しましまくだものしろふりる

第三章 大陸南部精霊記


 平坦な地形が多く、距離もピスシィア山脈と大差ない南の山脈を難なく越えたしまぱん勇者とその仲間、その他一名は麓の森林に辿り着いていた。

「それじゃ、案内するからついて来て」

 夕日よりも濃い赤く長い髪を、二つの細長いリボンを使い後ろで束ねた少女が言った。その他一名の彼女は四人の中では一番背が高い。膝下まで伸びた裾は二股に分かれて、広い裾口からは素足が目立つ。上下ともに簡素で、独特な刺繍が施された、かつての精霊都市の巫女服を着た少女、アーリアスト・シェーグティーナは後ろの三人を一瞥する。つり目がちな瞳に宿る色はブラウンで、強さと静けさが混ざり合う。

 後ろの少女たちは、三人とも素直に頷く。レフィオーレ、スィーハと続き、最後尾にはチェミュナリア。

 質素よりもやや豪華といった程度の服装に身を包み、瞳は淡い青。同じ色の髪は腰まで覆い隠す。気品が漂いながらも幼さを残した顔に、美しさだけでなく可愛さを兼ね揃えた少女の名は、リース・シャネア・レフィオーレ。しましまぱんつの力を完全に引き出す、伝説のしまぱん勇者である。

 彼女のすぐ後ろにいるのは、レーファ・スィーハ。綺麗に輝く薄い緑の髪は短く、耳を半分ほど隠す。薄くやや青みがかった瞳に写るのはレフィオーレの姿。幼さを残した小さな唇が可愛らしく、質素な服も素朴な魅力を引き立てる。そのおかげか、漁村にいた頃は男女問わず人気があり、告白されたことも何度かあるが、瞳に写る想い人のためにはっきりと断ってきた。

 彼女はふりるぱんつの力を完全に引き出す者である。その後ろにいるのが、真っ白なしろぱんつの力を完全に引き出す少女、ピスキィ・ルィエール・チェミュナリア。

 真っ白なドレスには豪華な装飾が施され、整えられた切れ目の下では太ももがあらわになっている。長い髪は磨き抜かれた白銀、瞳は金に近いオレンジ。端正な顔立ちの精霊国の姫は、念のために背後を警戒しながら歩く。

 森林を歩いて少し、がさがさと大きな音を立てて、数体の魔物が四人の前に現れた。細長い体躯にこげ茶色の毛を生やし、筋肉のついた細くしなやかな四足の脚を持つ、中型の魔物が三体。後ろには明るい茶色の毛を持ち、他の三体よりしっぽが長く、体躯も一回り大きい亜種と思しき魔物が一体控えている。

 唸り声をあげることも、吼えることもなく、じっと四人の姿を睨みつける獣型の魔物。

 強くはないが、確実に伝わってくる好戦的な意思に、レフィオーレはソードレイピアを抜いておく。スィーハもいつでも反撃できるように構え、チェミュナリアも杖を構える。

「問答無用で襲っては来ないけど……」

 呟くレフィオーレ。スィーハやチェミュナリアも、訝るように魔物たちを見つめる。単に縄張りに入っただけとも、暴走しているとも思えないような、不思議な態度。三人にはそのような態度をとる魔物に見覚えがあった。が、見知らぬ土地ということもあり、確信は持てない。

「なるほど、ね」

 ただ一人、左腰に添えた剣の柄を握ることもせず、戦う準備を整えていなかったシェーグティーナが得心したように頷いた。

「なにかわかったの?」

 スィーハの問いに、シェーグティーナは振り返って頷いた。そのまま、魔物たちとレフィオーレたちの間をゆっくりと歩き、遮らない位置に移動する。

「彼らは精霊の命令を受けてる。しまぱん勇者とその仲間の力を試そうとしてる、だそうよ」

 共にある精霊、アルシィアから伝えられたであろう彼女の言葉に、レフィオーレたちは納得し、同時に安心する。魔物を使役する力があるということは、精霊が暴走していない証拠になる。ミリィエリやアルシィアのことから、暴走する危険も迫ってはいないだろう。

「なら、遠慮する必要はないね」

 レフィオーレは抜いたままであった、ソードレイピアを前方に構える。

「さしずめ大陸南部の門番、ってところかな」

 彼女の側に控えるように、スィーハが立つ。見るからに機動力の高そうな魔物相手に、孤立するのは得策ではない。

「では、私は後ろに控えるとしましょう。背後に回ろうとする魔物は、全て防いでみせます」

 チェミュナリアは亜種の魔物に向けて、挑発するように杖の先を向ける。彼らの陣形から、前方の三体がひきつけている間に、控える一体が隙をついて攻めるつもりなのは明白。それを許さないという彼女の態度に、魔物も視線を逸らさずに小さく吼える。

