自然なる者

第一舞台:イルナルヤ


 朝日が昇った。

 光を溶かして湖は輝き、自然は極まる。

 湖が見せるは、夢。

 湖が見せたのは、夢の一日。

 すべては――全ては巫女のために。


第六話 自然なる者、求めるは巫女


 朝日が眩しかった。窓から差す光がベッドの上まで届いて、私に朝を知らせるの。でも起きるにはまだ早いし、時間になればお兄ちゃんが優しく起こしてくれる。そう、普段の一日だったら、私はそうしてお兄ちゃんに起こされるはずだった。

「おはようございます」

 知らない声で、私は眠りから覚まされちゃった。ぼんやりした頭に、女の子の声。

「……ん、うー」

 体を起こして、目に入ったのは小さな女の子。

「……あれ、私……いつお兄ちゃんの子供を……産んだの……まだ何もしてないのに、それに産んだにしては成長しすぎ……って、誰?」

 ようやくはっきりした意識で、私は不審な侵入者に気付く。可愛いリボンのついた、緑髪緑瞳ショートツインの小さくて可愛い女の子だけど、私は産んでない。部屋を見回してもお兄ちゃんがいないから、鍵は開いてるんだろうけど、私が産んでいないんだから勝手に入ってきたのは間違いないよね?

「わたしはイスミです。おはようございます、ヒノカさん」

 笑顔で彼女は名前を口にした。イスミ……聞いたことのない名前。お兄ちゃんの子供の名前候補にも入ってないし、やっぱり私の子供じゃない。してないから当たり前だけど。

「私に何か用?」

「巫女になってください」

 私は首を傾げた。巫女と言われても何のことかさっぱり分からない。行商してるお母さんやお父さんからも、魔法少女をしてるトーファリッタからも、遠くから来たスーミゥからも聞いたことない、初めて耳にする言葉だ。

「大事なもの?」

 でもわざわざこんな時間に、人の家に侵入してまで頼んじゃうんだから、多分大事なことだっていうのは分かる。悪い女の子、には見えないし。

「はい。お兄ちゃんが大好きなヒノカさんにしか、お願いできないことです」

「……どこまで知ってるの?」

 お兄ちゃんの姿がないことを確認してから、私はイスミに聞く。大事なことだ。

「ヒノカさんはお兄ちゃんのことをずっと見ていて、兄としても男の人としても大好きで、その気持ちは子供を産みたいと思うほどに……あと、たまに湖の傍で」

「全部分かった。……何者?」

 この子、私のことに凄く詳しい。絶対にお兄ちゃんに見つからないように、そのときは細心の注意を払っていたのに、それを知ってるなんて。トーファリッタに教わった気配を察知する魔法は、小さな魂魄族でも察知できるほど練習したはずなのに。

「わたしは自然なる者で、巫女を探しています。巫女がいないと、イルナルヤ村の自然が失われてしまいます」

 嘘、は言ってないんだと思う。でもやっぱり何の話かよく分からない。自然なる者に巫女なんて、どっちも聞いたことは……そういえば、スーミゥは自分のことをナチュラルメイドってよく口にするけど、もしかして関係あるのかも。

「で、私は何をすればいいの? 詳しく教えてくれる?」

 私が聞くと、イスミは頷いて話し始めた。

「しばらくは、普段通りに過ごしてもらって構わないですよ。色々知ってもらわないといけないこともありますが、わたしもこのときのために準備をしましたから」

「うん。それでいいなら……いいけど」

 普段通りというと、お兄ちゃんと家でのんびり過ごして、たまに出かけるくらいだけど、それくらいでいいなら断る理由はないね。

 それから少しして、お兄ちゃんが戻ってきた。黒髪黒瞳セミショート、私の大好きなお兄ちゃん。こんな朝早くに出かける場所といえば、林の中の湖くらいなもの。どうせ早起きして暇だから行ったんだろうけど、それを見計らってやってきたイスミは本当に不思議な女の子だ。

「……ヒノカ?」

 お兄ちゃんは少し驚いた顔で、私を見つめていた。そういうことされると凄く気になるんだけど、お兄ちゃんは次にイスミを見て、今度は私に疑問をぶつけてきた。

「その子は?」

「私を巫女に誘ったイスミ。それよりお兄ちゃん、なんで私のこと見つめたの?」

 お兄ちゃんの変な行動は見逃さない。寝起きで乱れていた寝巻きは整えたし、お兄ちゃんが驚いた顔で私を見つめるなんて、何かあったに決まってる。

「いや、今日は珍しく早起きだなと思って。それに……あ、そうだ」

 そこでお兄ちゃんは何かを思い出したように、私を見て言った。

「今日は僕、朝を食べたら出かけようと思うんだけど……ヒノカはどうする?」

「勝手にしたら? なんで私が一緒についていかないといけないの?」

 お兄ちゃんに用事があるなら、お兄ちゃん一人で済ませばいい。昔みたいにお兄ちゃんと一緒になんて、恥ずかしいことをできるわけないのに、お兄ちゃんはまた聞いてきた。

「うん。じゃあその子のことは、ヒノカに任せるよ」

「言われなくてもそのつもり」

 朝ご飯を食べて、簡単な家事を終えて、お兄ちゃんは私とイスミを残して外に行った。何をするのか分からない、不思議でおかしな行動だ。お兄ちゃんがそんなことをしたら、私がすることはひとつに決まってる。

