二
大きく実った稲穂から、白く輝く恵みの粒。
大地の恵み、自然の恵み。
イルナルヤの米は今年も豊作、出来は上々です。
「ええと、宣伝文句はこんな感じで?」
「はい。あ、それと……」
「分かってる。食堂のことも話しておくから」
「よろしくお願いします」
朝日が昇る。
湖は輝き、大樹は力強く根と枝を伸ばす。
そよ吹く風に乗って届く、そんな会話を聞きながら。
美味しいおにぎりに大事なものはたくさんある。まずは素材。私が用意したのは、美味しいお米、海苔、昆布、そして二種類の塩。この村で手に入れやすくて、美味しさも両立した完璧な素材たちである。
そしてその素材を、絶妙に組み合わせること。それから、丁寧に、優しく、時には力強く握ることで、完璧に美味しいおにぎりが完成する。
イルナルヤ村のお米は美味しい。そのお米をもっとみんなに食べてもらうために、私はおにぎり食堂を始めた。もちろん遊びなんかじゃない。しっかり商売として成立するように、幼馴染みと協力しておにぎり食堂は元気に営業を開始できるのである。
握ったおにぎりを食べながら、腕が鈍っていないかしっかり確認。私の朝はおにぎりから始まって、お昼もおにぎり、夜もおにぎり。食べたり握ったり、毎日おにぎりだ。
「アミィリア、ちょっといいかー」
「カラッド?」
食堂の準備を始めようとしていたところで、幼馴染みのカラッドが裏口から入ってきた。いつもより凄く早い到着に、私は不思議な顔で彼を見る。
赤髪ショートのカラッドは、生まれた頃から一緒に村で暮らす幼馴染み。よくお店のお手伝いをしてくれるし、この食堂を建ててくれたのもカラッドだ。彼の家業は大工さん。イルナルヤ村のガレンといえば、サンサリアの街でも名が通っているくらいの歴史ある家業だ。
カラッドは大工を継ぎたくないみたいだけど、技術は学んでいて、その流れでこの食堂も建ててもらえた。そのときも幼馴染み価格、お店のお手伝いも幼馴染み価格。いつかカラッドにはお礼をしてあげたいけど、カラッドにはいつも断られてしまう。
「すまないが、今日は用事があって遅れる。けど、昼には間に合わせるよ」
「了解よ。わざわざ伝えにきてくれて、ありがとう」
私が微笑んで答えると、カラッドも笑顔で答えてくれた。
「当然だろ、アミィ――っと、アミィリア。俺とお前は幼馴染みだからな」
「そう、ね」
だったら昔みたいに、アミィっていつも呼んでくれてもいいのに。そう思ったことは何度もあって、何度も言ってきたけど、カラッドはアミィって呼んでくれない。寂しいけど、私もカラッドも十七歳。子供が大人になることの宿命に私たちは翻弄されている。
カラッドが大工を継ぎたがらないのも、きっとそれだ。彼のお父さん、グラントさんも昔はそうだったと聞いている。でも、街に出てカーティアさん――カラッドのお母さんだ――に出会って、考えが変わったそうだ。
カーティアさんに腕をぺたぺた触られて、腕を見込まれたグラントさん。「作って」という一言に、見せられた設計図。それがきっかけでグラントさんは恋にも落ちて、大工を継いでカラッドが生まれた。
カラッドにもきっかけがあれば、きっと昔みたいに私のことを、気安くアミィと呼んでくれるに違いない。だからその日まで、私はおにぎり握って待っている。
「ごめんな。じゃ、行ってくる!」
「うん。またね」
私は軽く手を振って、カラッドを見送る。お昼でも食堂が混雑することは滅多にないんだし、何度も謝らなくてもいいのに、カラッドはこういうところが律儀だ。言葉遣いはちょっと荒っぽいけど、女の子からの評判もいいと思う。幼馴染みとして出会いを祈ろう。
再び食堂の開店準備を進めていると、今度は正面の入り口から誰かがやってきた。営業時間はまだだけど、店先の掃除をするために鍵は開けっぱなし。
稀にお腹が空いた旅人さんがやってくるから、私は驚かずにどんな人かを確認する。
入ってきたのは、緑髪ショートツインの小さな女の子だった。
「お腹、空いてますか?」
見たことのない女の子だけど、旅人なら当たり前だ。足取りも元気そうだから、お腹が空いて倒れそうには見えないけど、おにぎり食堂の握り娘として聞かなきゃいけないこともある。
「大丈夫です。アミィリアさん」
「なら安心ね」
