しましまくだものしろふりる

第二章 大陸中部精霊記


 五人はコルトラディで一晩過ごし、街の北東へと向かっていた。その先には街や村もなければ、人が住む民家の一つもない。そこにあるのは山脈とひとつの渓谷だけだ。

「セグナシア渓谷……」

 ミリィとエリから聞いた渓谷の名を、スィーハは呟く。

「ここからとったんだね」

 続くレフィオーレの言葉に、ミリィは頷く。

「セグナシア渓谷は私たち、ミリィエリの住まう聖域とされています。見た目からほぼ間違いないとは思いましたが、勘違いだと困るので名を借りました」

 聖域とまで呼ばれる場所なら、大陸中部の者なら知っていて当然。その名前を出したときの反応を見れば、北部から来た者であると確かめるには充分だ。

「それで、なぜその場所へ向かうのですか?」

 チェミュナリアが聞く。シェーグティーナを探しに行くという目的と、セグナシア渓谷へ向かう理由が繋がらない。旅立つ前、ミリィとエリが口にしたのは方角だけ。時間が惜しいので細かい説明は歩きながらするとのことで、レフィオーレたちは黙って二人についていった。

「精霊は精霊の力を感知できる。だから、アルシィアに気付かせるんだよ。ミリィエリここにあり、ってね」

「それくらいなら、二人揃えば今の状態でも可能です。ただ、人目の多い場所でやると少々目立ちます」

「そうなるとほら、ここの人たちって私たちを強く信仰してるから、人が集まって困っちゃうんだよね。今の私たちどころか、二人になる前の私たちの姿を知っている人さえこの時代にはいないけど、人とは違う力を使ったらさすがに気付いちゃうでしょ?」

「なるほど。その点、聖域なら人も寄りつかないから安全と」

「そういうことです」

 納得したところで、五人はひたすら北東へと歩いていく。先に見えるのは山と川だけで変わらない景色。道中、レフィオーレ、スィーハ、チェミュナリアは旅の出来事や精霊国の話などをして、たまにミリィとエリもそれに加わる。

 そうしているうちに、目の前に大きな渓谷が見えてくる。ルトラデ湖を形成するいくつかの川、その中でも最も長く広い川の上流にあるセグナシア渓谷。

 大陸中部の者に聖域と呼ばれるそこは、およそ普通の人が近づけないほど危険な場所でもある。川の周りの足場は凸凹していて歩きにくく、足を踏み外せば急流に呑み込まれる。レフィオーレたちにはどうということはないが、ミリィとエリの歩く速度は落ちていた。

 しかし、その足取りに不安定な様子はなく、二人を心配して声をかける者は誰もいない。速度が落ちているのは単純に、体の小ささから来るものだ。ミリィは大きな岩や木などの障害物を避けているから自然と蛇行した形になり、エリはそれらに跳び乗ったりよじ登ったりしているので時間がかかる。

 そのようにそれぞれ別の行動をとっていても、比較的平坦な場所で合流すると、二人は横並びになる。元々一つの存在であったことを証明するような動きに、レフィオーレたちは感心していた。

 渓谷をずっと進んだ先、川の源流付近には一つの洞窟があった。ミリィとエリは並んでその中に案内する。

 洞窟の中はレーファの宿と同じくらいの空間が広がっていて、神秘的な雰囲気を漂わせていた。精霊の住まう場所ということもあり、生活感は感じられないが、よく見ると端の方には石造りの小さな棚があった。

 何冊かの書物と、二、三の引き出し。レフィオーレが聞くと、中身は手紙であることが判明した。

 ミリィとエリは洞窟の中央に集まると、背中合わせになって後ろ手に両手を組み合わせる。

「やりますよ、エリ」

「いつでもいいよ、ミリィ!」

 声を掛け合った直後、ミリィとエリの全身が淡い光に包まれる。その光は十秒ほど二人の体を包み、二人が離れると一瞬で消えた。

「これくらいで充分ですね」

「彼女が来るまで何して待ってようか?」

「ピスキィもああいうことできるの?」

 その様子を見ていたレフィオーレは、精霊国の姫に問いかける。スィーハも口にはしないが気になっているのは視線や表情を見れば瞭然だ。

「ええ、できますよ。私が大きくなってからは滅多にしていませんが、幼い頃にはピスキィにせがんでよく見せてもらいました。精霊の力としてはとても弱いものですけれど、見ての通り美しいですからね」

