カゲカケラ

第六話 光


「さて、と。さっさとかかってきたら? 待っててあげるから」

 阿裏奈は構えたままじっと動かない。緑たちは彼女を包囲するように動き、一斉に攻撃を仕掛けることにする。油断しているなら一撃を確実に当てるチャンスだが、カウンターの可能性も考慮して無謀な攻撃は仕掛けない。

 水樹の翼から炎が放たれ、包み込むのと同時に他の四人が四方から接近。阿裏奈は黙って彼らの攻撃を待ち、その身に受けてみせる。

 しかし、攻撃した四人に手応えはない。攻撃を受けたはずの阿裏奈の体は光となって揺らいで消えて、四人の、そして水樹の放った炎の外に彼女は姿を現していた。

「ふーん……これが欠片の力ね。確かに、影の兵士なんかとは比べものにならないし、影の領主を倒したのも納得だけど、避けるまでもなかったかも」

 距離を離して呟いた阿裏奈に、追撃を仕掛けるのは織乃と聖歌。

「だったら、次は受けてくれるのよね?」

「光を――力で」

 織乃の漆黒の剣と、聖歌のほうき。二人の全力の一撃を、阿裏奈は避けずに正面から受け止める。

「当然」

 小さな光の盾を二枚、二人の攻撃に合わせての最小限かつ、最低限の防御。範囲も硬さも無駄がなく、阿裏奈は余裕で受け切ってみせた。

 緑の放った弓矢と、水樹の氷の槍、そして足元から忍び寄る茜の操る蔦を払うのは、瞬時に生み出した光の刀。的確に、たった一本の刀で、自分に当たる可能性のある攻撃だけを斬り払った。

「五対一、数の利を活かした波状攻撃。でも、届かなければ意味はないのよ。影の塊と影の欠片の力の差、あんたたちに見せてあげる」

 阿裏奈の体から光が揺らぎ、彼女の隣にもう一人の阿裏奈が姿を現す。そのまま光は拡散していき、彼らの前には五人の阿裏奈が表れていた。

「分身! 織乃!」緑が呼びかける。

「そうね、でもあいにく、本体探しは無理そうよ」

「織乃の目でも?」

 水樹が聞いた。織乃は小さく頷いてから、五人の阿裏奈を順に見てから言った。

「だって、探すまでもないもの。あの分身は全部本体だから」

「ということは、それだけ力が分散されて?」

「それは、私にもわからないけど」

 今度の緑の問いには、織乃も困った顔で答える。彼女の目にできるのは真偽を見分けることだけ。見ただけで実力の全てを判断できるほど万能ではない。

「ま、あたしから教えてあげてもいいけど、見たところ、そちらの巫女さんは気付いてるみたいだし、答え合わせをすればいいわよね。面倒くさいし」

 声を発したのは真ん中の、元からいた阿裏奈。他の阿裏奈も口は動いていなかったが、視線は全て聖歌へと向けられていた。

「力はそのままです。全て同等、そのままの阿裏奈が五人に増えたと考えてもいいでしょう」

「そ、正解。ええと、聖歌だっけ? やるじゃない」

 今度は五人の阿裏奈が同時に口を開き、聖歌を褒めた。

「名前……まあ、領主も知ってたから驚かないけど、どこまで情報が伝わってるのかな?」

「名前と実力、根源様が教えてくれたのはその程度よ」

 緑の問いに答えたのは、真ん中の阿裏奈。どうやら五人に分身してはいても、基本的に話をする阿裏奈は最初からいた中央の阿裏奈らしい。

「影の根源……底知れないね」

「そう。でも、あんたたちは根源様に挑む前に、ここで倒れるんだから関係ないわよ」

 五人の阿裏奈が見つめるのは、それぞれ別の人物。

「五対五、数の上では同じだけど……」

 緑が言った。

「厄介だね。一人でも大変だったのに」

 水樹が苦笑いを浮かべて答える。織乃と聖歌は武器を構えて、いつ戦闘が再開しても大丈夫なように体勢を整えていた。

「なに言ってるの? なんであたしが、手を抜かなくちゃいけないのよ。相手にするのは五人じゃなくて――十人よ」

 最後の声が聞こえてきたのは、彼らの背後からだった。水樹が空から確認すると、いつの間にか彼らの背後には五人の阿裏奈が現れていた。

「ま、各個撃破は趣味じゃないし、二対一でそれぞれ相手させてもらうけど、あんたたちは集中攻撃で倒せばいいんじゃない? あたしの分身九人、無事に倒せたら二回戦を始めてあげるから」