おにぎり食堂のアミィリアの名はまだまだ広まってはいないけど、この村まで来れば耳にする機会はあるだろう。旅人に確認されることも多いから、私は笑顔でそう答える。
「ところで……」
「わたしはイスミです」
「イスミちゃんは、私に何の用?」
すぐに名乗ってくれた女の子に、用件を聞いてみる。営業が始まる前にやってきて、目当てはおにぎりじゃない。ここにはおにぎりしかないから、用があるとすればきっと私にだ。
「ここには人がたくさん来るんですよね?」
「うーん」
イスミちゃんの質問に、私はちょっと答えに迷ってしまう。確かにこの村の中では人が集まる場所だけど、たくさんというには大げさだ。
「村の人や旅人は来るけど、それで?」
肝心の目的はまだ聞けていない。もし情報を求めてここに来たなら、もっと人の集まるサンサリアの街を紹介したり、地図を用意したりした方がいいかもしれない。
「ここにいさせてもらえませんか?」
「どれくらい?」
女の子一人を店に置いておいても、仕事の邪魔にならないなら大丈夫。でも問題はどれくらいいたいのかということだ。
「今日一日、夕方くらいまでです。お願いできますか?」
「うん。それならいいよ。ええと、こっちにいてね?」
私はカウンターの方に手招きして、イスミちゃんを迎え入れる。カウンターの中には私しかいないし、結構広いので端の方にいてもらえれば営業に支障はない。ただ、ちょっと問題があるとすれば……。
「お客さんが多くないときなら外に出てもいいよ。もちろん、迷惑をかけない範囲でね」
カウンターは高いから、イスミちゃんの身長ではよく見えないこともあるはずだ。私はちゃんと注意をしてから、イスミちゃんにそう告げた。
「はい。ありがとうございます」
笑顔で頷くイスミちゃん。礼儀正しいこの子なら、特に心配することはないと思う。
その日、最初のお客さんがやってきたのは午前十時を過ぎた頃だった。この村で時計を置いている家は少ないけど、ここは旅人も訪れるおにぎり食堂。お米を炊くための適度な時間は体が覚えていても、窓から見える太陽だけでは正確な時間は分かりにくい。
自慢のおにぎり一つで経営するには、しっかりお客さんの来やすい時間を記録するのも大事なこと。炊きたてのお米を用意するのは、すぐにはできないのだ。
「おはようございます、アミィリアさん」
やってきたのは黒髪セミショートのライカ。この村に住む兄妹のお兄ちゃんの方だ。
「どうしたの、ライカ? おにぎり食べる?」
「いえ、その……何というか」
どうにも要領を得ないライカの返事。おにぎりの誘いを断りもせず、いつもと様子が違うみたいだ。下手に追い討ちするのも困ると思って、私はライカの言葉を黙って待つ。
「……その子は?」
そこでふと、ライカの視線がイスミちゃんに向いた。カウンターに隠れて肩から上だけが見えている女の子。彼女は微笑みながら彼に視線を返していた。
「イスミです」
「今日一日、ここにいさせて欲しいって。ライカは?」
「そうですか。……ん、やっぱり何でもないです」
ライカは答えてから、弱々しい笑みを浮かべて帰っていった。何のために来たのかよく分からなかったけれど、考えている間に裏口の扉が開いて誰かが入ってきた。
「お兄ちゃん、何か言ってました?」
勝手に入ってきたのは、黒髪セミロングポニーの女の子。ライカの妹のヒノカだ。
「ヒノカ、また勝手に?」
「……う、仕方ないんです。今日はお兄ちゃんの様子がちょっと変だから、気になって」
いつものように素早く弁解するヒノカに、私はいつものように笑顔は返せない。
「それは……」
様子が変、というのは私もいま見たところだから。
「何か?」
「ううん。何も。それより事情、聞かせてもらえる?」
微かに期待を込めた目で見つめていたヒノカに、私は首を振ってこちらからも尋ねる。事情によっては、私に協力できることもあるかもしれないと思って。
「それが、今朝お兄ちゃん、ベッドから落ちたんです。そのせいで私も朝早くに無理やり起こされて……お兄ちゃんは寝相悪くないですし、『怖い夢でも見たの』って聞いたら、『不思議な夢を見た気がする』って、よく分からない答えを返されました」
ヒノカはそこで大きくため息をついてから、言葉を続けた。
「それから、確かめてくるって外に出かけて、ただの夢じゃないと思ってるみたいで。だから気になって私もお兄ちゃんの様子を確かめてるんです。これはお兄ちゃんのためで、決して私の趣味じゃないですから」
