槍の領主との戦いを終えてから半月が経過していた。その間も訓練は続けられて、たまに現れる影の兵士を撃退しては融和を高める。領主の語った他の領主や影の根源が動いている様子はないが、いつ動き出してもいいように実力は高めなくてはならない。あれだけ苦戦した槍の領主と同格の相手――他の領主であれば同じように勝てるかもしれないが、その上である影の根源とやらが現れたら今の彼らに勝ち目はない。
そしてその日の朝、第二訓練施設に集められた三人の少年少女は、エントランスにあるモニターの前に並んで集合していた。
右胸に特別な装飾を施した衣服を身につけ、冷静で優しそうな兄の顔をよく覗かせる、セミショートで〈特別〉を持つ施設で唯一の少年――伏木緑。
ひらひらした羽の服装を身に纏い、元気溢れる強気そうな顔立ちの、ショートツインテールで胸の大きめな〈翼〉を持つ少女――桜野水樹。
涼しく軽やかな服装に、顔立ちは鋭く輝くように端正、セミロングストレートで小さめな胸に〈目〉を持つ少女――剣峰織乃。
身長差はあまりないが、高い方から緑、織乃、水樹の順。数値にすると一メートル七十五、七十一、六十六。年齢は水樹が一番年上の十九歳で、十八歳の緑、十七歳の織乃と続く。
「みなさん、今日は大事なご報告があります」
モニターに映る女性は、サポート担当の連崎睡蓮。落ち着いた雰囲気の服装で、可愛らしい大人のお姉さんな顔に、右はショート、左はロングサイドテールという特徴的な髪型。胸は水樹と織乃の中間で、身長は織乃より一センチ低い七十。年齢不詳の美少女サポーター、というのは本人の言葉である。
モニターの先には彼女の私室と思しき小さな部屋があり、壁に備え付けられたモニターは高解像度でその部屋と等身大の彼女の姿を映す。第二訓練施設に取り揃えられた最新鋭の設備の一つである。もちろん、それらは施設のある孤島の各地にも設置されている。
「敵?」
睡蓮の言葉にすぐに反応した織乃が、軽く尋ねる。
「違います」
睡蓮は即座にそれを否定する。
「そう」
織乃は呟くと、黙って彼女の言葉を待った。影は彼女にとって復讐する相手。睡蓮の話し方から敵の可能性は低いとわかっていたが、敵が未だに大きな動きを見せないことに思わず尋ねてしまっていた。
「みなさんのことは、国民の間でも話題になっています」
「俺たちが新たな英雄として認められ始めた。そういうことだね」
かつて影を払った英雄。それに憧れる緑は、彼女の言葉に笑顔を見せた。
「情報、流したんですか?」
水樹の質問に、睡蓮は小さく頷いた。
「はい。支援部隊に協力してもらって、どうにか。世界の半分が影に呑み込まれた現在、日本国内でも既存の通信設備は満足に機能しないので時間はかかりましたが、影の兵士より強い影の領主を倒したんです。知らせるだけの価値はあるでしょう?」
「ちなみに、どうやって?」
目を輝かせて尋ねたのは緑だった。予想していたのか、睡蓮はすぐに答えを返す。
「日本あたりを支配していたとっても強い影の領主を、我が国の訓練施設で育った少年少女が倒しました――ですよ」
「曖昧なのね」
「槍の領主が日本だけを支配していたのか、他のアジア地域や海も支配していたのか、はっきりとはわからないですからね。仕方ないです」
「名もなき新たな英雄か……かの英雄も名は知られていない。うん、格好いいじゃないか」
「で、それが大事なご報告? それが大事なのは一人だけしかいないわよ」
満面の笑みを浮かべる緑を横目に、織乃が聞いた。彼の様子に呆れはしないが、それだけならさっさと今日の訓練を始めたい、という気持ちをしっかり声と表情に込めて。
「ふふ、もちろん違いますよ。でも、緑くんが喜ぶ情報なのは同じでしょうか?」
「俺が?」
首を傾げる緑に、水樹と織乃も顔に疑問を浮かべて、モニター越しの女性を見つめる。
「先日、第一訓練施設で訓練をしていた女の子が、みなさんと同じく力を認められました。名は伏木茜〈ふしきあかね〉――緑くんの妹の、茜ちゃんですよ」
「茜が?」
緑は目を見開いて、反射的に尋ね返した。
「へえ」
「それは、私にとっても大事なことね」
他の二人もそれぞれの反応を示す。水樹は感嘆の語を口にして、織乃はただ冷静に。
「ということで、彼女も今日から第二訓練施設での訓練に参加します。茜ちゃん!」
「はい!」
