少年の手で一枚のメダルが輝く。刻まれた『雪』の文字、その力を解放せんとして。
「雪よ――積もり、砕けろっ!」
可愛らしい二体の猫のようなマスコットに、吹雪のように雪が積もっていく。雪に閉ざされたそれが砕けたと思うと、溶けた雪の中には僅かな金品が残るだけだった。
黒髪ショートカットの少年は戦利品を手にすると、黒の瞳で価値を確認する。見た目に反することのない相応の量だったが、メダル旅人として旅を続けるには十分な稼ぎである。
「……で、俺に何の用だ?」
金品をポケットにしまい、少年は背後に声をかける。
「あのマホコットを一撃。やるじゃない、あんた」
答えたのは少女の声。ロングストレートの桜色の髪を揺らし、紅葉色の瞳で少年を見つめる美しい少女。左手をポケットに入れたまま、少女は少年を褒めていた。
「私はヤマブキ・サクヤ。その『雪』のメダル、旅人のカタヒナ・ミコトで間違いない?」
「だったら?」
用件を話さないサクヤに、ミコトは振り返って短く答える。ここメリトリアーズを拠点に活動して、若手の実力者として評される一人。こういう輩には、慣れてはいないが初めてでもない。
サクヤは笑顔で答えて、ポケットから二枚のメダルを取り出す。ミコトの目からは刻まれた文字は見えないが、それが彼女のメダルであることは容易に理解できた。
「とりあえず、倒れてくれる?」
声とともに、衝撃がミコトを襲う。突然の攻撃に驚きはしたが、それは攻撃の中身に対して。防御の準備はできていた。
彼の足元から大量の水が湧き出して、彼の前に大きな水の壁を作る。衝撃は水に吸収され、ミコトは無傷で立っていた。
「ふむ。それが『海』ね。うん、最高よ。それじゃ、今度こそ――倒れてもらうわよ」
直後、四方八方から襲いかかる衝撃を、ミコトは瞬時に雪を固め、かまくらのようにして防御する。砕けた雪はそのまま、襲いかかってきた少女目がけて、吹雪に変化する。次いで襲いかかるのは、海から生まれし小さな無数の波。
接近を防ぎつつ、攻撃も兼ねた波状攻撃。その強烈な反撃を、サクヤはその身ですべて受け止めていた。
「ったく、最近こういうのが増えて、めんど――」
防御も間に合わず、完璧な一撃。ミコトが決まったと思って息をついた瞬間、彼は目の前で起きた現象に言葉を失う。全てが直撃したはずの少女は、平然と同じ場所に立っていた。
「一つ、忠告しておいてあげるわ。実力を過信して、見極めるのを疎かにしないことね」
咄嗟に攻撃に備えて守りを固めようとするミコト。だが、もう遅かった。
「えいっ」
サクヤの手から放り投げられた小さな雪玉が、高速で空を飛び、ミコトの額に直撃。軽い衝撃を受けて、ミコトは後ろにゆっくりと倒れていった。
「言ったでしょ、倒れてもらうって?」
「どうする気だ?」
歩み寄ってくる少女に、ミコトは再び尋ねる。ここから反撃することも可能だが、そうしたところで勝敗はもう動かない。それをミコトは悟っていた。
サクヤは笑顔で彼の手をとり、立ち上がらせてから改めて口を開く。
「明日、王国競技場で開かれる、メダヒメ記念大会。あんたにはそれに参加してもらうわ。もちろん私と一緒にね」
「なんで俺が競技会なんかに……」
「無名の女の子にあっさり倒されたなんて、そんな噂が広まったら、メダル旅人として困るんじゃないかしら?」
サクヤの言葉に、ミコトは黙って見つめ返す。「脅迫か?」という意図を込めた彼の視線に、少女は「違うわよ」という意味を込めて、大きく首を横に振る。
「これは誘いよ。あんたにはやる気を出してもらわないと困るもの。もっといい条件を、今から提示するわ」