「不思議……」
その言葉に、私は近くにいたイスミちゃんを見てみる。不思議な夢じゃないけれど、私のところにも不思議な女の子がいる。でも、ライカは彼女を見ても知らないみたいだったし、あんまり関係ないのかもしれない。
「あ、私もう行かないと。それじゃ、また!」
ヒノカは軽くお辞儀をしてから、裏口から外に出ていった。帰り際にイスミのことを見ていたけど、お兄ちゃんを追いかけることを優先したみたいだ。
そしてイスミはというと、窓の外に見えるヒノカをしばらく目で追ってから、正面の入り口を見つめる姿勢に戻っていた。ライカの不思議も気になるけど、あっちは兄想いの可愛い妹に任せればきっと大丈夫。私は私で、機会があったらこっちの不思議を確かめてみよう。
お昼の少し前にやってきたのは、銀髪ロングの女の子だった。カラッドよりもちょっと背の高い、旅人の女の子である。時間も考えると、きっとおにぎりのお客さんだ。
「やあ! ここは食堂で間違いないですね?」
本日最初のお客さん。今日は珍しく別のお客さんも何人か来たけど、まだ一度もおにぎりは提供していない。
「はい。おにぎり食堂です」
誤解のないように、おにぎりしかないことを最初に言っておく。それでも大体のお腹の空いた旅人さんは食べていってくれるけど、苦手な人もいないわけじゃない。
「では、それをいただけますか? それと、ここで人を待ちたいのです。話もすると思うのだけれど、そちらも問題はないですか?」
「混雑具合にもよりますけど、滅多に混まないのできっと大丈夫ですよ。おにぎりはいくつにしますか? おにぎり一つ銅貨一枚です」
旅人さんの質問にすらすらと答えていく私。イルナルヤ村の広場は奥にあるし、この食堂を待ち合わせに使う旅人も少なくない。徒歩で数時間のサンサリアの街の方が待ち合わせには便利だけど、静かなところで合流したい旅人もそこそこいるのである。
「助かります。席は……うん、あそこがいいですね」
食堂内を見回して、近くにあった二人がけの席に座るお客さん。私は彼女が座った席を確認してから、軽く魔法をかけておにぎりを握り始める。魔法といっても本当に単純な、守りの魔法である。料理を提供する者として、髪の毛が落ちるのは防がないと。
それにしてもお昼には間に合うと言っていたカラッドが遅い。イスミちゃんもたまに動きながらずっとカウンターの中にいるけど、彼女もお腹が空いていないだろうか。
と、そんなことを考えるのはここまでだ。魔法も十分に浸透したから、ここからはおにぎりに集中。お米に海苔に昆布に塩、それを握るだけの単純な料理。単純だからこそ、微妙な差が大きな味の差になってしまう。精神集中は大事である。
そうして握り始めようとしたとき、食堂の扉が開いてカラッドが入ってきた。裏口からじゃなくて、なぜか正面からだったけど、その理由は彼の後ろにいた、もう一人の姿を見てすぐに理解した。
「すまん。ちょっと遅くなった。この人に案内を頼まれてな」
カラッドの後ろにいたのは、金髪ショートの男の人。腰に凄そうな剣をかけているから、きっとこの人も旅人だ。
「ここが人が集まる場所なんだな? とすると……君か?」
その人は食堂の中を素早く確認して、目に留まった女の人――さっきのお客さんを見て尋ねていた。イスミちゃんにも視線を向けていたけど、小さな女の子だったから判断に迷った様子は見られなかった。
「やあ! 貴方が勇者さん?」
「一応、そう呼ばれてはいるが……リグルだ。フォールナー・リグル」
先客に尋ねられたその人は、認めてからはっきりと名乗っていた。
「さて、話の前に食事をしたいのですけど、勇者さんは?」
「分かった。おにぎり二つ、銅貨はそちらの彼に渡してある」
リグルさんはそう言うと、女の人が招いた席に腰を下ろしていた。さすがカラッド、案内するついでに食堂のことも話してくれていたみたいだ。
二枚の銅貨を見せてカウンターの中、硬貨入れに入れようとするカラッドを横目に、私は三つのおにぎりを握り始める。お客さんの事情を詮索はしない。でも、話が長くなりそうならおにぎりの準備も遅れさせる。それがおにぎり食堂の基本である。
