しましまくだものしろふりる

第一章 大陸北部精霊記


「馬車が出ない?」

 ラーグリアでの情報収集を終え、最後に明日の移動手段を確認しようと聞きにいったルーフェに返ってきた答えは、パロニス王国には徒歩で行くしかない、という答えだった。今の発言は、それを聞いたリシャのものである。

「正確には、ピスリカル森林を抜ける馬車が出ない、となります。ただ、カルネ橋を抜けるとなると、徒歩で森林を抜けるのと変わりません」

 ちなみに、ラーグリアではぱんつの力を完全に引き出せる者に関する情報は、何一つ得られなかった。そのため、次の目的地であるパロニス王国への移動手段を探していたのである。

「やっぱり、魔物が出るから?」

「はい。でも、なんで知っているのですか?」

 ルーフェが聞いた情報は、ピスリカル森林には魔物がたくさん出るから、危なくて馬車が出ないというものだった。それに、情報収集は二人一緒に行っていたため、どちらかしか知らないということはないはずだ。

「あ、うん。街を歩いているときに、街の人の会話が聞こえてきたんだ。森林が通れないとか、魔物が怖い、とか。なんとなく気になったから覚えてたんだけど」

「なるほど、油断していましたね」

 ルーフェは目的の情報の手がかりだけを求めていたため、それ以外の情報は意図せずして遮断していた。元々、騎士という役柄から、戦ったり守ったりするのが本来で、聞き込みに慣れていないというのもあるが、そのような情報を気に留めもしなかったのは問題だ。

「失礼しました、私がもっとしっかりしていれば……」

「むー、なんかやだな、そういうの」

 自らの不甲斐なさに恥じるルーフェに、リシャは不満をあらわにする。

「そりゃ、私は記憶喪失だけどさ、なんか役に立たないって思われてるみたいで。真面目なルーフェのことだから、悪気がないのはわかるんだけどさー」

「そうですね、失礼しました」

 フィーレット村と同じ失敗をしたことに気付き、ルーフェは落ち込んだ声で謝る。ちょっと愚痴を言っただけのつもりだったリシャにとっては、想像以上の反応だったため言いすぎたかなと反省する。

 とはいえ、それを口にしたらまた、心配させて申し訳ありません、などと言われかねないので、リシャは黙ってルーフェの復活を待つことにした。

「さて、それではこれからのことですが」

 程なくして、ルーフェはいつもの態度に戻る。ルーフェは落ち込んだり照れたりしたときの反応は大きいものの、元に戻るのも結構早い、ということをこれまでの短い旅でリシャは理解していた。

 もちろん、それ以外の要因もあるのかもしれない、とリシャはこれがきっかけで記憶が戻らないかなと期待するが、そんな気配は一切なかった。

「魔物について情報を集めて、ピスリカル森林を探索、だね!」

「……リシャ?」

 ルーフェにとっては、魔物との戦闘を覚悟して森林を抜けるか、無駄な体力消耗を抑えて馬車でカルネ橋を抜けるか、という移動手段について聞いたつもりだったので、リシャの回答を理解するのにやや時間がかかってしまう。

「だめかな?」

 ルーフェは、だめです、と言いそうになるが、そこで先ほどの出来事を思い出す。一見、目的に関係ないからといって、遮断するのはよくない。それに、この人や物の多いラーグリアでさえも全く手がかりが見つからないことを考えると、何か別の事象に隠れているという可能性も考えられる。

 もっとも、リシャはそういうことを考えているわけではなく、ただ困っている人がいるから助けたいとか、何となく森林が見てみたいとか、そういう気持ちで言っている、というのはルーフェにもわかっていた。

 とはいえ、ルーフェも急ぎの旅だから抑えているだけで、リシャと同じような気持ちを抱いているのも事実。もちろん、全く同じというわけではなく、好奇心よりも困っている人を助けたい、という気持ちの方が強いものの、細かいことは今はどうでもいい。

「わかりました。でも、いいのですか? ゆっくり休憩する時間は削られますが……」

「休憩してる間に世界がどうにかなっちゃっても困るしね。今はそっちを何とかするためにいっぱいがんばって、全部終わったらゆっくり休むことにするよ」

「……そうですね。でも、今日は宿で休みますよ」

「休むの?」

 驚くリシャの反応はルーフェの予想通りだった。なので、間髪入れずに言葉を続ける。

「はい。情報を得られたとしても、ピスリカル森林は私たちにとっては未知の場所。夜に向かうのは危険が伴います。今回は私もいますからある程度は大丈夫ですが、あまり無茶なことはなさらないでください」

 ルーフェはフィーレット村でのリシャの戦い方を聞いて、今回も同じようなことをするのではないかと心配していた。それで念を押しておいたのだが、予想通り今回もちょっと無茶をするつもりだったようだ。

「無論、切羽詰まった状況なら話は別ですが、馬車が出ないのはしばらく前から続いているそうですし、そこまで急ぐ必要はないと思われます」

「んー、そうだね。わかった。今日は休むよ」

 リシャにとっては、早く片付けた方が安心というだけでなく、夜の森林がどうなっているのかという好奇心もあったので、少しばかり落胆していた。しかし、いくらしまぱん勇者といえど、不死身ではないし、無敵の力を持っているわけでもないことは理解している。だから今回は素直にルーフェの言葉に従っておくことにした。

 それから、リシャとルーフェは昼食を済ませると、まずは食堂にいる人から魔物についての情報を集めることにした。広い食堂なので人も多く、客の入れ替わりもあるのでちょっとした情報収集には充分すぎる場所だ。

 聞き込みをした結果、得られた情報は多くはなかったが、場所が悪いわけではなく情報が揃っていないのが大きいと二人は感じていた。というのも、情報の殆どが曖昧なものだったからである。

 魔物が現れるようになったのは一週間ほど前、というのは共通していたが、目撃した魔物の種類も様々で、魔物の行動にしてもただ飛び回っているだけとか、森を抜けようとしたら激しく抵抗されたとか、迷ったら戦いになり気がついたら外だったとか、攻撃的だったりそうでなかったりとバラバラだった。

 だからこそ、馬車が出ないのだろう。考えるまでもなく二人はそれを理解していた。仮に、魔物が襲って来ないとわかっていれば無視すればいいのだし、襲ってくるとわかっていれば防衛さえすればいい。それがはっきりしていないからこそ、うかつに馬車を出すことができないのだ。

「もう少し情報を集めた方が良さそうですね」

 そう言ってルーフェはラーグリアの市街に出る。点在する石や木でできた統一感のない家々に、街道いっぱいに広がる露店。商人が集まり自然と街になった、というだけあって主役は当然後者だ。

 リシャとルーフェは再び情報収集を始める。魔物がいつから出現していたのか、というのは既にわかっているので、聞き込むのは種類と行動が中心だ。

 そうして一時間ほど聞き込みをした頃、二人は街の中央にある噴水広場で情報を整理することにした。昼下がりということもあり、普通の街なら憩いの広場として人が集まるものだが、商人の街というだけあって人の数はまばらだった。休んでいるのはこの街に住んでいる、非商人や商人の家族くらいなもので、商人の姿はない。

 理由は当然、外へ出るにしても、戻ってきたにしても、他の商人と交渉するにしても、今が一番忙しい時間だからである。事実、広場から繋がる通りでは、多くの商人が忙しなく動いていた。

