カゲカケラ

第十話 槍斧


 彼らの前に槍斧の領主が指揮する影の兵士が初めて現れてから、十日が経過していた。その間も何度か兵士との交戦はあったが、槍斧の領主は姿さえ見せていない。

「ま、槍斧は慎重だから。おかげで時間は十分。もっとも、あたしたちが融和を高めることを優先していたら、また別の作戦を展開して来たことでしょうけど」

 それに対しての、阿裏奈の感想はこれである。どちらにしても何らかの作戦を立てて、真っ向勝負にはならない。ならばこちらから作戦を誘導して、戦いやすい状況に持ち込むのが最善である。無論、槍斧の領主としても誘導を見た上で、それに乗らずに急戦を仕掛けることも考えられたであろうが、この十日で動かないならその可能性は消えている。

 槍斧の領主の性格を理解しての、適切な阿裏奈の作戦。阿裏奈が領主のことを知っているからできたことであるが、それで彼らが有利になるわけではない。あちらもあちらで、阿裏奈の性格は理解していて、あえて誘導に乗ったということでもあるのだから。

 直接的な戦闘をしたことも、一対一での訓練をしたこともほとんどないが、槍斧とのボードゲームでは阿裏奈の全敗。作戦が思い通りに進んでいても――進んでいるからこそ、油断はできなかった。

 そしてその日の夜、集まった五人に阿裏奈が言った。

「そろそろ、あんたたちの知恵も借りるわよ」

「任せてくれ」

「了解よ」

 緑と織乃に続いて、他のみんなも頷いていく。阿裏奈が一人で彼らを指揮して、槍斧の領主の指揮する影の兵士と戦えば、勝機はほとんどないといっていい。しかしそこに緑たち五人の知恵が加われば、勝負の結果はわからない。

 島の地形も学んだ彼らと、兵士を指揮して地形を確かめたであろう敵。地の利はどちらにもなく、個々の力では彼らが勝るが、数では槍斧の領主に分がある。

 そうして彼らが作戦を考えた結果、予想された勝率は五分五分。知識の上では学んだことがないわけではないが、こういう戦いは彼らにとっては初めてのもの。そしてまた、槍斧の領主にとってもこれほどの強敵との戦いは初めて。結果を予想するには材料が足りないのである。とはいえ、自信のない作戦で動くのは、作戦中の行動に悪影響を与えかねない。

 そこで彼らは、第三者の意見を求め――サポート担当の連崎睡蓮に作戦を評価してもらうことにした。

「ふふ、みんなの頼りになるお姉さん、睡蓮にお任せください。こう見えて私、こういうことの経験はみなさんよりは豊富なんですよ」

 睡蓮は言ってから、モニター越しに彼らから作戦内容を伝えられる。そして最後に、説明を終えた阿裏奈が問いかけた。

「ところで、経験ってなんなのよ? 戦争でもしてたの?」

「阿裏奈ちゃんはお姉さんの秘密に興味津々ですね。そうですねー、それよりまず、今回の作戦について気になることがいくつかあるのですが……」

 質問には軽く返してから、睡蓮はそのままの態度で作戦の問題点を的確に指摘していく。どういう経験をしているのかはわからなくとも、実際に経験があるというのが嘘ではないとわかるくらいの、素早く、細かい指摘であった。

 支援部隊として活動していた聖歌だけは驚いた様子を見せなかったが、緑たちは睡蓮のその指摘ぶりに感心したような表情を見せていた。

「……と、みなさんの意見も合わせると、これが最善ですね。頭を使って細かく行動を決めるよりも、みなさんの影の力を最大限に利用できるように。異論はないですね?」

 笑顔で言った睡蓮の言葉に、彼らもみな納得して頷く。細かい点の指摘は作戦そのものよりも、作戦を立てて動くという彼らの無意識のプレッシャーを無くすためのもの。

「で、どんな経験をしたらここまで考えられるの?」

 阿裏奈は再び睡蓮に問いかけながら、視線は聖歌の方に向ける。聖歌からは首を横に振るという返事が届き、視線を移した睡蓮は笑顔のまま沈黙を保っていた。

「あはは、大した経験じゃないですよ。でも、そうですね、長くなるのでお話はまた今度でいいですか? 槍斧の領主に無事に勝利して、私が凄いということをみなさんが認識して、素晴らしい睡蓮お姉様と褒め称えるその日に!」