 ピスキィとの思い出を語るチェミュナリアはとても楽しそうだった。その言葉を発端に、五人は彼女の話で盛り上がる。レフィオーレとスィーハにとっては、普段のピスキィの様子を詳しく聞くのは初めてなので新鮮に感じられ、ミリィとエリにとっても、長い間会っていない仲間の近況を知るのは興味深いのか、積極的にチェミュナリアに質問をしていた。

 しばらくその話で盛り上がったところで、ミリィとエリが同時に洞窟の入り口を見る。つられて三人もそちらを見るが、そこから見えるのは洞窟の外にある渓谷だけだ。

「来たのですか?」

「気配はあります」

「渓谷の入り口くらいだから、もう少しだね」

 ミリィエリの力を示してからそれほど時間が経っていないことから、彼女は渓谷からそこそこ近いところにいたのだろう。

「遠くからでもわかるなら、呼ばなくても探せたんじゃないの?」

「そうですね。以前ならそれも可能でした」

 スィーハのもっともな質問に、ミリィは呟くように答えた。

「アルシィアが力を使えば別だけど、今はもっと近づかないと感知できないんだよ。でもね、それは普通の場所の話。セグナシア渓谷はミリィエリの庭みたいなものだから、土地に残った力が助けてくれるんだよ」

「この場所は私たちが長くいたこともあって、その力が特に強いのです」

「なるほどね。精霊の力も長く残るんだ」

 大陸北部のカルネ橋のように、ずっと昔に与えられたぱんつの力で維持している建造物もある。おそらくはそれと同じようなことなのだろうと、スィーハは理解した。

 そうして話しているうちにもシェーグティーナは渓谷を進んでいるようだった。この調子ならあと一分も経たないうちにこの場所に到着する。しかし、二分、三分と待っても洞窟の中に彼女が現れる様子はなかった。

「迷ったのかな?」

「いえ、彼女はもうすぐ近くに来ています」

「なにか入ってこれない理由があるのでしょうか」

「じゃあさ、詳しい場所を教えて。私が迎えに行くよ」

「それでしたら、私も行きます。アルシィアの現状を確かめておきたいですしね」

「二人が行くならボクも行くよ! いいよね?」

「はい。ここまで来て帰ることはないでしょう」

「何かあったら、私が知らせに行くよ!」

 ミリィとエリに詳しい場所を教えてもらった三人は、洞窟から出て早足でそこへ向かう。アルシィアの気配があったのは洞窟近くにある滝の下。

 果たしてそこにはシェーグティーナの姿があった。彼女は滝の下で立ったまま動かないが、口だけは動いていて誰かと話をしているように見えた。三人が近づいていくと、彼女は気付いたのか視線を向ける。

「初めまして。あなたがシェーグティーナですね。私の名は、ピスキィ・ルィエール・チェミュナリア。精霊国ピスキィの姫にして、純潔の証たる純白のぱんつ、その力を完全に引き出す者です」

