カゲカケラ

第三話 絶海の孤島に少年一人と少女二人


 彼らの暮らす訓練施設から少し離れて、林を抜けると小さな湖に辿り着く。影の侵略を受けることなく、自然の残った美しい島。孤島そのものが訓練施設のようなものであるがゆえに、最低限の管理はされているが、迷わないように林道が整備されているくらいだ。

「ところで、そろそろ教えてくれない?」

「ふふん。あたしの秘密の荷物、やっぱり気になる?」

「そうね。大体予想はつくけど、あなたのセンスは気になるわ」

 林道を歩く三人。先頭を歩くのは緑で、やや遅れて水樹と織乃が続く。その中でただ一人、水樹だけがやや大きな荷物を持って歩いていた。

「ここに来るときの荷物にはなかったんだけどね、昨日部屋でこっそり睡蓮さんに聞いたら、施設に用意してあるって言われてさ。ほんと、準備がいいよね」

「つまり、彼女とあなたのセンスってわけね」

「ふふ。さて、中身は一体なんでしょう? ヒントあげよっか」

「いいから、どんな水着を持ってきたの?」

「緑ー、織乃がすぐに答え言っちゃったよー」

「そんなことより、二人とも少し早く歩いてくれないか?」

 緑と後方を歩く二人の距離は、話している間にやや開いていた。織乃が頷いて少し足を早めたのを見て、追いかけるように慌てて水樹が駆け出す。

「ま、見てのお楽しみってことで。緑もその方が楽しみでしょ?」

 そのまま織乃と緑を追い抜いて、先頭に立った水樹が振り返って笑顔を見せる。

「俺のがどんな水着なのか、ちょっとだけ心配なんだけどね」

「あ、緑のはそこそこ面積の小さいスポーティーなやつにしといたよ。ちなみにサイズは睡蓮さんから聞いたから、間違ってないと思う」

「詳しいな、あの人」

「身体情報だから、当然の知識ね。……で、緑のを聞いたってことは、もしかして」

 視線で尋ねられた水樹は、織乃の胸にちらりと目を向けてから、視線をあげて軽い調子で確認する。

「Bであってる?」

「そうね。まさか堂々と言われるとは思ってなかったけど」

「織乃だけじゃ不公平だよね。あたしはDだから、これで公平だね」

「そういう問題じゃない」

「ちなみに、睡蓮さんはちょうどあたしと織乃の間だってさ」

「その情報、要るの?」

「あ、これは睡蓮さんに、緑くんが気になるだろうから、ついでに伝えておいてって言われただけだから」

「じゃあ、最初のはあたなの独断ってことね」

「二人とも、俺を挟んでそういう会話、やめてくれないかな。どうしていいかわからない」

 やや気まずそうに、緑が口を開く。それを待っていたかのように、水樹の視線は緑へと向いて、質問も彼に向けられた。

「緑は大きいのと小さいの、どっちが好き? 仲良くなるためには好みを知ることも大事ですよって、睡蓮さんの助言を実行!」

「それより緑、湖まではまだかかる?」

「ああ。地図を見た限りだと、あと五分程度は歩きそうかな?」

「そう。それじゃ、答えてもらえる?」

「あれ。織乃が味方をするとは思わなかったよ」

「恥じらいは公平に。知られた以上、ごまかして逃げられるとは思わないで」

「あたしは水着になってからの判断でもいいけど、どうする?」

 ため息一つ、観念したように緑は漏らした。水着姿の女の子二人に、並んで尋ねられるよりは恥ずかしくないかと、緑は質問に答える覚悟を決めた。

「『程よい大きさが一番』って答えには、罠が待ってるよね」

「睡蓮さん大喜びだね」

「なるほど、上手い質問ね」

「なお、『好きになった女の子のものなら大きさは気にしないよ』って答えたら、追加質問が待ってるよ?」

「それは、答えられた方も困るわね」

「答える方も凄く答えにくいね」

 追加質問の内容は聞かなくてもわかる。前方の楽しそうな年上の女の子と、後方から無言の圧力をかけてくる年下の女の子。二人に挟まれて、緑は質問に対する答えを口にする。

