飛都国

ウガモコモ篇


   リバーサイドの修行 その三

「今日は模擬戦を行う予定だ」

 リバーサイドカフェ川澄。今日も修行を続けるシララスに、開口一番ヒミリクが告げた。

「模擬戦ですか? 相手は?」

「ふむ……そこで私の名を出さないあたり、実力は理解しているようだな」

「はい。師匠が相手なら、いつもの修行です」

 模擬戦と言うからには、対等な条件での戦いが求められるはずだ。それを今、シララスがヒミリクとやったとしたら、先日のヒミリクとチカヒミの一般将との戦いのように……いや、それよりもっと簡単に、シララスは負けるだろう。何しろ、模擬戦は一対一なのだから。

「シララスは誰だと思う?」

「教えてくれないんですか?」

「教えてもいいが、到着までまだ時間があるのでな。暇潰しに考えてみるといい」

 ヒミリクはレアチーズケーキを一口、二口と口に運んでいく。向かい合った席に座るシララスも、同じケーキを一口くわえつつ、模擬戦の相手を考えていた。

 まず思いつくのは、カカミの神代りカザミだが、実力差を考えるとヒミリク同様ありえない。先日のチカヒミとの戦いで、彼女がどれだけ鮮やかな勝利をしたのかは、ヒミリクを通じてシララスの耳にも届いている。

 先日の戦いといえば、活躍したのはもう一人。マコミズの真者、シァリの話も出ていた。ココカゼとマコミズの間にはチカヒミの飛行都市が多くあるため、マコミズの者がココカゼに来るには、カカミを経由する必要がある。他国を経由するのだから、到着までに多少の時間もかかるだろう。

 ただ、彼の実力もヒミリクやカザミに劣らないと、シララスは知っている。戦い方については、自ら先頭に立ち独特な真兵で戦うという話しか知らないが、彼がマコミズにおいてどういう立場なのかは知っている。

 マコミズの真者は、常に先頭に立ち飛行都市国家を束ねる王。彼の両親も同じく真者としてかつては戦い、兄妹を産んで十年が経った頃、二人とも戦いの中に倒れている。

「マコミズの、妹の方ですか?」

 そこまで考えて、シララスは答えを出した。名前も知らないが、確か彼女も兄と同じく力を持つ者――真者だったはずだ。

「ああ、兄妹でやってくるそうだ。一つ歳は離れているが、彼女が真兵を生み出せるようになった時期は、シララスとそう変わらない。君たちが本格的な修行を始める前から、二人に模擬戦をさせようという話は出ていてな。チカヒミの動きもあり、少々予定は遅れたが……」

「先の戦いで準備は整った、ということですね」

 シララスの言葉に、ヒミリクは大きく頷く。そして残りのチーズケーキを口に運んだ。

 遅れてシララスもケーキを食べ終わった頃、川澄の道側の扉が開かれた。

 並んで入ってきたのは二人の兄妹。マスターのレフフスにも並ぶ背の高い兄は、ショートストレート、レモンゴールドの髪に、銀の飾りヘアピンを輝かせる。隣の小さな妹は、セミロング、スノーシルバーの髪を、金の紐リボンでツインテールに纏めている。

「来たようだな。シァリィグラーゼ、挨拶は不要でいいな?」

「無論だ、ヒノミアリアクス。ただ……」

 シァリの視線は振り向いたシララスを捉え、またヒミリクの視線もシァリの隣にいる妹に向けられている。

「シキライラハスク――シララスです」

 その視線の意味を理解し、兄妹に向けてシララスが名を告げる。

「クゥラェリーリットです。クゥラとお呼び下さい、シララスさん」

 深く礼をして、クゥラも名を告げる。彼女もシララス同様、事前に話は聞いている。

「さて、準備はできているな?」

「クゥリット、休憩は必要か?」

 師匠と兄からの言葉に、シララスははっきりと頷き、クゥラはゆっくりと首を振る。元々修行をするためにここへ来た、シララスの準備は最初から万全。カカミを経由したとはいえ、クゥラの移動手段は真橋。数十歩が二回、疲労するような移動距離ではない。