 噴水の脇に設置されたベンチに腰掛け、先に口を開いたのはリシャだった。

「なんか色々あって混乱するね」

「そうですね。商人である故に嘘が混じっていることはないでしょうが、真実だけでなく、誇張や推測が入っている可能性はありますし」

「難しいね。とりあえずさ、全部真実だ、と仮定してまとめてみない?」

 ルーフェは一瞬答えに詰まるが、すぐに意図を理解して頷く。

「情報量が少ないならともかく、これだけ揃っているなら、まとめれば自然と矛盾や共通点も見えてくる……そういうわけですね」

「そう、なのかな?」

 今度はリシャがきょとんとする。本人はただの思いつき、面倒だから単純に考えようとしただけだったので、そこまで深くは考えていなかった。だが、ルーフェがそう言うのならそうなだろうと、リシャは疑問を抱きながらも納得した。

「時期は一週間ほど前、というのは間違いないようですね。多少のずれは、出会ったか出会わないかの違いでしょう」

「そうだね。魔物と出会わずに無事に出られた、という話もあるくらいだし」

「はい。他にも魔物の行動は色々ありますが、まずは魔物の種類からまとめましょう」

 リシャは無言で頷く。種類と行動、どちらも謎が残るものであるが、前者の方が単純で、後者の方が複雑である、というのは説明されるまでもなくわかることだ。ならば、まずは単純な方から片付けていくのが基本だろう。

「魔物の種類は大きく分けて、飛行型、陸上型、水棲型がありますが、その全てが目撃されています。もっとも、水棲型の目撃例は数少ないですが、ピスリカル森林の環境を考えると自然なことです。水辺は川や滝があるくらいですからね」

「大きさは小型から中型、大型まで揃っているみたいだけど、これの比率も別におかしくはないよね」

 小さいものが多く、大きいものが少ない。それは他の地域にも当てはまるものだ。魔物には動物と違い食物連鎖、というものはないが、その分布は動物を模しているようだった。

「ピスリカル森林に何らかの環境変化があった、という可能性は低そうですね」

「うん。でも、昔はそんなに魔物はいなかったんだよね?」

「ええ。単純な大量発生、という線もありますが、それにしては……」

「行動がバラバラな理由が説明できない、ね」

 こくり、とルーフェは頷く。そして、そのリシャの言葉をきっかけに、まとめる内容は魔物の種類から、行動へと移行する。

「まずは大きく分けようか」

「そうしましょう。単純に分類すると、襲われたか襲われないか、の二つですね」

「うん。普通だったら、二つの違いは魔物や人に戦意があるかないか、で分かれるんだろうけど、今回はそうじゃない」

「人に戦意はなく、魔物側にも遠目には戦意がなさそうなのに近づいたら襲われたり、人が戦意を見せていたのに、魔物は見ているだけで襲ってこなかった……という話もいくつかありましたね」

「前者だけなら索敵範囲の違いや、戦意判断のミス。後者だけなら――最近は珍しいけど――魔物に戦闘意欲がなかった。こんな感じで説明がつけられるよね」

「はい。これが魔物の種類の差、で説明できればいいのですが、同じ種類でも行動はバラバラなようですし、簡単ではありません」

 沈黙。噴水の音が二人の耳に届く。しかし、その沈黙は手詰まりになったことによる諦めではなく、理由を考えるためのものだ。しばらくして、リシャが口を開く。

「ルーフェ、確認したいことがあるんだけど」

「襲われた場所、ですか?」

「うん。それと、目撃した場所だね」

「……なるほど」

 後者は予想していなかったため、少々反応が遅れるルーフェ。しかし、今回も意図を理解するのにさほど時間はかからなかった。

 ルーフェは聞いた話から、モンスターの出現場所を列挙していく。リシャはその場所を元に頭の中で整理を進める。紙やペンを使う必要はない。一人ならともかく、二人なら一方が話すことに専念し、もう一方が整理に専念すればある程度のことなら処理できる。

 ピスリカル森林には地図がなく、はっきりとした場所がわからないのも理由のひとつだ。一応、最低限、人が通る道は作られているが、それ以外の場所は自然がそのまま残されている。未開の地、というわけではないが、道ができる以前ならいざ知らず、今の時代に森林を探索する人はほとんどいない。

 列挙するルーフェの声を、リシャは目を瞑ってじっと聞く。外界の情報をなるべく遮断し、思考に集中。そして、ルーフェが全ての場所を言い切ってすぐ、リシャは目を開いた。

「南」

 発した言葉は一言。しかし、それだけで必要なことは大体伝わった。

「目撃例は全体に集中してる。けど、戦闘になった、というのは積極的に攻撃した場合を除いて、南側にしか存在していない」

 ルーフェは無言でリシャの言葉を聞く。口を挟まないのは、リシャの話にまだ続きがあるからだ。すぐに口にしないのは、確信がまだ持てないからである。それでも聞こうというルーフェの意思を感じて、リシャは言葉を続ける。

「それと……これは偶然かもしれないけど、山脈周辺では目撃例さえも一切ないみたい」

「そこまで用がないから、とも考えられますね」

「うん。でも、気になるよね?」

「はい」

 答えて同意を示すルーフェ。予想通りの反応に、それを確認するまでもなく、リシャはピスリカル森林の方角を眺めながら、続ける。

「もしこれが偶然じゃないとしたら、魔物の目的はそこにあるのは間違いないよね。何かを守っているのか、山脈を拠点としているのか、他にもいくつか考えられるけど……」

「考えても答えは出ない、というわけですね」

「うん。だからこれ以上は、直接確かめるしかなさそうだね」

 ピスリカル森林へ向かって確かめる。その結論自体は考える以前と変わらない。しかし、闇雲に広い森林を探し回るのと、ある程度の場所を絞って探すのでは大違いだ。

 噴水広場には夕日が差し込み、程なくしてリシャが眺めるピスリカル森林も夜の帳に包まれることだろう。ラーグリアもそれは同様で、広場から見える露店も減り、商人の姿もまばらになっている。

 リシャとルーフェは噴水広場を後にして、昨日から泊まっている宿へ戻ることにした。

「わあ、大きいね」

 翌日の朝、宿での食事を済ませ、ピスリカル森林を訪れたリシャの第一声は驚きだった。ラーグリアからはぼんやりと見える程度なので実感はなかったが、近づいて見るとその広さは予想以上のものだった。

「地図がない、のも納得ですね」

 南には長い山脈、北には大きな海、東には大森林、西には平原が広がる。着いたときはフィーレット村より大きくて凄いと思ったラーグリアが、これらの自然と比べるととても小さなものであることにリシャは驚いていた。

 対して隣のルーフェは静かに森林を眺めている。大きさに驚いている様子はなく、海や山脈と比較して、冷静に森林の広さを確かめていた。目だけなので確実ではないが、ざっと測量を終えたルーフェは一言。

「島と同じくらいの大きさはありそうですね……」

「島?」

 リシャは振り向き、疑問を口にする。ルーフェはすぐに答えようと口を開けて、そのまま静止する。理由は単純だ。ルーフェの口にした島のことを、リシャは知らないし、まだ説明することもできないからだ。

「まあいいや。行こう、ルーフェ」

「はい。ありがとうございます」

 ルーフェは知りたい気持ちを見せず、気を遣ってくれたリシャに複雑な心境になる。本来なら、気を遣うべきは、知らないリシャではなく、知っているルーフェであるべきだ。それを理解しながらも、つい口を滑らせてしまったのがいけなかった。