「ねえ、イスミ。貴方、普段通りって言ったけど……」

 でもその前に、この女の子に聞いておかなくちゃいけない。

「これも、貴方の準備?」

「はい」

 イスミは満面の笑みで、迷うことなく頷いた。色々気になるけど、今は置いておこう。私にとってはお兄ちゃんの方が、もっと気になるから。

 イルナルヤ村のどこかを目指すお兄ちゃんを、私たちはこっそり尾行する。お兄ちゃんが変なことをしないように、監視するのは妹の役目。ついてくるイスミがちょっと心配だけど、万が一に備えて対策はいくつも考えてるから、大丈夫だよね?

 お兄ちゃんがおにぎり食堂に向かったところで、イスミが私に声をかけてきた。

「どうするんですか?」

「普段なら、あとでアミィリアさんに事情を尋ねるところ」

 いくらお兄ちゃんに気付かれないよう気配を隠しても、さすがに建物の中までは追いかけられない。窓から様子を見て、怪しい雰囲気があったら別の手も考えるけど、茶髪茶瞳ミディアムロングのアミィリアさんと話すお兄ちゃんは、今のところは変な素振りはないみたい。

 お兄ちゃんと話しているアミィリアさんも、普段とちょっと違う気がするのはどうしたんだろう? 窓の外から分かるくらいだから、お兄ちゃんも気付いてるはずだよね。

「おはようっ。ヒノカ、今日もお兄ちゃんと一緒だねっ」

「一緒じゃない」

 答えてから振り返ると、声をかけてきた魔法少女が笑顔で立っていた。橙髪星瞳ロングサイドの、魔法少女トーファリッタ。こんな時間に彼女がここにいるなんて珍しい。

「どうしたの? 何の用?」

 それだけならまだしも、わざわざ私に声をかけにきたんだから、用があるのは間違いないよね。トーファリッタは私の隣のイスミを一瞬見てから、私だけを見て答えた。

「うんっ。カラッドとの約束を果たしにねっ。でもでもっ、ヒノカが知らない女の子と一緒にいたから、先に声をかけてみようと思ってっ」

「あ、この子はイスミ。トーファリッタは知ってる?」

 小さく礼をしたイスミに、トーファリッタは微笑んでた。それから私の質問に答えを返す。

「知らないけど、知ってるよっ。巫女はヒノカでいいのかな?」

「はい」

 これに答えたのはイスミだ。トーファリッタも何か知ってるみたいだけど、私としてもお兄ちゃんから長い間目を離すわけにもいかない。

「うん。じゃあそっちは任せて、ファリッタはカラッドを探してくるねっ。ヒノカも協力してくれる?」

 窓から中を見ると、お兄ちゃんはまだアミィリアさんと話してるみたいだ。

「時間は?」

「ヒノカが協力するなら、ライカにも協力してもらうから、大丈夫だよっ」

「何するの?」

「カラッドが告白するお手伝いっ。二人には見守っていて欲しいんだっ」

「ふーん……」

 アミィリアさんは気付いてないけど、カラッドさんがアミィリアさんを好きなのは私やお兄ちゃんも知ってる。本気で好きだと気付いてるのは、他にトーファリッタやスーミゥ、あとはタヤナさん。

 私はトーファリッタを見てから、イスミの顔も見てみる。すると、私が尋ねるより早く、彼女は答えてくれた。

「半分は、わたしの準備ですよ。約束、というのはわたしも知りません」

「そう」

 まあ、そこはトーファリッタだから、いつものことだ。

「分かった。私としても、お兄ちゃんを堂々と見張れるのは悪くない」

「ついでにヒノカも告白する?」

 トーファリッタは笑顔で言った。彼女はいつも唐突だ。だけど、その唐突にはいつも意味がある。単なる気まぐれじゃないんだろうけど、私の答えは決まってる。

「何の話?」

 イスミにはなぜか素直に話せたけど、親しい人にはそう簡単に素直になれない。どうせトーファリッタも気付いてるんだろうけど、こう答えればいつもはこれでおしまい。

「ヒノカがライカを好きって話だよっ。ふふっ、魔法少女はお見通しっ」

「だったら、ついでにできるほど簡単じゃないって、分かってるでしょ?」

 お見通しにされちゃった。でも、今日は何となくそんな気がしてたから、驚きは少ない。イスミが私を巫女に選んだ理由に、お兄ちゃんもきっと関係してるんだろうし。だったら、私のお兄ちゃんへの気持ちも関係してるはずだよね。

「素直だね、ヒノカっ」

「素直じゃないと疲れそうだから。それより、急がなくていいの?」

「そうだねっ。じゃ、すぐにカラッドを連れてくるよっ」

 トーファリッタは踵を返して、どこかへと駆けていった。カラッドさんがどこにいるのかは分からないけど、彼女のことだからどうせすぐに見つけちゃうんだと思う。魔法少女の魔法なら、この村にいる誰かを探すことなんて簡単なんだから。

