カゲカケラ

第七話 目に映る静寂


「みなさん、今日はゆっくり休めましたか?」

 聞こえて来たのは呑気な声。しかし表情は真剣そのもので、笑みも普段より少しだけ薄い。

「用件は?」

 単刀直入に織乃が聞いた。

「緊急事態……ではないですけど、支援部隊より報告です。三十分後、影の兵士がこの島に上陸します。数は三体、実力は最高クラス。動きから察するに、明らかに何者かの命令を受けて動いているのは間違いない、だそうですよ」

「俺には緊急事態に思えるんだけど」

 緑の言葉に、睡蓮はいつもの微笑みを返す。

「ふふ、そうですよね。でも彼女によると、みなさんを攻めるような様子は見られないそうです。少なくとも、今夜は問題ないですね」

「影も夜は得意じゃないってこと?」

「影は影であって、暗闇ではないですからね。ただ、夜が明けたらすぐに動き出す可能性は高いので、みなさん明日に備えて十分に睡眠をとってください。動きがあれば私が起こしますから、寝坊の心配はないですよ」

 水樹の質問に答えつつ、睡蓮は笑顔を見せる。

「そう。徹夜?」

「いえ、動きがあれば私の部屋に連絡が来るだけですよ?」

「睡蓮さんが寝坊したらおしまいね」

「織乃ちゃん、信頼してくれませんか?」

「そうね。緑と水樹が信頼するなら、私も信頼してあげるわ」

 視線を向けられて、緑と水樹は少し考える仕草を見せてから答えた。

「睡蓮さんのサポートは問題ないですし、支援部隊の人も頼りになる。だから俺は信頼するよ」

「あたしも緑と同じだよ。織乃、いい?」

「二人がそう言うなら。睡蓮さん、よろしくね」

「お任せください。ふふ、緑くん。頼りになるお姉さんに惚れちゃ駄目ですよ?」

「そうですね。支援部隊の人は本当に頼りになります。でも、いきなり惚れたりはしませんよ」

「……むー」

「あはは、睡蓮さんの負けだね」

 ふくれっ面で不満を隠そうともしない睡蓮に、水樹は笑顔を見せる。緑もそれに引っ張られるように微笑んで、織乃はそんな彼らの様子に小さく肩をすくめて、おやすみの挨拶をしてさっさと部屋に戻っていった。緑と水樹も数十秒後には彼女に続いて、モニターの前から離れていった。明日の戦いに備えて英気を養うために。

 夜も更け、日付けが変わる頃。部屋で休んでいた緑は、ふと目を覚ました。偶然ではなく、何かを感じて。それが何かに気付くのに長い時間は要らなかった。

 暗い部屋にぼんやりと光るもの。部屋のモニターが起動していた。彼の手によるものではなく、自動でもないとすれば、残る可能性は一つしかない。

「……ええと、睡蓮さん……?」

 寝ぼけた顔で、モニターに映る女性の名を呼ぶ。

「おはようございます」

「おはよう……って、夜ですよねまだ?」

 窓の外に広がるのは暗闇と、高く昇った月。星も輝いていて、どう見ても夜だ。意識もはっきりしてきたから間違いはないと、緑は確認する。

「ですよね。でも、緊急事態なんですよ」

「……敵が動いた?」

 彼女の言葉から状況を何となく理解し、念のために緑は尋ねる。

「上陸した、という点では確かにそうですね。ただ、動いたのは敵ではなくて……」

「睡蓮さん、水樹は?」

 最後まで言われずとも状況を完璧に察した緑は、施設にいるはずのもう一人の少女の状況を尋ねる。

「起こしましたよ。緑くんより先に。多分そろそろ……」

「緑ー! 準備、急いで!」

 そのとき、彼の部屋の扉を開けて水樹が入ってきた。服装もパジャマのような寝巻きではなく、外出用のいつもの服装である。閉めたはずの鍵が開いていることに、緑はモニター越しの女性を見る。彼女が見せた微笑みに、返すのは呆れ顔。

「睡蓮さん、そんなこともできたんですね」

「緊急用ですよ。本来は、若い少年少女の乱れを防ぐためなんですけど……」

「いいから緑、準備して! 急がないと!」

「そうだね。扉、閉めてくれるかな?」

「あたしは気にしないから!」

「私も気にしませんよ」

「モニターも消してください」

 不満そうな顔を見せながらも引き下がった二人にやや呆れながらも、緑は手早く着替えを済ませて外出の準備を整える。二人より先に施設の外へ向かった、もう一人の少女――剣峰織乃を追いかけるために。