 ルーフェは北西の海を横目に、槍を強く握り締め、気を引き締める。うっかり口を滑らせてしまうそれ相応の理由はあるにしても、リシャにこれ以上気を遣わせないためには、彼女自身がもっとしっかりしなくてはならない。

 そしてもう一つ、これから向かう先には多くの魔物がいる。普通の魔物なら、確実に勝てる実力を持っているとはいえ、未知の何かがある可能性を考えると、油断は禁物だ。

「ルーフェ? どうしたのー?」

 リシャはちらりと振り返り、ルーフェに声をかける。ルーフェは「すぐに参ります」と答え、足を速める。そして、そのままリシャを追い抜いて先頭を歩むことにした。

 太陽が出ていることもあってか、森林の中は明るかった。もともと深い森林地帯ではないため、例え森林の奥深くまで進んだとしても、昼間のうちであれば危険は少ないだろう。二人は整備された道を警戒を緩めて歩んでいく。

 魔物が大量にいるとしても、昨日整理した情報から推測すると、街道を歩いているうちに突然襲われる可能性はまずないとわかっているからだ。それらとは別の魔物が現れる可能性もあるが、彼女たちにとって数体の魔物は、道端の石ころよりも怖くはない存在だ。

 とはいえ、南側の警戒だけは一切緩めない。そうして歩き続けて、森林に整備された道を半分ほどすぎた頃、二人は立ち止まった。道もなるべく自然を傷つけないよう蛇行して作られているため、ちょうど森林の中央、というわけではないが、中心部であることに違いはない。

 リシャとルーフェは互いに顔を見合わせ、頷きあって再び歩み始める。今度は道を進むのではなく、南に広がる森林へ向けて。

 程なくして、数体の魔物の気配をリシャたちは感じ取った。姿はわからないが、小型の陸上型魔物。襲ってくる気配はなく、ただ見ているだけ。しかし、なんとなく見ているのではない。魔物たちは協調して、二人の行動を偵察するかのような鋭い視線を二人に向けていた。

 警戒を強めながらさらに先へ進むと、二人の眼前に魔物の姿が現れる。茶色の体毛を持ち、細長い手足をした魔物。中型の陸上型で、戦闘力はそれほど高くはない。その魔物はじっと二人の前に立ち塞がる。

 二人が方向を変えて進もうとすると、その魔物も移動する。南へ進もうとすると威圧するように二人を睨み、東や西だとついてくるのみ。北を向くと最初に出会った魔物のように、鋭い目で行動を監視する。

「どうしようか?」

「そうですね、私たちは戦うのが目的ではありません」

 しかし、これ以上南へ進むのは、魔物が許してくれなさそうだった。それでもなるべく戦闘を避けるため、まずはルーフェ一人で南へ進んでみることにした。

 警戒を解き、槍も構えず、戦う意志を見せずに進む。最初はその様子を見て、魔物たちもじっとしていたが、ある程度進んだところで魔物が動いた。今まで偵察に徹していた小型の魔物が一体、ルーフェの前方を掠めるように勢いよく飛び込んできたのだ。

 それに合わせて、中型の魔物も威圧感を強める。残りの小型の魔物は、動かないでいるリシャの監視を続けている。

 そして、また一歩ルーフェが踏み出した瞬間、中型の魔物が後ろ足を蹴り、ルーフェの眼前に踊り出た。そして見せたのは、威圧ではなくはっきりとした威嚇。目の前を塞がれているため前に進むことはできない。ルーフェは軽く跳躍して、魔物の側面から抜けようとする。

 しかし、それを魔物たちは許さなかった。跳躍した先には小型の魔物が数体。偵察していた魔物のうち、一体を除いた魔物がルーフェの道を塞いだ。残りの魔物は、リシャの監視をしているわけでもなく、どこかへ消えていた。

「どうやら、やるしかないようですよ」

「仕方ないね。話ができれば良かったんだけど……」

 魔物と人間が会話を交わすことはできない。リシャは知識でしか知らないため、僅かな可能性にかけてみたが、やはりそう上手くはいかなかった。

「ごめんね。通してもらうよ!」

 一閃。中型の魔物はリシャのソードレイピアで斬られ、消滅する。その間に、小型の魔物はルーフェが素早い動きで殲滅していた。槍は構えず、素手や蹴りだけで。

「急ぎましょう」

「うん」

 魔物が一体いなくなったことの意味。仲間の魔物か、魔物たちを統率する何かか、それはわからないが、とにかく何者かに報告しにいったのは間違いない。そうなると、あまりゆっくりしていては魔物が集まってくるだけだ。

「では、作戦通りに」

「了解!」

 二人は二手に分かれて南へ進む。森林に風が吹き、枝葉が擦れ合う音が響く。それを合図にしたかのように、突然魔物の気配が現れた。

 通常の魔物なら、気配を消すなどという芸当はできない。その気配から、強さはそれほどではないとわかるが、統率されていることは確かだ。リシャは西の魔物を、ルーフェは東の魔物をそれぞれ敵と定める。

 襲いかかる魔物は多種多様。小型、中型、大型。陸上型、飛行型。水辺に行けば水棲型の魔物も襲ってくる。ここまで大量の魔物に一度に襲われた、という話は一度もなかったが、それだけにリシャたちは確信が持てた。

 この大量の魔物は、間違いなく誰かが統率している。

 二人は魔物を蹴散らしながら、少しずつ進んでいく。方向は、魔物が最も多くいる場所、または、強い魔物がいる場所。普通に考えれば、統率者がいるのはその先である可能性が高い。

 もっとも、それは見せかけで別の場所へ誘導している、という可能性もあるが、そのための別行動だ。これなら、おかしな方向へ誘導されているならすぐに気付くことができる。二人同時に誘導される可能性もなくはないが、それも考慮して、魔物を追いつつも南へ進行する事も忘れない。

 そうしていると、徐々に魔物の攻勢が緩んできた。数が減ったわけでもなければ、戦意がなくなったわけでもない。二人の強さに勝てないとわかり、守りに徹する戦略に変更してきたのだ。

 しかし、それは同時に、統率者の場所を明確にしてしまう、という欠点がある。分散して撹乱するという手もあるが、魔物たちが守りを固めたのは一点のみ。

 それでもあえて魔物たちがそんな行動を取った理由は、二つ考えられる。統率者がそこにいるから守るのか、統率者とは別の、守るべき者や場所がそこにあるから守るのか。ここの魔物たちの場合は、後者であった。それに気づいたのは、ある声が二人に届いたからに他ならない。

「何者かは知りませんが、それ以上先へ進むのは私が許しません」

 その声は二人の背後から響いた。ルーフェは振り返らず魔物の様子を探る、リシャは振り返り声の主を確かめる。遅れて、魔物に襲ってくる気配がないとわかったルーフェもリシャに続く。

 声を発したのは、華美な装飾を施した、真っ白なドレスに身を包んだ少女だった。白いドレスのスカートは動きやすさを重視してか、太ももがあらわになっている。元々そういうドレスではないのは、切れ目がボロボロで、破られたことからはっきりとわかった。

 長い髪は磨かれた白銀のように輝き、瞳は金色に近いオレンジ色。どこか高貴な雰囲気を漂わせる、美しい少女だった。

 その少女は二人を見下ろして言葉を続ける。身長はリシャより高いが、長身のルーフェほどではなく、決して大きな少女というわけではない。それでも見下ろせるのは、彼女が大型の鳥形魔物の背に立っているからである。

