カゲカケラ

第三話 巫女にほうき


 茜が訓練に合流してから数日、四人の融和は着実に高まっていた。影の兵士や槍の領主とも戦った三人も認める、茜の影の欠片の力の扱い、融和の高さ。その原動力が何であるのか、それはみんな理解している。お兄ちゃん大好きで、女の子も好き――その気持ちこそが、彼女の融和を高める全てだった。

「これぞ、愛と欲望の力ですね。まだちょっと、足りない部分もあるみたいですけど」

 と言ったのは、その日の報告を四人から受けた睡蓮。

「はい。ちょっとですけど、大変です」

「やっぱり、実戦で試してみたいものだね。睡蓮さん、敵に動きは?」

 訓練の成果は上々。しかし、訓練だけでは学べないものもある。影そのものである影の兵士や影の領主との戦い。その感覚は、いくら訓練しても覚えられるものではなかった。

「影の兵士は動いていますが、領主と思しき影は確認されていません」

 睡蓮の言葉に、四人はしばしの間沈黙する。

「影の根源は?」

 その沈黙を破ったのは織乃だった。

「同様です。……でも、現れたらさすがに負けちゃいますよ」

「でしょうね。だけど、領主が動かないなら、いきなり来る可能性も否定はできないわ」

 苦笑して言葉を続けた睡蓮に、織乃は表情を変えずに冷静に答えた。それを聞いて、睡蓮は明るい笑顔を見せる。まるでその言葉を待っていたかのような素早い切り替えに、少年少女は揃って首を傾げる。

「ということで、来るべき強敵との戦いに備え、明日は戦力の補強を行います。みなさん、準備をしておいてくださいね」

「補強?」

「他にも第一で認められた人が?」

「それはないよ、お兄ちゃん。睡蓮さん、私を呼んだときに言ってたもん」

 水樹が聞き返したのに続いて、緑と茜の兄妹が声を発する。

「そうですね。みなさんがここにいるのは、みなさんの努力の結果だけではありません。影の欠片と融合した年齢、状況……素質も必要です。元々の融合の強さ、とも言えますね。みなさんが短期間で欠片の力を扱えるようになったのも、それがあってこそ。みなさんが数週間で終えた最初の訓練でさえ、他の方々は何年もかかってようやく習得しているんですよ。茜ちゃんがいたので、緑くんたちには秘密にしていましたけど。そして、現在の第一には、みなさんに匹敵する素質を持つ者はもういません」

「第一には……ね」

 その言葉で何となく理解を示した織乃。他の三人はまだ理解した様子はなく、睡蓮は微笑を浮かべて言葉を続けた。

「ですが、この日本にはもう一人だけ、その素質を持つ者がいます。複数の影の領主、そして影の根源という難敵と戦うために、明日には彼女と合流してもらいます」

「彼女……それって」

「もしかして」

「……ふえ?」

 緑と水樹もようやく理解を示す。しかし一人だけ、茜は顔に疑問を浮かべたままだった。

「茜ちゃんとの融和も問題ないようですし、頃合ですからね。明日は船で島を出て、彼女が活動中の北海道に向かってもらいます」

「進路は?」

「真っ直ぐに。他の支援部隊の情報では、海上に影の兵士の姿もいくつか見られますが、今のみなさんなら蹴散らせるでしょう? ただ……」

 世界の半分以上は既に影に呑み込まれている。北海道は人口密集地域が少ないためか、呑み込まれていない場所も多いが、主要な港町は当然影に呑み込まれている。そして当然、影に染まっているのは陸地だけではない。

 真っ直ぐに向かうということは、影に呑み込まれ、影に染まった地を抜けるということ。建物のない大地、生命のない海、太陽の見えない空、影に覆われた世界――そこを通り抜けることは簡単だ。磁石も効かず、目印もなく、影の欠片と融合した少年少女が脱出するにはそれなりの苦労もあったが、それも昔のこと。影を察知する道具も開発された現在、方向を見失うようなことはない。

 問題があるとすれば、心理的な問題だろう。

「懐かしいね」

「うん。ここに来るときは、回避してたもんね」

「あはは、あたしは空から見てたし、道を間違えて入っちゃったこともあったかな?」

 船で島にやってきた緑と茜。船上から景色も見ていたが、影に染まった場所を通り抜けることはなかった。迂回して避けている様子もなかったので、進路の海上には影に染まった場所はなかったのだろう。世界の半分以上が影に呑み込まれたといっても、それは人類の暮らす大地を中心とした世界。海にはまだ影に染まっていない場所の方が多いのである。それゆえに、第二訓練施設も海の先、孤島の上に作られたのだから。