「せっかくだから私は開戦の合図と審判でも。……もちろん、私がやりたいって言ったんじゃないから」

 それでも断らなかったのは、ただ見ているだけでは退屈だと思ったからなのだろう。開戦前に微笑ましくなった気持ちを、レフィオーレたちはすぐに引き締めて魔物に対峙する。

 それを見てとったシェーグティーナは、軽く手をあげて声を張り上げる。

「準備はいい? ――始め!」

 合図とともに、三体の魔物が大きく跳躍し、三方からレフィオーレとスィーハに飛びかかっていく。正面の相手にレフィオーレが突っ込み、残りの二体を待ち構えるのはスィーハ。

 噛み付こうとする魔物を紙一重で避け、ソードレイピアの鋭い突き。魔物は身を反らして避けようとするものの、速度が足りない。致命傷こそ受けなかったものの、そのまま地面に崩れ落ちた。

 スィーハは少しだけ右にずれ、襲ってくる魔物の攻撃を見切り、受け流しながら勢いを利用して放り投げる。もう一方から襲いかかる魔物を正確に狙い、衝突した魔物たちは動きを止めてしまう。

 引きつけている間に動いていた亜種の魔物は、木々の陰に隠れながらチェミュナリアに近づき、一瞬の隙を見て全力で飛びかかる。

「笑止千万。その程度、ですか」

 近づく魔物に対し、チェミュナリアは杖を向ける。作られた隙に誘い込まれた魔物は、言葉で気付いたとしても、対処をするには遅すぎる。

 杖の先に力を込め、魔物の攻撃を受け止めつつ、その勢いを攻撃の力とする。しろぱんつの防御の力に阻まれ、大きな音を立てて地に沈む魔物。追撃もかけずに、チェミュナリアはじっと魔物を見下ろす。

「そこまで。これ以上の戦いは認めない」

 シェーグティーナが言葉を発すると同時に、魔物たちは大きく跳躍して集結し、そのまま木々の中へと疾駆。レフィオーレたちの前から姿を消した。

「あれ、もう終わり?」

「試すっていうわりには、あっさり終わったね」

 戦いがすぐに終わって、レフィオーレは剣先を緩やかに落として、がっかりする。スィーハは拍子抜けしながらも、レフィオーレの無事に安堵していた。チェミュナリアはこの地の精霊の目的について考えていたが、すぐにやめた。推測するには情報が不足している。

「案内、再開してもいい? あの程度の戦いで休憩が欲しい、なんて言わないでしょ?」

 レフィオーレたちが頷くのも待たず、さっさと歩き出すシェーグティーナ。彼女を追いかけて、魔物が去ったのとは別の方向へ彼女たちは歩いていった。

 しばらく歩くと、道が開けて光が強くなる。出口が近いことを示す光。シェーグティーナはちらりと振り向いてから、言葉を口にした。

「森を抜けたら、南の街を目指す。そこまでは一本道だから迷うことはないと思うけど、私の目的地もそこを経由するからそこまでは同行する」

「どんな街なの?」

 レフィオーレが聞く。

「クラングレッソという小さな街。ラーグリアを一回り小さくしたような、旅人や商人のためにあるような街。大陸中部と、そこから南にある港町、西にある国との交差点」

「港、かあ」

 ぼそっと呟くスィーハ。漁村であるフィーレット村出身の彼女にとって、その響きには懐かしさを覚える。港町というくらいなのだから、きっと故郷より大きいのだろう。

「カルスティルという港町。外海との貿易も少しはしているみたいだけど、基本は漁で暮らしてる」

「外海、ということは造船技術が発達しているのですか?」

 チェミュナリアの質問に、シェーグティーナは首を横に振る。

「私たちが前に訪れたのは五年前だから、当時の情報になるけど、北部と比べて特別に発展しているわけではない。大型船の数は多いけど、数隻くらいはパロニス王国にもあるはず。外海と交易ができているのは、南の海が年中穏やかだから」

 歩く四人の顔に、強い光が当たる。視界が開けて、青空が顔を出した。麓の森林を抜けてからの一本道を、彼女たちはさらに進んでいく。

「ちなみに、私の目的地はそこ。多分、あなたたちとはクラングレッソで別れることになると思う」

「西の国には精霊の情報がある、ってことだね」

「そこまで確信がもてる理由、教えてもらえますね?」

「……ボクも気になるな」

 シェーグティーナは振り返り、小さな笑みを浮かべて答える。

「さすがしまぱん勇者とその仲間。一名を除いて、鋭い」

「悪かったね」

 指摘されて不満気な顔をするスィーハ。レフィオーレたちに言われるまで気付かなかったのだが、彼女が鈍いわけではなく、レフィオーレとチェミュナリアが鋭いだけである。

「西にある国の名は、フィルマリィ王国。ミリィエリは忘れていたみたいだけど、フィルマリィというのは大陸南部に住む、精霊の名前。アルシィアはともかく、私は会ったことがないからどんな姿かはわからないし、どこにいるのかもわからないけど……あなたたちの目的を考えると、その名を冠す国に訪れない理由はないでしょう?」

