桜の花に集まって

第二話 幼馴染みと妹の恋人探し


 報告があったのは翌週、月曜日だった。準備ができたので午後六時に学校近くの公園に行ってください、と伝えられたのは朝のこと。夕ご飯の時間は五時、近くの公園までは十五分ほどかかる。普段なら食事時間に加え、後片付けもあるのでぎりぎりだが、妹が代わりにやってくれるというので多少の猶予はある。

 昼休みにはすすきから詳細が伝えられた。なんでも、公園に女の子を誘導するからがんばってね、だそうだ。要するにお見合い的なことを準備しているらしい。

 夜に公園へ向かう前、妹が小さくて四角い何かを渡してきた。

「なんだこれ」

「マイクロホンです。私とすすきさんは行けないので、家で兄さんの様子を確かめます。ポケットに入れておいてください。相手にも許可は得ているので心配はいりません」

「そうか。で、こんなのどこで手に入れたんだ?」

「徹夜で作りました。兄さんのためですから」

 とても一晩で作れるようなものには見えないけど、三葉が俺のためにというならできて当然だ。我が妹は兄のためなら本当に何でもできてしまうのだから。

 あまり長話をしていては時間に遅れるので、俺は小型マイクをポケットに忍ばせて目的の場所に向かった。誰が来るのかはわからないが、六時という時間を考えるとある程度の推測はできる。

 二人の人間関係から相手は高校生か中学生。そして六時にならないと公園に行けないとなると、何らかの部活をやっている生徒の可能性が高い。

 六時よりほんの少し早く公園に着いた俺は、ベンチに腰掛け公園の入り口をぼんやりと眺めながら、約束の時間まで相手の到着を待つ。そしてきっかり六時、声がかかったのは後ろからだった。

 どうやら別の入口――ベンチからは見えない場所にある――から入ってきたらしい。振り返って相手を確認する。そこにいたのは背が高くて胸の大きいショートカットの少女。

「や、葉一くん。待たせた?」

「いえ、俺もついさっき来たばかりです」

 二人も随分近いところから選んだものだと思う。女子バスケットボール部に所属する、チェリーブロッサムの常連客。二人が呼んだ相手は木場ゆりか先輩だった。

「で、普通の恋愛がしたいって話だっけ?」

「あいつら、そこまで話したんですか?」

 身近な相手を選んだのはいいとしても、詳しい事情まで話す必要はないはずだ。

「あ、違う違う。あたし、耳がいいからさ。利里さんに相談してるとき、少し聞こえちゃったんだよね」

 朗らかに笑って手を振る木場先輩。以前に他の相談をしたときも聞こえていたのかと思うとちょっと恥ずかしくなるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 しかし、何と言えばいいのか迷う。知っているなら話が早いです、と言えるような問題ではない。どちらかが既に好意を持っているというならともかく、俺は先輩のことをよく知らないし、先輩だってそのはずだ。