「では、移動するとしよう」

 ヒミリクが先頭に立ち、川澄の川側の扉から四人は川沿いに出る。

「模擬戦に特別なルールはない。二人なら、全力で戦っても問題ないだろう」

 シァリもヒミリクの言葉に頷く。修行の程度から、シララスとクゥラに大きな力の差がないことは事前に確認済みだ。

 シララスが心域を広げ、クゥラもまた真域を広げる。大きく緩やかに流れる川の上に、二人の心域と真域が混ざり合った空間が生み出され、二人は足並みを揃えて、その空間に吸い込まれるように移っていく。

「お願いします、クゥラさん」

「こちらこそお願いします、シララスさん。時に、貴方はシァラーゼお兄様の戦い方はご存知ですか?」

 心域の中で、二人は言葉を交わす。模擬戦を始めるといっても、互いに知らないことも多い二人。ある程度互いの情報を交換してからの方が、質の高い模擬戦が行える。

「話には聞いたことがあるけど……ええと、あります?」

「無理に丁寧にしなくてもいいんですよ?」

「いえ、師匠にも言われているので! 初対面の女の子に、いきなり馴れ馴れしくするのはいけないことだと」

「……はあ」

 シララスがついでに女心も少し学ばされていることを知らないクゥラは、彼の反応に戸惑いながらも話を戻すことにした。

「シァラーゼお兄様は私の憧れです。私もお兄様のように、戦いたいと思います」

「俺も師匠に憧れているから、師匠みたいになりたいと思っています。そうなると……」

「小細工無用。正面から戦えますね」

 二人は微笑み合い、小さく頷いてから距離をとる。そして心兵を先に生み出したのは、シララスだった。クゥラも真兵を生み出そうとしているが、彼女が生み出そうとしているのは兄が操っているような独特な真兵。だが、兄のように瞬時に生み出す力は妹にはなかった。

 クゥラが時間をかけて生み出したのは、長く渦巻く水の槍。それから通常の真兵も生み出していくが、独特な真兵に力を使った分、その数はシララスの心兵より十体ほど少ない。

 とはいえ、シララスの生み出した心兵の数は二百体。これ以上の心兵を生み出すことも可能ではあるが、それほど多くの心兵を戦略的に扱う力は彼にはなかった。

「準備、いいですか?」

「はい。お待たせしてすみません」

 戦いが始まる。先に動いたのは、全ての真兵を率いて前進するクゥラだった。兄のそれと違い、先頭に立つクゥラがほんの少しだけ突出している。が、それを的確に突くのは、シララスの理想とする戦い方ではなかった。

 自身は後方に控えて、シララスも全ての心兵を正面から衝突させる。クゥラの振るう槍の威力に最初は驚いたものの、彼女の操る真兵の動きに比べると、その槍の狙いは甘い。直撃を避けつつ戦うのは難しくなかった。

 水に、火に、風に、地に、互いの心兵と真兵が正面から力をぶつけ合う。

 その様子を外から、喫茶店の窓越しに眺めるヒミリクやシァリは、無言。そのままもう少し二人の戦いを見つめていたが、ふとしたところで視線を逸らした。

「カカミコーヒーを一つもらおう」

「マコミズコーヒーはあるか?」

 ヒミリクとシァリはそのままカウンターに寄り、カウンター越しにウェイトレスのシズスクに声をかける。今日のカチューシャ飾りは、ハートの柔らかクッキー。

「あー、ありますけど残り少ないので、次に飲みたいときは持って来てくれると助かります」

「了解した。量は?」

「ココカゼでは滅多に飲む人はいないので、飲みたいだけでいいですよ」

 心域での戦いはまだ続いている。遠くに見える窓越しに、シズスクは一目そちらを見てから口を開いた。心域は不可視の空間ではないため、見るだけなら誰にでもできる。理解するとなると戦術や心兵の知識も必要になるが、続いていると理解するだけなら簡単だ。

