図書委員の仕事を終えて、帰宅した私はお姉ちゃんから事の次第を聞いた。お姉ちゃんと一緒に俊一の家に行くと、彼は部屋のソファに座ってじっとしていた。私より先に帰宅していたので、お姉ちゃんはもう話をしたそうだ。
「帰ったか。クーリは?」
私たちの顔を見てすぐに、俊一は身を乗り出して言った。
「すぐにわらわを頼りにするとはな。まあ、桜もそのようだったが」
くりぐるみは家で脱いである。一応バッグにぬいぐるみを入れてはあるけど、クーリは素の姿で雪の中に潜って移動してきた。隠れる意味半分、雪に触れたいのが半分だと思う。
「ええ。クーリ、あなたなら遥を止められるでしょう」
「否定はせん」
「じゃあ、頼めるか?」
「よかろう。わらわが遥を救ってやる」
クーリは触手の先っぽを軽く持ち上げて、はっきりと宣言した。いつものようにメス幼女風情ではなく、遥と呼んで。それだけで俊一は少し落ち着いたみたい。ソファに浅く腰を下ろして、大きく息をついていた。
「だが、場所がわからぬのでは……」
利音市にいるのか、それともどこか別の場所にいるのか。利音市内にしても、結構広いから探すのは大変だ。けれど、その居場所はすぐにわかることになった。
「ちょっと俊一! どういうことよ!」
ツイナがチャイムも押さずに窓を開けて、家の中に入ってきた。空を飛んで着地して、テール力で窓の鍵を開錠。それからの第一声がこれである。
「慌てているな、メス尻尾風情。何があった?」
「家に入ろうとしたら鍵がかかってて、遥がいたのよ。安土塔が占拠されたわ!」
「ほう」
「それで、塔の監視をするお姉ちゃんに代わって、私が事情を確かめに来たってわけ。さあ俊一、説明しなさい!」
「なるほど、居場所はそこか。ツイナ、塔を取り戻すためにわらわが協力してやろう」
触手の先っぽを細かくゆっくりと揺らして、クーリが提案する。
「それはありがたいけど、事情は説明してくれるんでしょうね?」
「ええ。それなら私に任せて。じゃあ行きましょうか」
安土塔へ歩きながら、お姉ちゃんがツイナに説明する。俊一は「ツイナとクーリだけでも先に行けないのか?」と急かしていたけど、クーリに「急いだところで事態が好転するわけでもあるまい。全員の方が使える手段も増やせるだろう」と返されていた。
私やお姉ちゃん、俊一には、クーリやツイナの触手力やテール力のような、魔法力に対抗する力はないけれど、遥ちゃんのことは私たちの方がよく知っている。私たちだけならどうにもならなくても、クーリやツイナがいれば知識を役立てることもできるだろう。
「ところで、最後に目覚めたのは何だったの?」
ふと浮かんだ私の疑問に、クーリが答える。
「おそらくは、リミッターの解除だろうな。魔法を効率よく使うために、意識を抑えて体に魔法力を流す。体の成熟した人間族であれば、多少おとなしくはなっても暴走することはないだろうが……遥はまだ十歳だ」
「へえ、テール族と似たようなものね。私たちがテール力を流すのはテールだけだけど」
「そのあたりはわらわたち触手族も同じだな」
「遥くらいの年齢でも、幼い頃から使っていれば大丈夫だと思うけど……突然だったら仕方ないわね」
その他にも色々と話しているうちに、私たちはツイナとポーニャさんの家――安土塔に到着した。
「お待ちしていました。今のところ、遥さんの体調に異常は見られません」
私たちを迎えたポーニャさんから現状を把握。
「一階の鍵は開けておきましたが、中は把握してません。ただ、気配から察するに居場所は三階。そこまでは安全に進めるかと」
「俊一、まるでラスボスの塔だね」
「人の妹を勝手にラスボスにするな」
十階建ての高い塔に潜む、魔法王の末裔。ラスボスっぽい響きは十分だと思う。
「そうよ。ラスボスなら塔は自分で建てるべきよ」
ツイナが扉を開けてさっさと進んでいく。ポーニャさんの言葉通り、一階、二階と登るにつれてぴりぴりした雰囲気が漂ってくる。私にもわかるくらいだから相当なものだ。
「おい、ツイナ。少しくらい警戒したらどうだ」
「なによ。お姉ちゃんが安全って言ってるんだから、その必要はないでしょ」
と、そこまで言ったところでツイナは足を止めて振り向いた。