 世界の危機について調べるにあたって、精霊に会うことは最優先ではないが、情報を得られる可能性が最も高い行動である。既に解決しているのか、そうでないのかさえもわからない状況では、指標はそれくらいしかない。

「それに、精霊国のような小さな国じゃなくて、大陸南部の西側のほとんどはその国の領地。色々と事情があってそうなってるんだけど、私の口から話せることはこれくらい。私も、名前を知っているだけで訪れたことはないから」

 そうこうしているうちに、彼女たちの前に街が見えてきた。

 話に出てきた、クラングレッソ。日はまだ高く、暮れる前に辿り着くのは容易だった。

 石造りの建物と、木造の建物が混在する街。その中で目立ち、人の姿をよく見かける場所が二つある。クラングの宿と、レッソ食堂。この地に初めてできた宿と食堂で、発展の要である二つの施設だ。

 レフィオーレたちはレッソ食堂で食事をとり、クラングの宿で休憩する。中部の通貨ではなく北部の通貨を使用しても、食堂の店主や宿の主人は驚く様子を見せず、通貨の価値を計る道具に乗せた。

 シェーグティーナによると、この街には外海からの旅人が訪れることもよくあるため、店の人にとっては慣れたものなのだという。

 とはいえ、北部の通貨というのはやはり珍しく、近くで見ていた他の旅人や街の人からは声をかけられたのだが、どこから来たのかを聞かれたくらいで、しつこく質問されることはなかった。この街に訪れる者の多くは、ここを一時の休憩所として使用している。詮索をする暇があるなら、自分の旅の準備を優先する。そういう者たちばかりだ。

 無論、街の人々もそれをわかっているから、よほどのことがなければ深い詮索はしない。

 さすがにレフィオーレがしまぱん勇者であり、スィーハとチェミュナリアがその仲間であるということが知られれば、少しは話題になるが、それも一過性のものに過ぎないだろう。

 旅人や街の人と話をしていても、世界の危機が訪れているような兆候は一つも見つからなかったのである。魔物たちは暴走などしていないし、精霊の姿を見た者もいないがそれはずっと昔からのことで、精霊が暴走して何かを起こしているわけでもない。

 レフィオーレたちが気になったのは、街に男性の姿が多く、女性がやや少ないことだったが、その答えもすぐに得られた。ぱんつの力を引き出せる女性、引き出せていた女性たちの多くは西のフィルマリィ王国に住んでいるのだという。フィルマリィ王国を含む、南部の西側ははそういう者たちにとって暮らしやすい土地になっている。

 空気がおいしいだとか、作物が育ちやすいだとか、特別そういうことはないそうだが、精霊の加護のおかげだと、彼ら、彼女らはそう言った。

 クラングレッソとフィルマリィ王国の間には、川がある。その川はフィルマリィ川と呼ばれていて、そこに架かる橋、ルレックル大橋を越えるあたりで、わかるものにははっきりとそれが実感でき、わからないものには何となく近寄り難い気持ちになるという。といっても、強制的なものではなく、行こうと思えば行ける程度のものだ。

「確かに、行かない理由はなさそうだね」

「精霊に会った人がいないというのは気になるけど、ボクたちなら可能性はあるかな?」

「精霊自身が興味を持てば、あちらからの接触も可能性としてはありますね」

 情報収集を終え、宿に戻ったレフィオーレたちはこれからのことについて話し合っていた。四人部屋で、シェーグティーナも同部屋なのだが、彼女はまだ外を散策している。

 外はそろそろ夕暮れで、暗くなるのも近い。宿で出される食事の時間には帰ってくると言っていたので、それまでの間にある程度話し合い、必要そうなら合流してから彼女に相談する予定である。

 といっても、話し合いは簡単で、フィルマリィ王国を訪れるという結論が出るまで時間はかからなかった。確認する事項も特になく、食事を済ませた四人は明日に備えて宿でゆっくり休むことにした。