「……褒め称えないと駄目なのかな?」

「あたしに聞かれても困るよー。どう、織乃?」

「私も知らないわよ」

 小声ではなく、はっきり聞こえるように相談する緑たち。

「じゃ、そうさせてもらうわ」

 睡蓮が何かを言う前に、阿裏奈はさっさと話を切り上げた。一番気になっていた彼女が興味を失ったことで、他の五人もこれ以上の質問はしなかった。睡蓮は寂しそうな表情を見せることはなく、微笑みながらそんな彼らを見守っていた。

 さらに数日が経過して、外で訓練をする彼らの前に一体の影の兵士が現れた。刃こぼれした剣を握っているが戦意はなく、無言で――影の兵士なので当然だが――彼らと自身の間に剣を投げて、地面に突き立てて消えていった。

 その投げられた剣には明確な戦意が宿っており、影の兵士が姿を消してからも剣はゆっくりと薄れるだけで、すぐには消えなかった。

「宣戦布告、ってところかしら」

「そうですね。影の兵士の気配はありますけど、囲んでいる様子はないみたいです」

 織乃の言葉に対して、聖歌と二人で広範囲の気配を察知していた茜が答える。槍斧の領主が戦いを仕掛けて来たのは、彼らの調子も万全な訓練開始直後。しかし、影の兵士の配置も万全であり、肝心の槍斧の領主の位置は察知できない。

 突き立てられた剣が消えたとき、彼らを囲んでいた影の兵士が動き出す。その動きは六人を分断するための動き。しかし、その動きは予測の範囲だった。

「じゃ、行くわよ」

「ああ」

「任せてよ!」

「ええ」

「うん!」

「了解しました」

 阿裏奈の指示に他の五人が返事をして、素早く作戦行動を開始する。影の兵士たちが彼らを分断するより速く、彼らは六人に分かれて動いていた。相手の理想形には持ち込ませず、それでいて分断されることは許容することで、相手には妥協させる。

 槍斧の領主がどこにいるかはわからないが、おそらく誰かの前に姿を現すのは間違いないだろう。彼らは臨戦体勢を整えて――翼や漆黒の剣、ほうきを持って――移動した。

 数分後。

 黒い影が空中に集まり、二メートル五センチの術士のような姿を形成したのは、彼らが完全に分断されて融和の力がほぼ使えなくなったときだった。

 両手に握るは一本の槍斧〈ハルバード〉。纏う雰囲気は二十代の若き指揮官。槍斧の領主は自身と同じく空に浮かぶ相手を、冷徹な表情で見つめて姿を現した。

「やっぱり、あたしの前に現れたね」

 言葉を笑顔で口にした水樹に、槍斧の領主は視線を動かさずに答えた。

「私の指揮を読んだか。阿裏奈の策か、それとも別の者の考えかは知らぬが、少なくとも期待外れではないようだな」

 空を飛ぶのを得意とする水樹の〈翼〉は、分断されても地形を無視して最も速く誰かと合流することができる。そんな彼女を狙おうとするのも、狙われると読むのも、ちょっと考えればわかることだ。読まれるとわかっていて、それでもなお槍斧の領主が水樹の前に姿を現し、そこまでの動きを彼らは的確に読む。

 単純であるがゆえに、裏をかくことも容易な状況。その可能性を考慮しつつ、読みを的中させたことは水樹に自信をつけ、時間が経てば他の五人も気付いて自信となるだろう。

「では、腕試しといこう」

 槍斧を前に、領主が動き出す。影の領主が扱う影の力は強く、空を飛ぶのは簡単なこと。速度となるとまた別だが、指揮を得意とする槍斧の領主は自らの位置を重要とする。直接的な戦闘能力は斧に劣っても、飛行能力に関しては槍と比べても目前の影が勝っていた。

 水樹が広げるのは水色の翼。そして青の翼の二対四枚。流れる水に氷を乗せて、飛沫と粒が槍斧の領主を取り囲んでいく。

 前後左右、上下からも襲いかかる攻撃を、槍斧の領主はその扱いの難しい武器を自在に操って防ぎ切る。斬り、払い、突いて、その動きから領主自身の戦闘能力も低くはないことが窺い知れた。

