カゲカケラ

第十話 二人きりのデート、木陰の相合傘


「じゃ、行ってくるねー」

「ええ。留守は任せて」

 デート当日。緑と水樹はエントランスで織乃と別れる。二人でこうして出かけるのは二回目だが、緑にとっては監視であった前回と違い、今回は彼にとってもデートである。

「織乃は訓練してるんだよね」

「程々に、ね。私も明日の準備をしないといけないし、覗き見する余裕はないから安心して」

 織乃は微笑で答えて、軽く手を振ると踵を返して廊下を歩いていった。緑たちも施設の外に出て、デートに出発する。よく晴れた空、朝日が眩しく、心地好いそよ風も吹いている。水樹のひらひらした羽のような服が風に揺れて、揺れるところのない緑の服とは対照的である。

 先頭に立つのは水樹で、緑は彼女の隣をほんの少し遅れて歩く。二日続けてのデート。予定を考えるのは緑ではなく、二人の女の子である。

 ただし、それは決して女の子が常にリードするという意味ではない。彼女たちが緑がリードして歩くという予定を立てたなら、緑はそれに従うことになっている。もちろん嫌であれば断ることも可能だが、当然二人も絶妙に断られないような予定を立てている。

 水樹の予定は単純明快。たった一言で説明できる予定だ。

「緑はあたしについてきてね」

「それだけか?」

「うん。それだけ」

 デートに出発する前に告げられたのは、たったそれだけの簡単な予定。それゆえに、緑も心の準備はできない。予定を詰め込んだデートよりは気楽だけれど、どきどきする。

「ということでやってきました! 人気のない渓流に!」

 林の近くにある小さな渓流。水樹が緑を連れてきたのは緩やかに流れる川の傍だった。川を挟む谷は浅いが、それでも人の身長よりは遥かに高い。

「人気?」

 この島にいるのは訓練中の彼らだけ。人気のない場所であるのは当たり前だ。

「あれ、わかんない?」

「わかってるけどわからない」

「ふーん。ねえ、緑」

 ちょうどいい高さの岩に腰を下ろして、水樹は緑を見上げて話を続ける。緑もどこかに座ろうと思ったが、水樹の近くには他にちょうどいい高さの岩はなかった。彼女の座ってる岩も二人が座れるほどの大きさはない。

