世界の果てのその向こう

―序章―

第一話 空に立つ少女


 駆ける。村から少し離れた場所にある、近くで最も高い山。その山頂へ。この山を登るのは毎日のことだけど、今日の目的はいつもとは違う。

 木々の間を抜け、辿り着いた山頂。開けた場所から地平を眺める。広がる大地の大半は小さな山々や丘に遮られて先が見えないけれど、ただ一点だけ、遮られるものがない大地の先には海が見え、その海の先には何もない空が広がっている。

 世界の果て。遠くてはっきりとは見えないから、目で見るだけでは信じ難いけど、村には何人も近くでそれを目にした証人がいる。俺の両親もその一人――二人だ。

 じっと見据える。明日、十五の誕生日を迎える日、俺は世界の果てを目指して旅に出る。今までは遠く眺めることしかできなかったその場所へ。

「待ってろよー!」

 逃げるわけでもないのに、届くはずもないのに、つい意気込んで叫んでしまう。

「おーい」

 叫んでから数秒後、そんな声が空から降ってきた。別にそれ自体は不思議なことではない。けれど、かなり高い場所から聞こえてきたその声に、俺は咄嗟に空を見上げる。

 背の高い木々の三倍か四倍はありそうな空に、一人の少女らしき人物が立っていた。

「そこの黒髪の少年! ちょっといいかなー!」

「俺に何か用かー!」

 特に逃げる理由も避ける理由もないのでそう答える。承諾を得た少女は、空高い場所からゆっくりとこちらへ降りてくる……のではなく、一気に飛び降りてきた。

 俺は思わず驚いてしまう。彼女に限らず、この世界に暮らす人なら、あの高さまで登るのは難しいことではない。空間を凝結させ足場を作り、その足場に軽い反発力を持たせて飛び乗っていけばいずれは辿り着ける。

 けれど降りるのはそうはいかない。反発力をなくして空間を凝結し、階段を作るなり、小さな足場を何個も作るなりして、ゆっくり降りてくるのが普通で、時間もかかる。

 少女――ここまで近づくとはっきりとわかる――はミニスカートを翻すこともなく、空高くから降りて来る。そして地面に激突する少し前、布のように柔らかな空間を凝結させ、ふわりと舞い降りるように地面に立った。

「よ、っと。スカートの中、見てないよね?」

 ミニスカートを押さえながら、じっと俺の瞳を見つめる少女。青く澄んだ瞳が美しい。水色の髪はショートカット、俺の髪よりもちょっと長いくらいで、活発そうな印象を受ける。もっとも、今の行動を見た影響も多大にあるとは思うけれど。

「見てないも何も、見せる気ないんだろ?」

 ブラウスにミニスカート、全体的に露出度の高い服装の彼女だけど、降りてくる間、こまめに空間を凝結させて、スカートの布を操作して中が見えないようにしていた。絶妙に調整された反発力で、少し移動したところで俺が見ることはできなかっただろう。

「へえ、どういうこと?」

 彼女は目を輝かせて、俺に聞いてきた。俺は素直に、今考えていたことをそのまま答える。そして最後に、こう付け加えておいた。

「俺には見えるからね」

 特異体質、とでも言えばいいのだろうか。普通の人には見えない空間凝結の状態、場所や反発力などが俺には見える。視覚的に何かが見えるわけではないけれど、そこにそれがあるということははっきりとわかる。

「じゃあ、これは?」

 少女は目の前の空間を凝結させた。

「鋭い剣。反発力はゼロ。切れ味が良さそうだ」

「それじゃあ、これ」

「虫とり網だね。細かいことに、網の形までしっかり作ってる」

 その後もいくつか空間凝結させてみる彼女に、俺は即答していく。こういうことをするのは小さな頃以来だ。信じられない村の人たちに証明するための回答。今ではみんな理解しているから、もうやる機会なんてないと思っていた。

「凄いね、君! 私、こんな人に会うの初めてだよ!」

 少女は可愛らしく笑って、胸の前で両の手の平を合わせる。

「その言葉、そっくり君に返させてもらうよ」

 俺も微笑んで言葉を返す。目の前や周囲の近い空間を凝結させるのは、誰にでもできる簡単なこと。だけど、その反発力の調整は非常に難しく、いくつかの固定値を決めて、修行して習得するのが普通だ。

 それにしても、一つの固定値を安定させるには何年もかかるもの。彼女のように、反発力を自在に操れるようになるには、数百年かけて様々な固定値を習得するなり、俺の知らない特別な修行をするなりが必要なはずだ。

