世界の果てのその向こう

―序章―

第二話 神の柱と妹と


 街から村への道のりは順調だった。ひたすらに広い草原が続いていて、道が整備されているわけではない。けれど、少なくない人が訪れる有名な村というだけはあって、人に踏み均された道が自然と作られている。

 でも俺は今、その道を歩いてはいない。空間凝結の練習として、少し高いところに凝結した空間――僅かに反発力を持たせた――をぴょんぴょんと跳んで移動している。

 調整に失敗してもヒナタの近くに落ちれば彼女が助けてくれるし、離れても柔らかい草原の上に落ちるだけなので怪我の心配は少ない。

 場所がいいとはいえ、何も移動しながらやらなくてもいいんじゃないかと尋ねたところ、今のうちにやっておくのが君のためだと思うから、とだけ返された。深く尋ねはしなかったけれど、彼女が急ぐ理由は何となく予想がつく。

 神の柱を祀る村。そこで彼女の妹と出会ったときに何かがあるかもしれない、ということなのだろう。そしておそらく、すぐに訪れると言った借りを返す機会とやらも、そのときに訪れるのではないだろうか。

 詳しい事情を聞く時間はたっぷりあるけど、村までは三日もあれば辿り着ける。ヒナタの妹に出会ってから確かめても遅くはないだろう。

 そして三日後。俺たちは無事に村に辿り着いた。質素な家の立ち並ぶ小さな村。待ち合わせ場所は、中央の広場にある神の柱の前ということで、まっすぐにその場所へ向かう。

 彼女の妹は先に着いているはずとの話だったけれど、朝早い時間に着いたこともあり、そこにいるのはローブのような衣装に身を包んだ、一人の若い巫女さんだった。

 不思議なことに、近くにあるはずの柱は見当たらない。二人で周囲を見回してみると、巫女さんの側、地面から生えているような小さな突起物が見つかった。

「あの、聞いてもいいですか?」

「はい。何なりと」

 ヒナタが聞く。巫女さんは目を瞑って、礼儀正しく答えた。まさかとは思うが、あれが神の柱、なのだろうか?

「これ――と言っていいのかわかりませんけど――が神の柱ですか?」

「ええ。その通りです。やはり、驚かれますよね」

 巫女さんは慣れているのか、にっこりと笑ってそう答えた。地面からほんの少し――巫女さんの腰に届くかどうかの高さだ――だけ生えた突起物。普通の石とは違うようだけど、とても柱には見えない。

「そうですね……そこのあなた、剣を持っていますね? それで試しに、本気で斬ってみてくださいな」

「いいんですか?」

 こくりと頷く巫女さん。

「ええ。神の柱、とは言いますけど。あくまでもただの柱であって、神でもなければ、神の物というものでもありませんから」

 微笑む巫女さんに、俺は言われた通りに刀を抜いて、居合い一閃。刃は弾かれるだけで、柱にも刀にも傷一つついていなかった。

「どうですか?」

「ただの鉱物や自然物じゃない、みたいですね」

 普通なら、ここまで勢いよく斬りかかって、どちらも無傷なんてことはありえない。いかなる武器を使っても傷つけることもできず、武器が傷つくこともない。それこそが、この柱が神の柱と言われる所以なのだろう。

「おわかりいただけたようで何よりです。それでは、なぜこれが柱と呼ばれるのかもご説明致しましょうか。……どうやら、そちらの彼女さんはもうおわかりのようですけれど」

「やだなー、巫女さん。そんな関係じゃないですよー」

 機嫌よく答えるヒナタ。気さくな巫女さんに、ヒナタがすぐに打ち解けるであろうことは容易に予想できた。

「彼氏さんに教えてあげたらいかがですか?」

「うーん、でも自信ないんだけど……」

「そのときは私がフォローしますよ」

 微笑みを絶やさない巫女さんにそう言われて、ヒナタは迷いながらも口を開いた。

「それじゃ、推測だけど話すね。柱って言うと何かを支えるもの、だよね? でもこの柱の上には何もない。でも、何もないんじゃなくて、何かがあってその上に私たちがいるとしたら、どうかな?」