「隣、いい?」

「どうぞ」

 真ん中から少し横に移動して席を空ける。木場先輩は俺のすぐ隣に腰掛けた。

「近いですね」

「そう? でもあたし、君とは仲良くしておきたいし」

「仲良くですか。じゃあ試しに付き合ってみます?」

「うん、構わないよ」

 流れで軽く言ってみたら、予想外の答えが返ってきた。俺がどうしようかと迷っていると、木場先輩が言葉を付け加えた。

「でもね、条件があるんだ」

 先輩を見る。表情は真剣そのもので、これから口にすることはとても大事なことだと理解する。

「なんですか?」

「君の妹をたまに貸してほしい」

「あの、それって……」

 何となく予想はできるけど、勘違いかもしれない。俺は念のために確認をする。

「三葉ちゃんを抱かせてほしいなーって。あたし、女の子にしか興味ないんだよねー」

 スポーツ少女の木場先輩は百合っ娘だった。

「でも男の人を嫌いなわけじゃないから。興味ないだけで、試しに付き合ってみたら変わるかもしれないよ」

「分の悪い賭けですね」

 その可能性にかけて妹を売るような真似は俺にはできない。というか、どう好意的に解釈しても、そんな関係は普通の恋愛からは逸脱する。妹の部分がなければ別だけど。

「大丈夫だよ。あたしそういう道具には興味ないから。三葉ちゃんの処女はお兄さんのために残しておくよ」

 そういう問題ではない。というか、なぜ俺のためなのか問い詰めたい。

「大事な妹を好きにはさせられません」

 俺ははっきりと言った。細かいことを指摘するよりも、こうした方が手っ取り早い。

「女の子同士だから、じゃないよね?」

 木場先輩は軽く聞いてくる。答えはわかっているけど念のため、という感じだ。

「はい。好き合っているなら構わないと思います。すすきの言葉を真似るなら、愛があれば性別なんて関係ない、ってところですね。でも、こういう形で始まるのはおかしいですよ」

 三葉なら俺が頼めば断らないだろう。だからこそ、俺がしっかりしないといけない。自分の恋愛のために、妹を交渉材料とするわけにはいかない。

「なら、私と三葉ちゃんがしている姿を録画して君に見せるとか、君も混ざって三人でやるとか、そういうのならどうかな」

 これだとばかりに、自信満々に言う木場先輩。少し心が揺れた。でもすぐに気を取り直して冷静になる。

「だめです」

「そっか。じゃあこの話はこれで終わりだね」

 交渉は決裂した。先輩としてもこれ以上に魅力的な提案は思いつかなかったようだ。

「ところで、先輩が知っていて来たのは最初からこのためですか?」

「当たり前だよ。あ、このことは誰にも言わないでね。あたし、今日はチャンスだと思ってがんばったけど、基本的には見てるだけで満足だから」

「もちろんです。元々、先輩を巻き込んだのは俺たちですしね」

 最後は互いに笑い合って、公園でのお見合いは終了した。ちょっとした秘密を知ることになりはしたが、これからも木場先輩との関係は変わらないだろう。

 このまま平和に一日が終わる、かと思ったらそうではなかった。家に帰った俺を待っていたのは、すすきと三葉の咎めるような視線だった。

「兄さん、もっとしっかりしてください」

「そうだよ。本気で恋愛する気があるならがんばらないと!」

 なんで俺は怒られているんだろう。変なことを言ったわけではないし、むしろ妹のことを守ろうとしたのを褒められてもいいと思う。もしかすると、心が揺れたのに気付かれたのだろうか。マイクロホンに心拍数や脈拍を確かめる機能が隠されていたのかもしれない。

 しかし、二人の怒った原因は全く別のもので、予想もしていないものだった。

「兄さんはもっと私を頼るべきです。兄さんのためなら、私を好きにしようとする木場先輩を逆に篭絡して、兄さんの良さを毎日のように伝えて、兄さんのことが大好きな女の子に成長させてあげられたんです。もちろん、女の子への好意も兄さんの望む通りに。元のままにも、兄さんに一途にすることも、エスカレートさせることだってできたんですよ」

 それは一般的に洗脳、もしくは調教と呼ばれる行為だ。

「聞いてる間、三葉は泣きそうだったんだからね。今回は仕方ないけど、次はこうならないように気をつけてね」

「ああ、うん。そうするよ」

 どうやら次もあるらしい。俺は気圧されながらもちゃんと返事はしておいた。

「予想外のこともありましたしね。事前に調査しておけなかった私たちのミスでもあります。でも次の彼女候補にその心配はありません。情報は十分に揃っています」

 この短期間にどうやってそれだけの情報を集めたのか、そもそも木場先輩のことは調べられなかったのになぜ二人目は調べられたのか、気になることはあったけれど、その日になればわかることだろう。

 それから、次の予定は水曜日の放課後、チェリーブロッサムだと伝えられて、今度こそ平和な時間が訪れた。そのときはすすきと三葉も一緒に行くらしい。

 今回の件を踏まえてのことかと思ったけれど、そうではなくて最初からそのつもりだったと言う。二人が言うには、そうするのがベストな相手だから、だそうだ。

 そして水曜日。俺とすすきはいつものように喫茶店を訪れて、用事があって遅れるという三葉が来るのを待っていた。席は俺とすすきが隣合わせになっている。おそらく三葉は二人目の彼女候補とやらを連れてくるのだろう。