怪訝な顔を見せたミコトに、サクヤはそっと顔を近づけて、微笑みを見せる。
「優勝したら、あんたに私の体を好きにする権利をあげるわ」
優しくミコトの胸に手を触れて、サクヤは言った。五十五メダルと、五十三メダル。サクヤはミコトを見上げ、ミコトはサクヤを見下ろして、見つめ合う。
「確かに、噂を広められるのは困るな」
「でしょう? って、私の体は無視?」
今度はサクヤが怪訝な顔を見せる。ミコトは迷うことなく頷いて、言葉を続けた。
「ああ。好みじゃない」
「……言ってくれるじゃない」
「言わせてもらうさ。好みの可愛い女の子に迫られたら、どんな男でも心が揺れるだろう。だが、好みじゃない女の子ならいくら美しくても――へぶっ」
無言のアッパーがミコトの顎を襲った。
「そう何度も、好みじゃない好みじゃないって連呼しないでくれる?」
「……すまない」
拳を構えたままのサクヤに、ミコトは素直に謝る。
「ま、いいわ。とりあえず宿に来なさい。そこでゆっくり話しましょう。時間はまだ、あるわよね? なるべくしたくはなかったけど、断るなら……」
「敗北は事実だ。従おう」
王都メリトリアの宿に場所を移し、ミコトとサクヤは会話を再開する。メリトリアーズ王国の王都、メリトリアのそこそこいい宿にサクヤは泊まっていた。
「コノハ、新しい仲間を連れてきたわよ」
「待て、まだ仲間になるとは」
部屋の中にいるらしい仲間にかけた声に、ミコトは即座に否定する。しかしその否定の言葉は、最後まで口にされることはなかった。
ふかふかのベッドの腰をかけて待っていたのは、桜色の髪と紅葉色の瞳の少女。淑やかリボンのミディアムポニーテールで、身長五十メダルの可愛い少女だった。
「カタヒナ・ミコトだ」
「ヤマブキ・コノハです」
ミコトとコノハは名乗ってから、黙って見つめ合う。サクヤはそんな二人の顔を交互に眺めながら、首を傾げていた。
「サクヤ、彼女は……」
「お姉ちゃん、この人が?」
「コノハは私の妹よ。で、仲間にならないかもしれない仲間候補」
二人からの質問に、サクヤは簡潔に答える。
「そうか。とっても可愛い妹だな」
「そんな、可愛いだなんて。ミコトさんこそ、とっても格好いいですよ」
再び二人の顔を交互に眺めて、今度は得心して頷くサクヤ。
「二人とも、随分お気に入りのようで」
「メダヒメ記念大会だったな?」
「そうよ。賞品が何かくらいは、知ってるわよね?」
サクヤは呆れた顔をしながらも、淡々と質問に答えていく。これがミコトの一方的な一目惚れなら文句を言うところだが、妹のコノハも一目惚れしてしまったのだから一旦は見逃すしかない。その間に、進められる話は進めておくことにした。
「メダヒメメダルと聞いているが、な」
「そう。あのメダヒメメダルよ。六十枚全てを集めたら、メダヒメ様のすっごい力を借りて世界を支配できるとも言われている――あの!」
急に熱を込めて語り出したサクヤに、ミコトは驚いてコノハを見る。
「お姉ちゃん、メダヒメ様の話をするといつもこうなんです」
ミコトは頷いて、サクヤの言葉に耳を傾ける。
「あんたも知ってるでしょう? 数多のメダル旅人が探し求めて、誰も集められなかったあのメダヒメメダルが、メダヒメ記念大会の賞品なの!」
「ああ。その数多のメダル旅人が、なんで挫折したかも含めてな」
「そこは、私はよく知らないわね。メダヒメ様への信仰心が足りない以外にあるの?」
素朴な疑問を口にしたサクヤに、ミコトは一瞬呆れた顔を見せたが、コノハも首を傾げていたのを見ると、表情を整えて説明する。