「大地を支える柱、ってことか」

 巫女さんが何も言わないところをみると、彼女の見解も同じであると考えていいだろう。にわかには信じ難い話だけど、そう考えると説明がつくのも確かだ。

「もちろん、それが最も有力な説である、というだけですけどね。確かめたものは誰もいません。ですが、神様のちょっとだけ尖ったもの、などと称するよりは格好がつくでしょう?」

 神の柱を横目に、巫女さんが苦笑いを浮かべる。さらに聞いてみると、そう呼ばれていたのはずっと昔からのことで、巫女さんを含め、この村に住む人の誰もが、いつからそう呼ばれていたのかは知らないらしい。

 村には小さな古い図書館があって、文献も多く残されているけれど、文字が掠れていたり、今は使われていない古い言語が使われていたりして、詳しくはわからないのだとか。

「ヒヨリには私たちが来るまでの間、ここで調べ物をしてもらってたんだ。神の柱があるくらいだから何かあるんじゃないかと思ってね。まさか、図書館があるとまでは思ってなかったけど」

「遅くなってごめん、ってことにはならなそうで良かったよ」

 ヒヨリ、という名前を聞いたのは初めてだけど、それが彼女の妹の名を指しているであろうことは、文脈からすぐに理解できる。

「あら。それはそれは……彼氏さんも大変ですね」

「そうならないと嬉しいんですけどね」

 くすくすと笑う巫女さん。ヒナタも同じように笑ってみせる。小さな村だ。滞在している彼女の妹と、村の人たちが親しくなっていても不思議ではない。

 話が落ち着いたところで、広場に女の子の静かな声が響いた。

「そこの男。お姉ちゃんから離れてください」

 敵意を隠そうともしない声に、俺は警戒しながら振り向く。長いストレートの髪はヒナタと同じ水色で、じっと見つめる瞳の色も同じ青。姉とお揃いのブラウスにロングスカートという格好をした、小さな女の子がそこに立っていた。

「言わなくてもわかると思うけど、彼女がヒヨリだよ。私より二つ年下の十三歳。仲良くしてあげてね」

「あっちにその気はないみたいだけど、それについては?」

「……がんばって!」

 拳を握って、小さな声で応援してくれるヒナタ。隣の巫女さんは楽しそうな顔で俺たちの様子を見ている。とりあえず、俺はヒナタから少し距離をとることにした。このまま彼女の近くにいたら、その妹と話し合いにさえ発展しないかもしれない。

「冷静な判断、ありがとうございます」

 感謝の言葉ではあるけれど、感謝の気持ちは伝わってこない。ヒヨリはゆっくりとこちらに歩いてくる。スリットの入ったスカートから、身長に対して少し長めの脚が見える。色気はないけれど、綺麗な脚だ。

 じっと見るわけにはいかないので、視線を上にずらした途端、睨まれた。

「私の胸は発展途上です」

 何か勘違いされているようだけど、指摘したところでやぶへびなので黙っておく。ただ、彼女の言葉に反応して、一瞬だけヒナタの胸を見てしまったのは失敗だった。

「ねえカゲユキくん。私は気にしてないからいいんだけどさ、妹の夢を壊すのはやめてくれると嬉しいな」

「……お姉ちゃんの胸の大きさを知っている?」

 ほんの僅かだけど、柔らかくなりかけていた彼女の態度が急に強張った。鋭い視線が俺を睨みつける。この勘違いは指摘しなくてはいけない。

 けれど、俺が指摘するまでもなく、ヒヨリは自分の勘違いに気付いたようで、態度はすぐに柔らかくなる。もちろん、最初に比べてという意味だけれど。

「ムラクモヒヨリです。名前と、お姉ちゃんとの関係を隠すことなく全て白状してください」

「クサナギカゲユキだ。元々は一人旅の予定だったけど、目的が同じということから、ヒナタに誘われて一緒に旅をしてる」

 確認するように姉を見るヒヨリ。それはすぐに済んだようで、大きく息をついてから彼女はこう口にした。

「お姉ちゃんの気持ちは尊重します。ですけれど、あなたが足手まといになるのなら、話は別です。そうではないということを証明していただけますか?」

「何をすればいい……って聞くまでもないよね」

 構えた彼女の姿から、何を求めているのかは一目瞭然だ。ヒナタたちをちらりと見ると、俺たちから少し距離をとっていた。神の柱を祀る広場で戦うのはどうかと思ったけど、巫女さんも止めないし、何よりあの柱は俺たちが激しく戦ったところで、どうにかなるものではないだろう。