 声を発したのはもちろん、前方の中央にいる阿裏奈である。十人に増えた阿裏奈を、五人は警戒しながら距離を測り、挟撃への対処を整える。そんな中、茜だけは一人違った視線を分身した阿裏奈に向けていた。

「阿裏奈ちゃんが十人……お兄ちゃん、一人くらいもらっても大丈夫だよね?」

「もらうって、もらえるものなのか?」

「わかんないけど、妄想が広がるよね」

 茜は嬉々とした表情で阿裏奈たちを眺めて、最後に中央の阿裏奈を見つめて言った。

「……変な目で見ないでくれる? 二対一のつもりだったけど、危なそうなあんたを集中して攻めさせてもらうわ」

「そんな、阿裏奈ちゃん、私、いきなり十人なんて無理だよ……それに、お兄ちゃんや聖歌さんたちも見てる前でなんて……抑えられなくなっちゃう」

「止めなさいよ、お兄ちゃん」

 暴走しかける妹を微笑みながら黙って見守っている緑に、織乃が突っ込む。水樹も苦笑いを浮かべながらも、同じような視線を緑に向けていた。

「いや、ここは茜に存分に妄想してもらおう」

 予想外の言葉に水樹と織乃が言葉を失う中、聖歌だけは平然と彼の言葉に返していた。

「はい。茜の恥ずかしい姿、じっくり見させてもらいます」

「あ、あんたたち、なに言ってるのよ? 影の欠片と融合したら、こうなるの?」

「ま、待ってよ。あたしたちまで同類にしないで!」

「心外ね。けど、まあ、今は見させてもらおうかしら」

「って、織乃まで!」

 否定しながらも肯定する織乃に、水樹は何度も驚きの声をあげる。

「……水樹、茜の欠片の力はなに?」

 降下してきた水樹に、織乃は小声で尋ねた。

「え、〈妄想〉でしょ?」

 水樹は小首を傾げながらも、答えを返す。

「そうよ。なら、協力しなさい」

「えーと……うん、わかったよ」

 少し考えて、水樹も言葉の意味を理解する。茜の妄想の源となるのは影の欠片であり、欠片と融合した人間――茜本人の妄想力でもある。つまり、ここで茜が妄想を暴走させれば、それはそのまま戦う力へと変わる。

「茜ー! 私も見てるからねー」

「水樹さんまで……そんな……」

 茜はごくりと生唾を飲み込む。静かに、確実に彼女を包囲しようと動く、阿裏奈と阿裏奈の分身たちを眺めて、彼女は自身の妄想を深く広げていく。

「なによ、この変態……さっさと黙りなさい」

 蔑むような目で茜を見つめて、阿裏奈が言った。しかし、それは逆効果である。

「阿裏奈ちゃん、それはご褒美だよ?」

 にっこりとして茜は言った。

「……あー、もう、面倒くさい」

 これ以上の問答は無用。十人に分身した阿裏奈は、一斉に茜に襲いかかる。

「九人倒せば! 阿裏奈ちゃんと! えっちな二回戦!」

「誰がそんなこと……」

 茜の言葉に、阿裏奈が動揺した様子はない。しかし、元と力の変わらぬ十人での激しい攻撃を、茜は見事に回避して、隙があれば的確に反撃も加えていた。

「融和が高まってるみたいね。でも、それだけじゃ、あたしには勝てない」

 攻撃直後の隙を狙って、二人の阿裏奈から放たれた二本の光の槍。それを茜に当たる直前で防いだのは、聖歌のほうきだった。放出される小さな輝きがぶつかり、干渉によって阿裏奈の攻撃を消滅させる。