「あはは、よく羨ましがられるんだ。でも教えてくれって言われても困るよ? 生まれつきみたいなもので、何となくでやってるだけだから。でさ、君のは修行の成果?」

「俺も生まれつきみたいなものだよ。使いこなすための修行はしたけどね」

「そっかー。私と同じだね」

 俺たちは互いに笑いあう。空間凝結が見える俺と、自在に反発力を調整できる彼女。その力の違いはあるとはいえ、どちらも生まれつきその力を持っていて、使いこなすために色々やったのは同じ。

 そして俺も彼女も、共感できるような相手に出会うのは今日が初めて。なんだかそれだけで近い人のように感じてしまうから不思議だ。

「ところで、用件――を聞く前に、まずは名乗っておこうか。俺はクサナギカゲユキ。君の名前は?」

「ムラクモヒナタ。ヒナタでいいよ。よろしくね、カゲユキくん」

「……くん?」

 何となく年下に対するような呼び方をされて、疑問を覚える。彼女の顔や背格好を見る限りでは、俺とそんなに歳は変わらないように見える。

「んー、君、いつ生まれ? 何歳?」

「秋前の一日、明日で十五になるよ」

「なら私の方が年上だね。私、夏後の三十八日生まれの十五歳だから。あ、もちろん、嫌ならやめるけどさ」

 ちなみに今日は夏後の四十日。年上といっても、僅か数日しか違わないのだけど、そう呼ばれるのが嫌なわけではないので、話の進行を優先する。

「嫌じゃないよ。それより用件、いいかな?」

 村から山まではそれなりの距離がある。下山の時間も考えると、ここで長話をしていたら、家に着く頃には日が暮れるどろか、月の輝く時間になってしまう。門限はなくとも、明日の旅立ちに影響が出るのは避けたい。

「そうだね。私もゆっくりしていられないし」

 ヒナタは俺がさっきまで見ていた方向、世界の果てを見つめながら話を切り出した。

「君、あの果てを見て叫んでたけど、旅に出るの?」

「ああ。明日には旅立つよ。あそこを目指す、ってわけじゃないけどね」

 それでも世界の果てを目指すことには変わりない、と付け加えるまでもなく、彼女は小さく頷いてから続けた。

「私もね、世界の果てを目指して旅してるんだ。旅立ちはほんの二、三日前だけどね。それで、ここからが重要なんだけど……君はどうして果てを目指すの?」

「きっかけは俺の両親から旅の話を聞いたこと。世界の果てを見たって話を聞いて、幼い頃から興味を持っていたんだ。それで、ここへ登れるようになって、世界の果てを遠くにだけど実際に目にして、その気持ちが固まった」

「親の進んだ道を歩みたい?」

 軽い疑問。けれど僅かに、その声には期待が込められているように感じられた。

「それもある。けど、俺が目指すのはその先さ。世界の果てのその向こう。そこに何があるのか知りたい、行ってみたい。世界の果てを乗り越えようとしても、やんわりと弾かれて戻されるだけって話だけど、何か手があるかもしれないって思ってね」

 世界の果てに辿り着いた人たちが、一回試しただけで諦めたわけじゃないのは承知済みだ。父さんと母さんだって、色々と試してみて越えられないと諦めたという。それでも、全ての事をやりつくしたわけではないと思う。

 そして何より、世界の果てを越えられる可能性。それはこの世界に確実に存在している。

「そっか。それじゃあ、私と一緒に旅に出ない? 私もね、目的は君と同じなんだ。世界の果てのその向こうに消えた、お父さんとお母さん……。私は二人を探しに行きたいの」

 ヒナタはこちらをちらりと見てから、そう言った。

「消えたって、やっぱり?」

 それこそが可能性。だけどそれは決して明るい話ではない。

「そう。五年前、私が十歳の頃なんだけどね。お父さんとお母さんは船旅をしていたんだ。でも途中で海が荒れて、波にさらわれて、そのまま帰ってこなかった。海の中を捜索しても死体は見つからなくて、何よりその場所は世界の果ての近く。ここまで言えば、もう言葉はいらないよね?」

 世界の果ての側で起きた事故、見つからない死体。そのような事故は、この世界の至るところで聞くことができる。頻発しているわけではないけれど、その特殊性から語り継がれて、世界中に広まっている。