「準備はいいですか?」

「ああ。手加減はできないから、本気でいかせてもらうよ」

 今までの修行相手は、俺よりも遥かに強い両親だけ。手加減なんてしたらすぐに負けてしまう相手に、手加減の仕方なんて教われるはずもない。

「どうぞ。手加減が必要なら、私がしますから」

 淡々としながらも、自信がはっきりと感じとれる静かな声。年下の女の子だからといって、油断はしない方がよさそうだ。どれほど本気かはわからないけれど、修行ではない戦いをするのは初めてなのだから。

 刀の柄に手をかけ、いつでも引き抜けるように構える。未知の相手と戦うなら、まずは相手をよく観察すること。戦いの基本であるのは当然として、俺にとっては別の意味もある。

 ヒヨリは軽く拳を握って構え、自らの後ろの空間を凝結させた。離れた場所で、その空間を凝結させる意味は一つしかない――反発力を利用しての突進だ。

 普通なら構えた剣を引き抜いて対応するところ。けれど、俺は回避に徹することにした。直後、ものすごい勢いで彼女が突進してくる。咄嗟に引き抜く暇もないほどに、速い速度。

 素早く反転し、次の動きに対応する。あの速度で突撃してはすぐには止まれない。その場合にとる手段は二つ。いくつかの空間を凝結させて勢いを弱めるか、再び強い反発力を持たせた空間を蹴り、襲ってくるか。

 前者なら怖くはない。けれど、この場合はおそらく後者を選ぶだろう。その読みは当たったようで、今度はさっきよりも余裕を持って回避することができた。

 再び来るか、と思い警戒しながら反転したが、次の一撃は来なかった。どうやら、彼女も気付いたらしい。

「初見で私の攻撃を回避するとは……驚きました。まるで、見えているかのようですね」

「ご明察。俺に不意討ちは効かないよ」

 わざわざ隠す必要もない。俺は正直に見えていることを白状した。

「君こそ、驚いたよ。空間にあれだけの反発力を持たせられる人がいるなんてね」

 俺の言葉に、ヒヨリは微かな笑みを浮かべた。初めての笑顔だけど、好意的な意味でないことは考えるまでもない。

「見えるだけでどこまで対応できるか、試してみるのも一興ですね」

「試している間に決着がつかないといいけどね」

 強気な相手にはこちらも強気で対応する。必ず勝てるという自信があるわけではなくとも、気持ちで押されていては勝てる戦いも勝てなくなる。

 ヒヨリは背中に手を伸ばし、武器をとる。短い槍。投げ槍だ。

 ゆったりとした構えで槍を握り、後ろの空間を凝結させる。高い反発力を活かした突進。

 しかし、さっきとは違って俺に直接向かってくるわけではない。空間を蹴って飛び出したのは、斜め上の空。そのまま、いくつかの空間を凝結させて空中を飛び回る。

 俺はそれをぼんやりと眺めていた。動きを過敏に確かめる必要はない。気を付けるべきは、二つの動作。槍を投げる動作と、突進してくる動作だ。

 しばらく見ていてもヒヨリはどちらの動作も起こさない。不思議に思いつつ空を見ていて、気付いた。彼女の足場の他に、凝結された空間がいくつも残っている。

 普通の人が空間を凝結させられるのは、目の前や自分の周囲の空間だけ。が、一度凝結させた空間を維持するのは、離れていてもできる。集中も必要ないし、体力も消耗しない。場所の記憶に多少の労力は必要だけど、それだけだ。

