カゲカケラ

第七話 有倉阿裏奈


 緑が目を覚ましたのは、第二訓練施設内の治療室だった。

「緑!」

「大丈夫みたいね」

「お兄ちゃん!」

「ご無事で」

 目を覚ました緑に、少女たちの声がかけられる。視界に映るのは心配そうに彼の顔を見下ろす水樹と茜、ベッドの傍で微笑する織乃と聖歌――そして、隣のベッドに腰を下ろして腕を組んでいる阿裏奈の姿だった。

「だから言ったじゃない。手加減したからすぐ起きるはずだって」

「でもー」

 何か言い返したそうな水樹を視界の端に、緑は近くにいる妹に尋ねる。

「茜、今は?」

「お昼前だよ」

「そうか。お腹空いたな」

「準備は万端です」

 聖歌が言った。激しい戦いをすればお腹も空く。最後に一人で戦った緑は特に空腹で、緑が起き上がると五人はすぐに食堂へと向うことになった。阿裏奈も黙って彼らの後ろについていく。

 五人が席につき、空いた席に阿裏奈も腰を下ろしたところで、緑が聞いた。

「ところで、阿裏奈」

「あたしもこの施設に入らせてもらうわ」

「そうか」

 緑は他の四人の様子を見ながら、言葉を返した。誰も驚いていない様子から、自分が眠っている間に他の四人には伝えられていたことを察する。

 色々と聞きたいこともあるが、今は昼食の時間。彼らはまず腹を満たしてから話をすることにしたのだった。ちなみに、阿裏奈の部屋は茜の部屋の隣で、その隣が聖歌の部屋。さらに隣に織乃の部屋があるので、茜と織乃の部屋の間にあった空室は全て埋まっていた。

「はい。ということで、阿裏奈ちゃんが仲間になりました! みなさん、よくやりました。見事な大勝利ですね」

 食事を終えて、彼らが集まるのはいつものエントランス。睡蓮にも当然、緑が寝ている間に話は伝わっている。

「あんたも、随分気楽よね。あたしはさっきまで敵だったのに」

 モニター越しの睡蓮に、そう言ったのは他でもない阿裏奈本人だった。

「でも、阿裏奈ちゃんは自分から仲間になったんですよね? 何か考えがあるとしても、少なくとも緑くんたちに悪意があるわけではないのでしょう。私もあとで報告を聞かせてもらいますが、私はみなさんの判断を信じるだけです」

「ふーん。そう。ま、いいわ」

 笑顔を見せる睡蓮に、阿裏奈はそれ以上は何も言わずに話を進めさせる。

「でも、少し心配ですね。阿裏奈ちゃん、影の根源に怒られて何かされませんか?」

 睡蓮の言葉に、五人の視線も阿裏奈に向けられる。彼らが聞きたいことの一つであり、何より先に尋ねないといけないことだ。阿裏奈が根源の元を離れたことで、直接手を出そうとするなら気を抜いてはいられない。

「それなら心配いらないわ。根源様も、あたしがこうなることは予想していたはずよ。あたしにも根源様の考えはわからないけど、ま、根源様が攻めてくることはないでしょうね」

 阿裏奈は淡々と言葉を口にした。

 僅かな沈黙の後、緑が聞いた。

「君の心としては?」

「あたしは別に、根源様に忠誠を誓ってるわけじゃないし、あんたたちになら話してもいいんだけど……大した話じゃないわよ」

 阿裏奈はそう前置きしてから、自らの過去について語り始めた。

「あたしがあんたたちと違って、影の塊と融合してるのは知っての通りだけど、きっかけもあんたたちとは少し違うのよ。十年前に街が影に呑まれたとき、たまたま欠片じゃなくて塊と融合して生き残った。ここまでは同じでしょうけど、欠片じゃなくて塊と融合したあたしは、影と融合しても少しずつその身を影に侵食されていた。

 だから、そうね、生き残ったといっても、無事だったわけじゃないってこと。大きな影の力はあたしを苦しめた。痛みはなくて、どうしようもない苦しみ。正直、面倒くさいことになったと思ったけど、もちろん助けを求められる人なんていなかった。

 そのあたしを救ってくれたのが、根源様なの。苦しんでるあたしに興味を持ったのか、あの人――かなりぼんやりした人の姿だったけど――はあたしに影の力の扱いを教えてくれて、それだけじゃなくて適当な家まで用意してくれて、あたしを保護してくれたのよ。影の中にぽつりと建てられた豪邸。どうやって作ったのかはわかんないけど、それが根源様の影の力であることは塊と融合したあたしにはすぐにわかった。

 ま、そういうわけで、根源様はあたしをここまで育ててくれたってわけ。自分で襲っておいてあたしを助けて、忠誠も誓ってなければ恩義も感じてないけど、面倒くさいからあたしは根源様に従うことにした。ま、あたしに世界を影に染める力はないから、たまにやってくる影の領主と訓練して遊んだり、話をしたりするくらいしかしてなかったんだけどね。