 しばらくしてやってきた妹は、制服を着た女の子を一人連れていた。三葉よりちょっと背が高くて、胸も少し大きめ。長い髪をポニーテールにした、凛々しくも幼い顔立ちの可愛らしい女の子だ。

 初めて見る女の子ではない。三葉と仲良しな女の子で、話ではよく聞くし何度か家に連れて来たこともある。名前は確か、鋼穂菜美だったと思う。

「遅くなりました」

「こ、こんにちは!」

 たどたどしく挨拶をする鋼さん。俺に挨拶をするときはいつもこんな感じだ。

「兄さん、覚えてますか?」

 二人が向かいの席についたところで、三葉が聞く。俺の真向かいには鋼さんが、すすきの真向かいに三葉が座る形だ。

「ああ。鋼穂菜美さん、だったよな?」

「はい。覚えていてくれたんですね」

「よかったですね」

 嬉しそうに口許をほころばせる鋼さん。隣の三葉も微笑んで言った。

「でも部活はよかったのか? 確か剣道部だよな」

「あ、水曜日は休みなんです。本当はもっと早く時間を作りたかったんですけど」

「ええ。おかげで月曜日は大変でした」

「三葉ちゃん!」

 慌てて妹の口を手で押さえる鋼さん。でも最後まで言ってからなのでもう遅い。

「な、なんでもないですから!」

 両手を振って必死に何事かを否定する鋼さんだけど、その動作のせいで三葉の口を押さえていた手が離れたことには気付いていないようだ。

「穂菜美はそれで隠しているつもりですか?」

「何のことかな三葉ちゃん。私、よくわかんないよ」

 妹の親友は引きつった笑顔で言う。棒読み気味でごまかしているのはばればれだ。

「それならそれでいいです。兄さんには悪いですが、今日はいつも通りに過ごします」

「あ、う……そ、それは、ちょっと」

「穂菜美。今日は何のために来たんですか? 私たちも前回は遊びのつもりでしたけど、今日は真面目にやっているんですよ」

 妹の口から聞き捨てならない台詞を聞いた。しかも私ではなく、私たちときたもんだ。

 しかし話の流れから聞ける雰囲気ではないので、俺は隣の幼馴染みを軽く睨む。すすきは申し訳なさそうに弱々しい笑みを浮かべ、片手を小さく立ててみせた。

「穂菜美は兄さんに憧れているんですよね」

 小さく頷く鋼さん。

「それで兄さんの相談内容を知って、ここに来ると決意したんですよね」

 再び頷く鋼さん。今度はさっきよりもはっきりと頷いた。

「そこで私たちはそれだけではつまらないと先輩にも声をかけたわけですが」

 俺の我慢強さが試される。問い詰めるのは帰ってからだ。

「そして予想通り失敗して、無事に機会が訪れたんですよ」

 妹は絶対にわざとやっている。我慢だ俺。

「うん。私、がんばるよ」

「その意気です。兄さんを押し倒すくらいの覚悟で挑んでください」

「三葉ちゃん。そんなことしたら葉一さんが怪我しちゃうよ」

 鋼さんは無垢な女の子だった。でも一応、剣道部として押し倒せる自信はあるらしい。

「というわけです。兄さん、話は大体わかりましたね?」

「まあ、何となくは」

 はっきりとは答えないでおく。憧れという感情は恋する感情とはイコールではない。

「でも、三葉ちゃんは本当にいいの? 三葉ちゃんもお兄さんのこと好きなんでしょ?」

「だから、私は兄として好きなだけです。穂菜美が気にすることではありません」

 何度も聞かれたことがあるのか、三葉はやや面倒くさそうに答える。それで安心したのか、鋼さんは三葉に対して微笑んで言った。

「三葉ちゃんは今日もブラコンだね」

「ええ、いつも通りです」

 一息おいて、三葉は言葉を続ける。

「話もまとまったところで、そろそろ進めてもいいですか?」

 俺と鋼さんは同時に頷く。仕掛ける側のすすきは促されるまでもなく言葉を継ぐ。

「自己紹介も済ませたところで――面識があるから当たり前だけど――今日はこれから二人にデートをしてもらおうと思います。手をつないで公園に行くんだよ!」

「穂菜美、兄さんのことを頼みますね。何しろこういうのは初めてですから」

「わ、私だって初めてだよ!」

 手をつないでのあたりから頬を朱に染めていた鋼さんは、三葉の追撃にさらに顔を赤くして大きな声で答えた。さすが剣道部、声量が大きい。