 何と声をかけたらよいか迷っているレフィオーレとスィーハの間から一歩進んで、彼女に声をかけたのはチェミュナリアだった。挨拶とともに、優雅な笑みを浮かべる。

「用件はミリィエリのこと? それともアルシィアのこと?」

「どちらもです。私としては後者を優先したいところですが」

「そう。それなら話してもいい。けど、ミリィエリに協力するつもりはない」

「そうですか。ではミリィエリのところへ案内します。彼女たちもアルシィアのことを知りたいでしょうからね」

 シェーグティーナは訝るような視線を三人に向ける。堂々とした態度のチェミュナリアに対し、レフィオーレとスィーハは口を挟みにくい状況に困惑しているだけだ。

「演技……じゃないか」

「あなたも少しの間、二人と過ごしたのでしょう。演技ができるように思えますか?」

「思えない。けれど、初対面のあなたはわからない」

 言葉はきついが、シェーグティーナの表情から怪訝な色は消えている。

「アルシィアが何か?」

「ピスキィと共に暮らす精霊国の姫なら、信頼しても大丈夫――だって」

「精霊にそう言ってもらえるとは光栄ですね」

「それより、あの二人」

 言ってシェーグティーナは、話についていけない様子のレフィオーレとスィーハを横目で見る。チェミュナリアは微笑とともに二人に近づいて、声をかけた。

「二人とも、話はつきました。戻りますよ」

「でも、協力はしないって……」

 弱気なレフィオーレの発言に、スィーハもうんうんと頷く。

「そうですね。ですが、説得は話を聞いてからでも遅くはありません。話してすぐに消えるなんてことはしないでしょう?」

 後半はシェーグティーナに向けて。彼女は視線を返すだけで、言葉は口にしない。しかしこの状況での無言が肯定の意味になることは、その場にいる誰もがわかっていた。

「二人とも、もう理解しましたね?」

 レフィオーレとスィーハは大きく頷いて答えた。と同時に、考える素振りさえも見せず、冷静に機転を働かせたチェミュナリアを凄いと思う。これが戦闘に関するものであればレフィオーレも同様に機転が働くのだが、この場面では活用できない。

「参りましょうか」

 その一言とともに歩き出したチェミュナリアに、レフィオーレ、スィーハ、シェーグティーナの三人がついていく。今度は早足ではなく、自然な速度で。

 洞窟に戻ると、ミリィとエリはどこから出したのか椅子に座って待っていた。二人の分だけではなく、レフィオーレら四人の分の椅子も用意してある。聞くと、話が長くなりそうだと思ったので奥の部屋から持って来ました、と答えが返ってきた。どうやらこの洞窟は見た目よりも広いらしい。

 奥の部屋には他に何があるのかとか、他にも部屋があるのかとか、気になることはあるが今はもっと重要なことがあるので、誰もそれ以上の質問はしなかった。

 全員が椅子に腰掛けたところで、シェーグティーナが真っ先に口を開く。

「二人にも言っておくけど、私はアルシィアのことを話すだけだから」

「そう言うだろうとは思っていました」

 驚きもせず冷静に受け答えるミリィに対し、エリは驚いて困ったような表情を浮かべた。しかし、続くミリィの言葉で困惑の色は消える。

「エリ、大丈夫ですよ。彼女はきっと協力してくれます」

「勝手に期待して後で困っても知らないから」

 呆れたように呟くシェーグティーナに、ミリィは無言で微笑むだけだ。シェーグティーナは大きく息をつくと、周囲の五人を見回してから静かに語り始めた。

「まずは私とアルシィアがどうなっているのかを話しておく。私、アーリアスト・シェーグティーナと精霊アルシィアは同化している。でもそれは同一の存在になったわけじゃなくて、私の体にアルシィアを受け入れているだけ。詳しいことはこれから順を追って話すから、質問があっても後にして。

 どこから話せばいいのか迷うけど、北部から来たあなたたちなら精霊都市アルシィアのことは知ってるでしょう。――そう、神殿も見たことがあるなら話が早い。

 精霊都市アルシィア――アルシィアを祀る人々が集まってできた都市。神殿にはアルシィアが住まい、彼女のお世話は代々選ばれた巫女が行っていた。アルシィアは創生時代から存在した精霊だから、人々がみだりに見たり声をかけたりしてはいけない。精霊都市が作られたときからの決まりで、最初はアルシィアも面白そうだからと納得していたみたい。

 けれど、アルシィアも祀られているだけでは退屈。かといって自分で納得して大きな神殿まで作ってもらった手前、これからは祀られる存在じゃなくて仲良くしたい、なんて言えるはずもない。だから彼女は、自分の世話をしている巫女にだけそれを打ち明けた。

 最初に告白された巫女も驚いていたって。そりゃ、神殿ができてから一月と経たずにそんなことを言われたら驚くのも無理はない。それで、巫女はこのことは住民には知らせず、代々の巫女にだけ伝えるようにして、精霊都市を存続させてきた。

 といっても、血筋で選ばれるわけでもないから巫女の家系なんてものは存在しない。代々の巫女は代々都市に産まれた年若い少女から選ばれていたんだけど、正式な巫女に選ばれるまではアルシィアに会うことなんてない。神殿の外に出ることもあったけど、表面上は雲の上の存在として見えるように振舞っていたから、普段のアルシィアを見る機会は皆無。