 当然、それくらいの高さにいて、短いスカートであれば、スカートの中もリシャたちにはよく見えた。

「私の名は、ピスキィ・ルィエール・チェミュナリア。精霊国ピスキィの姫にして、純潔の証たる純白のぱんつ、その力を完全に引き出す者!」

 リシャたちは彼女のしろぱんつをはっきりと確認する。穢れなき純白のぱんつ。だが、ただのしろぱんつではなく、前面には小さな赤りぼんの装飾がついていた。

 チェミュナリアは魔物から飛び降り、彼女たちから少し離れた前方に降り立つ。

「あなた方がただの旅人でないことはわかります。なかなか腕も立つようですね。ですが、この世界に生きる者なら、わかるでしょう? ぱんつの力を完全に引き出す者――その意味を」

 片手を大げさに横へ振り、チェミュナリアは堂々と言い放つ。

「目的を述べなさい! それによっては、何もせずに逃がしてあげます。ですが、その目的が私たちに害をなすものであるなら……言わなくてもわかりますね?」

 端正な顔立ちがよくわかる距離になり、その瞳に込められた強い意志もより伝わりやすくなる。話した言葉が全て真実かどうかはわからない。だが、その言葉や意志、全体に漂う気品から、単なる盗賊の類でないことは明らかだ。

 リシャとルーフェは突然現れた少女の姿に圧倒され、言葉を失っている。そうさせたチェミュナリア自身も、その反応は予想済みだったのか、催促はせず黙って反応を待つ。

「それが本当なら、好都合ですね」

 しばらくして口を開いたのはルーフェだった。その声で、リシャも我を取り戻す。

「私はエラントル・ルーフェ。彼女はリシャです。今回の目的は、魔物が大量発生している原因を確かめることでしたが、それ以前の目的として、あなたを探していました」

「私を? どういうことですか?」

 チェミュアリアは驚くこともなく、冷静に聞き返す。二人のやり取りについていけないリシャは、何もせずにルーフェに任せることにした。

「正確には、ぱんつの力を完全に引き出せる者を探していた、となるので、あなた個人を捜索していたわけではありません」

「力、ですか。……少しお待ちいただけますか?」

 チェミュナリアは目を瞑り、額に人差し指を当て考える仕草をとる。数秒後、目を開いたチェミュナリアははっきりと言い放つ。

「ならば、力を見せていただくのが手っ取り早いですね」

「やはり、そうなりますか」

 他にもいくつかの可能性はあったが、こう答える可能性が圧倒的に高いと予想していたルーフェは、慌てる様子もなく落ち着いた声で返す。

「あなた方もぱんつの力を完全に引き出せる者。そうなのでしょう? ですが、言葉だけではどうとでも言えますし、見せられたとしても証拠にはなり得ません」

「先ほどまでの戦い、というのは?」

「あなた方が強い、ということを示すには充分ですが……あの程度なら、完全に引き出せなくても勝てるでしょう。そのように私が指示したのですから」

 それはルーフェやチェミュナリアにとっては、聞くまでもなくわかる情報だった。だが一人だけ、やや理解が遅れているリシャがいるため、わざわざ口に出したのである。

 リシャも普段なら聞かずとも理解できるが、今は色々あって混乱していた。場慣れしていない上、記憶喪失であるのだから、それは当然だろう。彼女が理解したのを確認して、チェミュナリアは言葉を続ける。

「そういうわけで、私はあなた方が本当に、ぱんつの力を完全に引き出せる者であると信じることはできません。そして何より、それはルーフェ、あなたにとっても同じでしょう? そちらの、リシャという方は素直に信じていそうですけれど」

 リシャは「あれ、違うの?」と呟きかけたが、それより早くルーフェが口を開いた。

「確かに、その通りです。私と違って、リシャは素直で優しい娘ですから。あなたの言葉を信じるでしょうし、私もできるならリシャの判断に従いたい」

 言いながら、ルーフェは槍を構える。それに呼応するかのように、チェミュナリアは指を弾き、魔物を呼ぶ。小型の飛行型魔物はチェミュナリアの上空を横切りながら、爪で掴んだ一本の装飾杖を落とす。

「ですが、私の役目はリシャを守ること。彼女の意志を尊重しつつも、同時に僅かな可能性であっても危険があるなら、それを全力で排除しなくてはなりません」

 チェミュナリアは落ちてきた杖を受け取り、二、三度素振りをしてからルーフェに向けて構える。

「もしも、あなたに戦意がないのであれば戦う必要はなかった……と言いたいところですが、あなたは魔物を操るという見知らぬ力を持つ者。無条件で信用するわけには参りません」

「見知らぬ力、ですか。そうでしょうね、あなた方を含め、多くの人にとっては、魔物はただの敵でしかない。それを操る者を警戒するのは当然です」

 ルーフェとチェミュナリアは互いに向かい合い、視線を合わせる。

「ですが――。いえ、これ以上は、今は不要ですね」

「同感です。では、そろそろ始めると致しましょう」

 言葉とともに、ルーフェは勢いよく駆け出し、槍を突き出す。手加減なしの、全力の一撃だ。チェミュナリアは一歩も動かず、杖を前方に構えて防御に徹する。

 普通の杖なら、その一撃に耐えられず砕け散る。そして、普通の女の子なら、次の一撃で吹き飛ばされるだろう。しかし、チェミュナリアの杖はルーフェの槍を防ぎきっていた。それが意味することは、ルーフェだけでなく、傍観していたリシャにもすぐにわかった。

「……なるほど」

 チェミュナリアは間合いをとったルーフェを見て、確信する。彼女もぱんつの力を完全に引き出せる者であると。そしておそらく、引き出せるのはくだものぱんつの力である、ということも。

 チェミュナリアは単に防御をしただけではなかった。杖に込めたのはしろぱんつが持つ最大の防御の力、それに加え、赤りぼん装飾が持つ効果を込めていた。純白のぱんつに比べやや防御力は劣るものの、その効果によって与えられるのは、僅かな攻撃の力。

 当然、普通に使うだけでは大きな効果は望めない。しろぱんつは鉄壁の防御を誇る反面、攻撃性能に関しては、四つのぱんつの中で最も低いのだ。だが、使い方によっては、その力は強力な武器となり得る。

 チェミュナリアが杖に込めた攻撃の力、それが成し得るはずだったのは、武器破壊。

 しかし、ルーフェの持つ槍は壊れるどころか、ひびも入らず傷さえもついていない。名工の鍛えた武器であっても、そこまでの強度を持つことは不可能だ。しかし、攻撃に特化したくだものぱんつの力があれば、武器に力を込めることで強度を格段に高めることができる。