「でも恋をしたことのない兄さんより、恋する穂菜美の方が格上ですよ」

「え? そうなの?」

 どっちに対しての疑問なのか、あるいは両方への疑問かもしれないが、どちらにせよ否定できないのが辛いところだ。

「行きましょう、葉一さん!」

 立ち上がって手を差しのべる鋼さん。積極的な行動に驚いたけれど、よく見ると手がちょっと震えている。俺は彼女の手をとると、離れないようにしっかりと握ってあげた。

 喫茶店から公園までの道のりは五分くらいと短い。通じる並木道には信号がなく、桜が咲いている。喫茶店の窓からもよく見える美しい桜。チェリーブロッサムという名前の由来の一つだと前にお姉さんから聞いたことがある。

 四月の中頃に桜が咲くのは珍しい。ここ北の海を越えた地ではかなりの早咲きになる。

 俺の右手はしっかりと鋼さんの手を握っている。彼女も離さないようにと力強く握り返してくる。力を入れすぎてちょっと痛いくらいだけど、耐えられないほどでもない。

 普通なら五分で着く道のりを俺たちはゆっくりと歩く。会話はひとつもない。彼女も何も言わないし、俺もどうやって声をかければいいのかわからない。一緒にいるだけでもデートになるとは聞くけれど、本当にそれでいいのかと少し心配になる。

 でも幸せそうな横顔を見ると、これでいいような気がしてくる。じっと眺めていると、気付いた鋼さんが恥ずかしそう顔を逸らして、手を強く握ってきた。

 可愛い。それと痛い。これが剣道部の本気というやつか。剣道は竹刀を落としてはいけないから、握る力は重要だ。中学生の女の子でもその力は侮れない。

 痛みを顔には出さないようしながら歩いていると、公園に着いた。ゆっくり歩いていても距離が短いのに変わりはない。

 さて、問題はここからである。ずっと無言で一緒にというわけにはいかない。付き合っている二人ならいいかもしれないが、俺たちはそれ以前の関係だ。鋼さんにとっての俺は片思いの相手で、俺にとっての彼女は妹の親友。

 俺は恋がしたいし、彼女も俺に憧れている。それが恋という感情であるのはほぼ間違いないだろう。告白すれば断られないだろうし、告白されたら受け入るのは簡単だ。

 俺たちは手をつないだまま、公園のベンチに腰を下ろす。彼女は今も幸せそうな顔をしている。

 二人の利害は一致している。けれど、果たしてそれでいいのだろうか。鋼さんの純粋な気持ちを俺が利用することになってしまうのではないか。

「葉一さん」

 そうして考えるだけで何もできずにいると、鋼さんが俺の名前を呼んだ。

「私、初めて見たときから……かどうかはわからないんですけど、三葉ちゃんのお兄さんとして何度か会っているうちに、気がついたらあなたのことが好きになっていました」

 告白。雰囲気から自然な形で、彼女の口から想いが伝えられる。

「それで、ですね。三葉ちゃんから恋をしたいって話を聞いて、いてもたってもいられなくなって、今日ここに来たんです。今だったらその、付き合ってくださいっていったらすぐに付き合えるのかな、って思っちゃって」

 一瞬、語気が弱まる。でも次の言葉ははっきりと、よく通る声で発せられた。

「でも、それじゃだめなんです。こう、なんていうか、試しに付き合ってみて、なんてのは剣士としての自分が許してくれなさそうなんです」

 鋼さんの実家は道場だと前に三葉から聞いたことがある。剣道部に入部する前、幼少の頃から剣道をやっていた彼女にとって、その気持ちは簡単には譲れないものなのだろう。

「そこまでだ」

「え?」

 さらに言葉を続けようとする鋼さんを言葉で制する。根拠となる部分は違っても、考えていることは同じ。なら、彼女にだけ言わせておくわけにはいかない。

「俺も、そういうのは違うんじゃないかって思ってた。普通の恋をしたい、なんて漠然と思っていたけど、そんな軽い気持ちで誰かの気持ちを利用することはできない。だから」

「ま、待ってください!」

 鋼さんが慌てて止める。ここで止められるとは思っていなかったので反応が遅れる。

「勝手に決め付けないでください。そんなことを言うだけなら、私だってここまでのことはしません。葉一さんが私のことを、妹の友人くらいにしか思っていないことだってわかっています」