私はカウンターを出て、握ったおにぎりをテーブルに運ぶ。おにぎり運びをカラッドに任せるのは、お客さんが多いときだけだ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
「頂こう」
黙っておにぎりを待っていた二人のお客さんは、お皿に乗ったおにぎりに手を伸ばしてすぐに食事を始めた。女の人はゆっくりしているけど、男の人はちょっとだけ速い。
でもそれは話を早くしたいからというわけではなさそうで、味わうことを放棄しているわけでもなさそう。旅人にとって食事は大事な栄養補給だけど、急ぎの旅じゃないなら食事を急ぐ必要はないのである。
そのあたりの余裕を見るに、きっとこの人は旅に慣れている。さっきは勇者と呼ばれていたし、竜殺しと霊祓いの伝説で噂の勇者ならそれも納得だ。
私はカウンターの中に戻って、他のお客さんがいつ来てもいいように待機する。同時に、二人のお客さんが店を出るタイミングも見計らう。旅人のお客さんには、持ち運び用のおにぎりも宣伝して、おにぎり食堂のおにぎりの味を広めてもらう。こういった地道な活動がおにぎりの明日を決めるのだ。
そしておにぎりを食べ終わって少しして、お客さんはお仕事の話を始めていた。募集や契約といった単語が断片的に――というわけでもなく、はっきり聞こえてくる。そう広くないおにぎり食堂。カウンターにいれば自然と話は耳に入ってきてしまう。
リグルさんが大きな声で驚きを口にしたのは、それから数秒後のことだった。
「魔王? 君の言う王というのは、魔王なのか?」
「はい。そうですよ、勇者さん。王国を守ってくれる勇者さんを募集したい――でしょ?」
「つまり、君は魔族……それに魔王の側近か」
なんだか緊迫した雰囲気だ。といっても、主にリグルさんが発しているもので、もう一人のお客さんは柔らかい物腰で会話を続けている。
「側近?」
魔族らしい女の人は首を傾げた。
「近しいものであることは確かだろう?」
リグルさんの確認に、女の人はゆっくりと首を横に振って答えた。勇者に魔王、どちらも噂に名高い人物で、イスミちゃんも興味深そうに二人を眺めている。
「私が魔王ですよ、勇者さん。コル・ニア・アルマリカ――気軽にアルマリカでいいですよ」
「そうか。なら、こちらも勇者さんはやめてもらおう」
「はい。リグルさん」
「アルマリカ。今の言葉に、嘘はないな?」
なんだか凄い話が始まっているみたいだ。魔王の名が出たと思ったら、魔王本人。これはなかなかに難しい状況である。
「アミィリア、大丈夫か?」
カラッドが小声で尋ねてきた。魔王の噂はイルナルヤ村でも広まっている。人族の国に手紙で「婿よこせ」「姫くれ」といった、怪しい手紙を送って脅迫をしていたと、最近噂の魔王さんだ。
「うん。どこでおにぎり勧めればいいのか、困っちゃうね」
「いや、そうじゃなくて……いや、いいや」
でも今は大事なお客さんである。それに噂は噂、真実は本人に聞かないと分からない。小さな村でも噂の集まりやすいおにぎり食堂。真偽の定かではない噂を無闇に広めないためには、常に中立でいることが大事だ。食堂の評判にも関わるのだから。
「当然ですよ。それで、募集の話を……」
「その前に、こちらからも色々確認したいことがある。外に出てもらえるか?」
「……あ」
会話の流れに思わず口から声が出てしまう。このままではおにぎりを勧められない。でも、無理やり勧めて評判を落とすのもいけないことだ。残念だけど今回は諦めよう。
「すまないが、広い場所――できれば人の少ない場所を教えてもらえるか?」
リグルさんがカラッドに尋ねていた。アルマリカさんは苦笑しながらも、黙って成り行きを見守っている。
「湖の傍が一番だろうな。林の中に入れば分かると思うが、簡単な地図を準備する」
村の中で二つの条件を満たす場所といったら、私が思いつくのもそこだけだ。広いだけなら広場もあるけど、行商人のタヤナさんが来て人が集まることもある。
「助かる。準備が出来次第、移動してもらえるか?」
「いいですよ。その方が納得してもらえるなら、私も動きます」
何をするつもりなのかは何となく分かるけど、私もカラッドも尋ねない。けれど、もう一人の女の子は別のようだった。
「湖の傍で、何をするんですか?」