 維持できる時間は凝結させたときの集中による。通常なら数分、長くても十分でそれほど長く保てるわけではない。時間が経てば凝結された空間は崩れ、自然な空間に戻る。

 まずい。そう思ったときにはもう遅かった。ヒヨリは俺の上空を飛び回りながら、短槍を真横に投げる。投げられた槍は、凝結された空間で跳ね返る。

 慌てるな。そう心に言い聞かせて、落ち着いて凝結された空間を確かめる。投げ槍の跳ね返る方向を計算すれば、回避するのは十分に可能だ。だが、槍が空を飛び回っている間も、ヒヨリは空で空間を凝結させ続けている。

 それによって方向が変わることもあり、カモフラージュとして凝結された空間もある。

 跳ね返った槍が俺に向かって飛んでくる。回避、は間に合わない。槍を追いかけるように、ヒヨリ自身も突撃してきているからだ。

 連続で回避するのは不可能。となれば、受けるしかない。目の前の空間を凝結。ゼロ固定の壁を作り、槍を受け止める。あれだけの速度、一枚では無理でも、何枚も重ねれば防ぎきれるはずだ。

 問題はその速度だ。集中し複数の空間を凝結する行為は、一瞬では終わらない。その間、足は止まっている。ヒヨリにその隙を突かれるより速く、次の行動を起こさなくてはならない。

「遅いですよ」

 その声が聞こえたのと、空間の凝結が終わったのはほぼ同じ。

「……どうかな?」

 俺に高速の体当たりを仕掛けようとするヒヨリの身体は、目の前に凝結された空間で遮られる。無論、たった一枚では少し動きを遅くするのがせいぜいだが、回避する時間を作るには十分だ。

 上空から襲いかかる槍は、数枚の空間に遮られて速度を落とす。防ぐのに十分な枚数ではないので、勢いはまだ残っているけれど、避けてしまえばどうということはない。

 槍とヒヨリ、二つが向かってくる二本の線から移動したところで、刀を引き抜く。狙いは当然、目の前を横切るヒヨリの身体。

「はあっ!」

 居合い一閃。多少の壁なら破れるほどの勢いで、一撃を繰り出す。

 ヒヨリが凝結させた空間と、俺の剣がぶつかりあう。凝結された空間は一瞬で元に戻り、刃は軽く弾かれる。

 思わず驚いた表情を見せる俺に、弱まった勢いのまま、俺の近くに着地したヒヨリが一言。

「私が得意なのは超高反発だけ、ではありませんよ」

「超硬質、か」

 俺の渾身の一撃を、たった一枚で防ぐほどの超硬質の壁。反発力をゼロにするだけでなく、密度を極限まで高めて壁としての強度を高めている。

 反発力の高い空間は、強い衝撃には脆く崩れやすい。実際、空中を飛び回るヒヨリが蹴った空間のほとんどは、軽く蹴られた瞬間に一度跳ね返しただけで消えていた。先程の一振りのように、壊そうという意思を持った一撃であれば、跳ね返すまでもなく消滅するだろう。

 もちろん、反発力の低い、あるいはゼロにした空間で防御されるのは予想していた。予想外だったのは、その硬さ。

「まさか、初めてを二つも見られるなんてね。本当に驚いたよ」

「同じ言葉をそのままお返しします。この攻撃を防ぎきったのは、お姉ちゃん以外ではあなたが初めてです。やり方は違いましたけどね」

 ヒヨリが姉に目を向ける。俺もその視線を追って、ヒナタを見た。

 急に二人に見られて首を傾げるヒナタ。彼女なら、柔らかく凝結させた空間で、勢いを弱めるのは簡単だろう。それに、俺と違って空を自在に飛び回ることもできる。

「二人ともー、怪我しないようにねー」

 じっと見られていたヒナタが、のんびりとした声をかけてくる。

「では、続きといきましょうか」

「まだ満足してはもらえないみたいだね」

「ここまでは合格ですよ。ですが、本番はこれからです」

 ヒヨリは距離をとることもせず、地面に突き刺さった投げ槍にも目もくれず、その場で構える。突進攻撃は不意をつくには便利だけど、見切られた相手に使うのは格好の的になる、諸刃の剣だ。

