Sister's Tentacle 11

五本目 大きな女王が粘液を出させた


 二の月二の週。コーヴィアとユィニーの兄妹は、無事にグレストスに到着し、いつものように近くの古代遺跡を探索していた。見知らぬ土地なので、まずは遺跡の場所と地勢を把握することから探索は始まる。

 グレストスの周辺には、短時間で探索できそうな小さな古代遺跡が多い。擬似魔法も弱いどころか仕掛けられていないこともあった。

「目ぼしい遺跡はないが……侮れんな」

 大きな遺跡だらかといって、必ずしも価値のある宝が眠っているとも限らないし、その逆も然り。もっともここまでの遺跡探索では、歴史的に価値の高い宝は見つかっていないのだが、それゆえにどんな遺跡でも見逃すわけにはいかない。

 そしてまた、今のコーヴィアにはもうひとつやるべきことがあった。古代遺跡を探索するという目的を果たすには、必ずやらないといけないこと。

 グレストス周辺の遺跡の場所は、今日で大方調べ終わった。地形に隠れた遺跡も残っているかもしれないが、それらは見つけると同時に探索すればいい。

「明日から中に入るぞ。ユィニー、サポートは頼むぜ」

「いいけど、本当に大丈夫?」

「ああ。この粘液の剣を使いこなす。そのためには実戦が一番だ!」

 ここまでの遺跡探索中、戦闘は基本的に護衛のユィニーの役目だった。しかしこれからの探索では、コーヴィアが先頭に立って戦う。先日の遺跡。最奥まで潜るには彼自身の力を高めなくてはならない。

「私は楽できるからいいけど、非効率的」

 調べた限り、仕掛けられた擬似魔法は弱いものばかり。強い擬似魔法が仕掛けられた遺跡もあるにしても、所詮は術者のいない擬似魔法である。雑魚やちょっと強い雑魚をたくさん倒したところで、大きな成長は望めない。

「ならユィニー、付き合ってくれるか?」

「やだ。教えるのは面倒」

 効率を考えるなら、身近な実力者であるユィニーと特訓をするのが最適だ。とはいえ、今の二人の実力差は大きい。本気を出した戦いなら圧勝で終わるし、かといって手加減しては意味がない。

 それにユィニーも剣の力を使いこなす方法は知らない。単純な剣術であれば教えることもできるが、それ以上のことを求められても困る。

「そうか。こんなことなら、誰かに聞いておけばよかったぜ」

 聞いて教わればそれでおしまいではないが、何かしらのヒントは掴めただろう。しかし兄妹の出会った者たちの所在はわからない。リリファとマセリヤはトフィン王国に向かったそうだが、今もいるとは限らないから、無駄足になるかもしれない。

 兄妹がセントレストからグレストスを目指したのは、こちらに古代遺跡が多いから。トフィン王国周辺にもなくはないが、数は少なく、そのいくつかは王国によって探索し尽くされている。何もない遺跡を探索しても、罠よけの訓練くらいにしかならない。

 そんな会話をしながら今日の探索を終えたコーヴィアとユィニーは、グレストスに戻ることにした。時刻は昼を少し過ぎた頃。小さな遺跡を探索する時間はあるが、調べた情報を元に、探索する計画を整えてからの方が効率はいい。

 二人の戻ったグレストスの町は、鉱山の町という顔の他に、南西の山岳地帯を越える旅人のための町という顔もある。これから山岳地帯を越えようとする人間に、山岳地帯を越えてきた人間。ちらほらと見える彼らの姿で、町は昼間でも賑わっていた。

 しかし、帰って来てすぐに、今日の賑わいはいつもと違うことに兄妹は気付く。

「おい、その情報、本当か?」

「わかんねえよ。でも、山岳地帯で見たってやつが何人もいるのは間違いねえ」

「見間違いよ。なんでそんなところに……」

「でも、遊撃の女王ならそれくらい……」

「本当だったら、僕も剣を教えてもらえるかな!」

「ははっ、坊主にはまだ早いって」

 ざわめく町を歩きながら、二人は断片的な会話に耳を澄ませる。

「知ってるか、遊撃の女王がこの辺にいるらしいぜ」

「本当かよ。巻き込まれる前に、さっさと旅立ったほうがいいか?」

 酒場で昼食をとっている間も、町の人の会話は自然と耳に入ってくる。その話を聞きながら食事を終えた兄妹は、宿に戻って今後の探索予定を立てることにした。

 紙に書かれた大雑把な地図に、今日見つけた遺跡の場所と規模を記す。これまで記した内容と照らし合わせて、一日での探索内容を決めていく。グレストスの滞在予定は二の月の間。まずは中央大陸、ゆくゆくは西の小大陸や東大陸の遺跡も探索する以上、多少ならともかく大きく予定を崩すわけにはいかない。