 翌日、レフィオーレたちは西へ、シェーグティーナは南へ出立する。宿で別れ際、四人は分かれの挨拶を交わす。

「じゃあ、お別れだね」

「ええ。一応、何か情報があったら伝えてあげる。それと、世界の危機を救うために、私の力が必要だというなら、協力してあげてもいい」

「あれ、そっちは確実じゃないんだ」

 やや驚きの混じった声を出すレフィオーレに、シェーグティーナは微笑んで答える。

「当然でしょ。世界の危機を救うのは、四人のぱんつの力を完全に引き出せる者。そこには私も、精霊も入っていない。少なくとも、ミリィエリのときのように戦うつもりはないから」

「ボクとしては、戦う機会がないと嬉しいんだけどね」

「同感ですね。精霊を傷つけるような戦いは、なるべくしたくないものです」

 残念そうな表情のレフィオーレの横で、スィーハとチェミュナリアが言う。

「それじゃ、さようなら」

「うん。またね、シェーグティーナ」

 違った挨拶の言葉で、別れを告げるレフィオーレとシェーグティーナ。すたすたと歩いていくシェーグティーナの後ろ姿を少し見てから、レフィオーレたちも歩を進める。目的地はフィルマリィ王国、何があるかはわからないが、何かがあるのは間違いない、精霊の名を冠する王国へ。

 カルスティルへと向けて、シェーグティーナは一人で歩いていた。といっても、彼女はアルシィアと共にある。一人旅が退屈になることも、寂しくなることもない。

 クラングレッソからカルスティルへは平坦な道が続く。昼が近づくこの時間、道に人の姿はほとんどなく、閑散としている。近くには小さな川が流れ、そのせせらぎが聞こえる。

「……これは」

 呟きとともに、立ち止まる。何かを感じたような、そんな表情。

「アルシィア、今のは? ――そう、やっぱり、ミリィエリが」

 その身に宿る精霊に尋ね、確認をとる。シェーグティーナは足を再び動かした。

 広い道を先程までと同じような速度で歩く。数分後、上空に煌めく光が見えたことで、彼女は再び足を止める。

 光は空中で消え、上空から騎士装束に身を包んだ、長身の少女が落ちてくる。いや、空中での姿勢のとりかたから、降りてくるといった方が正確だろう。彼女は片手で長い黒髪を抑えながら、悠然とシェーグティーナの前に着地する。

 思ったよりも上手く着地できたものだとルーフェは思う。そして、目の前の少女に声をかける。降りてくる中で、他に人がいないことは確認済みだ。

「あなたがアーリアスト・シェーグティーナ――そして、アルシィアですね? 私はエラントル・ルーフェと申します」

「そう。よろしくするつもりはないけど、情報交換ならしてもいい」

 爽やかな風が二人の髪をなびかせる。出会った二人は、挨拶もそこそこに、すぐに情報交換を始めた。

 フィルマリィ川とは、かつて精霊フィルマリィが川の側に住んでいたことから、名付けられた名である。しかし、今はそこにフィルマリィはいない。彼女がいるのは、大陸南西部の中央にある高原。そこに建てられた神殿の中だ。

 ルレックル大橋を渡るところで出会った旅人から、その情報を得たレフィオーレたちは、王国に着いたらその場所を目指すことに決めた。旅人の話によると、フィルマリィが認めた者しか会うことはできないそうだが、それは王国に着いてから考えても遅くない。

 木造の長く広い吊り橋、ルレックル大橋を一歩ずつ歩んでいく。数百年前から存在する古い橋だが、フィルマリィの力のおかげで腐朽することなく今も残っている。

 ただ、昔からその橋を利用するものは少なく、広さを持て余しているのが現状だ。その広さが必要となった理由については、かつて大移動があったためとされるが、クラングレッソに住む者たちに詳細を知っている者はいなかった。

「こんな広い橋が必要な大移動って、何があったんだろうね」

「リース・シャネア国の建国とも関係があるのかな? 私の記憶が戻れば、少しは手がかりがわかるのかな」

 十台の馬車が横に並んでも渡れそうな広い橋を眺めながら、レフィオーレたちは推測を巡らせる。

「平然と言っていますけど、取り戻したいとは思わないのですか?」

 チェミュナリアの言葉に、レフィオーレは微笑みとともに答える。

「思ってはいるよ。でも、スィーハとの記憶はたくさんあるし、リース・シャネア国がどんなところかもわからないから、急ぐ必要はないかな、って。それより今は、しまぱん勇者として世界の危機をどうにかしないと。もう終わってるならそれでもいいんだけどね」

