しましまくだものしろふりる

第一章 大陸北部精霊記


 ピスリカル森林を抜け、街道を進めばパロニス王国までは一時間とかからない。もっとも、そこにあるのはパロニス王国の西の果てにある門と、周辺の小さな集落。パロニス王国は広い国土を持つが、国民の大半は国の北側――北の海岸線周辺から、少し南に離れたところにある王城周辺の城下町――に住んでいる。

 残りは、リシャたちが訪れた西の門の他、南西や南の門や、門と城下町の間に中継点としていくつかある、砦周辺の集落に住んでいる。

 当然、そこに多く住むのは騎士であるが、パロニス王国は軍事国家というわけではない。そうしなくてはならない理由は、南に広がるアルニス平原にある。アルニス平原は魔物が多く生息していて、大陸北部においては、最も魔物との接触率が高いのだ。

 また、暮らしやすい気候に加え、王女の政治能力も高いことから、人口も多い。それだけの人を確実に守るためには、なるべく早く魔物を発見し、被害を抑える必要があった。

 ちなみに、門といっても目印的な役割が強く、魔物の侵入を防ぐ役割は薄い。門自体は堅牢な造りではあるが、それぞれの門の間には林があるだけで、門を通らなくてもパロニス国内へ入ることは可能だ。

 砦が多く設置されている理由もそのためである。パロニス王国の近辺は、なだらかな丘陵地帯であり、完全に侵入を防ぐには相当な長い壁や柵が必要となる。対して、襲ってくる可能性のある魔物は多くても数十体。それに対応するには、強固な守りよりも、場合によっては門や砦を捨て置くこともできるような、機動性を優先した方が守るには都合が良い。

「パロニスだー! なんて、喜んでいいのかな?」

 抱っこされながら、簡単にパロニス王国についての説明を受けていたリシャは、東門に着いてすぐに声をあげた。着いたとはいっても、人の多く住む場所までは急いでも半日ほどかかる。

「それはわかりませんが、少なくとも、食事にはありつけますよ」

 ルーフェは一番最初に目についた食堂をリシャに見せる。まだお姫さまだっこしたままなので、手や指で示すことはできない。

 西門周辺はピスリカル森林やカルネ橋を抜けた商人や旅人が最初に訪れる場所であり、パロニスから出る者にとっては、ラーグリアまでの最後の補給地点でもある。それだけに、他の砦や門の周辺と違い、宿や食堂など、旅人向けの施設が充実していた。

 そうはいっても、パロニス王国城下町やラーグリアに比べると見劣りするが、石造りの大きな門や家々が、整然と並ぶ風景は初めて訪れた者には珍しいものに映る。たとえそれが、魔物との戦闘を考えての配置だったとしても、だ。

「しかし、何やら騒がしいですね」

 食事目当てにルーフェから飛び降り、駆け出したリシャを追いかけながら、チェミュナリアは集落の様子を見る。騎士が多い場所、とは知っていたが、それにしても見かける数が多すぎる。見かけた数からの推定だが、門の詰め所や家の数の倍以上の騎士がいそうだ。

 重要な拠点であるため、元々これだけの騎士を配備しているのかもしれないが、何となく気になったチェミュナリアは、近くにいた騎士に声をかける。

「少しよろしいでしょうか。ここは普段から、こんなに騎士がいるのですか?」

「いえ、いつもは違いますよ。今は色々ありまして。ところで、そういう質問をするということは、パロニスは初めてですか? よければ案内しましょうか?」

「いえ、それには及びません。教えてくれてありがとうございます」

「そうですか。では、失礼します」

 騎士は先ほどよりもやや足を速めて去っていった。色々ある、というのは気になったが、案内する余裕があるということは、切迫した事態ではないのだろうと、チェミュナリアはそれ以上の詮索はしない。

 今の彼女たちには、ピスキィがパロニス王国へ向かった、という可能性が低まっただけで充分だった。別の場所から侵入して、まだ連絡が届いていないという可能性も考えられるが、どちらにせよ三人では止められないのだから、やることに変わりはない。

 チェミュナリアも足を速めて、リシャとルーフェを追いかけた。猶予がどれほどのものかはわからないが、いざそのときがきたら休む暇はなくなる。休めるときに休まず、疲労したままピスキィを止めることはできないだろう。

 それから、三人は食事をとり、そのままの足でパロニス王国へ向かうことにした。徒歩だと着くのは夜遅くになるが、幸い、西門には馬車が待機していた。パロニスは広い国土を持つが故に、馬車の数は他より多い。

 それでも、人はそれ以上に多いため、中心部では馬車を探すだけでも一苦労。急ぎの旅人や商人は、中心部では滅多に馬車に乗ることはない。

 しかし、郊外となると話は別だ。商人の多くは商売のため個人の馬車を所有しているし、旅人の多くは一旦、西門で休息をとる場合が多い。だから、休息した旅人が出発する時間帯――早朝から朝にかけてを除けば、よほど運が悪くなければすぐに馬車は見つかる。

 お金を渡し、馬車に乗り込んだリシャは嬉しそうな表情を浮かべていた。ルーフェも、表情には出さないが、気分は高揚している。チェミュナリアも、馬車から見える景色を楽しんでいた。

 それもそのはず、記憶喪失のリシャは当然として、ルーフェとチェミュナリアにとっても、馬車に乗るのは生まれて初めてだからだ。二人とも、馬車の存在は昔から知っていたが、それぞれ別の理由で乗る機会はなかった。

 ルーフェは主に徒歩で移動するのが理由だが、馬で移動するのは初めてではない。しかし、馬に乗るときはいつも自ら手綱を握っていた。チェミュナリアは馬での移動自体が初めてだ。遠くへ行くことが少ないのもあるが、それ以前に、ピスリカル森林でリシャたちと出会ったときのように、使役した魔物に乗れるため、必要がなかったというのが大きい。