「六十枚のメダヒメメダルは世界に広まってる。が、その世界は人類には広すぎる。この島国メリトリアーズの外にある大陸の数は、当然知ってるよな?」
「メダヒメ様のメダルと同じ六十ね。メダヒメ信仰の常識よ」
「でも、そのうち人が暮らす大陸はたったの十。六分の五の未開の地まで、必死に探索しないと全ては見つけられない。そりゃ、挫折するだろうさ」
「愛が足りないわね。本気でメダヒメ様のことが好きなら、それくらいできなくてどうするのよ。でも私は違うわ。私はメダヒメ様のために、そうメダヒメ様のために、世界の全てだって回ってやるんだから」
「凄い熱意だが、優勝したとしても残りは五十九枚……数枚なら今までだって」
「あ、それなんだけど」
ミコトの言葉を遮って、サクヤはポケットから一枚のメダルを取り出した。綺麗に輝く、文字の刻まれていない不思議なメダル。ミコトも初めて目にするものだった。
「一枚なら、もう持ってるわよ? それに、ふふ……メダヒメ様っ」
サクヤが呼びかけると、彼女の手のひらのメダルが輝き、小さな女性が姿を現した。煌めく髪、輝く瞳、ロングウェーブの美しい女性。ぴったり一メダルの、小さな美少女だ。
「初めまして、メダヒメです」
にっこりと。メダヒメはミコトに向かって挨拶をした。
「これが……メダヒメ?」
「そうよ。全てのメダルに加護を与え、とっても美しくて凄いメダヒメ様よ! あと、これって言わない!」
「メダヒメメダル一枚なので、六十分の一サイズですけれどね。ちなみに残念ながら、胸も成長しません」
「え、ああ……」
確かに凄い薄さだな、とは思っても口にはしなかった。本人から振られた話とはいえ、満面の笑みを浮かべるサクヤの視線を感じて、ミコトは口を閉ざす。
「メダヒメ様は私の信仰心に気付いて、私の前に姿を現したのよ。いつかメダヒメメダルを集めて、メダヒメ様と結婚するという、私の純粋で愛に溢れた信仰心に気付いて!」
「いえ、サクヤさんの才能に惹かれて現れただけです。世界にただ一人、稀有な才能を持って生まれた彼女なら、きっとメダヒメメダルを集められると」
「なるほど。確かに、凄いメダル力だった」
マホコットを倒した直後の戦い、ミコトも大きく消耗していたわけではないし、大きく油断していたわけでもなかった。しかし、サクヤにそれほどの才能があったというなら、あっさり負けたのも納得できるものである。
「あ、でも、サクヤさんは努力も凄いですから、素質だけではないですよ。それに、ミコトさんも素質は高いはずです」
「それはもう、メダヒメ様のためですから。結婚しませんか?」
「しません」
断られても落ち込む様子を見せないサクヤは、改めてミコトの名を呼ぶ。
「ミコト。事情はもう理解したでしょ? 優勝したら私の体を……」
「それより、コノハと二人きりになりたい」
「あ、お姉ちゃん、私もそうしたい」
「……この」
あっさり受け流されたことに、サクヤは拳に力を込めていた。そしてその拳を強く握ったまま、ミコトに向けて言い放つ。
「コノハが欲しかったら、私を倒しなさい! もちろん、メダヒメ記念大会でね!」
「喜んで協力しよう」
「はい。私、応援しています」
ミコトとコノハは無言で見つめ合う。完全に自分を無視して、二人だけの世界に入っている協力者と妹をぼんやりと見ながら、サクヤはメダヒメメダルと、メダヒメに視線を移して呟いていた。
「出会ったばかりで、仲良く幸せそうね。いいわよ、私はメダヒメ様と一緒に幸せになるんだから。ね、メダヒメ様」
「そこで同意を求められても困ります」
サクヤの笑顔に、メダヒメも笑顔で言葉を返すのだった。