「なるほど……これでは、スィーハも色々と苦労しそうですね」

「苦労?」

 首を傾げてきょとんとするレフィオーレ。スィーハは慌ててチェミュナリアの側に寄り、小声で注意する。

「ちょっと、チェミュナリア!」

「心配なさらずとも、この程度で気付くような方ではないでしょう」

「そ、それはそうだけど、でもさ」

 スィーハはちらりとレフィオーレを見て、視線が二人に向けられていることに気付く。頬を膨らませて不満そうな顔。スィーハは追求をやめて、チェミュナリアを睨む。

「あなたについてると戦いばかりで苦労しそう、という意味ですよ」

 チェミュナリアは小さく肩をすくめて、そう説明する。主な意味は別にあったものの、この意味も少しは含まれていたから間違いではない。

「それよりさ、チェミュナリアは何か知らない?」

 追求を防ぐように、スィーハが続く。念には念を入れての対応だ。

「あ、そっか。ピスキィから何か聞いてない?」

 スィーハの行動は功を奏し、レフィオーレの興味は元の話題に移った。

「この地での詳細は知りませんが、大移動があったことは知っています。ピスキィを含む全ての精霊は、昔は大陸の南部に住んでいたそうです。そして、ちょうどピスキィやアルシィア、ミリィエリらが土地を離れたのは、ルレックル大橋が完成した頃。彼女たちも人や魔物ととともに橋を渡り、それぞれがいま住んでいる土地へ向かったと聞いています」

「移動した理由は?」

 レフィオーレがやや真剣な声で聞く。それに対し、チェミュナリアは小さく首を横に振って答える。

「わかりません。ただ、外の土地を見てみたかった、とピスキィは言っていました。この地に何らかの、世界の危機となるようなものが眠っている、ということはないと思いますよ」

「そっか。手がかりにはならなそうだね」

 落胆したように軽く息をつくレフィオーレだったが、もしかしたらという程度のものだったので、予想が外れてがっかりしているわけではない。

「やっぱり、私たちだけじゃ限界があるかな」

「それでも、今はやれることをやりましょう。フィルマリィ王国の方に聞き込みをすれば、何か手がかりは得られるかも知れません」

 ルレックル大橋を渡り終えた三人の耳に、声が届く。静かでいて、よく通る綺麗な歌声。真っ直ぐ行った先にある小さな城と城下町が見える頃には、歌が終わり、声も消えていた。

 不思議な歌だったが、レフィオーレたちは皆、その歌声を心地よいと感じていた。橋から城下町への、十五分ほどの道のりも、ほんの数分のことのように思えるくらい。

 不思議に思いながらも、その余韻に浸りながら城下町に入ったレフィオーレたちは、宿をとってから早速聞き込みを始める。夜遅くまで粘ったものの、成果は乏しく、世界の危機についての情報は全く得られなかった。

 しかし、別の情報は得られた。さきほど聞こえたのは精霊の歌と呼ばれていて、フィルマリィの歌声なのだという。フィルマリィ王国にいればどこにいても聞こえる声。精霊の力があれば、それだけ広範囲に届けることができても不思議ではない。

 詳しい情報を知っていそうな、国の偉い人への謁見は叶わなかった。というのも、フィルマリィ王国の名が冠する通り、この国の王は精霊フィルマリィであり、臣下もいない。城は観光用で、中には宿や食堂、土産屋など、旅人向けの施設があるだけだった。

 国として何らかの問題が発生したときは、対処法を歌に指示を込めて伝えられるそうで、その聞き手である若い女性に出会えたくらいだ。

 その者からも多少の情報は得られた。王国の各地には、有名な一族がいくつかあり、その人達なら色々と知っているのではないか、というもの。具体的な情報は調べないとわからないというので、レフィオーレたちは待ち合わせをして明日を待つことにした。

 城下町の小さな喫茶店で、レフィオーレたちは聞き手の若い女性と会う。

「情報はこちらにまとめてきました」

 女性は一枚の紙を手渡す。そこには簡単な大陸南部の地図と、五つの印。その印の側には、五つの姓が書かれていた。

「もっとも、国ができた頃の文献しかないので、今も住んでいるかどうかはわかりません。フィルマリィ様とともに、建国に貢献した一族の方々。数百年前の話です。ただ、そのうちの一つ、カランネル家の方は今もこの地にいることがわかっています。カランネル海岸の、カランネル海水浴場といえば、建国時から今まで、国内を旅する方々には有名です」

 レフィオーレたちはカランネルと書かれた印の場所を確認する。大陸南部の西にある海岸。フィルマリィ川は大陸南部の東側に流れ、陸地は西の王国が三分の二を占め、クラングレッソのある側は三分の一。城下町はルレックル大橋のすぐ西に描かれている。道も簡単に描かれていて、カランネル海岸はここから一番遠い場所にあるといえる。

 他の四つの印は王国に散らばっていて、フィルマリィ川の上流、王国の中央に描かれた精霊神殿の側、そこからすっと南の海岸からやや東――大陸南部の中央にある岬、神殿の北西、南の山脈沿いの四箇所に描かれている。