「囲いがある、というのは不思議なものですね」

「鞍に乗るわけでもなく、後ろに乗るというのも不思議な感覚です」

「ルーフェも初めてってことは、私も初めてかな?」

「ええ。昔はよく、私の操る馬の後ろに乗っておられました」

「ふーん、そうなんだー」

 初めての馬車に浮かれていたせいか、ルーフェはすんなりと答える。リシャもそれをさらりと受け止め、景色を眺めながらしばらく沈黙する。

「ルーフェってさ」

 馬車がひとつの集落の側を通りかかった頃、リシャが沈黙を破る。

「隠し事するの、苦手だよね」

 突然そんなことを言われてきょとんとするルーフェ。それ以上は何も言わず、黙って景色を眺めているリシャに代わり、チェミュナリアがその理由を伝える。

「そのようですね。先ほども、油断していたようですし」

「油断、ですか?」

 ルーフェは先ほど、と言われて記憶を辿る。数分前に口にした言葉なので、思い出すのは簡単だった。そして、思い出した途端、どう反応すればいいのか困惑する。

「別に、咎めるつもりで言ったんじゃないから、気にしないでいいよ。ルーフェが私の何を知っているかはわからないけど、大事に想ってくれてることはちゃんと伝わってるから」

 思っていたことを、素直な言葉でリシャはルーフェに告げる。ルーフェは「はい」と小さく答えて、黙って視線を外へと向けた。リシャに気遣われる度に、胸がちくりと痛むが、それをリシャに悟られるわけにはいかない。

 リシャは鋭い。そう思っていても、先ほどのように油断すれば気付かれる可能性は高い。未だ気付かれていないのは、リシャが深く詮索はしない、と決めているからこそだ。それでも、油断して口を滑らせるなり、表情に見せるなりすれば、その気がなくても伝わるだろう。

 そんな二人の様子を見て、チェミュナリアはピスキィのことを考えていた。

 記憶喪失でも自由な意思で行動できるのと、記憶はあっても意思を奪われるのでは、どちらが辛いのだろうか、と。考えてもどうにかなるものでもないし、ピスキィはともかく、リシャの手伝いをするのは彼女には難しいだろう。

 それでも、出会って間もないリシャに対して、何かできることがあれば手伝いたいと、チェミュナリアは思っていた。それは、同情や憐憫からくるものではない。チェミュナリア自身にもはっきりとはわからないが、リシャには何か近いものを感じていた。

 馬車はもうひとつの集落を抜ける。これで西門から抜けた集落は二つ。次の集落を抜ければ城下町までは目と鼻の先だ。中の三人は、景色を眺めながら到着を待つ。

 会話が無いまま馬車は進んでいく。先ほどの会話の影響が無いとは言えないが、それよりも流れゆく景色に三人とも見とれていたというのが大きい。といっても、目的は景色を楽しむことではない。何となくだったり、明確な意志を持っていたり、程度に差こそあれど、パロニス王国がどんな国か、というのを見て確かめるのが目的だ。

 最後の集落が過ぎていく。石造りの家々が立ち並ぶ風景は変わらないが、城下街に近づいていることもあり、その家の数は少し増えていた。砦も少し大きく、他の集落よりも騎士の姿が多く見られる。

 そこから一分もすれば、パロニス王国の城下町だ。徒歩で訪れたなら既に視認できる距離にそれはあった。とはいえ、城下町はパロニスの中心部であり、広さも最大。見えるのは並んだ小さな家だけで、王城の姿はまだ見えない。

 馬車の速度が落ちる。このまま城下町の中、王城周辺まで進むこともできるが、リシャたちは城下街に入ってすぐのところで降ろしてもらうことにしていた。宿まで少し歩くことになるが、城下町に入りさえすれば、どこかの宿につくまで一時間とかからないだろう。

 日はかなり傾いてきているが、まだ夕日にはなっていない。本格的に聞き込みをするのは明日になるが、行動の指針を決めるため、パロニス王国の地理と、国民性くらいは確かめておきたかった。

 西門での様子から可能性は低いと思われるが、国民の多くが旅人に非協力的であるなら、情報収集には何らかの工夫が必要になってくる。

 一時間後、一定の情報収集を終えた三人は、宿泊する宿の一室に集まっていた。リシャはベッドに座り、ルーフェは木製の椅子、チェミュナリアは二人がけのソファに腰掛け、少し離れた所で向き合う形になっている。

 泊まる宿は二つ目に見つかった宿だ。最初に見つけた宿も満室ではなかったが、一人部屋と二人部屋しかなかったので、三人部屋のあるこの宿に決めた。

「やはり、広いですね」

 目の前の机に宿の主人から借りた地図を広げ、ルーフェは言った。国民性などその他の要因に問題はなかったが、これだけは見事に予想に違わなかった。

「広いだけ、ではないでしょう?」

 確かに広いが、それだけならすでにわかっていたこと。チェミュナリアの指摘に、ルーフェは頷いた。

「王城周辺は比較的整然としていますが、少し離れると道が複雑です。それに、郊外の集落も思ったよりも多い。城下町に二人、郊外に一人を想定していましたが、無理ですね」

 かといって、城下町に一人というのも無理なのは、言うまでもない。聞き込みに二日かければ解決するが、あまり悠長にはしていられない。

「王城に行けばいいんじゃないの?」

 リシャが提案する。パロニス王国を統べる王城。そこには当然、城下町を含め、王国全体の情報が集まっていることだろう。そこで情報収集ができれば確かに時間はかからない。

「偉い人でも、しまぱん勇者とその仲間です、って言えば会えるよね」

 リシャの言うことはもっともだった。伝説は当然パロニス王国にも伝わっている。それが本当であれば、すんなりと王城に入れることだろう。

 しかし、それにはひとつ問題があった。いかにしてその力を証明するか、である。騎士などと戦って証明する、というのが手っ取り早いが、ピスキィがこちらへ向かってくる可能性を考慮すると、無駄な消耗はなるべく避けたい。

 だからといって、それ以外の方法で証明するのも難しい。ぱんつの力を完全に引き出せる者かどうかは、見たり感じたりして判断することはできない。それができるなら、リシャたちも地道に情報収集をせずとも、簡単に見つけられるだろう。