 事故にあった人たちはどうなったのか。色々な説があるけれど、もっとも多くの人が信じているのは、世界の果ての先へさらわれた、というものだ。

 それも当然。ヒナタの両親のように海の事故だけでなく、陸の上の事故で消えた人もいるのだから、そうとでも考えないと説明がつかない。ちなみに他の説も、天上の神様にさらわれただとか、謎の組織に連れさられただとか、そんなのばかりだ。

 語る彼女の横顔に悲しみの色は見えない。そこから読み取れるのは、消えた両親を必ず探し出すという意志。

「それで、どう?」

 僅かな間をおいて、再び彼女は問いかける。今度は俺の顔をしっかりと見つめながら。

「二人旅の方が色々と安全だと思うけど?」

「安全って言われてもね」

 そもそも危険なんてものが、この世界にはほぼないと言っていい。あるとしたら、自然の猛威に襲われるくらいなものだ。

「確かに、旅人を襲う盗賊だとか、人に襲いかかるような怪物だとか、そんなのは物語の中にしかいないよね。けどさ、それはあくまでもこの世界の話でしょ? 世界の果てのその向こうには何があるかわからない。もちろん、それは君も承知の上だよね? 身のこなしを見ればわかるよ」

「鋭いんだな」

 彼女の言うことはもっともだ。平和な世界の果て、その向こうまで平和な世界だなんて限らない。むしろ、危険な場所である可能性が高いだろう。だからこそ俺は、旅立ちに備えて、両親から戦う術を学んでいた。

「安全以外にも、色々と便利だとは思うんだけど、どうかな?」

 もちろんそれもわかっている。けれど、俺にとっての問題はそこではない。

 このまま黙っていても無駄に時間が過ぎるだけ。怪訝そうな顔で俺を見ている彼女に、俺は観念して答えることにした。

「恥ずかしいんだよ。君みたいな可愛い女の子と二人で旅を――長くなるかもしれない旅をするなんて。そういうのはその、俺にはまだ早いと思う」

「あ、それなら大丈夫だよ。二人きりなのは少しだけ。別の場所でね、妹と合流する予定なんだ。三人旅なら問題ないでしょ?」

「なるほど。それなら問題は……ん?」

 解決していない気がするけれど、笑顔の彼女を見ていると、細かいことはどうでもいいような気がしてくる。安心感、とでも言えばいいのだろうか。きっと、彼女の言う妹とやらが、とてもしっかりしているのだろう。とりあえず、そういうことにしておこう。

「わかったよ、一緒に行こう。明日はどこで待ち合わせしようか? 宿は?」

 一緒に旅に出ることは決まっても、俺が旅に出るのは明日だ。俺の村に宿はないから、近くにあるいくつかの村のどの宿に泊まっているのか、聞いておかないと再会するとき困ることになる。

「それがね、この辺に宿ないでしょ? 私、宿を探してるんだけど。君の村に宿はある?」

 俺は首を横に振って答える。

「宿のある場所ならいくつか知ってる。ただ、今からだとどこに着くにも夜遅くになる。よくあることだから、部屋が空いてないってことはないと思うけど」

「そう。でも、君の村には夜までに帰れるんだよね?」

「そうだけど、それが?」

 俺は首を傾げる。俺の村に宿がないことはちゃんと伝えたはずだ。

「なら、君の家に泊めてほしいなって。私と君は明日から一緒に旅をする仲。ご両親に挨拶もできるし、君と仲良くなるにもちょうどいいと思うの。ということで、連れてって」

「……了解。こっちだよ」

 夜遅くになるとわかっていて他の宿を紹介するより、その方がいいという結論に達するのに時間はかからなかった。一緒に旅をする彼女が体調を崩してしまっては、旅に影響が出るのは必至だ。

 山を駆け下りて、平原を駆け抜けて村を目指す。いつものように修練も兼ねての移動。ついてこられるか心配だったけれど、尻目に見た彼女は特に苦もない様子で、俺の後を追いかけている。

 どうやら彼女も世界の果ての先を目指しているだけあって、俺と同等かそれ以上にしっかりと鍛えているようだ。

 程なくして――といってもすっかり日が暮れてはいるが――村に着いた俺たちは、そのまままっすぐ家に向かう。途中何度か村の人に声をかけられたけど、宿がないというので泊めてあげるんです、という部分的な事実だけを伝えて余計なことは伏せておいた。

 しばらくすると家が見えてくる。木の板を張り合わせた質素な家だけど、一年を通して比較的暖かいこの地方ならそれで十分だ。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 家に入ると、母さんが出迎えてくれる。そして視線はすぐに俺の後ろにいるヒナタへ。