 トーファリッタが戻ってきたのは、本当にすぐだった。おにぎり食堂にある時計はここからじゃ見えないけど、体感でもはっきり分かるくらいに。

 アミィリアさんと話すお兄ちゃんは、今はカウンターに座っている。二人でずっと何かを相談してるみたいだ。口の動きからすると、アミィリアさんの話をお兄ちゃんが聞いていて、たまにお兄ちゃんからも相談している、といったところだと思う。

「ええと、一体どうしたんだ? 急ぎだって言うからついてきたが……」

 赤髪赤瞳ショートのカラッドさんは、とても急ぎの用があるようには見えないといった顔で私たちを見回した。窓の中も確認してたけど、首を傾げるだけだ。

「カラッドの告白を魔法少女がお手伝いするよっ。君は覚えてなくてもっ、可憐な魔法少女は約束を忘れないっ。行くよっ、みんなっ」

 トーファリッタはカラッドさんの腕を引っ張って、強引におにぎり食堂の中へと連れていく。目配せされた私とイスミも続いて、おにぎり食堂の中に突入。迎えたのは、もちろん驚いた顔のお兄ちゃんとアミィリアさんだ。

「おい、いきなり何を……」

「うーん、とりあえずライカはこっち来てっ。これからカラッドが、アミィリアに大事なお話をするからねっ。その間に、心の準備をお願いするねっ」

「は? いや、待て、こういうのはムードってものが」

 慌てるカラッドさんだけど、状況はすぐに理解したみたい。心の準備は完了して、ムードなんて口にしてる。つまりそれだけ、カラッドさんは常に機会を窺っていたってことだ。

「そんなの待ってても滅多にできないよっ。とりあえず、魔法であれこれして、押し倒す形にすればいいよねっ」

「余計なことはやめてくれ」

 そんな会話がされる中、アミィリアさんは黙ってカラッドさんを見つめてた。気付いているわけじゃないけれど、大事な話に心当たりがあるみたいに。本当に、今日はよく分からないことだらけだ。でも今は、見守ってればいいんだよね?

 カラッドさんは咳払いをしてから、トーファリッタを手で払って、アミィリアさんをじっと見る。私はイスミと、お兄ちゃん、トーファリッタは別々に、壁際で二人を見守る。

「カラッド、大事な話って?」

「ああ。アミィリア」

 心の準備は万全なカラッドさんは、もう冷静になってる。対するアミィリアさんは微笑みながら言葉を待って、余裕の態度だ。気付いているんだか、気付いていないんだか、私にもよく分からないくらいの。

「俺はアミィリアが好きだ。恋人になりたい。なって欲しい」

 こういうのって、こうやって見ていていいものなのかと思うけど、ちょっと目を逸らしたらイスミが私の目をじっと見つめてきた。見ていいかどうかじゃなくて、見なきゃいけないってことらしい。トーファリッタも笑顔で、同じことを伝えてくる。お兄ちゃんだけは首を傾げてたから、今度は私が同じことを伝えてみた。お兄ちゃんだけ目を逸らすなんて、私が許さないから。

「返事は、その、急がなくても、いいんだが……できれば早い方が……いや、無理を言ってるのは分かってるんだが、アミィリア」

 しどろもどろとまではいかなくても、ちょっと慌てた様子のカラッドさん。やっぱり、返事を聞くのは怖いよね。どんな答えが返ってくるか、分からないんだから。答えが分かってる告白なら、「はい」でも「いいえ」でも怖くなんてない。怖くないように、誘導できるから。

 だって、分かっていてもいなくても、告白する側が常に先手なんだもの。告白しなければ何も始まらないし、告白さえすればいつでも始められる。

「カラッドは、恋人でいいの? ずっと、恋人?」

「え?」

「答えて欲しいな」

 戸惑うカラッドさんに、アミィリアさんは笑顔を見せた。答えは決まっているけど、まだ答えられないというような笑み。端から見ている私たちはすぐに気付けるけど、多分カラッドさんは緊張して気付いてないと思う。