「要は、なるべく力を使わずに、証明すればいいんだよね?」

 当然、リシャもそのことは理解していた。だから、打開策も当然考えている。引き出せる力の大小に関わらず、ぱんつの力が持つ基本的な力。その強さを示せばいい。

「問題は、人をどうやって集めるかだけど……」

 リシャはそう前置きしてから、具体的な作戦をルーフェとチェミュナリアに告げる。その方法は突拍子もないものであったが、確かに効果的かもしれなかった。

 それから、どのようにして行うかを相談した結果、決行は明日の昼頃、王城前で。準備は今夜のうちに効果的な表現を考え、明日の朝から行動を開始することになった。

 翌日。リシャたちは三手に分かれて城下町を駆け回っていた。店の中や公園、外などを歩いていく人々に聞こえるように、声をかけていく。その声に反応したのは警備を行う騎士と、多くの男性だった。

 三人ともギリギリまでそれを続ける予定だったが、昼になる前にそれは不可能となる。あまりにも騒ぎが大きすぎたので、騎士たちに注意を受けたのだ。さすがにこれ以上はまずいと判断して、三人は黙って時間が過ぎるのを待つ。

 そして、太陽が最も高く昇る頃、リシャたちは王城の前に来ていた。門を守る二人の騎士はリシャたちが声をかける前に、

「あなた方の目的は見回りの騎士から聞いています。しかし、なんでまたこんな回りくどいことを?」

 王城前に集まる人を見ながら、準備をするリシャの代わりに、ルーフェが事情を説明する。騎士の様子は半信半疑な感じだったが、それは予想通りだ。言葉だけで信じてもらえるなら、それ以外のことをする必要はない。

「みんなー、ここだよー!」

 リシャは王城前の広場の中心に立ち、大きく手を振って場所を示す。集まってきた人々の視線が集中する。集まっているのはほとんどが男性だ。女性もいないわけではないが、数はかなり少ない。

「五千……六千、といったところですね。これなら充分でしょう?」

「それはそうですが……まあ、いいです」

 チェミュナリアに問われて答える門番の騎士。何か言いたそうな様子だったが、今更言っても意味がないと思ったのか、黙って見守っていた。もう一人は念のために周囲を警戒する。といっても、隙をついて王城を狙う輩はいないし、魔物が急にここに現れることもないから、その対象はリシャたち三人だ。

「しかし、これほど集まるとは……男だから仕方ない、のでしょうか」

 ルーフェは期待に満ちた目でリシャを見つめる男たちをざっと眺める。

「あれだけのことを言われましたからね。興味がない、という人は少ないでしょう」

 三人が触れ回った言葉はたったこれだけだ。『お昼頃にしまぱん披露しまーす! もし見ても無事だったら、恥ずかしいものも見せちゃうよー!』

 ぱんつを見せることが恥ずかしくない、という事は当然、男からみてもぱんつは魅力にならないということだ。むしろ、うっかり見えてしまったら意識を奪われてしまうので、男性にとってぱんつは危険なものと捉えられている。

 とはいえ、その他に関しては、男たちにとって興味の対象であるのは言うまでもない。しかし、これが他のぱんつだったらこうは多く集まらなかっただろう。

 しまぱんの力を少しだけ引き出せる者はいない。引き出せるのは完全に力を引き出せる者だけ。何か別の目的のためのはったりだと、男たちが判断するのも仕方ないことだろう。

「じゃあみんな、周囲には気をつけてー! 転んで怪我しないようにねー!」

 一部の男性はそれに従ったが、ほとんどの男性は聞いていないようだった。リシャはもう一度注意したが、様子は変わらないので諦めることにした。怪我はするかもしれないが、死ぬことはよほど運が悪くない限りありえないだろう。

 リシャは集まっている人々によく見えるように、スカートをめくり上げる。水色と青の横じましましまぱんつが多くの視線に晒される。男たちは意識を奪われないようにしてか、やたらと力を入れているようだったが、それも無駄だった。

 リシャがスカートを下ろしたとき、周囲に集まった人で意識を保っているのは、それぞれの理由で見に来た女性たちと、騒ぎを防止するため集まっていた騎士たちだけだった。

「なんか、すごく強くなった感じがするよね、こういうことすると」

 実際に計り知れない強さを持っているリシャは、振り返ってそう言った。

「これで、示せましたね?」

「どうやら彼女は、本物のようですね」

 門番の騎士は驚きを隠さずに、意識を失って倒れたり、失いながらも立っていたりする男たちを眺める。

 ぱんつの力は、見ただけで男の意識を奪う。それは僅かでも力を引き出せる女の子なら誰でもできることだ。しかし、同時に意識を奪える数には限界がある。普通の女の子なら、同時に意識を奪えるのは、数人から数百人が限界だ。

 力を強く引き出せる者なら、千人くらいはいけるかもしれないが、これほどの数を相手にその効果を発動するには、ぱんつの力を相当高く引き出す必要があるだろう。完全に引き出せなくても可能なため、他のぱんつでは僅かに疑念が残るが、しまぱんならその心配はない。

「できれば、残りの二人の力も示して欲しい、ところではありますが……怪我人が増えても困りますからね」

 やや迷ってから、門番の騎士はリシャたちの王城入りを認めた。

 騎士に案内され、リシャたちは王城の中を歩く。豪華絢爛とも言えず、質素というには豪華すぎるといった感じの外見とは違い、中は質素という表現がしっくりくるものだった。石造りの城の内装は最低限で、照明や絨毯も高級感のあるような感じではない。そうはいっても、普通の宿屋や家に比べると豪華ではあるが、高級な宿ならこれくらいの装飾はしているだろう。

 それもそのはず、今は広い国土を持つパロニス王国であるが、昔は王城とその周辺にしか人は暮らしていなかった。その人たちにとって、城は魔物から身を守り、弓矢などで安全に撃退するためのものだったのだ。

 国土が広くなり、砦や門も配置されるようになってやっと、象徴的な存在としての意味も持たせられるようになったが、元が元だけに、造り直さずに済ませるには、これくらいにするのが限界だった。

 そういう経緯で作られただけに、リシャたちが案内された謁見の間も、やや大きな広間にちょっと豪華な椅子が並べられているだけのものだった。王女を守る騎士も左右に二人ずつの四人だけで事足りる広さだ。

「話は聞いている。しまぱん勇者とその仲間、だそうだな。目的を伺おう」

 奥の椅子に座った女性が口を開いた。長い金髪を後ろにまとめ、着ているのは質素な装飾の白いドレス。瞳は紺に近い、とても濃い青。彼女がパロニス王国の女王、リグレイス・フィー・カルネ三十一世だ。