 そういう状況だから、巫女に選ばれた人はみんな、普段のアルシィアを初めて知ったときは驚いたみたい。もちろん、それは私だって例外じゃなかった。

 緊張して対面した彼女は確かに人にはない強い力を持っていたけど、それ以外は私たちとあまり変わらなかったんだもの。

 夕日よりも赤く長い髪に、鋭く力強い同じ色の瞳、揺らめく炎のような羽衣を着た背の高い少女の姿はどこか神々しさも感じさせるけど、中身は普通の女の子と同じ。私たちよりずっと長い時間を生きているのに、それを感じさせるようなものは知識くらいなもの。

 たまにやってくるピスキィと会話しているときはちょっと違う雰囲気にもなったけど、会話は特別なものでもなくて、私の知らないアルシィアの姿を見たからそう思っただけ。

 ともかく、私はそんなアルシィアと仲良くなった。今までの巫女がそうだったように、歳をとったら次の巫女に引き継いで、たまに気が向いたらアルシィアに会いに行く。私が巫女に選ばれたのは十歳の頃だったから、私もいずれそうなるんだろうと漠然と考えていた。

 でも、私が巫女になって六年、十六歳になったときに最初の異変が起きた。普段はアルシィアのおかげで魔物の寄りつかない精霊都市に、魔物が現れるようになった。

 最初はたまにはそういうこともあるって誰も気にしなかったけど、そういうことが何度も起きるとさすがにそうもいかなくて、アルシィアに何かあったんじゃないかって巫女の私に聞いてくる人も増えた。

 でも、私が毎日会っていたアルシィアの様子はいつもと変わらなかったし、偶然が重なっただけだと思ったんだけど、多くの人に聞かれたら巫女としての立場もあるし、軽く尋ねてみることにした。

『街の人たちが最近魔物をよく見かけるようになったって言うんだけど、何かあった?』

 私がそう聞くと、アルシィアは真剣な表情でこう答えた。

『それを聞いて確信した。気のせいだったらと思ったけど、そうじゃないみたい。よく聞いて、シェーグティーナ。私は多分、暴走しかけている』

『暴走?』

 最初はその意味がわからなかった。けれど、アルシィアに説明を受けて、事の重大さが理解できた。それからは先代の巫女に相談して、私はアルシィアを見守って、先代の巫女や彼女たちが信頼する人たちだけで暴走を止められる者がいないか探し回った。けれど、見つけることはできなかった。

 そして一年が経った頃には、アルシィアの暴走はゆっくりとだけど、確実に進行していて、もう少ししたら意識も保てなくなるくらいになった。

『アルシィア、何か他に手はない? 私はぱんつの力は引き出せないけど、何かできることがあるなら何でもするから』

 付け加えておくと、巫女に選ばれる条件の一つには、ぱんつの力を引き出せないというのがある。もちろん私も女の子だし、全く引き出せないというわけではないけど、その力は物凄く弱くて、小さな魔物さえも相手にできないくらいだった。

『なくはない。でも、一つは物凄く危険な方法で失敗したらもっと大変なことになる』

 危険な方法については実行した精霊がここにいるから説明をするまでもないと思う。勘違いしないように言っておくけど、私もアルシィアもそれを非難するつもりはない。そうするしかない状況だったんでしょうし。

『一つ、ってことは他にもあるんでしょ? 教えて』

『シェーグティーナの力を借りれば方法はある。こういうときに備えて巫女の条件の一つに、ぱんつの力を引き出せないというのを入れておいた』

『具体的な方法は? 遠慮しないで言って』

 そう言うとアルシィアは一瞬迷うような表情を見せたけど、すぐに話してくれた。

『あなたが私を受け入れてくれれば、暴走は止められる。普通ならぱんつの力の影響でそういうことはできないけど、あなたくらい弱い力なら問題ない。もちろん、多少の影響は受けて精霊の力は発揮できなくなるけど、それだけ』

 ぱんつの力と精霊の力の関係は、前に聞いたから知っていた。ピスキィとアルシィアが遊んでいるときに、偶然はいていないのが見えたときにね。精霊がぱんつをはかないのは、その力で精霊の力が抑えられてしまうから。……何人か驚いているみたいだけど、精霊の暴走を止めるのにぱんつの力が必要なことを考えれば、そう驚くことでもないでしょ?