いつの間にかカウンターの外に出ていたイスミちゃんが、リグルさんとアルマリカさんに聞いていた。真剣な顔で、真っ直ぐに二人を見つめて。ちょっと驚いたけど、迷惑をかけるつもりはなさそうだから任せてもきっと大丈夫。
「魔王とやらの力を確かめる。それから、話を聞かせてもらう予定だ」
「村に迷惑はかけませんよ。私はこれだけで」
アルマリカさんは腰にかけられた刺突剣に手を触れて、イスミちゃん、そして私たちにも笑顔を見せてそう答えた。
「俺も同じだ。大切な自然を破壊するような真似はしない」
リグルさんは真っ直ぐにイスミちゃんを見つめて、はっきりと答えを返していた。
「そうですか……大樹にも気をつけてください」
イスミちゃんは微笑んで注意をした。二人は大きく頷いて、そのまま店の外に出ていく。話している間にカラッドの地図も準備完了だ。
彼らを見送って、イスミちゃんはまた元の位置に戻っていた。彼女の態度や、大樹のことに詳しい様子はちょっと気になるけど、貴重な書き入れ時はまだ続いている。何かを尋ねるのは今日の営業が終わってからでも、きっと遅くないはずだ。
「こんちはー! アミィリア、おにぎりちょうだい」
勇者さんと魔王さんが出てから十数分後、勢いよく正面の扉を開けて入ってきたのは、琥珀セミロングのタヤナさんだ。行商の荷物を軽々と背負って素早い注文である。
「はい。すぐに握りますね」
弾いてよこした銅貨一枚は、カラッドが格好つけてキャッチ。イルナルヤ村によく来るタヤナさんは、おにぎり食堂にもよく来てくれる。いつもの光景だけど、ちょっと違うのはカウンターの中に女の子がいること。
「お久しぶりです、タヤナ」
「久しぶり……うん? あたし、貴方に会ったことあったっけ?」
「はい。でも、こちらが一方的に覚えているだけかもしれないので、覚えてないのも仕方ないと思います」
イスミちゃんの言葉に首を傾げるタヤナさん。そんな彼女に、私は握りたてのおにぎりを包んで渡しに行く。会話を耳にするくらいで集中が途切れるようでは、おにぎり食堂はやっていけないのである。
「うん、ありがと。じゃ、またねー」
私が渡したのは持ち運び用のおにぎり。これからタヤナさんは広場で行商を始める。おにぎりもそこで食べるので、私は言われなくてもおにぎりを包んでいた。銅貨を投げたときのお約束である。ここで食べるときは手渡しで、お仕事のときは裏口から。行商人のタヤナさんとは互いにお客さんの関係。スムーズな交渉が大切なのだ。
時刻も三時を過ぎた頃、もうそろそろ夕方だ。お客さんがおにぎりを食べに来るのはお昼がほとんど。宿屋のないイルナルヤ村、夕方や夜に訪れる人はあまりいない。それでも、小腹が空くこの時間は、お昼の次にお客さんが来る時間。特に若い村の人がやってくるのは、この時間が一番多い。
それは今日も同じで、二人の女の子がおにぎり食堂の扉を開けて入ってきた。
「魔法少女ファリッタ、おにぎり求めてやってきたよっ」
「こんにちは。わたくしも頂きに参りましたわ」
おにぎり求めてやってきたのは、橙ロングサイドのトーファリッタと、水色ショートツインのスーミゥ。毎日ではないけど、たまにやってくる仲良しの女の子たちだ。
「ところでカラッドさんっ。魔法少女のお手伝い、今日こそ出番かな?」
「わたくしも気になりますわ。どうですの?」
「ほら二人とも、立ってないで座ったらどうだ?」
二人の言葉にカラッドが席を勧める。いつもの秘密の会話だ。何の話か私が尋ねても、カラッドは絶対に答えてくれないし、他の二人も教えてくれない。私だけ仲間はずれで不満な顔を見せると、カラッドは凄く困ったような顔をして、二人は楽しそうに笑うだけだ。
幼馴染みに知られたくない秘密を握られている……ようには思えないし、でも答えてくれないから私はおにぎりを握るだけ。きっといつか教えてくれると信じている。
「あら、その子はどなたですの?」
カウンターの中にいたイスミちゃんを見て、スーミゥが私たちに尋ねた。私やカラッドが尋ねる前に、その質問には本人が答える。
「わたしはイスミです」
「そうですの。わたくしはスーミゥですわ」
スーミゥは微笑んで、イスミちゃんに自己紹介をしていた。
「なになにっ。ファリッタにも教えてくれる?」
「ナチュラルメイドなわたくしのお仲間ですわ。詳しいことは……」
「うんっ。おにぎり食べてからっ」