「へえ……なら、って」

 間に現れた聖歌もついでに倒そうとする阿裏奈だったが、彼女の体は水樹の風に運ばれて遠くに離れていた。対峙するのは茜一人。

「阿裏奈ちゃん、他の人もお手伝いしてくれるけど、メインは私だよ!」

「ま、いいわ。まずはあんたを倒させてもらう」

 光の刀が何本も、次々と生み出されては消えて、茜に襲いかかる。

「激しいよう……阿裏奈ちゃん」

 それを全て回避しながら、茜は恍惚の表情を浮かべていた。

「今のも……でも」

 上から振って来たのは光の雨。茜には回避不能な攻撃を防いだのは、水樹にお姫様抱っこされて上空に現れた緑の透明で大きな盾。阿裏奈の攻撃を防いだ二人は、そのまま素早く戦域を離脱する。

 またも絶妙なタイミングで現れ、即座に離脱した彼らの行動。阿裏奈は逃げていく緑と水樹訝るような視線を向けていたが、それもほんの僅かなこと。

「ふーん……そういうこと」

 妄想を暴走させた茜の力は、一人でも相当なものになり、五人の融和も加われば凄まじいものとなる。それこそ、十人の阿裏奈を相手に互角以上に戦えるほどに。しかし、暴走させている以上、それゆえの隙がどうしても生まれてしまう。緑たちの行動は、それをカバーするためのもの。

 わかったところでどうにかなるものではない。できることはただ、全力で戦って倒すだけ。

「いいわ。あんたがどこまでやれるか、試してあげる」

「うん。絶対に、一人くらい脱がすから!」

 茜と阿裏奈の激しい攻防が続き、時間が経過していく。最初こそ十人を相手に防戦一方となり、たまに反撃を仕掛ける程度の茜であったが、次第に慣れてきたのか攻撃の頻度も上がっていく。そしてようやく、阿裏奈の分身を一人倒すことに成功した。

 光となって霧散していく阿裏奈。別の阿裏奈が微笑んで、茜は残念そうな顔を見せる。

 そこからは早かった。二人、三人と分身は倒されていき、数が減れば阿裏奈たちの攻撃も弱まり、茜の攻撃の機会はどんどん増えていく。七人、八人、残り二人となって、茜はほんの少しだけ攻撃の手を緩める。

「どうしたの? あと一人よ?」

「うう……脱がせてない、まだ一人も脱がせてない……今度こそ!」

「……脱がせないわよ」

 二人の阿裏奈と茜がぶつかり、一人の阿裏奈が光となって消えていった。もちろん、服は脱げることなく、スカートがめくれることさえもない。

「そ、そんな……」

「やるじゃない、あんた。確かに、あたしも甘く見ていたかもしれないわね」

「うう、お兄ちゃん、私、休んでていい?」

 茜を認めて微笑んで見せる阿裏奈とは対照的に、肩を落として力なく声を発する茜。

「ああ。よくやった、茜。二回戦は俺の番だ!」

 大きな声を出して一歩前に出た緑を、阿裏奈は黙って見つめる。

「兄として、妹に負けてはいられないからね」

「ふーん……ま、あたしは誰でもいいけど。じゃ、今度はこれで相手をしてあげる」

 阿裏奈は右脚に手を添えて、つま先で軽く地面を叩いてみせる。直後、地面を蹴って阿裏奈は緑の眼前に接近し、光の刃を彼の胸に突き立てようとしていた。

 緑は襲いかかる刃を、寸前で受け止める。両手で刃を挟んでの、咄嗟の防御。

「俊足、ってところかな?」

「ええ。これに勝ったら、三回戦よ」

「はは。だったら、さっさと終わらせてもらう!」

 俊足で襲いかかる阿裏奈に、緑は可能な限り融和を高めて対応する。茜は休んでいるので先程のような力はないが、相手にする阿裏奈は一人。ならば彼一人でも、相手をすることは難しくない。