 ともかく、私はそれで暴走が抑えられるならと、協力を申し出たんだけど、話にはまだ続きがあった。

『でも、精霊を受け入れたらシェーグティーナはきっと今までのようには暮らせなくなる。精霊の力はあなたの体にも影響を与えて、少なくとも同化している間はあなたも年老いていくことはなくなる』

『受け入れてから分離することはできないってこと?』

 そう聞くとアルシィアは曖昧に頷いて答えた。

『少なくとも私は知らない。もしかするとあるかもしれないけど、無駄な希望は持たせたくないから、できないと思っていてほしい』

『そう。それでも、私は構わない。アルシィアが暴走してみんなに嫌われる姿なんて見たくないから』

『そう言うなら、お願いする。でも、今すぐにってわけじゃないから』

 アルシィアは真剣な表情から一転、笑みを浮かべてそう言った。

『わかってる。アルシィアがいなくなるんだから、それなりの準備はしないと』

『ええ。あまりゆっくりはできないけど』

 それからは、アルシィアが消えてからの都市をどうしていくのかについて話し合った。とはいえ、アルシィアがいない状態で都市が存続するとは思えないから、主にどうやっていなくなるかについての話だったけど。

 結論としては、都市の人たちに気付かれないように一夜のうちに都市を出ることにした。幸い、アルシィアと巫女が住む神殿の裏に人は住んでいないし、そこから山脈へ向かえば誰にも見つかることはない。

 当然、その直後にはみんな混乱するだろうけど、予め都市を出る日は先代の巫女たちに伝えているし、彼女たちが何とかしてくれる。実際にどうなったかは私たちには確かめられないからわからないけど。

 都市については解決したけど、もう一つの問題は私が無事にアルシィアを受け入れられるか、というものがあった。既に説明したように、受け入れること自体は問題ない。でも、暴走しかけている精霊の力を安定して移すのは簡単じゃない。余裕のある大きな鍋に入った水を、それがぎりぎり入るくらいの小さなコップに移すようなもの。

 器からこぼれた精霊の力は、魔物を呼び寄せる力になってしまう。かといって、一時的に安定させられるような力はない。だから私たちは、素早く力を移して溢れた力が神殿の中に残っているうちに集めることにした。ここがそうであるように、神殿やその周辺にはアルシィアの力が宿っているから、すぐに外へ抜けていくなんてことはない。

 でも暴走しかけた精霊の力を受け入れた直後の私が、それを制御しつつ自由に動くなんてことは不可能。数日もすれば力の暴走は収まるけど、その間に溢れた力は外へ抜けてしまう。

 それでも方法がないわけじゃない。私がアルシィアを受け入れたなら、私の体を動かせるのは私だけじゃないから。今まで制御してきたアルシィアならどうにかできる。もちろん、精霊の意識と人の意識では、精霊の意識の方が遥かに強い。だからこそ私が一度許可さえすれば体を動かせるようにもなるんだけど、その気になればそのまま意識を返さないこともできる。

 まあ、アルシィアがそんなことをするはずはないって信じてたから、彼女にその点を忠告されても、私は迷わずその方法を選んだんだけど。

 そして決行の日。私の中にアルシィアの力と意識が流れ込んできて、その強さに私の意識が眠りについてしまうほどだった。目を覚ましたときに見えた景色は見慣れた神殿ではなくて、大きな湖――ここ、大陸中部にあるルトラデ湖だった。

 アルシィアによると三日くらいその状態だったらしくて、起きないから勝手にここまで移動して来たって。元々、北部にいたら都市の人に伝わる可能性もあるし、すぐに南に移動する予定だったんだけど、気がついたら見たことのない景色だったときはさすがに驚いた。

 それからも色々あって今はこうして大陸中部にいるんだけど、そこまで話す必要はないと判断する。聞かれても話す気はないけど」

 語り終えたシェーグティーナは大きく息をつく。そして再び五人を見回して、一言。

「質問はある?」

「アルシィアと直接話をすることはできませんか?」

 雰囲気に呑まれて言葉を探すのに時間がかかっているレフィオーレ、スィーハ、チェミュナリアらと違い、ミリィはまるで用意していたかのようにすぐに口を開いた。

「できるけど、したくないって」

「そうですか。残念です」

 ミリィは理由を尋ねることもなく、すぐに引き下がる。レフィオーレたちにはどうしてなのか聞きたい気持ちはあったが、質問した人が気にしていないのに深く聞くことはできない。

