「恋凜さん、お風呂は準備してあるんですよね?」
「はい。掃除はしていますから、お湯は温泉ですし、いつでも入れますよ」
そんな会話があって、私たちは揃って温泉に向かっていた。
「温泉ですかあ……楽しみですね。私も今朝から準備はしていましたが、まだ入ったことはないんですよ」
そしてその私たちの中には、恋凜さんも混ざっていた。
「そうなんですねー……」
私は思わず生返事で、あの日の夜に恋凜さんのスカートの中から伸びてきた触手を思い出していた。
ちなみに、温泉は男湯と女湯に分かれているので、鋭刃くんと正五さんと氷河さんとは入り口前で別れることになっている。
「じゃあ、僕たちはこっちで」
「鋭刃、覗いちゃだめだよ! いくらあたしが魅力的だからって、いけないんだよ?」
「ンリァスこそ、暇だからってこっちにきちゃだめだよ。触手と人は男女いっしょでも問題ないかもしれないけど、こっちには氷河さんもいるんだから」
「やだなあ、鋭刃。あたしたちは人間と違って服がなくても問題ないし、触手同士で覗くものなんてないよ。……それより鋭刃、あたしといっしょにお風呂に入ってること、女の子たちに言っちゃってよかったの?」
「……ふむ」
鋭刃くんは私たちの顔色を窺うように、そっと視線を向けた。確かに、人と触手は別の生き物で、ンレィスもそう言っていたけど、鋭刃くんは男の子で、ンリァスちゃんは女の子なのだ。見た目では判断できなくても、その声がはっきりと彼女であると意識させてくれている。
「私もンレィスといっしょにお風呂は入ってるけど……」
「毎晩、月星様のお御足を洗ってさしあげていました。今は毎夜、月星の綺麗な足を洗っている」
私は優しく微笑んで鋭刃くんに視線を返した。それを彼がどう受け取ったのかはわからないけど、さほど気にしてはいないという気持ちは伝わったと思う。
鋭刃くんたちと別れて、女湯と書かれた暖簾をくぐって私たちは温泉に向かう。何十人もが同時に使える広い脱衣所があって、その先の扉を開ければ浴槽のあるお風呂だ。温泉旅館よりは質素だと思うけど、それでも並の合宿施設よりは豪華な作りだと思う。
さて、ここで私たちは服を脱いで、温泉に入ろうとするわけだけど……。私はいつものようにスカートに手をかけながら、ちらりと恋凜さんの様子を見た。彼女はどうやら私たちとは少し離れたところで脱ぐつもりらしく、ちょっと奥に向かったからまだ服は着たままだ。
「どうしたの、灯? 何か忘れ物?」
かわいらしい長袖のカットソーと、ふりふりのついたタイトめのスカートをすっかり脱いで、下着姿になった成ちゃんがスカートに手をかけたまま動かない私に声をかけた。
「あ、ううん。大丈夫。恋凜さんの様子が気になってさ」
私は手をかけたままのスカートを下ろして、続いてブラウスにも手をかけ、ゆっくりと脱ぎながら成ちゃんの言葉に答える。
「彼女がどうかしたの?」
鞠帆ちゃんは短いスカートは穿いたまま、上の薄手のニットシャツだけを脱いでブラジャー――じゃなくて、胸に巻いたさらしを脱ごうとしていた。
「さらし?」
「当然よ。巫女だもの」
「ふーん。下は、はいてなかったりするの?」
成ちゃんがちらりと鞠帆ちゃんに視線を移して、すぐに私に視線を戻してから尋ねる。
「股布は、そうね、普段は目立たないように特製のものにしているけど、今日はスカートだから普通の白のパンティー。生地は巫女装束と同じちょっと上質なものだけど」
わざわざ見せなくてもいいのだけど、鞠帆ちゃんはさらしの残りをを片手で脱ぎながら、短いスカートを軽く持ち上げて私たちに見せてくれた。巫女装束と同じ素材って、下着としての機能性はどうなのかちょっと気になるけど、何となく高そうな感じはした。
私はブラウスを脱いで、鞠帆ちゃんのとは違って普通の生地で作られた白のブラジャーとパンティーを脱ぎつつ、忘れずに恋凜さんの姿を確認する。
彼女は先に上から全部脱ぐタイプのようで、ちょっと注意が逸れている間に上に着ていた麻の服と、その下に着ていたであろうブラジャーもすっかり脱いでしまっていた。
だけど、下のロングスカートはまだ脱いでいない。
「灯って、いつも白よね。今日も似合ってる」
「成ちゃんは、毎日選んでるんだよね?」
「ええ、気分でね。そうすると、ちょっと消耗が偏るから困ることもあるんだけど」