「見てなくていいんですか?」

 その質問は予想されていたもので、二人は驚いた様子もなく答える。

「模擬戦を行うことが今回の目的だ。私たちが最後まで観戦する必要はない」

「見たところ、彼の者と我が妹の実力に大差はない。それがわかれば十分だ」

「ふーん……あ、カカミコーヒーとマコミズコーヒーでしたね。すぐに用意します」

 シズスクはそれ以上の疑問は抱かずに、注文された二杯のコーヒーを用意するためにカウンターの裏に消えていった。

 時間が過ぎて。

 シララスとクゥラの戦いは、間もなく終わりを迎えようとしていた。互いに残った心兵はほんの数体。クゥラの方が数は少ないが、代わりに揺らめく炎の小刀を左手に握っている。

 最後の衝突も正面から。シララスの指揮する心兵の突撃を、クゥラが小刀で払い、さらに続いた心兵から放たれた硬き地の拳も受け止めるが、強烈な風圧によって小刀は折れてしまう。

「この数なら、こっちの勝ちだ!」

 残ったシララスの心兵は三体。対してクゥラの真兵は一体。二体の攻撃と、後方で補助する一体の心兵を、クゥラの真兵は守りを固めて戦うが、倒れるのは時間の問題だ。

「……そう簡単に、負けませんよ」

 だが、クゥラもまだ諦めてはいなかった。守りを固めた心兵の背を駆け、二体の心兵の頭上を飛び越える。そのまま後ろの心兵の頭を踏みつけ、シララスの眼前に迫る。

「格闘か? でも、少しでも時間を稼げば!」

「その前に、一気に決めます!」

 真兵を止めるのは二体の心兵に任せ、残った心兵を振り向かせるシララス。同時に構えて格闘戦の準備をする彼に、クゥラは折れた小刀を両手に握って突進する。

 折れた武器とはいえ、それは特殊な真兵。その力は形を維持する限り、衰えはしない。折れた小刀を持っていたのは最低限の護身用と思っていたシララスは、その行動に意表を突かれるも、心兵が振り向き、強烈な熱風と水流を放てば、その攻撃は防げない。

 突き出された折れた小刀を、シララスは半身で受けて体で止める。回避されると思っていたクゥラもまた、そのシララスの行動に驚愕する。

「そこから振り抜く力は、もう残ってないだろ?」

「そうですね。でも……私の右手は、残ってます!」

 小刀を離し放たれたクゥラの右の拳を、シララスは左の掌で受け止める。体勢からさほど力の入らない一撃ではあったが、折れた小刀を受けたダメージでシララスも力が入らない。

「こっちだって、心兵が……残ってる!」

 拳に押し込まれながらも、後方からシララスの心兵が熱風と水流を同時に放つ。空に逃げれば熱風が、地上を走れば水流が、クゥラを絶対に逃がさない。残る一体の真兵も、シララスの心兵二体の攻撃を耐えるので精一杯だ。