「これで充分ですか?」

 ルーフェは穂先を地面に向け、チェミュナリアの様子を窺う。対するチェミュナリアは、戦意を抑えながらも、鋭い視線をリシャへと向けていた。

「あなたは本物のようですね。次は、あなたですか?」

 指名されたリシャは、慌ててソードレイピアを構える。チェミュナリアも杖を構えるが、リシャは動こうとしない。

「どうしました?」

「んー、その、普通に挑んだら、武器が壊されるだけかなって。でも、普通じゃない方法で挑んだら、多分、チェミュナリアを傷つけちゃう。だから、これじゃだめ?」

 リシャは笑顔でスカートをめくり、水色と白の横じましましまぱんつを見せる。

「しまぱん勇者、ですか。くだものぱんつの力を完全に引き出せるルーフェ、彼女が信頼する者が嘘を言うとは思えませんが……大した自信ですね」

 チェミュナリアの頬が引きつる。そして、言葉もなくリシャに駆け寄り、杖を振りかぶった。

「私に勝ち目はない、と言いたいのでしょう。ですが、そんなこと、やってみなければわかりませんでしょう!」

「え、え? なんで怒ってるの?」

 リシャはソードレイピアで杖を弾いていく。万能で最強の力を持つしまぱんの力を完全に引き出せるリシャにとって、攻撃性能に劣るチェミュナリアの攻撃を避けるのは簡単だった。

「私のことを、戦う前から見下すなど……許しません!」

「み、見下す? 私は別にそんなつもりじゃ、ああもう!」

 リシャは杖の一撃を捌き、捌かれながらも再び一撃を加えようとするチェミュナリアの懐に潜り込む。チェミュナリアはそれに気付き、冷静さを取り戻す。しかし、時既に遅し。この体勢では、リシャの攻撃を防ぐ術も、反撃する術も残されていなかった。

 もちろん、しろぱんつの力で致命傷を受けることはないが、こうも隙だらけでは、ソードレイピアの攻撃を無傷で済ませるのは不可能だ。

「ごめんね。私だって、本当はこんなことしたくなかった。でも、攻撃してきたチェミュナリアが悪いんだよ!」

 リシャはチェミュナリアの胸を目がけて、突き出す。

「――くっ、や……んっ」

 痛みを覚悟していたチェミュナリアが感じたのは、別の感覚だった。リシャが突き出したのはソードレイピアではなく、素手の両手。その手はチェミュナリアを突き飛ばすことはせず、ただドレスの上から胸を掴んでいた。ついでに、軽く揉んでみる。

「私やスィーハより大きい。柔らかくてふにふにだねー」

 大きさを確かめるだけ確かめて、リシャは胸から手を放す。

「ねえルーフェ、私も大きくなったらこうなるかな?」

「リシャはまだ成長期です。ただ、保証はできません。私はリシャより年上ですが、それほど差はありませんから」

 ほのぼのとした会話をするリシャとルーフェ。チェミュナリアは顔を真っ赤にして、わなわなと身体を震わせていた。杖は胸を掴まれたときに、驚いて地面に落としていた。

「あ、あなた、いきなり何をするのですか! む、胸を、揉むなど……まあ、その、特にいやらしい動きはしてなかったようですけど……で、でも、他の人に触られるのなんて初めてなのに――」

 そこまで言ってさらに頬を赤らめるチェミュナリア。リシャは思い出したように彼女に向き直り、簡単に説明をする。

「だって、怪我させたくなかったから。でも、何もしなかったら納得してくれないだろうし、だったら、これしかないかなって。ね?」

「……ね、じゃありません!」

 にこやかに微笑むリシャに飛びかかるチェミュナリア。強い攻撃の意志を感じなかったので、リシャは軽く身構えて動かない。

「……あれ?」

 予想していた小さな衝撃は来なかった。チェミュナリアの手はリシャの胸の前で静止している。深呼吸する音が聞こえたかと思うと、伸ばした手は引っ込められた。

「私としたことが、お返しに胸を揉んで恥辱にまみれさせようなどと……落ち着きなさい、チェミュナリア。私は精霊国ピスキィの姫。そのような破廉恥な真似はしてはいけません」

 もう一度、深呼吸。それを終えると、チェミュナリアの顔に照れは一切なくなり、登場したときのような気品が戻ってきた。最初と違うのは、そこから二人への威圧感や警戒が消えていることだった。

「落ち着いた?」

「私は動揺などしておりません。今のは――そう、演技です」

 しれっと言いのけるチェミュナリア。とても演技には見えなかったが、指摘してもまた照れる姿が見れるくらいで、無駄に時間を過ごすだけだと判断したリシャとルーフェは、そういうことにして話を進めることにした。

「チェミュナリア、戦いの直後で疲れ……てはいないでしょうが、あなたに頼みがあります」

「魔物をこの森から退かせてほしい、というのでしたらお断りします」

 切り出したルーフェに、予め用意していた答えのひとつをチェミュナリアは口にする。

「それは同時に、私もこの森を離れられないということになります。それ以外でしたら、協力してあげられるかもしれませんが、伝説のしまぱん勇者とその仲間の目的といえば、ひとつでしょうね」

 同行できない、という意志をはっきりと示したチェミュナリアは、リシャとルーフェを交互に眺めて、様子を見る。ルーフェは口に手を当てて何かを考えているようだった。リシャは黙ってチェミュナリアの胸とルーフェの胸を見比べている。

「んー、チェミュナリアの勝ち……いや、でもルーフェのは直接触ったこともないし、見た目以上にある可能性も……」

「理由を説明していただけますか?」

「え、ええ。もちろんです」

 リシャの行動に気を取られていたため、一瞬反応が遅れるチェミュナリア。素でやっているのか、意識してやっているのかはわからないが、とりあえず今は無視することにした。

「ただ、全てを説明するには少々話が長くなりますが、よろしいですか?」

「はい。急ぎの旅とはいえ、どの道、あなたの協力が必要なのは変わりません。ならば、話の長さに関わらず、事情を聞くことは避けられないでしょう」

「わかりました。では、そうですね、どこから話しましょうか……」

 真面目な話をしているルーフェとチェミュナリアを、リシャはずっと見比べていた。もちろん、見る場所は先ほどと同じ場所だ。特別、自分の胸に不満があるわけでもないし、胸を触るのが好きというわけでもないが、記憶喪失で基本的な知識しかない以上、あまり難しい話にはついていけないと判断して、暇つぶしにそんな行動をしているのだ。

 話が長くなるようなので飽きるかなとも思ったが、参加はできなくとも重要な話なら耳に入れておいたほうがいい。その間にちょっと眺めるくらいなら、ちょうどいい暇つぶしになるだろう。リシャはそう考えて、継続して二人の胸を見比べていた。

 ルーフェはともかく、チェミュナリアにとってはその行動もやや気になるものであったが、触って確かめようとする様子もなく、いやらしい目で見ているわけでもないので、ひとまずルーフェとの会話に集中することにした。

「まずは、私がここにいる理由から説明しましょうか。お二人の服装はこの大陸のものではありませんし、おそらく精霊国ピスキィのことは知らないでしょう。なにしろ、大陸北部に住む者でさえ、ほとんどが存在を忘れている国なのですから」

 チェミュナリアはそこで一旦言葉を区切る。知らないでしょう、とは言ったものの、僅かだが知っている可能性もないわけではない。それなら説明を省けるのでルーフェと、ついでに一応リシャの様子も確かめたが、どちらも頷くだけでそれ以上の反応はなかった。

「精霊国ピスキィは四方を森林と山岳に囲まれた小さな国。ここより南にあり、その名が示す通り、精霊であるピスキィと共に暮らす国です」

 言って、チェミュナリアは視線で方向を示す。その先には森林が広がるだけで何もないように見えるが、山脈近くまで進み続けたところに精霊国ピスキィは存在する。もっとも、整備されていない森林を、闇雲に進んでも迷うだけだ。