睡蓮の呼びかけに答えて、エントランスの扉が開き少女が現れる。施設の出入り口は頑丈で大きな一枚扉。モニターからも離れていて、声が聞こえる距離ではないが、睡蓮が彼らに連絡できる設備は施設の外にも存在する。
静かに開いた自動ドア。扉の開く音の代わりに響いた大きな声に、三人は振り向く。
「……お兄ちゃん!」
扉が完全に開いて、少女はすぐに駆け出していた。ロングストレートの長い髪を揺らし、元気で可愛らしい妹の顔で、中央の兄を目指して一直線。可愛らしいふりるアクセントのついた服に身を包み、迷わず兄の体に抱きつく。
「お兄ちゃん」
茜は兄の胸に顔を埋めて、今度は優しい声で兄を呼ぶ。身長は一メートル六十センチ、小さな胸を兄に押しつけるのも構わず、強く抱きついて離さない。
「お兄ちゃん……」
ほんの少しだけ抱きつく力を緩めて、兄を見上げてもう一度。
「……茜、可愛くなったね」
緑は微笑んで、見上げる妹に言った。
「お兄ちゃんこそ、凄く格好いいよ。まさに私の理想、えへへ、嬉しいな」
緑は茜の頭を優しく撫でて、妹の言葉を聞く。十年前、影に町が襲われて、影の欠片と融合した兄妹。それから二人が一緒にいたのは、保護されるまでの数日と、日本にいくつかの第一訓練施設ができるまでの数か月。以降は別々の訓練施設で訓練を続けていた。
「そうかな?」
「うん。お兄ちゃんは格好いい」
「茜も可愛いよ」
十年ぶりの再会。妹は兄に抱きつき、兄は妹の頭を撫で、互いを褒め合って兄妹は十年ぶりの再会を喜んでいた。
「こ、これは……」
「凄いわね」
そんな兄妹の様子を左右から眺める二人。間に入る隙もない様子に、水樹も織乃も声をかけられない。
「茜ちゃん、他の二人にも自己紹介してくださいね?」
しかし一人だけ、モニター越しの睡蓮は平然と声をかけていた。
「あ、はい。忘れてました」
茜はぱっと兄から離れて、二人に向き直ろうとする。しかし、二人は兄妹を挟むように左右にいたので、モニターの前まで歩いてから、兄を含めた三人に向き直る。
「伏木茜です。今日から第二訓練施設のみなさんに合流します。お兄ちゃんと一緒にがんばるので、よろしくお願いします」
ぺこりと礼をして、茜は自己紹介を終える。
「桜野水樹です」
「剣峰織乃よ」
兄である緑を除いた二人が名乗り返す。茜は二人の顔を順番に見て、少ししてから小さく笑ってみせた。
「水樹さんに、織乃さんですね。覚えました」
茜が言ったところで、すかさず水樹が質問する。
「茜ちゃん、いくつ?」
「十五歳です。……兄から聞いてないんですか?」
答えてからふと疑問を口にした茜に、水樹は笑顔で答えた。
「聞いてるけど、あんまり聞いてないかな。影の欠片のことも」
「年齢くらいは話したと思うけど……確かに、詳しくは話してないね」
水樹の言葉を引き継いで、緑が補足する。
「そういうこと。ま、質問ばかりじゃ疲れるだろうし、先に私たちから話すわ」
「そうだね。じゃ、あたしから!」
織乃の言葉に同意して、水樹が自身の影の欠片について話し始める。彼女が終えると次は織乃で、最後は緑。彼らがはっきり影の欠片の力を理解したのは、第一訓練施設で訓練を始めてから。兄妹であっても十年離れていれば、知らないこともある。
「私の影の欠片は〈妄想〉です。妄想したものを現実に生み出す……わかりにくいですよね」
「兄妹揃って……」
「緑の類型かしら」
茜の言葉に、それぞれの感想を口にする二人。
「茜、試しに合わせてみようか?」
彼らがモニターの前に集まったのは、朝食を終えての訓練開始前。茜も移動中に食事は済ませているので、このまますぐに訓練を始めることができる。
「その前に一つ、お兄ちゃんに聞いていい?」
茜が言った。柔らかい表情で、兄の目をじっと見つめて。
「ああ。何かな?」
といっても、すぐに訓練を開始しないといけないわけではない。緑は急かすことなく、可愛い妹の質問に笑顔で答えた。
「えっとね、水樹さんと織乃さん、どっちがお兄ちゃんの彼女?」
「え?」
「もしかして、どっちも?」
緑が戸惑っている間に、茜はさらに尋ねる。その質問は他の少女二人にも聞こえていて、同じく戸惑う水樹を余所に、先に反応したのは織乃だった。
「私を混ぜないでもらえる?」
「じゃあ、水樹さんが?」
茜の視線が水樹に向いた。見られた水樹は視線を逸らそうとしたが、じっと見つめてくる茜に、視線を外してはいけない気がして戸惑いながらも見つめ返す。
「ち、違うよ。あたし、まだ恋人じゃないよ。告白はしたけど、返事もらってないし!」