「そりゃ、いずれは結婚して、ずっと一緒にいたいと思ってるけど……」

「うん」

「……そっちの答えは?」

 あまりにも余裕な態度を見せるアミィリアさんに、さすがにカラッドさんも気付いたみたいだ。声には安堵も混じってるけど、安心しきってはいないみたい。

「私はね、このおにぎり食堂を続けたい。だから、ね?」

「分かった。俺が一生、アミィリアを支えてやるよ。だから、俺と」

「うん。お願いするね、カラッド」

 アミィリアさんが再び笑顔を見せると、カラッドさんは大きくため息をついた。私はトーファリッタと目配せして、イスミやお兄ちゃんとも目配せする。

 これ以上は見守るべきじゃないと思うし、見守ってと言われても断らせてもらう。二人の会話を聞きながら、なるべく音を立てないように、静かに食堂の外へ。

「にしても、随分早かったな? 気付いてた、なんて言わないよな?」

「気付いてないけど、知っていたよ?」

「なんだそりゃ?」

 少しの間があったけど、私たち全員が外に出るまでその答えは聞こえてこなかった。

 おにぎり食堂を出た私たちを待っていたのは、水髪水瞳ロングツインの女の子。ナチュラルメイドなお嬢様、スーミゥだった。

「あら、もう終わりましたの?」

「うんっ。これ以上は大人の時間っ。ファリッタたちにはまだ早いよっ」

「そうですの。ええと、ヒノカ?」

 トーファリッタと少し話してから、スーミゥは私に聞いた。視線はイスミに向いてるけど、彼女も何かを知っているみたいだ。素直に教える前に、こっちからも聞かせてもらう。

「スーミゥも知ってるの?」

「知ってはいますが、知らないことも多いですわ。たとえばその子の名前とか、その子が何者かとか」

「この子はイスミ。自然なる者って言ってた。ナチュラルメイドなスーミゥとしては、心当たりあるんでしょ?」

 出会う前は推測だったけど、出会っての態度を見ればもう確信だ。お兄ちゃんもいるけど、イスミは何も言わないからこのまま聞いてもいいみたい。

「はい。わたくしも自然なる者ですわ。ナチュラルメイド、メイドインナチュラルなこのわたくしは、イスミさんと同じ自然なる者ですの」

「……初耳だな」

 呟いたのはお兄ちゃんだった。私も初めて聞くんだから、そんなの当たり前なのに。それとも、お兄ちゃんも何かを知っていて、それが今日のおかしな行動に繋がっているのかも。確かめる方法は、スーミゥと同じでいいや。

「お兄ちゃんも知ってるの?」

「何もしなければ、村が大変なことになる。僕が知ってるのは……それだけだよ」

「本当に?」

 私はお兄ちゃんの目を見て、改めて尋ねる。それだけ、と言うまでの僅かな間。お兄ちゃんが私に嘘をつくとは思わないけど、言わないことで隠してるのは間違いないよね。

「他は、自信がないんだ。推測する材料はたくさん、多すぎるほどにあるんだけど、どこまでが――どれが真実なのか分からない。どれもが真実なのかもしれないし、あるいは真実なんて一つもないのかもしれない。村のことだって、僕の勘違いかもしれないんだ」

 お兄ちゃんは困った顔でそう答えた。お兄ちゃんも知ってはいるけど、トーファリッタやスーミゥ、イスミに比べると知らないことの方が多いみたい。でもだったら、最初からそう言えばいいのに。もう少し聞いてみたいところだけど、それはイスミがさせてくれなかった。

「ヒノカさん、次です。あちらがああなった以上、場所を変えた方がいいですよね?」

「そうだねっ。勇者さんの方はファリッタと、ライカに任せてっ」

「魔王さんはわたくしたちですわね。さあ、行きますわよ」

 有無を言わせぬ三人の言葉に、私とお兄ちゃんは別行動することになった。食堂の前で別れて、私とスーミゥ、イスミは村の南へ、お兄ちゃんとトーファリッタは村の北へ。お兄ちゃんと別々なのは不満だけど、お兄ちゃんの前でそんなことを口にできるわけがない。もちろん表情にも出さずに、私は平然と先頭を歩いていった。

 銀髪翠瞳ロングの女の人と出会ったのは、南に歩いてしばらくしてからだった。

「やあ! 君たち、この村の人ですね? 食堂はこの先でいいですか?」

「うん」

「でも、今は駄目ですわ」

 私とスーミゥが答えると、主にスーミゥの言葉に女の人は目を丸くしていた。でもそれは一瞬で、主に私に微笑みを向けて言った。

「私はアルマリカ。ヒノカさんに、スーミゥさん、それと……」

「この子はイスミ。初めましてアルマリカさん。貴方も、知ってるんだ?」

 私の問いに、アルマリカさんはゆっくりと頷いてから言葉を続けた。

「では、リグルさんのところに案内してもらいますね。ところで、彼の方は?」

 その声はイスミに向けられていて、聞かれたイスミはゆっくりと首を横に振っていた。

 スーミゥが先導して、林の中を抜けて、向かうのは私のよく知る湖。途中、アルマリカさんが魔族の王――魔王であること、これから話すリグルという人は勇者であるということ、それからミリーネというお姫様もいるということ……それらを私に話してくれた。

 なんでそこまで知っているのかは、尋ねなくてもいい。とにかく私の役目は見守ることらしいから、今は情報を集めて、理解するのが優先だ。

 私たちが湖について少し、金髪朱瞳ショートの男の人が、剣を抜いたまま歩いてきた。アルマリカさんを見ると頷いたから、彼が勇者リグルさんなんだろう。

「さ、リグルっ。お姫様を呼んでいいよっ」

「従おう。ミリーネ」

「はい、勇者様っ。……あら、いっぱいいますね」

 剣が微かに光ったかと思うと、剣の傍に白金髪蒼瞳ミディアムロングウェーブの女の子が現れた。私にも凄いと分かるくらいの、魔法の立体像だ。綺麗なドレスに、ミリーネという名前から、彼女がトレスト王国のお姫様なんだろう。

「ではリグルさん、お話をしてもいいですね?」

「ああ。急いでくれ、と魔女――魔法少女に言われてな」

 リグルさんは途中、言い直してから返事をした。トーファリッタのステッキの動きは、私たちからは見えても彼からは見えないはずだけど、これが勇者の実力なのかな?