「ピスキィに会う日まで待ってる、ってところ?」

 しかし、エリだけは別だった。今は二人に分かれているとはいえ、元はミリィエリという一人の精霊。遠慮をする必要などない。

「違う。今のこの感じが気に入っているから、出たくないって。どうしてもって言うなら強制的に出すこともできるけど、そうしたら後で私が困るからできればしたくない」

「そっかー。それじゃ仕方ないね。久しぶりに話したかったんだけど」

 朗らかに笑みを浮かべるエリに対し、シェーグティーナは何も言えなくなる。ミリィエリに対して協力しないと言った以上、また機会があればなどというような反射的な返しは許されない。

「それじゃ、他に質問がないなら私は帰る」

 立ちながら放たれたその言葉に、レフィオーレたちは互いに目配せしあって素早く立ち上がって、洞窟の入口を塞ぐようにして彼女の前に立ちはだかる。

「説得は無駄。私もアルシィアも、ミリィエリと戦うつもりはない」

 言いながらも、シェーグティーナは三人の間を抜けていこうとはしない。落ち着いているミリィとレフィオーレたちを応援しているエリを尻目に、続けた言葉は別の提案だった。

「ただ、もう一人のぱんつの力を完全に引き出す者を連れてきて、というのなら協力してもいい。場所にもよるけど、少なくともあなたたちよりは早く連れてこられると思う」

「ルーフェを?」

 迷いの表情を浮かべるレフィオーレたちに視線を向けられて、ミリィが代わりに答える。

「それでは間に合いません。いえ、正確には暴走を止めること自体は可能ですが、大陸中部の住民に一切被害を及ぼすことなく、という点は満たされません」

「脅迫のつもり?」

 冷ややかなシェーグティーナの態度に、ミリィはゆっくりと首を横に振る。ついでにエリも合わせるように慌てて素早く首を横に振った。

「あなたやアルシィアの気持ちもわかります。私たちはあなたの力ならぱんつの力を完全に引き出す者に匹敵すると考えていますが、もしその見通しが間違っていてあなた方が敗北した場合、アルシィアにも少なからぬ影響を与えてしまうことでしょう」

「再び暴走するってことはないだろうけど、精霊の力が削がれたら世界に及ぼす影響は大きいよね。最悪の場合、消滅でもしたら取り返しがつかないことになるし」

「そこまでわかっているなら、諦めて。あなたたちが暴走して住民に被害を及ぼすことになっても、レフィオーレたちがいれば少なくとも死者は出さずに済むはず。その間の消耗を回復するまでの間くらいなら、私がミリィエリを引きつけておくから」

「それができるなら、一緒に戦っても大丈夫だと思うんだけど」

 素朴な疑問を口にしたのはスィーハだ。レフィオーレも同調するように頷き、チェミュナリアは顎に手を当てて考えるような仕草を見せる。

「一人では戦えるのに、一緒には戦えない、ですか……」

「そう、私にはそれしかできない」

 いままでと同じトーンで言っているにも拘らず、その言葉はどこか弱々しく聞こえた。

「私もスィーハも、シェーグティーナのことは信頼してるよ。チェミュナリアだって……」

「ええ。お二人が信じる相手を、私が信じない理由はありません」

「ね? だから後は――」

「それ以上はやめて」

 シェーグティーナがレフィオーレの言葉を遮る。そして鋭い視線を彼女たちに向けるが、その目に強い力は感じられない。

「私は、たとえ一時的でも、誰かと慣れ合うつもりはない」

 その発言にスィーハはむっとして前のめりになったが、レフィオーレに手で制されて言葉を失う。反射的に彼女に視線が向くが、振り向いた彼女の顔に笑みが浮かんでいたのを見ると、肩をすくめて微笑みを返した。