 レフィオーレたちが越えてきた山脈は、大陸の中でも最南にあることから、大陸南部でも中部と同じように南の山脈と呼ばれてた。

 ここからカランネル海岸を目指す道は三つある。

 一つは高原にある精霊神殿を抜けて、真っ直ぐ海岸を目指す道。最短ではあるが、精霊神殿の名が示す通り、そこはフィルマリィが住まう場所。彼女が認めた者しか会えないということは、認められなければその神殿を抜けることもできないということだ。レフィオーレたちしまぱん勇者であれば認められる可能性は高いとはいえ、確実ではない。

 もう一つは北へ向かい、フィルマリィ川の上流から山脈に沿って西進、山脈沿いの印を経由してカランネル海岸を目指す道。最も遠回りだが、カランネル海岸までの道は観光用に整備されていて、途中の二つの印もそこから少し逸れるだけで辿り着ける。

 最後は南の岬を抜けてカランネル海岸を目指す道。距離は二つの中間。ただ、その周辺は岬に住む一族の領地であり、貴重な素材を守るために開拓は許されず、道はない。レフィオーレたちであれば進むことは簡単でも、迷わずにすんなりと辿り着くのは至難である。

「それともうひとつ、可能性が高い場所もあります。気ままに旅をして迷った方が、その一族の方らしき人に助けられたという話が何度か……多くは、まともに会話もできず、遠くに見えた姿を追ったら出られた、というものですから、断定はできないのですが。えっと、確かその一族の名は……」

「エラントル」

 ぼそっとレフィオーレが言う。確信があったわけではなく、何となく見知った名を口にしただけである。

「よくわかりましたね」

 女性は驚いた様子を見せながら、言葉を続ける。

「その方々が迷ったのは、エラントル家の領地です。南の岬の周辺ですね」

「ねえスィーハ、これって……」

「気になるけど、ボクに聞かれてもわからないよ。やっぱりここは本人に聞かないと」

「残念ながら、ここにはいませんけれどね」

 三人の会話に、首を傾げる女性。レフィオーレたちが簡単に事情を説明しようとしたそのとき、微かに外から騒がしい声が聞こえてきた。

「なんでしょう?」

 再び聞き手の女性が首を傾げる。喫茶店は城下町の大通り、城へと向かう通りにあり、人通りはそれなりにある。

「私が見てくるよ。スィーハたちは、彼女に話しておいて」

 言うが早いか、早足で喫茶店を出るレフィオーレ。スィーハとチェミュナリアは頷いて、女性に対して簡単に説明をする。エラントル・ルーフェという仲間について。

 外へ出たレフィオーレが見たのは、大通りにできた人だかり。その中心にいるのは、長身で黒髪の、服装はよく見えないが、おそらく騎士装束を着ているであろう少女だった。ややあって彼女とレフィオーレの視線が交錯する。

「レフィオーレ様! お久しぶりです!」

「久しぶり……じゃなくて! これ、どうなってるの?」

 挨拶もそこそこに、近づくレフィオーレ。人だかりといっても、もともと人口の少ない城下町。かきわけるまでもなく接近するのは簡単だった。

「どう、と言われましても。レフィオーレ様たちを探そうと、街の人に聞き込みをしようと名乗りをあげたら、いきなりです」

 困り果てたように眉をしかめるルーフェ。レフィオーレは状況を確認しようと、周りの人々の声に耳をそばだてる。

「本当に、エラントル家の方ですか?」

「たまたま、なんてことはないですよね?」

「いい土産話になるかも……あの、なにかお話を!」

 控えめに殺到するような人々に、レフィオーレは事情を理解する。

「ルーフェ。エラントルって、北部の名前じゃないよね? 多分、リース・シャネア国の名前でもないでしょ?」

「はい。母に聞いた話ですが、遥か昔に大陸南部から移り住んだと聞いています。こちらでは有名な姓なのですか?」

「……それ、聞かなくてもわかるよね」

「……ですね。失礼しました」

 その後、レフィオーレとルーフェは他の土地から来たことを説明するが、元々この地にいるかどうかわかっていないエラントル家である。その程度で収まるはずもない。それどころか、時間が経つにつれて人が増え、騒ぎも広まっていた。かきわけて脱出するのも簡単ではない。ようやく収まったのは、彼女たちがしまぱん勇者とその仲間であることを話し、北部での活躍をかいつまんで話し終えたときだった。

