リシアが現れてから、一本のゲームを順調にクリアした頃、郵便受けに一通の手紙が入っていた。済んだ青空のような色の封筒に、可愛らしいシールで封をされた一通の手紙。
宛先は間違いなくこの家の住所で、宛先人は菜山優日。
そして差出人は――レイクサイドハウス。
封筒の表にロゴ、裏には筆で書かれたような手書きの文字で。アンケート封筒を送った回数は一桁ではないし、レイクサイドハウスが俺の名前と住所を知っているのは当然だ。気になるのは、レイクサイドハウスからの手紙が届いたのは今日が初めてということ。追加アンケートが来たことも、新作を宣伝する手紙が来たことも、一度だってない。
そんなレイクサイドハウスからの初めての手紙が、今、来た。リシアについて誰よりも、どんなファンよりも詳しいであろう、謎の開発会社から。
すぐに部屋に戻って、慎重に封を開ける。シールは剥がしやすく、綺麗に開けられた。
便箋を取り出す。中に入っていたのは一枚の便箋。丁寧な四つ折りだった。
菜山優日くん。
君と話したいことがある。
――封印について、君も気になっているだろう?
文章として書かれていたのは、たったそれだけだった。その下に描かれていたのは詳細の地図と、いくつかの目印。その地図には見覚えがある。俺たちの暮らす封土市の地図だ。
目印はここ菜山家と、俺の通う私立風華院学園高等校、妹の通う私立風華院女学校、それにこれは……私立風華院大学だ。俺たちの通う学園は、全て風華院大学の付属学校。両親も大学の卒業生だし、何よりこの封土市において風華院大学は有名な大学だ。通っているわけではないので正確な位置は覚えていないが、地図で示されれば大体の記憶でも理解できる。
そしてもう一つ。最後の目印は、全く記憶にない場所についていた。住宅地でもなく、郊外というほど離れてもいないが、周りに民家の少ない場所にある広い土地。その中心に、一際目立つ目印が描かれていた。
「ここで待ってる、ってことか……」
詳しい話はそこでしよう、ということだろう。手紙には俺一人でとは書いていないし、封印と書いてあるのだからリシアと一緒に行くことにしよう。
リシアを呼びに行こうと立ち上がったとき、扉を一度ノックする音が聞こえた。
「お兄様。ラブレターの返事を書く前に、いざというときの練習をしましょう」
いつものように扉を開けて入ってきた和火葉の言葉には、いつものように返す。
「そうだな。念のため、護身術の練習でもしておいた方がいいか」
「……危ない手紙ですか?」
「念のため、な」
真剣な表情で尋ねる和火葉に、微笑して言葉を返す。
レイクサイドハウスからの手紙とはいえ、危険がないとは言い切れない。もっとも、護身術に関しては二人ともさほど詳しくはないし、練習しても護身になるかどうか分からない。
「リシアと一緒に出かけようと思うんだが、和火葉はどうする?」
「遠いですか?」
「徒歩で二十分くらい、二十五分ってところか?」
地図に目を落として確認する。縮尺から大体それくらいだとは思うが、地図を確認する時間も考慮すると、少し伸ばした方がいいだろう。
「この暑い中を、大変ですねお兄様。行ってらっしゃいませ」
手を振る妹に、小さく頷く。和火葉は完全に行く気はないようだ。自分としてもあまり歩きたくはないが、この時間ならまだそこまで暑くはないだろう。とはいえ、帰りの時間を考えると、日傘くらいは持っていくことにしよう。熱射病から身を護ることは大事である。
「これが日傘かあ……雨傘もあんまり持ったことないから、新鮮だよ」
「そうなのか?」
「聞かなくても、優日ならわかるでしょう?」
リシアと並んで、日傘を差して目的地へ歩いていく。
「確かに、ゲームじゃ雨なんて滅多に降らないよな」
ゲームの世界は基本的に晴れ。雨が降ることがあっても、傘を差すことは少ない。それはリシアシリーズでも同じで、見かけたのはADVやSLGの少女リシアくらいだ。
「ほんと、新鮮だね。できれば相合傘というのも経験したいな」
「帰りになら」
「うん。ありがとう」
こちらに少しだけ体を寄せて、大きく笑うリシアに小さく笑って答える。本来ならどきどきして冷静さを欠いてもおかしくない場面だけど、これからのことを考えると、今はこの程度で動揺してはいられない。だがさすがに、ここで相合傘は理性が負けてしまいそうなので、魅力的な提案も惜しみながら断らせてもらった。帰りならいいや、と返されなくて一安心である。
目的地までの二十五分前後。リシアに街を案内しながら楽しんで向かいたいところだが、この近辺は市街地からは離れていて、普段通ることのない道も多い。地図を見て迷わないようにするのが精一杯だ。
しばらく歩くと、ふいに周囲の建物が途切れた。そして見えてきたのは、緩やかな斜面のてっぺんに建つ一つの建物。地図に描かれていた、目的地と推定される場所だ。