成ちゃんの下着はパステルカラーのかわいらしい下着で、上下セットのものと別々のものをいくつか買い揃えて、気分によって色を変えているという。今日のブラジャーは薄い水色で、パンティーは薄い桜色、何度も見たことのある組み合わせではあるけれど、それがどんな気分で選ばれたのかまではよく知らない。
上下の色が揃っているときは気分が一つに定まっているという単純なものでもないらしく、成ちゃん曰く、「単純だけど、ちょっと灯に説明するのは難しいわ」、とのことだ。
その成ちゃんがブラジャーを脱いで、パンティーに手をかけたところで恋凜さんが動いた。そっと下ろしたロングスカートの下から、透き通るような滑らかな肌の二本の美しい脚が、ふとももから爪先までゆっくりと姿を現していく。ちなみに、靴下を脱ぐ姿は見逃した。おそらく恋凜さんはスカートを脱ぐ前に靴下を脱ぐタイプなのだろう。
私と成ちゃんはスカートを脱いでから、鞠帆ちゃんはスカートといっしょに靴下もまとめて脱ぐタイプだから、靴下の脱ぎ方も三者三様だ。
「脚ね」
「うん。脚だよね」
「……脚だけど、それがどうかしたの?」
鞠帆ちゃんの疑問を他所に、私たちは恋凜さんの素脚をまじまじと見ていた。普通の女性の脚だ。そこに触手はどこにもなく、見た限りではロングスカートもただの布だ。
「あれはわたくしにも詳しい仕組みはわかりませんわ。でも、普段はああですわよ」
脱ぐものがなくて、私たちの近くでふわふわ浮いていたンレィスが口を開いた。
「ま、そういうものだよねー。恋凜みたいな変異種は、突然変異で生まれるものだからちょっと色々特殊なんだよ。人の体の一部が、触手に変わるのが一番多いんだけど、あたしも恋凜の脚が触手になる姿は見たことないし」
恋凜さんを前から知っている二触にも簡単には説明できないくらいに、色々複雑らしい。
「みなさん、そろそろよろしいですか? 私の裸ならいくら見てもいいですが、脱衣所で見続けられるのは体が冷えて困ってしまいます」
話している間も視線はずっと恋凜さんに向けられたまま。当然それに彼女が気付かないはずもなく、苦笑する恋凜さんの声が脱衣所に響いた。
露天風呂。
その言葉を聞いたのは、洗い場に入ってすぐのことだった。
「この施設には、そんなものまであるんですか?」
「はい、この先にありますよ。内湯がメインなので、そこまで大きいものではありませんが、あとでいってみてはいかがです?」
恋凜さんの指さす先には、露天風呂へ続く小さめの扉があった。上には露天風呂と書かれた小さな札もついている。
でもそれより意識を惹かれたのは、メインと言われた内湯だった。何十人も入れそうな大きな浴槽が奥に一つあるだけのシンプルな作りだけど、ひのきの香りがここまで漂ってくるような上質な素材の湯舟である。
「成ちゃん」
「わかったわ。灯、いきましょ」
私と成ちゃんは軽くお湯を体にかけると、まっすぐに大きなひのき湯舟に向かった。
「露天風呂……」
鞠帆ちゃんはそう呟いて、露天風呂に興味津々な様子だったけれど、かけ湯をしてからまっすぐに露天風呂に向かうことはなかった。四月も中旬になったとはいえ、北海道の春の夜はまだ肌寒い。少し体を温めてからいくことにしたらしい。
恋凜さんは私たちに教えてすぐに露天風呂に向かったから、私と成ちゃんが湯船に足をかけて振り返ったときにはもう姿は見えなかった。露天風呂への扉は洗い場と湯船の間にあって、彼女はかけ湯もせずにさっさと向かったようだ。といっても、露天風呂の傍にも小さな洗い場があるかもしれないし、そっちで行うつもりなのかもしれない。
私たちに見えたのは、彼女の後ろにくっついて露天風呂に向かうンレィスとンリァスちゃんの姿だけだった。触手の体はいつも綺麗だから、そもそもお風呂に入る必要はない。急な温度変化にも強いから、かけ湯も必要ないと前にンレィスが言っていたのを思い出す。
月星ちゃんは鞠帆ちゃんの頭に最初は乗っていたけど、かけ湯をしたときに避けて今はおっぱいのあたりに浮かんでいる。
「ねえ灯、あれ、誰から隠してるの?」
「さあ? 私か成ちゃんかな?」
胸ではなくおっぱいと表現するのが正しいくらいに、完璧な位置だ。でも、それはたまたま偶然でそうなっただけなのだと思う。
「下は隠す気、ないみたいだけど」
「みたいだね。成ちゃん、じろじろ見ちゃだめだよ」