 直後に正面から放たれた氷の槍と、複数の弾ける水の玉は、大振りの一撃で相殺する。

「指揮官といっても侮れないみたいだね」

「指揮する者として、当然のことだ。仲間と合流したくば私を倒すがいい」

「そっちこそ、あたし一人だけの相手をして大丈夫なの?」

 水樹からの挑発に、槍斧の領主は予想していたとばかりに微かな笑みを浮かべていた。

「今作戦における私の役目は一人を足止めし、力を確かめること。その間に、他の五人は包囲した兵士たちにより着実に削らせてもらう」

 作戦を話したことは、確実に彼女を足止めする自信があるということでもある。水樹は笑みを返して、目前の敵との戦いに集中する。元々、こうなることは水樹たちにとっても予想通りの展開。影の兵士を倒して合流するのは他の五人の役目だ。

 分散した六人はそれぞれの場所で影と戦っている。その中の一人、織乃も多数の影の兵士を相手に一人で戦っていた。漆黒の剣を片手に、近寄ってくる影の兵士は迷わず斬る。今の彼女なら一撃で一体を倒すのは容易だが、数分経ってもまだ織乃は一体も影の兵士を倒せてはいなかった。

 織乃が反撃しようとした瞬間に、別の影の兵士が弓で牽制。織乃から接近すると影の兵士たちは散開し、樹木の上から矢を放っては織乃の動きを制限する。

 織乃の力、速度、武器の射程。それらを完璧に測っての的確な行動。槍斧の領主の指揮能力の高さは、領主が近くにいなくても遺憾なく発揮される。

(私以外も、おそらく同じ状況なんでしょうね)

 織乃は考えながら、左手に漆黒の小さな短剣を生み出しては、近くの影の兵士に投げつけてみる。兵士は剣でそれを弾き、大きな隙ができるが、そこを狙って接近しようとすると矢の雨が襲いかかってくる。

 それでも織乃は足を止めず、紙一重で多くの矢を回避し、掠める矢は剣で弾きながら、接近した影の兵士に剣を振り上げた。影は一瞬で薄れていき、追撃をされる前に織乃は次の攻撃を開始する。

 敵の数は多く、一体を倒してもすぐには崩れない。多少の攻撃を受けても気にせずに、強引に攻めればより速く切り抜けることも可能だろうが、消耗は避けられない。

(頼んだわよ――茜)

 織乃は消耗を抑えつつ、影の兵士を少しずつ倒しながら、今回の作戦の要である少女の顔を思い浮かべていた。

 伏木茜は正面に並ぶ数体の影の兵士と、左右や後方、やや離れたところで待機する影の兵士を相手にしながら、黙ってその場に立っていた。最初こそ影の兵士も攻撃してきたものの、茜に反撃の意思が見られないことに気付くと、包囲して逃がさないための布陣をほんの数秒で形成してみせた。

 そんな状況も茜は構わず、ぼんやりと周囲を見回して遠くの影を察知する。自分を囲む影の兵士より遠く、他の仲間のいる場所を探るための察知。さすがに島の全域を把握することはできないが、融和が難しい距離でも影の力を察知するだけなら十分に可能だ。

 移動した位置はある程度わかっている。さらに、影の力を融和した他の五人であれば、間違うことはない。時間をかけているのは、その周囲と、そこまでの間に配置された影の兵士を確認すること。大量の伏兵を潜ませていないか、その確認が大事だった。茜たちの影の欠片は影の兵士と同じだが、融合し鍛えたことでその力は飛躍的に高まっている。とはいえ、多数の影の兵士を強引に突破しようとすれば、一定の干渉は避けられない。

「ええと、うん。これなら大丈夫かな?」

 確認を終えて、茜は欠片の力を高めていく。そして頭の中で広げるのは、強き〈妄想〉。遠く、彼女から一番近い場所にいる仲間を思い描き、力を高めていく。

 攻撃する様子はなくとも、その様子に影の兵士たちも一斉に動き出して行動を阻止しようとする。しかし、兵士たちが距離をとっていたのもあり、気付いたときには既に茜は準備を完了していた。

「遅いよ! 合流は――もう止められないよ」

 茜の姿が虹色の光に包まれて、そこに影の兵士たちの剣や矢が集中する。それが光に届いたのと、光が消えたのは同時。影の兵士の放った攻撃は茜に当たることなく、誰もいない地面に落ちるだけだった。