「その子は?」

「説明するよ」

 俺はかいつまんで、今日あった出来事を母さんに話す。話している途中、遅いのを不思議に思ったのか父さんがやって来たので、説明を少しやり直すことになった。

「ということで、今晩はよろしくお願いします」

 というヒナタの台詞で説明は終わる。泊めるのを拒否されることはないとして、どんな反応が返ってくるのかどきどきしながら待つ。

「ほう……母さん、どう思う?」

「そうね、期待してもいいと思う」

「同感だ」

 互いに頷き合って納得した様子の二人だけど、俺には何のことだかさっぱりわからない。彼女はわかるだろうかと、ヒナタを見ると拳で手の平を叩くという、納得の仕草をしていた。

「帰って来るときにはいいご報告ができると思います。期待していてください」

「うむ。息子を頼んだぞ」

 大きく頷く父さんと、満面の笑みを浮かべる母さん。その様子から俺にも何となく理解できたので、余計なことは何も言わず家に上がることにした。

 夕食を終え、そのまま居間に残り四人で談笑する。他愛もない話ばかりだったけど、旅立ち前に彼女のことを少しでも知られたのはありがたい。玄関での会話からそんな予感はしていたけれど、ヒナタと両親が打ち解けるのに時間は要らなかった。

 翌日、俺たちは旅立った。出かけるとき両親にからかわれたり、ヒナタがそれに乗ってみたりと、些細な出来事はあったけれど、旅立ちに影響はない。

 最初の目的地はヒナタが妹と合流するという、世界の中心にある小さな村。神の柱を祀る村ということで、離れたこの村でも噂くらいは聞いたことがある。

 その村までは一朝一夕に辿り着けるわけではない。元々の予定でもあったのだけど、まずは近くの大きな街へ向かって、物資や食糧の確保など長旅の準備をするのが先決だ。旅立つにあたって最低限の備蓄は用意してあるが、それらはあくまでも緊急用。

 盗賊や怪物のような敵はなくとも、長旅をするなら怪我や空腹という敵は必ずついて回る。父さんの古い友人である刀鍛治が作ってくれた、業物の刀でもそいつは斬れない。

 街で準備を整えながら、店の人たちと他愛もない会話をする。その中でひとつ、気になる情報があった。次の中継点となる街への道中に流れる川が、連日の大雨で増水して橋が壊れてしまったという。

 街から少し離れた川まで実際に行ってみると、まだ水は増えたままで川幅は広がり、水の流れは普段より強くなっている。

「困ったな……」

 水が引くのを待つか、遠回りをするか。どちらにしても、かなりの時間を要するだろう。一人旅ならまだしも、ヒナタの妹をあまり長く待たせるわけにはいかない。

「困ったって、何が?」

「何がって、見ての通りだよ」

 目で川を示す。これだけの川を越えるのは容易ではない。

「見ての通りって、海を越えるわけでもないんだし、これくらいの川なら簡単でしょ?」

 言うと、ヒナタは目の前の空間を凝結させ、軽く空に飛びあがる。

「これで川の上を跳んでいけばすぐだよ」

「……ああ、そっか」

 そこでやっと気付いた。そういえば、彼女にはまだあのことを話していなかった。話す機会はあったけれど、特に急いで話す必要もないと思っていたらすっかり忘れていた。

「それが、俺には難しいんだよ」

「どういうこと?」

 ヒナタは空から降りてきて、俺をまじまじと見つめる。俺は目の前の空間を凝結させて、その上に立つ。それから、凝結させた空間をつま先でとんとんと叩いてみせる。

「空間を凝結させることはできるんだけど、反発力の調整が苦手でさ。ゼロ固定じゃないと安定しないんだ。それでこの川を越えるとなると、気力や体力をかなり消耗するのはわかるよね?」

 空間凝結は役に立つけれど、無尽蔵に使えるわけではない。安定して凝結させるには集中が必要だし、簡単な板のような形ならともかく、複雑な形に凝結させようとすると多少の体力も必要になる。