 年齢は二十代半ばといったところだが、特別に若い女王というわけではない。パロニス王国の王女は、ぱんつの力を持ち、前線で指揮を取ることもある。だから、三十歳にもなれば王位を娘に譲るのが普通だ。

 リシャたちはここへ来た目的、ピスキィのことなど、必要と思われる情報をすべて話した。女王はまぶたを閉じてじっと話を聞いていた。そして、数秒考えてから口を開く。

「残念だが、ふりるぱんつの力を引き出せる者はこの国にはいない。見落としが一切ない、とは言い切れんが、可能性は限りなく低いだろうな」

 リシャたちが気を落とす暇も与えず、女王は続ける。

「それから、ピスキィのことだが、そのようなものが現れたという報告は入っていない。とはいえ、こちらへ来ているというのは間違いないだろう。パロニス王国の南にある、アルニス平原は知っているか?」

「魔物が多い平原、でしたね? 軽く入った程度ですが、何度か訪れたことはあります」

 チェミュナリアが答える。リシャとルーフェは名前と僅かな知識しかなかったので、何も言わずに会話を聞いていた。

「そうだ。そこの魔物たちの動きが活発化しているようだ、という情報が南門の騎士から伝わったのが、つい先ほどだ。騎士の姿を多く見かけただろうが、その理由はこれだ」

 そこまで明朗に喋っていた女王が一瞬口ごもる。何かを考えているようだった。

「それで、だ。君たちさえよければ、南門へ行ってもらいたい。情報によると、数がかなり多いらしく、攻め込まれたら危ないんだ。とはいえ、他にもやるべきことがあるだろうから、こちら側からも交換条件を提示しよう。国内にふりるぱんつの力を引き出せる者がいないか、手の空いた騎士――訓練中の騎士が主だが、彼女たちに探させよう。それから、国外の捜索を手助けするため、国一番の早馬を用意する」

 リシャたちは顔を見合わせる。交換条件は魅力的ではあったが、あまりに唐突過ぎた。それに構わず、女王はさらに続ける。

「だが、その早馬は一匹しかいない。国一番、だからな。強制する気はないが、なるべく返答は急いで欲しい。理由は言うまでもないな? 私は早馬の手配と、騎士たちへの指示を出してくる。その間に考えていて欲しい」

 言うが早いか、女王は席を立ち上がり、謁見の間の奥の扉から出て行こうする。扉を閉じる直前、女王は一言付け加えた。

「ああ、そうだ。馬に乗れないというのなら、手配をするが?」

「それなら、問題ありません」

「そうか。ではまた」

 扉が完全に閉じた。謁見の間には、一瞬の沈黙が訪れる。

「どうしよっか?」

「答えは決まっているのでしょう? 私も同じ答えだと思います」

「強制はしない、とは言いましたが、断れるものでもありませんからね」

 リシャの問いかけに、チェミュナリアとルーフェが答える。南門を騎士たちに任せ、自分たちはふりるぱんつの力を引き出せる者を探す、という手もあるにはある。しかし、それを実行したら、パロニス王国が危険に晒されることになる。

 仮に、ピスキィを止めることができたとしても、そのために国が被害を受けてしまっては、世界の危機を救えたとはとても言えないだろう。無論、そうしなくてはならない状況もあるかもしれないが、今はそういう状況ではない。

 パロニス王国を守った場合、ピスキィとの戦闘前に消耗する、というリスクはある。だが、アルニス平原に魔物がいるなら、その先にピスキィがいる可能性は高い。どの道、避けることが難しい戦いなら、騎士たちと協力した方が消耗を少しでも減らせるだろう。

「でも、チェミュナリアはいいの?」

 三人の結論は同じ。だが、リシャはチェミュナリアを心配して見ていた。使役する、と表現しているが、チェミュナリアにとって魔物は大事な仲間である。ここで南門へ行き、協力するということは、魔物と戦うということになる。

「心配は無用です。いずれピスキィと戦うことにもなるのです。ここで躊躇うようでは、目的は何も達成できません」

 チェミュナリアははっきりとそう言った。リシャを安心させるための強がりではない。ピスキィが暴走したら、いずれ魔物とも戦うことになる。精霊国ピスキィに生まれた姫として、幼い頃よりその覚悟はできていた。

 リシャは「そっか」と小さく答えて、頷いた。それから少しして、書状を携えた女王が再び謁見の間に現れた。リシャたちは南門へ向かうことにした、という旨を女王に伝える。協力するかどうかは状況次第としておいた。が、その表情や雰囲気から、必要があれば戦うつもりであるというのは女王にしっかり伝わっていただろう。その証拠に、女王はこう言った。

「そうか。感謝する」

 その言葉にリシャたちは一斉に頷き、王城を後にした。王城前の広場には、馬車が一台用意されていて、その側には一匹の馬が。側にいた騎士が、その馬が早馬だと告げる。

 リシャとチェミュナリアは馬車に乗り込み、ルーフェは早馬の鞍に腰かけた。馬車が出て、ルーフェは十分ほど待ってから出発する。追いつくまでには五分とかからなかった。馬車との比較であるとはいえ、早馬であるというのは間違いなさそうだった。

 いくつかの集落を抜け、リシャたちは南門へ到達した。南門は慌ただしい様子もなく、静かではあったが、騎士の数は東門で見た数よりもさらに多かった。

 それぞれ、馬車と馬から降りたリシャたちの前に、出迎えの騎士が現れる。連絡が来ていなくとも、王家の馬車と、有名な早馬に乗ってきたことから、ただの旅人ではない、と騎士が判断するのは自然なことだ。

 リシャたちは簡単に自分たちのこと、ここへ来た目的を説明する。騎士は驚いていたようだが、すぐに落ち着きを取り戻し、三人を東門を指揮する騎士隊長ルマのところへ案内した。

 茶色の瞳に、同色の髪を肩にかけた、おっとりとした雰囲気の騎士隊長は、話を聞いても驚きはしなかった。こういうことには慣れている様子だ。

「これで勝機も見えてきましたね。ただ、門を守るのは我らの役目です。あなた方には、いざというときまで待機してもらうことになるでしょう。しばらくは退屈ですが、そうですね……おそらく、あなたならよくわかっているでしょう」

