回想・神火
シンカ。神の火、と書いて神火。その名の通り、神と密接に関わるものであり、神火とともに若き神が生まれるという話も、今の私は知っている。しかし、当時の七歳であった僕には、そんなことなどわからなかった。
妹たちも小学校に入学し、少し慣れてきたある夏の日。仲良く三人で家に戻った私たちが見たのは、木々の中で空を赤く染める、大きな炎だった。
「お兄様、あれは?」
翠が私の左手を握り、それよりも強い力で鈴は右手を握っていた。
「火事……」
どこが燃えているのか、外からは大体の位置しかわからなかった。しかし、それが拝殿でないことも、神殿でないことも何となくわかっていた。その火が照らす赤い空は、神木の東、私たちの家のあたりにできていたのだから。
不思議とその火は広がる様子がなく、私たちは木々を抜け、真っ直ぐにその火の燃え盛る場所へと向かった。果たして、そこは私たちの住んでいた家のある場所だった。
今でこそ洋風の家で、神木の影に隠れているとはいえ、やや神社の雰囲気とはそぐわない家だが、当時は和風の家で、まさに神社の神主の住む家といった雰囲気が感じられた。その家が、揺らめく炎に包まれていた。
「僕が見てくる。鈴、翠。二人は待っていて」
私がそう言うと、鈴は大きく首を横に振って、私の腕にしがみついてきた。
「お兄様とお姉様がいくなら、わたくしも一緒がいいです」
「でも……」
危険は感じなかった。とはいえ、火の中に二人を連れていくのは躊躇した。しかし妹たちは私の手を離してはくれず、仕方なく私は妹たちを連れて火の中に向かった。
火の中心には、一人の女性が立っていた。まるで彼女から火が出ているかのような、そんな雰囲気の不思議な女性。真っ直ぐに下ろされた長い髪や、その身に纏う薄い服にも火が燃え移ることはない。その女性が神であると理解するには十分だった。
いや、それらを確認するまでもなく、一目見た瞬間から私たちは理解していたと思う。
「あなたたちは……私はユズリ。神火とともに生まれた、若き火の神です。神の降臨に出会いし人の願いを叶えるは神の務め。あなたたちの願いはなんですか?」
私たちを見て、抑揚のない声でユズリは言った。
「そんなことより、聞きたいことがある」
私は彼女をじっと見つめて、はっきりとそう言った。
「何なりと。願いは慎重に選ぶべきです」
「僕たちの父と母は、どこですか?」
私がそう聞くと、ユズリは周囲の炎を一瞬だけ揺らめかせ、答えた。
「この家の材木の一部として使われていた、折れた神木の欠片。それを元に神火は生まれました。その際、この家にいた二人の人は、神火に焼かれて死んでいます」
「お父さんと、お母さんが……?」
「お姉様、お兄様、わたくし、耳が悪いのでしょうか」
驚いたのか、小さな声を出した鈴に続いて、翠が弱々しく尋ねてきた。私は無言で二人の手を握り、目の前の若き神を見据えた。
「間違いない、の?」
「はい。神火は私の一部。間違えることなどありえません」
その言葉に、私は何も言えなくなってしまった。妹たちが握り返す手は震えていた。しばらくして、真っ先に口を開いたのは翠だった。
「お父様と、お母様を返してください!」
「それが、願い、ですか?」
「……私も。それ」
絞り出すような、それでいてはっきりとした声で、鈴も続く。
「死者の蘇生は、私の力では不可能です。神火に巻き込んでしまったことは悲しいことですが、神の降臨は自然の摂理。仕方のないことです。しかし……」
ユズリはそこまで言って、俯いた。それからしばらくして顔を上げ、続きを口にする。
「願いは願い。可能な限り、努力します。私があなたたちの親代わりとなり、育てましょう。それが私の神としての務め。……今なら、変更も間に合いますが」
「親、代わり……」