「私は大丈夫よ。復讐心が高まっても、前みたいな無茶はしないから」

 最後に織乃がそう言ったことで、彼らの明日の予定は決まった。

「でも、いいの? 支援部隊が機能しなくなるんじゃない?」

 話がまとまってから、かつての支援部隊を知る織乃が聞いた。

「ふふ、確かに救出支援は不可能になりますけど、みなさんは影の領主を倒せるまでに育ちましたよね?」

 睡蓮は微笑みかける。茜以外の三人を順にゆっくりと見て、言葉を待つ。

「時間稼ぎはもう不要、ってことだね」

 いつか聞いた言葉を思い出して緑が言う。影を倒せる彼らが育つまでの時間稼ぎ――それこそが支援部隊の最大の支援。睡蓮は笑顔で頷いてから、言葉を続けた。

「それに元々、彼女を支援部隊に入れたのも、彼女が早すぎたからなんです。五年前に、一人だけ第一訓練施設で力を認められた少女――それが彼女です。五年前ですから、茜ちゃんと同じですね」

「ということは、今は二十歳?」

 緑が聞いた。茜は十五歳。五年前にその年齢だったなら、その可能性が高い。誕生日の違いもあるので、断定はできないが。

「はい。一応、他にも理由はあるのですが……」

「年上のお姉さんの座が危うい!」

「そんなの、最初からじゃない」

 睡蓮が喋っている途中、声をあげた水樹に織乃が即座に突っ込む。

「織乃が厳しい」

「だったら、私が優しくします!」

「うん。とりあえず、お姉ちゃんかお姉様って呼んでね?」

 茜の言葉に込められた意味を受け流しつつ、年上のお姉さんらしさはしっかり確保。茜は大きく頷いて、すぐに水樹の名を呼んだ。

「水樹お姉ちゃん! 水樹お姉様!」

「……えへへ、ありがとう茜ちゃん」

 楽しそうな二人を横目に、緑は睡蓮に尋ねていた。

「ところで、その彼女についてなんですけど」

「ま、言わなくてもわかるけど……一応、はっきり言ってくれる?」

 彼の言葉に織乃も続く。睡蓮は微笑んだまま、小さく頷いてから答えた。

「それは、会ってみてのお楽しみです!」

 予想通りの答えに、緑と織乃は視線で合図をして、揃って大げさに肩をすくめてみせた。

 翌朝。彼らは船に乗って目的地へと向かっていた。最新鋭の技術を搭載した高速船での日帰り合流。船旅は快適で、到着するまでの長い時間、誰かが船酔いすることもなく無事に北海道の地へと到着。

 出発前に渡された地図を手に、合流場所へと真っ直ぐに向かう。影に呑み込まれた地も通り抜けることで最短の距離を、短時間で。

「うーん、寂しいね」

 影に呑まれた場所を抜けてから、水樹が言った。

「そうだね。まあ、仕方ないけれど」

 周囲の多くが影に染まっている場所に暮らす人はいない。そのとき狙われなかった時点で、土地としてはかなり安全なのだが、それよりも周囲を影に囲まれているという不安感が上回るのは仕方ない。彼らのように戦う力を持たなければ、逃げることもできないのだから。

 しばらく歩いて、彼らは目的の合流場所に到着する。木々に囲まれた森林の中、ほんの少し開けた場所。一本の大木に背を預けて、一人の少女が待っていた。

 聖なる巫女装束に身を包み、物静かで賢そうな顔立ちで静かに虚空を見つめる、ロングポニーテールの少女。彼女の纏う雰囲気は、二十歳という年齢を知っていても少女といった方がしっくりくるものだった。