 三人をざっと眺めた後、騎士装束を着たルーフェに目を留めて騎士隊長は言った。ルーフェは静かに頷く。確かに、リシャ、ルーフェ、チェミュナリアの力は強い。だが、騎士も騎士でそれなりの訓練を積んでいる。

 ルーフェ自身はくだものぱんつの力を完全に引き出せるため、直接訓練に参加した経験は少ない。だが、模擬演習などで他の騎士と戦闘したことはあった。ぱんつの力を引き出せるものの、完全には引き出せない騎士たち。彼らの戦い方は、集団での戦いに特化している。

 統率のとれた動きで、強力な魔物や、大群を相手に戦えるよう訓練しているのだ。そのやり方も様々で、パロニス王国の戦法は、ルーフェの知っているそれとは違う可能性は高いが、基本的なことは変わらないだろう。

 だから、その統率された騎士隊の動きに、力の強すぎるものが加わってもあまり効果的ではない。無論、ある程度の訓練をすれば話は別だが、そんな時間はなかった。

「他の方はどうですか?」

 騎士隊長はリシャとチェミュナリアに聞く。ルーフェや自分の口から説明することもできるが、そうしなかったのは二人の力量を計るためだろう。

「騎士のことはわかりません。ですが、集団戦闘の知識なら持ち合わせています」

 魔物のことは口にせず、チェミュナリアは堂々とそう答えた。もし聞かれたら答える準備はしておいたが、騎士隊長は「そうですか」と納得すると、リシャに視線を向けた。

「そんな知識はない……あれ、ある、のかな? ちょっと待って下さい」

 リシャは目を瞑って何かを思い出そうとする。知識として覚えているなら、今までのようにすぐに出てくるはずだ。知らないならすぐに出てこないだけ。しかし今回は、出ないけれどなんとなく知っているような、そんな気がした。

「んー……気のせいだったかな?」

 しかし、いくら思い出そうとしてもそれ以上のことは出てこなかった。失くした記憶の手がかりでも見つかるかったかと思ったが、そうではないらしい。

「リシャには私から説明します。待機場所は、門の上でよろしいでしょうか?」

「ええ、あなた方ならそこでも問題ないでしょう」

 他の騎士や旅人なら、そんなところにいても見ることしかできないが、ぱんつの力を完全に引き出せる者なら、そこから飛び降りていつでも参戦することが可能だ。

「では、私たちはこれで。必要ならば呼んで下さい」

 ルーフェはリシャの手を引いて部屋から出る。何か急いでいる様子のルーフェを、リシャは不思議そうに見ていたが何も聞かなかった。答えが返ってくるかどうかは別としても、人前で答える気はないのだろう。チェミュナリアも二人の後についていく。三人は門の中の階段を登り、屋上へ出た。

 屋上には見張りの騎士が二人いるだけで、他には誰もいなかった。その騎士から離れたところで、ルーフェはリシャに騎士たちの戦法を説明をする。リシャはすぐに納得した。

 それからしばらく、ルーフェはリシャから目を逸らして黙っていた。リシャはルーフェを見ていたが、何を言っていいのかわからない様子だ。そんな二人の様子に痺れを切らしたチェミュナリアが、騎士たちに聞こえないような小声で言った。

「二人とも、黙っていては何も話は進みませんよ。聞くべきこと、話すべきことがあるならさっさと済ませなさい。平原を見なさい。すぐにでも戦闘が開始される可能性もあるのですよ」

 アルニス平原には、遠くからでもはっきりとわかるほど多くの魔物が集結していた。すぐに門へ向かってくる様子はないが、別の場所へ移動するような様子もない。

「わかっています。ですが、私もどう答えて良いのかわからないのです」

「私だって、何を聞けばいいのかもわからないんだよ。どうしようもないね」

 その言葉は、リシャにとっては記憶喪失だから仕方ないという意味だが、ルーフェにとっては予測していなかった事態であることを示していた。その事態がどれほどの意味を持つのかはまだわからない。ただの偶然かもしれないし、重要な意味を持つのかもしれない。その判断がつかないからこそ、ルーフェは何も言えなかった。

「ならば、今は忘れなさい。まだそのときではない、そういうことなのでしょう」

 チェミュナリアの言葉はやや高圧的だが、声音は優しい。リシャは「そうだね」と微笑んで返したが、ルーフェはまだリシャの方を見ようとはしなかった。

 しかし、大きく息を吐いたかと思うと、ルーフェはいつもの調子に戻っていた。気がかりな事もあるが、今までのようにまたリシャに気を遣わせたくはない。だから表面上だけでも、しっかりとしたいつものルーフェでいようとしていた。

 それが表面上のものだけである、というのは薄々二人にも伝わっていたが、それについては何も言わない。今は言ってもどうにもならない。先ほどチェミュナリアが言ったように、まだそのときではないのだろう。

 風が吹いた。南から北へ抜けるそよ風。リシャたちは南に目を向ける。

「騎士隊長に連絡を」

「了解!」

 見張りをしていた騎士の一人が駆けていく。もう一人は、じっと南を見ていた。アルニス平原に集まっていた魔物の一部が、南門へ向かって移動し始めたのだ。

「始まるようですね」

「ええ。あの程度ならまだ問題はないでしょうが……」

 チェミュナリアとルーフェは魔物の動向を把握するため、門の端へ近づく。リシャは連絡が来たらすぐにわかるように、階段の側で待機していた。

 動いた魔物の数は、十数体といったところだ。陸上型、飛行型と色々な種類の魔物がいたが、すべて小型の魔物で訓練された騎士なら複数を相手にしても負けることはないだろう。それに、騎士の人数は五十名ほど。数でも強さでも、こちらが優位だ。

 しかし、アルニス平原にいる魔物の数は、少なく見積もっても千体近くいる。中には大型の強い魔物も複数いて、あれらが同時に攻めてきたらここの騎士たちでは抑えきれないだろう。