気になる会話が聞こえているけど、おにぎり握るのは忘れない。カウンターに座った二人におにぎりを差し出してから、イスミちゃんの方を見る。彼女は私に笑顔だけを返してくれた。
「スーミゥの仲間ってことは……」
おにぎりを綺麗に食べた二人が会話を再開する。
「ええ。ナチュラルメイド、メイドインナチュラルなわたくしと同じ。それはつまり……自然なる者ですわ。ファリッタならご存知でしょう?」
「もちろんだよっ。なるほどねー、でも、どうしてここに?」
「それはわたくしに聞かれても……イスミさん?」
声をかけられたイスミちゃんは、待っていたとばかりに即答する。
「秘密です」
トーファリッタとスーミゥは顔を見合わせて、秘密なら仕方ないとばかりに小さな笑みを浮かべていた。よく分からない単語がいくつか聞こえてきたから、私からも聞いてみよう。
「……秘密ですよ」
しかし、それより先にイスミちゃんが二人に向かって、笑顔でそう言っていた。
「ごめんねっ。ファリッタも、今は教えてあげられないのっ。魔法少女として女の子の頼みは断れないんだっ。お家のこともあるけどねっ」
「わたくしもですわ。お仲間として、今は見守るだけですわ」
二人は続けてそう言っていた。魔女の一族に関わる秘密は分かるけど、スーミゥの秘密はよく分からない。でも、話してくれる様子はなさそうだから、諦めよう。
「気になるな」
けどカラッドは諦めきれない様子で、そんなことをはっきり聞こえるように呟いていた。
「だったら今こそっ」
「でも、急ぐことじゃないな」
元気のいいトーファリッタの言葉に、カラッドは諦めたみたいだ。イスミちゃんの秘密も気になるけど、幼馴染みとしてはカラッドの秘密の方がもっと気になる。でもどっちもすぐには分からないみたいだから、私はただおにぎりを握るだけだ。
それから他にお客さんが来ることはなく、夕方になった。お店もそろそろ閉めてもいい時間だけど、おにぎり食堂の二階は私の部屋。お腹の空いた旅人が来たらいつでも握る準備はできている。
そして夕方といえば、イスミちゃんの約束の時間だ。
「イスミちゃん、もう用事は済んだの?」
カウンターの中にいたイスミちゃんは、座っていた椅子から立ち上がっていた。
「はい。今日はありがとうございました」
「どういたしまして。ところで……」
私が尋ねようとすると、イスミちゃんは微笑んで頷いてくれた。
「全部は秘密です。月が出たら、二階から外を見せてもらえますか? そのときに話せることをお話します」
「分かったわ。それまでは?」
まだ夕方になったばかりで、月が出るまではしばしの時間がある。私たちはお店を閉める準備もあるからいいけど、その間イスミちゃんはどうしているのか尋ねてみる。
「少し外にいます。念のため確かめておきたいことがあるので」
そう言うと、イスミちゃんはカウンターを抜けて歩いていった。私たちに止める理由はないので、すぐにおにぎり食堂は私とカラッドの二人だけになった。
私とカラッドは窓から外を見て、正面と裏口からも外を確認して、近くにお客さんがいないことを確認する。私とカラッドは頷き合って、店を閉める準備を始めることにした。イスミちゃんのお話があるから、今日は普段よりちょっとだけ早い閉店だ。
「よかったのか?」
「なにが?」
閉店準備を始めてすぐに尋ねてきたカラッドに、私はすかさず返事をする。そんなに多くのお客さんが来るわけじゃないし、カラッドもいてくれるから閉店準備は開店より楽だ。手を抜くことはしないけど、お話しながらゆっくりやっても短時間で終わる作業である。
「イスミのことだよ。帰ってくるのか?」
「カラッドは、イスミちゃんみたいな可愛い女の子を疑うの?」
「お前が疑わなさすぎるんだよ。まあ、俺も悪いやつじゃないとは思うけど、あの子の目的は知らないが、俺たちに話さなきゃいけない義務があるわけじゃないだろ?」
確かにカラッドの言うことは間違っていないけど、イスミちゃんはきっと帰ってくると思う。カラッドだって本気で彼女を疑っているわけじゃないのは、声を聞けば分かる。
「トーファリッタやスーミゥも何か知ってるみたいだったし、ただな……」
「もう少し疑うことを覚えろ、でしょう?」
「……ああ」
私が笑顔で続けると、カラッドも小さく笑って答えた。幼馴染みとして彼はいつも私のことを心配してくれている。昔からカラッドはそういう人で、だからこそ私は寂しいのだ。私のことを想ってくれるのは変わらないのに、昔みたいにアミィと呼んでくれないことが。