「見ないわよ。こんなに魅力的な体の灯が傍にいるのに、浮気なんてできないわ」
「浮気って、もう、成ちゃんったら」
鞠帆ちゃんが湯舟に足をかけて体を沈めると、月星ちゃんはおっぱいが沈むと同時にそのままお湯に浮かんですっと横に移動した。くっついていたわけではないのだろうけど、あの位置で浮いているのが安定するのかな。
私たちが笑い合っていると、すっかりお湯に体を沈めた鞠帆ちゃんが言った。
「あなたって、一途ね。灯がいてもいなくても、変わらない」
「そんなの当り前じゃない。それに私、女の子だから、スキンシップには困らないし」
「何の話?」
「成にとって灯が一番だから、他の女の子には目もくれないけど、きっと記憶には焼き付けているという話」
「鞠帆、勝手に解釈しないでもらえる? でもその解釈は正しい」
「……ま、いいけど」
鞠帆ちゃんは呆れたように微笑むと、湯舟から立ち上がり、月星ちゃんを頭に乗せて露天風呂へと向かっていった。
扉が開いたところで入れ替わりに、ンレィスがふよふよと戻ってくる。さっき外に出たばっかりだけど、この早さで戻ってきたということは見てきただけだったらしい。
「ンレィス、ンリァスちゃんは?」
「彼女でしたら、露天風呂の柵を越えて男湯へ侵入しましたわ。どこかに隠れて、誰かが入ってきたら驚かすつもりだそうですの。元々そのつもりで向かったみたいですわね」
そういえば、鋭刃くんに指摘されたとき、ンリァスちゃんはそのことを止められても承諾してはいなかった。なんだかんだ、彼女と彼も仲がいいから、こんな場所でもいっしょにいたいのだろう。
そのままンレィスはぷかぷかとお風呂に浮かんで、私たちはしばらくぼんやりとお湯に浸かっていた。広い内湯も、当然ここの近くで沸いた温泉。だからとても気持ちがよくて、ずっと浸かっていたくなる。
十分は経っただろうか、まだ五分しか経っていないかもしれない。ともかく、それなりに体がほこほこして、頭もほんのりぼんやりする頃に、私たちはお湯から出た。
内湯から一番近くて、露天風呂の扉へも近い場所で、私たちは体を洗う。備え付けのボディソープがもこもこと泡立って、髪を洗うシャンプーとコンディショナーも、手で触れた感触や隣の成ちゃんを見た感じ、ふわふわの泡で洗い心地も最高だった。
「ンレィスも洗ってあげるね」
「別にわたくしは……、あ、この泡、気持ちいいですわね」
汚れはつかなくても、泡の気持ちよさはわかる。ンレィスの触手の一本に泡をつけてこすってあげると、彼女はそのまま身を委ねて他の触手も自由にさせてくれた。
「ねえ、灯。大変じゃないのそれ?」
「そうでもないよ。ここが塊になっているから、そこに広げれば、ほら」
ンレィスの触手はたくさんあって、その一本一本を洗うとしたら大変だ。だけど伸ばしていない触手は塊になっているから、その丸いところにたっぷりの泡をつけてあげると、あとはンレィスが自分で触手を伸ばすだけで勝手に泡が広がっていく。
それから、伸ばしすぎて泡が足りないところや、勢いよく伸ばして泡が飛び散ったところに、手でこすって泡を足してあげればいい。
「これで、ね?」
すっかり全身の触手を泡まみれにしたンレィスを、両手を広げて披露するように見せながら、私は成ちゃんに微笑んでみせる。
「本当、一瞬で泡だらけね。……それに、これだけの本数があれば、私たちの体だって」
「だめだよ、成ちゃん。私も一度やってもらったことがあるけど、楽すぎてだめになる」
この泡だらけの触手で洗ってもらえば、私たち人間の体に素早く泡をこすりつけることなんて造作もないことで、実際にンレィスは最初から力加減も間違えずにこなしていた。
けれど、それはとても高級なマッサージ機を使うような――いや、それ以上の人には作れないようなマッサージ機でマッサージされるようなもので、そこまで楽をしすぎるのはよくないと思う。
「わたくしなら、負担ではないのですけれどね」
幸い、私は体が柔らかいから、手洗いでも背中までちゃんと洗える。成ちゃんはもっと柔らかいから、二人とも体を洗うのは優しく手洗いだ。
「よほど疲れたときなどは、いつでも頼っていいですのよ。わたくしが素早く、全身をすべすべにしてあげますわ」
そんなことはそうそうないだろうけど、私たちは軽く頷きを返した。