 エントランスに集まった二人に、睡蓮はモニターに地図を表示して、現在の影の兵士の位置を伝える。三体の影の兵士は分散することなく、一箇所に集まっていた。

「場所は島の外れ、端の方にある岬です。逃げ場はないですが、かといって……」

「一人で戦うには、危険ですね」

「うん。織乃は?」

「だいぶ接近しています。おそらく、交戦は間もなくでしょう」

 島にある影の兵士を察知する設備は、影を察知するもの。影の欠片と融合した彼らの影も察知するのは簡単だ。

「それじゃ、行ってきます睡蓮さん」

「あ、待ってください!」

 並んで外へ向かおうとした二人を、睡蓮が慌てて止める。

「他にも重要なことが?」

 素早く緑が尋ねる。

「いえ、その……こほん」

 足を止めた二人に怪訝な視線を向けられて、睡蓮はわざとらしく咳払いをしてから言った。

「伏木緑、桜野水樹の両名に命じます。目的は剣峰織乃の救出。必ず成功させて――」

 彼女の言葉を最後まで聞くことなく、緑はモニターの前を離れて歩き出した。水樹も微笑みながら、彼を追いかけるように早足で動く。

「あ、待って、一度やってみたくて……みなさん、無事に帰って来てくださいね!」

 最後の一言に、緑は片手をあげて返事をする。水樹は小さく振り返り、微かに頷く。前を向いた二人の顔には、柔らかな笑みが浮かんでいた。

 織乃は一人で夜の島を駆けていた。目的地は影の兵士が三体上陸した、島の外れにある岬。睡蓮から上陸したとの知らせを受けた彼女は、すぐに動き出していた。本来は彼女の〈目〉で確認するつもりだったが、こっそり彼女の様子を確かめていた睡蓮に見抜かれて、妥協した結果である。

(三体……緑たちが来る前に、急がないと)

 織乃は欠片の力を抑えつつ、僅かに使って可能な限りの速度を出す。施設から岬までは距離もあり、水樹が翼で緑を抱えてくるのは難しいが、目前となった短距離なら問題ない。

 二人が到着する前に、一人で三体の影の兵士を倒す。そのために、織乃は駆けていた。そして彼女が岬に着いたとき、三体の影の兵士はやや刃こぼれした剣を手にばらばらに立っていた。陣形こそ組んでいないものの、隙のない構え。織乃が移動に使った影の力は僅かだが、この距離なら察知されるのは当然で、彼女もそれを理解している。

 鋭い漆黒の剣を右手に、左手には鋭く小さな漆黒の短剣を。相手の数は三体。一人で相手をするには補助用の武器――飛び道具もあった方が有利に戦える。

 一番左にいる影の兵士に短剣を投げて牽制し、残りの二体に向けて駆ける。それを視認すると同時に方向を変えて、織乃が狙うのは短剣を投げた影の兵士。彼女の〈目〉と鍛えた身体能力があってこそできる、高速の動き。

「はっ!」

 すれ違いざまに斬りかかり、左の影の兵士に一撃。そのままの勢いで奥の二体に突撃し、再び生み出した短剣を投げつけて大きく跳躍。頭上を飛び越え反転し、岬の奥から三体の影の兵士を視界に入れる。

 斬られた影の兵士も少しは動きを止めたものの、彼女一人の一撃では倒せない。

(効いてる……少なくとも、あのときよりは)

 影の兵士が自分の包囲に動くまでの時間から、織乃は攻撃が有効であることを確認する。あのとき――初めて影の兵士と戦ったときは、一撃で動きを止めることはできなかった。それも並の実力を持つ影の兵士に。しかし今は、それより強い、影の兵士としては最も強い者に攻撃が通じている。

 三人での融和の訓練により、一人一人の影の欠片との融合も強化され、実力が向上していることを把握するには十分な反応だった。

 影の兵士三体の包囲が完成する直前に、織乃は片手の剣だけで彼らの間を駆け抜ける。逃げ場のない岬だが、三体で完璧に包囲できるほど狭くもない。

 彼女を追いかけるように一体の影の兵士が動く。動きは速く、織乃は振り下ろされた剣を受け止めつつも、もう一方の手に生み出した鋭く長い小剣を突き立てる。ひるんだ隙に飛び退いて離脱しながら、影の兵士が突き立てられた小剣を影の干渉で砕け散らせるのを確認。