「でも、何かあったらカラッドがきっと守ってくれる。私のおにぎりへの愛が薄れても、カラッドが戻してくれる。カラッドはまだ私と一緒にいてくれるんでしょう?」
私が素直な気持ちを口にすると、カラッドは目を逸らして、作業を続けながら返事をした。
「またそういうことをさらっと……まだ、じゃないぞ。この村にいる限り、俺たちはずっと一緒の幼馴染みだ」
「うーん、でも、カラッドにもいつか恋人が……」
そういうときはやっぱり、幼馴染みよりも恋人を優先してあげるべきだ。私だって恋人ができたら、おにぎりよりも恋人を優先すると思う。多分。
「う……えーと、手、止まってるぞ」
またカラッドに流された。私がこういう話をすると、彼はいつも話を逸らそうとする。幼馴染みと恋の話をするのは恥ずかしいのかもしれないけど、私たちももう十七歳。そろそろ慣れて欲しいものだ。
「ええ。作業、終わったから」
「あ、ああそうか。俺も早く済ませるよ」
私は今日一日イスミちゃんが座っていた椅子に腰を下ろして、カラッドの仕事が終わるのを待つ。数台の今日は使っていないテーブルを掃除するだけだから、手伝う必要はないんだけど、こういう話をした後だから作業がちょっと遅い。
「よし、終わったぞ」
「カラッドって、女の子に興味ないの?」
終わったところで、用意していた言葉をかけてみる。普段ならここでカラッドが家に帰るのだけど、きっと彼もイスミちゃんが帰ってくるのを待つはずだ。その間の退屈しのぎに、私は深く質問してみることにした。
「何の話だ?」
「恋の話」
「恋って……アミィの口からそんな言葉が出るなんてな」
私の問いが意外だったのが、気が抜けてアミィと呼んでくれている。指摘したら直っちゃうかもしれないので、私は無視して話を続けることにした。
「私も女の子だよ? はい、答えて」
「断るって言ったら?」
「イスミちゃんが帰ってくるまで、まだ時間はあるよ」
そろそろ日が完全に沈んで月が見えてくる頃だけど、イスミちゃんもその瞬間に帰ってくるわけじゃないと思う。私はそれまでカラッドを見つめて、答えを待つだけだ。
「……いや、興味はあるけど」
その視線にカラッドが陥落するのは、ほんの数秒後のことだった。
「好みは?」
幼馴染みとして興味があるので、私はさらに尋ねてみた。無理に答えは要求しない、イスミちゃんが戻って来るまでの暇つぶしだ。
「一度しか言わないからよく聞けよ」
「うん」
どうやらカラッドは答えてくれるらしい。静かな店内、集中していれば聞き逃しはしない。
「俺の好みは、アミィみたいな女の子だ」
「つまり……おにぎり?」
「おい」
「冗談よ。けど、カラッドだって本気で答えてくれなかったし、おあいこでしょう?」
そんなことを言って、私を褒めれば納得すると思ったら大間違いだ。女の子として確かに嬉しいけど、それくらいでごまかされる私じゃない。
「いや、冗談じゃなくてだな。あー、なんていうか、その……」
はっきりしないカラッドだ。冗談じゃないとすると、どういう意味なのか考えてみる。私みたいな女の子というからには、とりあえず年齢は同い年が一番ってことになる。
それから、髪の長さは長いけれど長すぎず、身長差でいうと自分より低い方がいい。あとはおにぎり上手、つまりこれは料理上手で家庭的な女の子が好きということかもしれない。そう考えてみると、そんなに不思議な答えではない。ただ……。
「全部満たせる人って、いると思う?」
さすがに幼馴染みということは抜きにしても、カラッドの理想の女の子を探すのは現実的には難しいような気がする。私みたいなというのがどういう意味か分からないけど、それに一番当てはまるのはやっぱり私くらいなものだ。
「あ、もしかして」
「……う」
思い浮かんだことを口にする前に、カラッドが動きを止めた。多分イスミちゃんもそろそろ帰ってくる。ないとは思うんだけど、言ってみるだけ言ってみよう。
「カラッドが好きなのって、まさか私じゃ……」
じっと目を見て、名推理を披露するかのように言ってみた。すると、カラッドは真剣な目で私を見つめ返して、そのまま黙ってしまった。というより、硬直している。
「あれ、私、そんなに変なこと言った?」