 で、数日前に滅多にやってこない根源様が現れて、あんたたちを倒してほしいって頼まれたの。最初は感情を殺して戦うのです、なんて変な命令つきでね」

 全てを語り終えると、阿裏奈は大きく息をついた。

「なるほど。ということは、次の動きについても何か伝えられていますか?」

 五人がやや沈黙する中、冷静に尋ねたのはモニター越しの睡蓮だった。

「次、に関してはなにも知らないわ」

 阿裏奈は答える。そして一呼吸置いてから、続きを口にした。

「ただ、あたしみたいにすぐには来ないと思うわよ? そもそも、あたしだって指示されればもっと早く動けたんだから。斧の彼は大陸の方にいるから時間かかったみたいだけど、あたしはずっと日本にいたんだからその気になれば一日で島へは来れたわ。

 先に言ったように、あたしも根源様の考えはわからない。けど、今すぐにあんたたちを倒そうという気がないのは確かね。斧よりあたしを先に送れば、あたしがこうしてここにいることなんてなかったし、同時でもそうでしょうね。ま、あいつが一人で来たのは、あいつがそれを望むからってのもあったんだけど……」

「阿裏奈としては、どう考えてるんだ?」

 緑が聞いた。考えがわからないとはいっても、緑たちより阿裏奈の方が影の根源に近いというのは変わらない。

「そうね。とりあえず、あんたたちを舐めてるわけじゃないわ。根源様の力を考えれば、本気を出せば数年で世界の全てを影に染めることもできたはず。侵略を楽しんでるのか、何か別の理由があるのか、それはわからないけどね」

「領主や阿裏奈が俺たちを倒しても、倒せなくても構わない、か」

 緑が呟いた。

「私たちを試してると考えてもおかしくない行動ね」

 織乃も彼の言葉に続く。特にそれが顕著だったのは、彼らが最初に戦った槍の領主。影の兵士を小手調べのように送り込み、領主が挑んできたのは彼らが成長してから。敵が甘く見ていただけとも考えられるが、試していたと考えても何らおかしくない行動。

「あたしたちに、何かあるのかな?」

 水樹がさらに続ける。影の欠片、影の塊と融合した少年少女。かの英雄と同じく、その存在は突如現れた影――影の根源にとっては予想外の存在であったはずだ。

 聖歌は普段と変わらぬ表情で黙って彼らを眺め、茜は考え込む仕草を見せながらも、視線はずっと阿裏奈に向けられていた。

「……ところで、茜」

「うん。阿裏奈ちゃん、今日は疲れたでしょ? 一緒にお風呂入ろう?」

 待ってましたとばかりに、声をかけてきた阿裏奈に即座に反応する茜。

「は?」

「ここのお風呂、温泉なんだよ。気持ちいいから二人きりで、背中を流し合って、ついでに他にも色々と……えへへ」

「ふーん。あのさ、茜。あたしは確かに一人でずっと暮らしてたけど、根源様も色々教えてくれたし、そういう知識だってそれなりにあるから」

「えー」

 阿裏奈の言葉に、今度は仕草だけでなく本当に考え込む茜。

「私は阿裏奈ちゃんのことをまだ信頼していません。お兄ちゃんを騙して侵入して、内部から私たちを倒そうという可能性もあります」

 やや考えてから、茜は真面目な顔でそう言った。

「今、あたしを騙そうとしてるのはあんただと思うけど?」

「ほんの少しは本音も混じってるよ?」

「……まあ、それは仕方ないけど」

「じゃあ二人きりで」

 やや気勢の弱まったところを、茜は逃さずに確約を得ようとする。

「いいけど、変なことしたら覚悟しておきなさいよ」

「変なことってなにかな、阿裏奈ちゃん?」

 すかさず尋ねる茜。阿裏奈はため息をついて、何も答えない。

「茜、それくらいにしておいたらどうだ?」

 その間に、兄が妹を注意する。

「緑、あんたが気にすることじゃないわ」

 しかし、それに答えたのは妹の茜ではなく、彼女に攻められている阿裏奈だった。

「言ったでしょ、あたしは根源様に色々教えてられるって。根源様に保護されてるあたしに、日本の法律なんて関係なかったのよ。だからそれなりに、そういう知識はあるわ。茜があたしに変なことをしたら、それ以上のことをしてお返ししてあげるわよ」