 阿裏奈を捉えて、緑は欠片の力を爆発させて彼女を吹き飛ばす。淡い光は真っ白で、音も小さいが威力は高く、防御も間に合ってはいなかった。

「上出来。それじゃ、次はこれかしら」

 白刃の光の刀。阿裏奈が切っ先を向けたのは、もちろん漆黒の剣を持つ彼女。

「望むところよ」

 織乃は受けて立ち、漆黒の刃と白刃の光刀が激しくぶつかり合う。接戦の末、一瞬の隙を突いて織乃が一太刀を浴びせ、次に阿裏奈の相手をしたのは聖歌だった。ほうきを華麗に振るう彼女に対して、阿裏奈も踊るように戦い、一進一退の攻防が続く。聖歌も無事にそれを制したが、阿裏奈は彼女に吹き飛ばされたまま空中で体勢を立て直し、空を目指した。

「あたしだって!」

 飛行能力に長けた水樹に対し、あえての空中戦。影の力を柔軟に変化させ、光を操り空を駆ける。同じようなことは緑や織乃、茜や聖歌にも可能ではあるが、あれほどの速度と力で、水樹を相手に立ち回ることは難しい。

 水樹の拳と阿裏奈の脚が衝突し、力は互角。翼の力を拳に込めた一撃であったが、阿裏奈はそれをあっさりと受け切ってみせた。が、そこからの連続蹴りを水樹はすれすれでかわし、再び拳を叩き込んで阿裏奈を地面へと落とす。

「やった!」

 地面に叩きつけられた阿裏奈は、平然と立ち上がっていた。ロングツインテールの髪やドレスがほとんど汚れていないことから、直前に塊の力で防御したのは明白だ。

「じゃ、さっさと六回戦を始めるわよ」

「はは、まだ続くんだね」

「阿裏奈ちゃん、凄い体力……私、耐えられるかなあ」

「やるしかないでしょう」

「そうだね。あたしたちだって、まだやれるもん」

「消耗を抑えつつ、全力でやりましょう」

 阿裏奈の口から出てきた言葉に、それぞれの反応を返す五人。不安や焦り、それらを隠すような強がりでも、彼らは戦意を維持することを優先する。

「欠片の力、そして融和の力。瞬間的には凄くても、持久力はどうにもならない。あんたたちが疲れて戦えなくなるまで、相手をしてあげるわよ」

 影の塊と融合した阿裏奈は、余裕の表情を見せて言った。彼女の言葉の通り、融和をいくら高めても、影の欠片の力が回復することはない。もちろんそれは阿裏奈の影の塊の力にも言えることだが、欠片と塊の差は大きい。

 戦いを始めて、阿裏奈が言ったマッチの火と大きな炎、小川と大きな湖。攻撃力に防御力、速度では互角に戦えても、消耗戦になればどちらが勝つかは明白だ。

 それでも彼らが勝つ方法はただ一つ――消耗を抑えつつ、全力で。聖歌の言った言葉を、非常に困難なことであっても実現するしかなかった。そのために必要なのはもちろん、さらなる融和の力。今よりもっと融和を高めれば、それだけ一人一人の消耗は抑えられる。

 そうして五人は阿裏奈との戦いを続けて、既に一時間以上が経過していた。

「十回戦終了。よくやった方だと思うけど、あんたたち、そろそろ限界でしょ?」

 平然とした様子の阿裏奈に対し、緑たち五人は疲れた様子を隠すこともできなかった。ある者は表情に、またある者は呼吸で、程度に差はあるが五人全員が見せた疲労の標を、阿裏奈が見落とすはずはなかった。

「けど、あたしもそろそろ面倒くさくなってきたし、一気に勝負をつけさせてもらうわ。圧倒的な力で、終わらせてあげる。このまま粘って実戦で融和を高める時間も、激しい攻防の中で引き上げるなんてこともさせない。大洪水の前に、小さな池は呑まれて流されるだけよ」