「……ふふ」

 ほうきを振って、華麗に舞うように。自らを狙う影の兵士を軽くあしらっていた聖歌が、ふと微笑む。そして、近くにいた影の兵士に対して派手にその〈力〉を放った。

 ほうきから放たれる光の粉が舞い、炸裂し、戦場に聖なる土煙が舞う。その空間を守るような土煙は、外からの攻撃を通さない。そして、その土煙が晴れたとき、そこに姿を現したのはついさっきまで離れた場所で影の兵士に囲まれていた茜だった。

「聖歌さん! 到着しました!」

 現れた少女に向けられた言葉に、巫女装束の少女は笑顔で答える。

「まずはここから、合流を始めます!」

 表情こそわからないが、影の兵士の間には動揺が走っているようだった。作戦上、いつか合流されるであろうことは影の兵士に――槍斧の領主にとっても予想していたこと。しかし、ここまで早く、無傷で、一瞬のうちに合流されるというのは、予想にない展開であった。

 もっとも、動揺していたのもほんの数秒。影の兵士たちは陣形を組み替えて、二人を相手にする布陣を形成する。攻撃よりも守りに重点を置いた布陣で、何体かの影の兵士は林や谷の中へと消えていこうとしていた。

「聖歌さん、あれはどうしますか?」

「追わずとも、切り開けば問題ないでしょう」

「了解です!」

 情報が伝わり、合流が他の影の兵士や、指揮官である槍斧の領主に伝わっても、彼らと同様影の兵士たちも分散している。領主と領主が生み出した影の兵士。彼らならではの連絡手段を持っていたとしても、分断した兵力を一瞬でまとめることはできない。

 ならば、やるべきことはひとつだけ。周囲の影の兵士を融和した力で迅速に撃破して、茜が聖歌の前に一瞬で移動したのと同じことを、全員が合流するまで繰り返す。

 〈妄想〉を高めて、思い描いた人の傍へと転移する――実際に試すのは初めてでも、一人で成功したなら二人でも失敗はしない。それに、最初に合流したのが〈力〉を得意とする聖歌なのだから、三人、四人と増えて運ぶ人数が増えても問題はない。その間に影の兵士が一箇所に集まってきたとしても、人数が増えれば融和の力も高まり、消耗を気にしなければ一瞬で蹴散らすことができる。

 そして今も、聖歌は全力でほうきを振って、光の粒を散らして壁を作る。接近する影の兵士を弾き出し、遠くからの攻撃も防ぐ守りの壁。その間に茜は再び転移の準備をして、次の合流を目指す。近いのは水樹だったが、目的地は別の場所。ここまで来れば茜にも、そして聖歌は最初から、槍斧の領主の気配は察知している。そこを目指すのは、島を回って他の五人と合流してからである。

 槍斧の領主と対峙する水樹は、氷の雨を降らせて派手に領主を攻撃する。槍斧を軽く頭上で回して、影の力を放って雨を全て弾きながら、槍斧の領主は突然表情を変えて、笑顔を浮かべていた。

「どうしたの? 何か、予想外の情報でも入った?」

 同じく笑顔を顔に浮かべて、水樹が次の攻撃を準備しながら問う。

「私の兵士より情報を得た。確かに、予想外の情報ではあったが、本番はこれからだ」

 槍斧を手に突進してくる領主を、水樹は柔らかい水の盾で受け止めて距離をとる。地上を見ると、数体ではあるが影の兵士が集まっているのが見えた。

「ふーん……じゃ、少し待つ間、休んでていい?」

「休めるものなら、好きにするがいい」

 盾を破って接近する領主を、水樹はやや降下して回避した。

 それからも二人の攻防は続き、数十分が経過したころ。地上には数十、数百の影の兵士が集まって来ていたが、上空にいる水樹を狙う様子はなかった。むしろ、上空から水樹に攻撃されないように、距離をとって物陰に身を潜めているのがほとんどである。

「そろそろ、かな?」

「だろうな。こちらの準備は、既に整っている」

 そして、地上に彼らが転移して来たのは、さらに数十秒後が経過した頃だった。緑、織乃、茜、聖歌、阿裏奈の五人が転移して、槍斧の領主の前に現れたのである。

「全軍、突撃」

 それを見た槍斧の領主は後退して、代わりに影の兵士たちが大軍となって地上の彼らと、空中の水樹を狙って攻撃を開始する。

「って、いきなり?」

「ま、予想してたことだけど……あいにくね。あんたの予想は超えさせてもらうわよ」

 後方にいた緑と、前方にいた阿裏奈。真っ先に狙われた彼らは素早く反撃の態勢を整えて、激しい攻撃を融和の力で押しきる。水樹も高度を下げて五人に合流し、六人となった融和の力は影の兵士には止められない。