 柄を握って動きを待つ。ヒヨリは目の前に手を伸ばし、まるで剣を握って構えているかのような姿勢をとった。直後、空間が凝結される。

 凝結されたのは、華麗な剣の形ををした超硬質の空間。

「見えざる武器、ってわけか」

「あなたにとっては、ただの剣でしかありませんけどね」

 言葉通り、見える俺にとってはどうということはない。

「行きますよ」

 踏み込んで剣を振るヒヨリに合わせて、俺も剣を抜く。見えざる剣と、業物の刀。二本の刃がぶつかり合い、弾かれたのはヒヨリの方。

 ヒヨリが弱いわけではない。けれど、父さんの剣に比べると、脅威になるものではない。

 弾かれた彼女は、再び俺に向かって駆けてくる。途中、もう一方の手にも剣を握り、二刀流で襲いかかる。

 彼女の体格からして、普通の武器なら二刀流など重くて扱いきれないだろう。だが、凝結させた空間となれば、必要なのは筋力ではなく、形を安定して維持する集中力になる。

 居合いで相手をするのは難しいので、俺は刀を抜いたまま対応する。しかし、時折剣の形状を変えてくるヒヨリの攻撃を受けるのは大変だ。

 それでも、受けきれないわけではない。しかし、武器そのものを変え、槍として空間を凝結させてからはそうもいかなかった。

 片手に剣、もう一方に短い槍。使い方は当然、投げ槍だ。体力や気力が続く限り、無尽蔵に放たれる槍。それも回収する必要がないとなれば、こちらが押されるのは当然。

「その程度……ですか!」

 投げ槍を回避するときにできた、一瞬の隙。そこに、見えざる剣を両手で握ったヒヨリが突進してくる。単に駆けてきたわけではない。後ろの凝結した空間を蹴っての突進だ。

 超硬質と超高反発。二つの空間を合わせた重い一撃に、受けた刃が弾かれる。

「そこです!」

 刺突剣、レイピアの形に凝結させた空間で、がら空きになった俺の上半身を目がけて、放たれる鋭い突き。

 この体勢、状況、父さんから学んだ刀では間に合わない。

 俺は弾かれた刀から手を離すと、素早く体を落として、拳を握り締めた。上半身は無防備でも、下半身は自由に動く。確かに鋭い一撃ではあるけれど、狙いはわかりやすい。

 半身になり、すれすれのところで剣を避けて、低い体勢のまま構えた拳を突き出す。

「ごめん!」

 手加減はできない、という意味を込めて。俺自身の力と、彼女が踏み出した力。その二つが合わさった拳が、見事に彼女の腹部を捉える。

「かっ……は」

 ほとんど声にならない声とともに、崩れるヒヨリの身体を受け止める。

「大丈夫か?」

 数秒の沈黙は、言葉を探すものではなく息を整えるためのもの。彼女は力を抜き、俺にもたれかかりながら言葉を発した。

「先に全てを見せた私の油断、ですね」

「でも、それがなければ一撃では済まなかったよ」

 勝負を決めたのは、母さんから学んだ拳の一撃。隠そうとしていたわけではない。ヒヨリが一気呵成に攻めてきて、受けに徹することになったため使う暇がなかっただけ。

「ヒヨリー、大丈夫ー?」

 戦いが終わったのを見て、ヒナタが駆け寄ってくる。ヒヨリは俺から離れると、彼女の方を向いて答える。

「はい。私は無事です、お姉ちゃん」

「カゲユキくんは……聞くまでもないかな?」

 駆け寄る妹を抱きしめながら、俺に笑顔を向ける姉。同じく笑顔を返して、無事であることを示す。

「ふんふん……」

 ヒナタは俺の体をじっと見回したかと思うと、今度は真剣な顔で言った。

