これはある日のこと。色倉灯の部屋で起こった一幕である。
「灯、これはなんですの?」
ンレィスが興味を示したのは、机の上に置かれた小さな箱だった。触手を伸ばして指し示すものに、灯は視線を向けて答える。
「『大魔王』だよ」
「ええ、それは書いてありますが……」
その箱には恐ろしそうでどこかかわいげのある巨大生命の絵が描かれていて、その上には『大魔王』と美しくデザインされた文字で書かれていた。
机の前まで歩いた灯は、その大魔王の箱の蓋を持ち上げて、中を出しながら答える。
「カードゲームだよ。ほら、これを使って遊ぶの」
中には二組のカードセットと、折り畳まれた布製のマットに、小さく綺麗な紙製のカウンターが一つ入っていた。灯はそれらを丁寧に全て外に出す。中にはもう一つ紙が入っていたが、説明書と書かれた文字を認識するとンレィスは箱の外に興味を集中した。
布製のマットを机に広げると、三×六マスのフィールドとその奥に描かれた威厳のある大魔王の姿が目を引く。灯は大魔王の絵の横に紙のカウンターを置いて、一組のカードセットも並べておくか迷って手にとったものの、先に説明した方がいいと奥には置かずに手元に置いた。
紙のカウンターには〇から三十六までの数字と目盛りが描かれており、指し示すスライド式の針は材質の違う紙で色鮮やかにデザインされていた。数字と目盛りと針はともに、迫力のある大魔王の絵の横に置いても見えにくくなることはなく、それでいて目立つことのない、絶妙な色合いで作られていた。
灯は二組のカードセットのうち、魔王カードと書かれた十五枚のカードを広げる。
「このカードで遊ぶんですの? 大魔王の体が描かれていますわね」
「うん。それから、こっちの戦士カードも使うんだけど……」
目を向けたもう一組のカードセットには戦士カードと書かれている。こちらも十五枚だ。
「戦士カードをこの一番下の一列、出撃エリアに置いて、奥にいる大魔王を倒すのが『大魔王』の目的なんだ。いくつかの行動をまとめてターンと呼んでいるんだけど、一ターンに行えることを順番に説明するね」
灯は一枚の戦士カードを三枚手にとって、出撃エリアに並べてみせる。
「色んなカードがありますわね。『ファイター』に『アーチャー』、『アーマー』ですの?」
「うん。最初に三枚、以降は魔王の攻撃で倒されたら、場に三枚になるまで出撃できるんだ。ターンの最初にできるのが戦士カードの出撃と移動で、出したターンからどのカードでも移動はできるんだよ」
言いながら、灯は『ファイター』と書かれたカードを前にニマス移動させてみせる。
「それから、魔王の攻撃があって、次に戦士の攻撃、大魔王の体力が残っていればまた次のターンにと繰り返すんだ」
魔王の攻撃という言葉に、ンレィスは広げられた魔王カードに触手を向ける。
「それが魔王カード。それぞれ攻撃範囲と威力が違って、『魔王の右腕』『魔王の角』『魔王の左腕』は六マスの縦一列に3のダメージ、『魔王の両腕』は魔王の前方六マスに3のダメージ、『魔王の尻尾』『魔王の息吹』は横三列に2のダメージ、『魔王の咆哮』は後方十二マスに1ダメージ。それから、この一枚しかない『大魔王乱舞』は全体に3のダメージだよ」
「八種類ですわね。乱舞が一枚しかないのは、強力だからですの?」
「そうだと思うよ」
残りのカードは二枚ずつ、二枚が七種類と一枚が一種類で八種類になる。
「これをここに裏にしておいて、シャッフルして、毎ターン上から一枚ずつめくるの」
最初に置こうとした場所に灯は魔王カードの束を置く。そして、一枚のカードをめくってみせた。めくられたのは格好よく激しい攻撃をしている『大魔王乱舞』のカードで、灯はちょっとだけ驚いてから、次々とカードをめくっていく。
そして、十枚目のカードをめくったところで、灯はカードをめくる手を止めた。
「十枚めくったら、めくれたカードを山札に戻して、また同じことを繰り返すの」
戻したカードを含めた十五枚でシャッフルして、復活した山札を灯は同じ場所に置く。
「めくれる度に行動を読みやすくなりますのね」
ンレィスは触手を伸ばして、一枚の魔王カードを吸い寄せるようにして先端にくっつける。眺めている様子の彼女に灯はちょっとだけ待ってから、戦士カードの説明を始めた。