 とはいえ、元々期間には余裕を持たせている。グレストス周辺の古代遺跡は小さいものが多いのもあって、二日に一日探索するペースでも大方の遺跡は回れそうだった。予想外の罠や吹雪などで遅れたとしても、十分に間に合うだろう。

「よし、できたぜ! 早速明日から探索するが、準備はいいな?」

「うん。ところで、お兄ちゃん」

「ああ。遊撃の女王、だっけか?」

 町の人の会話から何度も聞こえて来た言葉。その名の示す通り、神出鬼没の遊撃の女王は多くの人間には恐れられ、一部の人間には歓迎される存在だ。

 曰く、剣に生きる乙女。曰く、宿屋潰しの怪物。どちらも間違いではない。自らの持つ剣の使い手を探すため各地を旅し、認めたものには稽古をつけ、場合によっては西大陸にあるという道場に勧誘する。人は襲わないがお金も持たず、宿代や食事代は基本的に踏み倒す。

 拠点を移動しながら通り道の人間を見境なく襲い、生命を吸っていくつかの村を壊滅に追い込んだ触手の女王。

 南西の山岳地帯を拠点に、近くの村から人間を攫っては命を奪っていた怪鳥の女王。

 かつて中央大陸の南部を恐怖に陥れた彼女たちに比べると、人を襲わないだけ遊撃の女王はましな方だが、今は触手の女王も怪鳥の女王も、人を襲わずに暮らしている。その理由は知っての通り、人間の男と子を成し、一緒に暮らしているからである。

 ともかくそんな状況であるがゆえに、遊撃の女王はこの周辺において、現状では一番の恐怖の対象となっている。

 ちなみに大陸の各地に目を向けると、他の女王は現在も活動を続けている。コーヴィアとユィニーは母である触手の女王や、冒険者の父から聞いただけで実際に会ったことはないが、ある程度の情報は知識として知っている。

 海魔の女王は中央大陸と西大陸との間にある海を中心として暴れ回り、船を襲っては人間を捕まえている。物資を狙う海賊とは宿敵関係にあり争っていたのだが、セントレスト滞在中、港町カーティット――南西の山岳地帯を抜けた先にある――から来た旅人の話によると、どうやら最近は事情が違うらしい。

 十七年ほど前から、敵対しているはずの女王と海賊が協力して船を襲うようになった、狙いは物資が中心で人を襲うことは減った、というのが彼の話だ。

 中央大陸の北方には女王が二体。

 白翼の女王は北の峡谷地帯の周辺に。浮遊能力を使い峡谷に橋をかけたことで人間に感謝された彼女は、美しい容姿と大きな白き翼を見せびらかし、自らを天使と称した。そして峡谷に暮らす者たちに協力する代わりに、若くて見目麗しい男たちを要求しては、自らの城で色欲に溺れているらしい。

 女王としては最も多くの人間との子を成していて、女の子が生まれたら新たな天使の誕生だと披露して峡谷周辺の民の信仰を深める道具とし、男の子が産まれたら他の人間より丈夫な相手として死ぬまで精を搾取する。

 峡谷を抜けた先は意識の女王の支配する領地。肉体を持たない女王は、人間たちの精神を支配し、自らの意志で彼女の元にやってこさせて生命を吸う。人間は恐怖を感じることもなく、知らないうちに支配されて統制される。

 力には限界があるので、北方を全て支配しているわけではない。女王の名を知る人間もいないことはないが、北方の地は豊穣な土地を持つがゆえに、他の村や町との交流が少ない土地。峡谷にも阻まれているため、土地を離れる者は多くない。

 中央大陸に残る最後の女王は、ヒトの女王。

 彼女についてはコーヴィアとユィニーの兄妹も詳しくは知らない。そもそも、ヒトの女王であるということさえも伝えられてはいなかった。

 しかし、断片的な情報はぼかして伝えられている。マセリヤとの出会いで、トフィン王国の女王がヒトの女王であることが判明したので、情報を整理するのは難しくない。

 不思議な力を使う女王というのは、魔法のこと。白翼の女王より多くの人間を騙して支配しているというのは、トフィン王国の規模を考えれば説明がつく。

 城にこもりきりで外に出たがらないというのは、トフィン王国の女王が数十年ごとに代替わりして、国民の前に顔を出していることから理解できる。神の残滓である十一体の女王は不老であるから、常に顔を出し続けるわけにはいかない。そのため自らの子たちに、その役目を担ってもらっているのだろう。