 再び風が吹いた。先程よりも強い風だ。それに合わせたかのように、門から離れたところで騎士と魔物の戦闘が始まる。リシャたちのように一瞬で倒すことはできないが、騎士たちは着実に魔物の数を減らしていく。

 だが、魔物にひるむ様子はない。大群の一部、今度は中型の魔物が騎士たちへ向かってきたのだ。それに合わせて、他の魔物たちもゆっくりと門に近づいてくる。だが、一気に接近はしない。門の中から放たれる矢を警戒してのことだ。

「……来ますね」

「リシャ、チェミュナリア。私は武器庫へ向かいます。あの大群、これでは不利です」

 ルーフェは槍を示して、武器庫へと駆けていった。少しして戻ってきたルーフェの片手には、弓が握られていた。もう片方の手には、百本以上の矢が入れられた大きな矢立てが。

「使えるのですか?」

「一通りの武器は使えるように訓練しましたから」

 言いながら、ルーフェは長いスカートをめくり、真ん中一個のれもんぱんつを脱いでいく。ぱんつ入れから取り出したのは、ぱんついっぱいに小さなれもんが複数描かれたれもんぱんつだった。それをはいている途中、騎士からの連絡が来る。

 スカートで多くが隠れているとはいえ、下に何もはいていない姿を見られたルーフェは一瞬硬直するが、ずっとそうしているともっと恥ずかしいので素早くれもんぱんつをはいた。

 突風が吹いたのを合図に、魔物の大群が一気に南門へ向かって移動し始めた。リシャとチェミュナリアは門の上から飛び降り、それぞれの得物を構える。

 ルーフェは一人、門の上に残って弓に矢を番える。大きく息を吸って、ルーフェは魔物の大群へ向けて矢を放つ。素早くもう一本、矢を番え、放つ。また番え、放つ。動作だけを見ると普通だが、その速度は普通ではなかった。

 十秒と経たずに、百本以上あった矢は全てなくなり、魔物たちへ向かって放たれていた。常人ではおよそ不可能な力――ぱんついっぱい複数れもんぱんつの力である。くだものがたくさん描かれたくだものぱんつは、複数の敵を相手にするのに特化していた。

 もちろん、その代償として単体へ与える威力は低くなるが、それでも元々攻撃力の高いくだものぱんつ。弱い魔物を倒すのには充分だ。ルーフェの放った百本以上の矢は、小型の魔物を三百体近くも倒していた。

 ルーフェはぱんつを真ん中に二個れもんが並んだくだものぱんつにはきかえ、隣においてあった武器を手にする。連絡に来た騎士に、持ってくるよう頼んでいたものだ。手にした武器は片刃の双剣。

 複数の敵を相手にしつつ、単体への攻撃力もある程度維持できる装備だ。ルーフェはリシャたちに遅れて、門の下へと飛び降りる。

 魔物の群れは大型の魔物と中型の魔物がほとんどで、小型の魔物は騎士たちや、ルーフェの矢で多くが倒されていた。しかし、数は減っても楽になったとは言えない。

 中型の魔物なら騎士が数人で挑めば何とかなる。大型の魔物は強さにもよるが、十人前後は必要だろう。だが、騎士の数五十人に対し、大型の魔物は百体近くいた。その上、中型の魔物も二百体以上いる。

 チェミュナリアは中型の魔物と戦う騎士たちのサポートに回る。しろぱんつの絶対的な防御で攻撃を防ぎつつ、赤りぼん装飾の力で魔物の爪や牙を砕き攻撃力を低下させていく。騎士の攻撃力は変わらないので倒すのに時間はかかるが、大きなダメージを受ける危険は限り無く低くなるだろう。

 もっとも、体当たりや頭突きなどの攻撃を主とする魔物もいるため、それだけでは圧倒的な有利とはならなかった。

 ルーフェは大型の魔物の大群に単騎で突入する。一撃で倒すことはできないが、標的となって進行を遅らせることは充分に可能だ。一撃離脱を繰り返して注意を引きつけ、注意が逸れた頃にまた一撃を加える。とはいえ、百体近くもいる大型魔物を全てひきつけるのは、さすがに不可能だ。

 ルーフェに注意を引かれず、門へと向かう大型の魔物の前にはリシャが立ち塞がる。こちらは引きつけるのが目的ではないので、倒すことに専念する。中には固い魔物もいるが、それらは数撃を加えるだけに留める。ある程度ダメージを与えておけば、中型の魔物と同程度の強さまで弱められるため、あとは騎士やチェミュナリアに任せればいい。

 厄介なのは飛行型の魔物だった。門の中から矢を放ってはいるが、大型の魔物はびくともしない。ルーフェやリシャにとっても、陸上型の大型魔物に時間をとられ、十分な対応はできなかった。

 だが、対策がないわけではない。その短時間で、チェミュナリアは中型の魔物の武器をほとんど破壊し尽くしていた。一旦、チェミュナリアは門の上まで後退して、戦線を離脱する。そしてスカートの中に手を入れて、赤りぼん装飾つきしろぱんつを脱ぐと、置いていた荷物からしろぱんつを取り出した。

 純潔を守りし鉄壁の守護を誇る純白のぱんつ。その防御の力を最大限に発揮できる、装飾が一切ついていない無地のしろぱんつだ。それにはきかえたチェミュナリアは、門からふわりと飛び降りつつ、空中の魔物たちへ向けて、杖を大きく一振りする。

 空から迫っていた魔物たちは、何かの壁に阻まれたかのように進行速度を緩めた。無地のしろぱんつが持つ力に、そのような壁を作る力はない。放たれたのは、チェミュナリアが魔物を使役するときに使う力だ。

 無論、その力だけで魔物を使役できるわけではない。魔物との信頼関係も必要だし、他にもいくつかの要素が絡んでくる。だが、戦意を奪い、動きを緩める程度なら、初めての魔物に対しても何とかなる。

 とはいえ、普通ならそれが成功するのは弱い魔物だけ。それも一体や二体だ。複数の大型魔物に対して効果があったのは、攻撃性能が最低限しかない無地のしろぱんつの力があってこそである。一応、他のしろぱんつでも,何もはかないで使うよりは効果が高いが、ここまでの効果を出すことはできない。