「いや、変じゃない。俺が好きなのは、その……ええっと、だな……」
硬直は解けたみたいだけど、次の言葉はなかなか出てこなかった。カラッドがそんなことをしている間に、正面の扉が開いてイスミちゃんが戻ってくる。窓の外には、もう月がはっきりと顔を出していた。
「お帰り、イスミちゃん」
カラッドから視線を外して、私はイスミちゃんを迎える。カラッドはというとまだ私の方を見たままで、イスミちゃんの方を見る素振りさえもなかった。
「はい。その、お邪魔でしたか? でしたら、わたしはもう……」
「何が?」
「……アミィリア」
あ、アミィから戻った。今日はこのままずっとアミィでいてくれると思ったのに、残念。
「大変ですね」
「分かってくれるか」
二人が何を理解し合っているのかよく分からなかったけど、私はイスミちゃんを二階に案内してあげることにした。私が歩き出すと、カラッドは肩をすくめて、イスミちゃんは苦笑して追いかけてくる。よく分からないけど、きっといつか分かる日が来ると思う。
私とカラッドは幼馴染み。喧嘩をすることもあったけど、最後にはいつも仲直り。秘密だってあんまりない、仲良しの幼馴染みなのだから。
二階の窓の前に立って、イスミちゃんは私たちを手招きした。月を見るのかと思っていたらそうじゃなくて、窓の先に広がっているのは私の家の稲穂たち。お父さんとお母さんが、毎日丹誠込めて手入れして、たわわに実ったお米の生まれる前の姿だ。
月夜の下でも輝く稲。太陽の光を浴びている姿も美しいけど、今の姿もまた悪くない。
「イスミちゃん、話せることって?」
単刀直入に切り出してみる。と、イスミちゃんは振り返って、笑顔で答えてくれた。
「アミィリアさん。今日のことは、現実ですよね?」
何を言いたいのかよく分からず、私はカラッドと目を合わせる。もちろん彼もよく分かっていないから、私たちはイスミちゃんの言葉を待つしかない。
「だったら、これから起こることも現実ですよね?」
イスミちゃんは窓の外に視線を向ける。私たちも視線を追って、風にそよぐ稲穂を見ることにした。そしてすぐに、その異変に気付く。
遠目に見てもはっきり分かる。子供のころからずっと見てきた、イルナルヤ村の稲。おにぎりのきっかけ。暗くてはっきりとは見えなくても、あの感じはよく知っている。気候が優れなくて稲が育たなかったときに見た、悲しい光景だ。
幼馴染みのカラッドだって、見たことのある光景である。私ほどずっと見ていたわけじゃないから気付くのは遅かったけど、あのときの光景は忘れてないと思う。
「なんで? さっきまでは確かに……」
窓を開けて、もう一度。やっぱり変わらない。ううん、それどころか、もっと悪くなっているような気がする。急に吹いた風に稲は耐えられなくて、何本かが折れていた。
「誰かが何かした……ってわけじゃないな。魔法の気配だって、何も……」
私たちの、村の誰にも気付かれず、この短時間で稲に変化を起こすことなんて普通の魔法じゃできることじゃない。普通じゃない魔法もたくさんあるけど、イルナルヤ村が狙われる理由なんて私には思いつかない。
「イスミちゃん、何か知ってるの?」
窓の外から視線を戻して、同じく窓際に立っているはずの女の子を呼ぶ。けど、答えは帰ってこない。それどころか、イスミちゃんの姿も見当たらなかった。
「カラッド」
「……どういうことだ?」
カラッドも気付いて、部屋を見回していた。私たちが外を眺めていたのは、二階にある私の寝室。そんなに広い部屋じゃないけど、扉だってちゃんとある。足音も聞こえなかったし、扉が開く音も聞こえなかった。それに、イスミちゃんの気配だってずっと感じていたはずだ。
「アミィリア、とにかく外に出て確認しよう」
「うん……」
カラッドの声に、私はぼんやりと答えを返した。すぐに動いて外に出て、稲の様子を確かめたい。魔法を使って窓から飛び降りて、すぐにでも行きたいくらいなのに、私の足は動かなかった。それどころか、思考も何だかはっきりしない。
「アミィ? どうした?」
「……ごめん、頭……なにも……」
まぶたが閉じていく。眠気じゃないと思う、でも私のまぶたは閉じていた。私の名前を呼ぶカラッドの声も段々小さくなっていって、彼の手が私の体に触れたと気付いた瞬間、私の意識はふっつりと途切れてしまった。