四月 第一章 触手は神の使いじゃありませんわ。


第六話 灯と成と鞠帆の勧誘


 それは明けて木曜日の昼休みのことだった。私と成ちゃんは、鞠帆ちゃんに声をかけられて三人いっしょに屋上へ向かっていた。

「鞠帆ちゃん。今日は曇りだよ?」

 雨は降らないとの予報だから、浮かんでいるのは真っ白で大きな雲ばかりだけど、この時期の北海道ではまだ少し肌寒い天気だ。昼休みなら太陽も高いし、寒くて出られないほどじゃないけど、積極的に出たいと思う暖かさではない。

「大丈夫。彼はきっと雨でもくるから。……見たことはないけど」

 屋上へ向かう階段を歩きながら、鞠帆ちゃんは微笑んで、苦笑する。

「いくら好きでも、雨ならこないんじゃないの?」

「『雨の日の景色もまた面白いものだよ』、と言われたことはある」

 だとしたら、鋭刃くんは相当この場所が好きなのだと思う。屋上の扉を開く頃には、私も成ちゃんも鞠帆ちゃんがここを目指した理由が理解できた。

「ここでお昼でも食べながら待っていましょう。鋭刃なら――神尾塚会長のことだから、きっともう話は伝わっているはず。……どこで聞きつけるのか知りたいものだけど」

「どこでって、昨日のことだよね?」

 私がお弁当箱を構えながら腰を下ろすと、同じように鞠帆ちゃんも腰を下ろして、向かいに座る私たちの方を見て言った。

「そう。昨日のこと。朝じゃなくて、放課後の。私が灯さんや成さんとなかよくなったことを、会長は知っている。詳細までは知らないと思うけど、詳細を知るために実行部隊が動くとしたら昼休み」

 お弁当箱を開きながら、そこまで言い切ったところで建物の陰から声が聞こえてきた。

「実行部隊というのはおかしな言い方だね。里湖さんは自分でも多くのことを実行するよ。別動隊、というのが正確じゃないかな」

「屋上で待ち構えているなんて、奇襲部隊の方がいいんじゃない?」

 屋上には少ししかない建物の陰から、姿を現した声の主はもちろん鋭刃くんだ。

「あの日がちょっと遅れただけで、僕はいつもこの時間にはいるよ。僕としては放課後にお願いする予定だったけど、君たちからきてくれたなら、その必要はなさそうだね」

 そう話しながら鋭刃くんは私たちの傍まで歩いてくる。そのさなか、手に持っていた水筒の蓋を外して、胸の前に持っていたのが不思議だった。

 だけどその不思議の答えは、二秒と待たずに私たちの目の前に現れることになる。

「とうっ! やっほー! 久しぶりー!」

 水筒には中蓋がなく、そこを這い上がるようにするりと出てきたのは、あの夜の日に見た液体みたいな触手のンリァスちゃんだった。

「かわいさ満天、うるやかに、テンタクル・ンリァス! だよ!」

 自己紹介の台詞が軽い感じなのは、今がヒロイン登場らしい局面じゃないからだろう。それでも楽しそうな様子で言い切る姿は、かわいくて格好いいと感じる。

「昨日話した通り、今日は正式に色倉さんと大岩さんの二人を第一生物部に勧誘するよ。それから、守月さんにもいい答えがもらえると聞いてね」

「まるで全能の神ね、会長は」

 鞠帆ちゃんの小さな声は、人の少ない屋上ではよく耳に届く。けれど誰もその言葉を否定しないし、否定する必要もなかった。私たちはあまり会うことはないけど、会長の手腕がどれだけ優れているかは噂にも体験にも身に染みている。

「里湖さんは人だよ。校内に限れば、神のように見えてもおかしくはないけれどね」

 鋭刃くんは笑顔のまま、少なからずの憧れが混じった表情で断言した。神尾塚会長は中等部の頃からも優れた人で、一年生から生徒会長をやっている。一年生から副会長の鋭刃くんも凄いけど、小中高一貫の砂和里手学校では副会長までなら珍しくないことだ。

 神尾塚の家が砂和里手村の名家で、村立私立の私立の部分に深く関わっているからその影響もあるのかもしれないけれど、それでも前例がほぼないのが一年の生徒会長だ。

「それより、守月さんには話しているけど、色倉さんと大岩さんにも話しておかないとね。知っての通り、第一生物部は会長の勧誘がないと入部できない。時期によっては会長以外がその役を担うこともあるけれど、学校のトップに近い存在であるというのは同じだ。