 飛行型魔物が動きを緩めたことにより、門の防衛は時間の問題だった。地上の大型魔物をルーフェ一人で引きつけられる程度に減らしたあと、飛行型魔物をリシャが倒していく。再び戦意を見せて襲いかかりそうになったら、チェミュナリアがまた杖を振ればいい。

「これが、伝説の勇者とその仲間の力……」

 前線で指揮をしながら、中型の魔物と戦っていた騎士隊長は呟いた。

「みなさん! 時間はかかりますが、この調子なら勝利は目前です! 油断せず、着実に敵を倒しなさい!」

 騎士たちが掛け声をあげる。士気も高まり、油断さえしなければ、言葉通り負けることはないだろう。しかし、まだ戦闘は終わらなかった。

 それを最初に見つけたのは、最前線で戦っていたルーフェだった。やや遅れて、門の上で警戒をしていた騎士もそれに気付く。

「隊長! 東と西に、魔物の一団! こちらへ向かってきます!」

 戦闘中で声を出す余裕のないルーフェに変わって、見張りの騎士が声をあげる。東と西の魔物の数は多くはないが、少なくもない。西から来るのは中型の魔物が百体ほど。東からは小型の魔物が二百体ほどだ。飛行型や大型の魔物の姿が少ないのは幸いだが、別の問題があった。

「魔物が向かったと聞いてはいたが、亜種か。厄介だな」

 馬上でそう言ったのは、パロニス王国の女王だった。つい先ほど、西から到着していた女王は、十人程度の近衛騎士を引きつれていた。

「ルマ、西の魔物は任せろ」

「了解しました。女王様」

「堅苦しいのは嫌いだと、何度も言っているだろう」

「では、フィー。南西の門はどうしたのです? あなたはそちらへ向かうと部下から聞いていましたが?」

 騎士隊長は女王に対して、女王と騎士ではなくただの幼馴染みとして接する。女王は疑問に簡潔に答えた。

「向かう途中、魔物たちの一部を逃したので、追ってほしいと南西門から早馬が来た。あれを倒すのは私たちの役目だ。東はいけそうか?」

 騎士隊長は把握している戦況から、すぐに結論を出す。

「普段なら難しい、と答えます。しかし、今は彼女たちのおかげで士気が高まり、その上、あなたも来られました。今のままなら問題ありません」

「そうか。ならいい」

 言って、女王は近衛騎士に指示を出し、西から向かってくる魔物たちへ突撃していった。女王直属の近衛騎士と、騎士隊長と同じく、パロニス王国において最も強い力を持つ女王。人数は少ないが、亜種を相手にしても魔物に遅れを取ることはないだろう。

 東から来る魔物の対応は、リシャとルーフェの二人が向かっていた。チェミュナリアは少し離れたところで、二人が逃した魔物の接近を防ぐ。残る中型・大型の魔物は騎士たちだけで戦うことになるが、ルーフェやリシャ、矢などにより与えたダメージで、だいぶ弱っていた。時間はかかるだろうが、抑えきれないほどではない。

「リシャは空の魔物を。地上は私が」

「うん。なるべく早く倒すね!」

 飛行型魔物は十体ほど。数こそ少ないが、中型の亜種ということもあり簡単には倒せない。リシャはソードレイピアを構え、飛行型魔物に斬りかかる。

 それに合わせるかのように、陸上型の魔物の群れにルーフェが向かう。亜種とはいっても、中型だ。例外もなくはないが、先ほどまで相手していた大型の魔物よりは弱い。一撃で倒せないのは同じだが、引きつけるだけでなく、少しずつ撃破していけるだろう。

 リシャの一撃が低空を飛行する飛行型魔物に直撃する。倒せはしないが、その一撃で弱って勢いは止まるはずだった。しかし、リシャの剣はその魔物の勢いに弾かれていた。

 予想外の硬さに、咄嗟に左へ身をかわすリシャ。突進の速度を考えると、余裕でよけられるはずだったが、そうはならなかった。リシャのかわす速度が、本人が思っていたよりも遥かに遅かったのが原因だ。

 直撃は避けられたものの、魔物のくちばしはリシャの肩をかすめる。かすめた肩からは、血が出ていた。

「血……?」

 リシャは不思議そうにその血を眺める。そしてすぐに辿り着いた結論は、ぱんつの力が尽きたということだ。だが、その考えはすぐに否定される。リシャと同じように戦い続けているルーフェやチェミュナリアには、そんな兆しさえも見えないし、こんな短時間で力がなくなるほど激しい力の使い方はしていない。

 もうひとつの可能性は、ピスキィの一撃を受けたときの消耗が想像以上に激しく、ぱんつの力が回復しきっていなかった、という可能性だ。だが、完全に使い切ったとしても、一晩休めば普通は回復する。

「リシャ! 上です!」

 ルーフェの叫びにふと上を見上げる。数体の飛行型魔物がリシャを狙って急降下していた。後ろには、先ほど抜けていった魔物が再び向かってくる気配を感じる。リシャはソードレイピアを構え、迎え撃とうとする。

「……ううん、これじゃだめだ」

 しかし、すぐに考えを改める。先程のことを考えると、防ぎきれない可能性が高い。リシャは構えたまま、狙われている位置から横に飛びのく。速度は遅くとも、この距離ならなんとか避けられるだろう。

 直線的な急降下攻撃をかわしたリシャを、残りの飛行型魔物が高度を下げて囲む。空中戦ではなく、地上での戦いとなればリシャも戦いやすいが、魔物も勝ち目がないと思ったら、わざわざそんなことはしない。

「リシャ!」

 ルーフェはリシャを助けに行こうとするが、少し減らしたとはいえ中型の魔物はまだ八十体はいた。包囲を抜けることは難しくはないが、魔物たちはルーフェを通さないように守りを固めていた。ただでさえ少し時間がかかるのに、これでは到底間に合わない。

 チェミュナリアもリシャの様子に気付いて駆け出していたが、まだ距離が離れていた。ルーフェよりは早く到達できるとしても、魔物が攻撃する方が早いだろう。

 リシャは打開策を考えるが、どんな策でも結論はひとつ。どうやっても攻撃を防げない、というものだった。高度を下げた魔物が順にリシャに突撃する。これが一斉突撃なら、ジャンプすればいいが、そう上手くはいかない。