「あれ、か」
「そうみたい?」
口から出た短い呟きに、地図を見ながらリシアが答える。視線の先に建っていたのは、大きな家のようだった。直方体が中心のシンプルな建物に見えて、所々に見える丸みが独特な雰囲気を感じさせる。
「じゃあ、私が先行する? 和火葉からは敵地と聞いているよ」
「敵地って……心配してるんだか、からかってるんだか」
多分どっちもだなと苦笑しつつ、リシアの提案には首を横に振る。確かに万全を期すならその方が安全かもしれないが、レイクサイドハウスが名指ししたのは俺の名前だ。それに、謎の開発会社レイクサイドハウスの正体が分かるかもしれないのだ。封印云々は抜きにしても、どんな環境で少女リシアが生まれたのか、知れるチャンスは逃したくない。
リシアが頷いたのを確認して、再び歩みを進める。半歩後ろにリシアがついてきて、数十秒後には建物の扉の前に着いていた。
「これ、かな?」
扉の横についた小さな丸い突起物。チャイムのようなものを軽く押してみる。すると、目の前の扉がゆっくりと左右に開いていった。どうやら開閉ボタンだったらしい。
紛らわしい仕組みの、まるでゲームの世界に建っているかのような建物だ。ゲームの攻略なら慣れたものだが、ゲームと違ってセーブはできない。即死トラップでも仕掛けられていたらそこでゲームオーバーだ。
もっとも、手紙の文面を見るにその可能性は低いと思うが、話をするために拘束される可能性くらいは考慮しておくべきだろう。『話したいことがある』とは書かれていたが、どんな状況で話すかまでは指定されていないのだ。
リシアの封印について、より詳しい情報を知っているのはあちらだ。もしそれが、知られてはならないものであって、俺が知ったことが誤算であるのなら……。
「そんなところで立ち止まってないで、入ってきたまえ。安心するといい、私にとって君は大事な協力者になるんだ。危害は加えないよ」
扉の前でそうして考えていると、扉の奥――建物の中から女性の声が聞こえてきた。そう、これはゲームではない。操作しないで黙って考えていれば、時間が経過するものだ。
言われるままに中に入ると、待っていたのはラフな格好をしたロングヘアーの若い女性だった。腰に右手を当てて、左手は軽く流して手招きをするような形で止めている。顔には柔らかい笑みを浮かべているが、微かに不敵さを感じさせる読めない表情。
「菜山優日くん。私は冬海湖――レイクサイドハウス唯一の経営者にして、封印研究家として名乗らせてもらおう。こうして挨拶するのは、君が初めてになるがね」
「冬海さん、でいいですか?」
「好きに呼びたまえ。みずうみちゃんでも、私は一向に構わないよ」
「いや、年上ですよね?」
「さて、どうかな? 私は年齢を口にした覚えはないし、レイクサイドハウスの創設者と名乗ったわけでもない。こう見えて、清らかな天才幼女かもしれないよ?」
彼女の背は俺やリシアよりもやや高い。顔つきや体つきを見ても、推定年齢は二十代といったところだと思う。十代の可能性は残っても、一桁の可能性は絶対にない。
「ふ、冗談はこれくらいにしてあげよう。君には知りたいこともあるし、私にも話したいことがある。後ろに控えている、少女も退屈させられないしね」
柔らかい笑みは浮かんだまま、声色も変えることなく、それでも確かな真剣さを滲ませる冬海さん。彼女の様子に俺たちは黙って頷いて、話を始めることにした。
「さて、私が封印を見つけたのは幼い頃のことだ。気付いたきっかけや興味を持った理由など、色々気になるかもしれないが、今は彼女についての話を進めるとしよう。封印された何かを解き放つために、やはり問題となったのは研究費だった。ただ、それらは研究の副産物によって解決する。レイクサイドハウスの少女リシア――それがその解決策だ」
「開発にも封印が関係してる、ってことですね」
この家には冬海さん以外に、人がいるようには感じない。そして彼女は唯一の経営者と名乗っていた。開発者ではなく、経営者と。
「その通り。ゲームを開発したのは私ではなく、封印された何か。リシアとその他、ということになるね。それで、だね。封印を解放するにあたって、様々な素質と呼べるものが大事であると研究中に判明した。そこで、様々なアンケートから、封印を解放できる可能性が最も高いと判断された人間――それが君だよ、菜山優日くん。ということで特別製のディスクを届けてみたわけだが、見事に成功したようで何よりだね」
リシアを見て優しく笑った冬海さんは、そこで言葉を止めた。
「封印が解放されて、研究も完成した……というわけではなさそうですが」
「ああ。こうして直接会うまでは断定できなかったが、今の表情を見てよく理解したよ。まだ全ての封印が解放されたわけではない。そこで君に聞いておきたいことがある」
