カゲカケラ

第九話 影の兵士


 露天風呂を楽しんだ翌日から、彼らはすぐに訓練を再開することになった。といっても、阿裏奈が加わっての訓練は初めてで、彼女は茜や聖歌と違って第一、第二の訓練施設の仕組みの外から加わった六人目だ。

 さらには、影の欠片ではなく影の塊と融合しているのも、彼らとは違う大きな点だ。緑が成功したように力の融和をするだけなら今までと同じでいいが、それだけでは限界がある。

 とはいえ、それを考えるのはすぐではない。彼らは訓練を開始して、そして一日で阿裏奈は見事に融和を習得してみせた。もちろん緑以外の四人も同様で、それがなぜ可能だったのかは明白だ。

「混浴の効果、凄いですね。緑くん、がんばりました?」

「何をです、睡蓮さん?」

 モニター越しに見つめてくる相手に、緑はとぼけた顔で尋ね返す。

「言わせるんですか? 緑くんのえっち」

「遊んでないで、話があるなら進めて」

 織乃が言った。彼らが集まっているのはモニターの前、阿裏奈が加わって初日の訓練を終えた夜である。

「明日からは阿裏奈ちゃんが指導してください」

 彼女の求めに応じて、睡蓮は話を進めた。言葉の意味にそこにいた多くが顔を見合わせる中、名指しされた阿裏奈と、聖歌の二人だけは真っ直ぐにモニターを見つめていた。

「面倒くさい」

「最善ですね」

 そして同時に、二人は言葉を返す。

「では、そういうことで」

 睡蓮は満面の笑みを浮かべて、両手を合わせてみせる。

「面倒くさい」

 そんな彼女に、阿裏奈は改めて言葉を繰り返す。

「そういうことで」

「あー、別にいいけど、そんなに急がなくてもいいんじゃないの? 根源様だってまだ動かないだろうし、他の領主が来たとしても勝てるはずよ。一応はあたしに勝ったあんたたちに、このあたしも加わってるんだからね」

「ですが」

 聖歌が言った。阿裏奈は彼女の言葉を手で制して、大きく息をついてから言葉を続けた。

「わかってるわよ。根源様がいつ動き出すのかはわからない。それに、あたしとしてもそれは望むところよ。こっちにつく以上、いずれは根源様と戦わないといけないんだし、あんたたちにも強くなってもらわないと困るのよ」

 五人の顔を順番に見て、阿裏奈は言葉を口にする。

「では」

「ええ。ま、特に厳しくするつもりはないから、安心しなさい。今のあんたたちなら、きっとついてこれるはずだから」

 睡蓮の言葉に、阿裏奈は顔に微笑を浮かべて答えた。

 阿裏奈との訓練が始まって二日目。阿裏奈が指導を任せられての初日は、施設の外で訓練を行うことになった。何でも広い場所で確認したいことがあるということで、緑たちも彼女に異論は唱えなかった。昨日のうちに彼女の指導を承諾したのだから当然である。

「じゃ、水樹。あんたで試させてもらうわ」

「試すって、何を?」

「これ」

 阿裏奈は言葉とともに光を放ち、水樹の頭上を掠めさせる。

「あたしは空に向かってこれを繰り返す。あんたは空でこれを回避する。もちろん、あたしは本気でやるから、あんたも本気で回避しなさい」

「本気で?」

 水樹の問いに、阿裏奈は頷く。

「そ。大丈夫よ、速度は本気だけど威力は抑えてるから」

「うん。それじゃ、準備するね」

 水樹は白い翼を広げて、高く飛翔する。ある程度の高度に達したところで阿裏奈が合図を送り、水樹も合図を返し、少ししてから再び阿裏奈が合図を送る。

 何十本もの光の束を次々と上空へ向けて発射し、水樹はそれを華麗に回避する。目で見てからは間に合わない速度でも、攻撃を予測すれば回避は可能。水樹の〈翼〉による飛行速度はそれを十分にこなせるだけの力を有していた。

 阿裏奈が指示すると、水樹はさらに高度を増していく。攻撃の届く距離が伸びて、放たれる光は直線的。回避は簡単に思われたが、水樹は常にぎりぎりで回避していた。

「こんなところね」

 阿裏奈は呟くと、再び水樹に合図を送って終了を示す。ゆっくりと降下してきた水樹は疲弊こそしていなかったものの、阿裏奈の意図がわからず彼女に視線を送り続けていた。

「確認したいことは二つあったんだけど、ま、まずはこっちからね。今のであんたもよくわかったと思うけど、あんたはあたしの全力を前にしても渡り合えるだけの力を持ってる。もちろん、緑に織乃、茜や聖歌だって同じ。融和しているといっても、あたしとの融和はまだ弱いんだし、これは紛れもなくあんたたち一人一人の力よ」