 ヒトの女王トフィン。トフィンとは女王の名で、他の女王にも名は存在する。

 触手の女王クシュナ。

 怪鳥の女王イークァル。

 海魔の女王ルカイ。

 白翼の女王クーファ。

 意識の女王スィーキア。

 遊撃の女王ユイキィ。

 氷海の女王ヒヨ。

 貧乳の女王ぺたもち。

 普乳の女王ふにりゃん。

 巨乳の女王ぱうっきゅ。

「本当だとしたら、これで七体になるのか」

「それも、今度は女王本人」

「母さん以外の女王か……」

「でも、確か遊撃の女王は、人間に近い姿だって」

「そうだったな」

 兄妹の母、触手の女王クシュナは全身に数百本の触手を生やした、というより触手そのものの姿をしている。一応、その気になれば人間の姿にもなれるらしいが、兄妹は一度もその姿を見たことはないし、父も見たことがないと言っていた。

 ユィニーが触手を自在に調節できるように、大きさは自由自在で、人間の何倍もの大きさになることもできれば、半分くらいになることもできる。兄妹が育ち、今もクシュナが父と数十体の魔物――女王に連なる魔物で、兄妹の子育ても手伝っていた。小さな触手を生やした魔物が大半である――と暮らす広い古代遺跡。

 普段はそこで動きやすいように、父より少し小さいくらいの、やや人間に似た――それでいて全身にしっかり触手を生やした姿で生活している。

 人間に近い姿の女王は、遊撃の女王ユイキィ、白翼の女王クーファ、それに東大陸の三乳の女王の五体。人間そのもののヒトの女王トフィンも含めると六体になる。

 他の女王も含めて、兄妹は母であるクシュナ以外の詳しい姿を知らない。人間に近いといってもどの程度のものかはわからないが、噂になるということは遊撃の女王には目立つ特徴があるのだろう。

「気にはなるが……ま、どこかで出会ったらそのときに考えればいいさ」

「じゃあ、それで」

 噂が真実だとしても、グレストスの町もそれなりに広い。さらにコーヴィアたちは遺跡探索のために外に出ることが多いから、出会えるかどうかはまた別の話だ。

 翌日。コーヴィアとユィニーは朝早くにグレストスの町を出て、町の北にある古代遺跡に向かうことにした。小さめな遺跡が多く、結果は芳しくなかったが、探索は順調。グレストスに一旦戻って昼食をとると、再び町の外へ。今度の方角は南である。

 一見すると効率が悪いようにも思えるが、昼食を持ち運ぶ必要もなく、収穫物を宿に置くこともできるので、一度町に戻った方が身軽で安全に探索を続けられる。

「……む」

 遺跡に向かう途中、近くの林から二体のはぐれ魔物が飛び出してきた。事前調査でこのあたりに棲息していることはわかっていたので、コーヴィアは剣を抜き、落ち着いて対応する。

 狼によく似た姿のはぐれ魔物。生存のために動物に似せた姿になることの多いはぐれ魔物だが、ここまで酷似しているとなると、何世代にもわたって混血が進んでいるのは明白だった。純血のはぐれ魔物は相応の強さを持つが、混血であれば強敵ではない。

 混血という点では、コーヴィアとユィニーも同じ。それゆえに、女王には無条件で従うはぐれ魔物にも、人間の仲間と思われて襲われるのである。

「俺の遺跡探索を邪魔しようってのか。いい度胸じゃねえか!」

 二体の魔物が左右から時間差で襲いかかってくる。コーヴィアは必要最小限の動きで攻撃を回避し、的確に反撃を加えていく。

 回避に集中したため浅い攻撃だったが、ひるんだ隙をコーヴィアは見逃さない。

「これで!」

 近くにいた魔物に剣を振り下ろす。

「終わりだ!」

 もう一体、距離を取ろうとする魔物を追いかけて、振り上げの一撃。

 強烈な一撃を受けた二体の魔物は地に倒れ、完全に動きを止めた。

「処理、と」

 その魔物にユィニーは触手を突き刺し、魔物の肉体を光の粒として霧散させる。人間と違ってはぐれ魔物は食べられない。だが女王の力があれば、下位の存在である魔物の死体を消すのは簡単だ。