 最初に向かってきた魔物を、ソードレイピアでいなす。力が出せないなら、相手の力を利用すればいい。その勢いを利用して、次に向かってくる魔物を斬りつけ、ひるませる。

「ここまで、かな」

 しかし、それ以上の反撃は叶わない、左後方と右前方。二方向から魔物が向かって来ていた。これが同じ方向なら、後ろに飛びのいてダメージを減らすこともできるが、別方向からではどうしようもない。

 ジャンプすれば避けられなくはない。だが、避けた直後に残りの魔物の一斉攻撃を受けるのは必至。それをさらにかわすことは、今のリシャには不可能だろう。

 それでも、リシャは右前方からの攻撃をソードレイピアで受け止める。だが、その勢いを止めることはできない。その間に、左後方から来た魔物の攻撃が、リシャの身体を直撃する。

 ソードレイピアで攻撃を受け止め、後退していたのが幸いして、当たったのはくちばしではなく翼。致命傷にはならないが、その一撃により、ソードレイピアを持つ力も弱まる。その弱った隙をついて、右前方の魔物がソードレイピアを弾く。

 辛うじて武器を落とすのは避けられたが、武器を持った腕は高く上がる。後ろからの攻撃により、体勢も崩れている。防ぐこともできず、かわすこともできない。リシャは魔物たちに無防備な姿を晒すことになった。

 当然、魔物たちはその隙を逃さない。一斉にリシャへ向かって、鋭いくちばしを武器に突撃する。リシャはそれを黙って見ていることしかできなかった。だが、その瞳は絶望に染まってはいない。元々、リシャは全ての攻撃を防ぐつもりはなかった。必要なのは、少しの間だけでも、致命傷を受けずにすることだけ。

「そこまでです!」

 声とともに、杖が振られる。魔物たちの戦意は奪われ、リシャへの攻撃が止んだ。

 体勢を立て直したリシャの隣まで、チェミュナリアが駆けてくる。リシャは感謝の言葉を口にする。

「ありがとう。ここは任せるね」

「それがよろしいでしょう。何が原因かはわかりませんが、今のあなたは足手まといです。ですが、何もできないわけではない。やるべきことは当然、わかっていますね?」

 リシャは頷いて、南門へと駆けていく。今のリシャにできる行動は二つ。ひとつは危険だが積極的なもの。もうひとつは、安全だが消極的なものだ。

 リシャが選んだのは前者だった。目的は、南門に止めてある早馬。それに乗り、西へ向かいふりるぱんつの力を完全に引き出せるものを探す。また、可能ならしましまぱんつの力が引き出せなくなった原因を探り、解決する。

 追いかけようとする魔物はチェミュナリアが食い止める。やっと到着したルーフェは、戦意を失っている飛行型魔物を一体ずつ倒していく。

「リシャ! 単独行動は危険です! 待機していて下さい!」

 話し声を聞いてリシャがやろうとしていることを理解したルーフェは、リシャに安全なもうひとつの行動を選ぶよう促し、彼女を止めようとする。リシャは返事をせず、代わりにチェミュナリアが返事をした。

「ルーフェ。リシャを大事にしているのはわかります。ですが、この状況ではあれが最善。あなたなら今の状況がわからないはずはありません。魔物がまた増え戦闘が長引く程度ならまだしも、万が一ピスキィが現れたら、このままではどうしようもありません」

「それは――しかし、今のリシャは!」

「どうなっているか、説明できるのですか?」

 チェミュナリアは鋭い視線をルーフェに向ける。ルーフェは首を横に振った。

「でも、今のリシャが戦えないことは確かです。もし魔物に出くわしたら、今のリシャには戦えません」

「でしょうね。ですが、危険とわかってそれを選んだのはリシャです。あなたにそれを止める権利はあるのですか?」

「リシャを守るのは私の義務です」

 しかし、行動を束縛する権利はない。それは口にしなかったが、沈黙したことが答えとなった。ルーフェは再びリシャに向かって声をかける。リシャはちょうど南門に到達したところだった。普段のリシャなら既に出発していてもおかしくないが、まだあの場所にいることがしまぱんの力を引き出せなくなったことの証明だった。

「リシャ! くれぐれも無理はしないで下さい! 魔物と出会っても一切戦わないこと、いいですね!」

「うん! わかってるよ、ルーフェ!」

 振り返らず、リシャはルーフェに返事をする。その顔には笑顔が浮かんでいた。ルーフェなら行かせてくれると信じてはいたが、最初に止められたときはやや落ち込みかけた。その反動もあってか、この緊迫した状況ではやや不謹慎かなと思いつつも、リシャは嬉しさを隠せなかった。

 リシャは止めていた早馬を放して乗ろうとする。そのとき、馬の乗り方を知らないことに気付く。どうしようかと考えていたリシャに、後方からルーフェの声が届く。先程よりも距離が離れていて声は小さくなっていたが、内容はちゃんと聞きとれた。

「乗って下さい! 身体が覚えているはずです!」

 リシャは遠くからでもはっきりとわかるように、大きく頷いて早馬に乗った。ルーフェの言葉通り、知識はなかったがなんとなく操れるような気がした。

 リシャは鞭を振り、早馬を駆けさせる。ルーフェとチェミュナリアはそれをほんの少しだけ眺めた後、周囲の魔物へ目を向けた。

「さて、私たちもやるべきことをやりましょうか」

「ええ。リシャが戻るまで、負けるわけには参りません」

 チェミュナリアとルーフェは同時に駆け出した。リシャが抜けた以上、先ほどまでと同じ戦法は通用しない。チェミュナリアが前線で魔物を食い止め、ルーフェが防ぎきれなかった魔物を各個撃破していく。

 もしさらなる増援が突然現れ、門を守る騎士たちが危険になった場合、救援が遅れるリスクはある。だが、ここの魔物を倒しきれずに救援に行っても、猛攻を凌ぎきれない可能性が高いため、今はこうするしかなかった。

 再び風が吹いた。南からの風。チェミュナリアは戦いの最中、平原の南を見やる。そこに姿は見えないが、その先にピスキィがいるとチェミュナリアは確信していた。


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