「それじゃあ、シェーグティーナが指揮官になって。私たちが部下になるから。師匠と弟子がいいなら、指揮官と部下の関係もそんなに変わらないよね?」

「ふざけないで。そんなの言葉の違いでしか――アルシィア?」

 シェーグティーナは黙り込む。しかし、ころころと表情を変えるのを見ると、ただ黙っているのではなくかつて受け入れた精霊、アルシィアと会話をしているのは明らかだった。

 知っている人しかいないからか、会話の内容によるものかはわからないが、シェーグティーナは表情を変えるだけでなく体も動かして感情を伝え、ときには声を出して反論する。しかしその反対する声も次第に落ち着いていき、表情の変化や体の動きも小さくなる。

「……でも、私は……他の人とは……」

 けれど、反対する気持ちがなくなったわけではないらしく、弱々しくもシェーグティーナはそう呟いた。直後、目を見開いて驚いたような表情を浮かべる。

「ちょ、ちょっと! アルシィア!」

 そこまで言って、シェーグティーナの口は開いたまま動かなくなる。けれどそれは一瞬だけで、すぐに口は動き出し言葉が続けられる。

「シェーグティーナ、私もその気になればこれくらいはできる。体まではさすがに……無理やりはだめだって、やめなさ……それに長くはできないみたい」

 と言って、ため息ひとつ。シェーグティーナは恨めしそうな視線をどこかに向けているが、その動作と話している内容が一致しない。

「時間がないから簡潔に。とりあえずは、指揮官と部下の関係、承諾します……ちょっと、何を勝手に! あ、言うだけ言って隠れるな! ちょっと、聞いてる!」

 言っている間に彼女の腕が自分の胸へと移動しているが、シェーグティーナは気付かない。服の隙間から中に手が伸ばされたところで、やっとおかしいことに気付く。

「……ああもう、面倒くさい! わかった、わかったから! 私の口で言ったことだし、嘘はつきたくないから、指揮官でいい。……これは聞いてるよね?」

 シェーグティーナがこくりと頷く。顔を上げたシェーグティーナの唇は引きつっていて、レフィオーレたちは思わず吹き出しそうになるのを必死に堪える。

「他に人がいない場所で良かった……。それはそうと、時間がないとはいっても今日中にってわけじゃないんでしょ? 見ての通り、アルシィアがかなり無茶したから精霊の力も消耗している。作戦会議くらいはできるけど、戦うのは明日以降でお願い」

 話しながら、シェーグティーナは部屋の中央に歩いていき椅子に腰掛ける。その顔には疲れの色がありありと見てとれたが、誰しもがその理由を理解していたのでどうしたのなどと問う者はいない。

 ただ一人、堪えきれずに吹き出してしまったエリに視線を向けたが、その視線に鋭さは欠片もない。視線はそのままに小さくため息をつくと、小さな声で質問をする。

「ここ、休める?」

「うん。奥の部屋にベッドがあるよ! でも、しばらく使ってないから夜までに綺麗に掃除してくるね!」

 言うが早いか、エリは洞窟の奥へと駆けていく。その後ろ姿を眺めながら、ミリィが言う。

「ちなみに、ベッドは六つあるのでみなさんの分もありますよ。もう一人いれば全部埋まったのですが、惜しいですね」

 ミリィとエリが一緒のベッドで寝ることは何となく予想できたことなので、ミリィが付け加えて言っても誰も驚くことはなかった。その後に、シェーグティーナとアルシィアも一緒ですね、と声が続く。シェーグティーナは億劫そうに彼女に視線を向けて、何かを言うように口を動かしたが言葉は出ず、代わりに小さなため息が出た。

 日が沈んで夜。レフィオーレたちは明日のことについて話し合っていた。先ほどは疲れて休んでいたシェーグティーナも会話できるくらいには元気を取り戻している。

「作戦会議、とは言っても大したことはできないと思う。以前のミリィエリならともかく、今の彼女たちはミリィとエリの二人に分かれている。二人の強い相手との戦いなら経験はあるけど、相手が精霊ともなると細かい戦法は通用しないと考えた方がいい」

 言い切ってから、あなたたちなら言うまでもないことだと思うけど、と付け加える。精霊と戦ったことのあるレフィオーレたちも、通常の戦い方が通用しないことは身をもって知っている。

「だからやるべきことは基本に忠実に。相手の連係を断ち、こちらの連係は維持する。単純だけど、実力が拮抗している相手なら、これさえできれば確実に優位に立てる」

 ちなみに、この会話にはミリィとエリは加わっていない。先ほど済ませた夕食の後片付けをしたら、すぐに眠りについたからだ。ただ、その前に作戦を立てる上で必要なことだけは伝えられたので、いなくても問題はない。