 阿裏奈は五人をざっと見回してから、微笑んで言葉を続けた。

「影の塊と融合したあたしと、影の欠片と融合したあんたたち。小さな池が湛える水は、大きな湖を満たす水には及ばない。でもそれは、あくまでもどれだけ多くの水を溜められるかってことだけ。どちらも澄んだ水なら、一度にぶつかり合う力は変わらない。もちろん、その水の量は影と融合したあたしたちにとっては、体力とも言えるものだから、持久戦ではあたしが有利で、短期決戦ならあんたたちが有利ってわけでもない――これは、前の戦いでよくわかってるでしょ?」

 五人は頷く。阿裏奈との戦いが長引いて決着をつけられなかったのは、その持久力の差によるところが大きい。彼女からの提案がなければ、緑たちが勝つのは命を懸けてもせいぜい半々といったところだろう。

「塊と欠片の差は絶対に埋まらない。でも、影の力は使っても消えるものじゃない。回復力を高めれば、あんたたちも一人であたしと対等に渡り合えるようになるはずよ。簡単なことじゃないけど、指導を任せられた以上は面倒くさいけどやってあげる」

 微笑みながら阿裏奈ははっきりと宣言した。

「回復力、か」

 緑が呟く。

「詳しいのね」

 織乃は感心したような表情で、阿裏奈の目をまっすぐに見て言った。

「そんなの、根源様に直接教わったんだから当然よ。融和に関してはあんたたちの方が詳しいと思うけど、影の力の扱いならあたしに任せない」

 阿裏奈は苦笑しつつ、小さく肩をすくめて答えた。

「――で、その融和についてなんだけど」

 一転。阿裏奈は顔から笑みを消して、もう一つの確認したいことを彼らに告げた。

「水樹、あんたはずっと融和してたでしょ?」

「もちろんだよ」

「でも、高度を増したら動きが少し鈍ってた。念のために聞くけど、疲れたからとか、遠くなったから力を抜いたとか、ってわけじゃないでしょうね?」

「うん。あたしはずっと全力だったよ」

 水樹の答えに、阿裏奈は頷いて答える。

「それじゃあ、次はみんなに質問するけど、融和ってどれだけ離れていてもできる? この島の端と端――というのは極端な例だけど、どう?」

「それは……」

「試したことはないわね」

「私の愛はどれだけ離れていても変わらないよ、阿裏奈ちゃん」

 緑と織乃が答えて、茜も笑顔でそれに続く。最後のは無視するかと思いきや、阿裏奈が反応したのは茜の一言だった。

「それ、融和に関係あるの?」

「あるかも?」

 疑問符つきで答えた茜に、阿裏奈は他の二人に視線を向けた。黙って首を横に振る水樹と違って、聖歌は待っていたとばかりに微笑を浮かべて縦に首を振った。

「融和は無限ではありません。支援部隊として活動していたときも、人々を逃がすためにはある程度の接近を必要としました。影と融合した人同士であれば、より長い距離で保てるとは思いますが、さすがに島の端と端では無理でしょうね」

「そう」阿裏奈は頷く。「だったら、あたしとの融和を高めるのは後回しね。あんたたち個人の力をもっと高めてもらう」

 そして頼まれた指導について、考えて決めた内容を彼らに伝えた。

「理由、聞いてもいいかな?」

 緑が軽い声で尋ねる。異論はないが、融和よりも優先する理由は知っておきたかった。

「面倒くさい」

 阿裏奈は一度そう言ったものの、緑以外にも気になるという視線を向けられているのに気付くと、諦めたような表情を顔に浮かべてから理由を口にした。

「ま、念のためよ。知ってるでしょ? あたしは根源様に保護されて、影の領主とも会ったことがあるの。大半の領主は問題ないと思うけど、ちょっと気になるのがいてね」

「斧の領主が最強っていうのは?」

 領主という言葉で思い出した緑が尋ねる。

「ああ、それね。もちろんあたしには劣るけど、間違いじゃないわ。でも――」

 彼女が言葉を続けようとしていたとき、彼らの傍に影が差した。現れたのは、ぼろぼろの剣を手にした影の兵士が一体。それは近くにいた織乃を狙って駆け出す。

 織乃が迎撃しようと漆黒の剣を構えたところ、影の兵士は方向を変えて後退した。

「逃げるつもり?」

 それにしては速度が遅い。怪しみながらも織乃は兵士を追いかけ、一振りで決着をつけようとする。そこに、左右の影から現れた二体の兵士が弓を両手に矢を放ってくる。

 織乃も、そして他の五人も警戒していたので、その矢が彼女に届くことはない。緑の翼を背にした水樹の土の盾が矢を防ぎ、放った影の兵士は聖歌の力を受けた阿裏奈の光の矢が貫き、一撃で倒す。ぼろぼろの剣を構えていた影の兵士は、接近した織乃が斬り伏せていた。

