四月 第一章 触手は神の使いじゃありませんわ。


第五話 月よ星よ守る月と


 水曜日の朝はよく晴れていた。小さな雲が一つだけ浮かんだ青空は、雲一つない空よりも趣があって絵になる風景だ。

 成ちゃんといっしょに今日も学校に到着すると、教室では春川くんと夏山くんの議論を交わす声が聞こえてきた。

「いや、ここはやっぱり、『アーチャー』で遠くから削るのが一番だろ? 出してすぐに攻撃ができるし、決まるときは一気に決まるぞ!」

「だが、『乱舞』を受けたら一撃だろう? ここはやはり『アーマー』で堅実に、距離をとるにしても『ランサー』や『ウィザード』で安全に……」

「ああ、『ランサー』も魅力的だな。でもそれなら、『ファイター』と合わせた方がいいんじゃないか?」

 二人が話をしているのは、人気の一人用カードゲーム『大魔王』の戦略についてだ。この村でも数年前から人気が続いていて、私や成ちゃんもときどきやっている。

「今日も飽きないわね。まあ、楽しいのはわかるけど」

「うん。お財布にも優しいよね」

 私たちのクラスでは、『大魔王』は定番のカードゲームとして定着している。倒すべき相手の大魔王の攻撃はランダムで決まるから、必勝法というのは存在しない。その時々の考えや気分で戦略も変わるから、何度やっても飽きないのだ。

「こんなに息が長いゲームで、儲かっているのかしら?」

 成ちゃんが荷物を置きながら、話を続ける。教室には晴虎ちゃんの姿はあるけど、千草ちゃんは外にいるらしく姿はなかった。

「確か、フラワースナイプだっけ? 他の商品は見かけないし、謎だよね」

 私も荷物を置きながら答える。フラワースナイプは企業か個人かもわからない、謎に包まれた団体だ。一応、パッケージに連絡先は載っているけど、昔、春川くんが調べたところによると、頼まれて販売だけをしているとのことで、詳しいことは教えてもらえなかったそうだ。

 教科書を机に入れ終えて、ふと視線を向けると晴虎ちゃんはカードを手に何かをしていた。一人のときの晴虎ちゃんは、いつもああやって占いみたいなことをしている。九割は占いだけど、たまに眺めているだけのときもあるから断定はできない。

 その晴虎ちゃんも気になって占いをしてみたらしいけど、フラワースナイプの正体については何も見えなかったと言っていた。

 そのまま少し話をしていると、扉が開いて鋭刃くんが教室に入ってきた。鞄は持っていないから学校には既に到着していたようで、まっすぐに私たちの方に歩いてくる。

 昨日はあのあと、私たちがンレィスと会った経緯を話して、鋭刃くんがもっと昔からンリァスちゃんといっしょにいることは聞いたけど、それ以上の詳しい話はしていない。ちなみに、恋凜さんは何を聞いてもにこにこ笑うだけだった。

「二人とも、少しいいかな?」

「うん。ここでいいの?」

「ああ、問題ないよ。君たち、部活はもう決めたのかい?」

 私と成ちゃんは顔を見合わせて、いっしょに首を横に振る。予想もしていない質問に意表を突かれたけど、答えるのは簡単だ。

「私は灯といっしょならなんでもいいわよ」

「まだ入るかどうかも決めてないけど、どうしたの?」

 砂和里手学校は小中高一貫だけど、部活動が本格化するのは一般的な学校と同じで高等部からだ。夏山くんみたいに中等部から空手部に入っている生徒も少なくはないけど、私たちはどの部活にも入っていない。

「そうか。ならいいんだ。もしかしたら、君たちを勧誘することもあるかもしれないから、念のためにね」

 微笑む鋭刃くんの言葉に、遠くで反応したのは春川くんだった。

「……勧誘? それってもしかして第一のことか?」

 そして反応した春川くんは、私たちを不思議そうに見てから、鋭刃くんを見て尋ねる。

「そうなるね。梅乃助くんは、第二生物部だったね」

「おう。けど部活の前に、梅乃助って呼ばないことも覚えてほしいところだな」

「おっと、失礼。梅くん――は少し親しすぎるし、春川くんでいいかな?」

「ま、梅でもいいんだけど……それより」

 春川くんは私たちの顔を見て、それからちらりと鞠帆ちゃんの方を見てから言った。

「鋭刃。第一生物部は美少女四天王を集めてどうするつもりだ?」

 視線を向けられた鞠帆ちゃんはそれに気付いても、春川くんを見返すことはなかった。代わりに視線は私と鋭刃くんに向けられて、そしてまたすぐに別のところに向いた。

 春川くんの入っているのは第二生物部。第二というからには第一生物部もあって、鋭刃くんは第一生物部に入っている。そして、彼が鞠帆ちゃんを第一に勧誘しているのは有名な話だ。それから、鞠帆ちゃんが毎度断っているのも同じくらい有名だ。