「妹くらいの大きさが一番だよ。どれくらいに成長してるかわからないけど、大事な妹だ。大きくても小さくても一番にしてあげたい」

「逃げたわね」

「緑……茜ちゃんはAだから、小さい方が好きってことでいい?」

「ちょっと待て、なんで茜のサイズまで……いや、情報源はわかってるけど」

「ふふん。これでもあたし、年上だからね。ちょっと考えたくらいで逃げ道が見つかるような、甘い質問はしないよ」

「やるわね。ええと、そろそろ着くけど続ける? 貧乳好きのシスコンお兄ちゃん」

「成長込みだからね」

「Aの上はBね。緑、わかってると思うけど、水着は薄いから」

「なになに、織乃が透視しちゃうぞって話?」

「し、しないから!」

 織乃が慌てて否定したところで、三人は目的地の小さな湖に到着した。澄んだ水、綺麗な湖面にやや見とれてから、男女に分かれて離れたところで着替えを開始。数分後、三人は再び湖のほとりに戻ってきた。

 事前に教えられた水着を着用した緑に、少し遅れて二人が合流。明るい爽やかな色のビキニ水着を着けた水樹、クールな色でシャープなラインが特徴的な水着を着けた織乃。

「着替え完了! 水着なんて久しぶりだねー」

「そうね。訓練施設に入る前だから、相当なものよ」

「さすがに、プールや海には行けなかったからね」

 第一訓練施設は個人訓練の施設。日本各地に存在し、同じ施設でも訓練に臨む者同士の交流はない。特に禁止されているわけではないが、それぞれの訓練場所は適度に離されており、移動中に見かけることさえも滅多にないように作られている。共用の設備もあるが、基本的に施設を維持管理する人たちが使用するものだ。

「海、あったの?」

 織乃が聞いた。

「ああ、窓から見えた。崖下だから、行けたとしても泳ぐのは難しそうだったけどね」

「そう。私のところは、雪が見えたわ。山の中だったみたいね」

「あたしも山だったけど、木ばっかりで雪はなかったなあ。低い山だったし」

 それぞれの思い出を語り、改めて別々の場所から集められたことを実感する。といっても浸るような思い出ではないので、水樹が動き出したのは一秒後のことだった。

「とりあえず、泳いでみる?」

 湖の傍で立ち止まり、顔だけ振り向けて尋ねる水樹。

「泳げるのか?」

 問いかける緑に、水樹は湖に背を向けて反転し、胸を張って答える。

「十歳だったからね。浮き輪を作れば簡単簡単」

「それ、泳げるとは言わないわ」

「織乃はどう? 緑は、やっぱり泳げない?」

「水遊びはしたことあるよ。でも、練習したことはないからね」

「私は一応。泳いで戦うことはないと思うけど、念のためにね」

「それじゃ、緑と私が浮き輪を作れば大丈夫だね。干渉して溺れそうになったら、よろしく織乃!」

 元気に指名された織乃は、呆れた顔で返事をする。

「私、救助ができるとは言ってないわよ」

「やっぱり無理?」

「まあ、あなたが翼を使えるようになるまで、支えるくらいはしてあげるけど」

「じゃあそれで。いっぱい浮かんで楽しむよ!」

「ちょっと怖いけど、ま、やってみるかな」

 素早く浮き輪を作って湖に飛び込んだ水樹。彼女を追って、緑も浮き輪を作って湖に。並ぶように入った織乃は浮き輪なしに――影の欠片の力を使わずに水に浮いているので、干渉して消える心配はない。

 水樹の作った可愛らしい浮き輪と、緑の作った簡素な浮き輪。二つはだいぶ近くまで接近したが、干渉し合って消えることはなかった。

「どうやら、その程度なら大丈夫みたいね」

「うん。とりあえず、対岸まで競争する?」

「対岸って、小さいけど結構あるよね?」

「別にいいけど、手加減はしないから」

 そして、湖に入った三人は自由に遊び始めた。最初の競争の結果は、勝者なし。浮き輪より生身の織乃の方が速く、それに勝とうと水樹が翼を広げたところで、緑の浮き輪が消滅。当然ながら翼も消えて水樹は水面に落ち、呆れた織乃が戻ってきて……。