 だからこそ、特に隠されているわけではないにも関わらず、近年では他の国や街などから訪れる者もいなくなり、精霊国ピスキィの存在自体が忘れ去られていた。

「精霊については、説明するまでもありませんね」

 リシャとルーフェは頷く。記憶喪失のリシャも知っている、有名な伝説があった。

 いわゆる創世神話、というものである。世界が生まれたとき、この大陸に最初にあったのはぱんつと精霊だけだった。そして、長い年月の中、ぱんつは人や動物を生み出し、精霊は魔物を生み出し、大陸は活気に満ち溢れていった――そんな神話だ。

 どのような経緯で、何のために生み出されたのか。それに関しては、長い年月で記録が失われ、詳細は正確に伝わっていない。それでも、いくつかはっきり伝わっているものもある。しまぱん勇者とその仲間が世界の危機を救う、というのもそのひとつだ。

 そしてもうひとつ、これは伝説ではないが、常識として伝わっていることがあった。大陸北部では、精霊は伝説の中の存在であり、現在はいないものとして捉えられていた。その理由は単純で、何百年もの間、精霊を見たものがいなかったから、というものである。

「さて、もうお分かりでしょう。私がここに留まらなくてはいけないのは、ピスキィのためです。彼女を含め精霊たちは、理由があって、あまり人には近寄らないのです。その理由はただひとつ、自らの力が暴走したときに、被害を抑えるためです」

 暴走、という言葉にリシャとルーフェの顔が強張る。

「そして、その暴走を止めるのに必要なのは、私とあなた方の持つ力、ぱんつの力なのです」

「世界の危機、ですか」

 ルーフェの言葉に、チェミュナリアは曖昧に頷く。その反応に、ルーフェはまだ話は終わっていない、ということを悟り、再び黙って続きを聞くことにする。

「確かに、世界の危機であることは確かです。精霊の力が暴走すれば、その力より生まれた魔物たちも暴走する。それは精霊に近い魔物ほど顕著です。しかし、それが伝説にある世界の危機と同一であるかはわかりません」

 チェミュナリアの言葉を聞きながら、リシャは周りの魔物を眺めていた。表情に浮かべているのは疑問。それを見て、チェミュナリアは疑問に答えることにする。

「この魔物たちは私が使役しているのです。ここの魔物たちはピスキィとともに暮らしていたため、本来なら暴走の影響を最も強く受けます。しかし、精霊とは別の力があれば、それを防げる。それがしろぱんつの力により強化された、精霊国ピスキィの姫の力であり、役目でもあります」 

 魔物の暴走を止め、国を守る――それがチェミュナリアの役目だった。しかし、彼女の力だけでは足りなかったということは、彼女が国ではなく、ここにいることが示していた。

「とはいえ、それも精霊が完全に暴走するまでのその場しのぎ。実際、外では精霊の影響を受けて魔物が暴走しているのでしょう?」

 チェミュナリアは国にいた間も外へ出ることはなかった。とはいえ、森林を通る人々の魔物への態度を見るだけでも、魔物と人が友好的でないことは誰にでもわかることだ。

「……そして、十年前のことです。ピスキィの暴走はどんどん加速していきました。それこそ、国で暮らす者に危険を及ぼすほどに。私の力で何とか抑えてはいましたが、それも最近までのこと。根本となる精霊の暴走を止めるには、ぱんつの力を四つ集めなくてはならないのです」

 チェミュナリアは一旦言葉を区切る。ここまで言えば、ルーフェは全てを理解するだろう、と判断しての行動だ。その判断は正しく、次に口を開いたのはルーフェだった。

「精霊を逃がさないため、ここにいる必要がある、そういうことでしたか」

「ええ、ですから、あなた方が私の力を求めるなら、もう一人、ふりるぱんつの力を引き出せる者がいなくてはなりません」

「わかりました。私たちに重要なのは、四人集めることで、順番は関係ない。ただ、ひとつ確認したいことがあります」

 何を確認したいのか、は言うまでもなく伝わった。連れて来るまで、チェミュナリア一人でピスキィを抑えられるのか、ということだ。チェミュナリアは静かに一言。

「長くは難しいでしょうね」

 それも確認するまでもなくわかっていたことではあったが、言葉にすることで、その実感はより良く伝わるものとなった。そうして、話すことは終わったとばかりに、無言になった空間で、それまで会話に参加していなかったリシャが言葉を発した。

「国の人たちはどうしてるの?」

 チェミュナリアがあえて言わなかったことであり、リシャやルーフェにとってはある程度の予測ができていたこと。だが、あくまでもある程度であり、可能性はひとつではない。

「私が抑えている間に、皆、逃がしました。国はなくなったも同然……さしずめ、わたしは亡国の姫、といったところですね」

 自分への無力感。それを口にすることで強く自覚し、やや元気を失うチェミュナリア。対して、リシャは明るい声でこう言った。

「よかった、生きてるんだね。なら、早くピスキィの暴走を止めて、その人たちを故郷に返してあげないと。帰る場所がわかっているなら、簡単だよね」

 記憶喪失で帰る場所もわからない自分に比べれば、という意味はルーフェにしか伝わっていない。俯きかけるルーフェだったが、何か言いたそうなチェミュナリアに先んじて、リシャの現状を告げる。それにより、チェミュナリアは開きかけた口をつぐんだ。

「や、やだな。黙らないでよ。そんなつもりで言ったんじゃないよ。確かにね、記憶はないけど、何となく思うんだ。記憶喪失じゃなかったら、きっと私、スィーハやチェミュナリアには出会えなかったんだろうなって」

 リシャは暗い様子を一切見せず、明るい声のまま続ける。

「それにさ、記憶は大変かも知れないけどいつかは戻る。でも、死んじゃったらその命は戻ってこない。だからよかったって思ったの。変、じゃないよね?」

 記憶がないからこんなことが言えるのかもしれない、とちょっと不安になったリシャは照れたように髪の毛をいじる。その仕草を、ルーフェやチェミュナリアはあっけにとられたように見ていたが、次第に頬が緩んでいき、すぐにそれは小さな笑い声となった。

「あ、あれ? やっぱりおかしかった?」

「い、いえ。そんなことはありませんよ」

「ええ。ただ、ちょっと……気が抜けただけです」

 慌てるリシャに、違うと説明するルーフェとチェミュナリア。何で笑っているのかいまいち理解できないリシャだったが、楽しそうに笑う二人を見て、つられるように微笑みを浮かべ、小さな声で笑った。

 そんな和やかな空気が流れるピスリカル森林の、木々が唐突にざわめく。次の瞬間には、とてつもない速度の突風が周囲にいた魔物たちを吹き飛ばしていた。

「衣……?」

 たまたま突風の吹いた場所が視界に入っていたリシャは、風の中に一瞬だけ、低く空に浮かぶ、薄衣を纏った女性の姿を目にしていた。深緑色の長い髪が印象的だった。しかし、ぱんつの力があっても人が空中に浮くことはできないし、衣装もあれだけでは恥ずかしい以前に寒いはずだ。

 大陸北部は雪が降るほど寒い気候ではないが、薄い布一枚という薄着で動けるほど暑い気候でもない。時期や天候によってはそういう状態になることもあるが、知識にもなく、北部を訪れて間もないリシャにはわからない。