「魔王に攻撃するのが戦士カード。こっちは五種類で、三枚ずつだね」
灯の声に、ンレィスも別の触手をそちらに向ける。
「『ファイター』『ランサー』『アーチャー』『アーマー』『ウィザード』の五種類があって、それぞれ体力と移動力と攻撃範囲が違うの。体力はファイター、ランサー、ウィザードが5で、アーチャーが3、アーマーが7だよ」
灯は五枚のカードを触手の前に広げて、ンレィスは五本の触手をそれらのカードに向ける。触手の先に目がついているわけではないものの、彼女が興味を示している仕草であることは灯にはわかっていた。
カードにはそれぞれの移動範囲と攻撃範囲が描かれている。
「攻撃力はみんな同じですの?」
「うん。一度の攻撃で1ダメージだね」
ンレィスが触手を動かして頷く。灯は微笑むと、それぞれの戦士カードを指さして言葉を続けた。
「『ファイター』は前方ニマスと斜め前一マス、横にも一マス移動できるんだ。攻撃範囲は前方一マス。
『ランサー』は前方三マスと斜め前一マスに移動できて、攻撃範囲は前方ニマス。
『アーチャー』は前方の横三マスに常に移動できて、攻撃範囲は前方六マスあるんだ。
『アーマー』は前方一マスと斜め前一マスが移動範囲で、攻撃範囲は前方一マスだよ。
『ウィザード』は前方一マスと斜め前ニマスに移動できるの。攻撃範囲は前方ニマス」
「ファイターだけが横に移動できて、アーチャーだけが右端のマスから左端のマスに――端から端へ移動できるんですのね。ウィザードの動きは、桂馬みたいですわね」
「そうそう。ンレィス、将棋は知ってるんだ」
「恋凜が教えてくれましたわ」
嬉しそうにするンレィスの動きに、灯は微笑ましくなった。
「移動の遅いアーマーは体力が高いから、近付けば硬いですわね。アーチャーは攻撃範囲が広いですけれど、ダメージ3の攻撃を受けたら一撃ですか……面白いですわね」
「この戦士カードを最初に三枚、それから三枚まで毎ターン出撃させられるのはさっきも言ったよね。魔王カードは十枚めくったら山札に戻るけど……」
「戦士カードは倒れたら戻らない。十五枚のカードがなくなる前に、魔王の体力を削りとれば勝ちですのね」
「そう。単純だけど、魔王の動きが毎回変わるから、飽きないんだよ」
ンレィスは五種類の戦士カードを一枚ずつ触手にくっつけて、魔王カードも八種類を八本の触手にくっつけていた。何本かの触手はフィールドに向けられていて、自分ならどうやって攻めるかを考えているようだ。
ンレィスが考え始めて少ししたところで、灯の家のチャイムが鳴った。
「あ、成ちゃんかな」
灯が立ち上がると、ンレィスもふわりと浮かび上がった。触手の先には十三枚のカードがくっついたままだが、ぴったり先端に吸い付いていて離れる様子はなかった。
「わたくしもいきますわ」
灯とンレィスは揃って玄関に向かう。帰り道に約束をしていたわけではないが、チャイムの鳴り方から灯は訪問者が大岩成だと判断していた。
扉の前に近付くと、扉越しに成の声が聞こえてきた。
「灯ー! 遊びにきたわー!」
「成ちゃーん! 聞こえてるよー!」
実際にはそんなに大声でなくても聞こえる距離なのだが、灯も成と同じ大きさの声で返して、玄関の扉を開いた。
「こんにちは、灯。あら、ンレィスもいるのね。何をして――」
そこでふと、ンレィスが触手に大量のカードを引っ付けていることに気付く。成はその不思議な様子に言葉を止めたあと、ちらりと灯の顔を見て、脱ぎかけの靴を脱がす手を止めて叫んだ。
「灯が変な芸をンレィスに教えてるなんて、知らなかったわー!」
ダッ!
叫びとともに成は靴を脱ぎ捨てると、灯の家の廊下を奥まで走り去っていった。その背中はやがて、廊下を曲がって見えなくなる。
「……あの先、書斎しかないですわよ」
ンレィスが呟く。困ったように驚いたように、カードをくっつけたままの触手がうねうねと動いている。
灯はそんなンレィスの様子を気にすることもなく、微笑みながら成の脱ぎ捨てた靴を眺めていた。慌てて飛ばされたように見えた一足の靴は、脱ぎかけだったのもあって綺麗に揃えて脱ぎ捨てられていた。