 そんなこともあってか、水着を着た三人が湖に入ったのは最初だけで、ほとんどの時間を湖から流れる浅い川の周辺で過ごすことになるのだった。

 小さな湖の周辺で十分に楽しんだ彼らは、近くの草むらに寝転がって休憩していた。丁寧に揃えられた芝は柔らかく、日向ぼっこにも心地好い。

「ふう……楽しいね、二人とも」

「こうやって誰かと遊ぶなんて、久々だもんね」

「否定はしないわ。でも、本当にこんなことで……ま、今はやめておくわ」

「あとは、どさくさ紛れに緑が何かをするのを待つだけだね」

「待っても何もしないよ」

「織乃ー」

「やるなら自分でやりなさい」

「えー」

 寝転がったまま、空を見上げて会話する三人。右に水樹、左に織乃。女の子二人に挟まれている緑は、水樹が何かしたら逃げにくい位置にいる。ただ、水樹も今のところは本気で何かをする気はなさそうなので、芝生の上で彼らはのんびりと時間を過ごしていた。

 今日一日の訓練休暇。夕方に帰ればいいので、まだまだ時間は残っている。けれど広い島を探索するには時間が足りない。かといって、湖のほとりでずっと過ごすのも飽きてくる。

「ねえ、織乃」

「やらないからね」

「うん。そうじゃなくてさ、織乃にとって復讐って何?」

「……ん」

 唐突な話題転換に、織乃はやや黙ってしまう。しかし、考える時間は必要なかった。

「言葉の通りよ。復讐は復讐。それ以外の意味はないわ」

「そっか」

「全てを奪った影は私の敵。あなたたちも、それは同じだと思うけど」

「うん。それは否定しないよ。話しあって仲良くできる相手じゃないもんね」

「俺は完全には同じじゃないかな。影に襲われて、失くしたものは多いけど……大事な妹がいたから」

「そうね。確かに、緑とは結構違うと思う。十年前と、七年前。その違いだって大きいわ」

「七年前……何かあったのか?」

「何もないわ。そう、何もなかったのよ。だからこそ、みんな油断してた。私も含めて、みんながね。影が現れて三年。私の住んでいた街も、近くの街も影に侵略されることはなかった。大都市が襲われて、世界中で影の脅威は広がっていたけど、私の周囲は平和だった。だから、誰もがどこか他人事のように思っていた。英雄の話も聞かなくなって、希望なんてもうなかったというのにね」

 織乃は淡々と語り出す。思い出に浸るでもなく、ただ事実を淡々と述べるだけ。

「そしてその平和は、一瞬で消えた。恐怖を感じる暇もなく、影は全てを奪っていった。水樹なら、少しはわかるかしら?」

「あたしも九年前だから、ちょっとはわかるかな。その頃は英雄の話もまだ聞けたし、他人事の意味も違っていたけど」

「ま、そういうことよ。私の復讐は、影に対する恨みだけじゃない。影に対して甘い考えを抱いていた私を、私が許せないだけ」

「自分を許せない、か。初めの頃に襲われた俺にはよくわからないな」

「別に、わかってもらわなくてもいいわ。ただ、話した方が壁は薄くなるかなと思っただけ。そうしないと、影を倒せないから」

「俺も代わりに何か話したいところだけど、あいにく背負ってるものは妹くらいだからね」

「や、それを言ったら私なんて、何も背負ってないよ? 織乃よりちょっと重いものは持ってるけど」

「そうね。……その、明日が楽しみね」

 空を見上げたまま、呟くように織乃が言った。

「今日、じゃなくてか?」

 確かめるように、緑が尋ねる。

「今日はお休みでしょ? せっかくだから、とことん遊びましょう」

 織乃は二人の方に顔を向けて、優しく微笑んでみせた。緑は半身を起こして笑顔を返し、水樹はすっくと立ち上がり、大きな笑顔で二人を見下ろす。そして元気な声で、言った。

「それじゃ、遊び再開! どさくさ紛れ!」

「何もしないよ」

「何もしないでね」

 その後、どさくさ紛れに何かが起こることはなく、それでも三人は存分に、初めての休日を楽しんだ。夕方、帰還の報告を受けた睡蓮は、彼らの表情を見て笑みを見せたものの、どさくさ紛れに何も起こらなかったことに落胆の色も見せていた。


第四話へ
第二話へ

カゲカケラ目次へ
夕暮れの冷風トップへ