 阿裏奈が塊の力を高めていくのを、五人もすぐに察知する。もちろん、彼女に隙はなく、全員で攻撃したとしても少し攻めを遅れさせるだけ。退避したとしても、彼女はすぐに追撃してくるだろう。ならば彼らにできることは、強力な一撃に備えて守りを固めること。可能であれば反撃もしたいところだが、反撃を許すほど阿裏奈が油断しているようには見えなかった。

 敵の力を利用しての、強烈な反撃――それができれば一発逆転も可能だが、面倒くさいだけでその可能性を無視して、強引に決めてくるような相手でないことは、十回戦も戦った彼らにはよくわかっている。

「まとめて、倒してあげる」

 閃光。眩しい光が彼らの視界を奪い、そのまま少しずつ彼らの欠片の力を奪っていく。眩しいのは一瞬で、しかし周囲を包むような光を防ぐ手段はない。

「光……防げぬなら、この身に受けましょう」

 前に出たのは聖歌だった。ほうきで宙に筋を描き、彼女はその力を受け止める。

「受ける? ふーん、そう、やってみたら?」

「聖なるこの身に、塊の光を。輝き、舞い、全てを」

 言霊とともに、ほうき片手に舞うように、ほうきの先から出るのは淡い光。しかし、それは彼女の力ではない。

「〈妄想〉借りて、その〈力〉を――」

 彼らの周囲を包む光はほうきの先へ、そしてほうきを通じて聖歌の身へと、塊の力は吸収されていく。もちろん、その力は融和している他の五人にも。塊であろうと欠片であろうと、元は同じ影の力。それを全て力に戻せば、取り込むことも不可能ではない。

 順調に光を吸収し、純粋なる力に変換していく聖歌。数秒後には全ての光が吸収され、それ以上彼らの欠片の力が奪われることはなかった。

「……完了です」

「耐えたことは褒めてあげるわ。で? 動けるの?」

 聖歌はほうきを片手に立っていたが、それを再び振るう様子は見えない。ほうきを支えに、辛うじてその場に立っている――それだけである。後ろの四人もまた、見た目は平然としていたものの、反撃に転じる様子はなかった。

「ま、当然よね。欠片と融合したあんたたちに、塊と融合したあたしの力を全て吸収することなんてできない。溢れた力は強すぎて、影と融合した体を縛る。もう一回やってあげるから、今度は黙って受けなさい」

「そうですね。もう一度は、さすがに」

 阿裏奈の言葉には聖歌が答える。力の扱いに最も慣れているのは彼女。溢れた力を少しずつ外にこぼして、すぐにほうきの支えを必要としない状態まで回復していた。

「ですが……いえ、まだ……」

 呟いて、ちらりと後ろを確認する。後方の四人の顔を順番に、様子を確かめる。

「いけますか?」

 そして最後に、言葉で尋ねる。答える者がいないのなら、もう一度同じことをして時間を稼ぐだけ。同じように耐えることはできなくても、戦う力を使い果たしても、そうすれば命を守ることはできる。

 聖歌の問いに答えたのは、緑ただ一人。言葉は返さず、小さく頷くだけ。他の三人は首を横に振ったり、困った顔を返したり、対応は違っても答えは同じだった。

「では、任せます」

 その答えに聖歌は微笑み、言った。もちろんその会話は阿裏奈にも聞こえていて、彼女は彼らを黙って見つめながら先程と同じように塊の力を高めていた。

「何を任せるのか知らないけど、話は終わり? あたしの準備も整ったし、待たないから」

 光の奔流が阿裏奈の背に集まっていく。形は違うが、威力も効果も同質の光。先程の一撃で動きを大きく鈍らせた彼らには、直線的な攻撃でも避けることは難しい。

「だったら、その一撃は全部俺に向けてくれないか?」

 阿裏奈が展開して光を放つ前に、緑が言った。

「あんた、正気?」

 その発言に阿裏奈は攻撃の手を止めて、訝るような視線を彼に向ける。緑は大きく頷いて、聖歌と入れ替わるように前へと歩き出す。距離はまだあるので阿裏奈もすぐに攻撃はせず、ゆっくりと歩いてくる緑にさらに尋ねる。

