カゲカケラ

第六話 自然溢れる小さな島で憩いの時を


「影の兵士とは違う、喋る影ですか」

 帰還した三人から報告を受けて、睡蓮はモニター越しに冷静に状況をまとめていた。

「ああ。それに恐ろしく強かったよ。槍の一突きを見せられただけだったけど……」

「そう、ね。私たちが命を懸けたとしても、勝てる相手じゃない」

「なるほど。少なくとも、影の兵士より上位の存在であるのは間違いないですね。兵士を束ねる主、といったところでしょうか」

「主……かあ。言葉遣いもなんか、凄そうな雰囲気だったね」

 睡蓮の言葉に水樹が答える。緑も小さく頷いて同意を示すが、織乃は黙ってモニター越しの相手を見つめるだけだった。

「情報は?」

「ないですね」

「そう。じゃ、私は部屋に戻るわ。他に兵士の姿はないんでしょ?」

「はい。今のところは」

 織乃は小さく頷いて、そのままさっさと部屋に戻っていった。モニター越しに彼女の後ろ姿を少し眺めてから、残った二人に向けて睡蓮が言う。

「みなさんお疲れのようですし、明日は休日にしましょうか」

「はは、ありがたい提案だけど、自由行動ってことにしてくれないかな? あれだけの相手がいるとわかったんだ。俺ももっと強くならないと」

「あたしは正直、自信をなくしちゃったんだけど……緑、本気なんだよね?」

「もちろん。俺たちの融和もまだまだ高められる。なら、勝てない理由はないさ」

 はっきりと言った緑に、水樹は苦笑する。二人を眺める睡蓮は優しく微笑んでいた。

「さすが緑くんですね。水樹ちゃんも自信をなくしてないで、がんばってください」

「そんな気楽に言うんだ、睡蓮さん」

「緑くんの言葉は間違っていないですから。融和が高まれば、きっと勝てますよ」

「……ま、あたしもここまで来て、逃げるつもりはないけどさ」

 水樹は笑って答える。遠い目標に自信を失っても、自分がそこまで届かないとは思わない。

「安心しました。あとは、織乃ちゃんですね」

「ふむ。確かに、普段とはちょっと違う気がしたかな?」

「すぐに戻っていっちゃったよね」

「はい。お姉さんにしか話せないこともあるでしょうし、私からも色々試してみますよ。緑くんだと、水樹ちゃんには良くても、織乃ちゃんには逆効果になりそうですし」

「逆効果? どうして?」

「その無自覚がじゃないかな」

 微笑み合う二人に、緑は小首を傾げる。

「ふふ、では明日は自由行動にします。なるべく休んでもらいたいですけど、多少の訓練も認めます。ただ、無理はしないでくださいね? 次の戦いは明後日に起こるわけではないのですから」

「了解です」

「緑のことは、あたしが見張ってますね」

 報告をまとめるという睡蓮と話を終えて、彼らは並んで部屋に戻ることにした。会話はなく、二人は黙って廊下を歩いていった。

 二体の影の兵士との戦いを終えた次の日。訓練を含む自由な行動を認められた、二度目の休日だ。いつものように食堂で朝食をとってから、三人はそれぞれの行動を開始する。織乃はあの場にいなかったが、夕食後に睡蓮から連絡を受けているのを他の二人が目撃している。