「あたしは今、スカートをはいています」

「はいてるね」

 膝下までの長さがある、ひらひらした可愛らしいスカートである。

「普段は空も飛ぶからぱんつをはいています」

「はいてるよね」

 訓練内容によっては見ようとしなくても目に入ることはある。

「緑、いっつも見てるの?」

「水樹が隠さないからね」

「だって、隠しながらじゃ戦えないもん」

 緑は無言で次の言葉を待つ。今日は一日、時間はたっぷりある。催促の必要はない。

「でも今日はお休みです。訓練もありません」

 緑は頷く。槍の影がああ言った以上、それまでは突然の敵襲もないだろう。

「さて、そこで緑に問題です。あたしのスカートの下は今、どうなっているでしょうか?」

「どうって?」

「はいてると思う? はいてないと思う?」

「え?」

 緑は反射的に問い返す。もちろん質問の意味は理解している。

「そりゃ、普通は……いや、でも……ん?」

 考えている途中で、緑は思考を止めて水樹の顔を見る。

「どしたの緑?」

 首を傾げて尋ねる水樹に、緑は真面目な顔で尋ね返した。

「ちなみに、答え合わせは?」

「やだ、緑。そんなの決まってるじゃない。緑がめくって確かめるんだよ?」

「いやだって言ったら?」

「緑は女の子に自分でめくらせたいんだ……そんな、でもそれが緑の趣味なら」

 わざとらしく恥じらいの表情を見せる水樹を、緑は黙って見つめる。

「緑は脱いでもらうのが好き。脱がせるより脱いでもらうのが好き。緑は女の子に脱いでもらうのが好き……羞恥プレイそれとも放置プレイ」

「違うからね」

 止めなかったらひたすら繰り返された上に、余計な一言までついてきたので緑は咄嗟に否定する。

「あはは、冗談だよ。めくらせないし、めくらないよ? だって恥ずかしいもん」

 微笑みながら、今度はわざとではなく僅かな恥じらいの色を込める水樹。

「普段は慣れてるのに?」

「普段ははいてるから」

「……ええと」

 素朴な疑問に返ってきた答えに、緑はどう返していいのかわからなくなる。ただ、彼の視線は無意識に水樹のスカートに向いていた。

「それじゃ緑、ここからは手を繋いでデート再開!」

「あ、うん、それで」

 差し伸ばされた手をそっと掴んで、水樹を立ち上がらせる緑。しかし気になるのはその手の感触よりも、スカートの下だった。

「気になる?」

「まあね」

「だよね。でも緑、それを確かめるってことは……緑も一歩踏み込むことになるよ?」

「俺も? 俺が、じゃなくて?」

 緑が聞いた。

「ん」

 水樹は勢いよく岩から立ち上がり、反射的に僅かに飛び退いた緑の目をしっかりと見つめる。手は繋がれたまま、距離はそんなに離れていない。

「あたしは多分、緑のことが好きだと思うから」

 笑顔ではっきりと。水樹は目の前の男の子に、自分の気持ちを伝えた。

「それは」

「さ、デートの続きだよ? ついてきてね!」

 どういう意味でとは聞けないまま、緑は水樹に引っ張られていく。渓流から近くの小さな林へ、木漏れ日の中を手を繋いで歩く二人。

「さっきの答えだけど」

 水樹が口を開いたのは、ちょうど彼女が木陰に入ったところ。水樹からは緑の表情が見えても、緑からは水樹の表情がよく見えない場所。

「知人としてとか、友人としてとか、仲間としてとか、そういうのじゃないから。恋する女の子の告白、忘れちゃ駄目だよ緑?」

 木陰を抜けて、太陽の下に。振り向いた水樹の笑顔は輝いていた。

「雨ね」

「雨だね」

 水樹とのデートを終えた翌日。緑と織乃は二人並んで、扉を開けたエントランスから施設の外を眺めていた。水樹とは食堂で一緒に朝食をとってから、そのまま自室に戻るということでエントランスで別れている。

 今日の天気は雨。小降りではあるが、雨具なしに一日外を歩けばびしょ濡れになるのは間違いない。

「行きましょうか」

「行くのか?」

 あっさりと織乃の口から出てきた言葉に、緑は問い返す。

「当たり前よ」

「そうか」

「ええ。ただ、一つだけ緑にも断る方法があるけど」

 緑は小首を傾ける。織乃は緑を横目に、微笑を浮かべて言葉を続けた。

「あなたが水樹を好きだって言うなら、私も二人を見守るわ」

「それは」

 水樹は緑に答えを求めなかった。しかし、告白したことは帰ってすぐに織乃にも伝えていた。

「そうじゃないなら、今日は私とデート。予定通りにお願いするわ」

「ああ。それじゃ、まずは傘を用意して……」

 返事をしながら施設内を見回した緑に、織乃は肩をすくめて言った。

「影の欠片。できるでしょ?」

「やったことはないけどね」

「濡れないように、特別に大きな傘をお願いね」

 緑は頷いて、欠片の力で影の傘を生み出した。白くて大きな傘で、雨が小降りのままならデートをするには問題ない。

「織乃は?」

 緑が聞いた。自分と同じように織乃も傘を作るものだと思っていた緑だったが、彼女は黙って緑が傘を生み出すのを見ていただけで何かをする様子はなかった。

「入らせてもらうわ。相合傘、デートらしいじゃない?」

「そうだね。二人だとちょっと小さいかもしれないから、もう少し大きいのを……」

「そのままでいいわよ。くっつけば入れるでしょ?」

「織乃がいいなら」

 特別に大きな傘を作ったとはいえ、緑が想像したのは一人用の傘。一人では濡れないような大きさでも、二人が入れば寄り添ってもほんの少しはみ出てしまう。が、織乃がそれでいいと言ったので、緑は傘を作り直すことはしなかった。

 織乃より数センチ背の高い緑が傘を差し、織乃は彼に肩をぴったりくっつけて歩く。寄り添うよりも完璧な密着。多少歩きにくいが、これなら二人とも雨に濡れることはない。

「行きましょうか」

「そうだね。行き先も予定通り?」

「ええ。天候にもよるけれど」

 傘の隙間から織乃は空を眺める。緑も彼女と同じように空を眺めるが、二人とも空を見て天候の予想をできる能力はない。空を覆う黒い雲は一面に広がっているから、すぐに止む可能性は低いと判断できる程度である。