 あれ、なんだか想定していた流れとは違う。俺は混乱する頭を整理しながら、彼女の言葉を黙って聞いていた。

「だから、ですね。今ここで、葉一さんに私のことを好きになってもらおうと思って、来たんです。そのための言葉だって用意してきたんですから!」

 声音や表情から鋼さんの自信が伝わってくる。俺は相槌を打って言葉を待った。

「え、えっと……私の無垢な心と体を、葉一さんの色に染めて下さい!」

 とんでもない台詞が出てきた。けれど、俺は既に冷静さを取り戻している。

「三葉か」

「あ、あれ? 三葉ちゃん、これさえ言えば大丈夫だって……だ、騙された?」

 騙したわけではない。三葉は本気でこれが効果的だと思っただけだ。そして多分、鋼さんはちょっと言葉を間違えている。

「あ、そうだ。すみません、間違えました。もう一度……」

「俺の熱いもので真っ白に染め上げて、なんて言葉なら言わなくてもいいよ」

 自分で言っても恥ずかしくなるような台詞だ。微妙な違いはあっても多分これが正解だ。

 彼女は口をぽかんと開けて言葉を失っている。なんでわかったんですか、とは言わないまでも、次の言葉で予想が当たっていたことが証明される。

「なんで効かないんですか?」

「鋼さんは効くと思ってた?」

「いえ、言葉の意味もよくわからなかったです。でも、三葉ちゃんが『絶対に大丈夫です、兄さんはこれを聞いた瞬間、抑えきれなくなって穂菜美を押し倒しますから』って断言してくれました。だから信じて、怪我をしないように心の準備をしてから言ったんですけど」

 効果はなかった、というわけだ。三葉は本気でそう思っていたのだから非難はできない。もし別のタイミングで言われていたら、言われた通りにとはいかずとも心は揺れて、何らかの行動を起こしていた可能性が高い。

 とりあえず、妹が騙したわけではないということを理解してもらおうと、俺はその旨を鋼さんに伝えることにした。といっても、そのまま言うのは恥ずかしいので、言ったのはこの一言だけだ。

「言うタイミングが悪かっただけさ」

「効果はあったんですね?」

「二度はないけどな」

 頷きながらもちゃんと言い含めておく。今回と同じ言葉だけでなく、三葉が提案するのは限定的なものだから使い所が難しい、だから気持ちを口にするときは、なるべく自分の言葉で伝えるように、と。

 なんで片思いされている相手に、恋愛経験のない自分がアドバイスをしているのだろうと変な気持ちになったけれど、少なくともこのアドバイスは間違ってはいないはず。

「色々ありがとうございました。それじゃ、また今度――すぐには勇気が出ないと思いますけど、必ずまた――告白してもいいですか?」

 告白、という単語にどきっとしたが、俺は平静を装って頷いた。彼女の反応を見るに、おそらく気付かれてはいないと思う。

 俺と鋼さんは公園で別れることにした。少し歩いたところで、振り返って大きく手を振る妹の親友を見送って、俺は喫茶店に戻ることにする。

 これで一安心。チェリーブロッサムに戻ったら落ち着いて珈琲が飲める、と思いたいけれど先日のことがあるからまだ油断はできない。今回は何も持たされてはいないが、俺たちは歩いて公園に向かったのだ。やや遠回りになる道を急いで行けば、先回りするのは簡単だ。