 第一生物部の活動は謎に包まれていて、実質的には第二生物部が正しく生物部の活動をしている部活なのだけど、第一には勧誘されないと入れないという不思議な入部条件がある。

「何もないさ。それに、勧誘は僕が決めることじゃなくて……」

「うーん……神尾塚会長か。そっか、そうだったな」

 第一生物部の部長は、神尾塚里湖〈かみおづか りこ〉という二年生の先輩だ。その名前は第一の部長としてよりも、砂和里手学校の生徒会長として生徒みんなに知られている。

「……それに、四天王というなら、私や千草は勧誘されていない」

 いつの間にか傍にきていた、晴虎ちゃんが春川くんに言った。

「オカルト研究部としては、第一生物部も興味の対象だから、もし正式に勧誘されたら情報は流してもらえる?」

 今度の言葉は私と成ちゃんに向けてのものだ。

「どうだろう? よくわからないや」

「そうね。心当たりがないわけじゃないけど、もしそれなら難しいかもしれないわ」

「……そう」

 それだけ言うと、晴虎ちゃんは席に戻って再びカードを触り始めた。成ちゃんの言う心当たりはもちろん、ンレィスたち触手のことだろう。

 ちなみに、もう一人の千草ちゃんは第一生物部に勧誘はされていないけど、いくつもの運動部からは勧誘を受けている。体育の授業でも部活の生徒を押しのけて大活躍するくらいだから納得だけど、彼女は特定のスポーツをやる気はないらしく、毎回断っている。その勧誘も中等部時代はしばらく落ち着いていたけど、高等部になって再び増え始めたと困った顔をしていたのをよく覚えている。

「それじゃ、僕は他にも用事があるから、もういくよ」

 鋭刃くんは小さく手を振って、その他の用事とやらを済ませるために教室内を歩いていった。

「で、守月さん。君には是非、第一生物部に入ってもらいたいんだけど……」

「だから、私は第一に入るつもりはない。そんなことをしなくても、必要があるなら手伝いはするし、今までもそれで問題なかったはずだけど」

「それは、確かにそうなんだけど……ほら、その方が学校でも……」

「……学校で……」

 あまり盗み聞きはよくないけれど、狭い教室では自然と声は聞こえてくる。以前はよくわからない話だと思ったけど、今なら何の話をしているのかよくわかる気がする。

「……お断りする。その必要は、ない、と思う」

 何度も間があって、歯切れの悪い答えに鋭刃くんはやや驚いた顔をしていたけれど、横目に見えただけだから気のせいかもしれない。

「わかった。また今度にするよ」

 二人の話はそこまでのようで、鋭刃くんは教室を出ていった。

「……気になるわね。ねえ、灯?」

「そうだね。気になるよ」

 成ちゃんの言葉に、私は笑顔でそう答えた。やりたいことはもう決まったけれど、心の中だけで言葉にはしない。……今ここでは、言葉にはできなかった。

 放課後。

 空に浮かぶ雲は二つに増えて、それでもなお青空はよく晴れている。雨雲がやってくる様子はなく、絶好の散歩日和だ。

「今日も神社にいくんですのね」

「うん。鞠帆ちゃんにも会いたいから」

 私はンレィスといっしょに、守月神社へ散歩に向かう。成ちゃんとは途中で彼女の家に寄って、合流するつもりだ。

 休み時間や昼休みに話しかけることも考えたけど、昨日の様子だと鞠帆ちゃんはきっと同じような反応しかしてくれないと思う。成ちゃんの家の前について、玄関から出てきた彼女と合流して再び歩き出す。

 鞠帆ちゃんとなかよくなるには、学校で鞠帆ちゃんに話しかけるだけじゃだめだ。彼女が月星ちゃんといっしょにいるとき――学校が終わってからの鞠帆ちゃんに会わないと、鋭刃くんみたいに距離を置かれて、断られるだけだと思う。