 それに合わせるようにして、スィーハとチェミュナリアがやってくる。話している途中からその姿は見えていたので、ほとぼりが冷めるのを待っていたのだろう。

「スィーハ、見てたなら助けてよ」

「ボクはそうしたかったんだけど、チェミュナリアが止めるんだよ」

「当たり前です。二人でこれなのですよ? しまぱん勇者とその仲間が四人も集結しているとなれば、もっと騒ぎが広がるのは目に見えています」

 話の内容は住民の会話から、スィーハたちの耳にも届いてた。

「……まさか、しまぱん勇者とその仲間の方々でしたとは」

 驚きを隠さずに、聞き手の女性が呟く。騒ぎが収まったことで周りに人通りはなく、大きな声をあげなければ再び広まることはないだろう。

「あの、もしや、フィルマリィ様に何か危険が?」

 真剣な表情で聞く女性に対し、レフィオーレは首を曖昧に横に振って答える。それだけで彼女は理解したのか、大きく頷いた。

「では、私はこれで失礼します。長話をすると迷惑になるかもしれませんから」

 レフィオーレたちは頷いて、彼女に対して感謝の言葉を述べる。

「ありがとうございました」

「ありがとう。助かったよ」

「いずれお礼はさせていただきます」

「事情はよくわかりませんが……レフィオーレ様に助力してくださったこと、感謝します」

 軽く手を振って去っていく女性を見送って、レフィオーレたちは宿に場所を移して話すことにした。

 宿に戻ってすぐ、レフィオーレたちは情報交換を済ませる。大陸中部での詳細、フィオネストが予知した世界の危機、精霊フィルマリィのこと。ルーフェはシェーグティーナからも話を聞いていたので、短時間でそれは終わった。

「やっぱり、まだ世界の危機は救われていないんだね」

「はい。フィオネスト様が最後に予知した日は、ミリィエリの問題が解決した日よりあと。それ以降の出来事を考えると、未だに危機は迫りつつあると考えるべきでしょう」

 ルーフェの言葉に、皆が神妙な面持ちになる。しかしそれも長くは続かず、レフィオーレの元気な声が落ち着いた空気を破った。

「それなら、私たちが解決しないとね! しまぱん勇者として、できるのは私たちだけなんだから」

「そうだね。四人揃ったことだし、ボクらの世界を救う旅はここからが本番だよ」

 笑顔を見せる二人に対して、チェミュナリアは呆れたように肩をすくめながらも、顔には微かな笑みを浮かべて言った。

「まったく、あなた方と来たら……どれほどの危機が訪れるのかもわからないというのに、よくそれだけの自信が持てるものですね」

「本当に、レフィオーレ様は昔から変わりませんね」

 懐かしむようなルーフェの台詞に、レフィオーレは小さく首を傾げるだけだ。

「……記憶は、やはりまだ?」

「うん。でも、今のところは不都合はないよ。これからはわからないけど、そのときはルーフェがサポートしてくれるんでしょ?」

「当然です。私たちのせいで、レフィオーレ様にも、スィーハにも迷惑をかけました。リシャについても、私たちの失態です。何より、レフィオーレ様はフィオネスト様の大切な妹。しまぱん勇者でなくとも、あなたを守るのは私の役目です」

「あなたも真面目なのですね」

 黙ってしまったレフィオーレとスィーハに代わり、チェミュナリアが言う。

「……少なくとも、私たちの前では」

「そういえば、そのことについてあなたに聞くべきことがありましたね」

 ルーフェは精霊国での出来事を思い出して、チェミュナリアに鋭い視線を向ける。対して余裕の笑みを見せるチェミュナリア。

「私の推測に間違いがあるなら、お詫びしますけれど」

 そんなはずはない、という自信に溢れたチェミュナリアに、ルーフェはほくそ笑む。

「その必要はありません。その代わりに、当たっていたという証明をしてさしあげます。覚悟はよろしいですね?」

「フィオネストの入れ知恵ですか。ふふ、いいでしょう。私とて精霊国の姫。多少なら、耐性はあります」

 エスカレートしていく二人の会話に、レフィオーレたちはなかなか口を挟めない。

「そうですね、まずはあの夜のことから……」

 しかし、本格的に話し始めようとしたところで、さすがにまずいと思ったスィーハか慌てて止めに入る。

「ちょっと待った! それ以上はだめ、レフィオーレにはまだ早いよ!」

「でもスィーハ。私、ちょっと興味あるな。フィオネストと同い年だから、問題ないんじゃないかな?」

「それは……そうかもしれないけど、でもだめ。僕の直感が告げてる。ルーフェはとんでもないことを口走るって」

「では、お二人は外で待ってもらえますか? 私は、彼女から聞かねばなりません」

「よろしいのですか? あなたにも早いような気もしますが」

 一歩も引かないチェミュナリアに、ルーフェは挑発する。こうなっては二人を止めることはもうできないだろう。スィーハはレフィオーレの手を引っ張って、部屋の外へ連れだそうとする。