 それからアルマリカさんは、魔族の争いの歴史と自分の目的を、リグルさんとミリーネさんに向けて話した。人族のこれからのために、やってきた魔族の王。なんだか凄い場面を見守っている気がするけど、興味深い話だからちょっとだけわくわくしてきちゃう。

 三人の話は、アルマリカさんとミリーネさんを中心に早くにまとまったみたいだ。魔王の城にすぐ勇者が仕えるのは、色々問題があるから別の方法を検討することになったけど、私たちの目の前で、魔王と勇者とお姫様の協力関係ができあがっていた。随分とスムーズにまとまったけど、イスミの準備の一つだってことは考えなくても分かってる。

「これで終わり?」

「いえ、ここからですわ」

 私が小さな声で尋ねると、スーミゥが笑顔で答えた。確かに、種族間の交流はここから始まったと言えるけど、スーミゥの言葉は私に向けられているように感じた。

「わたくし、ミリーネさんとお話したいですわ。ヒノカと三人きりで」

 みんなに向けて、スーミゥが言った。

「それは無理だな」

「私が生身であれば別ですが……イルナルヤ村は、王都からは遠すぎますね」

 リグルさんとミリーネさんが答える。

「そうですの。でしたら、リグルさんにも混ざってもらいますわ。ああ、もちろん参加は強制しませんわ。お手伝い、していただけますか?」

「分かりました。勇者様、行きましょう」

「俺がいても問題ないなら、まあいいだろう」

 こうして私たちは林の奥で、リグルさんが聞いている中、三人きりでお話をすることになった。リグルさんが聞いていい話なら、きっとそんなに深い話ではないんだろう。私は黙ってスーミゥについていくことにした。

 リグルさんの剣に寄り添うように、ミリーネさんはふよふよと浮くように移動している。足も動いてないから、剣と一緒だってことがよく分かる動きだった。

「ミリーネさんはリグルさんと婚約しているんですわね?」

 お兄ちゃんたちから離れて、スーミゥはそう切り出した。リグルさんが半ば強引に、と言っていた婚約の話だ。気になるのは分かるけど、なんで私も一緒なのかが分からない。

「そうですよ。最初はちょっと強引でしたが、リグルもいつかは私の気持ちに応えてくれると信じています」

「ちょっと、か」

 リグルさんは何か言いたいことがあるみたいだったけど、言ってもややこしくなるだけと判断したのか何も言わなかった。

「婚約してから一年、何か進展はありまして?」

「リグルが私を見る目が変わってきました。これも私の愛の力です」

「確かに、前より意識はしているな」

 ミリーネさんの言葉に、リグルさんは素直に返事をした。でもその言葉に、恋愛感情が含まれていないのは表情と声ですぐに分かる。

「妹ができたみたいな感じで、ミリーネとは仲良くしている」

 続くリグルさんの言葉に、スーミゥを見ると私の方を向いて微笑んでいた。私を連れてきた理由は何となく分かった。さっきの会話だけでそこまで見抜けたとは思えないから、多分これもイスミの準備が関係してるんだよね。

「まあ。妹だなんて……そういえば、貴方も妹なんですよね?」

 ミリーネさんは私に声をかけてきた。トーファリッタから聞いたのかな。ちょっと驚いたけど、無視できないので返事をする。

「うん。でも別にお兄ちゃんのことは、貴方みたいに」

「妹だからこそできる恋の形、夢が広がりますね。お互いがんばりましょう」

「ちょっと、だから私は」

 最後まで言い切る前に、ミリーネさんは私に笑顔を向けてきた。即座に否定しようとする私だけど、ミリーネさんの真っ直ぐな瞳にこれ以上はごまかしきれないと悟る。

「……いつ気付いたの?」

「私はこれでも一国の姫。男女問わず、恋する気持ちには敏感なのですよ。……と言えたら良かったのですが、トーファリッタさんからこっそり教えられまして」

「そう。でも、私と貴方じゃ状況が違う。妹と、妹みたいじゃ、大きく違うと思うけど」

「それは……承知していますよ」

 私の冷静な言葉に、ミリーネさんは柔らかい笑みで答えた。

「私の国では特にそういった決まりは厳格ではありませんが、そういう話は珍しいですね」

 私は黙って彼女の言葉を最後まで聞く。途中で口を挟んでも、多分スーミゥが先を促すと思うから。

「恋とは自然に生まれる気持ち。その気持ちは自然のままに、私としては異性でも同性でも兄妹でも、恋する気持ちは全て応援したいところですが……気になりますか?」

「気になるに決まってるでしょ」

 私が答えると、ミリーネさんは小さく頷いてから尋ねた。

「相手がお兄ちゃんだから、この気持ちはいけないもの。だから告白はできない、と?」

「私も気になりますわ。そこまで聞いたことはありませんもの」

 答えたこともないから当たり前だ。聞かれたとしても、答えなかったと思うけど。でも今はどうせ、答えないと帰してくれなさそうだ。だったら、素直に答えるしかない。お兄ちゃんに素直になるのに比べれば、これくらいは簡単なことだ。