 とはいえある程度反発力を調整できれば、このくらいの川を越える程度で問題になることはない。ただ、ゼロ固定だけで越えるとなると、そう簡単にはいかない。

 川を越えても次の街までは結構な距離がある。強行も不可能ではないけれど、長旅をする以上、無理をするのは得策ではないだろう。

「なるほどね。それじゃ、私が旅をしながら教えてあげようか? あまり得意じゃないけど、普通の人に教わるよりは楽だと思うよ」

「それは助かるけど、いいのか?」

 俺だけが一方的に教えてもらうだけで、返すものがないのは申し訳ない気持ちになる。

「いいのいいの。君が上達して旅が楽になるのは私のためでもあるし、もし借りを作るのが嫌なら気にしないでいいよ。多分、借りを返す機会はすぐに訪れると思うから。そのための貸しってことで」

 機会というのが何のことかはよくわからないけれど、ここで教えを拒む理由は一つもない。俺は大きく頷いて、彼女の言葉に甘えることにした。

「それじゃ、はい」

 言って、ヒナタは手を差し伸べる。一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐにその意味を理解した俺は彼女の手をとった。

「ちょっと荒っぽく行くけど、君なら見えるから大丈夫だよね? それじゃ、いっくよー!」

 ヒナタが凝結させた空間を跳んでいく。俺は彼女の動きに合わせて、凝結された空間の反発力を瞬時に確かめながら、繋いだ手が離れないようについていく。

 普通ならこんな芸当、よほど意思の通じ合った者同士でないとできないことだ。けれど、見える俺なら、これくらい難しいことではない。

 数分かけて川を越える間、俺はこの旅が一人旅ではなく、二人旅であることを改めて認識していた。一人で越えるのは難しい障害があれば、二人で協力して乗り越えればいい。それがたとえ片方の力だけに頼るものであっても、だ。

 負い目を感じて躊躇したところで、結果的に二人とも困るだけ。もちろん出会って間もない彼女を、信頼しきれていないというのも少なからずある。

 けれども、そんなものは旅をしながら築いていけばいい。どんなに深い絆でも、最初は軽く引けばすぐに切れる細い糸のように、淡い関係から始まるものだ。

 ふと見ると、ヒナタは振り向いて俺に笑いかけていた。今までに見たこともないような可憐な表情に、思わず見とれてしまう。凝結した空間を確認しないとと思いつつも、どうしても目が離せない。

 気がつくと俺は彼女に笑顔を返していた。そんなことをしている暇はないのに、つい笑みがこぼれてしまったのだからどうしようもない。

「ん。それじゃ、最後は一気に行くよ!」

「……は?」

 ヒナタが次に凝結させた空間。その反発力は今までよりもかなり高い。川を越え、川岸に辿り着くまでの身体十個分ほどの距離を、一気に越えられるような反発力。そのままだと地面に激突するほどの反発力だ。

 さっきの笑顔はそういう意味だったのかと、俺が理解するのと彼女が凝結させた空間を蹴るのは同時だった。俺も咄嗟に、同じように地面を蹴り飛ばす。

 今までに感じたことのないような速度で、地面に向かって跳んでいく俺の身体。驚きはあったけれど、ヒナタと一緒なら激突するかもしれないという恐怖はない。

 地面にぶつかる直前、目の前に布のように柔らかな空間が広く凝結される。初めて出会ったとき、彼女が飛び降りて着地する直前に使ったのと同じものだ。

 俺たちの身体は柔らかく凝結された空間に包み込まれ、激突するほどの勢いは消える。そのままゆっくりと地面に着地し、俺たちは無事に川を越えることができた。

 平然とした顔で立っているヒナタを見て、俺は彼女の凄さを改めて実感する。普通、凝結させられるのは自分の目の前や周囲の、ごく近い空間。もし一瞬でも凝結させるのが遅れていたら、俺たちは地面に激突していただろう。

 布のように不安定な形で、柔らかく空間を凝結させるには、繊細な反発力の調整が必要だ。単に板の反発力を調整して、ジャンプ台にするのとは難易度が違う。それを彼女は、あの一瞬でやってのけた。平然と、いつものことのように。

「どしたの、カゲユキくん?」

 視線に気付いたのか、ヒナタは首を傾げて俺を見つめる。立てた指先は顔の下に。

「いや、いい先生に恵まれたなと思ってさ」

「その言葉はまだとっておいてよ。うまく教えられるかわからないんだから」

 苦笑するヒナタだけど、まんざらでもなさそうだ。

「さ、行こっか。ここで話してて遅れたら、川越えした意味なくなっちゃうよ?」

「ああ、了解!」

 そうして俺たちは再び足を進める。街へ着いたら、次の目的地はいよいよヒナタの妹との合流点にして、世界の中心にある神の柱を祀る村だ。


第二話へ

世界の果てのその向こう目次へ
夕暮れの冷風トップへ