「どうした、ツイナ?」
「どうしたはこっちのセリフよ」
「なに、わらわ一手では解決できぬからな。協力すべきメス尻尾風情が二テールもいるなら、名前で呼んだ方が早いだろう」
「ふーん。ま、いいけどね」
納得した様子のツイナに、ポーニャさんが便乗した。
「そうですね。呼称は短い方が有用です。クーリさん、私もいいですか?」
「うむ。ポーニャもクーリと呼ぶがいい」
「了解しました。ということで菊花さん、俊一さん。念のためにお二人のことも菊花、俊一と呼びますが、よろしいですね?」
「もちろん」
「さん」くらいならあんまり変わらない気もするけど――事実、私たちはこのあともポーニャさんと呼んでいたけど支障はなかった――断る理由もないので私は頷いた。
「ああ」
「良かったではないか、オス人間風情」
「俺はそのままかよ」
すかさず反応する俊一。クーリは先っぽを軽く揺らして、返事をする。
「冗談だ、俊一。ふ、どうやらだいぶ落ち着いたようではないか。その調子で頼むぞ」
「わかんねーよ」
俊一は文句を言いながらも、その口調は優しい。緊張もほぐれたみたいだ。
「そうだよ。俊一は切り札なんだから」
「なんだよそれ」
「精液出せるのは俊一だけ」
「お前なあ」
「ま、案ずるな。わらわたちが何とかするから、使う機会はないだろう」
「クーリ、それも冗談だよな?」
「いや、本気だが。前にも言ったであろう」
新たに子を宿すことで再び封印を――私が冗談で言ってみたら、クーリに面白い考えと評された案だ。後日、クーリから実際に有効な方法であるとも認められた。もっとも、確実に受胎させるためには条件を整える必要があるそうだけど、その程度はクーリなら簡単とのこと。
「大丈夫だよ俊一。入れて出すだけの簡単な作業」
「簡単言うな」
「あなたたち、そろそろ三階よ」
先頭を歩くツイナが三階への階段に到着した。ここを登れば小部屋があって、目の前には大きな両開きの扉が現れる。そしておそらく、遥ちゃんがいるのはその先の大部屋だ。
私たちは階段の前で軽く準備を整えて、再び歩み出す。準備といってもツイナを先頭にばらばらに歩いていたのを整えただけ。先頭にクーリとツイナが並び、数歩距離をとって後ろにポーニャさん。そのすぐ後ろに私、俊一、お姉ちゃんと続く。
小部屋には予想通り遥ちゃんの姿はなく、クーリとツイナが触手とテールで叩いて勢いよく扉を開ける。部屋の中は真っ暗で、小部屋の窓から差し込む光も届かない。深海の闇は魔法によるものだろうか。
私たち全員が部屋に入ると、扉が閉じて、鍵の閉まる音が静かな部屋に響いた。部屋に明かりが灯っていく。奥には立派な松明に挟まれた、豪華な王座が据えられていた。
「これも魔法か?」
「え? どっちも部屋の仕掛けよ?」
俊一の質問にツイナが即答した。彼女によると、扉を開けた少し先に光を遮断する仕掛けが備えられているそう。その仕掛けも、王座と松明もボタン一つで簡単設置だ。
遥ちゃんは王座に腰を下ろして、私たちをじっと見つめている。その瞳に光はなく、どう見てもいつもの遥ちゃんじゃない。ツイナを見ると彼女は首を横に振った。さすがにこれも部屋の仕掛けということはないようだ。
「とにかく、近づかないと。罠はないよな?」
「ええ、そんな仕掛けはないけど……」
言葉を濁すツイナに首を傾げながらも、俊一は遥ちゃんに向けて一歩踏み出す。そしてもう一歩踏み出そうとしたところで、彼の二歩目は空中で静止する。
「何かあるの?」
私も俊一と同じように一歩踏み出したところで、幼馴染みの足が止まっているあたりに手を伸ばしてみる。見た目にはなにもないけれど、同じところで私の腕は止まった。
「ふむ。なるほどな」
クーリは触手の先っぽを同じところに伸ばしてみる。同じように止まるかと思いきや、彼女の触手は簡単にそこを乗り越えた。
続けてツイナ、ポーニャさん、お姉ちゃんもやってみたところ、通り抜けられたのはツイナとポーニャさんだけ。
「部屋の仕掛けはないけど、遥が何かしてるみたいね。どうしようかしら?」
「わらわたちに制限がないなら問題はない、と言いたいところだが……」
「少し待ってください。調べてみます」