 だからここ数日の気候からの判断になるが、ここ数日は暖かかったけれど、今日は暑くなるかも知れないから薄着になった、という可能性は低いだろう。

 そうしてリシャが出した結論は、何かの見間違い、というものだった。薄衣は確かに風で舞っていたかもしれない。しかし、女性の姿は何か別のもの――木の枝や石がそれっぽく見えただけ。だからルーフェやチェミュナリアに話すことなく、一言呟くだけに留めた。

 しかし、その一言に、チェミュナリアは敏感に反応する。

「衣?」

「あ、ううん。多分見間違いだと思うから、気にしないで」

 手を振って答えるリシャを、チェミュナリアは見ていなかった。その視線は先ほど風が吹き抜けた先にじっと向けられていた。少しして、その先から小型の飛行型魔物が飛んでくる。姿形ははっきりとはわからない。なぜなら、その魔物はチェミュナリアの前に辿り着く直前で姿を消したからだ。

 あれほどの突風の直撃を受けたのだとすれば、多少は傷つくのはおかしいことではない。だが、普通の風なら、傷がつくだけで消えることなどありえないことだ。それはつまり、先ほどの風は、自然のものではないということを示していた。

 その事実をはっきり理解しているのはチェミュナリア一人。だが、リシャとルーフェも彼女の様子から、何か普通じゃないことが起きた、ということは理解できた。

「あれが、ピスキィです」

 確信を持ってチェミュナリアは言う。言いながら、魔物を呼び寄せる。空から飛んできた鳥型魔物は、人が三人は乗れるくらいの大きさだった。

「急いで!」

「う、うん!」

「了解しました」

 状況を完全に把握したわけではない。それでも、先ほどチェミュナリアから聞いた話の内容と、彼女の切迫した表情を見れば、迷っている暇はないと判断するのは難くない。

 魔物は空高く飛び上がる。人を乗せているためややゆっくりだが、それでもピスリカル森林を見渡せる高度になるまでは十秒とかからなかった。

 見下ろした先では、一陣の風が森林を縦横無尽に吹き抜けていた。方向は特別に定まっていないように見えるが、その流れは徐々に東へと向かっているように感じられた。チェミュナリアは魔物に指示し、森林の東出口へと向かわせる。

 風の流れは出口からはまだ遠いが、三人を安全に地上に降ろすこととを考えると、猶予は短い。滑空飛行して素早く着地できればいいが、そうするよりも、空を飛んでいる間に簡単に事情を説明した方が少し早い。

「暴走したピスキィに自我はありません。正確には違いますが、今は省略します。彼女が人の住む集落に突然表れたら、被害は甚大。四人には一人足りませんが、三人いれば、一時的に弱らせるくらいは何とかできるはず。協力してくれますね?」

「もちろん。でも、もしこっちじゃなかったら?」

 二人に協力を断る理由はない。むしろ、世界を救うという目的を考えると、積極的に協力する理由があるといってもいい。だから承諾の意志は簡単に伝え、すぐに質問を続ける。東へ向かう可能性は高いとはいえ、方向転換する可能性も否定できない。

「魔物たちを向かわせています。数だけなら充分にいますから、北や西へ向かわれても、こちらへ誘導できます」

 普通の魔物ならそこまで統率された行動はできないが、チェミュナリアの使役する魔物の優秀さは、リシャとルーフェは身を持って理解している。

「あなたたちがいて助かりました」

 ピスリカル森林の東、出口周辺に降り立つ直前、チェミュナリアはそう口にした。チェミュナリア一人であれば、三方向を守りきることはできなかったからである。魔者の数は確かに多いし、南は山脈に囲われていて、それ以上先へは進めない。それは今までずっとピスキィが精霊国に留まっていたことからも明らかだ。

 本来のピスキィならその気になれば越えることも不可能ではないが、それなりの力と意思、時間を必要とする。その点に関してだけは、暴走しているのが幸いと言えるだろう。

 東の空には鳥型魔物が何体か飛んでいる。ピスキィの動きを察知するためだ。その魔物からの合図があれば、そちらへ動き、ピスキィを迎え撃つ。もちろん、東だけといっても森林はかなりの広さを持つ。三人はそれぞれ少し離れた位置で動きを待っていた。

 北側にはチェミュナリア、中心にはルーフェ、南にはリシャ。それぞれの能力を考えての配置だ。

 最も広い北には、守りに長けたしろぱんつのチェミュナリア。唯一ピスキィとの戦闘経験もあるため、二人が来るまでの時間を稼ぐのは難しくない。

 攻撃に特化した、くだものぱんつのルーフェは防御には向かない。そのため、他の二人がすぐに到着できるように中心に。ぱんつは真ん中一個のれもんぱんつではない。真ん中に描かれているのは、瑞々しいみかんだ。

 リシャは最強にして万能のしましまぱんつ。どこでも問題ない強さなので、余った所に配置された形となる。はいているのはいつもの水色白横じましまぱんではなく、緑と水色の横じましまぱんだ。防御能力がやや高い反面、攻撃能力はやや劣るぱんつである。

 ずっと吹き荒れていた風が一瞬止まる。三人はそれぞれの場所で身構える。瞬間、突風がルーフェのいる方向へ向かって吹いた。その突風を生みだした主、ピスキィもその後に続く。

 ルーフェは突風をかわし、ピスキィの通り道へ向けて勢いよく、槍を切り払う。斬撃を受けたピスキィは動きを止めるが、ほとんどダメージを受けている様子はなかった。

 ルーフェの攻撃が全く効いていない、というわけではない。みかんぱんつの力は発揮されている。純粋な攻撃に特化したれもんぱんつと違い、みかんぱんつが得意とするのは、衝撃による足止め。

「この程度、ですか……」

 しかし、その効果はあくまでも付加効果。くだものぱんつの持つ攻撃の力は健在である。しかし、それで与えられたダメージはほんの僅かであったことに、ルーフェは一層、気を引き締める。

 動きを止めたピスキィは、そのまま動かない。薄衣の下に見える美しい女性の姿に、ルーフェは一瞬見とれそうになるが、ピスキィが動いたのを見てすぐに行動する。

 ピスキィはゆっくりと上空へと浮かんでいく。纏った衣は周囲に吹く風になびき、静かに揺れている。やがて、その姿は木々よりも高くなり、そこでピスキィは動きを止めた。西の平原と繋がる出口付近ということもあり、木々に姿が隠れることはない。

 そのままじっと動かないピスキィは、ぼんやりとルーフェを見つめていた。見つめる深緑の瞳は澄んでいるが、まるで意思を感じられない。ルーフェは迎撃体勢を整えるが、一向に攻撃に転じる様子はない。かといって、こちらから攻めるのはあまりにも危険だ。せめて、リシャかチェミュナリアが来るまでは、守りに徹する必要がある。

「ルーフェ! 大丈夫?」

 リシャの声がした。声だけで姿はまだ見えないが、来るまでの時間は短い。ルーフェはピスキィに一撃を加えるため、跳びあがる準備を整える。

 しかし、その瞬間は訪れなかった。リシャが到着する直前、ピスキィはルーフェに向かって勢いよく突進して来たのだ。ルーフェは咄嗟に反撃するが、ピスキィには当たらない。跳躍の準備をしていたため、反応が少し遅れたのが原因だ。

「逃がさないよ!」

 しかし、そのまま逃げることはリシャが許さない。ソードレイピアはピスキィの衣を貫いていた。しかし、貫いたのは衣だけで、身体には軽く触れた程度。ピスキィはリシャの姿を捉えた瞬間に、ぴたりと動きを止めたのだ。