「成ちゃん。鞠帆ちゃんとなかよくなれるかな?」

 守月神社までの道のり、私は成ちゃんに尋ねてみた。

「どうかしらね。鞠帆には私たちよりも先になかよくなるべき相手がいるでしょうし、それが解決すれば……」

「鞠帆ちゃんと月星ちゃんは、もうなかよしだと思うけど……」

 私の言葉に、成ちゃんは私の顔をじっと見つめて、ゆっくり首を横に振った。

「なかよしにも色々あるのよ。私と灯は親友だけど、鞠帆と月星は信じる者と信じられる者だったんだから」

「それが誤解であった以上、問題は鞠帆にありますわね。灯から聞きましたわ。まだ学校では、様をつけて呼んでいたのでしょう?」

「無口だった月星に問題がないとは言えない?」

 成ちゃんの言葉に、ンレィスは少し考えるような仕草をしてから答えた。

「言わないのが問題であるとするなら、わたくしには他にも気になる方がいますわね。それについてはどうお考えですの?」

 今度は成ちゃんが考え込んでしまった。私には何のことかよくわからないけど、なかよしにも色々な形があることはちゃんと理解できた。原因は本人たちにさえわかればいいのだから、私はこれからのことを考えるだけでいいはずだ。

「鞠帆と灯は違うわよ。もちろん、月星と私もね。ま、似てるところはあるかもしれないけれど」

「……何の話?」

 私の名前が出てきたので、成ちゃんとンレィスに尋ねる。

「さあ、気のせいかもしれませんし、わたくしの口からは言えませんわ」

「秘密。灯は気にしなくていいわ。うん。気にしなくていいの」

 成ちゃんの声が少し弱々しく感じられたけど、気のせいかもしれない。

 そうして話しているうちに、守月神社を囲う森林が見えてきた。神域の森を前に、私たちの注意は鞠帆ちゃんと月星ちゃんに切り替わる。

「で、どうするつもりなの?」

「どうって……。なかよくなりたいって言って、なかよくなるの」

 成ちゃんの質問に、私は笑顔で、自信満々に答えた。

「それはまた、単純ね」

「でも、まだ言ってないよ。なかよくなりたいなら、なかよくなりたいって言わないと。そのうち察してくれると待つだけじゃ、だめだと思うの」

「……そうね」

 成ちゃんの答えに間があった。私は少し心配になったけど、大きくぶんぶんと首を横に振った成ちゃんは、改めて言い直した。

「ええ、その通りよ灯。こういうことはちゃんと言わなきゃだめなの。でも忘れないで。私たちが鞠帆となかよくなる前に、先に言うべきことがあるわ」

「わかってるよ、成ちゃん。鞠帆ちゃんと月星ちゃんに、なかよくなってほしい。ともだちとして、もっとなかよく、だね」

 私と成ちゃんの会話にンレィスは黙っていたけれど、触手の動きはとても楽しそうだった。それを同意と受け取って、私たちは神社の境内を進む。察するのが困難なこともあるけれど、察するだけで十分なこともあるのだ。

 鞠帆ちゃんの姿は、神樹の下にはなかった。そのまま歩き続けると、拝殿の前の参道で、箒を両手にお掃除をする彼女の姿を見つけた。傍には月星ちゃんの姿はなかったけれど、見回してみると本殿の下に潜む月星ちゃんの姿が発見できた。

 鞠帆ちゃんは気付いてはいるけれど、気にしないようにしているようで、月星ちゃんは鞠帆ちゃんをはっきり意識しているけれど、積極的に近付くことはしないようで、一人と一触の間には微妙な距離感があった。

「鞠帆ちゃーん! 月星ちゃーん! そんなに離れてないで、もっと近くでなかよくしたらいいよー! それから、私も鞠帆ちゃんとなかよくなりたーい!」

 私は大きく手を振って、鞠帆ちゃんと月星ちゃんの一人と一触に聞こえるように大声で言った。あれだけ離れているなら、これくらいの大きな声じゃないとちゃんと聞こえない。

「あ、もちろん私も同じだから」

 続いた成ちゃんの声は大きくはなかったけど、鞠帆ちゃんが反応したから声は届いていると思う。本殿はちょっと遠いから、月星ちゃんには聞こえていないかも。けれど、私たちのことは後回しのつもりだから、大丈夫だ。

 声を聞いた鞠帆ちゃんはなおもお掃除を続けているので、私たちから近付いていく。

「月星ちゃんではなく、月星様と呼んで」

 ある程度まで近付くと、箒で掃く手を止めずに鞠帆ちゃんが言った。

「……鞠帆、様、いらないから」

 本殿の下から出てきた、月星ちゃんが言う。私たちが鞠帆ちゃんに近付く間にンレィスが呼びにいっていたので、合流はすぐだった。

 月星ちゃんは足のような触手を箒の上に乗せて、鞠帆ちゃんの傍に寄る。お掃除の邪魔にならないよう、箒には触れずに寸前で浮いているだけみたいだ。

「月星様は月星様です。……だめ?」

「……だめ、じゃないけど。……月星、がいい」

 初めて会った日はちょっと声を聞いただけだったけれど、もうその日と同じくらい月星ちゃんは声を出している。恥ずかしがっていた頃よりは話しやすそうに見えるけれど、やっぱりどこか踏み込めていないような気もする。