 だが数が多く、なおかつ数の利だけを利用しての特攻は行わず、被害を最小限にしながら大軍の力を利用してくる兵士たちを全て倒すには、それなりの時間がかかる。

「私の兵士の前に、その力がどこまで維持できるか。私はここで見させてもらう、と言いたいところだったのだがな」

 そして、背後で指揮に集中するかと思われた槍斧の領主も、その攻撃に参加していた。兵士に紛れるように動く、一騎当千の領主の槍斧。さすがに緑たちも、影の兵士に囲まれた状態では正面からぶつかり合うことはできない。

「へえ、策士のあんたにしては、珍しいわね?」

「多数の影の兵士により消耗させ、力を失ったところで伏兵を登場させ、私とともに一気に勝負をつける……それが通じないことは、既にわかったのでな」

 槍斧を紙一重で回避した阿裏奈の言葉に、槍斧の領主は静かに答えた。

「阿裏奈の指導の成果か」

「それもあるけど、あいつらの努力の賜物よ」

 二体の分身とともに光の槍を投げつけ、回避するために後方に跳んだ槍斧の領主に収束させた光を放って追撃する。その攻撃は複数の影の兵士の攻撃によって弱められ、槍斧の刃先に軽く触れただけで消滅していた。

 戦いで影の力を消耗したとしても、それ以上の回復速度があれば消耗は抑えられる。今日までの訓練により、緑たちの回復力は高まっており、影の兵士による攻撃だけでは槍斧の領主の想定していた程の消耗を与えることは不可能だった。

「あんたが少しくらい動揺してくれたら、一気に兵士を殲滅しておしまいだったんだけど、最後までやらないといけないみたいね」

「影の根源より受けた命。私はそれを果たすべく最善の行動を、常にとるだけだ」

 槍斧の領主は対峙した瞬間に、あるいは対峙するより前に、影の兵士からの情報で、彼らがそこまで成長していることを理解し、柔軟に戦術を変えてきた。かつてのボードゲームでも似たようなことが何度かあったと、阿裏奈は思い出しながら戦いを続ける。

 槍斧の領主の立てた作戦、行った動きに僅かな綻びを見つけて、そこを的確について優勢になっても、領主はすぐにそれに気付いて素早く対応する。それがどれだけ事前に立てた戦略と違うものであっても、迅速かつ柔軟に。

 今回の場合も、そうしたことで、六人の消耗速度が回復速度を上回ったまま、戦いが継続している。影の兵士を的確に指揮し、自らの身を守りつつ強力な一撃を放ってくる槍斧の領主には、六人も常に全力で戦うしかない。

「ま、それなら……戦いの中で成長してもらおうかしら。もちろん、あたしもね」

 阿裏奈は呟いて、他の五人の動きを把握しながら戦いを続ける。既に別の場所に移動した槍斧の領主には、その呟きは聞こえていなかった。

 領主の指揮する大軍との戦いが始まって、十数分。緑たちは多少の攻撃を受けながらも影の兵士を倒していたが、倒しても補充される影の兵士を殲滅するのは叶わない。戦場で戦えるだけの兵士を配置し、兵士が倒れたら逐次新たな兵士を投入する。新たに投入される兵士は精鋭クラスがほとんどで、それを倒してもまた兵士は増える。

 槍斧の領主も戦いに参加しているのだから、戦いの中で新たな影の兵士が生み出されることはなく、兵士の数は有限。だが、その数が多ければ無限のようにも感じられる。

「よし、ここは俺の特別で一気に――」

「緑、自重しなさい」

「はは、わかってるさ」

「……本当かしら」

 肩をすくめて微笑む緑に、織乃は疑いの目を向けながら近くの影の兵士に剣を向ける。このまま戦い続ければ、おそらく勝利するのは自分たち。しかし、一瞬でも隙を見せれば、槍斧の領主が何をしてくるかはわからない。