「偵察かな?」

 翼をしまった水樹が誰にともなく問いかける。

「それにしては、気になる動きだよね」

 緑がそれに答えて、視線は阿裏奈に向ける。

「あの動き、それにあのタイミング……ふう、話してもいいけど、今日の訓練が終わってからでいい? あいつだとしたら、今日はもう動かないと思うから」

 阿裏奈の言葉に緑たちは頷く。気にはなるが、まずは一人一人の力を高めるという訓練に集中することにした。指導役の阿裏奈の言葉と判断を信じて。

 その日の夜、彼らは施設内にある作戦室に集まっていた。十人がけの大きめのテーブルが一台に、エントランスと同じ大きさのモニターのある一室。普段はエントランスで話すことが多く、ほとんど――作戦室としては一度も――使われたことのない部屋である。

 机の上に広げられている紙は島の地図。細かい道や地形などが詳細に記されており、先程モニターに表示されたものを阿裏奈が印刷したものである。別にモニターに表示したままでも問題ないのだが、そうするとモニターは地図で半分以上が埋まってしまう。胸から上が見える睡蓮が寂しそうな表情を見せていたが、印刷した目的は別にあった。

 大きな地図の他に、六人の手元には携帯用の小さな地図があった。印刷の目的はこのためで、作戦室を選んだのも何かを書き込むには机があった方が便利だからである。

「では阿裏奈ちゃん、説明をお願いします」

「わかってるわ」

 笑顔で促す睡蓮に、阿裏奈は気怠げな声で答える。今回の目的は作戦を立てることではないが、伝えるのは次に戦う敵の情報という、重要なものである。

「今日現れた影の兵士。彼らに指示を出してたのは、ほぼ間違いなく槍斧の領主よ。動きだけならともかく、私が口にしようとしたあのタイミング……本当、厄介な領主ね」

「厄介?」

 反射的に緑が繰り返す。他の四人も言葉こそ口にしなかったものの、同じ言葉が気になっているのは表情から見てとれた。

「そう。領主の中では、一番厄介な領主よ。斧が一対一の戦闘で最強の領主とすれば、槍斧は多対多で最強の領主。といっても、スポーツのようにフェアな人数での多対多じゃない。少なくとも数百の影の兵士を指揮して戦う、指揮官みたいなものよ。個々の力は弱くても、的確な指示で敵を分断し、確実に仕留める。その手のボードゲームではあたしも全敗だったわ」

 分断という言葉に、五人は今日の訓練を思い出していた。

「だから、個人の力を高めるんだね」

 緑の言葉に、阿裏奈ははっきりと頷いた。

「そ。槍斧との戦いでは、融和の力を常に最大に使えるとは限らないわ。それでも、領主と一対一になって戦えば倒すのは難しくないでしょうけど……」

「私たちを分断させるような指揮官が、そう簡単に姿を現すはずがないわね」

 織乃の言葉には、阿裏奈だけでなく他の数人も頷いた。

「強い領主がいるんですね。でも、それさえ倒せば残るのは影の根源だけですよ。みなさん、あと少しです!」

 笑顔を見せた睡蓮に、六人の視線が集まる。緑と織乃は真剣な表情で彼女を見つめ、水樹と聖歌は微笑みを、茜は睡蓮を見てから兄と水樹に目を移し、阿裏奈は大げさにため息をついてみせた。

「あたしとしては、そっちの方が心配よ。槍斧は訓練を続けて、作戦を立てておけば勝てるだろうけど――奇襲で倒せるほどの力はないしね――根源様は……」

 最後に声をしぼませる阿裏奈に、緑たちが元気な声で言った。

「でも、新たな英雄になるには倒さないといけない相手だ」

「そうね。私の復讐のためにも、根源は倒すべき相手よ」

「あはは、倒さないと終わらないなら、やるしかないよね?」

「私としては、お兄ちゃんハーレムが完成してからでもいいんですけど……」

 聖歌は微笑を浮かべて、優しい視線を阿裏奈に向けていた。

「ああもう、あんたたちは根源様に会ったことがないから……後悔しても知らないわよ?」

 阿裏奈は大きく肩をすくめて、呆れた顔で彼らに答えを返した。

「それで、作戦はどうするんですか? 島の地形に関してなら、私からも提供できる情報はありますよ」

 睡蓮の言葉に、阿裏奈は気を取り直して話を戻す。

「そうね。まずは地形を覚えること。明日からは外で訓練を行って、分断されても迅速に合流できるようにしなさい。ま、あんたたちはあたしよりも詳しいとは思うけど……」

「そういう見方で島を回ったことはないからね」

 緑の答えに、阿裏奈は微笑んで頷いた。何度も島で戦ってきた緑たちも、島での戦いについては考えたこともある。しかしそれはこの場所ならこうやって戦うといった局地的なもので、島全体での戦闘など想定してもいなかった。

 その後、睡蓮から提供された情報で、彼らは地図に記されていない露天風呂のようなものが他にないことを確認する。抜け道なども特になかったが、影と融合し個人で動く彼らならば道がなくても大きな問題ではない。とはいえ、広い川や高い崖などは移動にそれなりの時間を要し、影の兵士の妨害も考えると地形を頭に入れておくことは必須である。


第十話へ
第八話へ

カゲカケラ目次へ
夕暮れの冷風トップへ