「ヒヨリ相手に無傷なんて、君は凄いんだね」

「偶然もあったけどね」

 怪我一つなく勝負がついたのは、ヒヨリの油断があってこそだ。

「俺より、君の妹を心配した方がいいと思うけど」

 咄嗟の体勢から繰り出したのは左の拳。利き手である右の拳に比べると力は弱いし、骨が折れたような感触はなかったけれど、怪我がないとは限らない。

「そうだね。巫女さん、どこか休めるところはありますか?」

「私の家でよければ、案内しますよ。ただ、この村にお医者さんは……神の柱のご加護か、健康な方ばかりですので」

「それなら問題ありません。ヒヨリが詳しいですから!」

「……ヒナタじゃないんだな」

 怪我をしているかもしれない本人が一番詳しい、というのは問題ないと言えるのだろうか。少し考えたけれど、ヒヨリは意識もはっきりしているし、問題はないような気もする。

 案内されて巫女さんの家に着いた。ヒナタとヒヨリは中に入り、俺は外で待機だ。巫女さんの家に部屋は二つあるから、そこで待機していてもいいのだけど、入ろうとした瞬間にヒヨリに睨まれたので従っておくことにした。

 戦う力は認められたと思うけど、好感度にほぼ変化がないのは態度を見ればわかる。旅をする仲間になる以上、いずれは仲良くなっておきたいが、踏み込むのはまだ早い。

 ややあって、巫女さんが家から出てきた。怪我の確認や治療が終わった、というわけではなさそうだ。

「どうしたんですか?」

「必要なものの説明は終わりましたので。お仕事に戻ろうかと」

「そうですか」

 けれど、巫女さんは家を出た場所から動くことなく、笑顔で俺をじっと見つめている。

「といっても、あの強度ですから、私が見守る必要もないんですけどね」

「もしかして、俺の話し相手に来てくれたんですか?」

「そのようなものですね。それに、久しぶりの姉妹の再会ですから、二人きりにさせたい、というのもありますよ」

 目を細めて、巫女さんは答えた。

「それは俺も同感です」

 それから、俺と巫女さんは二人が外へ出て来るまで、他愛もない会話を交わしていた。特筆すべきこととといえば、その中で俺の両親の名が出たことくらい。なんでも、昔この村を訪れた際、広場で父さんと母さんが派手な喧嘩をしたのだとか。

 その様子を小さい頃、巫女さんも見ていたそうで、俺の苗字や戦い方を見てもしかしたら、と思って尋ねたのだという。

「……では、私は戻りますね。そろそろ治療、というかお話も終わる頃でしょうし」

「はい。父さんと母さんの話が聞けて嬉しかったです」

 旅の話はよく聞いていて、喧嘩したことも聞いたことはあったけど、細かい喧嘩の内容までは聞いたことがなかった。ちょっとした痴話喧嘩、と言っていたけれど、これがちょっとした喧嘩だとしたら、一度だけあったという大きな喧嘩は、一体どれほどのものだったのか。

 帰ったら聞いてみようかと考えながら、広場へ向かう巫女さんの後ろ姿を眺める。すっかり姿が見えなくなって、少しした頃、家の扉が開いた。

「カゲユキくん、終わったから中に入っていいよ」

「ああ、了解」

 奥の寝室に入ると、ヒヨリはベッドに横になっていた。

「怪我、大丈夫か?」

「ちょっとした打撲です。痛みもほとんどありませんし、それもしばらく安静にしていれば治りますよ。巫女さんに留守番も頼まれたので、そのついでにここで寝ているだけです」