 ユィニーが触手を人間の手に戻して、コーヴィアが剣を鞘に収めたとき、ゆっくりとした拍手の音が後方から響いた。

「なかなかの戦いだった。だが少年。回避しつつの反撃を狙うなら、相手の勢いをもっとうまく利用するべきだな」

「誰だ!」

「いつの間に」

 兄妹は突如後方に現れた気配に、慌てて振り向く。

 拍手をした女性は、兄妹の一歩後ろに立っていた。コーヴィアが気付かないのはよくあることだが、この距離でユィニーも気付けないというのはまずないことである。

 二百はある長身の彼女は、動きやすさを重視した軽い鎧を身につけていた。格好いい印象を与える顔立ちで、胸はスースエルよりも更に一回り上。なかなかの大きさだ。

 外見は二十歳くらいの大人の女性。黄色い髪はロングストレート。同じ色の瞳で兄妹を見つめる彼女の腰には、一本の剣が添えられている。彼女は鞘から剣を抜くと、体を横に向けて武器を構えてみせた。

「そう、たとえばこのように!」

 波立つ刃の長い剣。彼女は回避する動きを見せながら、同時に剣を突き出してみせる。先程の局面でコーヴィアが同じことをしていたら、魔物の一体はその一撃で倒せていたことだろう。

「そして少女よ、疑問に答えよう。私がなぜ気配を悟られることなくここまで近づけたのか……答えは単純明快、私が君より強いからだ」

 女性はふっと姿を消すと、一瞬の後にはユィニーの目の前に現れていた。そっと伸ばした手で彼女の頬を撫でると、微笑んでから再び姿を消して、彼女の後ろに現れる。

「転移か! 古代文明の未知の力、その一端がここに!」

「違う。完全には把握できなかったけど、ちゃんと足で動いてる」

 熱くなっている兄と違って、妹は冷静に状況を観察していた。

「ほう。それに気付けるとは、将来が楽しみだ」

 女性は大きな笑い声をあげながら、今度はゆっくりと歩いて兄妹の正面に移動した。

「潜伏と俊足、それが答えだよ。まさに『遊撃』といった力だろう?」

「遊撃って……あんた、まさか」

「遊撃の女王ユイキィ。初めまして、クシュナの血を引く兄妹よ!」

 ユイキィは波立つ剣をくるりと回して鞘に収めると、兄妹を真っ直ぐに見つめて挨拶をした。

 互いに一通りの自己紹介を終えたところで、コーヴィアが口を開いた。

「ユイキィ、あんたに尋ねたいことがある」

「ああ、その剣のことだろう? 時間があるなら私が稽古をつけてやってもいい。その前に、ひとつ君の妹にやってほしいことがある。なに、簡単なことだ。この剣を握ってみてくれ」

 ユイキィは剣を抜いて、柄をユィニーに向けて腕を伸ばした。

「それくらいなら」

 言われるままに、ユィニーは柄を握る。ユイキィはゆっくりと手を離し、それに合わせてユィニーは剣をしっかりと握り直す。

「震電の剣。少年の持つ粘液の剣と同じく、神の力を受け継ぐ剣だ。どうかな?」

 ユィニーは剣を振ってみるが、特に何も起こらないし、何も感じない。兄の持つ粘液の剣を握ったときと同じく、適応者でない彼女にはただの剣でしかない。

「なにも」

「そうか。君ほどの実力者が適応者であれば、私も嬉しかったのだが……」

 ユィニーから剣を受け取り、静かに鞘に剣を戻す。抜くときよりゆっくりした動作に、少々の落胆がはっきりと見てとれた。

 が、ユイキィはすぐに微笑を浮かべて、元気な声でこう言った。

「まあ、目的は果たした。約束だ、少年。稽古をつけてやろう」

「本当か?」

「ああ。その剣の力、一日で使いこなせるようにしてやろう。ただし、少年がくじけなければの話だがな」

「くじけるかよ。遺跡探索に必要なんだ、全力でやってやるぜ!」

「いいだろう。では早速、始めるとしようか」

 ユイキィは姿を消すと、一瞬で兄妹から少し離れた場所に現れて、おもむろに震電の剣を抜いてみせた。

「君の全力を私にぶつけるがいい! 安心したまえ、遊撃の女王としての力は一切使わない。純粋な剣術の腕だけで相手をしよう」

「後悔しても知らないぜ! ……って、言いたいところだがな」

 コーヴィアは剣を抜いて、慎重に構える。隙のない構えで彼を待ち構えるユイキィに、剣術勝負でも圧倒的な差があることは彼でも理解できる。自分より強いユィニーでも、遊撃の女王を相手に剣術だけで勝負すれば勝てないだろう。