「……むう。あ、色倉さん、大岩さん、参拝するなら月星様に直接でもいい」

「私も、灯でいいよ」

「成でいいわよ。さんもいらない」

 私と成ちゃんが素早く返すと、鞠帆ちゃんは顔に不満を浮かべてじっと睨んできた。

「だから、触手は神の使いじゃありませんわ」

 睨み返すわけじゃないけれど、ンレィスは触手をすくめて、呆れた声でそう言い返した。

「それは、確かにわかって、……月星様にも聞きましたし、ええと」

 鞠帆ちゃんは視線をさまよわせて、困った顔で月星ちゃんを気にしながらも、はっきりと視線は止めずに色々なところで止まったり動いたりしている。

「触手様は神の使いじゃない……だから、月星様も月星で……その」

 ちらりと鞠帆ちゃんは月星ちゃんの様子を窺っていた。自分でも希望していたくらいだし、本人は気にするはずもないのだけど、鞠帆ちゃんは確かめないと先に進めないらしい。

 月星ちゃんは触手をふりふり動かして、嬉しそうな仕草をしながら、一本の触手をそっと伸ばして鞠帆ちゃんの頬に触れる。鞠帆ちゃんの体はぴくんと跳ねたけど、その動きはどこか慣れた動きで、表情は落ち着いていた。

「月星さ――月星」

 それはきっと、鞠帆ちゃんが月星ちゃんを触手様と呼んでいた頃と同じ動き。無口で恥ずかしがりだった月星ちゃんとはずっといっしょにいた鞠帆ちゃんだから、言葉で認められるよりも、動きで認められた方が納得がいくのだろう。

「月星お姉様や月星先輩で、妥協はできない?」

「だめ」

 食い下がる鞠帆ちゃんの提案は、月星ちゃんに二文字で切り捨てられた。

「だめ?」

 月星ちゃんは無言で触手をすっと動かす。私にはよくわからない動きだけど、鞠帆ちゃんには明確な拒絶として伝わっているのが表情でわかる。

「……わかった。月星がそう言うなら、仕方ない。けど、ううん、わかった」

 鞠帆ちゃんは視線をどこかに向けて最後の戸惑いを見せたけれど、考えを覆すことはなかった。月星ちゃんは嬉しそうに、こちらに触手を振って見せている。あれが私たちへの感謝の動きであることは、想像しなくてもすぐに伝わった。

「ところで」

 鞠帆ちゃんの視線が箒の上から動いて、私たちの方に向く。

「あなたたちが私となかよくなりたいのもわかった。月星とのこともあるし、感謝してもいいけれど、二人のことは灯さんと成さんでいい? 月星様から月星と違って、色倉さんと大岩さんから、一息で灯と成にするのは恥ずかしい」

 きりっとした顔でかわいいことを言った鞠帆ちゃんに、私と成ちゃんは大きく頷いた。

「もちろんだよ」

「ま、私は鞠帆って呼ばせてもらうけど、面倒だし。さんをつけた方がいい?」

 成ちゃんの確認に、鞠帆ちゃんは首を横に振った。呼び方が恥ずかしいだけで、呼ばれ方はそんなに気にしていないみたいだ。

「あ、あなたはンレィスと呼ぶから」

「……わたくしは構いませんが、どうしてわたくしだけですの?」

「月星がそう呼んでいる。さんをつけたら、月星に怒られる」

 とのことらしい。そうなると、月星ちゃんは私たちのことは呼び捨てにしていないことになるけど、やっぱり同じ触手同士でわかりあえることが多いのだろうか。最初に月星ちゃんの勇気を出させたのもンレィスだし、神樹の上できっと二触の間に色々あったのだろう。

 だったら私もンレィスに負けないように、人間同士でもっとなかよくならなくちゃだね。鞠帆ちゃんのことは知らないこともいっぱいだし、これからゆっくりと親睦を深めていこう。

「そういえば、鞠帆はそれが素でいいのよね?」

 私がそう思って気持ちを定めている間に、成ちゃんが聞いた。

「え? そうだけど」

「そう。ちょっと気になったから聞いたんだけど、わかったわ」

「……変な質問。私、あなたたちの前では素しか出していないはずだけど」

 納得した成ちゃんの様子とは裏腹に、鞠帆ちゃんは小首をかしげて怪訝な表情をしていた。


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