そうして一通り体を洗ったあと、私たちは揃って露天風呂へ向かう。ンレィスは私の左肩に乗るように浮かんで、右手は成ちゃんの左手につながれている。
扉を開けると三人が並べるかどうかの細い道が続いており、その先には洗い場があるのがここからでも見えた。数人が使える程度の小さい洗い場であると理解できたのはもう少し歩いてからで、そこまで歩くと左の視界は大きな露天風呂に埋められていく。
「……思ったより大きいわね」
「うん。内風呂の半分くらいはあるかな?」
岩で囲まれた露天風呂には、竹から流れる温泉に、簡単だけど雨や雪を避けられる屋根もついていた。
「……やはり、そうですのね。まあ、いいですわ」
ンレィスはその屋根の上の方に触手を向けて何かを呟いていたけど、何のことかはよくわからない。ただ、あの動きは、閃穴を見つけたときの動きにとても似ている。
露天風呂の中には、月星ちゃんを頭に乗せた鞠帆ちゃんがお湯に浸かっていた。ちょうど中央で、のほほんとした表情は見たことのない顔だ。彼女は私たちに気付いたようだけど、表情は変えずに微かに頬を緩ませるだけだった。
入ればわかるとでも言いたげな、というかそうとしか見えない反応に期待が高まる。
「成ちゃん」
「ん。いっしょに入りましょう」
私と成ちゃんは足を揃えて、露天風呂に足首から太もも、腰から胸へとゆっくりと浸かっていく。お湯自体は内湯と同じなのだけど、春先の暑くも寒くもない外気と、温かいお湯との温度差が不思議な心地よさになっている。
これは、鞠帆ちゃんがあんな表情をするのもよくわかる。きっと私も成ちゃんも、彼女と同じように気の抜けた表情をしてしまうことだろう。
私たちは言葉もなくその心地よさを楽しむ。ふと見ると、露天風呂の端っこにいる恋凜さんが上半身をお湯に浮かべるように浸かっているのが見えた。随分贅沢な浸かり方である。だけど、恋凜さんの足の長さと、このお湯の深さを考えると、足を底につけたままあの体勢になるのは不可能なはずだ。
となると脚も浮かんでいるのが自然だけれど、恋凜さんの脚はお湯に浮かんでいない。腰から下はお湯の中みたいで、よく見るとかなり不思議な浮かび方をしている。
にっこりと笑う恋凜さんがこちらを向いて、それと同時にぴょこんとお湯から触手のような何かが伸びたような気がした。一瞬で見間違いかもしれないし、お湯が跳ねただけにも見えるけど、きっとそれが不思議の答えなのだろう。
「灯、この上に閃穴がありますわ。……さきほど、わたくしが食べたはずなのですけれど」
私たちがまったりしている間に屋根の上に浮かんでいたンレィスが戻ってくると、恋凜さんにちらりと触手を向けながらそんなことを言った。
「同じ場所にまた出たの? 珍しい?」
「そうですわね。ですがそれはあまりないだけで、おかしなことではありませんわ。ただ今回はそれとも違いまして、食べたはずの閃穴が復活しているようですの」
「食べ残したんじゃないの?」
成ちゃんがそう言うと、ンレィスは少し迷う様子を見せてから答えた。
「その可能性も否定はできませんが、それにしても急成長すぎますわね。月星も、そこまでの急成長は見たことがないですわよね?」
鞠帆ちゃんの頭の上の月星ちゃんが小さく頷いた。
「他の場所も同じなのかな?」
「きっとそうでしょうね。詳しい場所は、また明日にでも確認すればよいでしょう。今夜はもう、すっかり月が出ていますわ」
ンレィスの言葉通り、空には星空が、夜空の中には月が覗いていた。こんな時間に、しかも温泉をたっぷり堪能したあとに、わざわざそこまで調査する必要はない。
「ンリァスなら、勝手にやっていそうですけれどね。男湯に侵入してこれだけ経つのに、驚きの声も聞こえてきませんもの。……彼らが冷静なだけの可能性もありますけれどね」
真相はわからないけど、確かにその通り――と思った矢先だった。
「うわっ!」
鋭刃くんのそんな声が、厚い柵を越えた男湯から聞こえてきたのは。そしてそのまま、逃げるように飛び出したンリァスちゃんが私たちの頭上を越えて、露天風呂の柵の外までいってしまう。飛んでいる最中、私たちに向けて笑うように液体を揺らしながら、彼女はどこかへ消えてしまった。
「どうなの、あれ?」
「さあ、わたくしに聞かれても困りますわ」
成ちゃんの軽い言葉に、ンレィスは大きく触手をすくめて答えるのだった。