「だったら――」

 クゥラはまだ握ったままの小刀を強く握り、一気に引き抜く。

「こうするだけです!」

 抜いた小刀を放り投げるように消滅させて、抜かれた衝撃でほんの少しバランスを崩したシララスの右腕を、戻した左手で掴む。

「うわっ、っと!」

 そしてそのまま強く、自分の方に右腕を引っ張った。右の拳に左の掌を押し込まれ、左の手に右の腕を引き寄せられ、シララスはクゥラを押し倒すように倒れ込む。

 そして。

 二人の体を激しい水流が襲ったのは、二人が地面に音を立てて倒れた直後のことだった。

「あ、終わったみたいですよ」

「ほう。想像より、少し早かったな。シララスは負けたか?」

「いや、どうやら違うようだ」

 窓越しに付いた決着に、最初に気付いたのはシズスクだった。次いでゆっくりとヒミリクも窓の先を確認し、それより少しだけ早く振り向いたシァリが結果を先に知る。

 心域で同時に倒れた二人は、倒れた姿勢のまま川沿いの砂利に戻されていた。ややあって先に目覚めたのはシララスで、クゥラも僅かな時間で彼に続いて目を覚ます。

「引き分け、だな」

「ええ、何とか」

 二人とも疲れているので、そのままの姿勢で会話をする。

「……と。引き分けですね」

「だから、無理に丁寧にしなくても……」

 慌てて戦いの中で乱れていた言葉遣いを直したシララスに、クゥラは苦笑を浮かべる。

「んー、それよりさー、先に気にすることあるんじゃないの?」

 川に面した扉を開けて、二人を迎えに来たシズスクが声をかける。戦いの余韻に浸っていた二人は、声をかけられてようやくシズスクの存在に気付いた。

「なんでシズスクが? 師匠は?」

「お兄様は中ですか?」

「うん。まだちょっとコーヒーが残ってるから……で、いつまでシララスは女の子を押し倒してるつもり?」

「え? いや、別にこれは」

 むしろ引き倒されたのは俺だ、という弁解をするより先に、シララスはまず立ち上がることにした。戦いの中では意識していなかった、柔らかい女の子の感触を強く意識する前に。

 クゥラも続いて立ち上がり、笑顔で黙ってシララスの顔を見つめる。

「ええと」

 その表情の意味を量りかねたシララスは、黙ってクゥラの言葉を待つ。

「いい模擬戦でした。今後もまた、お願いできますか?」

「ああ、それならもちろんです」

「……それと」

 シララスは少し緊張する。実際は引き倒された形とはいえ、押し倒した状態を維持していたのはシララスだ。

「言葉遣いも、お願いできますか?」

「え? ああ、うん。もちろんだ」

 責められなかったことに安堵しつつも、少し意外に感じてシララスはやや戸惑う。

「では、戻りましょうか」

 先に歩き出したクゥラを追いかけるように、シララスも川澄の店内に戻ろうとする。

「シララスも余裕あるなあ。戦いの中で、どさくさ紛れに押し倒すなんて」

「引き倒されたんだよ。油断してな」

 幼馴染みからの軽い言葉には、しっかり事実を伝えておく。シララスの表情は真剣そのもので、その瞳には悔しさの色も浮かんでいた。

「ふーん。ま、しょうがないね。シララス弱いもん」

 その表情から大体を察しつつも、笑顔で容赦ない言葉をかけてきた幼馴染みに、シララスは微笑する。幼馴染みは事実を口にしただけ。決して彼を貶す意図がないのは、幼馴染みとしてよく理解しているから。

 川澄の店内に戻って、シララスとクゥラは向かいのテーブルに座り、カウンター席で椅子を回して二人を見下ろす、師匠と兄からの言葉に耳を傾けていた。

「シララス、勝ったと思って油断したのは失敗だったな」

「クゥリット、引き分けに持ち込んだ冷静さはさすがだが……」

 戦いの顛末は二人から軽く聞いただけ。全てを細かく尋ねることはなく、ヒミリクとシァリは言葉をかけていた。

「まあ、それは些細なことだ。シララス。今の自分にどれだけ力が足りていないか、よく理解できただろう?」

「はい。最後の油断もそうですけど、他にも課題はいっぱいです」

 師匠からの言葉に、シララスは素直に頷いた。

「クゥリット。我が妹も、理解したな?」

「もちろんです、シァラーゼお兄様。私ではまだまだ、お兄様のようには戦えません」

 兄からの言葉に、クゥラは笑顔で首肯した。

「我が戦い方は、我のためのもの。それは当然だ」

「う……はい」

 やや俯いて落ち込んだ様子を見せる妹に構わず、兄は言葉を続ける。

「だから、真似をする必要はない。クゥリットにはクゥリットの戦い方がある。我が妹にしかできない、得意な戦い方が」

「私の、戦い方?」

 顔を上げて、そして首を傾げたクゥラに、シララスもまた首を傾げる。

「ああ、同じことはシララス、君にも言えることだな。憧れるのはいい。だが、その憧れと同じ戦い方が合っているかどうかは、また別の話だ。とはいえ、私の戦い方は最後の一手に限れば、そう難しいものではない。正面からの対決は、基本の一つでもあるからな」