冬海さんは再びこちらに視線を戻し、俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「リシアシリーズの売上で建てたこの家はね、解放された少女を暮らさせるための家でもあるんだ。ということで、君の両親が帰ってくる夏休み明けにはリシアは私が引き取ろう。けれどもし、君がこれ以上リシアに関わりたくないというのであれば……」
「そんなこと言うわけない、と分かって言ってますよね?」
「うむ。アンケートから性格も、君のリシアに対する愛もよく理解している。可能性は低いと思っていたが、性格調査のアンケートではないからね。ちなみに、君はどうだい?」
質問を振られたリシアは、笑顔でこちらを見て頷いた。
「初めて会話のできた優日と一緒にいたいのは、私も同じだよ」
「うん。問題はないようだね。さて、そういうわけで、君たちには私の研究に少々協力してもらいたい。といっても、やるべきことは簡単だ。そうだね。まずはリシア。こちらへ」
家の奥に案内されて、広い一室にリシアと一緒に入る。部屋の中央は低い台で占められていて、そこから伸びたケーブルの先には大きなモニターがついていた。
「そこに立って、これを突き立ててみたまえ」
「強く?」
「壊さない程度で頼むよ」
渡された棒をリシアは示された場所――部屋の中央に突き立てる。すると、モニターにデフォルメされた小さなリシアが映り、他にも何やら色々と映っていた。見覚えはないが、慣れ親しんだデザイン。初代少女リシアの画面によく似ていた。
「さ、君はこれを」
「はい」
どこから出したのか、冬海さんから渡されたコントローラを握り、操作してみる。すると画面のリシアが動き出したが、棒を突き立てているリシアに変化はない。少し動かして、画面のリシアは地面のない場所に移動して消えていった。
「うん。テストは上出来だね。まだまだ改良の余地はありそうだが……ま、問題はない。リシア、君は何かを意識したわけではないね?」
こくりと頷くリシアに、冬海さんも頷く。
「というわけだ。収入源は確保。優日くん、リシアシリーズは継続できそうだよ。やはり封印は奥が深いね。これもまた、さらなる封印を解放するのに役立つわけだが……優日くんにはその前に、あるものを渡しておこう」
冬海さんは踵を返し、「ついてきたまえ」と促してさっさと歩いていってしまった。俺とリシアは顔を見合わせてから、黙って彼女についていく。
「少女リシアの新作、特別版だ」
ケースに入ったディスクが差し出される。見たところ、ラベルこそないが五光専用のディスクのようだ。すぐに手を伸ばさない俺に苦笑しながら、冬海さんは続ける。
「封印を解放するため、君に合わせて作られたものでね。ちょうど完成したから、こうして連絡させてもらったというわけさ。中身はレーシングゲームのようだね。色々気になることもあるだろうけど、君が本物のゲーマーであるのなら……」
「見逃すわけがないでしょう」
誘導されるまでもなく。俺に合わせて作られたゲームと理解したあたりで、俺は迷わず手を伸ばしてディスクを受け取っていた。ゲーマーの本能が、勝手に体を動かしたといっても過言ではないだろう。
「さすがだね。さて、用事は全て済んだのだけど、質問はあるかな?」
「ありすぎて困るくらいです。封印の研究って、具体的にはどんなことを?」
「ふむ、そうだね……答えあげてもいいよ。しかし、それは同時に君が私の研究に関わると決めるにも等しい。覚悟は問わないが……ふふ。どうするかな?」
「今はやめておきます」
初対面でそこまで深い関係になることは、やめておいた方がいいだろう。自分が気になるのはあくまでもゲーム――リシアについてであって、決して封印についてではないのだから。彼女を疑うわけではないにせよ、距離を一気に詰めるには判断材料が足りなさすぎる。
それから俺たちは、差し出されたチョコレートを頂いてから、すぐにレイクサイドハウスを後にした。用意されていたのはお菓子一つと、水の入ったコップ。来客をもてなすためというよりも、往復のための栄養補給として用意されたものだったのだろう。
家を出る直前、リシアは懐から魔法の笛を出して、何か新しいことが始まりそうな音楽を奏でていた。突然BGMを演奏できるくらいに、彼女も冬海さんに心を許していたらしい。
「記憶はないけど、長年付き添った知り合いみたいな感じがしたの」
帰り道にそう口にしたリシアは、笑顔でもなく驚きでもなく、ただ不思議そうな表情を見せていた。封印って何なんだろうという疑問が頭をよぎったのは、ほんの数瞬。それが過ぎると俺の頭の中は、リシアシリーズの新作を早くやりたいという気持ちで再び埋め尽くされるのだった。