 ひとつ深呼吸してから、コーヴィアは覚悟を決めて駆け出す。

「ふっ!」

 接近して腰に下ろした剣を振り上げ、前方で構えられていた剣を弾く。守りに隙ができたのを感じるより早く、片手で握っていた剣を両手で握り直す。

「はあっ!」

 全力を込めて振り下ろした一撃。ユイキィは一歩後ろに下がることで、それを回避。

 弾かれて浮いた剣に遊撃の女王は力を込めると、コーヴィアの剣を目がけて強力な一振りを放った。

 自らの力が残った剣に、ユイキィの力が合わさり、コーヴィアの剣は地面に深く突き刺さる。引き抜くために力を込める彼に、ユイキィは追撃をかける。

「力任せで抜く時間など、与えないぞ少年!」

 胸部を狙って突き出された剣に、コーヴィアは剣から手を離して回避せざるを得ない。

「なら、回避するまでだ!」

 ユイキィの大振りな連撃を、コーヴィアは必要最小限の動きで回避する。稽古として手加減しているのは明らかだが、気を抜いたら稽古にさえならない。

 特に大きく振られた一撃を回避した隙に、コーヴィアは低い体勢でユイキィの脇を抜けて、剣の柄に触れる。そのまま引き抜こうとするが、やはり深く刺さっていてすぐには抜けない。その間に、振り向いたユイキィが剣を突き出してきたので、再び距離をとって回避に徹するしかなかった。

(どうする? 疲れるまで待つか? いや、だめだ)

 大振りではあるが、大きく体力を消耗しないような振り方。そもそもこの戦法は、体力に大きな差があると明らかでないと効果は薄い。

 何度も近づいて、少しずつ抜く。しかしそんな時間をユイキィは与えてくれない。

「少年よ、自惚れるな! 君は弱い、それを認めたらどうだ?」

「そんなこと、わかって――」

 言われてはたと気付く。確かに、コーヴィアは弱い。本人もそのことは自覚している。しかし、彼の持つ剣はどうか。使いこなせない彼にとってはただの剣だが、剣そのものに秘められた力は大きい。

 大振りの連撃を回避しながら、コーヴィアは考えを改める。そして再びできた隙を見て剣に近づくと、片手で柄に触れて叫んだ。

「粘液の剣よ! 俺に力を見せてくれ!」

 軽く引き抜く。剣先から僅かに染みだした粘液が地面と剣の間に染み込み、深く突き刺さっていた剣はするりと抜けて、彼の手に戻った。

「そう。それでいい、少年。君がそれをただの剣と思っている限りは、剣もその程度の力しか出せない。十一本の剣は神の力、剣であり、剣でない……それを理解することだ」

 コーヴィアは思い出す。ここまでの旅で出会った、剣の力を使いこなす者たちを。彼女たちは剣を握ってはいたものの、常に普通の剣として使ってはいなかった。あくまでも形が剣であるだけで、その力の本質は別にある。

「反撃、させてもらうぜ!」

「来るがいい」

 粘液の滴る剣で、コーヴィアはユイキィに斬りかかる。無論、弾かれるだけで攻撃は届かないが、それは普通の剣としての場合。

「これなら、どうだ!」

 コーヴィアは剣先から粘液を飛ばしてみる。効果はわからないが、やってみる価値はある。そう思っての攻撃だった。

「甘い」

 しかし、その大量の粘液は剣を一振りして生まれた風圧で、あっさりとかき消されてしまった。

「もうひとつ、ヒントをやろう。女王の血は神の残滓であり力の一部。それゆえに、女王に剣は扱えない。ただの剣として扱うだけなら別だが、力は使えない。扱えるのは人間だけだ」

 それは当たり前のこと。敗れた神々の残滓である女王が剣を使えるのなら、既にこの世は女王により支配されているだろう。かつての神々がそうしていたように。

「力がなくとも、少年にもその血は確かに流れている。見せてほしいと思うだけで扱えるとは思わないことだ」

(……ほとんど答えを言ってる)

 ユィニーは呆れ顔で遊撃の女王を見つめていた。もう少し自力で考えさせた方が兄のためになるのではないかと思わなくもないが、時間をかけられては退屈なだけ。稽古が早く終わるに越したことはない。