 それで、その勧誘の条件は、ンリァスみたいな触手が見えて、触手といっしょにいられる素質がある人なんだ。素質というと大げさだけど、ね」

 鋭刃くんは一度言葉を止めて、微笑みながら小さく肩をすくめた。

「そういった人たちが、学校でも触手といっしょにいられる場所を提供する――それが第一生物部の役割さ。砂和里手村の村人にとって、触手は大切な存在だからね」

「他にはどんな活動があるの?」

 私が疑問を口にすると、鋭刃くんは小さく頷いて答えた。

「部活としての決まった活動は何もないよ。君がンレィスさん――触手を学校に連れてくるかも自由だ。必要な時には何かを頼まれることはあるかもしれないけど、ほとんど名前と場所があるだけの部活といっても差し支えない。……だから、色々と謎めいた部活と噂されることもあるんだけど、実態はそんなものさ」

「もちろん、兼部も自由。巫女の活動にも影響はない。ただ、それだけなら月星様はずっと神社にいたし、わざわざ入る必要もなかった」

 鞠帆ちゃんは「様」という単語をやや強調して言った。

「でも、月星なら入る価値はあると感じている」

「じゃあ、守月さんは決まりでいいのかな?」

 鋭刃くんの言葉に、鞠帆ちゃんは首を横に振った。

「……それだけなら、価値はあるけど必要はない。灯さんと成さんが入るなら、私も入る。月星もその方が、ともだちといっぱい会えるから」

「む。それはまるで、あたしとはともだちになれないみたいな言い方だね!」

「……あなたと二触じゃ、月星も困る」

 ほんの少し躊躇する様子を見せつつも、鞠帆ちゃんは断言した。確かに、ンリァスちゃんと月星ちゃんが二触だけでなかよくしている姿は、ちょっと私にも想像できない。

 ンリァスちゃんはふわふわ浮かんだ液体のまま、触手らしきものはあまり伸ばさない。ゆらぎで判断できるかと思ったけどそういうわけでもなく、その姿から感情を読み取るのは今の私には難しそうだ。

「あたしも、二触だけじゃ寂しいのはわかるけどねー。それにあたし、鋭刃といっしょにいることも多いし、学校に連れてきても誰もいない部室に一触っきりになる時間が増えるよ」

 だけどンリァスちゃんは感情を言葉に乗せてくれるし、仕草で読み取れなくても問題はなさそうだ。鋭刃くんならもっとわかるのかもしれないけど、機会があれば尋ねてみよう。

「それで、君たちも正式に第一生物部に勧誘したい。どうかな?」

 私は成ちゃんと顔を見合わせて、それから鋭刃くんの方を向いて答える。

「入部するよ。ンレィスもずっと家じゃ退屈だと思うし、ね」

「そうね。私もいいのか少し気になるけど、誘ってもらえるなら受けるわ」

 鋭刃くんの視線が鞠帆ちゃんに向く前に、彼女は口を開いていた。

「入部する。もう断る理由はないから」

「よかった。じゃあ、放課後にでも部室になっている教室に案内するよ。入部届は持ってきているけど、ここでは書きにくいだろうからね」

 鋭刃くんのその言葉で、この話はおしまいになった。

 それから屋上でのお昼ご飯を楽しんで、放課後に案内された教室の中で入部届に記入する。第一生物部の部室は生徒会室の真下にあって、階段もすぐ傍にある。私たちの教室からだと生徒会室を経由することはないけど、屋上からなら階段を通ったときに見える位置だ。

 鋭刃くんの話だと、代々、第一生物部の部長は生徒会も兼任することが多いから、この教室が選ばれたという。他の部活動の部室とは遠く離れているから、普段の活動が謎に包まれているのも納得だ。

 話に聞いた通り特に活動することはなかったので、私たちはそのまま帰宅することにする。まっすぐに神社に戻るという鞠帆ちゃんといっしょに、私と成ちゃんも帰ることにした。

「いっしょに帰る……」

 鞠帆ちゃんが頬をほんのり赤く染めて小さく放ったその声には、私はただ微笑むだけにしておいた。

「登校は時間が合わせにくいかもしれないけど、帰りなら方向は同じだし問題ないわね。でも、灯の隣は私だから」

 成ちゃんは微笑むだけじゃ終わらなかった。

「別に、とる気はない」

「反対側なら開いてるよ?」

 素っ気ない鞠帆ちゃんの言葉に私がそう言うと、彼女は困った顔で逡巡していた。結果的に、迷った末に鞠帆ちゃんは私の左隣――成ちゃんの反対側――を歩くことにしたようだけど、成ちゃんと比べると手もつなげないくらいの距離がある。砂和里手村の道は広いから、間に自転車が通れそうなくらいだ。