 すすきと三葉は静かに珈琲を飲んでいた。前回のように詰め寄ってくることはない。

「あれ、もう帰ってきたんだ」

「兄さん、穂菜美は?」

 二人ともやや驚いたような顔をする。とぼけているわけではなさそうだ。俺は細かい部分は無視して、事の顛末を伝える。

「そうですか。穂菜美が無事なら安心です」

 何を想像していたのかは聞かなくてもわかるので問い詰めない。

「それで、葉一の悩みはもういいの?」

 すすきが聞く。俺は少し考えてから、はっきりと答えた。

「とりあえず今はいい。今回みたいな形でやるのは色々と大変だからな。幼馴染みと妹には遊ばれるし」

 もちろんそれ以外にも理由はあるけれど、あえて言わないでおく。二人は軽く返事をしただけで深く聞いてくることはなかった。

 そのまま少しゆっくりしてから、俺たちは揃って喫茶店を出て、まっすぐ家に帰ることにした。会計を済ませるとき、お姉さんにもとりあえず悩みは解決したと伝えておく。

「葉一くん。お姉さんはいつでもいいからね」

 笑顔で言ったその言葉はよく響いて、すすきや三葉の耳にも届いていた。けれど二人は特に驚く様子もなく、俺は不思議に思いながらもお姉さんに軽く返事をしておいた。

 帰り道に聞いてみると、二人はお姉さんが俺のことをどう思っているのか、以前から知っていたという。本人に伝えたことはつい最近まで知らなくて、俺と鋼さんが公園に行っている間に初めて知ったそうだ。

 お姉さんの考えはいまいちよくわからないけど、本気であることは間違いなさそうだ。父であるマスターだけならともかく、二人にまで話しているのだから。

 とりあえずではあるけれど、悩みが解決して気持ちはすっきりしていた。けれど、完全に今回の件が片付いたわけではないと知ったのは、翌朝のことだった。

 いつものように幼なじみが起こしにきてくれて、妹が朝食を作る。そして三人で学校に行き、途中で三葉と別れる。ここまでは普段と変わらない光景で、何事もなかった。

 問題は学校に着いてからである。何となく生徒たちの視線が俺に向けられている気がした。毎朝幼馴染みと一緒に登校しているので、ある程度の視線はいつものことだけど、その場合の視線は俺ではなく、俺とすすきの二人に向けられるものだ。

 すすきに聞いてみても何も知らないという。教室についた俺たちに、丸刈りの爽やかな男子が声をかけてきた。山田賢之助。小学生の頃からの友人で、野球部所属のピッチャー。毎日練習を欠かさない、野球一筋の熱血少年だ。

「よ。その様子だと知らないみたいだな。葉一、ちょっとした噂になってるぞ」

「噂?」

「公園で女の子と二人でいる姿を見かけたってさ。で、こっからが重要。見かけた人は数人いて、その話を聞くとどうやら月曜と水曜で相手は別らしいと。これは何かあったに違いないと一部で色々な憶測が飛び交ってる」

 その中でも有力な説は、幼馴染みに隠れてこっそり恋愛しようとしたけど、二人連続で振られてしまったのではないか、というものだった。事実無根とは言えないけれど、色々と抜け落ちている情報がある。

 よく見ると、俺に向けられている視線は憐れみと嫉妬の二種類があるように感じられた。すすきと俺が恋仲であると疑っているかどうかの違いだろう。

「で、実際のところはどうなんだ? 俺はどうでもいいんだけど、代表して聞いてきてくれってみんなに頼まれてさ」

 賢之助はこういうことにはあまり興味がない男だ。空いた時間はなるべく野球のために使いたいから、それ以外は必要最低限でいいというのが信条で、噂の確認はそれに含まれない。

 こういう頼みも普段なら断るのだけど、みんなに聞かれたから仕方なくといったところだろう。一人二人なら断るのも楽だが、多くに頼まれるなら引き受けてしまった方が早い。

 俺は簡単に事情を説明することにした。このままでは居心地が悪い。すすきも協力してくれて説明はスムーズに進み、賢之助からみんなに伝えられると、すぐにクラス内での噂する声は静まった。一部では落胆するような声もあったけれど、俺が気にすることではない。

 そして昼休みには学校中――といっても噂が広まっていたのは一年生と、木場先輩のいるクラス周辺だけなので半分にも満たないが――で噂をする者はほとんどいなくなっていた。


第三話へ
第一話へ

桜の花に集まって目次へ
夕暮れの冷風トップへ