「そんなことしたら、あんた死ぬわよ? あたしも根源様にあんたたちを倒せとは言われたけど、殺せとは言われてない。完全に無力化して再起不能にするだけでも、あたしの目的は達せられる。処遇は任せられてるし、それで終わりにするつもりだったけど……あんたがそうしてって言うなら、容赦はしないから」

「直撃したらね。でも、俺は〈特別〉だからさ。ここで君に倒されるつもりはないし、全力で構わないよ」

 それでも緑は一歩も引かず、ある程度まで近づいたところで足を止める。これ以上近づいたら、阿裏奈が問答無用で攻撃をしてくるであろう、ぎりぎりの距離へ。

「ま、面倒くさいし、それでいいならそうしてあげる」

 阿裏奈は小さく肩をすくめて、緑だけに視線を向けた。声とともに、五人を狙って放たれるはずだった光の奔流は、全て緑に向けて放たれる。下ろしたままの両腕にも念のために光を溜めて、万が一の反撃にも完璧に備える。

 高速で収束していく光を、緑は右手を伸ばして、手の甲を光に向ける。盾を持つ構え。彼の手には小さな黄金色の盾が生み出されていた。

「この〈特別〉な盾で、防いでみせる!」

 光を反射するような輝く盾。しかし、塊の力である〈光〉は通常の光とは違う。反射するには相応の影の力がなくてはならず、彼ら五人の欠片の力を合わせてもそれは不可能だ。

「弾け!」

 光の奔流が彼の盾に衝突する直前、黄金色の盾は光を放つ。彼の全身を守るように大きく広がって、光の奔流から彼を守るは、黄金色の〈光〉。

 光と光が弾けて、輝いて、消滅する。盾を構えた緑の体は反動でやや下がっり、黄金色の盾も砕け散っていたが、緑自身は無傷でそこに立っていた。

「はは、どうにかできたみたいだね」

「あんた、何したの?」

 阿裏奈は平然と尋ねながらも、両腕に溜めていた光をすかさず彼に放つ。緑も咄嗟に、今度は白銀色の小さな盾を生み出して、白銀色の〈光〉でその攻撃を受け止める。光の奔流よりは弱いとはいえ、五人の融和を高めても一撃を防ぐのがやっとの攻撃を、緑は二撃とも完璧に防いでみせた。

「見ての通りだよ。〈特別〉な〈光〉の盾で、君の〈光〉を防いだ」

「あたしと融和した、っていうの?」

「ああ。互いの力をぶつけ合い、干渉し合って融和に近づく――影の欠片同士で有効なら、影の塊と欠片であっても、同じことはできる。君がゆっくり戦ってくれなかったら、ここまでの時間は稼げなかったし、間に合ったのも俺一人だったみたいだけど」

 緑の解説に、阿裏奈は言葉を失う。動揺こそしていないものの、予想もしていなかった反撃に、阿裏奈の攻撃の手は緩んでいた。

「だったら、そんな融和はあたしから……」

 そこまで口にして、阿裏奈は再び言葉を失う。彼女に代わって言葉を続けるのは、緑だ。

「阿裏奈は融和の訓練、したことないよね?」

「……本当、面倒くさい」

 阿裏奈はぼそりと言った。融和を高める訓練をしていなければ、自分から融和を絶つ方法もわからない。もちろん、緑と阿裏奈の融和は、彼ら五人の融和に比べれば大きく劣るもの。それでも影の塊一つとの融和は、影の欠片一つとの融和より遥かに大きな力となる。

「小さな火でも、山をも焼き尽くす大きな炎の中で燃えれば、その炎を借りて高く大きく燃え上がる。でもそれは所詮、大きな炎の中での強き炎。あたしが元の炎を操れば、いずれば勢いを失い消えていく……そのやり方を、あたしはすぐにでも学べる」