 そしてコーヴィアもそこまで言われれば、理解するのも一瞬。

「真の力は自分で見極めろってことか……やってやるぜ!」

 コーヴィアは剣を構える。とりあえず、粘液をそのままぶつけても効果がないことは理解した。おそらく直接的な攻撃には向いていないのだろう。

 そうなると考えられるのは、搦め手。間接的な使い方。コーヴィアは剣を振って、粘液を地面に撒き散らす。その地面の上を軽く踏んでみて、変化を確かめてから小さく頷いてみせた。

 そして、剣に粘液を滴らせながらユイキィに向けて駆け出す。素早い連撃は受け止められ、特に威力も向上していない。ただ粘液が周囲に飛び散るのみだ。

「ほう。それで、どうする?」

「さあな。自分の足で確かめてみたらどうだ?」

 ユイキィは微笑んで、粘液の飛び散った地面を抜けてコーヴィアにゆっくりと歩いていく。僅かに柔らかくなった地面に足が沈むが、それくらいで大きな影響はない。

 が、激しく飛び散った場所に足を踏み入れたところで、彼女の足が止まる。粘液が彼女の足に絡みつくように固まり、遊撃の女王の動きを止めていた。

「足止めというわけか。さあ、これで終わりではあるまい?」

「もちろんだ。いかせてもらうぜ!」

 動きを止めたユイキィに、左右、後方と様々な方向からコーヴィアは襲いかかる。

 その攻撃を上半身の動きと剣の扱いだけで全て受け止められても、攻撃を続ける。このまま攻撃を続けて相当な量の粘液を出せば、全身の動きをとめることも可能だ。といっても慣れていない彼には限界があり、一時間はかけないとそれだけの量は出せない。

 無論、ユイキィがそれを待つはずもなく。連撃の間にできた一瞬の隙に放たれた一振りは、コーヴィアの剣を高く弾き飛ばしていた。

「次は、こちらだ」

 遊撃の女王は剣を振り下ろす。剣圧と風圧。二つの圧力で足を絡めとっていた粘液は剥がれ落ち、彼女は自由を取り戻した。

 剣を失ったコーヴィアは無防備な状態となり、一応の守りの姿勢を整えはしてみたが相手が相手。助走とともに放たれたユイキィの回し蹴りはコーヴィアの腹部を捉えて、彼を勢いよく後方に吹き飛ばした。

「稽古はこれで終わりとしよう。少年、剣を受け取るといい」

 辛うじて倒れはしなかったコーヴィアに、ユイキィは落ちてきた彼の剣を拾い、勢いよく放り投げる。どうにか受け取ることはできたが、その勢いには耐え切れずにコーヴィアは転びそうになってしまった。

「はい、お兄ちゃん」

 転ぶ直前、彼を支えたのはユィニーの触手だった。

「ありがとな」

「少年、これで掴めたかな?」

 コーヴィアが剣を収めるより早く、ユイキィは剣を収めていた。体勢を整えながらも息を荒くするコーヴィアと違い、彼女は全く疲れた様子も見せずに立っている。

「ああ、ばっちりだ。あんたにも感謝するぜ。いや……ここは師匠とでも呼ぶべきか?」

「なに、これは私の趣味だ。少年が私を師と呼ぶのは、本格的に剣術を学びたいと思ったときにしてもらおう」

「そうか。それじゃ、今は遠慮しとくぜ。機会があるかはわからないけどな」

 いずれ必要になる日が来ないとも限らないが、少なくとも今の彼にその気持ちはない。「では、私はそろそろ行くとしよう。この剣を使える素質のある者を探さねばならんのでな」

 兄妹がさようならを言う暇もなく、遊撃の女王は姿を消してしまった。

 コーヴィアは粘液の剣に触れ、その力を感じとる。自由自在に使いこなすにはまだ時間はかかりそうだが、使いこなすためのきっかけは掴めた。あとは純粋に、戦闘技術の向上と戦い方を工夫するだけ。

「ユィニー、遺跡探索の再開だ。色々試すから、サポートは頼むぜ!」

「それくらいなら。護衛の範囲」

 声をかけ合って、兄妹は次の古代遺跡へと歩き出した。

 遊撃の女王との出会いは兄を強くし、物語を動かすに足る小さな力を生み出す。その力がこれからどこまで大きくなるのか、それは女王でさえも知らないことである。


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