 織乃の攻撃は効いている。この調子で何度も攻撃を当てれば、倒せる相手。そう、目の前にいる影の兵士が――一体であれば。

 左右から回り込んでいた二体の影の兵士の連撃に、織乃は防戦一方になる。その間にもう一体の影の兵士も動き出し、彼女の逃げ道を塞ぐように防御の構えをとっていた。

 一撃離脱の戦法も、守りに入られては続かない。速度に圧倒的な差がない限りは。

「だったら、正面から倒してあげるわ!」

 織乃は大きな声で挑発し、剣を影の兵士に向けて笑顔を見せる。

 しかし、三体の影の兵士は挑発に乗ることなく、三対一という数の利を活かした陣形を崩すことはない。何度も斬られれば耐えられない。織乃の攻撃力を理解しての、堅実かつ隙のない戦法だった。

「前の二体より頭が働くみたいね! でも、そんな浅知恵がどこまで通用するかしら!」

 再びの挑発にも、影の兵士は作戦を変えない。三体の実力は前の二体よりは高いが、頭脳が特別に優れているわけではない。織乃の言葉通り、彼らの働かせている知恵は浅い。だが、それでも苦戦するほど織乃の挑んだ戦いは無謀なものであった。

「この……でも、私はやらなきゃいけないの。復讐のため、私はもっと強く――力を得なくちゃいけない。私――一人で!」

 右手に握る漆黒の剣。それをさらに鋭利に、強固に、欠片の力を注ぎこむ。三体の動きを目で捉え、全ての敵を切り伏せる道を探し、織乃は一直線に駆け抜けた。

「はあっ!」

 掛け声とともに、目の前の影の兵士に一撃を。

「せいっ! やっ!」

 さらにもう一体、最後の一体は剣で防がれたものの、それを弾いて強引にもう一撃。

「私は……強く、強くならないと……」

 再び岬の端で。織乃は振り返り、影の兵士の様子を確かめる。彼女の全力を――戦いの中で引き上げた、全力以上の一撃を――その身に受けた影の兵士は、影を薄れさせていた。その手には剣を握り、構え、織乃を包囲するようにしたまま。

「足り、ない……」

(今の私じゃ、足りない……やっぱり、無理なの……?)

 最初の一言だけを言葉に。残りは心の中で。大きなダメージを受けながらも、倒れる気配を見せない影の兵士を前に、織乃は剣を強く握り締める。欠片の力を一気に注ぎ、鋭くなった剣は既に元に戻っている。あれほどの強化を常に行う実力は、今の彼女にはなかった。

「織乃!」

「大丈夫ー!」

「……ふう」

 空から聞こえて来た二人の声に、織乃は大きく息をつく。白い翼で空を飛ぶ水樹に、お姫様抱っこで抱えられる緑。二人が近づいていたことには、影の兵士を確認するときに気付いていた。当然だ。二人が近づいてきていなければ、影の兵士は岬の端にいる織乃を放置するはずがない。振り返る前に、強力な反撃を加えていたことだろう。

 彼らが到着する前に、一人で全てを倒すための最後の一撃。しかし、それは届かなかった。

「二人とも、何しに来たの?」

 影の兵士の後ろに着地した二人に、織乃が言った。挟み撃ちにされる形になった三体の影の兵士。数は互角の三対三。影の兵士側から積極的に動くのは愚策である。

「何しにって、そんなの決まってるじゃない」

「私は一人で倒しに来たの。邪魔しないで」

「本当に倒せるなら、邪魔はしないんだけどね」

 緑の言葉には、織乃も言葉を返せない。代わりに、緑が言葉を続ける。

「織乃。俺たちはみんな、違う状況で影に襲われた。だから、君の気持ちがわかるとは言わないけどさ、焦って一人で突っ走る前に、一緒に考えるくらいはできたと思う。もう少し、俺たちのことを頼りにしてほしいね。特に、俺は新たな英雄になる特別なんだから」

「……口説き?」

「え、いや、そんなつもりは」

「あはは、最後に自分だけを強調するんだもん。あたしだって一緒なんだからね」

 慌てる緑に、呑気に微笑む水樹。いつもの二人の姿を見て、織乃は苦笑する。

「じゃ、頼りにさせてもらうわ。私が倒される前に、さっさとやっつけちゃってくれる?」

「了解」

「任せて!」

 彼らが話している間にも三体の影の兵士は動き出していた。狙いは当然、岬の端で孤立している織乃。挟み撃ちされているとはいえ、一人は退路のない場所にいる。その一人を三体がかりで一気に倒せば、挟み撃ちの状況も打破し、数の利も得られる。