 攻撃する様子は見せないまま、阿裏奈は言葉だけを彼らに向ける。

「やるんだったら、受けて立つよ。正直、勝ち目の薄い戦いだと思うけど」

 緑は苦笑する。確かに彼女の攻撃を、盾で防ぐことはできた。しかし攻撃となると話は別であり、彼女の塊と融和したところで消耗した欠片の力が回復するわけではない。

「そうね。あんたたちは、あたしに勝てない。たとえ時間を稼いで、他の四人があたしと融和したとしても、その頃にはあたしが融和を絶つまでもなく、終わってるわ。けど……」

 阿裏奈はそこで言葉を止めて、彼らから視線を外す。見上げるのは何もない空。

「緑。あんたとあたし、一対一で勝負をつけない?」

 視線は空に向けたまま、阿裏奈は緑を名指しした。

「それは、どういった意味で?」

 緑は尋ね返す。わざわざ提案しなくとも、この状況で阿裏奈と戦えるのは緑一人だけ。既に状況は一対一であり、先に言った阿裏奈の言葉も全て真実だ。

「そのままの意味よ。あんたは他の四人との融和を絶って、一人で戦うの。単純でしょ?」

「確かに、単純で――大変な勝負だね」

 微笑みながらも、真剣な目で阿裏奈を見つめる緑。

「ま、それであたしを倒せなんて無理なことは言わないわ。一撃よ。あんたがあたしに、一撃当てれば今回はあたしの負けってことにしてあげる」

「一撃、でいいのか?」

 緑が確認する。阿裏奈は頷いて答えを返してから、微かに笑みを浮かべて言った。

「もちろん、一撃ならなんでもいいわけじゃないから。有効な一撃以外は無効よ。あたしの塊と融和できるなら、簡単でしょ?」

「威力の面では、どうにかね」

 緑は答える。阿裏奈の攻撃を回避しつつ、一瞬の隙を確実について、全力の一撃を当てるだけ。当てたあとにどれだけ大きな隙ができようとも、当てさえすれば緑の勝ち。

「野球で言うなら、あんたがあたしに百点とられても、あんたは一発大きなホームランを打てばいいだけよ。その上、コールドゲームもないんだから、やってみなさい」

「はは、百点も取られたら心が折れそうだけどね」

「だったら、あんたたちはあたしに倒されるだけよ。さ、話はおしまい。さっさと――始めるわよ」

 言い終わると同時に、ゆらりと動く阿裏奈。二人の阿裏奈の分身が緑の左右に現れて、光の刀を手に挟撃を仕掛けてくる。それと同時に、分身を生み出した阿裏奈は一直線に駆けて、緑に強烈な蹴りを放っていた。

 緑は大きく飛び退いて、その攻撃を回避する。特別な光の盾で防ぐことも可能だが、それでは攻撃の手段もなくなってしまう。だから今は、彼自身の感覚だけで回避に徹する。

 現れた分身はすぐに消えて、阿裏奈が微笑んだ瞬間に新たな三人の分身が、今度は緑の後方に出現した。光の槍を三本、交差するように緑に投げつける。

「だったら!」

 緑は咄嗟に特別を地面に向ける。特別な反動により高く跳躍し、背後からの槍を回避。

 三本の槍は全て彼女の〈光〉であり、光同士は干渉することなく、衝突しては一つの光に融合する。三人の分身も既に消えていて、駆けていた阿裏奈は光を左手で掴み、長い光の鞭として空中の緑に向けて振るう。

 緑は最小限の力、特別に鋭い光の短刀で鞭の先端だけを払い、射程外へと着地。

「これで三点、無傷で済んでよかったわね」

「はは、とんでもないね。これが君の本気ってわけか」

「さあ? 知らないわよ。あたし、あんまり戦ったことないし」

 しならせた鞭を光に変えて、阿裏奈は力を溜める。緑はそれをさせまいと、特別な弓から数十本もの光の矢を放ち、干渉により阻害する。だが、それでできるのは攻撃を少し遅れさせることだけ。