 ヒミリクの言葉に、シララスは言葉を返せない。クゥラもまた、同じく言葉を返せないでいた。兄と師匠、二人の言葉で二人が伝えたいことはよく理解できた。

「私では、シァラーゼお兄様のようにはなれませんか? 一対一の戦いも、こうして鍛えてきたのに」

「格闘に限れば話は別だが、武器となる真兵を生み出すのに時間がかかりすぎだ。真域でそれを主体とするのは、難しい」

 困った顔で兄を見つめ続けるクゥラに、シララスが一つ質問する。

「シァリさんって、そんなに強いのか?」

「シァラーゼお兄様は、一対一なら最強です」

 クゥラは振り向いて、微笑とともに端的な一言で答えた。

「最強、か……」

 シララスがヒミリクを見た。ヒミリクは小さく頷いて、シァリを横目にして言った。

「確かに、真兵もなしに一対一なら、私でも勝てないだろうな。シァリは格闘の技術も非常に高い」

「そうでなくては前線では戦えぬからな。我が武器たる真兵に頼るばかりでは、必ず隙が生まれる」

 自信満々ではなく、淡々と事実を告げるような声。師匠の反応から見ても、その言葉に嘘はないと悟ったシララスは、一つの興味である人物の名を挙げた。

「じゃあ、もしかしてシズスクよりも?」

「ちょっとー、なんでそこで私? 心域も作れない、こんなか弱いウェイトレスなのに」

 カウンターの裏で文句をつけるシズスクに、シララスは平然と返す。

「俺に格闘を教えたのは誰だっけ?」

「いや、教えてないから。子供の頃に喧嘩したことあるだけ」

 幼馴染みの間で交わされる会話に、先に興味を持ったのは兄妹の妹の方だった。

「お兄様より強いなんて、いくらなんでもないですよ。ね、シァラーゼお兄様」

「ふむ……強いのであれば、一度手合わせはしてみたいものだな」

「うえー、シララスが変なこと言うから、変なことになったじゃない!」

 兄の方にまで興味を持たれて、シズスクは逃げられないことを悟る。三人の熱視線に彼女はカウンターから出てきて、緩く構えてみせる。カウンター席とテーブル席の間は、少し広めに作られている。激しい戦いはできないが、軽く拳や蹴りを放てるくらいのスペースはある。

「はい。じゃあかかってきて下さい。投げられそうなら、適当に投げますから。まったくもう、シララスのせいで……」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、シズスクの構えに隙は少ない。

「了解した。我が力、全力をもってかかっていこう」

 その隙が生まれたものか、作られたものか。構わずにシァリも構え、前進する。

「ちょ、全力は危ないですよー」

 言いながらも、シズスクの瞳に真剣な色が混じる。それを察したシァリは、板を蹴って一瞬で距離を詰め、右の脚で鋭い下段蹴りを放った。派手さよりも実利を優先した、最速の蹴り。

「っと。はい」

 その蹴りをシズスクは緩やかに前進しながら回避し、身を屈めてシァリの左脚に両腕を伸ばす。触れて感じたのは、その重さ。

「その程度で、我は倒せ――」

「んー、みたいですねー」

 シズスクはしっかり地面に根差した軸足を掴んで、くるりと回転してシァリの後方に回り込んだ。強烈なタックルにも耐えられるような軸足はまた、掴んで安定する棒にもなる。

 ついでに体を軽く浮かして、ほんの僅かに隙が生まれていたシァリの右腕を、回り込んだ勢いのままに掴む。二の腕をしっかりと確保し、斜めにひねって力を込める。

 投擲。

 「投げられそうなら、適当に投げますから」――その言葉に嘘はなく、見事にシズスクはシァリの体を投げてみせた。予想もしていなかった方向からの攻撃には、いくら力の入れた軸足でも耐えられない。狙われると思っていなかった場所を掴まれての投擲には、いくら低い重心で構えても抗えない。