 あれだけの勢いが一瞬でゼロになったことにリシャは驚く。その隙を逃さず、ピスキィはリシャを見つめて手をかざす。直後、降り下ろされた手から放たれたのは、突風とは違う何か。風に見えたそれはリシャの身体を吹き飛ばさず、貫いていた。

 リシャは膝を落とす。幸い、傷は受けていない。しかし、その強力な衝撃に、立っていることはできなかった。

「リシャ!」

 ルーフェはリシャを守るため、ピスキィに突撃する。それに合わせるように、先ほど見た何かがルーフェに向かって放たれる。それは突かれた槍にぶつかり、消える。ダメージこそ受けなかったものの、勢いは完全に削がれてしまった。

「……それが、精霊の力です」

 遅れて到着したチェミュナリアは、驚く二人と違って冷静だった。

「風を操り、突風を生み出す――その程度なら、私一人でもどうにかできます」

 ピスキィはチェミュナリアに、精霊の力を放つ。はっきりと見える実体ではないが、突風のように目に見えないものでもない。その攻撃を、チェミュナリアは杖で受け止める。力は霧散し、チェミュナリアは声を張り上げた。

「ピスキィ! 私の声が聞こえますね! ピスキィ・ルィエール・チェミュナリアの声が! あなたの力、受けてみてはっきりとわかりました! あなたは、本気を出していない! それはつまり、僅かでもまだ自我が残っているということ! どうか、どうか正気を取り戻してください!」

 ピスキィはチェミュナリアを見つめる。澄んだ瞳には何の感情も浮かんでいないように見える。しかし、口許が一瞬、開きかけたのをチェミュナリアは見逃さなかった。

「……ピスキィ。お願いです。どうか、正気を――」

 しかし、それ以上の反応はなかった。だが、ピスキィは攻撃をする様子はなく、ゆっくりと東の方へ飛んでいった。正気は取り戻せずとも、チェミュナリアの声が届いたのか、闇雲に風を生み出し、暴れ回る様子は見られなかった。

「どうやら、まだ時間はあるようですね」

 チェミュナリアは安堵の息をつく。ルーフェは膝をついたままのリシャに駆け寄り、無事を確かめる。リシャが元気な笑みを浮かべたのを見て、ルーフェも安堵の息をついた。

「ねえ、ルーフェ」

 一転、真剣な表情でピスキィの去った方向を見ながら、リシャは聞く。

「もう一人いれば、本当に止められるのかな?」

 リシャは立ち上がる。膝をついたのは油断していたのが大きいため、来るとわかっていれば防げないものではない。実際に、ルーフェやチェミュナリアは互角の力を発揮して、精霊の力を相殺できた。

 おそらく、完全に暴走していない今のピスキィなら、三人でも充分戦えただろう。他にも見せていない力があったり、完全に暴走してさらに上の力を得たりしても、四人いれば勝てない相手ではない。リシャが戦闘後すぐに動かなかったのは、それを考えていたからだ。

 相手の攻撃の特殊性を知った上で、冷静に戦えば問題ない。その判断に間違いはないだろうと、リシャは確信していた。しかし、本人にもよくわからない、漠然とした不安があった。

 全ての力が揃えば勝てるはずなのに、今のままではきっと勝てない。ふりるぱんつの力を完全に引き出せる者が見つかるかどうか、という不安なのか、それとも全く別の不安なのか、はっきりしないことがリシャを悩ませた。だからルーフェにそう聞いた。

「止められますよ。チェミュナリアもそう思いますよね?」

 ルーフェは同意を求めるが、チェミュナリアはじっとリシャを見つめたまま、答えない。チェミュナリアも、今の戦いで、何か漠然としたものを感じていた。そしてその原因は、チェミュナリアでも、ルーフェでもなく――リシャにある。

「記憶喪失、でしたね」

「うん。そのせい、なのかな?」

 そこで会話は止まる。無視されたルーフェは特に不満を口にすることもなく、二人の会話が終わるのを待っていた。そして、再び口を開くことがないのを確認して、二人を促す。

「そろそろ行きましょう。何かを考えるしても、まずは明らかに足りてないものを見つけなくてはならない。それに変わりはありません」

 明らかに足りていないもの――ふりるぱんつの力を完全に引き出せる者。その言葉に、リシャとチェミュナリアは頷く。気になることはあるが、今はゆっくりと考える時間はない。

「パロニスに向かうのですね?」

 森林に留まる理由がなくなったチェミュナリアは、二人に確認する。二人が西から来たことを考えると、行き先は東の大国、パロニス王国の可能性が最も高い。だが、大陸北部の外から来ているのだから、別のルートで来た可能性も否定はできない。

「はい。パロニス王国が最後です。もっとも、西部の村を全て回ったわけではないので、そちらへ向かう可能性もありますが」

 効率よく探すためには、二手に分かれる、という方法もある。しかし、それは目的地がラーグリア程度の規模の街だった場合だ。リシャとルーフェにとっては聞いた話でしかないが、パロニス王国はかなりの国土を持つという。

 チェミュナリアもそれは理解していた。理由あって直接訪れたことはないが、その広さは遠くから見るだけでも把握できる。土地に慣れているものがいればいいが、いないのであれば二手に分かれるのは得策とはいえないだろう。

 西の村もラーグリアで少しは情報を得られたが、全ての村ではない。それらを調べて全てを訪れるのは、単独で行うには厳しい。二人いればなんとかなるかもしれないが、そうなるとパロニス王国を一人で調べることになり、どちらにせよ、片方の負担が大きくなりすぎる。

「二手に分かれる、気はないのですね?」

 しかしそれでも、チェミュナリアはそう言った。

「チェミュナリアがこの土地に詳しいのであれば、その方が効率的ですね」

「……いえ、あいにく、私は国からほとんど出たことがありません。多少の知識はありますが、あなた方より少しばかり多い程度です」

 ならばなぜその提案をしたのかと、ルーフェは訝しげにチェミュナリアを見つめる。リシャはどっちでもいいから、とりあえず何かが食べたいと駄々をこねたかったが、そんな空気ではないので黙っていた。ぱんつの力を完全に引き出せれば、服や肌、髪など汚れたり傷んだりするのを防ぐくらいは訳ないが、空腹を防ぐような効果はないことは前述の通りだ。

 チェミュナリアはやや迷いつつも、言わないままでいる理由もないので、疑問に答える。

「パロニス王国は北部において、魔物を最も嫌う国。ですから、個人的にはあまり好きではないのです」

 だが、今は感情よりも優先すべきことがある。行きたくはなくても、行かないわけにはいかない。チェミュナリアの心境は複雑だったが、大事な友人でもあるピスキィを想う気持ちが勝った。

「無駄に時間をとらせましたね。急ぎましょう」

 チェミュナリアは先頭に立ってパロニス王国へ向かう。大きな差はないとはいえ、彼女が一番パロニス王国を知っている。目的地はパロニス王国の北、海に面した城下町だ。その間に訪れる村や街もなるべく多く訪れられる道順を、歩きながら考えていく。

 リシャとルーフェはその後ろからついていく。歩きながら、ルーフェにおぶってもらえないかなと考えるリシャだったが、彼女も疲れているだろうから口にはしなかった。しかし、目ではずっとルーフェをねだるように見つめていたので、ルーフェが「疲れたなら私が手を貸しますよ」と、リシャをお姫さま抱っこするまでに時間はかからなかった。


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