 もしも緑が他の四人とも融和していたなら、今の攻撃で一撃を与えることは成功していただろう。織乃の〈目〉で阿裏奈の攻撃をほんの少し早く回避して、水樹の〈翼〉で上空への回避の隙を減らし、聖歌の〈力〉でより少ない力で光の鞭を払い、茜の〈妄想〉で弓矢を強化して攻撃を放つ――それだけで彼の攻撃は有効な一撃となる。

 ここで阿裏奈との融和をさらに高められたとしても、戦闘経験では緑が勝るとしても、光の扱いは彼女の方が上。一撃を当てるだけなら可能でも、有効な一撃とするのは不可能だ。

 ならば、使えるのは彼自身の欠片の力、〈特別〉を武器にするしかない。そのためには可能な限り回避を続けて、阿裏奈にもっとも有効な一撃を早急に考える。彼の特別は万能。相応の準備さえできれば、対応できない相手はいない。無論、欠片の力である以上、彼我の影の力の差は覆せないが、その不足は阿裏奈との融和で補える。

「次は……一気に十点くらい取ろうかしら」

 阿裏奈の激しい攻撃を、緑は特別を考えながら受けて、避けて、時間を稼ぐ。時間をかけすぎては力を消耗してしまうので、考える時間は長くない。

 緑が動いたのは、阿裏奈に二十点ほどを取られた頃だった。

「ここだ!」

 阿裏奈が分身とともに攻撃を仕掛けてきた瞬間、緑は全ての光に対して鏡を設置する。

「〈特別〉な鏡で、一気にやらせてもらうよ!」

 阿裏奈の光を反射した鏡は、その全てを放った本人へと向きを変える。角度に関わらず一点を狙う反射した光。速度も変わらず、威力も同じ光が阿裏奈へと襲いかかった。

「ふーん……それ、あたしもやってみていい?」

 自らに向かう光に対して、阿裏奈は光の鏡を前方に生み出して攻撃を再び反射する。緑の作った鏡と違い、ある程度は吸収され、緑へと届く光は少なかったが、それでも威力は十分。速度は増していて、咄嗟に盾や鏡を作っても今度は防げないだろう。

 その光が直撃する寸前、緑は笑顔を見せていた。光に遮られた阿裏奈には見えない表情。

「まさか、これで終わりじゃないでしょうね?」

 阿裏奈が呟く。

「ああ。一撃、もらった!」

 その呟きに答えたのは、緑だった。突然背後から聞こえてきた声に阿裏奈が振り返るより早く、緑は影の力を込めた拳を叩き込む。

「……くっ」

 その一撃を背中に受けて阿裏奈はよろめいたが、直後に緑の足元から光の柱を放ち迎撃。吹き飛ばされた緑は淡い光となって消えていき、阿裏奈の目に映るのはやや離れた正面でくずおれる緑だけ。

 満身創痍の緑に対して、阿裏奈は左手を高く上げて光を溜めていく。

「はは、今のは効いてたと思うんだけど?」

 苦笑しながら尋ねる緑に、阿裏奈ははっきりと頷いて答える。

「確かに効いたわよ。あんたの一撃、有効よ」

「君の分身みたいに、安定してるものじゃなかったけどね」

「そうね。あんたの鏡が反射した、あたしの光はおまけ。あんた自身を反射して、擬似的な分身を作り出す――一時的なものだったけど、あたしと融和したとはいえ、あたしの分身以上の威力を引き出したのは見事ね。ちょっと痛かったわ」

「だったら」

 緑の言葉を阿裏奈は笑顔と、一気に放出した大量の光で止める。派手な見た目に比べて威力は低いが、次々と放たれる光の衝撃を今の緑は防げない。

「あたしの負けを認めてあげる。けど、あんたに反撃しないとは言ってない。ま、安心しなさい。あんたが起き上がれなくても、あんたたちの暮らす施設までは、あたしがちゃんと運んであげるから」

 鏡で自身を反射しても、元の緑には阿裏奈の光が直撃している。一撃を当てれば勝ちという条件だからこそできた、捨て身の一撃。それに耐えた緑に、再び襲いかかる彼女の光。その衝撃を何度も受けて、最後の光の衝撃が彼を襲った瞬間、緑は意識を失った。


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