 玄関を出ようとしたところで、後ろから千草ちゃんの声が響いた。

「あ、ちょっと灯! それと成も……ええと、守月さん? 気になるけど、それより三人とも、晴虎を見なかった?」

「ううん、見てないよ。成ちゃんは?」

「私も見てないわね」

「同じく」

 私たちは揃って首を横に振る。

「そっか、じゃあ見かけたら体育館にくるように伝えておいてくれる? UFOを呼ぶのに使うからって貸した体操服、放課後に返すって言ってたから教室で待ってたんだけど、水晶を持って外に出ていったきり戻ってこないから。多分、忘れてオカルト研究部の活動をしてるんだと思うんだ」

「鞄はあるの?」

「うん。ま、ときどきあるから普段は気にしないんだけど、明日使うから体操服は洗濯しておきたいし、お願いね!」

 両手を合わせてそう言うと、千草ちゃんは校内を早足で歩き去っていった。

「……ねえ、灯。UFOって体操服で呼べるの?」

「さあ? 鞠帆ちゃんの方が詳しそうだけど」

「神社と巫女はUFOの専門家じゃない」

 このまま帰宅する私たちには見つける機会はあまりないと思うけど、とりあえず校門の周辺までは晴虎ちゃんがいないか探しながら歩くことにした。

 そして校門の近くまできて見回していると、校門の外に背の高い男性が立っているのが見えた。制服も着ていないし、顔つきや体つきも大人だから生徒ではなさそうだ。誰かのお父さんにしては若すぎるし、お兄ちゃんか、あるいは先生の知り合いかもしれない。

 初めて見る人かどうか、どこかで見たことはあるかもしれないけど、普段は見かけない人であるのは確かだ。ずっとここにいたなら、もしかすると晴虎ちゃんを見ているかもしれない。

「あの、ちょっといいですか?」

 私が声をかけると、その男性は私の目をはっきりと見た。私たちの様子から視線はときどきこちらを気にしていたけど、その鋭くて理知的な目には何となく深い経験を感じる。

「俺は数時間前からここにいる。何を聞きたい?」

 私が質問するより先に、男性は聞きたいことの一つを答えてしまった。私はそのことにちょっと驚いたけれど、千草ちゃんのお願いを思い出して尋ねる。

「一年生の女の子を見ませんでしたか? 落ち着いた雰囲気の、きっと水晶を持っていると思うんですけど」

「ふむ。水晶か。それなら校門の外を歩いている姿を見た。十二分ほど前だから、おそらく今は……」

 男性の指さした方向は学校を囲う壁の先で何も見えなかった。

「ありがとうございます。成ちゃん、鞠帆ちゃん、いこう」

「ええ。……誰かしら?」

「……あの人」

 成ちゃんは振り返って彼を見て、鞠帆ちゃんは視線を落として何かを考えているみたいだった。気になる人だったけど、今はそれより晴虎ちゃんだ。

 男性が指さした場所に近付くと、外周の壁がなくなって視界が開ける。あとはグラウンドだからフェンスがあるだけで、そこに誰かがいればすぐにわかる距離だ。そしてその場所には、水晶玉を両手にそろそろと道を歩く晴虎ちゃんの姿があった。

「ほぼ一致してるわね」

「うん。凄いね、あの人」

 私たちは晴虎ちゃんに近付いて、声をかける。

「晴虎ちゃん、千草ちゃんが探してるよ」

 私の言葉に晴虎ちゃんは小さく首をかしげたけど、やがてはっとして目をやや開いてから、小さく笑った。

「体操服ね。洗濯はしておいたし、明日でもいいと思ったから忘れてたわ。……でも、確かに放課後に渡すとも言っていた。千草はどこ?」

「体育館だって。……UFOって呼べたの?」

 どうやって呼んだのかの方が気になるけど、まずは結果から尋ねるのが正しい気がする。

「そう、あの体操服は役に立ってくれた。ただ、残念ながらUFOは見つからなかった。推論が外れたことになるから、詳しくは秘密よ。……恥ずかしい」

「そっか。早くいってあげてね」

「ん。ありがとう、灯と成と、関係が気になる……巫女様」

 晴虎ちゃんはミステリアスに笑って言い残すと、普通の速度で体育館を目指して歩き出した。

 巫女様と呼ばれた巫女さん鞠帆ちゃんは、まださっきの男の人を考えているようで、あまり反応はしていなかった。守月神社は砂和里手村では知らない人がいない有名な神社だから、初詣やお祭りで人の多く集まる日に会ったことがあるのかもしれない。

 といっても、砂和里手村は毎月のようにお祭りがあるのに、神社に露店が並ぶことはないそうだから、ちょっと増えるくらいで大人数が集まることはないらしい。

 晴虎ちゃんを見つけた私たちは、そのまままっすぐに家に帰ることにした。

 その間、自転車一個分の通り道を空けて隣を歩く鞠帆ちゃんとの距離は、それ以上縮まることはなかった。でも、話はそれなりに弾んでいたから、心配は何もいらないと思う。


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