「何それ? そんなの、背徳感を恋と勘違いしてるだけ。私のお兄ちゃんへの気持ちは、ただお兄ちゃんが好きだから。単純で、余計な気持ちは何一つないよ」

 でも、だからこそ。だからこそ、この気持ちはお兄ちゃんに伝えられない。

「だからこそ、怖いの。お兄ちゃんのことをずっと見てきたんだから、お兄ちゃんが私を妹としか見てないことも知ってる。断られても、お兄ちゃんは私を妹として見てくれることも、知ってる。今までと変わらないで、それが私にとってどれだけ辛いか、理解もしないで。そんな優しいお兄ちゃんだから私は好きだけど、優しさで救えない気持ちもあるよね?」

 もしかするとお兄ちゃんは、形だけでも私の気持ちを受け入れてくれるかもしれない。それもとっても辛いけど、それで妥協してしまうかもしれない私がいやだ。そんなの、私が本当に求めているものじゃないはずなのに、お兄ちゃんに優しく声をかけられて、抱き締められちゃったら、私はそれでもいいと思ってしまう。

「そこまで分かっているなんて、凄いですね。私とリグルお兄様はまだまだです」

 リグルさんの困った顔が目に入った。ここで何かを言ってくれれば楽なんだけど、勇者といっても女の子同士の恋の話に割り込む勇気はないらしい。

「妹としてしか見ていないのなら、それも利用してしまえばいいんですよ。ぎりぎりまで妹として近づき、唐突に女の子になってその気持ちをぶつける! お姫様から女の子に、鈍い勇者様には通用しませんでしたが、やってみる価値はあると思いませんか?」

 ミリーネさんは笑顔で、なんてこともないようにそう言った。

「単純ですよね? 貴方の気持ちは、純粋な恋心なんですから」

 断られるのが怖いから、告白できない。本当に、単純だと私も思う。

「断られても、一緒に暮らせるのはとても良いことですよ。私のように、強引に契約を結ぶようなことをしなくても、傍にいられるのですから。当たって砕けよなんて言葉もありますが、私の考えは違います」

 そこで一旦言葉を区切ってから、ミリーネさんは言った。

「恋する乙女はぶつかってくっついてじわじわ心を動かして、粘り強く戦うのです。一発で決まるような恋ばかりなら、恋愛なんて言葉は生まれませんよ」

「それを、私にもやれって言うの?」

 とんでもないことだ。でも、間違ってもいないと思う。

「もちろん、嫌われない程度の見極めは重要ですけれど」

「……やれって言うんだ」

 ミリーネさんは終始笑顔だ。直接言葉にはしなくても、その気持ちは伝わってくる。

「毎日お兄ちゃんをこっそりじろじろ観察しているヒノカには、簡単ですわね」

「はいはい。簡単だから、やればいいんでしょ? ちゃんと準備は手伝ってね?」

 ここまでされたら、素直になるしかない。スーミゥにも、ミリーネさんにも――お兄ちゃんにも。私の気持ちは単純で純粋。色々言い訳して、きっかけなんて来ないように、来させないようにしてきたけど、来ちゃったら動くだけだ。

 スーミゥは大きく頷いて、ミリーネさんも笑って首を縦に振ってくれた。場所は決まっているけど、状況を作るには色々手伝ってもらわないといけない。

「……俺はこの話を聞いていて良かったのか。そしてミリーネが協力するということは、つまり俺ももう逃げられない状況にあるということか」

「お願いします」

 そんなことを呟いていたリグルさんには、頭を下げる。私も巻き込まれた形だけど、リグルさんを巻き込んだのは私の意思も少なからず影響しているから。

 私とスーミゥ、トーファリッタ、イスミにアミィリアさん。さらにタヤナさんまでが、湖の前に集まっていた。私はここでお兄ちゃんを待ち受けて、告白する。そのために協力してくれる人たちだ。リグルさんとミリーネさんはお兄ちゃんの方にいて、アミィリアさんによるとカラッドさんもそっちに加わっているらしい。

 琥珀髪琥珀瞳セミロングのタヤナさんを連れてきたのは、アミィリアさんだった。

「いやー、あたし、今日は凄い日に来たね。アミィリアにカラッドが告白して恋人になってたと思ったら、今度はヒノカがライカに告白するなんて。あたしもがんばらないとね!」

「タヤナは大樹の実としての役目があるので、あんまりがんばらないでください。わたしもどうなるか怖いんですから」

 イスミによると、タヤナさんは大樹の実で、自然なる者の一人らしい。

「えー。それはさっきも聞いたけど、どうしても?」

「心当たりありますわよね?」

「そりゃね、あたし生まれたときからこうだったし、自覚あるけど」

 でもタヤナさんは、大樹から生まれた自然なる者じゃなくて、大樹の実。イスミやスーミゥに比べて力は弱いけど、それゆえに巫女を必要としないらしい。

 それに合わせて、トーファリッタから村の伝承についても話してもらった。どうやら私がこれからしようとしていることは、それにも関係する重要なことらしい。イスミとしては私がお兄ちゃんに素直になって、昔のように仲良しの兄妹になればそれで問題なし。