その言葉を聞いて、私も覚悟を決めた。父と母がもういないという事実は変わらない。神の力をもってしてもどうにもならない事実。
「それなら、僕も……いや、私も手伝おう」
「手伝う、ですか?」
首を傾げるユズリに、私は頷いて答えた。
「生まれて間もないあなたに、大事な妹たちを任せるのは不安が残る。でも、現実的に考えて、神であるあなたの力は必要だ。だから、手伝う」
「おにい、ちゃん?」
「お兄様……」
妹たちの声。そして視線が私に向けられていた。
「では、願いに変更はなし、でよろしいですね」
二人の妹を横目に見る。最初に鈴が、続いて翠が、はっきりと頷いたのが見えた。そして最後に、目の前の若き火の神、ユズリが頷く。
「わかりました。では、まずはこの家から、ですね」
そうして、私たち兄妹と、火の神ユズリの暮らしが始まった。神の力で短時間で再生した家はなぜか洋風だったり、ユズリが両親を死なせたことに落ち込んだり、慣れないユズリと妹たちが喧嘩したりと、問題は山積みだったが、色々あって解決して、いま私たちは一家として仲良くやっている。
周囲への説明だとか、そのあたりもさすがは神。何事もなく解決してしまった。彼女を神と認識できるのは私たちだけで、他の人たちには自然と親と認識される。それはそれでいいことなのだが、両親の死を理解できるのは私たち兄妹だけという事実に、最初は寂しくなることもあった。が、それらも時間が解決してくれた。
朝の食卓、甘くない朝
「ユズリもだいぶ料理が上手くなったな」
昔のことを思い出していたせいか、ふとそんな言葉が口から出てくる。
「そうですね。最初の頃の料理はとてもお母様には……」
翠の言葉に、鈴も小さく頷く。対外的なことに関しては、神というだけであっさり解決できてしまうユズリだが、料理の腕はそうはいかなかった。他の家事についても同様で、結局手伝うのは私一人では足りなくなり、妹たち二人も手伝うことになった。とはいえ私たちも最初は不慣れ、色々と苦労もあったが、それがなければ今の私たちの関係もなかったと思う。
もしユズリが最初からなんでも完璧にこなせる神であったら、本当に、ただの親代わりとして、それだけの関係になっていたかもしれない。
「若き神の務めを果たすため、努力するのは当然ですよ」
食事を終えた私たちの食器を片付けながら、ユズリは微笑む。出会ったときは見せなかった笑顔だ。成長したというべきか、素が出ただけというべきか、本人に問いかけると成長ですと断言するけれど、ちょっと怪しいものである。
制服に着替えて、私たちは学校へ向かう準備を整える。高校までは徒歩二十分ほどで到着するので、時間には余裕がある。
ということで、食休みのため私はリビングのソファに腰掛ける。すると、右隣に鈴が、左隣に翠がぴったりくっつくように腰掛けてきた。四人掛けのソファなので余裕はあるのだけど、いつものことなので驚くことはなにもない。
肩に寄りかかってくる鈴に、両手で私の手を握ってくる翠。普段なら妹たちとの甘いひとときを過ごす時間があるのだけど、寝坊してしまった今日はそこまでの余裕がない。
ユズリはついさっき家を出て、社務所に向かった。若き神本人が、神社で巫女装束に身を包んで働く姿は不思議なものだけど、私たち以外のほとんどの人には不思議と思われていないのだから、問題が起きることはない。そもそも、縁結びだとか、安産祈願だとか、そういうわかりやすい御利益もないから、参拝する人も多くはない。町の人はたまに訪れるが、外から人が集まるような神社ではないのだ。
「鈴、翠、そろそろ時間だ」
時計を見て、私は妹たちに時間を知らせる。
「はい、お兄様」
翠が答えて手を離すのと同時に、鈴は名残惜しそうに緩慢な動きで私の体から離れた。