「そうか。良かったよ」

 もしかしたらという可能性もあったので、それを聞いて安堵の胸をなでおろす。

「いい機会ですし、色々と尋ねてもよろしいですね?」

「何なりと」

 真剣な表情でじっと俺を見つめるヒヨリに、俺も真剣な眼差しを返す。好感を持たれてはいなくても、話もしたくないくらいに嫌われているわけではなさそうだ。

「お姉ちゃんにも、聞きたいことがあります」

「私にも? さっき聞いてくれればよかったのに」

「それでは意味がないのです」

 首を傾げるヒナタ。俺もどういう意味かわからなかったけれど、待てば尋ねてくるのだから俺から言葉を口にすることはない。

「その前にまず、旅の同行については認めます。あなたは頼りになりそうですからね」

「ありがとう」

「本題に入ります。素直に答えてください。あなたはお姉ちゃんのことを、どう思っていますか?」

「目的を同じくする仲間。それと空間凝結の技術を教えてくれる師匠、かな」

「お姉ちゃんは、彼のことをどう思っていますか?」

「なるほど、そういうことかー」

 ヒナタはうんうんと納得するように頷いてみせる。俺にはさっぱりだけど、成り行きを見守っていればすぐにわかるだろう。

「はっきりと答えてください」

「目的を同じくする仲間にして、未来の恋人だよ」

「……でしょうね」

 ため息をつくヒヨリ。突然のことに、俺は何と言っていいのかわからない。

「小さい頃から話していた、彼、なんですね?」

「うん。カゲユキくんにはまだ話してないんだけどね」

 ヒナタは俺の方を向いて、微笑みながら言葉を続けた。

「実はね、私が君に声をかけたのは偶然じゃないんだ。もっとずっと前から、何度も君のことは見てたんだよ。空の上からね。ここまで言えば、もうわかるよね? 君は鈍い人じゃないと思うんだけど」

「昔から好きだった、ってことだよね。でも、腑に落ちない点もあるよ」

「ちょうど君が旅立つ直前に、旅に誘ったのは偶然だよ。じっと世界の果てを見てるから、何となく旅に出たいんじゃないかなとは思ってたけど、確信はなかった。もし旅に出る気がないのなら、告白して誘おうと思ってた。でも、まさか世界の果てを目指すだけじゃなくて、その向こうを目指すというところまで同じとは思わなかったから……誘うだけ誘っておいて、旅の途中で話せばいいかなって」

「旅立ってから二、三日、って言ってたのは?」

「それも本当だよ。私たちの住んでいる家からは、それくらいかかるの。お父さんとお母さんが消えちゃう前、私たちは一家で旅をして暮らしてたんだ。それで、近くに寄る度に君のことを見ていたんだよ。二人が消えちゃったときも、近くの村の宿に泊まってたんだ。いつもは四人旅だけど、結婚記念日くらいは二人きりにしてあげようって相談して、ね」

 ヒナタの微笑みが、一瞬だけ薄れる。

「それからも二人で旅をしてたんだけど、やっぱり二人じゃ限界があるとわかってね。お父さんとお母さんが昔住んでいたっていう家に戻って、しばらく暮らしてたんだ。いつか、二人を探しに行けるように、修行をしながらね」

 再びの微笑。その中には強い決意の色が感じられた。

「ということで、これからもよろしくね、カゲユキくん」

 よろしくと言われても、どういう意味か判断しかねて返答に困る。後半の話で忘れそうになったけど、最初の一言は告白と受け取っても、間違はないはずだ。

「深く考える必要はないんですよ」

 困っている俺に、助言をしてくれたのはヒヨリだった。

「あなたがお姉ちゃんに好意を持っていないのなら、今まで通り一人の旅仲間として接すれいればいいんです。安心してください。そのままでも私はあなたを優柔不断などと、軽蔑したりはしませんから」

 これは助言……なのだろうか。

「むしろ、その方があなたのためです。私はまだあなたのことを、お姉ちゃんに相応しい人だとは認めていません。そんなあなたが私のお姉ちゃんに手を出すなら、それなりの対処をさせてもらいます」

 うん。これは間違いない、忠告だ。それもかなり露骨な忠告である。

「正直なところ、まだ知り合ったばかりだし、今のところ恋愛感情はないよ。けれど、ヒナタはそれでも構わないのか?」

 ヒナタを見る。彼女は一瞬も迷う様子を見せず、あっさりと答えた。

「あ、気にしないでいいよ。ヒヨリは昔からこうだから、予想してたことなんだ。それに君のことを好きなのは確かだけど、私もずっと見てただけだからさ。もっとお互いのことを知ってからの方が、のちのち困ることも少ないと思うの。もちろん、私と君だけじゃなくて、ヒヨリも含めて、ね」