 でも、私はそれ以上の結果を求めようとしている。成功すれば何も問題はないけど、失敗したら私は絶対に落ち込む。そして私とお兄ちゃんの関係は不安定になって、私は巫女になれなくなっちゃう。イスミも消えて、イルナルヤ村の自然も失われるそうだ。

「ま、イスミちゃんを救うのがあたしの力みたいだしね。ヒノカには悪いけど、あたしはこっちに集中させてもらうよ。どうなっても、イスミちゃんはあたしが守ったげるから、安心してぶつかってきてよ」

 ただ、イスミの方はタヤナさんががんばれば何とかなるらしい。タヤナさんにも相当の負担がかかるみたいだけど、彼女の言葉に私は頷くだけだ。

 らしいばかりで、私にはよく分からないことだらけ。でも、私がやることは単純明快。

「おにぎりはいくつ必要?」

「不要ですわ」

「ファリッタが魔法で派手に演出しちゃうよっ」

「やめて」

 アミィリアさんとトーファリッタの提案を、スーミゥと私が却下する。

「魔法のっ」

「おにぎり!」

 今度は無視することにした。ファリッタはいつも通りだけど、アミィリアさんもちょっと浮かれすぎ。恋人ができたくらいでとは言えないけど、いつもよりおにぎり五割増しは困る。

「ごめんなさい。時間と景観を考えると、場所は……」

「ここがいいねっ。ライカには、あっちから来てもらってっ」

「雲が出たら、ファリッタの魔法の出番ですわ」

 それでも、みんなやることはやってくれている。だから私は集中して、お兄ちゃんへの告白の言葉を考えるだけだ。整えてもらった舞台の上で、一言二言、場合によってはそれ以上の言葉をお兄ちゃんに伝えるだけ。言葉にすると、なんて簡単なんだろう。

 イスミも不安な顔はしているけど強く止めようとはしないし、タヤナさんも微笑んで私たちを見守っている。

 私は決めた言葉を胸に、湖の傍でお兄ちゃんを待つ。

 お兄ちゃんがやってきたのは、空に夕陽が輝き出した頃だった。

 誘導したはずのカラッドさんやリグルさん、ミリーネさんらの姿は見えない。立ち位置を決めてくれたアミィリアさんとトーファリッタも、林の中に消えてしまった。顔が見えているイスミやスーミゥ、タヤナさんと一緒にどこかから見ているんだろう。

「ヒノカ……話って?」

 やってくるお兄ちゃんは、声には疑問の色を含めているけど、どこか嬉しそうだ。目は微かに柔らかくなってるし、頬もほんの少し緩んでいる。期待してるのは隠せてない。

「大切なお兄ちゃんに、伝えたいことがあるの」

 凄く恥ずかしい。物凄く恥ずかしい。でも私は素直に、素直な気持ちを口にする。

「私はお兄ちゃんが好きです。結婚してください」

 言っちゃった。でも、言えた。

 湖が夕陽の光で赤く輝いて、お兄ちゃんを見つめる私の目は真剣そのもの。対するお兄ちゃんは呆然とした様子で私を見つめ返していた。

「あの、ヒノカ」

「お兄ちゃんのことが好き。大好き。お兄ちゃんとずっと一緒にいたい。お兄ちゃんが私のことを妹としか見てなくても、女の子としても見てくれるようにがんばる。だから、すぐに返事してくれる? 怖い、もう待てない」

 なんか言いすぎてる気がする。けれど、これも私の素直な気持ちだ。どうせこれが終わったら私とお兄ちゃんは、一緒に家に帰るんだ。私たちに、明日にするって選択肢はない。だったらもう、全てをぶつけてくっついてじわじわ心を動かして振り向かせるしかない。

「無茶なことを言ってくれるね」

 お兄ちゃんは言った。優しい声で、柔らかい表情で。困った妹に対応する兄の顔だ。

 確かにここで答えを求めるのは無茶なことだって、私も承知してる。でも、お兄ちゃんならちょっとくらいの無茶は乗り越えてくれるはずだ。

「ヒノカと仲良く暮らせることは僕も嬉しいよ。でも、悪いけどその気持ちにはすぐには応えられない。それに、これからのことも保証できないよ? もしヒノカがそれでいいなら、僕は絶対にヒノカを拒絶しない」