「さて、早速訓練を……」

「緑。訓練内容は?」

 食事を終えて席を立とうとした緑に、斜向かいに座る水樹が聞いた。織乃は彼女の隣でプリンを口にしながら、二人の話を耳にする。

「ああ、ええと……」

 水樹に問われて、緑は簡単に訓練内容を答える。その内容は昨日までやっていた訓練と同じようなものだが、その量に問題があった。

「駄目。一日中訓練するつもり?」

「そのつもりだった」

「あなたね。今日は休みなさいよ。……気持ちはよくわかるけど」

 織乃も緑の言葉に同意を示すが、最後に一言、小さな声で付け加えた。

「だったら織乃、二人で説得してみよう」

「お断りよ」

 緑の提案を、一瞬たりとも迷う様子を見せずに突っぱねる織乃。

「あのさ、織乃」

 そんな織乃をじっと見て、水樹が呼びかける。

「なに?」

「あたし、織乃のことは見張ってなくても大丈夫?」

 笑顔で言った水樹に、織乃は肩をすくめて答える。

「大丈夫よ。私も今日は、ゆっくり休むつもりよ。今日は、ね」

「むう……最後の一言、凄く気になるんだけど」

「気にする必要はないわ。それより水樹、今日は緑の監視に集中しなさい。二人きりでいれば彼も無茶はしないでしょう」

 織乃の言葉を受けて、水樹は短いツインテールをぴょこんと揺らす。

「ちょっと織乃、意識させないでよ」

「それは緑に? それともあなたに?」

 織乃の質問に水樹は無言で答えた。織乃はそんな彼女を横目に見るだけで、黙って最後のプリン一口を口に運ぶ。

「甘いわね。二人にも甘い展開はあるのかしら」

「ちょ、織乃ー」

「織乃自身は興味ないのかな?」

「三角関係は面倒ね。それ以外なら別に構わないわ。そういう気持ちが芽生えればね」

「はいはい、そういう話はおしまい!」

 話を盛り上げようとする織乃の様子に、水樹が強引に話を終わらせる。織乃も飽きたのか、席を立って食器を片付け始めた。彼女に続いて緑と水樹も食器を片付ける。施設で受けられる家事のサポートには、食器洗いはあっても食器の片付けはないのである。

「じゃ、私は中にいるから、二人は外でごゆっくり」

「そんなこと言って、こっそり訓練しちゃ駄目だよ織乃」

 エントランスで二人を見送る織乃。彼女の目をじっと見て、水樹が忠告する。

「わかってるわ。ああ、でも、途中で飽きて外に出かけて、偶然二人を見かけることもあるかもしれないけど、邪魔はしないで観察するから安心して水樹」

「何の話?」

 微笑みながら口にされた水樹の質問には答えず、織乃はもう一人に問う。

「緑は気にする?」

「何の話かな?」

「わからない?」

「断定はできないね」

「それは……そうね、私にも断定はできないわ」

「むう。織乃、今日はやたらと攻めるね。あたしは別に……ま、それで気が紛れるなら少しくらい我慢するけど」

「何の話かしら?」

「何の話だろうね?」

 軽い調子で質問に質問を返す二人。緑は小さく肩をすくめてから、さっさと施設の外へ向かうことにした。それに気付いた水樹が慌てて彼を追いかけ、織乃は小さく手を振って二人を見送る。エントランスの扉は自動ドア。大きく頑丈な一枚扉で、影の欠片に反応する特別製だが、基本的な仕組みは従来のものと変わらない。

 一人残された織乃が黙って閉じる扉を見ていると、背後のモニターから声が聞こえた。

「織乃ちゃんはいいんですか?」

「見てたの?」

 モニター越しに聞こえる声に、彼女は振り返らずに尋ねる。

「はい。施設のモニターはこちらからも操作できるんですよ」

「でしょうね。……まさかとは思うけど」

 彼女に声をかけるため、モニターを起動したのは睡蓮本人。それだけで状況を理解するには十分だ。最新鋭のモニター、音もなく電磁波も感じさせず起動することも可能である。

「もちろん。でも、こちらから起動するのは緊急時だけですよ」

「私たちの色恋沙汰を覗くのは緊急なの?」

「色恋沙汰だけでしたら、違いますね」

「どういうこと?」

「それは、ふふ。織乃ちゃんが一番わかってるんじゃないですか? それより、そろそろこっちを見て話してくれません? 寂しいですよ」

 織乃は眉をぴくりと動かす。しかし表情は大きく変えずに、冷たい声で返事をした。

「……お断りよ」

 振り返ることなく、少しの間を置いてから。

「残念です。でも、みなさんだけで難しいようなら、いつでも私を頼りにしてください。それが私の役目ですから」

「心配無用よ。この問題を解決するのは、私一人で十分だから」

 表情を変えないまま、織乃が言った。後ろから声が聞こえてくることはなく、彼女は部屋に戻ろうと振り返る。話が終わりほっとした表情を見せる彼女を、モニター越しに見ているのは微笑む睡蓮。