 一本の傘の下、雨の降る島を二人はゆっくりと歩いていく。目的地は島の外れにある岬。それなりの距離はあるが、一日あれば雨の中でも時間に余裕はある。

「岬……か」

「ええ。一応、思い出の場所になるのかしら」

 緑の小さな声に、織乃が返事をする。雨音の中で彼女は言葉を続ける。

「一人で突出した私を、緑が助けに来てくれた思い出の場所」

「俺だけじゃないけどね」

「あら、あのときは自分だけを強調して口説いたじゃない?」

 視線を上げて織乃は微笑む。

「いや、強調したのは否定しないけど、口説いてないって」

 緑は苦笑しながら答えて、大事な部分をちゃんと否定する。

「そう。ところで緑、私に口説かれたらどうするのかしら」

「織乃から?」

「ええ。やっぱり困る? 水樹に告白された直後だものね」

 唐突な質問に緑は織乃の顔を見る。表情から彼女の意図は読み取れず、緑は少し考えてから答えを口にする。

「そうだね。この状況でどちらかを選ぶ勇気はまだないかな」

「選ぶ? どうして?」

「どうしてって、いや、まさか」

 緑が辿り着いた考えを口にするより早く、織乃が微笑んで彼の考えを口にする。

「この島には緑と私たちしかいない。男の子が一人に、女の子が二人。三人仲良くという選択肢もあるわよ?」

「三人仲良く、か」

「ええ。三人で」

 雨音だけが響き、二人は無言で歩を進める。しばらくして口を開いたのは、緑だった。

「一つ確認したいことがある」

 いつもと変わらないトーンで。しかしちょっとだけ真面目な口調で、緑は言った。

「何かしら?」

 織乃はいつもの調子で尋ね返し、隣に並ぶ緑の顔をしっかりと見つめる。

「織乃は俺のこと、どう思ってるんだ?」

「好きよ。水樹と同じくらいに」

「異性として、はつかないよね?」

「当然よ。私の目的は影に復讐すること。それと恋愛は関係ない……はずよ」

 織乃ははっきりと答える。しかし、最後の部分だけはやや弱気で、自信なさげだった。

「はず?」

 当然、緑もそこが気になって聞き返す。

「でも、もしも。恋愛が仲良くなるの一番で、欠片の力の融和を高めるのに必要だというなら、考えなくちゃならない。だから尋ねたの。あなたが私を拒絶するか、受け入れるか」

「織乃はそれでいいの?」

 緑の問いに、織乃は少し考えながら答えを返した。

「そう、ね……緑が恋人に対して、とても一般的とは言えないような性的嗜好を満たすような行為を要求するというのなら、考えさせてもらうわ」

「ええ、と。心配ないって答えるのも控えさせてもらっていいかな?」

「いいわよ。で、どうなの?」

「うーん……少し時間、もらえるかな?」

「ええ。岬までにはお願いね」

 それ以上の言葉を交わさず、二人は岬への道を歩む。振り続ける雨は変わらない。激しさを増すこともなく、止むこともなく、一定の音を奏で続けていた。

 歩き続けて岬が見えてきた頃、緑はおもむろに口を開いた。

「必要なら、俺は拒絶はしないよ」

「そう」

 緑の言葉に、織乃は静かに声を返した。

「けど、なんだろう。そういう形での仲良くなるが、一番だとは思えないかな」

「でしょうね。そんな簡単なら、何も苦労はないわ」

「……織乃、わかってて?」

 緑の質問に、織乃が答えたのは岬に到着したそのときだった。

「当たり前よ。そんな方法でもいいなら、あの睡蓮さんが黙っていると思う?」

「ああ、それは確かに」

 出てきた名前に緑もすぐに同意する。彼女の性格からすると、からかうようにその手段を伝えているのが普通だ。

「ま、だからこうして、私もデートをしようと思ったわけ。男の人と二人きり、この雰囲気は悪くないわね」

「……ふむ」

 織乃の気持ちは常に一貫していて、それは出会ったときから変わらない。彼女の心の中心はずっと、復讐ただ一つ。影に対する復讐心が彼女を動かしている。

 少年少女の相合傘。岬から海を眺めて、二人は無言で肩を寄せ合う。雨に濡れないように。

「雨、止まないな」

「そうね。ま、いいんじゃない?」

 そして彼らが施設に戻るまで、雨が止むことは一度もなかった。その代わり、激しくなることもなく、雨はずっと小降りのまま。帰り道の二人はほとんど言葉を交わすことなく、一本の傘の下を並んで静かに歩き続けていた。


第十一話へ
第九話へ

カゲカケラ目次へ
夕暮れの冷風トップへ