 戦う相手が情報を教えてくれるというのは普通なら好機となるが、今回はそれに当てはまらない。伝えられた情報でわかったのは、ピスキィと違って武器がすり抜けるようなことはないということだけ。それ以外は二人にもわからないというものだった。

 かつての戦い方にしても、ミリィエリは戦いをすることがほとんどなく、全力やそれに近い戦いの経験は一度もなかったという。

 彼女が戦いを好まなかったというのもあるが、それ以前に精霊とまともに戦える相手が数少ない、というのが主な理由だ。精霊の相手が務まるのは同じ精霊か、ぱんつの力を完全に引き出せる者くらいなもの。

 大陸北部にはピスキィとアルシィアがいたので、たまに喧嘩をして戦うこともあったが、中部にいる精霊はミリィエリのみ。ぱんつの力を完全に引き出せる者とは過去に何度も出会っているが、平和な時代に本気で戦うような理由はない。

「言葉にすると簡単ですが、実行するのは楽ではありませんね」

 ミリィとエリは今は二人に分かれているとはいえ、元は一つの存在。それぞれに自由な意思があるとはいえ、連係は完璧なはずだ。暴走することによって意識に影響が出てそれが隙となる可能性もあるが、どれほどの影響があるかわからない以上当てにはできない。

 そして対するレフィオーレたちは、四人で連係して戦うのは初めてになる。予想外の展開が続いても連係を維持するのは簡単なことではないだろう。

「それでも手がないわけじゃない。作戦、と言えるほどではないけど」

 シェーグティーナが口にしたのは単純明快。四人で連携をとるのではなく、二人一組で戦うというだけ。決して一人で孤立しないようにするための作戦だ。もちろん、状況によっては四人で連携をとることもあるが、そこは臨機応変に。

「組み合わせは私とレフィオーレ、スィーハとチェミュナリアの二組」

「ちょっと待ってよ、その組み合わせはどうなの?」

 スィーハが声をあげたのは当然だ。他の二人もその組み合わせの意図が掴めず、レフィオーレは首を傾げ、チェミュナリアは視線を落として考え込む。

 シェーグティーナとレフィオーレの組み合わせに問題はない。精霊の力を宿して戦闘経験も豊富なシェーグティーナと、最強にして万能のしましまぱんつの力を完全に引き出すレフィオーレならどんな状況にも対応しやすい。

 だが問題は、スィーハとチェミュナリアの組み合わせだ。回避に長けたふりるぱんつと、絶対の守護を誇るしろぱんつ。その力を完全に引き出せる二人なら攻撃を防ぐのは容易だが、その反面、相手の防御を破る力に欠ける。

 バランスを考えるなら、スィーハとチェミュナリアは別にして、それぞれレフィオーレかシェーグティーナと二人一組にするべきだろう。

「言いたいことはわかる。けど、私たちの関係を考えるとこれしかない。私が指揮官であなたたちは部下、ということになってるけど、その関係は表面的なもの。強い相手と戦うなら、互いに信頼し合う関係になる必要がある」

「私は割と本気で言ったんだけど……」

 ぼそりと呟くレフィオーレを一瞥して、シェーグティーナは続ける。

「そういう彼女だからこそ、私も信頼できる。それ以上の関係は望まないから、安心できる。さっきは私たちのと言ったけど、言い直す。この組み合わせにしたのは私の問題。わがまま、と言ってもいいかもしれない」

 穏やかな口調でそう言って、シェーグティーナは苦笑する。それだけで、三人はこれ以上何も言う必要はないと理解した。ただ一人、スィーハはやや不満気な顔をしていたが、別の理由によるものなので控えめに視線で訴えるだけだ。

 シェーグティーナは視線に対して呆れたように小さく肩をすくめて返す。スィーハはもう少し何か言いたい気持ちはあったが、先ほどからレフィオーレが不思議そうにしているので今は抑えておく。

 それから、実際に戦うときは臨機応変に戦うとはいえ、基本的な戦法は理解しておいた方がいいということで、前夜の作戦会議は月が天高く昇るまで続けられた。


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