 大きく前に投げ出されたシァリは、何とか転倒を避けつつも振り返ることはできなかった。

「はい。これでいいですか? 投げましたよ?」

「……ああ。十分だ」

 体勢を立て直し、振り返ったシァリは自身の敗北を素直に認めた。ここが川澄の店内で、これがもし相手が倒れるまでの戦いであったなら、先程の隙は致命的だ。

「シァラーゼお兄様が……あの」

「ん?」

 クゥラの視線と声に反応する。驚きつつも、どこか冷静な彼女の様子。もしかして自分も戦いたいと言われるのではないかとシズスクは危惧したが、彼女の口から出てきた言葉はその予想を上回るものだった。

「今度、私にも教えてもらえませんか? お兄様より体格の近いシズスクさんなら、きっとわかりやすいと思うんです」

「ちょっとー、これシララスのせいだよ?」

 幼馴染みの少年を見て、シズスクは嘆息する。

「だから、そのときはシララスも付き合ってね。私はなるべく見てるから!」

「ああ、望むところだ。俺もついでに盗ませてもらう」

「ん、よろしい。わかってるとは思うけど……」

「教えるのはクゥラだけ、だろ?」

 ついでにシララスにも教えてあげる、などと言うような幼馴染みでないことは、彼もよくわかっていた。子供の頃から今まで、シララスとシズスクは喧嘩をしていただけ。そこから勝手に学んだのを、シララスが教わったと表現しているだけである。

 とはいえ、成長した最近は喧嘩をすることも少なくなっていた。それゆえに、体で学べる機会も減っていた。この機会はみすみす逃せるものではない。

 落ち着いてしばらく。

 シァリとヒミリクはカウンター席に戻り、シララスとクゥラもテーブル席に、シズスクもカウンター裏に戻っていた。

「さて、互いに大変だな」

 チョコレートケーキを一口。ヒミリクがシァリに声をかける。

「ああ。だが、急がねばなるまい」

 同じくシァリも、チョコレートケーキを一口。大きな欠片の一口だった。

 カウンター席の二人は、テーブル席で楽しそうにケーキを食べる二人を尻目に、会話を続ける。実力も近く立場も近い二人、一度の模擬戦でかなり打ち解けているようだ。

「仲が良くて結構なことだな」

「うむ。あの様子なら、いざというときの協調も難しくはないな。問題は……」

「さすがに、今の実力では実戦は危険か。一般将の一人ならともかく……」

「かの者が相手では、ひとたまりもない。敵も一人とは限らない」

 ケーキをそれぞれ口に運び、会話が少しの間止まる。

「チカヒミは、いつ動くと思う?」

 ヒミリクが問う。

「我が妹と、彼次第だ」

 シァリは答える。

 会話はそこで終わり、二人は残りのケーキを食べ始めた。問も答えも、互いに予想していた通りのもの。チカヒミの動き次第では、この交流可能な状態が常に維持できるとは限らない。だからこそ、意識の共有を確認するのは二番目に大事なことだった。

 そしてもちろん、一番大事なことは唯一つ。シララスとクゥラ――二人を成長させ、戦う力を高めることだ。

 そんな話題の中心にいる二人は、カウンター席で行われている会話など気にも留めず、甘いケーキを食べながら楽しく会話をしていた。

「どちらが先に強くなれるか、競争ですね」

「次に模擬戦をやるときは、引き分けにはさせないさ」

「ええ。私も不本意でした。引き分けにしか持ち込めなかったことが」

 互いに力を高め合う仲間として、シララスとクゥラは言葉を交わす。まだ想像するしかできない未来、師匠や兄と肩を並べて戦えるその日を夢見て。


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