「えー、私も聞きたい」

「だめ! ……そのうち、ボクが教えてあげるから」

「でもスィーハだって詳しくは知らないんじゃ」

「習うより慣れろだよ!」

 よくわからない言い訳に、レフィオーレは渋々納得する。二人が扉の外へ出て、数分後。ルーフェはチェミュナリアに対して話し始めた。

 五分後、宿の一階――レフィオーレたちが泊まっているのは二階の一室だ――の広間にいたレフィオーレたちを、ルーフェが呼びにくる。部屋に戻った二人が見たのは、顔を真っ赤にしたまま動かないチェミュナリアの姿だった。

「……やっぱり連れてって正解だったね」

 呟くスィーハに、レフィオーレも何となく納得する。チェミュナリアのあの様子、確かに今の自分が聞いたら危なかったかもしれない。

 三人が戻ってきたのに気付いたチェミュナリアが、レフィオーレに言う。

「レフィオーレ。あなたは記憶を取り戻さない方がいいのかもしれません。彼女たちは私の予想以上の行為をしていました」

 それがどんなものなのか気になる二人だったが、追求はやめておいた。

「さて、失礼しました。話を戻しましょう」

 数分後、そう切り出したのはチェミュナリアだった。どうやらもう落ち着いたらしい。

「思ったよりも早かったですね」

 驚いたようなルーフェの声に、チェミュナリアは不敵な笑みを浮かべて答える。

「立ち直りの早さも姫に求められることですから」

「そうですか。ではレフィオーレ様、次の目的についてお願いします」

 平然とした様子のルーフェに呼ばれて、レフィオーレは頷く。今後の指針については、待っている間にスィーハと軽く話し合っておいた。

「エラントル家の岬から、カランネル海岸に向かおうと思う。一番情報が得られる可能性が高いのはそこだから」

 レフィオーレはチェミュナリアとルーフェを見る。スィーハとは既に了解をとりあっているので、確認をとるのはこの二人だけでいい。

「私に異論はありません。妥当な判断でしょう」

「同じく。レフィオーレ様に従います」

 二人の答えに、レフィオーレはあごに手をあてて、考えるような仕草を見せる。それから、じっとルーフェを見つめて言った。

「ねえルーフェ。その、様っていうのやめない? なんか、こそばゆいんだよね」

「そう言われましても、レフィオーレ様はリース・シャネア国の姫、フィオネスト様の妹。近衛騎士としての立場というものがあります」

「そう言われても、私、覚えてないしさ。だめかな?」

 笑顔で見つめながら頼まれて、ルーフェは困惑の表情を浮かべる。視線を逸らさず見つめ続けるレフィオーレ。やがて、ルーフェは小さな声で答えた。

「わかり、ました。レ、レフィオーレ……」

 レフィオーレはじっと待つ。その言葉のあとに、様という言葉は続かない。

「もうちょっとはっきりお願い」

「は、はい。レフィオーレ」

 恐る恐るといった感じで答えるルーフェを、チェミュナリアが一喝する。

「羞恥プレイはやめなさい」

「……そんなことはしていません」

 そうは言うが、答えるのに間があったのに気付かない者は一人もいなかった。

「ねえスィーハ、羞恥プレイって何?」

「さあ。でも、多分えっちなことだよ。ボクの前でそんなことをするなんて、許せないね」

 スィーハにきっとして睨まれたルーフェは、視線を逸らして助けを求めるようにレフィオーレを見る。しかし、そこをチェミュナリアが追撃する。

「やめておいた方がよろしいですよ。彼女が喜ぶだけです」

「失礼なことを言わないでください。私は誰でもいいわけではありません」

「知っています。ですが、私はともかく、彼女たちは含まれるのでしょう?」

「否定はしません」

 素直に認めるルーフェに、スィーハは呆れて言葉も出ない。レフィオーレは理解するのにやや時間をかけつつも、口にしたのはとどめの一言だった。

「スィーハ、私、わかったよ。ルーフェは年下が好きなんだね」

 レフィオーレが気付いたのは言葉の通りだったが、ルーフェはそれ以上の意味にとり、黙るしかなかった。スィーハやチェミュナリアも同じように気付いていたけれど、これ以上の責めは不要だと黙っておくことにした。

 その日はゆっくり宿で休み、四人は明日の旅立ちに備える。最初に目指すのは南にある、エラントル岬。北に広がるエラントル家の領地を抜けて、そこを目指す。道案内はいない。が、自分たちであれば無事に突破できる。根拠はなくとも、レフィオーレたちは皆、確信を持ってそう思っていた。


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