超硬質に、投げ槍として凝結し、ラクラッドの投げる武器を貫いて強烈な反撃を仕掛ける。ラクラッドは様々な武器を使うものの、それが全て強い武器というわけではない。避ければコンクェイラに当たるので、ラクラッドは迎え撃つしかない。

 ラクラッドの数が減ったところで、コンクェイラの背中目がけて突進するヒヨリ。手に持った超硬質の槍で、背中を貫く。弱点とはいえ、体力の高いコンクェイラ。一撃では足りない。

 離れては突き刺す連撃に対して、コンクェイラは触手を振り回して反撃する。

 しかし、ヒヨリの動きは速く、触手は空を切る。すると、背中を向けたままではまずいと思ったのか、コンクェイラは動きを止めてヒヨリに対峙した。

 四方八方から襲いかかる触手に、ヒヨリは回避に徹するしかない。それにも限界が来て、ヒヨリは距離をとって撤退しようとする。が、コンクェイラは彼女を逃がさないように、戻ることを厭わず追いかけてきた。

「サクヤ、ここは任せていいかな?」

「任せなさい。できる限り、時間を稼いでおきましょう」

 ヒナタも近づくコンクェイラを迎え撃とうとしているが、本気を出したコンクェイラを相手に二人では危険だ。一刻も早く助けに向かおうと、俺は空を駆ける。

「二人とも!」

 声の届く距離まで近づいたところで、コンクェイラに聞こえるように叫ぶ。これで引いてくれればいいが、期待は薄い。ヒヨリを追いかけた時点で、俺たちを本気で倒そうとしているのは明らかだ。

 コンクェイラは墨を吐く。先ほど吐いた量からして、もうほとんど残っていないかと思っていたけど、まだ残りがあったようだ。

 ヒヨリはかろうじてそれを回避したものの、そこに数本の触手が襲いかかる。一本は突き刺すように、また一本は薙ぐように、それぞれの触手が別の動きで、包囲するようにヒヨリを狙う。

 俺は不安定であるのにも構わず、反発力を高めた空間を凝結させて蹴り出す。うまくいかずに、まっすぐ飛ぶことはできず、速度も足りない。

 間に合わない。そう思った瞬間、ヒナタが一本の触手を蹴り飛ばして、ヒヨリが脱出できるスペースを作った。狭い一点を狙って、ヒヨリが一気に飛び出す。これでヒヨリは無事だろうけど、危険に晒されるのがヒナタに変わっただけだ。

 ヒヨリは武器を構えているけれど、すぐに反撃することはできないだろう。素早く反転はできても、倒し切れないならその突撃は無謀なだけだ。

 俺はある程度安定して凝結させられる、最大限の反発力を持たせた空間を蹴って飛び出す。

 勢いを乗せて、右の拳を放つ。初撃こそ決まったものの、次が続かない。慣れない凝結をしたから、連撃の体勢は維持できない。

 ヒナタに触手が襲いかかる。墨はないが、ヒヨリのときより数が増えている。巧みに空を飛び回り、どうにか回避しているけれど、長くは続かないだろう。

「ヒナタ!」

 声をかけるが、返事をする余裕もないヒナタ。俺は柄を握り、最大の一撃を触手に見舞う。

「はああぁっ!」

 触手の先端を切り落とすことはできたけれど、短くなっても触手の動きは止まらない。そして後ろに控えた触手が、俺を近づけさせまいと襲いかかる。再び居合いを放とうとした瞬間、ヒナタの鋭い悲鳴が聞こえた。

 薙いだ触手に弾かれて、ヒナタの体が地面に叩きつけられようとする。俺はコンクェイラの相手をやめて、落ちる彼女を追いかけた。

 咄嗟に自分で凝結させた空間で、ヒナタは地面に衝突こそしなかったものの、コンクェイラの攻撃が直撃したのは変わらない。

「ヒナタ、大丈夫か!」

 ヒヨリは姉を守るように、空間の槍を投げて牽制する。コンクェイラも三人を正面から相手にする気はないのか、すぐには近づいて来ない。ヒナタの様子も見ているのだろう。

「……ん。ちょっと痛かったけど、大丈夫。戦えるよ」

 ヒナタは腕を抱えながらも、笑顔で答える。抱えた腕を触って確かめてみると、ダメージは受けているものの、骨折している様子はない。蹴りを主体とした彼女なら、戦いに支障はないはずだ。