「お兄ちゃん、返事してないの?」
今度は緑に。妹に見つめられた兄は、視線を逸らす素振りも見せずに素直に見つめ返す。
「そうだね。槍の領主との戦いもあったし、水樹だって」
「う、うん。求めてないから。まだ早いから」
「ふーん」
冷静な兄と、しどろもどろになる水樹を交互に見てから、茜は最後に織乃を見た。
「織乃さんは……」
「ないわよ」
質問を最後まで聞くことなく、織乃は即座に否定した。
施設の外、エントランスを出てすぐのところで、四人は訓練を開始していた。彼らを促したのは睡蓮の一言。彼女は冷静に、サポート担当として訓練の開始を促した。
「みなさん、そろそろ訓練を始めてください。話は夜にお願いしますね?」
慌てる水樹に逃げ道を用意して、やるべきことはきっちりやらせる。厳しく命令することはなく、いつもの態度で彼らを促す睡蓮は、自然にサポートの役目を果たしていた。
「茜、準備はいいか?」
「いつでもいいよ、お兄ちゃん!」
兄妹は並んで欠片の力を融和する準備をしていた。干渉を確かめることなく、いきなりの融和だが、二人とも自信満々で準備をする。
「〈特別〉な〈妄想〉を。まだわからないから、茜に任せていいかな?」
「うん。お兄ちゃんとなら、きっと大丈夫だよ」
そんな二人を少し離れたところで眺めるのは、水樹と織乃の二人。
「躊躇ないわね」
「う、うん……」
答える水樹はややぎこちない様子だったが、先程よりはだいぶ落ち着いていた。
緑と茜は手を繋いで、緑は欠片の力を妹に送り、茜は兄から受けた力を融和し、繋いでいない方の右手を前に伸ばす。
「えいっ」
軽い声とともに、茜の目の前に光が集まってくる。欠片の力、妄想より形作られたのは、等身大の人形。
「できた!」
「……えっと」
水樹が困った顔で隣の織乃と、緑を順番に見た。茜の妄想から生まれたのは、水樹の体と衣服を完璧に模した人形だった。
「よくできてるわね」
「ああ」
「なんであたし?」
落ち着いている二人に、顔に疑問を浮かべたままの水樹。
「私だけならこれで精一杯ですけど……さわ」
そんな彼女には構わず、茜は欠片の力で作った水樹の人形に近寄り、後ろからそっと背中を撫でてみせる。
「ひゃんっ!」
直後に響いたのは、可愛らしい悲鳴。
「……できた!」
「ちょ、ちょっと、なに今の!」
悲鳴をあげたのは水樹本人ではなく、彼女を模した人形。しかし声は水樹と同じで、驚いた彼女はすぐに反応する。隣の織乃も驚いた顔で、目の前で起きたことを黙って見ていた。
「茜、今のは?」
「お兄ちゃんの特別で、妄想した水樹さんを、触ると敏感に反応する水樹さんにしたんだよ。お兄ちゃんも試してみる?」
「ふむ……肩くらいなら大丈夫かな」
「触っちゃ駄目!」
水樹が慌てて制止したのと、水樹の人形が消えたのは同時だった。
「触れないね」
緑の言葉に、茜は微笑んで答えた。
「やっぱり、ここまでやると長くは維持できないや。えへへ、安心してください、水樹さん。ちゃんと時間を計ってましたから」
「そ、それなら……あれ、でも茜ちゃんは触って……」
納得しかけて、改めて考え直す水樹。が、その思考は織乃の言葉で中断された。
「ま、緑に触ってもらうのは本番で、ってことね」
「ちょっと織乃ー!」
「ともかく、茜。私たちとも試しましょう」
「あたしのときは、変なことしちゃ駄目だからね!」
「はい! でも、できるかなあ」
初めてでいきなり高い融和を見せた兄妹。それに続いて、水樹と織乃も彼女との融和を試す。
「悪くはないみたいだね」
順番に試す様子を眺めていた緑が、終了してから一言。水樹と茜、織乃と茜、どちらも干渉することはなく融和には成功した。しかし、その融和は高いものではない。三人での訓練で慣れた水樹と織乃に、茜が何とか合わせられた結果である。
「そうね。でも、実戦じゃ使えない」
「訓練しないとね。四人の融和なら、もっと強くなれるよ」
「はい! がんばります!」
織乃が冷静に事実を口にしても、弱気になる者はここにはいない。槍の領主を倒したことにより自信がついた三人だけでなく、茜もやる気を見せていた。
そして訓練を続けて一日。第二訓練施設では、茜にとっての訓練初日。やや厳しめの訓練にもついていけたのは、彼らと同じく力を認められた第一訓練施設での訓練の成果。だがここでの訓練はそれよりも上のもの。肝心の融和は、緑と茜の間で若干高まりはしたものの、他の三人の間ではさっぱりだった。