 身長は一メートル六十四センチで、水樹や織乃よりは低い。茜よりはやや高いが、胸の膨らみは十五歳の彼女よりも薄いように見える。

 両手に持つのは一本のほうき。力を抜きつつも、今すぐに落ち葉を払えそうな持ち方をしているが、落ち葉の季節はもう少し先だ。

「お待ちしていました。支援部隊の宮聖歌〈みやせいか〉と申します。睡蓮より、話は聞いていると思いますが……本日より、そちらに合流致します」

 静かな空間に、澄んだ声が響く。彼女はすっと視線を動かして、到着した四人に名乗りの言葉を口にした。

「伏木茜です。宮聖歌さん……いいお名前ですね!」

 すぐに反応したのは、他でもない茜だった。

「伏木緑。茜とは兄妹だ」

「桜野水樹です」

「剣峰織乃よ」

 茜に続いて他の三人も名乗る。彼らの顔を順番に眺めて、聖歌は微笑んで小さく頷いた。

「無事に合流、ですね。しかし……」

 言葉の途中で、聖歌は彼らとは逆の方向に視線を向ける。預けていた背を離して、ほんの少しだけほうきを強く握る。

「……茜、いけるか?」

「うん。大丈夫だと思う、けど……」

 彼女よりはやや遅れて、四人も影の気配に気付く。察知した影の兵士は三体。彼らの来た方向とは反対方向から、ゆっくりと移動しているようだった。

「茜さんは、実戦経験はないと聞いています」

「はい。でも、お兄ちゃんもいるし、聖歌さんとなら!」

 笑顔で答えた茜を見てから、聖歌は再び影を察知した方向へ。

「……数は五。全て精鋭」

 聖歌の呟きは透き通るように、彼らの耳に届く。

「五?」

「……遠いけど、確かに二体いるわね」

 思わず聞き返した水樹に、織乃が目で確認した情報を口にする。

「経験を積むなら、二体で十分ですね」

 微かな笑みを、本当に微かな笑みを浮かべながら、聖歌はほうきを手に敵の来る方向へ真っ直ぐに歩いていった。一人で突出するような動きに、緑たちが反応してすぐ、影の兵士が木々の間を抜けて現れた。あちらも当然察知していて、三体の影の兵士は孤立している聖歌を狙って同時に攻撃を仕掛ける。

「祓われなさい」

 流れるような動きで、ほうきを一振り。軌道は綺麗な曲線を描き、それは三体の影の兵士の中心を捉えていた。軌道上にはきらきらした光が舞って、影の兵士に降りかかる。

 聖歌に剣を振り下ろそうとした三体の影は、光の粒を突き抜けることはできずに、急速に影を薄れさせて消えてしまった。

 目の前で起きたことに、四人は目を見開いて言葉を失う。

「二体、左右から来ます」

 三体の精鋭があっさり倒されたことに、残りの二体の影の兵士は回り込んで攻めてくるようだった。緑たちが察知するよりも早く、聖歌はそれを察知して彼らに伝えていた。

「茜さん、力を融和します。二体まとめて、一撃で終わらせてください」

「え? 一撃って、でも」

「やってみるか。茜!」

「だ、大丈夫なの?」

「ま、信じましょう」

 戸惑う茜に、彼女の背中を押す緑。心配する水樹に、織乃は平然と。聖歌からの指示を受けて、四人は融和を高めて戦う準備をする。もちろん、欠片の力は指定された茜に集約。水樹は翼を広げることなく、織乃も漆黒の剣を生み出さない。

 彼らの融和は問題ないが、聖歌とは初対面。干渉の危険もあるが、三体の影の兵士をあっさりと倒した聖歌の言葉を、彼らは信じることにした。

「それじゃ、とりあえず……やってみる!」

 左右から襲ってくる二体の影の兵士。茜は〈妄想〉により生み出した真っ白な長い触手を二本伸ばして、影の兵士の体を貫かせた。触手が消えたのと同時に、影の兵士も影を薄れさせて一瞬で消えていく。

「でき、ちゃった?」

「やったな、茜。だけど……」

 緑は駆け足で近寄って、妹の頭を優しく撫でる。そのまま、兄妹の視線は聖歌に向いて、水樹と織乃も説明を求めて巫女装束の少女を見つめていた。

 聖歌はほうきを軽く握り直してから、彼らに答えを返す。

「〈力〉です。自らの力を高め、他者には力を与える影の欠片。この五年間、人々を逃がすために力を与え続けていました。あなたたちの情報は睡蓮から聞いています。こちらからであれば、干渉の心配はありません」

「凄いです! さっきも、一人で三体を倒してましたよね?」

 茜の言葉に、聖歌は他の三人を順番に見ながら答えた。

「実戦経験は豊富ですから。しかし」

「そうね。ただ、察知能力で負けたのは、ちょっと悔しいわね」

 織乃は認めつつも、苦笑して言った。支援部隊として、影から人々を逃がすために影の兵士と交戦することもある。それを五年も続けた彼女の経験は、様々な能力を高め、特に影を察知する能力に関しては槍の領主を倒した彼らを上回っていた。

 こうして支援部隊の少女――宮聖歌と合流した彼らは、念のためにもう一度周囲を確認してから船に乗って、第二訓練施設のある島へと戻るのだった。


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