 目を向けられたヒヨリは、小さく頷いて同意を示す。

「ええ。もしあなたがお姉ちゃんに相応しい人だとわかれば、私は全力でお姉ちゃんをお手伝いしますよ」

「そうか。なら、今まで通りで頼むよ。色恋にかまけて、目的達成に支障が出るのは俺も困るからね」

 ヒナタやヒヨリのような、頼りになる仲間はそうはいない。そしておそらく、彼女たちにとってもそれは同じ。そういうことを考えるのは、目的を達成してからでも遅くない。

 世界の果てのその向こうを目指すこと。理由は違えど、目的は同じ。

 二人の気持ちも同じなのか、俺の言葉に彼女たちは大きく頷いてみせた。

「では、次はその世界の果てについて話すことにしましょうか」

 ややあって、ヒヨリがそう切り出した。巫女さんが戻ってくるのは昼過ぎだから、まだまだ時間はある。

「お姉ちゃんたちが来るまでの間、調べたことをお話しします」

「お願い、ヒヨリ」

 期待を込めた姉の言葉に、妹は弱々しく頷いた。それだけで決定的な情報がないことは理解できたけれど、わざわざ自分から切り出すくらいだから、調べたのは全くの無駄ではなかったということだろう。

「この村の図書館に古い文献が多いことは知っていますね。それによると、古くから世界の果ての側で人が消えた、という話はあったようです。陸上、水上、中には空中も。場所はばらばらで、規則性はないようですが……ひとつ、共通点が見つかりました。

 世界の果てに対して、何らかの衝撃があったときに皆が消えているのです。それも、並大抵の衝撃ではなく、とても大きな衝撃――勢いよく走っていた馬車の転倒、大きな津波に襲われた船、激しい戦いの最中――その直後に消えています」

「けれど、それくらいなら……」

「ええ、多くの旅人が試していますね」

 俺の疑問に対し、予想していたとばかりに即答するヒヨリ。

「しかし、文献に記された場所を精査してみると、ひとつの事実が判明したのです。これは人に限らず、物や動物なども含めて調べて判明したことですが……同じ、または近い場所に限ると、一度消えてから次に消えるまでの期間が、五十年以上あるのです」

「五十年……それじゃあ、お父さんとお母さんが消えた場所に行っても無駄みたいだね」

「はい。ただ、これがわかれば解決、というわけではないのが困るところです」

 前に人が消えてから、五十年以上経っている場所を調べればいい。単純なはずだが、それができないとなると、答えは次のどちらかに絞られる。

「その場所へ行くのが大変か、数が多いのか、だね」

 俺が言うよりも早く、ヒナタが言った。ヒヨリは重々しく答える。

「残念ながら、その両方です」

 つまり、数も多くて、そのどれもが行くのは大変、ということか。しらみつぶしに探すという手もあるけれど、世界の果てを回るのはそれだけでも時間がかかる。

 そして、数が多いということは、別の意味も示唆している。五十年以上経っていれば、必ずそこから世界の果てのその向こうを目指せるとは限らない、ということだ。

「どうしよっか、カゲユキくん?」

「すぐには答えは出ないけど……まずは、ひとつ確認してみるのはどうかな」

「そうだよね。ヒヨリ、一番近いのはどこ?」

 この村は世界の中心にあるけれど、世界の果ては丸い円の形で繋がっているわけではない。

「ここから北にある湖の奥が一番近いですね。距離だけでいえば、ここから南へ向かうのが一番近いですが……」

「海がある、ね」

 ヒナタが言った。世界の南には大海が広がっている。船を確保し、そこまで向かうとなればそれなりの苦労が伴うだろう。それに比べ、北は広い草原や丘が広がるだけ。

 俺の村がある方向に近いから、戻るようではあるけれど、それは同時に土地に不慣れで迷う心配が少ない、ということにもなる。最初に確認するために向かう目的地としては、最良といえるだろう。

「ただ、私としては東へ向かうのをお勧めします。道のりこそ多少長くなりますが、東には条件に当てはまる場所が複数、比較的近い場所に点在しています。谷を越えた先や、山の中腹など大変な場所も多いので、気軽に巡れるわけではありませんけどね」

 それでも北や南に行ってから、他の場所へ向かうよりは近いのだろう。

 視線を向けるヒナタに、俺は黙って頷いてみせた。こうして、俺たちの次の目的地は東の方角ある街に決まった。どの場所に最初に向かうにしても、そこで補給をしてからの方がいいだろう。


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