 不敵な笑みを浮かべて、阿裏奈は茜をじっと見つめる。

「え……私が?」

 茜は予想外の台詞に驚いた顔を見せながらも、すぐに満面の笑みで答えた。

「私は大歓迎だよ」

「駄目だからな、二人とも。兄として、妹がそういうことをするのは認められないよ」

「あはは、やっぱり駄目?」

 真剣な声で止められて、茜は微笑みながら尋ね返す。

「茜にはまだ早いからね。もう少し大きくなってからな」

「お兄ちゃんも混ぜてあげるって言ったら?」

 茜の言葉に緑は一瞬考える。しかし、彼を見つめる水樹と織乃の視線に気付くと、慌てて口を開いた。

「駄目だ。それに、阿裏奈だって」

「あたしは別にいいわよ? 興味はあるし、混ざりたければ混ざれば? ま、その結果あんたがどうなっても知らないけど」

 茜の味方をする阿裏奈に、緑は言葉を失う。視線はぼんやりと前に向けられたまま。

「お兄ちゃん?」

 さらに妹の追撃。黙っていてはいけないと思いつつも、緑は少し考えてしまう。当然、彼も若い少年。そういうことに興味がないと言えば嘘になる。

「ま、私は別にどっちでもいいんだけど、戦闘に支障が出ないようにしなさいよ」

「あ、あたしは……あたしは……うう、ま、混ぜ……や、駄目、ここは止めないと」

 もちろん、興味があるのは他の少女たちも同じ。対応は違ったが、積極的に止めようとする者はいなかった。

「聖歌ちゃん、止めてくださいよ」

 そんな彼らの様子を、モニターの傍で微かな笑みとともに眺めていた聖歌に、大人の女性である睡蓮が言った。

「しかし、止めたら見学できなくなります」

「まさか、聖歌ちゃんもそういうのに興味があるんですか?」

 小首を傾げて尋ねた睡蓮に、聖歌は小さく頷いてみせた。

「……まさか?」

 少しの間を置いてから、気になった単語を聞き返す。

「清楚な巫女さんなのに,駄目ですよ聖歌ちゃん」

「装束だけです」

「うーん……でも、さすがにそれは……むむ……」

 睡蓮はしばらく視線を彷徨わせてから、緑を見つめてはっきりと言った。

「緑くん!」

「は、はい。なんですか、睡蓮さん?」

 唐突に声をかけられて、緑は慌てて答える。

「五人も子供を作って、いえ、双子がいればそれ以上……緑くん、責任は重いですよ」

「ちょ、そこまで考えてませんって!」

 睡蓮の口から出てきたとんでもない言葉に、緑は大声で否定する。

「なんで私も混ざることになってるの?」

「あはは、そうですよー、あたしもいきなり、そんなことは……やっぱりまずはちゃんと返事をもらってから……」

 ややあって、聖歌が小さな笑い声を出したのをきっかけに、茜や阿裏奈も続いて、その場に笑いが広がっていく。最後には睡蓮も笑みをこぼし、加速しかけていた彼らの考えは、図らずも睡蓮の言葉によって止められたのだった。

「それじゃ、阿裏奈ちゃん。普通に六人で温泉を楽しもっか?」

「あたしはいいけど、そんなに広いの?」

「問題ないわ。他のみんなもそれでいい?」

「了解です」

「あたしもそれで……あれ、ちょっと待って茜」

「ああ、別にいいんじゃ……ん?」

 織乃の言葉に、聖歌、水樹、緑の三人が同時に答える。しかし、答えてすぐにおかしなことに気付いた二人は、言い切ってから慌てて言い直そうとする。

「わかりました! でしたら、秘密の露天風呂を紹介しますね」

 それを遮ったのは、モニター越しに響いた元気な声。

 露天風呂という言葉に、阿裏奈を除いた五人は睡蓮の顔を見る。第二訓練施設の設備については彼らも相当詳しくなっているが、施設には大きなお風呂があるだけ。露天風呂なんて見たことはないし、それが隠されているようなスペースも地図上には見当たらない。

「水樹ちゃん、この施設を空から見たことは?」

「そういえば、ないです。けど……」

 それでも施設が視界に入ったことは何度かある。そのときに露天風呂のようなものは見えなかったが、露天風呂があるなら場所はある程度限られる。

「ふふ、施設からはちょっと離れたところにありますから、気付かないのも当然ですよ。景観も考えると、そういう場所にするのがいいと思いまして。本当は槍の領主を倒した頃に、労いのためにお伝えするつもりだったのですが、影への警戒もあって遅くなってしまいまして。阿裏奈ちゃんの言葉を信じるなら、今なら大丈夫ですよね?」

 睡蓮の言葉に、阿裏奈は曖昧に頷く。嘘は言っていないが、彼女も影の根源の考えを全て理解しているわけではない。それゆえの反応である。

「ま、私たちの武器は融合した影。別に裸でも戦えるし、いいんじゃない? 今夜だと回復が心配だけど、その可能性はかなり低いでしょうし」

「あたし、戦えないよ!」

 織乃の言葉に、すかさず水樹が言った。

「というか、六人って言ったよな茜」

 緑も思い出して言葉を続ける。兄に見られた妹は微笑むだけで、あえて頷かない。

「だったら、今日慣れればいいじゃない。大丈夫よ、普通に混浴するだけなら。緑も、見せびらかすなんてことはしないでしょう?」

「当然さ」

 緑は頷いて、はっきりと言葉で答える。

「みなさんが仲良くなるにもいい機会ですね。ふふ、お姉さん、羨ましいです」

 こうして、何人かははっきりと承諾しないまま、今夜少年少女たちは六人で露天風呂に入ることに決まったのだった。


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