「さて……仕上げだ」

 一体の影の兵士が倒れたとき、槍斧の領主がよく通る声で呟いた。新たに補充される兵士はなく、それでも大軍は維持したままの兵士たち。槍斧の領主は彼らを自らの傍に集め、自らは影の力を高めていく。

「……はあ。あんたたち、これを凌いだらあたしたちの勝ちよ」

「どういうこと?」

 ため息とともに言った阿裏奈の言葉に、近くにいた水樹が尋ねる。

「見ての通りよ」

 阿裏奈の視線の先、槍斧の領主を水樹も見る。他の四人も影の兵士の動きを注視していたが、全ての兵士が槍斧の領主に集まっていくのを見て、追撃は控えていた。

「私の影より生まれし兵士たちよ、その力、全てをぶつけさせてもらう」

「まさか、あんたのこんな、捨て身のような戦法が見られるなんてね」

 阿裏奈の言葉に、槍斧の領主は微笑んだ。

「ふ。それが一番、勝てる可能性があるのなら、躊躇はせぬ」

 周囲の影の兵士が影を薄れさせると同時に、槍斧の領主は影の力を極限まで高めていく。自らに宿る全ての影の力と、影の兵士が持つ全ての影の力。それを集めて、生み出すのは六本の鋭い槍斧。彼の持つ槍斧と全く同じ、それでいて大きな力を持つ武器。

「阿裏奈よ。そして若き者たちよ。根源に挑むというのなら、耐えてみるがいい」

 そして、槍斧が放たれる。融和を高めて生み出した、それぞれの守りの盾を破壊し、六本の槍斧は彼らの体を貫いて、影を薄れさせて消えていった。

 同時に、槍斧を放った領主も黒い影を薄れさせて、消えかけていた。軽い一撃でも与えればすぐに倒せる状態で、それでなくとも時間が経過すれば槍斧の領主は消滅するだろう。だが、六人は誰も動かず――動けずに、それを黙って見つめるだけだった。

「これに……耐えろ、か。ここまでやるなんて、思ってなかったよ」

「あはは、だよね。かなり辛いかも」

「そうね。でも、この程度で私の復讐を止められると思ったら、大間違いよ」

「私の女の子への愛も、止められないですよ!」

「この力、私でも……」

「ま、影の塊に蝕まれてたときよりは、短いだけましね」

 彼らは口だけを動かして、強烈な影による干渉に耐える。手足を動かすことも可能ではあるが、激しい戦闘行為をするのは辛い状態。回避行動はとれるので、もし伏兵が潜んでいたとしても大丈夫だが、その可能性はほぼ完全に消えていた。

 緑の〈特別〉でも防ぎ切ることは叶わず、聖歌の〈力〉でも抑えられない、槍斧の領主が放った最後の影の力。その力を、彼らはゆっくりと、確実に弱らせていく。

 それを消えかけながら槍斧の領主は黙って見つめて、あるところで、ふっと笑みをこぼした。

「……耐えてみせたか」

 その言葉を最後に、薄れた黒い影となった槍斧の領主は、消滅した。

 それからさらに数分。緑たちが攻撃に耐え切り、普段通りに動けるようになったのはそれだけの時間が経過した頃だった。

「勝ったね」

 緑は誰にともなく声をかける。

「槍斧……ふう」

 阿裏奈はそれに答えるように、領主の消えた場所を見つめたまま呟いて、大きく息をついた。

「阿裏奈ちゃん、寂しい? 私がいくらでも慰めてあげるよ」

「違うわよ、変態」

 隣から顔を覗き込んできた茜に答えて、這わせようとしていた手を咄嗟に弾いてから、阿裏奈は言葉を続けた。

「次は根源様を相手にしないと思ったら、こうしてあんたたちと仲良くできるのもあと少しかもしれないって思ったの。それだけよ」

「……そうね。それは、私も同感よ」

 ただ一人、阿裏奈の言葉に同意を示したのは織乃だった。いつもと変わらぬ表情で、いつもと変わらぬ声で、織乃はその言葉を口にしていた。

「織乃」

 緑の言葉に、織乃は小さく肩をすくめて微笑んでみせた。

「もちろん、最終手段よ。私の復讐に、私の生死は関係ないけど、影が完全に消えるのをこの目で見るまで――私は絶対に倒れる気はないから」

 今度は強い覚悟を込めた声で、織乃は言葉を口にした。


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