「確かに、今の私じゃ一人であなたたちを倒せない。でもね、守るだけなら簡単なの。甘く見ないでもらえる?」

 織乃は欠片の力を剣には注がず、全てを〈目〉に注いで守りに徹する。稼ぐ時間は短くてもいい。彼女が倒しきれなかった三体の影の兵士。けれど、影ははっきりと薄れている。そこから推定される影の兵士の残り体力、そして緑と水樹の融和による攻撃力。その二つを計算すれば、勝負が決するまでの時間は容易に算出できる。

「このままいくね!」

「ああ、準備は万全だ!」

 白い〈翼〉が烈風を巻き起こし、全てを切り刻む〈特別〉な風が背後から三体の影の兵士を襲う。同じく風の通り道にいる織乃には当たらない絶妙な加減で、強烈な風が岬を抜けていった。風が去ったとき、岬の端に立っていたのは織乃だけ。影の兵士は烈風に耐え切れず、風の中で影を薄れさせて消えていた。

「さすがね」

「はは、織乃が先に削ってくれたからね」

「そうね。削るしかできなかったのは悔しいけど」

 影の兵士の消えた岬を眺めて、織乃は嘆息を漏らす。

「……その、ありがとう」

 それからしっかりと二人の顔を見て、織乃は微笑んで感謝の言葉を口にした。

「素直な織乃だね」

 水樹が優しい声で言った。

「私はいつも素直なつもりだけど?」

 小さく肩をすくめて、苦笑しながら織乃が返す。

「じゃあ、今度は素直に相談してくれるかな?」

「わかってるわ。焦ってやった結果がこれだもの。二度とこんなことはしない」

 疲れた顔で、それでもしっかり決意の色を瞳に混ぜて、織乃は宣言した。

「ふふ、かわいい織乃だね。緑もそう思うでしょ?」

「そうだね。否定はしないよ」

「……やっぱり口説き?」

「口説かさせないでくれるかな?」

「えー、誘導に乗ったのは緑でしょ」

 三人は微笑み合って、気楽に会話を楽しむ。風が吹いて、織乃の髪を揺らす。セミロングストレートのさらさらした綺麗な髪。水樹の髪も揺れたが、絵になるのは織乃だ。

「夜風が気持ちいいわね」

「ああ。でも、明日も訓練がある」

「うん。帰ろっか?」

 三人が並んで施設への道を歩き始めて間もなく、彼らが戦っていた岬の端に影が差した。背後に現れた影の気配に彼らが気付くより早く、青い影は手にした槍を振るう。

 大きく突き出された長い槍の先、鋭く細い水の槍が一直線に伸び――貫いた。三人の中心にいた、緑の背中を。

「ぐぅ……くっ」

「緑!」

「槍の――影!」

 咄嗟に翼で包んで緑を守る水樹に、漆黒の剣を構えて影を睨みつける織乃。

「我が精鋭をいとも簡単に破るか。それも、焦りによって少女が突出した上で。少年少女よ、その成長は認めよう。それゆえに、ここで危険を排除させてもらう」

 槍を構えて、威厳のある声を発する影。

「やる気なら、相手をするわよ?」

 織乃は一歩前に出て、緑たちをかばうように影と対峙する。槍の影は微かに、本当に微かな笑みを浮かべると、音もなく槍を収めた。鋭く輝く手入れされた白銀の槍は、青い影となって体に溶け込むように消えていく。

「勇ましいな、少女よ。だが我は既に目的を達した。その少年――伏木緑は貴様たちの中心であろう」

「名前を……」

「織乃! 緑、早く運ばないと!」

 影による攻撃で出血することはない。しかし、影は世界を呑み込み、人を、物を、自然を、全てを影に染める。影の欠片と融合した三人は影そのものではないが同じ影。かつて助かったように影に呑み込まれることはないが、圧倒的な影に干渉されれば、その干渉は欠片の力だけでなく融合した人の生命にまで及ぶ。

「我は致命傷は与えてはおらぬ。だが、治療をせねば死に至るであろう。剣峰織乃に、桜野水樹――少女たちよ、急ぐがよい。我も兵士を失った。今は見逃そうぞ」

「また、見逃すっていうの?」

 織乃の問いに、槍の影は何も答えない。

「何を考えているのかは知らないけど、まあいいわ。水樹、急ぎましょう」

「うん。ちょっと重いから、織乃も協力してね!」

「ええ」

 織乃は水樹の翼に欠片の力を融和させ、翼を広げた水樹は緑と織乃の二人を抱えて高速で空を駆けていく。またもお姫様抱っこの緑に、後ろから水樹の腰に抱きつく織乃。無防備な彼らを見上げる青い影。影は黙って姿が見えなくなるまで見つめ続けていた。


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