 織乃は無言でモニターの隣にあるパネルを操作し、素早く画面を消してから廊下を歩いていった。

 施設の外に出た緑と水樹の二人は、林を抜けた先の小さな湖にいた。前の休日も訪れた湖だが、あのときは三人で今は二人。人数も変われば雰囲気も少し変わる。

「二人きりで外に出るの、初めてだよね。なんか変な感じ」

「訓練は三人一緒だからね。でも、水樹と織乃は夜に二人で会うことも多いんじゃないか?」

「隣同士だし、確かに緑よりは多いけど……あたしは普段より意識しちゃうねって話をしてるんだよ」

 湖の周囲をゆっくり歩きながら、二人は並んで会話をする。ここまでも短い会話をすることはあったが、長い話はこれが始めて。理由はもちろん、水樹の口にした言葉にある。

「ふむ。勝手に訓練しないよう監視されてる身としては共感できないけど、理解はできるよ。いつもは睡蓮さんがからかうし、今朝は織乃まで」

「あー、それだけじゃないんだけど……特に深い理由はないから話さなくてもいい?」

「話したくないなら」

 そう緑が答えたところで、会話が一旦途切れる。湖の周囲を三分の一くらい進んだ頃、再び口を開いたのは緑だった。

「こういうときは、やっぱり聞いた方がよかったかな?」

「え、あたしは気にしないよ? 初めて会ったときに緑のこと、ちょっと格好いいなって思っただけだから」

「一目惚れ未満?」

「そんなところ」

「だったら俺も水樹のことは可愛いと思ったよ」

「……へえ」

 水樹が歩く速度を緩めて立ち止まる。

「どうした?」

 緑も同じく足を止めて、もう一人の少女に問いかける。彼女は答えると同時に、再びゆっくりと歩き出した。もちろん緑もすぐに彼女の後を追う。

「織乃のことは?」

「綺麗な女の子かな」

「睡蓮さんは?」

「……意外と子供?」

「ふむふむ」

 矢継ぎ早にされる質問に、緑は冷静に答えていく。再び少しの沈黙があって、湖も半分くらいまで進んだ頃。今度口を開いたのは水樹だった。

「緑はもう少し女心を考えましょう」

「え?」

「あたしに可愛いって言っておきながら、あたしの目の前で他の女の子を褒めるなんて……緑はもっと女心を考えましょう」

「いや聞いたのは水樹だよね?」

「そだよ。答えたのは緑だよ」

「それに、最初に勝手に言い出したのも水樹だよね」

「照れた?」

「少し。でもそれよりも……」

 緑はほんの少しだけ足を速めて、僅かに水樹より前を歩く。

「格好いいって言われると、妹のことを思い出すね」

「妹……茜ちゃんだっけ?」

 緑が声のトーンを変えてきたので、水樹も彼に合わせてトーンを落ち着かせる。

「ああ、妹にもよく言われてたからさ」

「そうなんだ。でも異性と妹じゃ格好いいの意味が……はっ!」

 わざとらしく大きな声を出した水樹に、緑は怪訝そうに振り向く。

「そっか。だから緑は妹のことで話を逸らして……そうだよね、影に襲われて二人きり。そして二人とも影の欠片と融合した……なら、そうなるのも当然だよね」

「ちなみに妹は影が来る前からそうだったよ」

「じゃあ生まれつきだ」

 緑が何も言わずにいると、水樹がすぐに言葉を続けてきた。

「ところで緑、大事な質問があります」

「なにかな?」

「愛する妹の茜ちゃんに、『大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるの!』みたいなことを言われた回数は?」

「回数?」

「あ、大体でいいよ」

「ゼロだね」

「……ん?」

「ゼロ。一回も言われた記憶はないかな」

「幼馴染みっていた? 女の子」

「馴染みってほど親しいのはいなかったよ」

 質問の意図がわからないながらも、緑は質問に答えていった。

「ふーん。緑、あたし大きくなったら緑のお嫁さんになるの! 責任、とってよね?」

「スルーしていいか?」

「どうぞ」

 どこから突っ込んでいいのかわからず、緑が素直に口にした言葉を即座に認める水樹。そのまま二人はそれ以上の会話をすることなく、気が付けば湖のほとりを一周していた。

 一周したことに気付いた二人は微笑み合い、あえて言葉で確認するまでもなく施設へ帰っていくのだった。

 その日の夜。二人の様子はいつもと変わらず、織乃も何があったのかは尋ねない。三人でいつものように食事を終えて、エントランスを抜けてそれぞれの自室へ向かう。モニターから睡蓮の声が響いたのは、彼らがエントランスを横切ろうとしたそのときだった。


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