合宿・自由施設に灯たちが泊まった最初の夜、大岩成は部屋を出て一人で廊下を歩いていた。火照った体はもうすっかり冷えているが、トイレのついでにちょっと歩いてみようと考えたのである。
「……ここからが運動部がよく使う施設ね。この先で灯と二人きりになれば、普通ならすぐには見つからないはずだけど、今は探偵がいるからそうはいかないかしら」
小さく声を出して確認しながら歩く成。彼女がその先も確かめようと少し歩くと、奥の扉が開いて中から兜鋭刃が姿を現した。ンリァスの姿は傍になく、彼一人である。
鋭刃は成の姿に気付くと、軽く手を振って駆け寄ってきた。
「ああ、大岩さん、ンリァスを見なかったかい? よくあることなんだけど、どこかに隠れているみたいでね」
「見てないわね。私たちの部屋にもいなかったから、てっきりあなたのところにいるのかと思ったけど……違ったのね」
「そうか、まあいいさ」
慣れたことなのか、鋭刃は気にした様子もなくあっさり諦めた。
「そういえば、副会長――鋭刃でいいかしら――は、神尾塚会長のことを慕っているみたいだけど、それってどういう気持ちなの?」
薄暗い廊下で壁に背を預けて、成は駆け寄ったまま立ち去る様子のない鋭刃に尋ねる。
「おや、気になるかな? 僕のことに興味があるとは思わなかったよ」
「まだ気持ちが定まっていないなら、別にいいけど」
その成の言葉に、鋭刃は一瞬だけ真剣な表情を見せて、大きく首を横に振って答えた。
「そんなことはないさ。僕は里湖さんのことを尊敬しているし、姉のようにも思っていて、そして、恋人にしたくて恋人になりたい人だよ」
「……そう」
「だけどね、里湖さんは凄い人だから。今の僕じゃ彼女に釣り合う男にはなれない。だから、告白はまだできないんだ」
鋭刃のはっきりした言葉に、成は少し想像してから答える。
「会長に並び立つ男になるまで、だったら一生告白できないと思うわ」
「だろうね。僕もそこまで高望みはしていないさ。人には生まれ持った才能があって、その才能の差はどうやっても覆しようがない。だからこれはきっと、僕のちょっとした意地みたいなものかもしれない」
「男って面倒ね。別に、男に限った話じゃないかもしれないけど」
「そうだね。ずっといっしょにいる里湖さんだから、彼女は全くそういう目で見てないかもしれない……なんて心配をしているわけじゃないんだけどね。里湖さんの気持ちはわからないけど、これだけ傍にいるんだ、きっと彼女は僕の気持ちにも気付いてはいるはずさ。――告白したら、即答できるくらいにね」
「……それはまた、勇気がいるわね」
答えは決まっていて、あとは告白されるのを待つだけ。あるいは答えはまだ変わるのかもしれないけれど、相手が知っているとわかった上で、相手の気持ちがわからない状態で、告白するというのは大変な勇気がいることだ。
「そうかもね。君はどうなんだい?」
「やっぱり聞くのかしら?」
「君が僕に興味があるとは思えない。聞いてほしいから聞いたんだと思ったけど、違ったかい?」
「ま、その通りよ」
予想していた答えが返ってきたことに内心喜びつつ、なんでもないように成は小さく肩をすくめて答えた。
「私は女の子が好きだから、灯のことが大好きで、恋人同士になりたい」
鋭刃は促すように大きく頷く。成は少しも躊躇する様子は見せずに、言葉を続けた。
「でも、ね。私と灯は親友だから。灯は私の気持ちになんて、全く気付いていないから。怖いのよ。灯は私の気持ちを否定はしないとわかってる。だけど、受け入れてくれるかはわからないんだから。それで関係が変わることはなくても、灯が受け止められない気持ちを抱えたまま、今まで通りに過ごせるほど私は器用じゃない」
かわいさだけなら、色倉灯や守月鞠帆、地空千草や雲沼晴虎にも負けない綺麗な女の子である大岩成。彼女が男子の選ぶ美少女四天王に含まれない理由は、ひとえに彼女の恋愛対象が男ではなく女であるからだ。
告白した男子が、ばっさり「ごめん、私、男は好きになれないから」の一言で、何度か振られたことで、それは男子の間では有名になっていた。
その告白されたという話は、灯も知っているが詳細は知らない。何気なく口にした、「私も告白されてみたいなあ」の一言に、成が内心でとてもどきどきしていたことも、灯に告白しようとする男子の多くが、成のことを考えて身を引いているのも、灯は知らない。
「難しいものだね」
「本当よ。恋なんてもっと単純でもいいのに、いえ、単純だからこそ難しいのかしら」
二人の会話に答えは出ない。しかし、二人がこうして話したことで、それぞれの気持ちは確かめ合うことができた。それが共闘に繋がるわけではなくても、それぞれの戦いを一歩進めることはできる――かもしれない。
「じゃ、僕はンリァスを探しに戻るよ。君も遅くならないようにね」
「ええ。そうするわ。あまり、灯と離れていたくもないしね」
成と鋭刃は小さく手を振って別れ、再びそれぞれの目標のために動き出していた。