 お兄ちゃんはすらすらと、まるで準備していたかのように言葉を口にしていた。もしかすると本当に準備していたのかもしれない。どうして、なんて今は聞かないでおこう。

 私は笑顔でお兄ちゃんに近づいていく。本当に、なんてことも聞く必要はない。

「お兄ちゃん」

 最後の一歩は大きく踏み込んで、力強くお兄ちゃんに抱きつく。

「仲良くって、こういうことだけどいい?」

 お兄ちゃんの胸に顔を埋めて、私は聞いてみる。見上げるのはもったいない。せっかくこんなに密着してるのに、離れたくない。

「どういうこと?」

 お兄ちゃんの声には驚きも戸惑いもない。ただ素朴な疑問を口にしているだけだ。

「兄妹としても、昔みたいに仲良くなんてしてあげない。昔よりも、もっとお兄ちゃんと仲良くしたいの。こんな風に」

「うん。ヒノカがそうしたいなら」

 私はお兄ちゃんから少し離れて、笑ってお兄ちゃんの顔を見上げた。お兄ちゃんも笑顔で、私はそっとお兄ちゃんの腕に抱きつく。これで堂々と、お兄ちゃんと一緒にいられる。最初はちょっと恥ずかしかったけど、強く抱きついてもう慣れた……と思う。

「そろそろ、いいですか?」

 私が余韻に浸っていると、イスミが林の中から出てきた。赤く染まっていた空には、微かに月が見え始めている。お兄ちゃんにくっついている間に思ったより時間が経ってたみたい。

「ヒノカ、キスはしませんの?」

「できるわけないでしょ」

「タヤナ」

 私たちの様子でもういいと判断したのか、イスミがタヤナさんを呼んだ。

「――力を」

 透き通るような、厳かな声で。イスミの出す雰囲気に、その場にいたほとんどが彼女に意識を集中する。唯一の例外は、名前を呼ばれたタヤナさんだ。

「どうすれば……イスミ、ちょっと抱っこするね」

「はい? あの、まだわたし答えて……ふむ」

 タヤナさんはイスミを軽く抱っこして、唇にキスをしていた。私もいつかお兄ちゃんにやってもらいたい行為を、神秘的な雰囲気の中で堂々とやっていた。

「ん……これでいいかな?」

「……あの」

 下ろされたイスミは、タヤナさんを無表情でじっと見つめていた。その視線に耐えられなくなったわけでもなく、タヤナさんは笑って説明する。

「あたしは大樹の実でしょ? 実っていったら食べるものかなって思ったんだけど、さすがにあたしは食べられないから口移しで。だめだった?」

「いえ、それは問題ないですけど、あんないきなり、びっくりしました」

 イスミは答えてから、真っ直ぐに私の方に歩いてくる。私もお兄ちゃんから離れて、イスミの方に歩いていく。私はお兄ちゃんを愛してるけど、お兄ちゃんに依存しているわけではないんだから、このくらいで名残惜しいなんて思うことはない。少なくとも今は、まだ。

「全ては自然のままに、ヒノカさん。巫女になってもらいますね」

「どうすればいいの?」

 やっぱりタヤナさんと同じように、キスすればいいのかな。

「じっとしていてください」

 考えていた私に、イスミが言った。私は小さく頷いて、彼女のされるがままになる。小さな手が私の胸の中心に触れたかと思うと、イスミの体が微かに輝き始めた。

 いや、違う。輝いているのはイスミの後ろにある、湖だった。その光が流れるように、包み込むように、イスミの体に届いていた。

「自然なる者イスミ。巫女ヒノカとともに、ここに極まれり」

 その言葉が終わった瞬間、光が弾けて、湖に溶けるように消えていった。

 空の月が私たちを照らす中、声が聞こえてくる。今見た光景への様々な感想の言葉。私はイスミの傍から動けないまま、その声を聞いていた。足は動くけど、心が動かなかった。

「あら、これで終わりですの?」

「自然なる者と巫女っ。ファリッタも一族として、このことを記さないとねっ」

「無事解決、ってやつだな」

「私とカラッドの関係は、まだ色々考えることがあるよ?」

「やあ! 貴重な一日が体験できて、嬉しいですね」

「ふっ。悪くはないな。余計な伝説にも振り回されずに済みそうだ」

「はい。私とリグルの恋の伝説は、まだ始まったばかりです」

「次に会ったら、ゴウハさんとリトラさんにも報告しないとだね」

 足を動かそうと思っても、動かそうという気力が足りないみたいだ。でも、何とか口だけは動かせそうだ。私は目の前の女の子に向けて、声を発した。

「イスミ……これ、結構疲れるんだけど、先に……言ってよ……」

 ふらりと前に倒れそうになる私を、後ろから支えてくれたのはお兄ちゃんだった。イスミも両手を伸ばして、必死に私を支えようとしてくれている。彼女にも分からなかったのか、言えない事情があったのか、その申し訳なさそうな表情からは判断できない。

「ヒノカ、僕が支えるから安心して」

 私は微かに頬を緩ませて、小さく頷くだけで精一杯だった。

「はい。全て、終わりました。ヒノカさんと、みなさんのおかげです」

 お兄ちゃんの顔は見えない。見えるのは、お兄ちゃんがしっかり支えたことで、私を正面から見上げられるようになったイスミの笑顔だけだ。

「ありがとうございます」

 その笑顔と、その声に、私は確信する。だから、今はもう無理しなくてもいいよね? 疲労感はなくなっても、今は夜なんだもん。眠くなるのは自然なことだよね。

 また、朝日は昇るんだから。

 イルナルヤ村のみんなに、そして私と私の大好きなお兄ちゃんに。

 新しい一日を告げる象徴として。

 朝日が昇る。


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