「そうか。良かったよ」

「うん。ありがとね」

 感謝の言葉のあと、少しの沈黙があって再び彼女の声が発せられる。

「でもカゲユキくん、なんでこっちに来たの?」

「なんでって、仲間を助けるのは当たり前だろ」

 ヒナタの疑問に、俺は少し戸惑いながらも答える。

「私が受けている間に、背中に回って弱点を狙うこともできたよね」

「……確かにそれなら、倒すこともできたと思うよ。でも、ヒナタを犠牲にして倒しても、俺は――俺たちは喜べない」

 コンクェイラは俺たちから離れて、サクヤの方に向かっていた。触手を広げて、怪物を回収するつもりのようだ。

「犠牲って、私、あれくらいじゃ死なないよ」

 ヒナタは真っ直ぐに俺を見て、断言する。それも間違いではないだろう。

「大怪我もしない?」

「それは……自信ない」

「だろ? なら、助けるのは当然だ。仲間なんだから」

「うん。そうだね。……ありがと」

 微笑むヒナタが可愛くて、俺は目を逸らせなくなる。そんなときではないとわかっているけれど、今なら少しは時間があるはずだ。

「ねえ、ひとつ聞いていい? 仲間だから……本当に、それだけ?」

 俺の顔を覗きこむように、じっと見つめるヒナタ。俺は彼女から目を逸らして、

「それだけ、だと思うよ」

 小さく答える。はっきりとは言えず、曖昧に。

「そっか」

 淡白な一言だけど、彼女の声はどこか嬉しそうだった。ふと、彼女以外の視線に気付いてそちらを見ると、ヒヨリが俺を睨んでいた。

「私がいるのを忘れて、こんなときに何をしているんですか……あなたは。回収も終わったようです。さっさと動いてください」

「ごめんね、ヒヨリ」

「お姉ちゃんは謝らなくていいです」

 俺は苦笑しながら、対峙の構えをとる。怪物を回収したコンクェイラは、低空で凝結させた空間を俊敏に飛び回りながら、こちらへ向かってくる。全ての怪物を回収したわけではなく、遠くではサクヤが残った怪物たちに足止めされている。

「三人なら倒せる、ってことか」

「失礼だね。さっきはばらばらだったけど、今度は三人一緒なのに」

「ええ。お姉ちゃんを傷つけた罰、受けさせてあげます」

 相手は強敵だ。サクヤを足止めする怪物も、ラクラッドやグレアス、ファルフォルなど彼女一人では倒すのに時間のかかる怪物ばかりで、援護は期待できない。

 けれど、俺たち三人なら、三人が協力すれば、きっと勝てる。

「先陣は私が。触手など、全て防いでみせます」

 飛び出したヒヨリに、先ほどと同じく多数の触手が襲いかかる。それを回避せず、ヒヨリは超硬質の空間を盾として、逸らしながら受けていく。

「行こっか」

「ああ」

 触手の間にできた空間、ヒヨリが作った空間を俺たちは駆けていく。俺の作った空間を、二人で駆ける。ヒナタは蹴りが得意なだけあって、俺よりも俊足だ。途中、先ほどは動かなかった触手が襲ってくるが、ヒナタの蹴りと俺の拳で弾き返す。

 空を飛び回り、ヒヨリが並べた盾。それをコンクェイラは壊そうとする。俺たちが突破する前にいくつかの盾は破壊されたが、直後に破壊した盾は大きく弾かれた。

 超硬質の空間の裏に作られた、超高反発の空間。単体なら破壊されるだけだが、超硬質の空間で勢いが弱まっていれば話は別。攻撃を跳ね返す強力な盾となる。

 触手の群れを抜けて、コンクェイラの正面に到達する。直後、口から放たれた墨が俺たちを襲う。まだ残っていたのかと驚くものの、対策は用意してある。

 ヒナタが凝結した空間が、柔らかく墨を包み込む。動きを鈍らせるのが目的で、それ自体の破壊力が低い墨に対しては、柔らかい空間でも防ぐには十分だ。もっとも、勢いがあるので完全には防げないけど、勢いを弱めるだけでも効果は十分だ。

 俺たちは墨を避けるように散開して、空を飛び、空を駆け、コンクェイラの後ろに回り込む。怪物の姿はない。激しく動くコンクェイラの背中に張り付くのは、やはり無理なようだ。

 ここまで動かなかった一本の触手――大量の怪物を乗せた触手が俺たちを捕らえようとするが、ヒヨリの投げ槍がそれを許さない。数十体の怪物は飛び出してきたけれど、触手を伸ばす勢いがなければ、回り込むのは間に合わない。

「これで、終わりだっ!」

「最大の連撃、見せてあげる!」

 居合い一閃、直後に刀を返し、連続で斬りかかる。

 ヒナタは舞うように右脚、左脚、左脚とひたすらに蹴りを放つ。

 苦悶の声をあげるコンクェイラ。俺は刀を鞘に収め、ヒヨリは連撃をやめて、一息ついてから最後の一撃の構えをとる。

 渾身の力を込めた拳と、蹴りが同時にコンクェイラの背中に直撃する。大きな叫びとともにコンクェイラの体は崩れ、巨体は大量の細かい粒となり、さらさらと消えていった。

「そちらも終わったようですね」

 俺たちが着地すると、サクヤが声をかけてきた。服はやや汚れているものの、傷一つない彼女の姿を見て、驚きを隠せない。

「あれだけの怪物をこの短時間で?」

「そんなわけがないでしょう。あれを見なさい」

 消えたコンクェイラにくっついていた怪物たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていた。サクヤの周りにいた怪物たちも、同じように逃げていったのだろう。

 街に向かおうとする怪物はいない。元々の習性か、俺たちとの交戦を避けての行動かはわからないけど、しばらくするとあたりから怪物の姿は完全に消えていた。

「さあ、街に戻りますよ。おそらくこれで、危機は去りました」


第四話へ
第六話へ

世界の果てのその向こう目次へ
夕暮れの冷風トップへ