ポーニャさんが見えない壁のあるところの前で足を止めて、手を伸ばした。手のひらをカーペットに触れさせて、ポニーテールを淡く光らせる。見るのは初めてだけど、テール力での感知であるのは、後日尋ねるまでもなくわかった。
「……なるほど。そうですね。では、私はとりあえずこのあたりに」
ポーニャさんは見えない壁に沿って壁に向かって歩いていき、壁から数メートル離れたところで足を止めた。そして、見えない壁を体ごと乗り越えて、両足をカーペットに乗せる。部屋に変化が起きたのはその瞬間だった。
カーペットの上にぼんやりと輝く光の線が走りだす。
縦に六本伸びた光は部屋を七等分に、横に八本伸びた光も部屋を七等分していた。私たち側の九本目はちょうど見えない壁のところに、遥ちゃん側の一本目は王座の手前に。どちらも部屋の壁までは距離があって、九等分というには端のスペースが広すぎる。縦横の光の線で描かれるのは、七×七マスの盤。
両者の手前、横七マスは明るい白の光で包まれ、暖かい感じがする。中央の五×五マスは濃くて太い囲う光に比べて、内部の光は薄くて細い。そして残る壁際の五マスは光が弱く、やや暗い空間になっている。
ポーニャさんが両足を乗せたのは、私たち側から見て手前の一マス目、右からニマス目の場所。
「それじゃあ、あたしはっと」
「ツイナはわらわの隣だな。その前に……」
「ええ。そうね」
クーリは尻尾に巻いたレースのリボンを、ツイナは胸につけた銀のブローチをそれぞれ外して、私に渡してくれた。触手力やテール力を使わずに、手渡しで。
「菊花、預かっておいてくれ。戦いで燃えては困る」
「あたしもお願いするわ。傷がついたら困るもの」
「うん。大事に預かっておくね」
左から四マス目にクーリが浸入し、その左隣にツイナが並ぶ。私は受け取ったリボンを綺麗に折りたたんで、その上に銀のブローチを乗せながらその様子を見ていた。
「菊花、この形は……」
「間違いないね」
クーリはマスの端に触手を伸ばしてみるけれど、見えない壁に阻まれて先っぽが止まる。
「へえ、これがね。話に聞いていたのとは違うようだけど」
「私たちもこの形は初めてだよ。ね、俊一?」
「ああ、でも基本は同じだと思う」
この盤のマス目と、マスの区分け、入れるのは三人だけというルール。盤の大きさこそ違えど、前にこの部屋でやったカード&ボードゲームと全く同じだ。
「でも……」
相手は遥ちゃん一人。三対一なら勝負にならないから、全てのルールが同じとは限らない。実際に周囲を見回しても、元のゲームにあったツイン、ポニー、サイドにあたるものは見つからない。俊一も同じことをしていて、お姉ちゃんにも呼びかけて三人で探してみても、それらしきものはやっぱり見つからなかった。
「ふふ、この部屋に入った時点で、既に遥の領域だったということね」
「順番に入って正解だったね」
多分、プレイヤーが決まったのは部屋に入るとき。クーリたちが先頭じゃなかったら、魔法力も触手力もテール力もない私たちが、知力と体力だけで戦うことになったかもしれない。
「ああ、けど、これじゃあ……」
俊一は同意しつつも、拳を握って遥ちゃんを見つめていた。
「精液、届かないね」
「全くだ。手も足も届きやしない」
元々、先頭で戦うのはクーリたちに任せるつもりだったとはいえ、一切手出しができないというのは想像以上に辛いようだ。精液を否定しなかったのがその証拠。でも俊一の場合、ついに自分の性的嗜好を隠すのをやめて、開き直った可能性もあるかもしれない。
「しょうがないね。お姉ちゃん、バッグ」
「言われるまでもないよ。はい、俊一」
「えっと、これは?」
俊一はお姉ちゃんから受け渡されたもの――一枚のノートとシャープペンシルを交互に見ながら尋ねた。
「わかるでしょ?」
「……本気か?」
私の言葉に、俊一は結構な間を置いて答えた。わかってるなら話は早い。
「記録は重要よ。この戦いを、笑って話せる思い出として残すこと。それこそが無事な解決への祈りとなるでしょう」
「桜さんがそう言うなら……わかりました」
さすがの俊一も、お姉ちゃんの言葉には弱かった。こんなこともあろうかと、しっかり準備しておいたのが役に立ってよかった。